2008年03月31日(月)  マタニティオレンジ260 12歳のせらちゃんは同世代!?

『パコダテ人』以来親しくおつきあいしている前原星良ちゃんとせらままのお宅に、先週の土曜日、一家でお邪魔した。ひまわり保育園ひよこ組の古田まゆちゃんを演じた星良ちゃんも四月からは中学生。進研ゼミの広告で見せた利発なイメージ通り、難関校に合格した。受験後の燃え尽きた虚脱感を「星良の賞味期限は切れた」と称し、ひたすら腐った数日後の心境を「味噌になった」とたとえたそう。味噌ならぬ三十路の後半を下りつつあるわたしが「賞味期限が切れた」と言っても事実にしかならないのだけど、星良ちゃんが言うと詩になる。子どもらしい無邪気さを残しながら着実に大人になっていく星良ちゃんは、わが娘たまのお手本にしたい存在。先日ひさしぶりに星良ちゃんに会った木下ほうかさんは一瞬誰だか分らず、「どなた?」と聞いた後で、「ええ年の取り方してはる」と感心していた。

たまが星良ちゃんに会うのは、今日で四回目。豚のPちゃんを見に行く会でしっかり遊んでもらったたまは、星良ちゃんの顔をちゃんと覚えて、写真を見せて「星良ちゃんどこ?」と聞くと指差してみせる。たまにとっても憧れのお姉さんのよう。建て替えてまだ一年というピカピカの広いおうちで、星良ちゃんの部屋がいちばん落ち着くらしく、星良ちゃんと二人きりにしても機嫌よく遊んでいた。ベッドに上げてもらったり、電卓をたたかせてもらったり。いちばん気に入ったのはバランスボール。腹這いになって乗っけてもらって弾んだり、廊下を大玉転がししたり。12歳の星良ちゃんと1歳7か月のたまの年の差は10歳。36歳違いの母親に比べたら同世代のようなものかもしれない。

すっかりリラックスしたたまは、せらままの手料理(五目寿司のおにぎり、鶏の甘辛煮、ミネストローネスープ、大根とトマトとアボカドのサラダ、ピザ)ももりもり食べ、食後の花見でもおおはしゃぎ。唯一の弱点だった大型犬(体重15キロ)のミズナちゃんのことも克服。最初は「バイバイ」と逃げ惑っていたのだけれど、別れ際にはおそるおそる手を差し伸べてなでていた。それ以来、茶色い大型犬を見ると、「ミジュ〜」と呼びかけるのが微笑ましい。

2007年03月31日(土)  マタニティオレンジ102 保育園から美術と家庭科の宿題
2005年03月31日(木)  「またたび」の就職活動生
2004年03月31日(水)  岩村匠さんの本『性別不問。』
2003年03月31日(月)  2003年3月のカフェ日記
2002年03月31日(日)  レーガン大統領と中曽根首相の置き土産
2001年03月31日(土)  2001年3月のおきらくレシピ


2008年03月30日(日)  マタニティオレンジ259 一生ものの友だち、二世代目。

2003年の夏、散歩コースの途中にあるイタリアンレストランにダンナと入ったら、会社を辞めたばかりの同僚I嬢と彼氏のY君と隣のテーブルになった。どちらもその日はじめてその店に入ったのだが、この偶然の再会がきっかけになり、Y君の飲み仲間で鉄道と映画をこよなく愛するT氏とその彼女のミキ嬢と9月に飲んだ。これが盛り上がったので、さらにY君が留学時代に親しくなったK氏と結婚したばかりのキョウコちゃんを交えて4組8人で食事をしたところ、すっかり意気投合。年の暮れにSL旅行へ行き、さらに結束が固まった。「名前をつけると、会が長続きする」というダンナの発案で、「文京区つがいつどう会(通称BTT)」という名前がついた。そんな矢先、Y君のロンドン赴任話が持ち上がり、I嬢とともにあわただしく渡英。以来、BTTは「BTTJ」と「BTTE」に分かれ、掲示板で連絡を取り合っている。

2004年の渡英から4年。2年半ぶりのY家の一時帰国に合わせて、ひさしぶりにBTTが全員集合。結婚したY君I嬢夫妻の間には女の子が二人生まれた。その長女と次女にはさまれる形で、K家の長女とわが家の長女たまが生まれていて、4年でBTT会員は5割増となった。この日はBTT四姉妹の初顔合わせ。昨年12月に生まれたBTT四女のマイちゃんは初来日。BTT三女のたまはBTT二女のマユタンとはよく遊んでいるけれど、BTT長女ユキちゃんが前回帰国した時にはまだ生まれていない。家を出る前に「記念すべき日だよね。一生つきあう友だちになるんだから」とダンナが言った。わが家におけるBTTの優先順位はかなり高く、トッププライオリティと言ってもいい。何を差し置いてもBTTのために予定を空ける、それぐらい、このメンバーに会うのは楽しく、待ち遠しい。

会場となったのは、K家の新居。筑前煮、春雨サラダ、温野菜サラダ、具だくさんの味噌汁、ちらし寿司……。さらに腕を上げたキョウコちゃんの手料理がテーブル狭しと並ぶ。子どもが喜ぶようにとホットケーキミックスを皮にした豚まんは大人にも大好評。乾杯はY家からのモエシャンドン・ロゼ。わが家からは魚屋テッチャンの刺身と近所の近江牛専門店「肉の竹井」牛肉のタタキ。T氏からは日本酒の数々。ミキ嬢からは苺ムース(日本酒と相性抜群)とアップルパイ。わたしにも感激のメニューだったけれど、Y家はひとまわり大きな感動を味わった様子。

BTT長女、二女、三女は互いに距離を置き、一緒に遊ぶというより、居合わせているという感じ。大人のように初対面でいきなり仲良しというわけにはいかないけれど、あと何年かしたら、子どものほうから「会いたい」と言いだしたり、もっと先になったら子ども同士で会ったりするのかなと想像する。「子どもたちも一緒に旅行したいね」「Tおじさんの解説でSLの旅とか」「娘たちが鉄子になるかも」などと話す。親が気が合うからと言って子どももいい友だちになれるとは限らないものらしいけれど、こうなったら孫の代まで、とBTT第一世代の夢は膨らむのだった。

2007年03月30日(金)  生涯「一数学教師」の父イマセン
2004年03月30日(火)  鴻上尚史さんの舞台『ハルシオンデイズ』
2003年03月30日(日)  中国千二百公里的旅 中文編
2002年03月30日(土)  映画『シッピング・ニュース』の中の"boring"


2008年03月29日(土)  江草さん×WADADASの広告労協飲み会

3年前まで勤めていた広告会社マッキャンエリクソンの組合活動でお世話になった江草晋二さんが名古屋の大学に准教授の職を得て東京を去ることになり、広告労協仲間の壮行会が開かれた。正式名称「全国広告関連労働組合協議会」、通称「広告労協」とは広告会社各社の組合の総本山のようなもので、その総会や分科会的な「女性会議」なるものにわたしも何度か参加した。あるときは岐阜、あるときは京都、あるときは横浜。何を話し合ったかはほとんど記憶にないけれど、夜の交流会がとにかく楽しかったのを覚えている。間口が狭くて敷居が高そうな印象があるので敬遠されがちな分、入ってみると妙に居心地が良いところは、わたしが学生時代に身を置いた応援団に似ている。懐かしい人たちに会えるかなという期待も抱いて参加してみると、おひさしぶりな先輩方の顔がそこかしこに。見覚えはあるけれど顔と名前が一致しない方が半数近くおられ、思い出話をしながら何社のどなたであるか記憶をたどり、宴もたけなわで名刺を交換し、ようやく名前を呼びかける。

広告労協仲間のつきあいは濃くて深く、しょっちゅう飲んだり旅行に行ったり(北海道に移り住んだ仲間や、バリでホテル経営をしている仲間を訪ねている)しているらしい。労協の議長を何年か務めていた江草さんはその中心的な存在であり人気者。「余計なしがらみがないから楽なんだよな」と江草さん。赴任地の名古屋へも早速ツアーが組まれることになりそう。

プレゼンに明け暮れる広告会社の中でも、会社との交渉の百戦錬磨で話術を鍛えた組合執行委員はとりわけ話し上手。同時多発的に飛び交ういくつもの話題を聴いているだけで刺激的だった。最後に、江草さんの前だったか後だったかに労協議長を務めた和田哲郎さんの語録を集めた小冊子「WADADAS'01 帰ってきたワダダス」が配られる。プレゼンの場で、組合活動で、和田さんが大真面目に語るボケの数々を同僚であり組合仲間であった上條さんがまとめたもの。「みそにこみきしめん(味噌煮込みきしめん)を「にそみこみしきめん」と言い間違えたり、縦書きの「一口ぎょうざ」を「豆ぎょうざ」と読んだり、そそっかしい和田さん。「湾岸戦争に反対する声明文」に「1991年」を一桁多く「19991年」と記したり、団交の席で春闘の「回答日3月14日」を「ベア3.14%」と読み上げるなど、数字に弱いのも特長。前々から「すごい」「面白い」と評判を聞いていたのだけれど、ページを開いた途端、止まらなくなって、江草さんの挨拶が頭の上を素通りしてしまった。和田さんの稀有なキャラクターと、それを冷静に観察し、書き留める上條さんの編集力の合わせ業に脱帽。同席されていたお二人に、その場で「面白すぎます!」と興奮を伝えると、「和田哲郎は人類が共有すべき財産です」と上條さん。これはマンガや短編ドラマにして布教すべし。糸井重里さんの事務所でワダダスを知ったさくらももこさんも絶賛とか。サイト『WADADAS'01 帰ってきたワダダス』でも読めます。

2007年03月29日(木)  ターバン野口
2003年03月29日(土)  中国千二百公里的旅 厠所編
2002年03月29日(金)  パコダテ人トーク


2008年03月28日(金)  マタニティオレンジ258 保育園のお別れ会で恩師を想う

この春、保育園を退職、異動される先生方のお別れ会が開かれた。主役は園児たちで、早くお迎えに来れた保護者は子どもたちにまじって参加。園児51名、職員はその半数ぐらいの小さな園で、園長先生をはじめ11人もが入れ替わる。先生方が挨拶のときに感極まって涙ぐむ姿を見て、この保育園と子どもたちを心から慈しんで仕事に打ち込まれていたんだなあと感じる。先生方の挨拶、父母会からの花束と園長先生へのメッセージ集贈呈のあと、辞められる先生一人一人と園児が「握手でバイバイ」。先生方は全員の名前を覚えていて、「たまちゃんは給食よく食べてくれたね」「たくさん遊んだね」などと声をかけてくださる。とても心があたたかくなるひとときだった。0歳児クラスの娘のたまは、今去られる先生方のことを覚えていないかもしれないけれど、たっぷり愛情を注いでもらった記憶は何かの形で残るだろう。人生最初の恩師だ。

わたしにとっての恩師の最初の記憶は、幼稚園の年長組のときの担任だった溝上のり子先生。美人で、やさしくて、大好きだった。卒園してからも手紙をやりとりして、中学校に上がる頃、先生の嫁ぎ先の和歌山まで家族で遊びに行ったりした。その後連絡が途絶えてしまったけれど、お元気かなあとひさしぶりに思い出した。もう一人、とくに印象に残っているのは、中学一年のときの担任だった吉田和子先生。専門は美術で、「今井の絵には、今井カラーがある」とわたしの色使いをほめてくださった。文化祭で演劇をやることになったときには、「今井ならやれる」とわたしに演出の白羽を立てられたのだが、その体験が今のわたしの原点になっていると思う。わたしの何を見て先生が見込んでくれたのかは聞きそびれたけれど、自分を認めてくれる大人の存在が自信とやる気につながり、わたしの力をのばしてくれたことは間違いない。長らく連絡を取り合っていない吉田先生にも、あらためて感謝の気持ちがこみ上げた。

