2006年03月02日(木)  シナトレ5 プロデューサーと二人三脚

脚本作りはプロデューサーと進める。書くのは脚本家だけれど、アイデアを出し合ったり、直しの方向性を探ったりする作業はプロデューサーとの二人三脚。プロデューサーが複数の場合もあるし、監督が最初から関わる場合もあるけれど、プロデューサーと脚本家がある程度まで本を詰め、会社のGOが出てから監督が加わるケースが多い。初稿から改訂を重ね、決定稿に持ち込むまでに、脚本は大きく変化し、成長する。脚本家一人だったらここまでダイナミックな変身はしないと思う。

そう考えると、コンクールに応募する脚本家の卵にもプロデューサーがいたら……となる。自分の書いたものを客観的に読み、意見やアイデアや方向性を与え、ときには喝を入れてくれる存在。自分以外の視点が入るだけで、見落としていたたくさんのことに気づかされる。わたしの場合は、彼氏と大阪の母と元同僚のアサミちゃんが「ご意見番」だった。彼氏は「おもしろい」か「つまらない」しか言わなかったけれど、彼が「つまらない」と言ったものはことごとく落選した。母の言いたい放題のコメントの中には、ときどき、ドキッとするほどの光るアイデアがあった。そして、わたしをデビューさせたいちばんの功労者はアサミちゃんだった。お芝居を観るのが大好きなデザイナーの彼女は、「一人の視聴者(観客)」として、「どうやったら、この脚本がもっと面白くなるか」を真剣に考えてくれた。その証拠となるものを先日、押入れの奥から発掘した。1999年に書いた『ぱこだて人』のシナリオを読んでの彼女の長い長いコメント。
うん、もうとにかく“シッポ”という素材が実にユニークで、映像化してみたい感じですね。ただ、細かいこと言うようで申し訳ないが、速報で長尾社長以下、重役の方々が謝罪し、「あれは副作用です」とシッポについてのお話しが公式にあったら、私だったら、損害賠償責任追及と同時に、整形外科で手術し、切除することを考えると思います。シッポがあることが、後天性原因不明の病気だとしたら、それはもしかしたら最初のうちは必死に隠そうとするかもしれない。例えばエイズのように。でもこの場合、原因は副作用にある、と判ってますから、それに同じシッポ人間、すでにマスメディアで謝罪かねがね放映されているわけで…。

きっと突然変異のシッポ人間達はその画面を見て、「僕(私)だけじゃない」とホッとすると同時に、怒りへと気持ちが変わっていくと思われ…。ましてや男性から女性、女性から男性へと、チョンギッたり、貼り付けたりが可能な今世紀。なかなかシッポと共存の道は考えないんじゃないか。だとしたら、社長の謝罪は最後にもっていき、あくまで原因不明のままシッポが生えてきてしまった、古田さん以外にひかるちゃんはシッポ人間の存在を知らない、みたいな内容でお話が進んでいくというのはどうでしょうか。必死にかくす側とそれを追求し記事にしようとするハイエナのような側と、その中で、もう追い詰められたひかるちゃんがメディアに出る。メディアに登場した後のくだりはとてもオモシロイと思います。アイドル的存在のひかるちゃん。パコダテ言葉誕生。パーコードの服がバカ売れと、禍転じて福となすを絵に描いたような展開、とてもワクワクして読みました。

ただ、反パコダテ人派の勢力が弱い気がする。今井ちゃんの性格上、あまり意地悪やドロドロは苦手なのかもしれませんが、あとほんの少し、橋田寿賀子チックな陰湿な部分があっても良いかもしれない。それらに責められ悩むひかると家族。マスコミも、最初は美人シッポ人間とうたっておきながら、今度は反パコダテ人派の人間に躍らされ、あることないこと記事にしてしまう。それにより、パコダテフィーバーが一瞬火の消えてしまったようになる。でも冷静に考えるとパコダテ人もウルトラシップの被害者だし、みたいなところでマスコミの謝罪があったり、反対派との和解があったりってな具合に、ちょっぴり陰湿な意地悪チックなものが入ると、より今井節のエッジが立ってくるような気がします。

さらに、テレビドラマではなく映画ということも念頭に置いて考えると、全体的にこじんまりとまとまっている気がします。テレビなら、このくらいの規模で十分楽しめると思いますが、映画となると、お金払って見に行くわけで…。だとすると、もう1つ2つ、なにかエッセンスのようなものが加わるか、「一方、長尾製薬では」みたいな話が同時進行するかしたほうがいいかもしれない。シナリオ自体の厚みがもう少しあると映画的には良いのかなと思ったりします。

でも題材はとてもオモシロイ。下敷きはきっと突然変異だったりするのでしょうが、私が好きな突然変異物の作品は、ジョン・トラボルタの「フェノミナン」。コマーシャルでは愛と感動の物語みたいに宣伝されてましたが、まあその部分もあったけど、ジョン・トラボルタ扮する37才の平凡な男が、誕生日の夜、夜空に不思議な光を目撃した瞬間から知性が異常なまでに研ぎ澄まされ、天才になってしまうというお話。ここでオモシロイと思ったのは、夜空に光る星を見た瞬間の映像により、「あら、この話ってSFなの?」と思わせといて、次に子持ちのバツイチ女が現れる。「ハハァ、やっぱ愛情ものなんだ」と思っていると医者が出てきて「脳に腫瘍がある」と言う。「おやおや、病院ものですかぁ?」と思わせながらも涙あり笑いありで結構内容が七変化するところがオモシロかったなあ。そんなにブレイクしなかった映画でしたが。機会があったら見てください。

とにかく勝手言いたい放題でごめんね。でも感想文て面白いよね。自慢なんだけど、小学校5年生のとき、夏休み読書感想文コンクールで、あたしゃ千葉県大会銀賞受賞したことあるんです。それ以降、アホの道を転がり落ちるようにたどり、今に至るわけなんだけど。だから今井ちゃんのように文才のある人が側にいると、とても感化されます。私も再び書いてみようと思ったりするんです。また何かあったらいつでも協力します。

という原稿用紙にびっしり手書きの「感想文」に続いて、わたしが預けておいた原稿にポストイットがペタペタ貼られ、「『しっぽが数本落ちている』というのは、『しっぽの毛が数本落ちている』の間違いでは?」などと細かく指摘が入り、登場人物表にはイメージキャストまで書き込まれていた。

海外出張から戻ってアサミちゃんからの封書を開いたわたしは、「こりゃ全面的に書き直しだ!」となる。一日遅く勘違いしていた函館港イルミナシオン映画祭シナリオコンクールの応募締切り日は、なんとその帰国当日。24時ぎりぎりまでワープロに向かい、走って五分の郵便局に「今日の消印で!」と滑り込んだ。アサミちゃんの励ましがあったからこそのラストスパートは、準グランプリという結果につながった。アサミちゃんのアドバイスを受けずに応募していたら一次選考で落ち、審査員のじんのひろあきさんの手元に応募原稿が届くこともなく、前田哲監督の目に留まって映画化されることもなかったかもしれない。『ぱこだて人』だったタイトルは監督とプロデューサーの意向で『パコダテ人』とカタカナ表記になるが、感想文の時点で「パコダテ人」と表記していたアサミちゃんには先見の明もあった。今思えば、デビュー前にプロデューサーがついていたようなもの。持つべきものはご意見番、そして、その声を直しにつなげる意志と腕。

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