2007年03月08日(木)  身につまされた映画『ドリームガールズ』

観たい観たいと思っていた『ドリームガールズ』がママズクラブシアターでかかり、早起きして9時20分の回をキャッチ。ミュージカルは舞台も映画も大好きだが、とりわけ好きな『シカゴ』のスタッフが多数参加し、しかも『シカゴ』の脚本を書いたビル・コンドンの監督作品とあって、期待は高まるばかり。

冒頭のアマチュアコンクールの場面、無名三人娘のドリーメッツが舞台に登場し、リードボーカルのエフィーの歌声が弾ける。スクリーン越しに観ているのを忘れ、コンクール会場の客席にいるような迫力。エフィーを演じたジェニファー・ハドソンは役作りのために体重をふやしたと聞くが、人よりも多くついた脂肪も肉も体重もあの歌声の栄養源なのではと思えるほど。監督が演技を評して「ショーストッパー」と絶賛したという新聞記事を読んだが、あまりの拍手でショーが中断するほどの熱演、という褒め言葉は決して大げさではない。アカデミー賞助演女優賞を受賞したのも納得だけど、助演ではなくて主演ではないのかというぐらい、わたしは完全にエフィーに乗っかって観た。

エフィーが主役を食ってしまったのは、ジェニファー・ハドソンの演技の存在感なのか、それともわたしが感情移入しすぎたせいなのか。歌うことが好きで好きでたまらないという空気を全身から発散させている姿には、踊っているだけで幸せだった学生時代の自分を重ねた。大学を出たわたしは、自分が踊るのではなく、言葉を躍らせる道を選んだけれど、エフィーにとっての「歌う」をわたしにとっての「書く」に置き換えて、観た。好きなことをしてお金をもらえて名前も売れるショービジネスの世界。レコードの売り上げやリクエスト数がランキングを駆け上る高揚感は麻薬のように人を夢中にさせ、惑わせ、運命を狂わせる。誰かが成功する陰で誰かが傷つき、誰かが乾杯する陰で誰かがヤケ酒をあおり、誰かが頂点を極める陰で誰かがどん底を味わう。栄光の光が眩しすぎる分、そこに生まれる影も大きい。ドリーメッツがドリームガールズの名でメジャーデビューすることが決まったとき、エフィーはテレビ的に見映えのいいビヨンセ演じるディーナにリードボーカルの座を譲ることになる。脚本の世界でいえば、プロデューサーとあたためてきた企画に出資者が現れて実現することになったものの、脚本家は別の人でと告げられたような状況だろうか。好きなことを仕事にしているからといって、好きなようにできるわけではない。どこかで夢と現実の折り合いをつけなくてはならない。だけど、夢を売る仕事であっても、自分の夢を安売りしたくはない。グループとしての夢が叶った代償に一人の歌い手としての挫折と屈辱を味わうエフィーの葛藤が痛いほど伝わってきて、わたしの胸まで引き裂かれそうだった。

持ち歌が盗まれたり、金の力でつぶされたり、というエピソードも他人事とは思えなかった。歌であれ映画であれ、ソフトが商品になるとき、その市場価値を生み出すのはプロデューサーの腕の見せどころ。さらに言えば才能という原石を宝石に化けさせるか石ころのまま埋もれさせるかもプロデューサーの腕次第だ。自分には夢をつかむだけの才能があると信じる者は、自分を売り出してくれる手腕とコネを持つ者に出会い、自分を信じるようにその人を信じ、運命を託す。けれど、売り出す立場の人間にもまた夢があり、野望がある。故意であってもなくても、悪意があってもなくても、利用された、裏切られたという悲劇は起こる。ここにも光と影がある。

『月刊シナリオ』を読んでいると、ときどき、名指しでプロデューサーを糾弾する脚本家の手記に遭遇する。脚本を送って打ち返しの返事を待っている間に、いつの間にか勝手に内容が変えられていたり、脚本家が替えられていたりする。糾弾された側の言い分も掲載しないと欠席裁判になるのではという気もするが、叫ばずにはいられない心情も理解できる。お金の問題でもなければ、ただ感情的になっているわけでもない。その作品に懸けていたからこそ悔しい、腹立たしい、やりきれない。夢と期待で膨らみきった風船は、割れたときの衝撃も大きい。だけどその痛みは、光と影がセットであるように、夢を仕事にする幸福につきまとう副産物なのかもしれない。エフィーのように仕事に逃げられ、信頼していた仲間に背を向けられたら、わたしだって何も信じられなくなるだろう。だけど、何もかも失っても「自分にはこれしかない」と歌い続けたエフィーのように、自分に正直に生きたいと思う。夢を追い求める魂だけは誰にも盗めないし、売り渡してはならない。夢を打ち砕かれることがあっても、そのかけらを拾い合わせて、つなぎ合わせて、大切に持ち続けたい。そんなことを大真面目に考えた。

努力すれば、力を合わせれば、夢は叶う、と夢みたいなことを信じているわたしは今でもドリームガール。あれ、ドリームガールは夢のような女の子という意味だろうか、夢見る女の子だとドリーミングガールになるのか。劇中歌はどれもメロディ歌詞ともにすばらしいし、あの時代の空気感みたいなものまで見事に表現されていて、音楽を聴いているだけでも存分に楽しめた。機会があればぜひ舞台版も観てみたい。『アニー』『ムーランルージュ』『オペラ座の怪人』『シカゴ』に、またひとつ、お気に入りのミュージカル映画が加わった。

2006年03月08日(水)  innerchild vol.11『PANGEA(パンゲア)』
2004年03月08日(月)  勝地涼君初舞台『渋谷から遠く離れて』
2002年03月08日(金)  言葉の探偵、『天国の特別な子ども』を見つける。

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