2007年03月28日(水)  マタニティオレンジ101 ビクス仲間のレイコさん
2005年03月28日(月)  『ダ・ヴィンチ・コード』で寝不足
2003年03月28日(金)  中国千二百公里的旅 干杯編


2008年03月27日(木)  ブラボー!『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた技の継承〜』

夜9時前、地下鉄の駅へ向かう路上で、わたしは友人アサミちゃんとともに頬を紅潮させ、「日本ってすごい国だ!」「日本人で良かった!」と高らかに母国をほめちぎっていた。饒舌になるほど二人を酔わせたのはお酒ではなく、一本の映画。一億五千万円を集めて日本イラン合作映画『風の絨毯』(今井雅子脚本の長編第二作でもある)を実現させたのを機に映画プロデューサーになった益田祐美子さんのドキュメンタリー映画第二弾『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた技の継承〜』の完成披露試写は、「ブラボー!」と叫ばずにはいられない出来栄え、そして内容だった。

第一弾の『平成職人の挑戦』では江戸時代に造られた飛騨高山の祭屋台を平成の世に蘇らせる職人たちの技と心意気に陶酔したが(>>>2005年09月28日(水)  『Spirit of Wood. Spirit of Metal(平成職人の挑戦)』)、今回はさらに時代を遡り、千三百年前の飛鳥の時代に造られた世界最古の木造建築といわれる「玉虫厨子」に平成の職人たちが挑む。厨子とは仏像を納める小さなお堂のようなもの。屋根ひとつ取っても、土台を組む人、瓦の彫刻を施す人、仕上げに漆を塗る人とそれぞれの職人が技を積み重ねて完成する。

設計は平成の祭屋台も手がけた中田秋夫さん。平成の祭屋台で腕をふるった八野明さんの職人ぶりを再び見られたこともうれしく、輪島塗の立野敏昭さんをはじめ今回初めて知ることになった職人さんたちの仕事と言葉に惚れ惚れする。その道を極めた職人たちは、技術だけでなく言葉にも熟成された味わいがある。設計の解釈の食い違いが明らかになり、やり直しが必要となったときに、「俺の説明が悪かったかな」「いやいや、こっちの聞き方が悪かった」と譲り合うやりとりの、なんと趣のあること。腕に自信のある者同士は、相手の腕にも敬意を払う。職人としての意地は自分の緊張を保つために張るのだ。これぞプライドのあるべき姿、と唸った。

玉虫の羽を貼りつける蒔絵の制作を任された立野さんは乾弘明監督とともに舞台挨拶に立たれ、「漆は最高の接着剤でありコーティング剤」であると説明。時の流れで色あせた文様に何が描かれていたか、手がかりを求めて文献を読み解くだけでも一年がかりだったという。朽ちた木で命を育み、羽に輝きを宿す玉虫は、仏教思想と響きあう再生の象徴。1300年前はかくもまばゆい輝きを放っていたのかと見ほれる「玉虫色」を、立野さんの手先と根気が現代に蘇らせた。

法隆寺に納められている国宝・玉虫厨子をできるだけ忠実に再現した一台とは別に、「平成の玉虫厨子」を造るという使命を受けた立野さんは、幅2ミリの短冊に切った玉虫の羽をさらに2ミリごとに切って2ミリ四方にし、青、緑、黄色といった微妙なグラデーションの色別に細かく分類。その細かな羽の「点」を集めて「色を塗る」という気の遠くなるような方法を編み出した。「昔のことを調べていたら新しいことが思い浮かんだ」のだと自信と茶目っ気が同居する笑顔が何ともいい。

職人たちの表情、手つき、微妙な心の揺れを丁寧に繊細にとらえる乾監督の演出、カタカナ語をほとんど使わず、選び抜いた日本語で綴られた釜沢安季子さんの脚本、その美しい日本語に深い味わいと余韻を醸す三國連太郎さんの語り。映画の作り手たちも『平成職人の挑戦』の時点よりも円熟味を増し、職人たちの技と心意気をしっかりと受け止め、64分という凝縮された時間の中で豊かに雄弁に物語っている。先日の益田さんとの合同誕生会でご一緒した真島俊夫さんの音楽も作品に溶け込みつつ、心地よい起伏をつけていた。真島さんを益田さんに紹介したシーボニアメンズクラブのすてきなすてきなおじさま、田邊勉社長はコーディネイターとして作品に参加している。

『平成職人の挑戦』を観たときは、職人たちのかっこ良さに目が行ってしまったが、今回は飛鳥の時代の職人たちと心の対話をする職人たちの姿に、この国に流れる歴史の重みを感じ、自分が生きている今と千三百年前はつながっているのだ、という事実に心を揺さぶられた。千三百年前に造られたものを再現できるということは、その技術が今日まで受け継がれているということである。人の手を介してしか伝えることができない匠の技というリレーのバトンを、何百組もの師匠と弟子が大切に、大切に引き渡してきたということである。そのことにわたしは途轍もなく感動した。

アメリカに留学した16歳のわたしに、この映画のビデオを送りつけてやりたい。「日本の伝統文化のすばらしさを伝えましょう」とオリエンテーションで指導されても、「伝統ったって、着物を着て生活しているわけでもないし、神社仏閣は遠足で行くぐらいだし」とピンと来なかったわたしの目を覚まさせてやりたい。

「宝物は自分の中にある。それを宝の持ちぐされにするのも宝の山にするのも、自分次第」ということを伝えたくて、わたしは『ブレーン・ストーミング・ティーン』という本を書いたのだけど、「自分」を「この国」に置き換えることもできる。愛国心も母国への誇りも、自分の国が持っている宝物に気づけば、自然と湧き上がってくる。その宝物を輝かせるのも錆びつかせるのも、この国のありよう次第。伝統は「古くからある」のではなく、「古くから伝えられてきた」のであり、伝える人がいなければ、それは途中で消えてしまうのだ。

平成の職人たちに伝統という日本の宝を磨く機会を与えたのは、国でもなく大企業でもなく中田金太さんという一個人だった。その金太さんは平成職人たちの手になる二台の玉虫厨子の完成を見ることなく、亡くなってしまった。『風の絨毯』以来、金太さんと親交を深めてきた益田さん、乾監督、三國さんの思い入れも込められたこの作品、金太さんと秀子夫人と何度か食事を共にし、金太さんの半生を綴った本『わしゃ、世界の金太! 平成の大成功者と五人の父』の執筆にも関わった(>>>2006年09月29日(金) 金太本、ついに出版。)わたしにとっても、金太さんを振り返るよすがとなりそう。千年後の人々を驚かせる玉虫厨子とともに、平成の世に生きた中田金太という大旦那の志が生き続けることを祈りたい。

遺品となった玉虫厨子の一台、復元版は法隆寺に奉納され、もう一台の平成版は平成の祭屋台が公開されている「高山まつりの森ミュージアム」に納められるが、6月30日まで開催の法隆寺秘宝展にて飛鳥版の玉虫厨子とともに三台並んだ姿を見られるとのこと。そして、当初は劇場公開を予定していなかった映画は、3月1日に法隆寺で行われた記念上映の反響で、劇場での上映が続々と決定。くわしくは平成プロジェクトのサイトにて。この作品を広げることも、日本の宝を次の時代へ引き継ぐ一助になると思う。

2007年03月27日(火)  『子ぎつねヘレン』地上波初登場と富士フイルム奨励賞受賞
2005年03月27日(日)  今井家の『いぬのえいが』
2003年03月27日(木)  中国千二百公里的旅 食事編
2002年03月27日(水)  12歳からのペンフレンドと3倍周年


2008年03月26日(水)  マタニティオレンジ257 クルマが好きな女の子

こないだまで「わんわん」と散歩中の犬を夢中で追いかけていた娘のたまは、犬に見向きもしなくなったかわりに、一センチ四方に納まるミニ象すらも見落とさずに「ゾゾ」と指差す。犬時代は終わりを告げ、ゾウ時代到来。それも、新興勢力のワニに脅かされつつある。子どもは飽きっぽい。いや、好奇心の矛先が目まぐるしく変わるといおうか。

保育園に迎えに行ったら、はたらく車を集めた写真本を抱きしめて離そうとしない。突然、車ブーム到来。家に帰り、m&mグッズを集めた棚の上をしきりに指差すので、何かと思ったら、m&mチョコが入っていた車を取ってくれとせがむのだった。その車をぶいーんと走らせてご満悦。車に興味を示すのは男の子の特権ではないらしい。掃除機が好きなのも車がついているからだろうか。

保育園では男の子もスカートをはいておままごとをしている。男の子、女の子の枠にはめないおおらかな雰囲気が、たまを車に向かわせたのかもしれない。「たまちゃん、車のエンジニアになるかしらね。ロケットの設計かしら。たまちゃんが大人になる頃は、ロケットが自家用車かもね」と保育士さんの語る夢も大きい。なんにでもなれるのは子どもの特権。

2007年03月26日(月)  マタニティオレンジ100 1%のブルー
2006年03月26日(日)  ヘレンウォッチャー【都電荒川線編】
2005年03月26日(土)  映画『いぬのえいが』→舞台『お父さんの恋』
2003年03月26日(水)  中国千二百公里的旅 移動編
2002年03月26日(火)  短編『はじめての白さ』(前田哲クラス)


2008年03月25日(火)  おバカなパソコンの辞書を修復する

締切に追われる脚本家はスピードが命、なのにパソコンの動きが日に日にのろくなっている。贅肉がついて体が重くなったような、かったるい反応を見せ、一行を変換するのに一分待たされる。スピードが落ちただけではなく、寄り道をする。当然変換できるべき漢字が変換できない、あるいは誤る。「よむ」を変換しても「読む」と出ないので、「よみうり(読売)」を出して「売」を消すという空しい作業が発生する。一日で終わる仕事が三日がかりになる。

いま仕事しているプロデューサーがパソコンに詳しい人で、対処方法を挙げたサイトをいくつか紹介してくださった。その中に「Office IME 2007 で入力した文字を漢字に変換できない場合の対処方法があり、まさにわがパソコンの症状と一致したので試してみた。
1)Office 2007 Service Pack 1 または Office IME 2007 修正プログラム パッケージのいずれかをインストールする
2)IMEパッド(「般」の下の道具箱みたいなアイコン)の「プロパティ」を開く
3)「辞書/学習」の中の「辞書の修復」項目の「修復」をクリック
とりあえずはこの方法で「読む」が出るようになった。でも、のろいことには変わりはなく、そのプロデューサー曰く「マッキントッシュは早いですよ」とのことで、商売道具を乗り換えようか検討中。

2007年03月25日(日)  マタニティオレンジ99 たま7/12才とインターナショナル
2006年03月25日(土)  丸善おはなし会→就職課取材→シナリオ講座修了式
2005年03月25日(金)  傑作ドイツ映画『グッバイ・レーニン!』
2002年03月25日(月)  脚本はどこへ行った?


