2007年03月31日(土)  マタニティオレンジ102 保育園から美術と家庭科の宿題

保育園の面談時に手渡された「入園までに用意するものリスト」を見て、その量の多さにひえーっとのけぞったものの「まだ半月ある」となめていたら、あっという間に3月末。来週の3日に入園式、4日からは慣らし保育がはじまってしまう。8月31日に焦り出す小学生のごとく、おしりに火がついて母の宿題に取りかかる。やらなくてはならないことは、1)着替えと持ち物に名前をつける  2)シーツに名札を縫いつける。1)については、最初は刺繍を検討してみた。かわいい服に名前を書きつけることに抵抗があったのだ。だが、能力的に無理がある。名前があらかじめ刺繍されたチロリアンテープのようなものを買って縫いつけることも考えたが、こちらはオーダーから納品までに時間がかかり、間に合わない。

どうしようかと思案してたら、「みんなハンコでやってるよ」とご近所仲間で先輩ママのK子ちゃんからアドバイス。洗濯しても落ちないインクがあるという。ハンコならマジックで書くよりかわいいのでは、と飛びつき、ネットで検索すると、おなまえはんこを売っている『印鑑のからふる屋』で手作りゴム版画キットを発見。そういえば、妹のジュンコも「ゴム版は手軽にできて、ポンポン押せて便利よ」と自作の版画をポンポン押した手紙を寄越していた。ならばわたしも、とキットを購入。三角刀一本で小さな消しゴムを彫るのは至難のワザ、と実物を前に実感。漢字は断念、ひらがなも断念、フルネームも断念、カタカナで下の名前だけ彫ることに。でも欲張って、タマ印にたまごをデザインしてみよう、とゴム版初心者ながら無謀な思いつき。細かい部分はコンパスや爪楊枝でほじくり、限りなく「クマエ」に近い「タマエ」が完成。小学生時代から消しゴムでピーターラビットを彫っていた妹と、いきなり肩を並べようというのは甘かった。

早速オムツにポン、ポン、ポン。これは書くより早い。続いて、洋服にポン、ポン、ポン。生地によってつきにくかったり、にじんだり。洗濯タグはつるつるしているので、比較的きれいについたのだが、「アイロンを綿の適温で15秒以上かけてください」というインクパッドの指示に従い、押入れの奥で永い眠りについていたアイロンを引っ張り出して当てていると、ジュッという不吉な音と共にタグは溶けてちりちりになった。洗濯タグって溶けるのか、と呆然。ならば、と服の裏面に押し直すが、なかなかうまくインクがつかず、出来損ないのタマエ卵がゴロゴロ転がり、非常に美しくない。これなら油性マジックのほうがマシだったか。

シーツに縫い付ける名札は家にある端切れで、という指示。普段裁縫をしないので、わが家には端切れは存在しない。ピエールカルダンのよれよれの紳士ものハンカチがいちばん白に近い布だったので、それを切って敷き布団用とかけ布団用の名札を用意。ハンカチを使ったおかげで、四辺のうち二辺を折り返さずにそのまま使えた。慣れない針仕事で何度も指を突き刺したが、18×25センチの名札を二枚、1メートル72センチの距離を縫ううちに多少上達。防災用服(地震などがあったときのために園に保管しておく厚手の上下)用の名札づけは比較的すいすいと進んだ。美術をやったり家庭科をやったり、母親っていろんなことを要求される。

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2005年03月31日(木)  「またたび」の就職活動生
2004年03月31日(水)  岩村匠さんの本『性別不問。』
2003年03月31日(月)  2003年3月のカフェ日記
2002年03月31日(日)  レーガン大統領と中曽根首相の置き土産
2001年03月31日(土)  2001年3月のおきらくレシピ


