2002年03月22日(金)  遺志

■大阪の母からA君のご両親からの挨拶状が転送されてきた。大学は別々だったが応援団仲間のA君は、豪快で美男子で男から見ても女から見てもイイ男だった。北大で行われた大会で仲良くなり、「記念にその履き古した草履をちょうだい」と冗談で言ったら、京都の下宿に宅急便で送りつけてきた。わたしの留守の間に束の間のひとり暮らしをしていた妹は、北海道土産が着いたと喜んで開封し、あまりの臭さに気を失いかけた。応援団と切っても切り離せない三大液体(汗、酒、○○)がしみ込んだ強烈な臭いだった。この話を思い出すたび、涙が出るほど笑ってしまうが、今は別な涙が混じってしまう。A君は去年の暮れ、突然倒れて、あっけなく逝ってしまったのだ。持ち前の潔さが死に様に現れてしまったようだった。葬儀に参列できなかったこともあって、今だに彼がこの世にいないという実感が湧かない。だが、百か日の法要を済ませたご両親からの挨拶状を読むと、あらためて、やはり、彼はいないのだと思い知らされる。寄せられた志は有珠山洞爺湖温泉の復興資金と吉野川の自然保護運動の活動資金に寄付されたとのこと。どちらも報道番組を作っていたA君が取材し、その後も気にかけていたことなのだそうだ。彼の遺志は、たしかにそこに生き続けるだろうし、わたしも有珠山や吉野川に、今後は特別な思いを抱くことになるだろう。死んだ者の居場所は、生きている者の心の中にある。応援団仲間と会うと、「あっちで元気にやってるかなあ」「あの世では、あいつのほうが大先輩だから、俺たちが後から行ったときには飲まされるんやろうなあ」などと話したりする。生きているわたしは、これからもたくさんの人と出会いと別れを繰り返すのだろうが、心のどこかにA君の場所は空けておきたいと思う。

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