2008年03月24日(月)  整骨院のウキちゃん6 ナターシャは白いごはんが大好き編

ひさしぶりに整骨院へ行くと、「いらっしゃらない間に、うちのサイトがついにオープンしちゃいましたよ」と院長。要望の多かったブログも開設。その名も『ナターシャは白いごはんが大好きです』。ごはんをおかずにごはんを食べるウキちゃんが目に浮かぶ。加えて、ウキちゃんと院長が患者さんを待ちながら暇を持て余すまったりとした午前中や昼下がり(ほぼ一日中!?)も目に浮かぶ。指一本触れずに読者を脱力させるやりとりは、さすが整骨院。

「そういや、こないだ東京の首都は新宿ってウキちゃんが言ってたの、首都を都庁所在地に言いかえれば合ってるんですよね」とわたしが言ったら、「いやいや、あの話は前ふりがあるんですよ」と院長。「東京の首都って東京ですかね?」とウキちゃんが言いだし、「東京の首都? なんだそれ?」と院長が突っ込むと、「あ、違った。江戸だ」と訂正し、「江戸ぉ??」と聞き返されて、「わかりましたよ。新宿です」と自信たっぷりに答え、「都庁があるから新宿が首都って話なんですけど」と解説を加えたというのが本当のところ。江戸といえば長嶋茂雄監督が「I go to Tokyo」を過去形にして「I go to Edo」と言ったというまことしやかな武勇伝を聞いたことがあるけれど、巨人軍と東京ドームを愛するウキちゃんの天然ボケのスケールは長嶋監督に負けていない。

2008年3月19日(水) 整骨院のウキちゃん5 東京の首都は?
2008年2月20日(水) 整骨院のウキちゃん4 「ティ」ってどうやって打つの?
2008年2月8日(火) 整骨院のウキちゃん3 となりのトトロ
2008年1月8日(火) 整骨院のウキちゃん2 首都得意なんです
2007年11月06日(火) 整骨院のウキちゃん1

2007年03月24日(土)  マタニティオレンジ98 たまごグッズコレクション
2002年03月24日(日)  不動産やさんとご近所めぐり


2008年03月23日(日)  マタニティオレンジ256 「でか・あんぱん!!」で進級お祝いクラス会

一年を共にした0歳児クラスの親子で、進級祝いを兼ねて小石川植物園にてクラス会。会を仕切るのはクラス役員の役割で、今年役員を務めたわたしが仰せつかる。5月に集まったときは座敷のあるレストランで会食したが、当時はハイハイだった子どもたちも全員歩き出し、のびのびと動ける外で集まることにした。

なるべくたくさんの人が集まれる日を選んだものの、当日になって体調を崩す子がいたり、きょうだいが熱を出したりで、集まれたのは10世帯中6世帯。それでもパパやきょうだいの参加もあり、20名ほどでにぎやかになった。各自が持ち寄ったシートをつなげると、二十畳ほどの広間が出現。蕾がほころびはじめた白と桃色の桜をめでつつ、めいめいがお弁当を広げ(持ち寄りにすると負担が大きいので自給自足にした)、好き勝手にしゃべるという気楽な会。同じクラスといっても送り迎えの時間がばらばらだし、ゆっくり落ち着いて話す余裕もなかなかないので、ただ話すだけでも新鮮。子どもたちはシートのまわりを走り回ったり、木登るするお兄ちゃんを見上げたり。ママたちの会話に入れないパパたちは、自分ちの子よその子分け隔てなく遊び相手になっていた。

父母会の予算から若干の補助が出るので何か企画をと考えて用意したのが、ケーキカットならぬ「あんぱんカット」。園児10人の名前が入った通常の10倍サイズの巨大あんぱんを前に記念撮影の後、各自入刀し、切り分ける。子どもたちは「アンパンマン!」と大喜び。巣鴨の個性パン創造の店アルルの、その名も「でか・あんぱん!!」(1000円。3日前までに要予約)。以前「アド街っく天国」で紹介されたのを見て、いつか買い求めてみたいと機会をうかがっていた。お店には以前行ったことがあり、店構え同様素朴で味わい深いパンが気に入っていた。定休日にメールで問い合わせると店主のオヤジさんより電話があり、10人の子どもたちの名前をパン2つに分けて入れてもらうことに。最初はクラス名も入れようと思ったのだけど、園児の名前が入ったところで5等分に切り分けられたほうがいいと気づき、クラス名は要りませんと告げると、「では真ん中にクラス名を入れましょう」と提案していただく。打てば響くようなオヤジさんとの電話会議で、ますます仕上がりが楽しみになった。今朝焼きあがったばかりのパンを迎えに行くと、紙の箱に入れてくれ、パンというよりケーキのよう。「うちはもともとケーキ屋だったんですよ」と奥様。店を出てからあんぱんカットまでに2時間経っていたのだけれど、ずっしり詰まったあんこにしっかりと熱がこもり、皮までほかほか。見た目のインパクトはもちろん、おいしさもでっかい! 国産の材料にこだわっているので安心して食べられ、一歳児たちもパクパク。アルルの話好きのオヤジさん、ありがとうございました。

上着がいらない陽気が気持よくて、昼過ぎにクラス会が解散してからも居残り、仕事を終えたダンナも呼びつけ、3時頃まで過ごす。その間に昼寝をしていたたまは再び起き出した。毎週でも行きたい小石川植物園は入場料330円。年間パスポートはないけれど、小石川植物園後援会の終身会員(3万円也)になると、2年ごとに優待券という名のパスポートが送られてくるのだという。優待券1枚で本人と同伴者二名のあわせて三名が入場できるので、3人で行けば31回で、2人で行けば46回で元が取れる計算。ただし、その優待券発行が打ち切られる可能性もあるらしく、会員になるべきかどうか悩むところ。

2007年03月23日(金)  マタニティオレンジ97 板橋ツアー
2006年03月23日(木)  ヘレンウォッチャー【松竹本社編2】
2005年03月23日(水)  高校生がつくるフリーペーパーanmitsu
2004年03月23日(火)  ENBUゼミ短編映画『オセロ』
2002年03月23日(土)  インド映画『ミモラ』


2008年03月22日(土)  マタニティオレンジ255 ゾゾもガオも自分もわかる、たま1歳7か月

2006年8月22日生まれの娘のたまは、昨夜の「321の会」のために泊まりで預けられたダンナの実家で1歳7か月になった。朝から迎えに行き、近所の公園で遊ばせてから、バスで15分の距離をベビーカーを押して一時間かけて歩いて帰る。「ママ、ママ」とわたしを指差すので、「たまはどこ?」と言うと、「ココ」と自分の鼻を指差した。自分が誰だかわかるようになったのだなあと成長を感じる。

午後は上野動物園へ、これまた一時間の散歩。陽気と心地よい振動に眠気を誘われたたまは、目が覚めると、こども動物園の真ん中。檻の柵を自由に出入りするヤギや鶏がまわりを行き交い、目をぱちくり。大きい子どもたちは動物のまわりに群がっていたけれど、たまは怖がって「バイバイ」を連発。

8か月のときに初めて上野動物園に来たときはまるで反応がなく、一歳を過ぎた昨年10月の二度目の来園時には動物を指差して反応するようになったが、三度目の今回は、ゾウを見て「ゾゾ」、ライオンを見て「ガオ」と動物の名前を呼んで興奮。ゴリラの前では胸をドンドン叩いてみせ、ペンギンの前ではペタペタと歩く物まね。絵本や歌に登場する動物たちが目の前の本物の動物たちとつながっている。うれしさが爆発したのか、歓声を上げ、両手を広げてぐるぐるとまわりだした。そんな娘を見たくて、親は長年離れていた動物園に再び通うことになるのである。入場料4回分に相当する年間パスポート2400円を購入した。

たまが動物への興味をいっそう募らせたのは、保育園の父母会から進級祝いにプレゼントした「ミッフィー・どうぶつランド」パズルの影響も大きい。今年クラス役員を務めたわたしが選んだのだけど、ここまで食いつくとは予想外。「ゾゾは?」と聞くと、ゾウのピースを持ってくる。大人が手を添えて一緒にはめるのだが、ピースがピタッとはまる瞬間が快感のよう。「マウマ」(しまうま)も「ガオ」(ライオン)も「アンヨ」もこのパズルで覚えた。楽天のジグソークラブというお店で買うと、25%オフの378円。これはお値打ち。

この一か月でふえたボキャブラリーは、ほかに「ボーシ」(帽子)、「バナニャ」(バナナ)、「ニョコ」(きのこ)など。好きなものの名前はすぐに覚える。

2007年03月22日(木)  マタニティオレンジ96 胴体着陸と前方回転
2002年03月22日(金)  遺志


2008年03月21日(金)  「321の会」@アスカフェ→タンタローバ

今井雅子ファン第一号の「岡山のTOM」さんから、「来年3月21日」の予定を尋ねるメールがあったのは、8か月前。映画『フラガール』に魅せられたTOMさんが作品のモデルとなった常磐ハワイアンセンターを訪ねる旅の途中で東京に立ち寄るので、その際にぜひ会いましょうとなった。『ジェニファ 涙石の恋』で今井雅子を知り、mixiにコミュニティを作ってくださった東京のナルセさんにも声をかけ、いまいまさこカフェ常連の双璧を成すお二人との会合が実現することになった。

わたしの家の近くがいいのではとナルセさんが提案してくれたのは、文京区小石川にあるアスカフェというお店。わたしが愛してやまないタンタローバから徒歩五分の距離で、そこまで来たならあのイタリアンを味わってほしい、と欲が出る。集合は19時、TOMさんが大井町のホテルにチェックインするのは23時。持ち時間3時間半で2軒をハシゴするよくばりプランとなった。

地元のおいしいものということで白山ベーグルでお土産ベーグルを買い、19時にアスカフェに着くと、TOMさんとナルセさんはすでにおそろい。『パコダテ人』東京公開の初日に駆けつけてくださったTOMさんとは6年ぶり、ナルセさんとは初対面。この二人が並んでいるだけでも「!」なのに、そこに自分まで居合わせて、「!」の二乗。

アスカフェは、サイトとmixiのコミュニティで予習してイメージをふくらませていた以上にわたし好みの居心地のいい空間。インテリアも出てくる食べ物もお店の人(姉妹で切り盛り。お姉さんのほうがナルセさんのお友達)の対応も、ほっと落ちつけて、余計な力がぬけていく感じ。お店の雰囲気も手伝い、6年ぶりの再会のブランクも初対面の緊張も感じさせることなく、321の会はなごやかにスタート。ナルセさんが連れてきたスペシャルゲストの女の子もほんわかした空気をプラス。おいしいものを食べるたびに「ばちが当たる〜」と幸せにふるえる彼女のことをわたしはすぐに好きになった。ベリーのスムージー、れんこんのフリット、温野菜のサラダ、クリームソースのニョッキ、どれも体にやさしく、おいしい。ピクルスやジャムも手作りで、制作に関わった本『手づくりの味噌・燻製を楽しむ』が出たばかり。最後に飲んだ手作りのレモン酒が効いて、ほろ酔いで店を出た。おかずたくさんのランチ目当てに、今度はおひさまが高いうちに来て、午後をまるまる使って読書なんかしてみたい。お得意のバナナのケーキも気になる。

21時前にタンタローバに場所を移し、後半戦。アスカフェでけっこうつまんできたのに、あのいいにおいをかいだ瞬間、食欲がそそられてしまった。前菜の盛り合わせは、肉たっぷりで、肉好きのTOMさんを喜ばせる。わたしをはじめ、皆さん「飲むよりも食べる」派のようで、アルコールは一杯にとどめ、食べることに専念。パスタはカモ肉のラグーソースのペンネ、メインはもち豚のソテーを分け合う。自分の好きな店に人を案内したとき、相手にも気に入ってもらえるかドキドキするものだけど、皆さん楽しんでくださった様子。自家製パンを2度おかわりしてソースまできれいに平らげ、デザートの盛り合わせまでハイペースで完走。TOMさんの門限を気にしつつ、食べる一方でおしゃべりもと口は大忙し。ハワイアンズの旅の土産話、わたしが関わった『子猫の涙』『犬と私の10の約束』やTOMさんとわたしが絶賛している『歓喜の歌』の話、昔はやったテレビドラマの話……。すきを見てわたしが愛娘の写真を見せて親バカぶりを披露。

いまいまさこカフェの常連と「店」の外で会うのは不思議な感じだけれど、カフェでいつも話しているし、共通の話題には事欠かない。「オンラインカフェでの印象と実際に会ってみてのギャップ」について言うと、知的で物腰の柔らかなTOMさんはほぼイメージ通り。ナルセさんは、『ジェニファ』に肩入れしている稀少な方で、その上、映画とライブを合わせて年間365本以上見ていて(ということは毎日ハシゴ!)、「テレビなし、携帯なし、パスポートなし」というので、見た目もひと癖あるのかしらんと想像していたら、笑顔を絶やさないやわらかな印象の人だった。映画評ではバッサリ斬るような書き方をされることもあるのだけれど、話しぶりはとても穏やか。一歳違いに見えないほど若々しいのにも驚いた。「黒を着ていて長髪で、とくに前髪が長い人」をイメージしていたと告げると、ショックを受けていたようだけれど、わたしはなぜか高校時代に同じクラスだったコナカ君の顔を思い浮かべていた。口数は少ないんだけど、前髪に隠れた顔立ちはよく見ると整っていて、ひそかに人気のある男の子だった。TOMさんとナルセさんから見た印象は直接聞きそびれてしまったけれど、ナルセさんの日記には「思ったよりも美形」とあり、TOMさんは「(6年前より)若く見えた」といまいまさこカフェに書き込み。期待値と第一印象が低すぎたのか、はたまた出産による突然変異か!?