2007年03月30日(金)  生涯「一数学教師」の父イマセン

大阪の高校で数学を教えていた父イマセンは、今日で41年間の教師生活にひと区切りをつけた。工業高校に着任した新米教師の頃は兄貴のような存在だったというが、今では「おじいちゃん先生」と呼ばれている。4年前に60才で定年を迎えたが、最後の赴任校に留まり、講師として教壇に立っていた。父の日記には「いやなことより楽しいことのほうが多かったように思えます」とある。娘のわたしから見ても、父は実に楽しそうに、生き生きと教師をやっていた。教師というのは理想に燃えた人たちであるから、意見や方針の対立でもめたりこじれたりということは多々あったのではと想像するが、父の口から仕事の愚痴や同僚の悪口を聞いた覚えはない。いい意味で欲がなかったのだと思う。こうあらねば、と高い志を追うよりも、今日も楽しく過ごそう、と肩の力を抜いて学校へ向かっているように見えた。

わたし自身は恩師のお子さんに会った記憶は数えるほどしかないが、父の教え子さんにはたくさん会った。うちに来てバーベキューをやったり、体育祭に遊びに行ったり。器械体操を習っていた小学生の頃は、たまたま父が器械体操部の顧問だった時期と重なり、練習に参加させてもらったりもした。幼いわたしにとってまぶしい存在のお兄さんお姉さんに「お父さん、人気あるで」「お父さんの授業、面白いで」などと言われて、おならとダジャレを連発する威厳のない父をうんと見直した。威厳のなさは学校でも同じだったようで、50代になっても60代になっても、「イマセン、かわいい」と言われ続けていた。

教頭や校長になることにはまったく興味を示さず、年下の教頭や校長のことを「あっちが気ぃ遣うて、気の毒や」と愉快そうに言っていた。入った学生寮が学生運動のアジトになっていて、自然と闘争に巻き込まれ、「ネクタイ労働くそくらえ!」な気分のまま就職活動に突入し、教師になったという。そんな父は、「えらくなったら、ちゃんとしたカッコせんなあかんやろ」と言っていた。内心は昇進したい気持ちもあったのだろうか。だけど、一数学教師を貫き、教壇に立ち続けたことは父らしかったと思う。生徒を上から見るのではなく、生徒と同じ目線で接するのが自然な人だった。子どものわたしから見ても、「どっちが子どもなんだか」と思うような無邪気さが父にはある。小学生の頃までメーデーのデモ行進を何度か一緒に歩いたが、「行進の後に何食べよか」を繰り返す父に、子どもみたいだなあと呆れた。でも、組合活動もおまつりにして楽しむおめでたい性格は、うつってしまった。

体操部の後に山岳部の顧問を経た父は、テニス部の顧問になった。部活動の顧問は手当てがほとんど出ないのでサービス残業のようなものだが、テニスが趣味の父は休日も喜んで練習や試合や合宿に出かけていた。夏休み期間中、教師が一緒ならプールで泳いでもいいと言われた女子生徒たちに「イマセン一緒に入って〜」と頼まれ、キャピキャピ水着ギャルに囲まれて水遊びを楽しんでいた(こういうシチュエーションにすんなり溶け込める教師は貴重だと思う)。定年後も名誉顧問の座を与えられ、「俺に買ったらジュースおごったる」と言って勝負を挑んでは、生徒たちに遊んでもらっていた。去年はテニス部のOBたちに誘われ、合宿をやっていた。「日本一楽しいオンライン高校」をめざす父のサイトイマセン高校には、父といくらも年の違わない41年前の教え子から、孫のような現役の教え子までが遊びにくる。生徒以上に学校生活を満喫し、学校を離れても声をかけてくれる生徒がいる。本当に幸せな教師だと思う。教師を父の天職にしてくれた同僚と教え子の皆さんに感謝したい。

父のギャグに二つ先の教室で笑い声が起こり、「今井先生、静かにしてください」と同僚にたしなめられたという逸話を持つ大声も、さすがに少しデジベル数を下げたが、数年前には授業中に前歯が吹き飛んで生徒を仰天させたというから、しゃべる勢いは衰えてないのかもしれない。授業中は白衣を着ていたが、学者風に見せる演出ではなく、筆圧が高すぎてチョークの粉が飛び散ったりチョークが折れたりして、スーツがチョークまみれになるからだった。「子ぎつねヘレン」と板書きし、わたしの作品を宣伝してくれていたらしい。教壇に立つ機会はなくなっても、父をイマセンと慕う教え子たちがいる限り、父は教師であり続ける。41年間おつかれさまでした。そして、これからも、おちゃめなイマセンでいてください。

