消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1928年04月30日(月)

恵方巻というのを
今年からやめることにする

あの食べ方ってホントに意味あるのか
業界に踊らされてる気がするし

だんだん豪華になると
食べにくいだけで
味もごちゃごちゃ
喉つまりそう

節分(年越し)そばにシフトする
昔からあるらしいから


1928年04月29日(日)

かかわらないはずだったのにね

教祖様の勢力拡大が本格化してきた

大日本という感じ

遠く息がかかるような感じ

先はどこまで続くのか

信奉者の人たちも大変だね


1928年04月28日(土)

TVでよく見る
山歩きやキャンプの定番
器具を持ち運び 
こだわって淹れる一杯
至福の時間 らしい
おもてなしでもあるらしい

私はその味を知らない

マグにインスタントの粉を適当に
それでOK と思ってる人間

至福の時間を持つことがない
どうすれば持てるかな と
考えてみたけれど

夕空や夜空を見上げているときが
そうかもしれない
時間を忘れるから


1928年04月27日(金)

雪原には点々と生き物の足跡
ふわりと真っ白な屋根の雪には
鳥の跡すらない

日が射してきて
きらきらして
そしてとけだした

降り積もった雪は原点を思わせる
真っ白な原点は出発点

私の胸に
涙をあふれさせたものたち
勇気を奮い立たせたものたち
ともにここまで歩いてきた


1928年04月26日(木)

春の野に出よ

春の詩(うた)にある

雲雀に逢いにゆけ


たとえ運が無くとも

青空にはしろい雲


1928年04月25日(水)

検査があります
どうでしょうか
何といわれるでしょうか
ドクターストップを
早くといてほしいけど


1928年04月24日(火)

ルーティンになってる意識をそらすために
新ルーティンを考えてた
考えを固定しないことと
考えないというルーティン

それは
その意識に目を向けない
目をつぶるということで
無の境地になるわけ?
座禅みたいな世界?


1928年04月23日(月)

ゴマフビロードウミウシ

TVで初めて知った

かわいいねぇ

白うささん

水の中なのに

なんでふわふわに見えるんだろう

実物をみてみたい

水族館かなぁ


1928年04月22日(日)

のら猫に負けずに花を守りたい
水仙のあとに続くのは何だろう

規制がゆるんで
どこか安心し始めた

行けなかった所へ行けそう
いろんな花を見に行きたい

コロナ前より
活動意欲が増した


1928年04月21日(土)

めったに積もらないけれど
夜半静かに降り続け
白く積もってゆくのを見ていると
太郎や次郎を思う

きっといがぐり頭のやんちゃで
綿入れなんかを着てるんだろうな
ぐっすり眠っているんだろうな

三好達治が好き


1928年04月20日(金)

いつの間にか身についてしまったルーティンをやめて
毎回変化させることを新ルーティンとする

その場に立つといつも同じことを考える
その条件反射的なルーティンを解いて
毎回違うことを思うことにする
そのルーティン化

それより何より
そこで何も考えない
というルーティンにすればいい


1928年04月19日(木)

あとのばしにして
早くとせかされる
考えてはいるんだけれど
決まらないだけ
時間をたっぷり使って
足らなくなる
でもそんなに気にしてない
ソーイングさんにもいたよね
よく時間切れのひと


善は急げという言葉を思い出した
今の自分に抜けてる

急がば回れとか
急いてはことを仕損ずるとか
慌てる乞食はもらいが少ないとか
損して得取れとか
そんな教えはあったけれど
今は言い訳

善を急ぐためには
まず善を選択してないといけない
その基準でいこう

善なことを早く選んで急ごう

しばらくキーワードは
善は急げ


1928年04月18日(水)

知らないことは知らない

知りたいことは知りたい


知りたいことがなくて

人は生きてゆけるのだろうか


1928年04月17日(火)

ずっと引っかかっていたこと
おかしいと感じてたこと

その人のいうプライド
なんか違うと感じるわけがわかった

それはただの見栄なんだと

自分の見栄を
プライドと言ってるだけだと

やっとスッキリした


1928年04月16日(月)

自分の決めたルーティンに
引きずられてる

意味ないから
変えてみよう

ゆる〜いルーティンに


1928年04月15日(日)

それをお気に入りと
信じていられる間は
ずっとしあわせ

気持ちが薄れたら
また次のお気に入りを
みつければいい

信じるものがあれば
いつも信じていれば
きっとしあわせな気持ちでいられる

お気に入りをいくつも思い浮かべる
そんな歌があった

今水仙の香りがした


1928年04月14日(土)

しあわせ色のクリスマスローズの写真と
--「私のいちばん」が、きっと見つかる!-- というフレーズ

その表紙に久方ぶりにびびっときた


残念なことが続くと・・・
そう・・
辛い、苦しい、悲しい、悔しい、腹が立つ、不幸・・
そういう言葉ではなく
気持ちを切り替えればいいだけなら
残念という言葉を使えばいい
言葉の力でいける

残念な気持ちから抜け出すためなら
お気に入りをみつければいい
好きな色や 好きなもの
最近お気に入りを忘れてたよね
そのことを思い出させてくれた


1928年04月13日(金)