TOMさんも「パスポートなし、携帯を持ったのはつい最近(今回の旅行のため)」ということで、ナルセさんとの共通点が浮かび上がる。この二人が今井雅子を応援するようになったのも偶然ではないのかも。いまいまさこカフェを訪れる人が圧倒的な文章量と文章力に舌を巻き、「あの人は何者?」となるTOMさん。「お仕事は?」の質問は、最後まではぐらかされたままだった。お酒はあまり飲まないので、酔って口を軽くさせるわけにもいかない。お肉とアイスクリームが好物だとわかったので、次回は肉とアイスを増量して骨抜きにかかりたい。

2007年03月21日(水)  MCR LABO #2「無情」@下北沢駅前劇場
2005年03月21日(月)  弘前劇場+ROGO『FRAGMENT F.+2』
2004年03月21日(日)  アドフェスト4日目
2002年03月21日(木)  「かわいい魔法」をかけられた映画


2008年03月20日(木)  「冷や奴」のない豆腐屋さん

先日、はじめて買う豆腐屋の店先での出来事。ショーケースに並んでいるのが揚げ豆腐ばかりだったので、白い豆腐を求めて、「冷奴ありませんか」と尋ねたところ、「冷奴?」と店主が怪訝そうに聞き返した。豆腐屋なのに「冷奴」と聞いて意外がるとはこれいかに、とこちらも首を傾げた次の瞬間「絹ごし 木綿 百五十円」の札が目に飛び込んだ。あ、そうか、そういう呼び名があったと思いだし、「絹ごしありますか」と言い直したところ、店主はほっとした顔になり、店先を包んでいた険悪な空気は和らいだ。「冷奴」と言われては、「皿に盛って葱とおろし生姜と醤油を添えろというのか」と、そりゃあ困惑しますわな。

その豆腐屋の数軒先に、ダンナの幼馴染のテッチャン一家がやっている魚屋があり、立ち寄った。「このイカはどうやって食べるの?」とダンナが聞くと、「オニツケだね」とテッチャン。「鬼漬って漬物ですか」と聞くと、「煮付けだよ」とテッチャンに笑われた。イカ=沖漬から連想して、鬼漬なる珍味を生み出してしまったのだが、煮つけってめったに作らないし、わたしが作る煮つけには「お」はつかなそうだ。そんな危うい調理人にテッチャンは焼くだけでオッケーの銀だらの味噌漬をすすめ、「これ以上焦げ目つかせたくないってなったら、レンジ使ってもいいから」と丁寧にアドバイスしてくれた。

年とともにずいぶんしっかりしてきたと思っていたけど、まだまだだなあと痛感。昔から思い込みが激しいくせに、勘違いに気づくのは鈍感だった。「完璧」のペキの字の下が「玉」ではなく「土」だと思い込んだままコピーライターになってしまい、「誤植」が見つかって正しい字を知ったのだが、写植屋のミスではなくわたしの元原稿が間違っていたのだった。それまでの二十余年の間に気づくチャンスはいくらでもあったはずなのだが、一度も試験に出なかったのか、先生が間違って○をつけてしまったのか。おやつの「柿の種」が本物の種ではないと知ったのも大学生のときだった。「あの柿の種がこうなるのか」と感心して眺めながらボリボリ食べていると、弟のよっくんが「雅子、アホちゃう?」と突っ込み、「道理でおかきっぽいと思った」と合点した。整骨院のウキちゃんを笑ってばかりもいられない。

2007年03月20日(火)  マタニティオレンジ95 満を持して『はらぺこあおむし』
2004年03月20日(土)  アドフェスト3日目
2002年03月20日(水)  はなおとめの会


2008年03月19日(水)  整骨院のウキちゃん5 東京の首都は?編

近所の整骨院の名物助手ウキちゃんの武勇伝第5弾。以前、「オーストラリアの首都はシドニー」と答えた院長に、「ちょっとー。シドニーはアメリカなんですけどー」と突っ込んだウキちゃん。「キャンベラ」という正解は知っていたけど、シドニーがオーストラリアの有名な都市だということは知らなかった。人が知らないことは知ってるのに、人が知っていることは知らないところがウキちゃんのウキちゃんたる所以。そんな「首都、得意なんです」なウキちゃんネタに続報が入った。

患者さんのいない昼下がり、「東京の首都って新宿ですかね?」と不意にウキちゃんが言いだし、院長が「はぁ?」と聞き返すと、「都庁があるから新宿が首都って話なんですけどー」と、なぜか口をとがらせるウキちゃん。自分が言っていることに自信があるときは攻撃的になる。「東京の首都、じゃなくて、東京が首都なんじゃないの?」と院長。「どこの?」「日本に決まってるだろ!」「ああ、日本か」という会話があった。その話を院長から報告され、「東京の首都って発想がウキちゃんだねえ」と笑いあったのだが、帰り道に「県庁所在地」という言葉を思い出した。「東京の県庁(都庁)所在地は新宿」なら正しいのではないか。

早速東京都のサイトを調べてみると、「(1)都道府県庁の位置は、条例でこれを定めるよう、地方自治法で定められている。 (2)東京都では『東京都庁の位置を定める条例』により、東京都新宿区西新宿二丁目と定めている」とはっきり書いてあるではないか。「都庁所在地」を「首都」と呼んだからおかしかったのだけど、都庁所在地は東京都の首都のようなものだから、ウキちゃん正解。無駄に大きな自信には根拠があったのだ。やっぱり首都が得意なウキちゃん。でも、「日本の首都は東京」というど真ん中の常識は抜けていて、すがすがしいほどスケールがでかい。

「東京の首都・新宿」を出発して「日本の首都・東京」の街を走り抜けた東京マラソン2008(10km一般女子の部)の記録証が届いた。記録は1:13:51で、スタート地点までの経過時間を引いたネットタイム(参考とカッコ書き)は、1:04:17。スタート時点まで14分以上かかっていたらまさかの50分台だったのだけど、思ったほど足踏みしていなかった。驚いたのは順位で、1302人中370位。自信のある人たちはフルマラソンの部に出ているからとはいえ、上位3分の1以内に入れたのは、なかなかの健闘。マラソンで全身を使ったせいか腰痛がやわらいだのはよかったけれど、整骨院に行く機会が減ってウキちゃんネタを仕入れられなくなったのは痛手。

2007年03月19日(月)  大木達哉さんを励ます会
2004年03月19日(金)  アドフェスト2日目
2002年03月19日(火)  パコダテ人ノベライズ計画


2008年03月18日(火)  『スパイダーマン』のプロデューサーの言葉

部屋を片付けていたら、余白にびっしりと走り書きをしたプリントが出てきた。昨年9月20日(木)に明治大学で行われたアヴィ・アラッド氏の講演のメモ。「日本のコンテンツ業界のグローバルな発展」をめざして開かれたCOFESTAというイベントの一環で、「日本コンテンツの魅力〜映画プロデューサーの視点から〜」と題し、『スパイダーマン』『X-MEN』などを手がけたプロデューサーが語るというもので、知り合いの映画関係者と誘いあって聞きに行った。

世界に名だたるプロデューサーはどんなカリスマ性を持った人物かと期待し、勝手に恰幅の良い押しの強い大柄男を思い描いたのだけど、壇上に立ったアヴィ氏は拍子抜けするほど腰が低く穏やかに話す人だった。ハリウッドのプロデューサーといえば、さぞかしプレゼン上手だろうという予想も裏切られ、抑揚をつけない淡々とした話しぶりはノートを読み上げる教授のような印象を受けた。この調子でどうやって企画を成立させているんだろうと不思議に思ったほどで、「交渉の場ではすご腕なのかも」と想像したり、「裏表のなさそうな人の好さが武器なのかもしれない」と推理したりした。

あえて言えば、真っすぐで純粋で誠意の感じられる人物だった。映画好きのシャイな少年がそのまま大人になって、自分がやっている仕事の大きさにも気づかず、ただ好きなことを夢中になっていて、人前で話をと言われても、芝居がかったことはできず、目の前の一人に話すように話してしまう、そんな印象を受けた。

講演のときは、作品の派手さとプロデューサーの地味さのギャップに気を取られてしまったけれど、見つけたメモを読み返すと、面白い。「スパイダーマンは最初なかなか企画が売れなかったが、原作を読んでいないソニーピクチャーズの会長が脚本を気に入ってリスクを負った」「ジェームス・キャメロンが監督候補だったのに降りたのは、ずっとやりたかったのに待ちくたびれたのだろう。ようやくいいよと言われて冷めたのだ」といった『スパイダーマン』の製作秘話は興味深い。

「映画はsoulを持つこと、希望を与えることが大事」「映画の中で起きていることが自分にも起こりうる共感をかきたてる」「どんな映画にも見たことがないものがある、この映画で観客が見たことのない何を見せられるかを考える」という映画論。「映画作りにおいて、誰かが将軍でなければならない」「プロデューサーは唯一すべてを確かめ、方向を見定める存在。一つの映画に関わり続けるモチベーションが求められる」というプロデューサー論。「病気やケガは映らないが存在する」「映画はDNAテストするわけにいかないし、誰が父親かあいまいになっている」「よっぽど夢を持っていないと監督はできない」という言葉も味がある。「映画を作るのは、細かい砂を積み上げて、砂が山になるような作業である」という謙虚な言葉に人柄がうかがえる。

質疑応答で「どうやって制作資金を集めるのか」と問われた浴アヴィ氏は、「小さな映画は身近な家族や友人から始まる。パイロット版を作り、お金を集め、大きくしていく」と答えた。ハリウッドの大作を手掛けているからといって資金集めの苦労がないわけではない。作品への愛を持ってコツコツと説得の砂を積み上げているのだろう。日本のコンテンツの可能性を問いかけた質問には、「どのコンテンツがどの国のものかわからない。世界は小さくなっている」という答えだった。

2007年03月18日(日)  DVD6作品目の『天使の卵』
2006年03月18日(土)  ヘレンウオッチャー【公開初日編】
2005年03月18日(金)  あなたのペンが「愛・地球博」にそびえます。
2004年03月18日(木)  アドフェスト1日目
2002年03月18日(月)  『風の絨毯』高山ロケ3日目 高山観光


2008年03月17日(月)  マタニティオレンジ254 仕事友 ママ友

出産前に仕事でご一緒した女性ディレクターさんとランチ。当時、大きなおなかで打ち合わせの席に現われては、「大丈夫ですか」だの「いつ産まれるんですか」だの「大変なときにわざわざ」だの人ぞれぞれの言葉をかけられていたが、はじめて会ったときの彼女の一言は、「ベビーベッドいらない?」。一歳半になる男の子を育てながら演出の仕事を続けているたくましい人だった。お言葉に甘えてベビーベッドとスイングを頂戴し、ついでに水筒やら食器やら母乳保存グッズやらもいただき、以来、交わすメールは「そっちの子育てはどう?」となった。