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2004年03月30日(火)  鴻上尚史さんの舞台『ハルシオンデイズ』
2003年03月30日(日)  中国千二百公里的旅 中文編
2002年03月30日(土)  映画『シッピング・ニュース』の中の"boring"


2007年03月29日(木)  ターバン野口

読売新聞の青鉛筆というコラムに、千円札を折って作る「ターバン野口」なるものが人気、と紹介されていた。千円札って夏目漱石じゃなかったっけ、と言っているわたしは相当遅れているが、ネット上ではとっくに話題になっていて、発案者による公式サイト『ターバン野口の世界』によると、『お札DEおりがみ 公式「ターバン野口」のつくりかた』という本まで出ている。世間では、学食や仕事帰りの飲み屋で「これ知ってる?」などと言いながらワイワイ折っているのかもしれない。

諭吉(一万円札はこの人で合ってるはず)は留守がちでも、千円札ならたいがいの財布に入っている手軽さも受けている理由だと思うが、福沢諭吉でも樋口一葉でもなく「野口英世×ターバン」の相性の良さに吸引力があるのではないか。子どもの頃に読んだ伝記に載っていた南方系の濃い顔立ちが印象に残っている人は多いだろう。一瞬意表をつかれるけれど、ターバンを頭にのっけた姿には「ああ、やっぱり似合う」というしっくり感がある。他に「キューピー野口」「ベレー帽野口」「ピエロ野口」「ヘルメット野口」といったバリエーションがあるようだが、「ターバン野口」のインパクトと説得力には及ばない。

早速わたしもお札折り紙に挑戦。やってみると、なかなか難しく、折り曲げたお札がうまく頭に乗っからない。新聞に載っていたターバンは、お札の模様がボタンのように見えてターバンらしさを醸していたが、同じようにはいかず、巻きつかせるのが精一杯。試行錯誤の末、「1000」がアクセントのターバンが完成。

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2003年03月29日(土)  中国千二百公里的旅 厠所編
2002年03月29日(金)  パコダテ人トーク


2007年03月28日(水)  マタニティオレンジ101 ビクス仲間のレイコさん

3月は別れの季節。マタニティビクスで共に汗を流し、出産後はべビーヨガ仲間となったレイコさんは、4月からダンナさんの待つ徳島へ帰ることになった。ダンナさんの出張が多いこともあって、約一年の長い里帰りとなったのだけれど、おかげで共におなかを膨らませ、共に子どもを大きくしながら、じっくり友情を育むことができた。

この人と出会えただけでも妊娠・出産はもうけもの、と思える出会いに恵まれているけれど、レイコさんもその一人。目鼻立ちのはっきりした華やかな美人なのに、中身は肝っ玉チャレンジャー。哺乳瓶と乳首の組み合わせを片っ端から試したかと思うと、粉ミルクは棚に並んだ全種類を買って飲み比べ、最後に自分の母乳も味見して、「母乳がいちばん」と結論。以前『探偵内とスクープ』という番組で母乳プリンを作っていた話をすると、「卒乳制作で作ろうかな」と乗り気。この人の場合、口だけでなく、本当にやりかねない。自らを実験台にして、何でも「試して合点」してしてしまう。薬学部出身と聞いて、納得。専門分野だから薬のことはとても詳しい。ママ仲間から薬のレクチャーを受けることになるとは。

育児ストレスで母乳の出が悪くなったときは、本場・宝塚までひとっ飛びして大好きな宝塚歌劇を鑑賞。いい感動で母乳が回復し、「幕間にトイレで搾った」と携帯メールを寄越してきた。歌劇好きで、過激なレイコさん。マタニティ作品を書くときには、ネタにさせていただこう。徳島に戻ったら、出産前に入りなおした歯学部での勉強を続けるとのこと。歯医者さんになるかどうかは決めていないそうだけど、ネタ満載で普通に話していることが笑い話になるレイコさんが歯医者さんだったら、つい大きな口をあけてしまいそうだ。