バイブルがほしい

今バイブルとなる本がほしい

昔の本でもいい

静かな夜に探している


1928年04月12日(木)

指先まで凍える風だけれど
どこかに春が近づいているような
陽ざしはきらめき明るい

でも油断は禁物 
ほんとの寒さはまだまだ

ドクターストップで諦めはつけているけれど
植木鉢は寒々しい

また春になったらね


1928年04月11日(水)

己をオープンにするといいつつ
黒歴史とせず美化してゆく
それもその人のいうプライドなのだろうか

自分育てを何十年もしてきたはずのオトナが
親譲りであろう元ヤン気質を爆発させては
言い訳を考えてる

ひとは死ぬまで自分育てだと思うけれど?


1928年04月10日(火)

一番咲きの水仙を切ってきて
一輪挿しに

春の彩りの外国のとは違う
白の凛とした姿が好き
日本の冬の姿勢

今日は大寒波で
雪を少しのせていた


1928年04月09日(月)

六つ色の春の夢を

一人で完にする

淡雪も薄紅の梅も

幻となる


1928年04月08日(日)

にぎやかなドッグイベント

犬たちも愉快で楽しい

寒くてもわくわくする

君はカイロをもって


1928年04月07日(土)

ビビらずに 
フツーに 
暮らしてゆこう

ずっと付き合ってゆく
自分のからだ

今までぞんざいに扱っていた
おくすり手帳
おしゃれポーチに入れた
きっと気分が晴れる


1928年04月06日(金)

ずいぶん静かな夜を過ごせている

ずっとはダメだろうけれど


昨日は雲が多くて諦めた

今夜はどうかな

ZTF彗星を見てみたい


1928年04月05日(木)

好きな人のエッセイなら読む
一緒に旅したり散歩したり
のんびりおしゃべりしている感覚

でもフィクションか私小説かわからないものは
読者に対しての立ち位置が中途半端な気がして
読まない

今までにもらった数冊の自費出版の書籍
恩師や先輩や友人や近所のひとから
自分史、回顧録、手引書、写真集、歌集、句集・・
宝物の集大成として形になったものたち
どれも考え抜いたであろうタイトル
中の一片ずつを知っているので
愛おしさがある
後日出版社から出版されたものもある

自費出版が価値が低いなどみじんも思わない
みんな宝物たちだろう
みんな資金を工面したと思う

宝物にしたいなら自費出版すればいいし
評価されないなら出版には至らない
そういうものだ

その人は
何をそんなにこだわるのだろう
プライドって何?
賞がほしい? それで飯を食いたいってこと?

私が読みたいのは心に灯りがともるもの
ただそれだけ
テーマのないどろどろ系私小説は
たとえ話題作でも敬遠する

買う買わないは個人のものさし
作者が欲しがる評価とは別もの


1928年04月04日(水)

手をそえるということ

動物番組で相葉くんが
保護犬のシャンプーとトリミング
いつものような野犬と違って
今回は一応は飼われていたおとなしい子だった

相葉くんの作業中
店長のプロトリマーさんが
そっと犬の口元に手をそえたり
耳をふさいであげたりしていた
ものすごく優しい手つきだった
相葉くんは気づいてないだろうと思うほど
さりげなく静かにそっと自然にソフトに

暴れない子だから抱きかかえる必要がなく
だから手が使えたと思うけれど
作業のアシストとかサポートとかいった感じでなく
犬が安心できるように犬にそえた手だった

その手のアップを見ていて思った
手をそえる って
愛情に満ちた行為なんだなぁと

いろんな場面で
機械的に差し出される手も多いと思う
でも
手を添えるって
本来こういうことなんだなあと思った
とても大切な動作だと思った

自分はそうしてるかなぁ
無雑作だろうな


1928年04月03日(火)

童心に帰る ということば
とても大事なことだと 最近思う

無邪気に小さな子のあそびに
夢中になって遊べるなら
小さな子どもを乱暴に扱ったりしないだろう

童心に帰れるから
人は小さなひとを慈しめる
童心に帰ることの意味の大きさを思う

オトナの着物を脱いで
童心に帰って遊びませんか

大人はもっと童心に帰れ
子どもはもっと子どもでいよ


1928年04月02日(月)

今と未来を
愛おしむこと

明るいほうへ
心を向けること

木洩れ日も
たのし


1928年04月01日(日)

常識あるオトナの多い場でも
やっぱり荒らし的なのはあるようで
というか荒らす目的はなくとも
場を読めない人もいるようで
本来の常識的な人たちは敬遠してゆく
そういうことを憂いている人が
周りに担がれてなんかカリスマになってる
でも教祖様になってしまうと
結局対等なメンバーではなく
上下関係は必然的にできて
やっぱり変な感じに見えますけど?
どんな場所でも
その人の社会的地位を少し出したい人はいる
その典型に見えますけど?
フラットな場と思っていたけれど
う〜ん やぱりねぇという感じです
教祖様と仰ぐ人たちが群がってますね?
どうなるのかな・・




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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