消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1928年12月31日(月)

一年ごとの大がかりな件も無事終了
今年はとくに肩の荷が重かったので
大きくほっとした

それで思った
次はもう少し軽めにいこう
もっともっと肩の荷を下ろしていこう

いろんなことを
自分に背負い込みすぎてるのかも
もう少しフリーにいっていいのかも

そう思ったら
なんか楽しくなってきた


1928年12月30日(日)

風を切って走る
気持ちよくて楽しい
ほんとにそうだね

逆風だとか向かい風だとか
そんなふうに捉えないで

風の中を 風を切って
ただ進めばいいんだね


1928年12月29日(土)

道具というものは
やっぱり重要だ

さすがに100均のとは違うと思うけれど
メーカーが作ったものなら
どれでも同じようなものだろうと思っていた

でも同時にいくつかを使い比べてみて
おぉ!? となった

結果を出してくれるものって
見かけは同じに見えても微妙に違う
そこが企業の開発結果なんだろうな

あっぱれ と思った


1928年12月28日(金)

ベビーケープの私を抱いて

草のうえに座って微笑んでいる

若き日の母

少し緊張して見える


アルバムの中の大好きな一枚


1928年12月27日(木)

自分に誇りをもって立つことは
大事なことと思うけれど
自慢することでもないと思う

自分の値打ちは自分で決めることでなく
周りが決めてゆくことだと思う

自分で自分に誇りを持たずに
自分の値打ちを高く評価させたい人って
何なのだろうなぁ

人をいたわらず
自分がいたわられたいだけの人かも


1928年12月26日(水)

ヌートバー選手が出てるCMを初めて見た
え?CM 出てるんだー 
出てて当然だよねー と思った
そしてママも出てて
微笑ましかった
懐かしい気がした


話題の「愛してろ大谷 ♡♡♡」のプラカード
ものすごく丁寧に書かれていて
一生懸命さが伝わってほっこりする
日本語で伝えたくて頑張ったんだろうね
きっと るがろになっちゃったんだね
でも大丈夫
大谷選手大好き!!! って
ちゃんと伝わってるから
なんか ありがとー って思う


1928年12月25日(火)

気温と湿度とお天気に
衣類がばっちりストライク

蒸し暑くも肌寒くもなくちょうどいい
そしてさわやかな空気がまとう

着ている感覚がないほど
動物のように裸な感覚

雲のない五月の空


1928年12月24日(月)

言葉はどこにでもある
昔の童謡や唱歌の歌詞の素晴らしいこと
外国の詩の日本語訳詩の素晴らしいこと
記される有名な文学者や詩人たちの名前
日本語の美しい言葉遣い

だから
たくさん歌を歌ってみてください
たくさん詩を朗読してみてください
しみじみと日本語が満ちてくると思います


1928年12月23日(日)

近頃

自信もなく覚悟もなく

諦めと用心深さが増えてきてるのは

精神の老化だな


1928年12月22日(土)

変更になって

行程が新しく三つ増えた

(確実にするなら四つ)

めんどくさ!と思ったけれど

慣れたら別にどうってことなくなった

普通にすいすいできてる


よし


1928年12月21日(金)

期待したけれど
翻った
そういうものなんだ

何かがつながった
そう思ったけれど
思い違い

私なら 
元気です


1928年12月20日(木)

やっと並んだ

やっと気持ちにキリがついた

行列もたった一人も

同じこと


1928年12月19日(水)

探していたものをみつけた

探していた というより

目星をつけていたところに在った


母の日に贈るもの


1928年12月18日(火)

飛ばしたシャボン玉はいつかはじける

放った風船はいつかしぼんで落ちてくる

何に思いをのせますか

風にのる綿毛はどうですか

いつかどこかで芽吹くでしょう


1928年12月17日(月)

あまりにたくさんの案を抱えて
次のプロジェクトの
方向が決まらない
頭の中がごちゃごちゃで
デザインがまとまらない
時間に追いかけられて
イメージがばらける
風船が破裂寸前な感じ
もっと捨てて整理しないと
筋が見えてこない
道を引けないよ


1928年12月16日(日)

