2004年03月11日(木)  岩村匠さんと再会

■「岩村匠さんと再会」と書くと正確ではないかもしれない。『パコダテ人』の函館ロケにcinem@neyのライターとして取材に来ていたときは、違う名前だった。去年の暮れに届いた「本を出しました」メールに、「下の名前も変えました」と書いてあったので、スクロールして「画面の下にある名前」を探したら、そうではなくて「苗字の下にある名前」のことだった。心の性と体の性がしっくりこない性同一性障害を抱えて生きてきた33年間を綴った『性別不問。』(成甲書房)出版に合わせて、自分にしっくりくる名前・匠(しょう)に改めたというわけだった。「わたしも春に本を出すので会いましょう」と返信したら、「ナンパしないから心配するな」とカッコいい返事が来て、2年半ぶりの再会となった。■パコの思い出話、パコで出会った共通の知り合いの近況話、お互いの出版話で盛り上がり、『性別不問。』と『ブレーン・ストーミング・ティーン』を交換。ひと足先にデビューした先輩作家・岩村さんは、手作りPOPを持参。「手書きのほうが効果的」「あまり場所を取らないほうが置いてもらえるので小ぶりに」などとアドバイスしてくれる。はじめての本を「お互いがんばって売りましょう」と話す。「今回はノンフィクションなので、次回作は小説を書きたい」と岩村さん。シナリオも書いていて、夢はでっかくハリウッド映画。まだまだ話したいことはあったけど、短いランチタイムは飛ぶように過ぎてしまう。いくつか見つかった共通の話題のひとつが、わたしの会社の先輩だった人がやっている六本木の海南鶏飯食堂が岩村さん行きつけの店だということ。「じゃあ次は、そこでお酒を」と別れる。■函館で知り合ったときも打ち上げで飲んだときも性別の話はしなかったので、性同一性障害なんだよと告げられてはじめて会ったわけだけど、もともと持っていた岩村さんのイメージが変わることもなく、岩村さんは岩村さんなのだった。そんな岩村さんと知り合ったのが、「しっぽが生えても、ひかるはひかる」という映画だったというのも縁だったのかなと思う。

2002年03月11日(月)  漫画『軍鶏』

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