消えてゆく小さなこと



消 え て ゆ く 小 さ な こ と


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1937年04月30日(金)

ひとことだけなんだよ
言いたいことは

かっこつけんな!

見苦しいだけなんだよ
滑稽なだけなんだよ

一生懸命さは
どんな場合でも
あたたかいものなんだよ


1937年04月29日(木)

その人の数字も文字も
記憶に残らなくなった
おぼえていない
薄い存在になった
魅力も敬意も感じない存在


1937年04月28日(水)

写真を整理している
小さいころの自分の写真がある
どんな子だったのだろう
何を考えていたのだろう
きかんきの熱中する子だった気がする
ぼんやりしていない子だった気がする
三つ子の魂百までというけれど
きっとかわっていないのかも
そしてオトナになるとき
その上に何かを重ねてきたのだろうと思う
見ていると心が洗われてくる気がする
死ぬときは赤ん坊にかえるとか聞くけれど
その前に子供にもどってゆけるならなぁ

でも二つの顔
ねたましい気持ちを感じた


1937年04月27日(火)

わかった気がする
それは キホン
誰かを護る立場にいないからだ 
自分だけを護っていればよい立場
そういうにおいを感じる

どんなに不自由があったとて
自分をなげうってでも
そのことをいとわないというものがない立場

そういう言葉の動かし方を感じる
戯れ言的遊び的な感じ

すでにそんな年齢は過ぎているのに
オトナであるのに
高校文芸部的とんがりや甘え
型アソビやちょっとした知識のひけらかし

大人の味を感じない
大人はそんなことすでに終わっているからね  
生きた分が大人の味になるはずだのに

よくわからないけれど
いつまでふらふら甘んじているんだという感じ
大人になれよと思う


1937年04月26日(月)

そのカップはアンティークの
なんとかグラス
ころんと倒しそうに落としかけて
とっさに防げた


これって ひょっとして

前にぱしっと手の甲にきた
あの念の真逆?

今日は私を助けてくれた?

大切な宝を大切に扱おうと決めたから?
もっと大切に扱おうと決めたから?
ルートが定まったから?

不思議な気がする
気持ちの整理をつけて
頑張れる気がする

今日よいお香もいろいろ届いたし


1937年04月25日(日)

静かな佇まいで

流れがあるのがよい

とどまらず

溜まらず

濁りなく流れゆきたい


1937年04月24日(土)

分けている
あなたの宝物だったものを
そのケースに

わたしの宝とするものを
こちらへ

少しは踏ん切りをつけて

ねたみの元ならば不要


1937年04月23日(金)

平然とそんなことを書いてのける婆さん
気持ち悪くて吐き気がする
ナニソレという感じ
慎みのない人は気持ち悪い
性別に関係ないかもしれないが
同性だからなお思う
ましてやいいトシのひとが

その文章 男女を逆にしたら
大変なことになる
それわかってるのかな
自分がばあさんだから
いいと思ってるのかな
爺さんなら最悪のエロ爺になるのに

オバタリアンと自称しても
それは違うと思う
オバタリアンというのは
厚かましいとか 図々しいとか
面の皮が厚いとかそういう感じ

その人はエロ婆
色情的に聞こえる文章
短歌的な人はそうなのか

不安もあったが
やっぱりな と思う
この間も思った
これ芸能人のアカウントだったら
セクハラに近い
炎上ものだ
やっぱり変わらない人だ
これが日常の感覚なら
底が見えている

SNSやってると宣伝するのは
田舎ではでステータスのつもりだろうか
ならば もっと口を慎めと思う

本当に慎みのなさに呆れるけれど
田舎の人ってそうなのか

隣の人が読んでるかもしれないのに
お仲間が読んでるかもしれないのに
平気なんだな こわい

前はほのぼの系を書いてると思ってたけれど
本性エロエロ系のようだ
血は争えないということか

もううんざり
いやなページだと思う
開かないほうがいいな


1937年04月22日(木)

その写真が宝であったのは
私たちが宝であったこと

だから
私の宝としないでよいこと

だから一緒に弔いします

写真に命はなく
過去のデータに過ぎない紙であるとAI
今生きている人がいのち


明るい清しい空に白い半月が高くあった

ぴっかーん

日が落ちてまぶしい明るさの半月
秋の始まりのような
涼しい風が通ってゆく

気持ちがすっきりしたから
作業頑張れる


1937年04月21日(水)

危ない 危ない
してはいけないお弔い
今を生きる人たちを
送り出すところだった


1937年04月20日(火)

種をたくさん蒔いた
混ぜこぜのばら蒔き
野原蒔きという


1937年04月19日(月)

どんな子だったのか
どんな子ども時代だったのか
あまり覚えていない

たどることは
もうやめよう

笑っていたのか
楽しかったか
毎日何をしてたのか

振り返らずに
掘り起こさずに
ルーツを確認しなくても
今の自分が自分なのだ


1937年04月18日(日)

身を潜める

溢れる水には
タッチしない
2度あったのだ
3度は知らない


1937年04月17日(土)

ミンネメルカリ
布系種系
買いすぎ
増えすぎ

買うことは
責任が増えること
消えないものは
地球のごみになる
空間が閉塞する

土に還ることを志す


1937年04月16日(金)

そんなに頻繁に顔を出さずに
しばし鳴りを潜めよう
自分のリアルに居よう


1937年04月15日(木)

切り捨ては早いけれど

捨てるのができないで
溜め込んでる

それはどういう習性からか

思い出を大切にするから?

