消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1905年11月30日(木)

もうこれでENDに
次々と洗い出せばキリがない
秋は一時
秋の日は短い
暖かな陽射のうちに
かるく並木を歩くといいよ
ここから見れば ほらあの樹
少し華やかになりました


1905年11月29日(水)

長い間考えていたことを
今日ぱっと行動に移した
躊躇う時間を作らなかった
大きな買い物ではなかったけれど
肩の荷がすかっと失せて
前と全く変わらない暮らしに戻る
どこかが変更された違和感など無く
すっと馴染んでいる
頭にずっと考えていた時間って
何だったんだろう


1905年11月28日(火)

少し力が抜けてしまった
どうでもよくなりました
貴方がスローでゆくのなら
わたしが頑張ることもない
そのうち何時か会うでしょう
暫く知らん顔でいましょうね


1905年11月27日(月)

荒れ果てたまま時が経つ
何の成果も成し得ぬまま
葉は落ちてゆく

風が乾いてきましたね

一つの便りはかさりと届く
温もりの無い音をたて
知らぬ間にポストに落ちる
きっと寒い部屋で書かれたのでしょう
凍えた夜に帰宅して
何時間もそのままで


1905年11月26日(日)

夢で出会った彼女は
二十歳のままの顔なのに
大人の息子が三人いて
今おなかが大きくて
今度は女の子ね と私が思っている
そんな不思議な光景
どうして彼女がこの町を歩いているのか
分からなかったけれど
にこやかな彼女を見て
わだかまりが消えたかもしれない


1905年11月25日(土)

すがしい人がいい
どんな時もどこにいても
何かに決着をつけられる人

ぬくもりのある部屋がいい
カッコよさでなく

清しくありたい
ぬくもりのある部屋にしたい


1905年11月24日(金)

オリオンの流星は見えただろうか
開ければ星が見えるのに 
閉じたままの天窓は
鏡になって沈んだ顔を映すだけ


1905年11月23日(木)

悲しい顔を残したくないのに
複雑な想いを記録したくないのに
思い出したくないだろうと思うのに

写真に入りたくないのに


1905年11月22日(水)

やさしい言葉づかいだと
よい人にみえるよね
自分のことばかり言ってるのに
ひとのこと 全然聞いていないのに
だから 苛々します
あなたのはなし
何かの着メロのCMみたいだ


1905年11月21日(火)

苛立ちを押さえ込めない
隠そうとできない
ひとの過ちを許せないでいるから
だから離れているしかない
ぶつかりたくないから

ひとの居るところへ出かけたくない
顔に出ているから
にこやかに挨拶できないから


1905年11月20日(月)

誰かに気を使っては
結局 他の誰かを傷つけて
そして又気を使って
そんな繰り返し 止めればいいのに
公平にしようとすることが
不公平になってゆくのに
感情は元々不公平で均衡がとれているのに
ムリに公平を作ろうとするから
歪な感情が生まれてゆくのに
ナンニモわかってないあなたのホホエミ


1905年11月19日(日)

いつも怒ってるって?
別に怒っていない
つまらないだけ
そうつまらないから怒ってる
つまらないのはアナタで
だからアナタに怒っている
そういうこと


1905年11月18日(土)

機械は賢いようでそうでなく
何時になれば区切りがつくの
一喜一憂のナンバーが並ぶ
あなたへ無限の贈りもの


1905年11月17日(金)

信じられないほどに雨
いつもいつも
降るのが自然なのか
止むのが恵みなのか
でも走ったね
愉快だったよ


1905年11月16日(木)

自然消滅の
オナガレの
幕引きの

そんな願いだったかもしれません

もう止まれ って


1905年11月15日(水)

やっぱり 
そうなると思った
だから嫌になる
首飾りの糸は切れて
落ちた珠は四方にはじける
どこかに転げて見えなくなる
もう元に戻らない
皆そう


1905年11月14日(火)

銀の森を
真っ直ぐに突き抜けてゆくお嬢さん
どんな眼をしているの
怖い眼で睨んでませんか


1905年11月13日(月)

あなたが生きてるかどうか知らない
一応 声はかけたわ
でも返事はいらない
わたしのことは
さわらぬ神に祟りなし 
と思ってくれていい


1905年11月12日(日)