最後のベビー&ママヨガのクラスに出た後、ランチをしながら、楽しかったね、これからも連絡取り合おうねと話す。「これ、記念に」と差し出されたのは、ビーズで編んだブレスレット。行動力はあるけれど手作りは苦手だと思っていたら、こんなものが作れるの、とびっくり。「ごめん。仲間だと思ってた」と言ったら、「子どもができて、こういうこと、したくなったんだよね」とレイコさん。ビーズ細工は初挑戦、本も見ずに自己流で作ったとは思えない出来。会うたびに驚かせてくれる人だった。東京はちょっと淋しくなるけど、徳島はちょっとにぎやかになるかな。

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2005年03月28日(月)  『ダ・ヴィンチ・コード』で寝不足
2003年03月28日(金)  中国千二百公里的旅 干杯編


2007年03月27日(火)  『子ぎつねヘレン』地上波初登場と富士フイルム奨励賞受賞

先週水曜日の3月21日、わたしが脚本を手がけた四本目の長編映画『子ぎつねヘレン』が地上波に初登場。しかも、21時からのゴールデンタイム。普段は水曜ミステリー9を放送しているテレビ東京のこの枠には昨年5月に放送された『ドクターヨシカの犯罪カルテ』についで二度目の進出となる。放送時間に合わせて本編を5分ほどカットしたと聞いていたのだけれど、正直、どこを切ったのかほとんどわからなかった。「獣医大学って看板、出なかったよね?」などとダンナと間違い探しを楽しみながら観たけれど、5分もつまんだ感じはしない。CMの入り方もあまり気にならなくて、これならテレビ版でも味わって観ていただけたのでは、とほっとした。劇場で観られなかった人から「やっと観れた」「よかったよ」という声が届く。録画して観る人が多く(オンエア時は『愛ルケ後編』を観てたのかも)、放送直後よりも2、3日経ってからの反響のほうが多かった。

公開時のお祭り気分に加えて、関連本も作れて、DVDにもなって、公開一年後にテレビ放送というイベントまでついてきた。作品をわが子にたとえれば、あの手この手で親を楽しませてくれるヘレンはとても親孝行だ。ちょうど先週、所属している協同組合日本シナリオ作家協会から著作権使用料の振込み通知が届いた。ドラマが再放送されたり、映画がテレビ放送されたり、ドラマや映画が海外に売れたりすると、作品に関わった著作権保持者に規定量の著作権使用料が支払われる。CSで抜き素材として一瞬流れただけでも、きちんと徴収して振り込まれる。支払われるお金もありがたいけれど、何よりうれしいのは、自分の作品の「近況」を知れることだ。テレビドラマ『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』は海外で放映されたらしい。著作権使用料は1362円だけど、あの女子高生トリオが海を渡ったのか、という感激に値段はつけられない。著作権は作品の親(たくさんいるけど)である証であり、作品との絆だと思うから、ギャラを値切られても、この権利は守る。

テレビ放映が関係者にいちいち伝えられないのと同様、賞関係のニュースもなかなか脚本家の耳には入ってこない。今日授賞式が行われた第16回日本映画批評家大賞で『子ぎつねヘレン』が冨士フィルム奨励賞を受賞したことは、知人で映画ライターのコバリアキコさんからの「おめでとう」メールで知った。公式サイトの情報はこの日記を書いている4月7日現在昨年度の受賞作品発表から更新されていないけれど、いまいまさこカフェの常連、岡山のTOMさんがcinema topics onlineのレポートを見つけてくれた。映画批評家だけが選考するというユニークな賞での受賞はうれしい。地上波登場から一週間足らずの間に、またまたヘレンの親孝行。

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2005年03月27日(日)  今井家の『いぬのえいが』
2003年03月27日(木)  中国千二百公里的旅 食事編
2002年03月27日(水)  12歳からのペンフレンドと3倍周年


2007年03月26日(月)  マタニティオレンジ100 1%のブルー

書きたいことが尽きないものだと我ながら感心してしまうけれど、マタニティオレンジの記念すべき100回目は、タイトルに反してマタニティブルーのことを書こうと思う。「本当に楽しいことばかりなんですか?」と何人かに質問をもらった。実際、本当に楽しんでいるけれど、妊娠してからずっと笑っていたわけではない。妊娠・出産・育児をしなければ味わわずに済んだ怒りや悔しさや悲しさはある。妊娠を知ってから400日余りの間に4日ぐらいは落ち込んでいた。99%はユカイだったけど1%はフカイだったというわけで、100話目にブルーの話。