そのママ友ディレクターが、今度は第二子出産。ベビーベッドは間に合っているがスイングが必要というので、わが家から元同僚の実家に渡ったスイングを取りに行くことに。ちょうどわたしが愛してやまないイタリアンのタンタローバの近所なので、ついでにママトークランチをすることになった。

予定日まで一か月を切った臨月ディレクターは自分で車を運転して、颯爽と登場。「昨日まで編集やってました」と涼しい顔。彼女が最近手がけたドラマの話や今あたためている企画の話をする合間に子どもの話が顔を出し、「妊娠中、カレーと揚げ物がやたら食べたくなって」「わたしも!」と妊婦話で盛り上がり、具だくさんのサンドイッチのような会話になる。仕事相手がママ友になるってなかなかレアなケースだと思うけれど、「子育て」と「作品づくり」には「育てる」という共通項があり、二つの話題が混じって飛び交っても違和感はない。ママ友コンビでなんか一緒に作れたら面白いなあと思った。

2007年03月17日(土)  『散歩の達人』大塚 駒込 巣鴨
2006年03月17日(金)  弘前劇場公演2006『職員室の午後』
2002年03月17日(日)  『風の絨毯』高山ロケ2日目 イラン式撮影現場


2008年03月16日(日)  マタニティオレンジ253 はじめて叱られて、すねる

来週開かれる保育園のクラス会の下見を兼ねて、娘のたまとダンナとともに小石川植物園へ。ビニールシート代わりに春色のチェックのマルチカバーを広げ、魔法瓶の紅茶をおともに途中で買ってきたベーグルサンドを頬張ると、気分はセントラルパークのピクニック。たまは芝生を走り回って上機嫌だったが、カロリーを消費しすぎたのは計算外。持参した食事では足りず、草をむしって食べはじめたのでベビーカーに乗せた矢先、事件が起こった。

月齢が数か月ほど下と思われる男の子が芝生をハイハイして近づいてきたのを見て、「かわいい」と歓声が上がったのだが、その瞬間、たまがライバルを見る目つきで男の子を見た。「かわいいという言葉は自分のためにある」と思っているふしがあり、その言葉が自分ではなく彼に向けられたことが不満な様子。そして、男の子が親しげにベビーカーに近づき、ハンドルにつけた虫のアクセサリーに手を伸ばすと、その手を払いのけた。男の子は一瞬ひるんだもののもう一度手をのばしてきたが、たまは「イヤヤ、バイバイ」と手を振り回して暴れ、必死に男の子を振り払う。男の子は愛くるしい笑顔のまま、残念そうにママに連れられて去って行き、せっかく仲良くなろうとして近づいてくれたのに、と申し訳なくなった。

独占欲、縄張り意識も成長の表れなのだろうけれど、たまはとくに強いように思う。先日は自分と同じベビーカーに乗っている子を見つけて駆け寄り、引きずり降ろそうとした。ひとり占めするより分かち合うほうが楽しいことを教えてあげたいけれど、その前には「これ、わたしの!」という時期が必要なのかもしれない。まず、「自分にとって大事なもの」という感覚を知ってこそ、「他人にとって大事なもの」を理解できるのかもしれない。とは思うものの、あの態度はいただけないなあ、とわが子ながらもどかしくなった。

ダンナも同じ思いだったのか、たまの目を見て「ダメだよ。友達とは仲良くしなきゃ」と諭した。きつい言い方ではなかったのだけど、たまは「はじめてパパに叱られた」とショックだったよう。その後、たまは徹底的に「パパを無視」した。話しかけるとそっぽを向き、手を差し出すと引っ込め、笑いかけると睨みつける。帰り道に買ったノーニャというロシア料理屋のピロシキ(ひき肉、かぼちゃ、栗の三種類を買い、この順番に分けあった)をパパの手で食べさせるまでの一時間、精一杯の抵抗が続いた。食べ物の誘惑には屈したものの、見上げた反抗心。「一時間前も根に持つなんて、大した記憶力と忍耐力だ」とわたしは感心したけれど、ダンナは「性格に問題があるんじゃないか」と心配。愛娘の手痛いしっぺ返しがこたえたらしい。これから魔の二歳児。親も叱り上手にならなくては。

2007年03月16日(金)  幻の魚・たかべとダンナ母語録
2005年03月16日(水)  春はお茶が飲みたくなる季節
2003年03月16日(日)  Q.生まれ変わったら何になりたい?
2002年03月16日(土)  『風の絨毯』高山ロケ1日目


2008年03月15日(土)  前田組「豚のPちゃん」に会いに行く

パコダテ人』の前田哲監督の最新作『ブタがいた教室』の撮影を見に、ロケ地となっている小学校の廃校へ行く。監督は撮影に入るたびに「現場に遊びにきてくださいな」メールをくれるので、今回も前原星良ちゃん&せらママをはじめ、パコダテ人の撮影で仲良くなったメンバーと出かけることに。娘のたまに「豚を見せてやりたい」とダンナが言いだしたので、たまと子守役のダンナも加わり、ぞろぞろと遠足のようになった。

学校で豚を飼い、食べることは命をもらうことだと身をもって教えた大阪の小学校での実話(原作『豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日』)の映画化。この日はクライマックスの大事なシーンの撮影ということで、カメラやマイクから離れた陰からそっと見学。台詞は聞こえなかったけれど、先生役の妻夫木聡さんと32人の六年生たちの真剣な議論の緊張感は伝わってきた。

『陽気なギャングが地球を回す』の現場見学では豪華なセットに目を見張ったけど、今回のお目当ては「豚のPちゃん」。廃校の裏庭に建てた豚小屋が、Pちゃんたちの控室。チビちゃんからまるまる太ったのまで4サイズの11匹が出迎えてくれた。きれいなピンク色で、愛くるしい顔をしていて、人なつっこくすり寄ってきて、なんともかわいい。外国の絵本に出てくる豚さんってこんな感じ。「いつも(おかずで)お世話になってまーす」とせらママ。ナマ豚にたまもさぞかし喜ぶかと思いきや、「イヤヤ、バイバイ」を連発。小屋に入って記念撮影を試みたところ、わたしの履いていた革のブーツに豚さんたちは異様に興奮。ぶひぶひと鼻息荒く寄ってきて体当たりを繰り返すので、わたしに抱かれたたまはますます怖がって号泣。ブーツは豚革だったのか、それとも他の動物のにおいに「敵」だと認識されたのか。


廃校に寝泊りしてPちゃんたちの世話をしているのは、『パコダテ人』で制作進行だったタージンこと田嶋啓次さん。「純粋種のかけあわせじゃないと、まだらピンクになってしまうんですよ」などとすっかり豚博士になっていた。撮影は『パコダテ人』と『子ぎつねヘレン』で撮影の浜田毅さんについていた葛西誉仁さん、さらに高校生オーディションで宮崎あおいちゃん演じる主人公ひかるの友人役を射止めた澤村奈都美ちゃんが現場スタッフとして関わっていて、パコダテ人関係者が関わるパコ度数はかなり高し。前田監督はその昔「あなたは動物映画で成功します」と占い師に告げられたという。きつねのしっぽが出てくる『パコダテ人』とイルカの『ドルフィンブルー』に続いて、『ブタがいた教室』も愛すべき作品になりそうな予感。今秋公開予定とのこと。

2007年03月15日(木)  マタニティオレンジ94 0歳児は病気との戦い 
2005年03月15日(火)  チラシ大好き
2002年03月15日(金)  月刊公募ガイド


2008年03月14日(金)  MCR第27回本公演『シナトラと猫』

下北沢・駅前劇場にてMCR公演『シナトラと猫』を観る。MCRが昨年実験的に行ったMCR-LABOという公演に招待され、そこでMCRという劇団を知ったのだが、これまでに観たどの劇団とも似ていない独特の空気とあまりに面白さに、一緒に観に行った観劇仲間のアサミちゃんと「今度は本公演を観に行こうね」と話していた。本公演も実験的で、同じ設定の物語の主人公を「椎名」「虎雄」「猫」と変えた3バージョンを一公演でやってのける。わたしたちが観た今宵は「椎名」の回。

MCR-LABO同様、役名は役者名をそのまま使っていて、ミカは黒岩三佳、ヒサヨは吉田久代。主人公の幼馴染の「虎雄」は根津茂尚、空地の「猫」は関村俊介で、こちらは『シナトラと猫』というタイトルを優先。役名は衣装である白いTシャツのおなか側にプリントされていて、背中側には主人公との関係が明記されている。「ヒサヨ・母」「ヒロ・父」「渡辺・先生」「江見・友人」といった具合。主人公のミカ本人は前が名字で「椎名・ミカ」。相関図の中心が変わる「虎雄」バージョン、「猫」バージョンでは、背中のプリントも変わるのだろう。

「椎名・ミカ」が「バブー」とのたまう赤ちゃん時代から数年刻みで成長していくごとにシーンが刻まれ、短い場面転換がある。コントのようなシーンをつなげて一本の芝居に仕立てるスタイルがLABOのときも新鮮だった。ありえない状況なのにリアルなセリフ、重いテーマなのに軽やか、そのギャップを自在に飛び越える構成とセリフのうまさに感心しながら観た。笑いながら考えさせられる作・演出の櫻井智也さんの匙加減はアッパレ。映像ならどんな表現をするのか興味がある。それで今井雅子に来る脚本の仕事が減ってしまうことになるとしても、観てみたい。

上演後は、MCR主宰でもある櫻井智也さん、創設時からのメンバーの北島広貴さん、プロデューサーの八田雄一郎さんによるアフタートーク。進行は杉浦理史さん。マッシュルームカットの風貌のこの人が舞台にいるのを見ると、なぜかうれしくなってしまう。こんな形でお目にかかれるとはトクした気分。櫻井さんはパチンコに明け暮れていた二十歳のときに「これじゃいかん」と思い立ってバンドを組もうとするが楽器ができず、書くことならできるので劇団を立ち上げたという。演劇のことが何もわからず、「動線」を「天井からぶら下がっている銅線」だと勘違いしたとか。MCRは現在14年目で、そのうち「苦節12年」。観客が一人ということもあったそうだが、今日は満員御礼。北島さんは台詞をしゃべっているときとは別人のようにガチガチ、カミカミになってしまい、八田プロデューサーの滑舌の良い軽やかなトークが際立った。劇団の資金繰りは映画制作以上に大変だろうと想像するが、このプロデューサーの口にかかれば、お金も人も集まりそう。

招待されることに慣れてしまうと、お金を払って観にいくことが億劫になってしまうのだけれど、気に入った劇団はチケットを買って応援していきたいと思う。MCRはまさにそんな劇団。

2007年03月14日(水)  マタニティオレンジ93 マタニティビクスの恩師・菊地先生
2002年03月14日(木)  『風の絨毯』記者発表


2008年03月13日(木)  マタニティオレンジ252 「自由になる時間」はプライスレス

晴海トリトンの中にある豆腐料理の『梅の花』にてマタニティビクスの同期ママ三人とランチ。みなさん子ども(全員娘!)を連れて来るというので、わたしも娘のたまを午前保育にして連れ出す。一歳を過ぎて動き回る子連れでの食事となると、畳の個室が必須。新規開拓しようと思いつつ、おなじみの梅の花になった。丸の内オアゾ内にある『えん』が良いと友人からすすめられたのだけど、こちらは大人5名からということで、今回は断念。