くすっとして

それから あっはっは


それが大愉快ということ


1928年12月15日(土)

バイカウツギがきれいで見とれる

剪定で花の咲く位置がかわり

去年は花嫁に見えた

今年は女の子の妖精

白いふくで素足の子

白い花冠をのせて

少し俯いて

すがすがしい五月


シシリー・メアリー・バーカー のイメージ


1928年12月14日(金)

その人は
自分のしたいことを探らずに
評価を気にしているだけ
評価されたいだけ

自分のみじめを払拭するために
権威あるものに依存するんだろうか
というか
権威とか地位というものに媚びてみえる
つながれば自分も同列と錯覚するんだろうか
気取りにすら感じる


ふと
臆病な自尊心と尊大な羞恥心
という言葉を思い出した


1928年12月13日(木)

泣きたいことがいっぱいある
でも泣かないでいる

ほんとうは泣きたい
でも泣けずにいる

泣いてはいけないと
思っているから


1928年12月12日(水)

高みにのぼって見晴らすと

見え方がかわるんだよ

それだけで未来が変わる気がする


1928年12月11日(火)

但し書きを添えることは
ある意味けっこう大事なこと

自分の思い込みだけで
周りには通じていないことも
多々あるものだ

親切であることは
無駄なトラブルを避け
大きな時間短縮になるよ


1928年12月10日(月)

明らかに
違う道

思い出してよ
その道じゃないよ

そちらへ行くと違う村
明るい集まりは狐火で
家の灯 あかり は小さくほんのりだと

じいちゃんが言っていた
だから化かされるでねぇぞと


1928年12月09日(日)

遠くへ放り投げて手放したもの
犬なら取ってきただろう
私は走りもしない取りにも行かない

草むらに紛れて時が経ち
雨に朽ちて跡形もなく
すでに土になっただろう

風に舞い
雲になっただろうか


1928年12月08日(土)

わがまま放題に育ったわけではないけれど
押し付けられて自由なく育てられたわけでもない
したいことをさせてもらった

贅沢な暮らしではないけれど
精神的には贅沢に育ったと思う
何の不服もない

道を決められていないということは
自分で選んで決めてゆくこと
そういう生き方を教えられてきた

なのに今
夢に手を伸ばさずに
手探りの不安ばかり掴んでいる


1928年12月07日(金)

毎日同じ言葉で
元気をくれる
それは私の
日めくりカレンダー

感謝の気持ちを
天へ届ける


1928年12月06日(木)

自分を忘れかけて 
というより
自分から離れかけて

それでじたばた
苛々してたのかも

自分流を見つめ直せば
穏やかにいられるだろう

それはほんとに自分流?


1928年12月05日(水)

体が自然に動くって
すごいことなんだなと思う

リハビリのストレッチで
お手本は反対側
どうやって動いてるか
どこでどれぐらい曲げてるか
どこに力が入って
どこが脱力しているか
よーく見て真似るけれど
変に力が入って固くなる
脱力がむずかしい

何も考えずに自然に動くのが
当たり前に思ってるけれど
すごいことなんだ


1928年12月04日(火)

パワースポットに詳しい人が
近くに居たのだけれど
職場が移ってしまったので
もうそういう系の話を聞けない

信じる人にはご利益がある
自分の体験談や写真をもって
そう力説していたけれど
裏付けたかった


1928年12月03日(月)

夕映えではなく

その少し前

まだ空は明るくて

まばゆい金いろの世界が

とても美しかった

公園を風が静かに通っていた

木々の葉が金色にちらちらしていた


1928年12月02日(日)

結局のところ
苛立ってつくったものには
苛立ちが出てしまっているということ
それを感じてまた苛立つということ

穏やかな気持ちでつくりたい
追憶として
いい時間だったなと思えるものを


1928年12月01日(土)

経年劣化かと思ったけれど
毎日だいたい丁寧にメンテして
少しずつ明るんできた色
なんかとってもうれしい
エンドレスな遠い道のりに思っていた
結果など出ないかもと思っていた
でも少しずつでも
ずっと続けていたら
何かの変化は出てくると分かった
そのことが嬉しい




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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