親子猫をよく見かける
棲家はどこなんだろう
やんちゃな子猫たちを引き連れて大移動するのは
大変だろうね

前にTVで 猫に優しい町というのを見た
老いた野良たちがゆったり生きている町そのものが
のんびり見えた ほんとうに人が優しいのだと思う

野良の子猫たちが無事育ってほしいと思うのは
無責任って言われるのでしょうね
でもアニマルセラピーがホームなどで行われる時代
町全体のセラピーだと思うんだけれど
野鳥はよくて猫はダメとか やたら掴まえて手術とか
儲かる種類をブームにして殖やすとか
人間の勝手ばかり
猫はもともと家で飼うもの?
それとも自由に外へ往き来するもの?
私は 道を歩く猫や 
屋根や塀で日向ぼっこしている猫を見かけるのは
とても幸せな気持ちだけれど


1905年11月11日(土)

トーストにチョコレートクリームをたっぷりつける
ぶどうパンのトーストならバターをたっぷりぬる
食事でもおやつでもなくてエネルギー源
ダイエットにはならないけれど
気持ちは安らぐ
心のエネルギー源かもしれない
さてがんばろうかな と思える
あとは熱い飲み物


1905年11月10日(金)

ココロがツライひとに対して よく
自分の心に正直になって と言われる

幸せになる一つの手立てだと分かる
でも最近その巷にあふれるアドバイスに疑問をもちます

自分に正直になることって
自分の気持ちをイージーにストレートに相手にぶつけることなんだろうか

願うのは幸せだと思うけれど
それで幸せへ進めるのだろうか

「正直になる」というの ビミョーなかんじ
「素直になる」というのが ぴったりくる
それは「自分に」ではなく 
他者ALL 自分を含め自分を取り巻く万物に
素直になれてこそ 幸せを感じられるのだと思う
素直というのは ココロをやわらかくということだと思う

たぶん
幸せって 掴むとか 見つけるとかでなく
感じるものと思う

本当の意味で 相手を思いやることのできる人ならば
たぶんココロがツライ状態にはならないだろうし
幸せを感じるこころを持っていると思います

他者へ思いやりの心をもててこそ
自分の心が幸せになるのだと思う

宗教や信仰を持ち出すつもりもないけれど
語り継がれる昔話や信仰の 
畏怖だけでなく そういうところが
人を支えてきたように思います


1905年11月09日(木)

夕べ見たのは幻か
神様がくれた夢か

あの子猫たち
今夜はいなかった


1905年11月08日(水)

わざと曖昧に
大きく広げるんだね
はっきりさせない手法で
こちらの想像力を
必要以上に広げさせて

それで
何かいいことあります?
お偉い方々のお仲間的存在になれました?
単に自己満足だけに終わりませんか
いつもがっかりさせられる

失敗に終わりませぬように


1905年11月07日(火)

いのちは輪廻するんだね
いろいろの尻尾
ちいさな命たちに笑顔する
ちゃんと大人の真似ごとしている
そうやって素早く走って
いのちを守るんだよ


1905年11月06日(月)

一斉に同じ向きってのも
理解できなくて馴染めない
自分を真似させるだけの先生には
ついてゆけない
はみ出す人のいない集団も
ちょっとつまらない
創造の世界なのでしょう?


1905年11月05日(日)

捨てる作業より
やっぱり
拾い上げ
掬いあげる作業のほうが
ほっとする

収拾つかなくなるけれど
何にでも 命あるもの
甦るなら嬉しい


1905年11月04日(土)

凍えてしまった月橘
立ち直るかな
願を掛けた

あのこに出会えたら
月とよぶ
silkでもいい


1905年11月03日(金)

なんだかヤケになって食べている
家にあるもの 片っ端から
何をするのだっけ?という気分
何にヤケと言うのでもないけれど
小さな穴が 少しずつ大きくなって
居たたまれない
いつか猫と暮らしてみたいかもしれない
思い切り抱きしめて


1905年11月02日(木)

小さな猫をみかけませんか
思わず声をかけたくなるけれど
野良だもの
何処へ行ったかわからない
元気でいてと祈るだけ
辛い目にあわないよう願うだけ


1905年11月01日(水)

死にたくなくても
もう死ぬのだなと分かりながら

これで死ねるのだと安堵するときでも
でももう少し生きたかったと思いながら

死ぬことはやはり悲しいなと
閉じた目から一すじだけ涙を流して

そうやって静かに死んでゆきたい
わめくつもりもないし
悲しんでももう仕方ないだろうし
満足なんて有り得ないから

死ぬということの辛さだけ寂しさだけ
わかってくれればいいです
それが弔いだと思う

そして けろっと忘れてください




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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