通されたのは大人十人ほどが悠々と座れる広々とした個室で、座席は掘りごたつ式。大きな窓からは水上バスが行きかう川が見下ろせる。川べりの並木が桜だとしたら、数週間後は花見も楽しめる。四人の娘たちも窓際に並んで珍しそうに外を眺めてごきげん。たまがおとなしくしていると思ったら、盆栽の苔をつかんで、ニマリ。あわてて引き離した。梅の花のいいところは、子どもが食べられるものがたくさんあること。豆腐サラダ、豆腐しゅうまい、豆腐とじゃがいものしんじょうなどを夢中で食べてくれた。娘たちの口にはスプーンを、自分の口には箸を運びつつ、母たちは「そっちの子育てはどう?」話に花を咲かせる。おなかが大きい時代からの同志なので、中にいた子が出てきて、しかもこんなに大きくなって天ぷらまで食べてる、一緒に遊んでる、と不思議な気持ちになる。

今日のランチ会はわたしが企画。三人のママ友に脚本のネタでお世話になったので、お礼に食事をと声をかけた。わたしがよく知らない業界の話が舞い込んで、さあ何から手をつけようかというとき、ビクス仲間の彼女たちの職業を思い出した。「教えて!」とメールを送ったところ、メールやら電話やらで自分の体験談や見聞きした話を教えてくれた。そのいくつかは脚本に採用され、業界の空気やノリをナマの声から感じ取ることもできた。いちばん連絡を取り合ったDさんとは、プロデューサーとの一回目の打ち合わせの前に会って取材させてもらったのだが、おかげで「手ぶら」で打ち合わせの席に着かずに済んだ。Dさんには何度も電話し、夕食前や夜遅くにつかまえては「こういうときはどう言うの? どうやるの?」と根掘り葉掘り聞き、電話口でセリフの実演までしてもらった。

そのDさんに事前のメールで「おごりとか、なしね」と遠慮されたので、何と言ってお礼を受け取ってもらおうかと考えた。幼い子どもを持つ母親にとって、「自由になる時間」は値千金、プライスレス。その時間を惜しみなく差し出してくれたことお礼はランチじゃ利かないぐらい。パソコンに向かう時間を確保するのもひと苦労なのは、たまを保育園に預ける前の半年間で痛感した。自分のために使うだけでも足りないその貴重な時間をめいっぱい使って、彼女たちは心のこもった長いメールを綴ってくれた。やることが山積みなのに、子どもを膝に抱いてあやしながら長電話につきあってくれた。メールの最後に添えられた励ましの言葉や電話のあたたかい声に、どれだけ力づけられたか、助けられたか。出産というゴールに向けて励ましあいながら踊った仲間ならではの力強いエールだった。決定稿(「けっていこう」で変換すると「蹴って以降」と出た。実際には、原稿を蹴られて、蹴られて、決定稿に至る)までの長い道のりは、まさに生みの苦しみ。その陣痛を乗り越える力をもらった。「ゴールまで走り切れたのは、みんなのおかげ。だから、一緒に分かち合いたいの!」……という感謝の言葉を用意していたのだけれど、気持ちよく御馳走させてもらえたので、演説の必要はなくなり、あらたまってお礼を言う機会を逸してしまった。

2007年03月13日(火)  マタニティオレンジ92 ダンナのおむつ替え確率
2006年03月13日(月)  ヘレンウォッチャー【ヘレンパン編】
2005年03月13日(日)  宮崎美保子さんの四角い指輪


2008年03月12日(水)  豚とクローバーとオレンジのトイレットペーパー

先日、表参道をぶらぶらしていて、青山通り沿いの文房具屋のショーウィンドウに積まれたトイレットペーパーと目が合った。店に入り、「これ、トイレットペーパーなんですか?」と尋ねると、「ええ、大ヒット中です」。値札を見ると、1ロール800円。おしりに使うにはもったいないお値段。「キッチンペーパーとしても使えます。切れ目がついているので紙ナプキンにも」という店員さんのひと押しで、豚模様とクローバー模様の2ロールをお買い上げ。〆て1600円也。ドイツのpaper+design社の、これはもう作品。トイレットペーパーのページの楽しいこと!

ネットで安く買えたりしないかしらん、と検索してみたけれど、やはり1ロール800円。調べるうちに「まっオレンジ」のトイレットペーパーがあることを知る。ポルトガルのRenova(レノヴァ)社のもので、他にブラック、グリーン(黄緑に近い)、レッドがあり、どれもトイレットペーパーでは見かけない色。mj YOKOHAMAというお店がいちばんお買い得だったので(6ロール入りが税込1890円→1100円)、2パック購入。わが家のオレンジのトイレットペーパーホルダーに負けない、目の覚めるような発色。エンボスの模様がついて、香りもついて、高級感が漂っているのも魅力。お客様が来たときに使ってみよう。

トイレットペーパーと言えば、アメリカに留学した二十年前、「TP」という動詞をよく聞いた。「I TPd him(彼にトイレットペーパーを巻いた)」「I will TP you(トイレットペーパー巻いちゃうぞ)」のように使う。誕生日の主役をTPしたり、パーティーの受け狙いでTPしたり、何かとTPの現場に出くわす機会があり、そのたびに「紙がもったいない」と思い、「この浪費はアメリカだなあ」と感心したものだ。生徒会役員の立候補者の演説ビデオ(事前収録したものを各教室で流していた)で、真面目くさって抱負を語る立候補者を二人がかりでTPしていた光景は忘れられない。長いものがあると巻きたくなるのか、日本にふんどし文化あり、アメリカにTP文化あり。

2007年03月12日(月)  マタニティオレンジ91 歴史は繰り返す
2005年03月12日(土)  しみじみ映画『きみに読む物語』
2004年03月12日(金)  『ジェニファ』マスコミ試写開始
2002年03月12日(火)  FOODEX


2008年03月11日(火)  マタニティオレンジ251 一日一万アッハ(aH)

木村洋二さんという関西大学の教授が「笑い測定機」なるものを開発したと新聞記事で知る。笑った時に筋肉が動いて発生する微弱な信号をセンサーでとらえて数値化する仕組みらしく、単位はアッハ(aH)。こういうアホらしい花火を打ち上げるのは関西の大学でなくては、とわたしはエキサイトし、東京出身の旦那は「いかにも関西だね」と冷ややか。わが家には「ぼく、関西人って嫌いなんだよね」「え? わたし関西人だけど」「だから嫌いになったんだよ」という笑えない小話があるが、関東人と関西人って発想がまるで違う。海外勤務を希望した会社の先輩は大阪勤務になり、「外国みたいなもんだから」と赴任していった。

話を笑い測定機に戻す。もともとわたしはよく笑うほうだと思うけれど、娘のたまが人生に出現して、さらに笑うことがふえた。マンガみたいに見事に転ぶ姿を見てアッハ。欲張って食べたさつまいもを喉に詰まらせてむせてはアッハ。調子に乗ってぐるぐる回って目を回して壁に激突してはアッハ。全身で人生にぶつかっている姿は、体を張った天然芸。ビデオを回しながらアッハ。ビデオを再生して、またアッハ。

赤ちゃん相手は笑いを誘いやすい下ネタの宝庫でもある。ウンチが出たと言ってはアッハ。その形がすばらしいと愛でてはアッハ。うさぎのウンチみたいなのが床に落ちてたと悲鳴上げつつアッハ。真っ赤な顔してきばっているのを見つけてアッハ。

笑いは不意打ちにも弱い。スプーンを投げつけた。包丁をつかんだ。椅子の上で立ち上がった。鍋をかぶった。ママのブラをかぶった。予測のつかない行動にあっけに取られ、思わず吹き出し、アッハを稼ぐ。最近では、「ひざ立ちダッシュ」に意表を突かれ、大いに笑った。ひざで地面を蹴ってちょこまか走るのだが、その速いこと。「大爆笑は一秒あたり5アッハ、4秒続くと20アッハ」という基準から計算すると、毎日100アッハは記録しているように思う。

木村教授は測定機を万歩計みたいに携帯できるサイズに小型化することを試みているらしい。万笑計(!?)を持ち歩いて、めざせ一日一万アッハすなわち爆笑2000秒。60秒で割ると、33分20秒。そんなに笑ったら子どもが心配して泣き出しそうだけど、その頃には笑いのネジがすっかりゆるんで、「心配して泣いちゃったよ。アハハ」となるのだろうか。

2007年03月11日(日)  『のど自慢』チャンピオン大会
2005年03月11日(金)  絶対王様公演『やわらかい脚立』
2004年03月11日(木)  岩村匠さんと再会
2002年03月11日(月)  漫画『軍鶏』


2008年03月10日(月)  マタニティオレンジ250 No rain,No rainbows.

池袋三越のチラシ「三越NEWS」を何気なく見ていたら、「No rain,No rainbows」というフレーズが目に留まった。雨降らずば、虹は出ず。催物会場で個展を開く片岡鶴太郎さんが、ときには自信が揺らいでくじけそうになりながらも逃げ出さず、投げ出さず、大作を完成させたときに頭に浮かんだのが、友人が教えてくれたこの言葉だったという。ハワイに古くから伝わる格言とのこと。「雨降って、地固まる」「苦あれば楽あり」、英語で言えば「No pain,No gain」をより前向きにしたような言い回しが美しい。「No〜,No〜」といえば、アメリカ留学時代に友人が「No money,No honey(金がなくちゃ恋もできない)」と口癖のように言っていたのを、わたしの持ちネタにしている。韻もきれいに踏んでいるし、国籍を問わず「ウマい!」と受ける。

「No rain,No rainbows」のような収穫がときどきあるから、チラシをまとめて捨てることをためらい、朝の30分ほどを費やして目を通してしまう。No chirashi,No atarashi。チラシを見なけりゃ新発見なし!? 最近はチラシを「親子で楽しむ」という活用法を発見。食べ物のカラー写真を娘のたまがよだれを垂らさんばかりに見ているので、「たま、あむあむしてみる?」と言うと、チラシから食べ物をつまんで口に運び、「あむあむ」と食べる真似をする。エアギターならぬエア食事。スーパーの売り出し商品よりデパートの物産展のごちそうを好む。「おいしい?」と聞くと、「オイチー」と笑顔。「ママにお魚食べさせて」と言うと、干物の写真をつかんで食べさせてくれる。食べているつもり、食べさせているつもり。泣くことしかできなかったのに、ついに「ごっこ遊び」ができるようになったか。子育ても「No rain,No rainbows」。

2007年03月10日(土)  マタニティオレンジ90 存在することがプレゼント
2005年03月10日(木)  おうちでDVDレンタル『TSUTAYA DISCAS』
2002年03月10日(日)  循環


2008年03月09日(日)  マタニティオレンジ249 「野菜バイバイ」にバイバイ作戦

先月行われた保育園の保護者会で、「うちの子、野菜食べてくれなくて困っているんです」という声を聞き、「うちはよく食べてくれてありがたいわあ」と思っていたら、先週頃から突然、野菜を受け付けてくれなくなった。好き嫌いがはじまるタイミングが他の子より遅かっただけのことで、わたしも、さあ困った。人参もほうれんそうも口から出してしまう。あんなに夢中で食べていたブロッコリーにもそっぽを向く。「食べないの? じゃあバイバイね」と冷蔵庫にしまったら、以来、食べたくないものには「バイバイ」と手を振って追い払うようになった。細かく刻んでも、スープにしても、「バイバイ」。しまいには、しつこく野菜を食べさせようとするわたしにも「バイバイ」。広告会社時代に何度プレゼンしても得意先に突き返されて「どうすりゃいいのよ〜」と途方に暮れた苦い思い出が蘇る。


野菜だけでなく魚の食いつきも悪くなり、炭水化物ばかり食べるようになる。これも保護者会でお母さんたちが嘆いていたこと。ならば炊き込みご飯だ、と人参やらごぼうやらを炊き込み、どさくさにまぎれて食べさせる作戦。それなりに功を奏したけれど、緑の野菜を入れづらいのが難点。そんな矢先に手に取った『おひさまと、朝ごはん』(星谷菜々)という朝食レシピ本の中に、材料を混ぜて焼くだけの「コーンポップオーバー」というパンが載っていた。レシピではコーンとパセリを生地に混ぜているのだけれど、それを応用して人参も混ぜてみたら、予想以上の見事な食いつき。翌日はブロッコリーを足し、グリーン比率をアップ。これまたモリモリ食べてくれる。たまは卵をボウルに割り入れる瞬間を見るのが大好きで、「ボーン」と言って興奮。粉チーズを振り入れたり、一緒にかき混ぜたりする作業も楽しんでいる様子。そんな参加意識もおいしく食べる動機になっているのかもしれない。

