2007年03月25日(日)  マタニティオレンジ99 たま7/12才とインターナショナル

3日遅れで、8月22日生まれの娘のたまの7か月を祝う。6か月からの一か月は、いったん横ばいになったかに見えた成長曲線が、再び上向いたように感じられるほど、「いつの間に、こんなことが!」の発見に満ちていた。おすわりが決まり、だっこされてのタッチも安定するようになると、自由になった両手がいたずらへ向かう。コンセント、コートのフードの紐、カーテン、お風呂の水栓……ぶら下がっているものは何でも引っ張る。ときどき力の掛け方と方向がうまく合うと水栓は抜けるけれど、どうすればそうなるかはまだ学習できていない。器に盛ったいちごの山に手を突っ込んでいたのが、その中から一粒をつまみ上げようとするようになった(まだうまくはつかめない。UFOキャッチャーのようなもどかしさがある)。

ズリバイで興味の対象へ突進し、手当たり次第つかんでは口に入れる。倒れると危ないので横向きに置いた全身鏡に映った自分も舐める(ナルシスト?)。ベビーラックの車輪を手で回したり、椅子に掛けたジャケットの袖を引っ張ったり、上体をそらせて両手でキャッチしたドアを押したり引いたり。好奇心いっぱいの目をキョロキョロさせて、床上20センチの世界で次々と遊びを見つける。鏡なんか舐めて不衛生ではないか、ドアの角で顔を傷つけないか、と気を揉みながらも、変な味や痛みを覚えることも必要かもしれないと思って見守っている。たま語は「ごえごえ」「んげー」を経て、最近はバとパを連発する。「バアバアバア」「パアパアパア」。ばあばと言ったわ、パパと呼んでるぞ、とダンナ母とダンナは喜んでいるが、わたしとじいじは面白くない。

12分の7才誕生会のマンスリーゲストは、「ハウス」と愛称で呼んでいた京都国際学生の家ゆかりの友人たち。日本人と留学生が暮らすこの寮は、わたしが大学一年生のときに下宿していた家のすぐ近くにあり、ちょくちょく遊びに行っていた。そのおかげで、日本の大学に通いながら留学生活のような刺激を味わえた。ダンスパーティでノリノリになって踊るわたしに、当時流行っていたMCハマーにちなんで「Missハマー」とあだ名をつけたのは、ブラジルからの留学生のリカルド。彼はブラジルの名士の御曹司らしく、「ブラジルのボクの部屋は、ハウスより大きい。ボクのハウスの部屋は、犬小屋のサイズ」と言っていた。シンガポールとマレーシアを旅行したときは、里帰り中の寮生の実家に泊めてもらった。大阪でインド人一家を隣人に育ち、高校時代にアメリカ留学をしたわたしは、ハウスに出会って、It's a small worldという思いをますます強くした。ここの住人であったダンナとは、ハウスのパーティで知り合ったので、ハウス関係者は夫婦共通の友人ということになる。


誕生日ケーキを用意してくれたテスン君は、ハウスに住んでいたチョン・テファさんの弟さん。奇しくも今日がご自身の誕生日だということで、自分用のメッセージプレートまで用意していた。手焼きクッキーのメッセージプレートにもセンスが光るケーキは、創作菓房アランチャのもの。一月にわが家に集まったときに持ってきてくれたケーキとマシュマロの完成度にも驚いたけれど、今回のホールケーキもキャラメルとナッツの香ばしさがアクセントになっていて、舌が恍惚となるおいしさだった。

食事をしながら思い出したのだけど、ハウスのイベントに、寮生たちが自国の料理を作ってふるまいあうコモンミールというものがあった。宗教上の理由で牛がダメ豚がダメという人たちも一緒においしさを分かち合う。その味の向こうにある国に思いを馳せる。食事は人と人の距離も近づけるけれど、国と国の距離を近づけると思った。ハウスのような面白い場所に出会えるかどうかはわからないけれど、たま(今回のメッセージプレートで明らかになったけれど、本名は珠江という)にもいろんな国の人と食事や会話を楽しめる機会を持って欲しい。そして、スパイスが混じりあって料理の味に深みをもたらすように、肌の色や言葉や国籍の違う人との交流が人生をより味わい深くしてれることを知って欲しいと願う。

2006年03月25日(土)  丸善おはなし会→就職課取材→シナリオ講座修了式
2005年03月25日(金)  傑作ドイツ映画『グッバイ・レーニン!』
2002年03月25日(月)  脚本はどこへ行った?

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