多分
なにかを一杯詰め込んでる住み方だったから?
物のない時代をいきたひとたちの
おしえがしみいついているから?

でもどこかで何かを切り替えないと
地球の空間をへらすだけ


1937年04月14日(水)

脚立の崖を
詳しくしらべようとして
秋元康にいく


予定調和を嫌う
正確には、予定調和を破壊することに狙いがあるのではなく、既成概念にとらわれないという意味
「予定調和を壊す」とは、奇をてらったり、裏をかくことではないとも話している。「奇をてらったり裏をかこうとすると、必ず『裏なんだ、裏なんだ』と、反対向きのこれまた予定調和になっていくから
奇をてらうのではなく、何も制限をかけないのが正解
「みんなが行く野原には野イチゴはない」があり、みんなが思いつく場所には絶対に美味しいものは残っていない
自身の作成した歌詞は「詩」ではなく「詞」と考えており、誰の口からその言葉が発せられるのかを念頭に作詞しているため、多少違和感があっても、耳に残るような歌詞や声のニュアンスを重視している[
通常は作詞を終えた後にタイトルを付けるスタイルを採用
秋元康という名前が出ることで企画性が強いとか何かを狙っている仕掛け的な捉え方をされて音楽のアーティスティックな部分より売る意図が注目されすぎるデメリットがある場合、作詞をしても裏方に徹してクレジットに名前を出さないことがある

秋元康


1937年04月13日(火)

その人の文には
いやなばあさんだな
こんなふうにはなりたくないな
それしかない

信じられないほど品位に欠ける
田舎はそれが普通なのか


素敵だな 見習いたいな
そう思う感性の人もいるのに


1937年04月12日(月)

最初のカードさえ切れば
うまくスタートできるのに

決心次第だ

一枚つまんで
それを切ればいい

そして流れが始まるのだ


1937年04月11日(日)

継承順位だとか
スペアやストックだとか
送るや残すや返してもらうとか

そんなこと一切無しで
頼らぬただ一発勝負

そういうスマートさ
そういう生き方を
模索している


1937年04月10日(土)

ルールを学び
ルールを知って
ルールに沿う

それが
スムーズに進める方法


1937年04月09日(金)

赤ずきんちゃん気を付けてを読んだのはいつだろう
作者に手紙を出したのはいつだったろう
手書きの返事や年賀状をもらったのはいつだったろう
手描きイラストがあった
ずいぶん昔のこと
そんなにすごい家柄で
そんなに高学歴で
そんなことつゆともしらず
その辺の大学生のお兄さんくらいに
近しく思っていた

ちょうちょと黒い帽子とおもっていたけれど
あれはロン毛だったのかも

探したけれどみつからない
すてちゃったかな

AI検索 まさしくこれだ

作家の庄司薫(本名:福田章二)が親しい知人への手紙や絵葉書(年賀状など)に描いていたとされるイラストは、蝶々のような羽をつけて空を飛んでいる、自身の姿(モノクロの自画像的イラスト)です。イラストの内容: 蝶の羽を身につけて空を飛んでいる、ユーモラスで軽やかな姿のモノクロ自画像。エピソード: 小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』などで描かれる主人公「薫くん」のイメージと重なる、ユーモアと優しさに満ちたもので、受け取った読者や関係者の間で大切に保管されていることが語られています。


蝶々のモチーフと背景初期作品との関連: 庄司薫が本名の「福田章二」名義で東大在学中に書いた初期の処女作・短編に『蝶をちぎった男の話』(1957年)があります。若い日の内面や残酷さ、青春のモチーフとして「蝶」はごく初期から作家の心象風景に深く結びついていました。プライベートな交流: 年賀状に描かれていたイラストは親しい友人や関係者などに宛てた私的なものであり、一般のファン向けに発表・製品化された性質のものではないため、その具体的な画風やデザインの詳細は公に知られていません。

