バチが当たったのさ ひとをダシにして 有頂天に浮かれ騒ぐから
私の厄を引き継いだのさ
ドウモアリガトウ
子どもの展覧会ではないのだから
画家の絵をみたとき それが大人の絵かどうかを思う 人としての大人が描いたかどうかを感じる
その画家の 名前も作品も初めて知った はじめ衝撃を受けたけれど いくつか見て飽きてしまった もっともっと見たいとは思わなかった
もちろん 画家の評価をしているのではない あくまで個人の感性の問題 単なる好き嫌いの問題
そして以前にも同じようなことがあったと 思い出した
人気作家らしくて コーナーに画集が何種類も置いてあった 手にとってはじめ魅力的だったけれど 途中でいやになった
美しいと評価されている絵なのに 美しく思えなかった その絵を買って眺めるひとたちの眼差しを 筆を持つ人の眼差しを 美しく想像できないのだ そこでいやになる
画家はその絵に情念を注ぎ込むだろう 注ぎ込むのであって 絵を自分に向かせることではないと思う
画家に視線を向け続ける絵は好きでないし 自分に視線を向ける絵を描き続ける画家も好きになれない それは大人の絵ではないように思う 纏わりつくような視線を感じるものは嫌いだ 芸術という感じがしない
アブナイアブナイ もう少しで載せてしまったかも
途中で言葉に詰まったのは どこかに躊躇いがあったから 何処をどう伏せるか逡巡したから
それは結局 書くべきではないということ 削除すべきということ
気づいてよかった 取り消してよかった
子どもの難読名が急増中という記事で
あまりに奇抜な名を考える親は、 名付けという行為で自分の力を 実感しているようにも見える。 名が表すのは、子どもの 本質でも、その未来でもない。 名前とは親を知る手がかり。
命名研究家のそんな言葉があった
そしてふと思い出した 誕生日とは自分の生まれた時のことを思う日ではないか と以前思ったことを 親たちがどんなにその日を待ち 喜び安堵してくれたか その思いにいたる日ではないかと
自分のもらった名前もそこに繋がるのだと思う
親を知る手がかり その言葉の重みを思った
閉じこもる冬があけて 春が来たと実感すると 家の中を広々としたくなる 部屋を開け放ちたくなる
片付けごとを始めると 冬のあいだに溜め込んだ ものの多さに気づく どうしようかと迷うまま とりあえずそのまま に なっていたものたち
春に誓うことは 溜め込まない 残さない 少しのものを 愛しんで 大切に 使い切る
用があって 古いアルバムを開いた
そこに 貴女がにこやかに笑っている
いまの私は
笑えない
冬のような風が 何日か続いたけれど
今日やっと 春らしい嵐 あたたかな風が吹き荒れた 風が止まったと思ったら 雨になった
寒さのあとやっと春になって まだ少し寒かったりするけれど 陽ざしはあって
クリスマスローズは咲き乱れている 一重の山吹も愛らしく咲いている 八重のはまだ蕾 スミレもそこかしこにしっかり咲いている オオヤマレンゲも咲いていた 雪柳は零れるほどに満開 モクレンは散り始めた 杏も終わり スモモは葉になってきた 青木が地味な花をつけ ニワウメもニワザクラも蕾があかくなって るりはこべも咲いていた 野苺を少し移した 薄紫のイカリソウがさわさわゆれて 春欄の蕾もあがっている
あと何をみつけたかなぁ 庭にずいぶん居た
あぁそうだ 紫の沈丁花が香っていた
最近気になるある俳優さん 今までそれほど興味なくて 名前は知っているけれど顔が浮かばず 顔を見ても名前を知らない という感じ その人の出る映画もドラマも 有名であっても見たことがなかった
それが最近CMでよく見かける ある時ふと気づいた あの頃のキミに似ていると
そう思ってから見ると 目元眼差し雰囲気 似ているように思う
というより 思い出させる
それからは CMや番組で見かけるたびに なんだかニンマリしてくる
何とはなしに嬉しい気持ち ほのかな想いのわたしがいる あのころのわたしがいる
幼稚園へ向かう親子の会話が 垣根越しに聞こえた 聞いてるの? と おかあさんが 注意している風 (怒っているのでなく 言い聞かせている風)
「聞く」と 「聞こえてる」は違うのよ 耳があるなら誰でも聞こえるのよ 心をいれて聞くのが聞いていること ちゃんと心を向けなさい