3日目からは粉と牛乳と卵を半分にして野菜度を大幅に上げ、ブロッコリーの代わりにアスパラガスを入れ、さつまいもを足した。野菜は焼けばやわらかくなるので、下ごしらえせず、切って生地に混ぜるだけ。ベーキングパウダーなしでもなぜか結構膨らむのだけれど、粉を減らした分膨らみが悪くなったので、4日目からはベーキングパウダーを入れ、かぼちゃとレンコンを足し、5日目には小麦粉の一部をコーングリッツ(コーンブレッドの材料になるとうもろこし粉)に替えた。こうして、「ほぼ野菜、つなぎに炭水化物」な朝食パンが完成。一日に6個焼いて、食べきれない分は冷凍。レンジでチンするとほかほかになる。

野菜、野菜と思っていたら、小学校時代の同級生、植物博士N君より東京国際フォーラムで開かれる青空市場の案内。俳優の永島敏行さんが中心になって「パリのマルシェ」みたいなことをやろうとしていると聞き、行ってみる。なたね油、野菜、米、干物、ジャムなどなど。あちこちから自慢の品をひっさげて集まってきたお店の人たちが皆元気で健康そう。

午前2時からこしらえたというおやき(切干とキャベツ)、無農薬レモンで作ったレモンパン(チーズクリーム入り)を買う。日比谷公園でピクニックだ、とはりきって敷物と魔法瓶を持参したけれど、お昼ごはんには足りないので、以前行って気に入った日比谷ナチュールでN君一家とランチ。野菜バイキングとスープ、パン、デザート、飲み物で1200円。新鮮な葉っぱやら蒸し野菜やら海藻やら、ビタミンとミネラルをたっぷり摂れて満足。結婚式にも使われる洒落たお店だけれどベビーフレンドリー。でも、たまはパンのみを食べ、スプーンを与えてもお皿をかきまわして遊ぶだけ。飛ばされた山芋がたまの顔に着地してへばりつき、かぶれる惨事となった。目の周りは真っ赤、顎にはブツブツ、痒がってぐずるぐずる。山芋もバイバイかなあ。

2007年03月09日(金)  マタニティオレンジ89 4月から0歳児保育
2006年03月09日(木)  ヘレンウォッチャー【松竹本社編】
2002年03月09日(土)  映画『カンダハール』


2008年03月08日(土)  マタニティオレンジ248 十人十色のお祝い会

午前中、保育園で「お祝い会」が開かれる。卒園式と進級祝いにおゆうぎ会を足したようなイベントで、2時間にわたって園児(そして先生!)たちの熱演がくりひろげられた。単に歌やお遊戯を披露するのではなく、ストーリーに仕立ての中に歌や踊りが組み込まれている。さらに、衣装も小道具も舞台道具も手作り。秋の運動会でも「ここまでやるの!」と驚いたけれど、凝りに凝った内容で、「先生方大変だったろうなあ」と頭が下がる。

娘のたまがいる0歳児クラスは、ムーミン谷の住人たちという設定。「ムーミン谷の○○さん」と名前を呼ばれて一人ずつ返事をするところから始まる。入園児0歳だった10人は全員1歳になり、歩くようになった。まだこんなに幼く、同じように毎日保育園で過ごしているのに、すでに一人一人個性が出ているのが面白い。音楽がかかったときの反応は、まさに十人十色。普段はノリノリで踊るたまは、いつもと違う空気に怖気づいたのか、すみっこで指をチュパチュパ。他人事のように眺めていたが、大好きなゾウさんが登場すると、くわえていた指でゾウを指差し、「ぞぞ、ぞぞ!」と大興奮。たちまち主役に躍り出て、「ゾウさん」をたどたどしく歌い踊り始めた。「どんぐりコロコロ」では床にごろんと転がってコロコロ。一人また一人と床に横になって転がりだすさまは集団催眠術のよう。

学年がひとつ大きくなるごとに、できることがふえていく。返事の声もダンスも元気良くなる。保育園では振付をそろえさせようということはしなくて、みんな思い思いにのびのび踊る。いちばん成長を感じたのは、2歳児クラスと3歳児クラスの差。保育士さんの言葉への反応の早いこと。手話まじりの歌も堂々たるもので、後輩たちが憧れの視線を注いで見ていた。あと3年でわが娘もあんなことができるようになるのか。

園長先生からの贈る言葉は「人の目を見て話をしっかり聞きましょう」。日頃から「座ってられるということは、話を聞いてられるということ」「話を聞ける子は話ができる」などと「聞く」ことの大切さを説いている先生らしいお話。実際、今日の園児たちは、とても聞き上手だった。演じている時間よりも見ている時間のほうがずっと長かったのだけれど、ぐずる声でプログラムが邪魔されることがなかったことに何より感心した。

2007年03月08日(木)  身につまされた映画『ドリームガールズ』
2006年03月08日(水)  innerchild vol.11『PANGEA(パンゲア)』
2004年03月08日(月)  勝地涼君初舞台『渋谷から遠く離れて』
2002年03月08日(金)  言葉の探偵、『天国の特別な子ども』を見つける。


2008年03月07日(金)  マタニティオレンジ247 ヒヤリハットで済んだ話

保育園の帰り、ベビーカーを押していたら、娘のたまが視界から消えた。「!」となってベビーカーを止め、のぞきこむと、リンボーダンスでくぐり抜けた棒を握りしめているようなのけぞった格好で、たまがストッパー兼手すりにぶら下がっていた。ベルトを締め忘れていて、座席からずり落ちたのだ。両足は地面についていて、どこも打っておらず、本人も咄嗟のことにあっけに取られていた。滑り落ちる刹那に頭上の棒をつかむとは、「すごい反射神経!」と感心したが、一歩間違えば、地面に頭を打ちつけて大けがとなるところ。

ベビーカーから子どもが落ちたという話はそこらじゅうに転がっていて、落ちたわが子をベビーカーで轢いてしまった人もいる。皆ヒヤリハットの笑い話で済んでいるからいいものの、「ベルト締めたつもり」のうっかりには気をつけなくては。子どもを座席に座らせているときに電話がかかってきたりすると、ベルトが頭から抜け落ちてしまう。

子どものヒヤリと言えば、大阪に住む妹一家がスキーに出かけて、5歳になるシュンスケ君がリフトから落ち、2メートル下のコンクリートに打ちつけられる出来事があった。出血し、意識は朦朧となり、救急車を呼ぶ騒ぎに。もちろん妹夫妻は顔面蒼白。だが、病院で検査の結果、出血は鼻血、意識朦朧は寝不足とわかり、力がぬけたという。妹からの報告メールを読むわたしも手に汗握って冷や冷やした。

「大出血!」と思って慌てたら、ケチャップだった、インクだったという笑い話もよく聞く。同じベビーカーが空っぽになっているのを見て「うちの子がいなくなった!」とパニックになる人騒がせな親も、よくある話。「うちの子に何かあったら」という不安が妄想を呼ぶのかもしれない。

2007年03月07日(水)  マタニティオレンジ88 笑いの効能
2006年03月07日(火)  ヘレンウォッチャー【全国からありがとう編】
2002年03月07日(木)  誤植自慢大会


2008年03月06日(木)  応援したい人

島根に住む女性から「はじめまして」とメールをいただく。わたしが脚本を書き、NHK-FMの青春アドベンチャーで放送された『アクアリウムの夜』という連続ラジオドラマに出演された秋元紀子さんを応援している方だという。今月下旬に横浜で秋元さんのひとり語り公演があるのだが、宣伝が苦手な秋元さんを見かねて、お手伝いを買って出た様子。秋元さんの人徳だなあとしばらく会っていない顔を懐かしく思い出しながら、「何らかの形で宣伝できないでしょうか」という相談に応えるべく、日記に書くことにした。

『アクアリウムの夜』で秋元さんが演じたのは、主人公たちがたまり場にしている喫茶店を切り盛りするすてきなお姉さん、だけど封印された過去を抱えているミステリアスな光と影をあわせもつという難しい役どころ。ラジオの前のリスナーをぐぐっと引きつけたその声は、繊細さと意思を持った力強さが同居した不思議な魅力があって、上質な音楽のように耳に心地よく、それでいて、メッセージをしっかり運んで残していく。そよ風が通り過ぎた後に窓辺のカーテンを揺らし、春の気配も置いていくように。

秋元さん本人はわたしより少し年上で、背丈もわたしよりあるのだけれど、少女のような印象がある。そして、そんな恰好の秋元さんに会ったことはないはずなのに、彼女を思い浮かべるとき、わたしは白いワンピースに麦わら帽子の女の子を思い浮かべてしまう。そのイメージは、ラジオでお仕事した後に聞きに行ったひとり語り公演の印象に引っ張られているのかもしれない。安房直子さんの童話と運命的な出会いをした秋元さんは、安房さんの世界を語り継ぐ語り部となる決意をし、年に何度か「安房ールド(=awa+world)ファンタジー」と題したひとり語り公演を各地で行っている。透明感のある安房ールドと秋元さんの声は相思相愛のように響き合って、物語の世界にすーっと溶け込むように入っていける。わたしが観たのはもう何年も前のことになるけれど、時を経ても優しいぬくもりのような余韻が残っていて、わたしの記憶の片隅に小さな安房ールドを確保している。そんな秋元さんのひとり語りの最新作は、島根の方によると、「転機になる」ような意欲作だそう。横浜へ足を運べる方はぜひ。東京では朗読会も開催される予定。

3月22日(土)2時/7時
みなとYOKOHAMA演劇祭08 参加公演
秋元紀子ひとり語り 安房ールドファンタジー  Vol.10
安房直子原作 『青い糸』
共演 ハープ演奏 長村美代子
岩崎博物館 山手ゲーテ座 045-623-2111
料金2995円
予約:グッドフェイス(goodface2007@gmail.com)

4月26日(土)4時
八重洲ブックセンター朗読会
安房直子原作 『きつねの窓』
NPO日本朗読文化協会主催


もう一通、「応援したい人」メールが届いた。こちらは、わたしのことも応援してくださっている大阪のさのっちさんから。さのっちさんとわたしの出会いは、パラリンピック水泳メダリストの河合純一さんの半生を描いた映画『夢追いかけて』で高校時代の純一を演じた勝地涼君が『パコダテ人』にも出演していたことが縁。さのっちさんは、『夢追いかけて』以来、パラリンピックを応援していて、河合純一さんや走り幅跳びの走り幅跳びの佐藤真海さんの情報をこまめに知らせてくださる。今回のお知らせは、パラリンピックの応援イベント。日本パラリンピアンズ協会(選手会)とHappy J Project(賛同者で作る応援団体)主催で開催するパラリンピック告知・応援イベントの第一弾。当日は、河合純一選手、佐藤真海選手、京谷和幸選手(車椅子バスケ)などの現役パラリンピアンが参加とのこと。パラリンピック選手のことをパラリンピアンと呼ぶことをはじめて知る。では、オリンピック選手はオリンピアン?