蝶々の羽を背負い、黒い帽子をかぶった姿のイラストは、小説の直接的な共通モチーフというよりも、庄司薫さんご本人がファンからの手紙や年賀状などに遊び心や親しみを込めて描かれていた、ユーモラスな自画像的(あるいはマスコット的)な落款・イラストだと言われています。小説との関係直接のモチーフではない: 代表作『赤頭巾ちゃん気をつけて』や『さよなら快傑黒頭巾』などの「薫くん四部作」の作中において、主人公や登場人物が蝶々の羽をつけて黒い帽子をかぶるような直接的な描写やメインモチーフがあるわけではありません。「黒頭巾」のニュアンス: タイトルにある「黒頭巾」や、自身の独特なユーモア、気まぐれでファンタジックな雰囲気を、蝶の羽と黒い帽子という可愛らしくもシュールな姿でご本人のキャラクターとしてビジュアル化し、手描きのレスポンスに添えられていたものです。当時のやり取りの背景温かいファンサービス: 庄司薫さんは読者から届いたファンレターや葉書に対して、とても丁寧かつユーモアのある返信やイラストを描いて送ることがあったことで知られています。
貴重な思い出: そのため、あなたがお持ちになった(あるいは目にした)蝶の羽と黒い帽子のイラスト入りのカードは、印刷された小説のモチーフではなく、作家本人が手描きでファンに贈ってくれた、世界にひとつだけの温かい直筆メッセージそのものです。

ファンへの手描きイラストについて
庄司薫さんは、読者から届いたファンレターや読者カードなどをすべて大切に保管・整理していたことで知られています。丁寧な人柄でも知られており、返信のハガキや年賀状などに、ご自身のトレードマークやユーモラスな姿(蝶の羽や帽子をつけた姿など)を愛嬌たっぷりに手描きしてファンを喜ばせることがあったようです。

手描きのイラストとファンへの対応
作家の庄司薫さんは、読者から届いたファンレターや読書カードを大切に保管し、自ら返事や年賀状を書く際に、こうした自作の可愛らしいキャラクターや象徴的なイラストを添えて送ることがあったと言われています。小説のモチーフとご自身のイメージが重なった、とても貴重で温かい心遣いの思い出ですね。


まとめるのに時間がかかるから
ぴっかーんにする


読んだのはバクだったかも
手元にはすでに本はないから
覚えていない


1937年04月08日(木)

腹立たしく思うのをやめよう
苛っとおこるのをやめよう

他人と思えば
やわらかく親切に
できるだろう


1937年04月07日(水)

私は残したくない
全て回収して処理して
何も残さない

というか
この地球をせまくしない
emptyという空間を残す

巨大な彫刻が点在するどこぞの高原
人により意味不明
仏像などのように
人々の心の拠り所となるわけでもない
作者の自己満足の世界が散らばって
地球は狭くなっていく
いつまで残るのだろう

育ってゆくいろんな大樹が在る方が
よっぽどいいと思うけれど

自分は
残すものは空間
そう決めた

己のための断捨離などエゴだ
未来に空間を残すために
大きな断捨離を

何も残さないと決めた

ぴっかーん 20260811


1937年04月06日(火)

その人は
褒められたくて書いているのらしい

書きたいというのは
怒られるかもしれなくても書く
こっそりでも書く ってことだと思う
誰かに褒められたい とは違う
ほめられなくても
自発的な行為と思う

何かを残したいと
躍起になっている人だ


1937年04月05日(月)

中也も春樹も好きでない
傾倒する人をわからない
それは主観の違い
あなたとは相容れない

AIさんも便利
中也と春樹と直哉をくらべてくれた
尾崎豊もいれてみた


1937年04月04日(日)

いかにもさらけだしてるふうをして
あなたがたとはちがうんです
いっしょにしないでくれというガラスの壁
を感じるから
響いてこない


1937年04月03日(土)

違うやり方をやってみるの大事だなぁ
と思った矢先にまた見つけた

いつもは捨てるVBのNLを
たまたま気になって開いた

「正解」を急ぎ、「こうあるべき」と思い込んで
頭が重くなりがちな今の時代。
当たり前を疑い、視点をすこしずらして気づく
「そういうことなんだ」という発見が、
そんな窮屈さから私たちを解き放ってくれます。
自分自身の思考がすこし軽くなる、・・・つづく

気づきの連鎖は運ばれてくる というか
誰かが暮れているのか
自分が引っ張ってくるのか


1937年04月02日(金)

違うやり方をふと思いつく
考え抜いて見つけたというのでなく
勝手にやっていた的に

口の周りの骨が痛くなったのは
そのあと鎖骨辺りが痛くなったのは
肩こりなんだと思った けれど
奥歯をぎゅっとしてみて
あれ?前歯をぎゅっとする癖になってたのかな
そうかも マスクかな
前歯の治療をして気になているからかも

そうだ 奥歯をぎゅっとしよ

違うやり方に気づいてみるって
大事だなぁと思った矢先


1937年04月01日(木)

やっぱりなぁ
その口調を好きでなかった理由
ある時代のハヤリモノという感じ
それを継投している感じのひとに思う
そしてその人に傾倒している感じ
推し活の推し活みたいな

純粋に心打たれる気がしない
フィーリングの似た者同士的?

不変の真髄にならないから
残らないと思う
その場の一部人気

とがらせて
ねじって
とばせ的 に感じるから



        ≪   ≫  

           天窓より


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          �顱� �髻� �鵝� �堯�

     日付は通し番号として記しています


       ∞