というようなことを
まあ、なんと立派なおかあさんだ と感心してしまった でも子どもにわかったかなぁ
女の子の声だったけれど きっと聡明な子で理解できたんだろうと思う
自分の言動を 心底はずかしく思った 自分で自分を恥じた 人前ではないけれど 軽はずみな愚かな行動だった 礼を欠いた振る舞いだった 傍若無人に近い 口は災いの元
肝に銘じて深く反省しようと思うのがいいのか もう忘れてしまおうと思うのがいいのか
緑の眼の うさぎに託すよ
夜 部屋に不思議な匂いがして それは昼間に切ってきた 二輪のモクレンだった
大きく開いていた
マグノリアと呼びたい香り
大きな梅の古木が塀際にある家 その下の道を通る時香りがおりてくる
オーロラのように 通り抜けたとわかる瞬間がある
雨があって 明るい日があって あたたかな日があって 一斉に咲き出した
杏もスモモも 雪柳も木蓮も
待っていたよ きみたちを
ふっくらとやさしい色の 杏の花を見ていると 目元がやわらぐ 優しい気持ちになってくる 梅とも桜ともまた違う
青いヒヤシンスがきれい
雲ひとつない明るい青空 通りから見る大きな梅の木 やっと開いた 濃いピンクが空に映える
冷たい風が強いけれど 光に満ちた庭々 どこからか沈丁花
春の力に満ちて
その写真を見るまで anemone のこと 忘れていた
春のはなやかさを
風なのに キンポウゲなのに
いつのまにか 心から抜け落ちていた
そのことに気づいた
細道に沈丁花が香りはじめた どこかの生垣をぬけてくるのだろう うちのは遅れている まだつぼみ 杏を待っている
通りすがりの玄関脇に 白梅の盆栽を見かけた たなびく雲のような形 その空間がきりりとして美しかった
悲しみと 荒ぶる気持ちを 身体中からこそぎ落として
痩せ衰えたい
あなたのように
いったい国はなぜ進めないのだろう とにかく早く地元に 焼却設備をいくつも用意する 地元側も望んでいるのに 一年も経つのに
街並みの復興は 瓦礫が消えねば進まないのに
神戸の時も同じほどの量だったという でも外に出さず処理したという 集め集め集めひたすら処理し続けたという
他府県に運ぶのも 連帯かもしれないけれど ガソリンも人手もかかる そのお金と労働を地元へ回せないのだろうか 地元に雇用を生めないのだろうか
ずっと言われているのに 国の何がブレーキをかけているのだろう 地元以外の利益の取り合いに 耳を貸すときではないはず
そのふたりを 姉妹と思ったけれど 母娘かもしれない それなら感じがかわる なおうれしい 燃える赤も 夕陽かもしれない 静かな夜を迎えるのだ
今日はかりんの湯だった とてもやさしかった
日向水で遊んだ遠い記憶の お日さまの匂いがした
陽の下の露天風呂のような 意味のないゆるさで
初めてCHESSをした おもしろかった 駒の立ち姿が好き
その時刻 館内アナウンスがあり 黙祷をささげた
誰もがその場に立ち止まって しずかになった
さまざまの事思ひ出す桜かな 芭蕉
この時季になると必ずどこかで目にする 今春の初はカタログの表紙 和菓子の写真に添えられていた
この国のこころだと思う 春の拠り所だと思う
うれしいこともかなしいことも わたしたちは仰ぎ愛で散らすことができる うつくしく昇華させ エネルギーとして浴びながら
ふと思う 夏の打ち上げ花火も似ているかも
宇宙の妖精とオーロラを 次々に見た
かたやハイテクハイスピード 科学の力を駆使して 宇宙の謎を解明すべく
かたや全くのローテク 犬たちと雪原を進み 震えながら体感する 天空の神秘
私たちはどちらでもない生活 映像だけを楽しむ
君も始動した わたしも頑張ろう 春になるのだ
通りの空気にはっとする すっきりした香り 見上げると 大きな梅がほころんでいた 自然の香りは本当にここちよく強い そのときには必ずひとを振り向かせる 寒さの中にあたたかさの兆し 光が見え始める
欲望をふやすな 地に渦巻くだけだ
夢をふやせ 希望をふやせ 胸ふくらませ 心躍らせ空を見よ
カラフルな生命力を 思い出せ
なんといっても 神秘がいいのだ 神秘が好きなのだ ひとだって何だって
謎めいたのが好き
|