夢を翔ける〜パラリンピックアスリートからあなたへ〜
3月30日(日)13:30〜
東京プリンスホテル 2F
前売・予約1500円、当日2000円(1ドリンク付)※小学生以下無料


ファンというのはありがたいもので、わたしも応援してくださる方々に支えられているのだけど、学生時代に応援団にいたせいか、誰かを応援することも好き。就職活動のとき、「なんで選手じゃなくて応援するほうにいたの?」という質問をあちこちの会社でされて、そのたびに「応援団も選手と一緒に戦っているんです」と訴えた。応援したい人のために、何かせずにはいられなくなる。その気持ちは、遠巻きに見ている傍観者じゃなくて、手を取りあう併走者だと思う。

2007年03月06日(火)  『ゲゲゲの鬼太郎』×『子ぎつねヘレン』
2006年03月06日(月)  ヘレンウォッチャー
2005年03月06日(日)  傑作韓国映画『大統領の理髪師』
2002年03月06日(水)  家族


2008年03月05日(水)  自分の仕事に値段をつける

『アテンションプリーズ スペシャル』が一段落つき、何本か準備中の映画は「待ち」の状態で、ここのところ仕事はゆるやか。2月以来に書いたのはエッセイが3本と歌詞がひとつ。脚本は小直しがひとつあったぐらい。浮いた時間と手間は確定申告に費やされた。源泉徴収票を入力していると、「請求書送ったのにお金が入ってない」と気づくことがある。銀行へ行くのが面倒で記帳をさぼっているので、こういう事態が起こる。先方に確認してもらい、請求書を再発行する。ついでに、請求しそびれている仕事の請求書も書き起こす。

プロットや脚本を書いて返事を待っているうちに半年や一年はあっという間に経つ。書くときは「まだですか」と熱心にせっつかれるのだけれど、企画が立ち消えになっても連絡が来ないことが多い。「前に書いたあれ、どうなりました?」とこちらから連絡を取ると、「あれねー、ダメでした」と言われ、お金の話になるのだが、そこからが駆け引き。「いくら欲しいですか?」と聞かれ、「いくらぐらいでしょうかねえ」と聞き返し、「通常はこれぐらいもらってます」と希望を出し、「これぐらいでどうでしょう」と値切られ、といったやりとりを繰り返し、金額が定まる。

自分で自分の仕事に値段をつけるのは難しい。お高く見られてもお安く見られても後々困るのだけど、適正価格がわからない。「そんなに取ります?」なんて聞き返されると、「わたしの原稿にはそんな価値ないんだ」と落ち込む。遠慮がちな金額を提示して、「そんなに少なくていいんですか」と驚かれると、「もう少し高めに言っとけばよかった」と悔やむことになる。会社員時代は楽だった。上司との面談で「君の査定はこれぐらいだ」と言われて、はあそうですかと受け止め、決まった給料の中で時間や労力をやりくりして働いていた。今は逆で、かけた時間や労力に対して、後からお金がついてくる。ガツガツしてると思われたくないけれど、卑下もしたくない。ギャラは自分の仕事への評価を数字で表すものだから。

金額をあからさまに口にするのがはばかられて、「2でお願いします」みたいに言うことがある。こちらは「20万」のつもりで言ったのに、2万しか振り込まれず、愕然となる。相場があってないようなものなので、0がひとつ増えたり減ったりするぐらいの変動は平気で起こる。先日、プロデューサーから、あわてて打ったと思われるメールが届いた。「ギャラは120円でいいですか」。それは安すぎ!

2007年03月05日(月)  マタニティオレンジ87 プレ離乳食
2005年03月05日(土)  Uzさんの新ユニット『croon』
2002年03月05日(火)  情熱


2008年03月04日(火)  マタニティオレンジ246 耳掃除ムイムイ

ひと月ほど前、娘のたまが鼻風邪を引いたときに中耳炎が心配になって、耳を診てもらった。耳の中に棒状のスコープを突っ込むと、その画像がモニターに映し出されるのだが、それを見た看護師さんが、「うわ、のれん」と思わず声を上げた。鍾乳洞のようといおうか幽霊屋敷のクモの巣といおうか、白いものが何層にもぶら下がっているのが見えて、わたしはそれが中耳炎の炎症部分かと思ったのだが、「耳垢ですね。これじゃあ奥が見えません」と看護師さん。ピンセットでのれんを何枚かのけて、ようやく視界がひらけ、耳の奥が見えた。

助産院で「耳掃除はこまめに」と指導され、最初は綿棒でこちょこちょと中を拭っていたのだけれど、耳掃除好きなわたしは、ムキになったように掘ってしまう。娘の耳を傷つけることを恐れたダンナに「耳掃除はするな」と言われて以来一年ほどほったらかしにしてきた。そりゃあのれんも下がるだろう。

のれんを撤去すべく、一年ぶりに耳掃除。大人用の耳掃除棒で、力を入れすぎずにやさしく掻くと、子どもの耳垢とは思えないビッグな収穫。たまはいやがるかと思いきや、わたしの太ももに頭を預けて、うっとり。そういえば、わたしも母に耳掃除されるのが大好きだった。「ムイムイ」という言葉をすぐさま覚え、「ムイムイ」と言いながら太ももにゴロンとなり、耳掃除をせがむようになった。自分がされるのは好きだけれど、わたしがダンナの耳掃除をするのは嫌いなようで、明らかに不機嫌になり、邪魔をしにかかる。自分が中心にいないと面白くないのか、仲間外れにされたと思うのか、ママをパパに取られると焦るのか。先日は洗面所まで走って行き、洗面台に突っ伏してワンワン泣き出した。目の前じゃなくて、わざわざ離れた場所まで移動して泣くところがいじらしい。覚えたての「嫉妬」という感情をこんな風に表現するんだ、としみじみと感心した。

2007年03月04日(日)  マタニティオレンジ86 初節句
2005年03月04日(金)  押忍、ひさしぶりの総会っす。
2002年03月04日(月)  感想


2008年03月03日(月)  マタニティオレンジ245 みつけものとなくしもの

娘のたまが引き出しを開け閉めすることを覚えて、数か月が経つ。キッチンの引き出しから最近、洗面台の引き出しにターゲットを変えた。紅茶の缶や紙ナプキンより、化粧品や香水が出てくるほうが楽しいらしい。たまが手を突っ込んで掘り返すと、コピーライター時代に担当していた化粧品ブランドからいただいたマスカラやら口紅やマニキュアがざくざく出てくる。古いものは十年物、新しくても五年物。口紅の蓋を開けたり、マスカラを振り回したり、化粧水のサンプルのボトルをくわえたり。ずっと使わずにしまってあった化粧品たちが、子どものおもちゃとなって役に立つ日が来るとは思わなかった。買い置きしておいたものの行方不明になっていたあぶら取り紙やらダンナのひげ剃りの替え刃やらも奥から出てきて、拾いものをした気になる。

見つけものをした一方で、なくしものもある。昨日、ダンナの実家へ向かうとき、ドアにかけている小さな手提げ袋をたまが持ちたがった。中には子ぎつねヘレンの小さなぬいぐるみが入っていて、「これは出しておこうね」と取り出しかけたのだけれど、たまが「入れといて」と主張したので、入れたまま持たせた。へレンのぬいぐるみは映画の関連グッズとして売られていたもので、絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』の販売促進用に首からミニ版絵本をぶらさげて書店の店頭に飾られたものを記念にひとつ分けてもらった。なくしては大変と気をつけていたのだけれど、道中でいつの間にか手提げ袋はたまの手から落ちてしまい、気づいて引き返したものの見つからなかった。警察に届けたけれど、人から見れば、ただの安物のおもちゃ。拾った人がいたとしても、警察に届けるまでもないと判断するかもしれない。

2006年03月03日(金)  ちばっちと亀ちゃんの舞台『Soulmate』
2005年03月03日(木)  南イタリア魚介料理『ラ・スコラーレ』
2002年03月03日(日)  文京区のスポーツクラブ


2008年03月02日(日)  マタニティオレンジ244 二回目のひな祭り

日頃の子守のお礼と一週間ほど早いダンナ母の誕生日祝いを兼ねて、昨日の夕食は外で食べた。飯田橋の日中友好会館の一回にある『』という中国茶料理のお店。ここはいつ行っても空いているのだけれど、何を食べてもびっくりするほどおいしくて、値段がびっくりするほどリーズナブル。昨夜もほぼ貸し切りのような状態で、ベビーチェアにじっとしていられない子連れにはありがたいものの、もう少しはやってもいい気はする。娘のたまはジャスミン茶の野菜まんじゅうやジャスミン茶の水餃子をモリモリ食べ、大人の味の黒酢の酢豚やふかひれスープにも食いついた。一歳にして本場の中華に味をしめた様子。桃の節句を祝って食後に食べた桃饅頭も美味だったけど、たまはおあずけ。

たまにとっては、今年は二回目の桃の節句。今日は、ダンナ実家へ雛人形を見に行く。一年前は座布団に一人で座らせるのも危なっかしかったのに、今ではもう走りまわっている。娘の成長を喜び、これからも健やかに伸び伸びと育つよう願う。

去年は雛段についている牛車のオルゴールを怖がってぐずったけれど、今年は音楽に合わせて左右にゆらゆら。とにかく音の鳴るものが好きで、電話機の「モニター」ボタンを押してから「保留」を押すとスピーカーから音楽が流れることを覚えてしまった。お祝いにもらったオルゴールを差し出して、「ネジを巻いて」と訴える。ネジを巻きたてのときは元気がいいけれど、だんだん力尽きてやがて止まってしまうオルゴールの音色を聴いていると、無性に悲しくなる。とくに、最後の力を振り絞るかのようにポロンと一音鳴らした余韻の中で息絶える瞬間は、いたたまれない。一歳児にはそんな感傷はまだないのか、オルゴールが止まるなり「(また巻いて)」と無邪気に差し出してくる。

2007年03月02日(金)  マタニティオレンジ85 孫をかわいがるのは人間だけ
2006年03月02日(木)  シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年03月02日(水)  昭和十六年の教科書
2002年03月02日(土)  手づくり


2008年03月01日(土)  マタニティオレンジ243 お気に入り絵本『わたしのワンピース』

寒さに縮こまって8時過ぎまで寝ていた娘のたまは、気温の上昇とともに起床時間が早まり、ここ一週間は7時頃に起きている。今朝は6時半に起き、9時頃には「タイクツ」を全身で表現しはじめたので、歩いて図書館へ向かう。ベビーカーに乗せようとしたら、靴をはいて歩くのだと主張。大人の足なら徒歩10分の距離を右へそれ左へそれ、逆行し、だっこをせがみ、図書館は遥か彼方。やっぱりベビーカーで来るんだったと後悔する。

図書館には6畳ほどの絨毯敷きの読み聞かせコーナーがあって、親子や祖父母と孫のペアが思い思いに本を読んでいる。「たま、好きな本持っておいで」と言うと、棚から取り出したのは、『わたしのワンピース』(にしまきかやこ)。空から落ちてきた真っ白な布でうさぎが作ったワンピースが、花や鳥や雨や虹や星など出会ったものの模様に次々と染まっていくお話で、わが家にも一冊ある。留学時代の同期のナオコが「うちの息子がこれ大好きで」とプレゼントしてくれたもの。たまもすっかり気に入り、保育園でもこの本を繰り返し読んでもらっている。「家に同じのあるから、他のにしたら」と言うと、棚に戻し、別な棚からもう一冊の『わたしのワンピース』を取り出してきた。数ある本の中で、これが光って見えるらしい。

本に登場するワンピースだけでなく、本物のワンピースもたまは気になるようで、わたしの服に袖を通したがる。とくに明るい色やプリントの入ったものが好み。最近買ったfranche lippe(フランシュリッペ)のワンピース風コートは、白地に緑の配色が『わたしのワンピース』の表紙に似ているからか、うさぎや熊が描かれているからか、散歩に出かけるときは「これ着たら?」とでも言うように指差す。

2007年03月01日(木)  マタニティオレンジ84 「おなかの皮で風呂水」伝説
2005年03月01日(火)  ビューラー巻き巻きに挟み撃ちされる
2002年03月01日(金)  『たまねぎや』と『サムラート』

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