はじめての出産だったけれど、マタニティビクスと助産院という心強い味方を得て、不安は最小限に抑えられた。けれど、妊娠中の二度の出血にはドッキリ、ヒヤリ。出血といっても点のような小さなものだったけれど、妊娠がわかって間もなくの一度目は血相を変えて近所のレディースクリニックに駆け込んだ。ちゃんと心音は聞こえているし、大丈夫でしょう、と言われてようやく動悸が静まったけれど、自分の狼狽ぶりを見て、もうおなかの命と一体感ができているんだなあと実感した出来事だった。二度目は妊娠後期で、前夜に長い打ち合わせをしたことが原因だと思われた。5時間も座りっぱなしでは、子宮だってエコノミークラス症候群になりかねない。このときは助産院に電話すると、「一日様子を見てから来たら?」と助産師さん。落ち着いた口調から「それほど心配しなくていいよ」のニュアンスを聞き取って安心したが、このときは「ここまで大きくなって、もしものことがあったら……」と焦った。二度とも出血はすぐにおさまったし、わたしのように問題ないケースが大半らしいが、中には危険な場合もあるという。いずれにせよ、二度の出血は、おなかの中からのSOSだったのだろう。一度目は、「おなかはまだ目立ってないけど、ここにいるんだから、いたわってね」というサイン。二度目は「仕事より大事なものが、ここにいるよ」というサイン。そう受け止めて、生活や仕事のペースを見直したことが、結果的には「出血しても問題なし」になったのではないかと思う。

泣いたことは二度あった。一度目は、妊娠6か月のゴールデンウィーク。大阪から遊びに来たダンナ弟一家とともにダンナの実家で食事をしたとき、「もうお子さんの名前は考えているんですか」とダンナ弟妻のノリちゃんに聞かれた。「うん」とわたしは元気よく答え、「男だったら優人(まさと)、女だったら舞子(まいこ)」と続けた。すると、「あらあら、楽しみがなくなっちゃったわね」とダンナ母。しまった、と思ったけれど、遅かった。その帰り道、「考えているかどうかだけ答えればよかったのに、なんで名前までばらすんだよ」とダンナになじられた。その言い方がきつくて、歩きながら、わたしはボロボロ泣いた。「ケチつけないでよ。人が機嫌よく妊娠してるのに」と言いながら泣いた。泣くほどのことじゃないと思いながらも、泣いてしまうと気分がすっきりと軽くなった。涙にはデトックス効果があるというのは本当だ。泣かせるつもりはなかったダンナはオロオロして、気の毒だった。「もういいよ。ケチついた名前は使わない。優人も舞子も使わない」と言うわたしを、「名前にケチつけたわけじゃないよ」とダンナはなだめた。この事件のせいじゃないけど、結局、違う名前になった。

二度目に泣いたのは、出産後。助産院から退院して自宅に戻った日だった。8月21日の夕方に破水して、あたふたと飛び出したきり。一週間も家を空けたのは『子ぎつねヘレン』のロケ以来。ひさしぶりのわが家でのんびりしたい、というのが本音だったけれど、命名式というものを急遽うちでやることになっていた。大阪から泊まりで手伝いに来ていたわたしの母に加えてダンナの両親と妹がやってきて、ダンナ母が用意した赤飯やサラダをテーブルに並べていった。汁物だけはうちで作ることになったのだが、ダンナ母は「あなたは寝てなさい」と言ったかと思うと、「どこに何があるか、さっぱりわかんない」と言い出す。いつも以上にはりきっていて、いつも以上にはっきりものを言うのが、産後で体も頭もぼーっとしているわたしには重かった。明らかにやり方の違う二人の母が台所に並んで、ぎくしゃくと息の合わない共同作業で汁物をこしらえる光景も、見ていていたたまれなかった。なんで、こんなことになってるんだろう。なんで、自分の家なのに落ち着かないんだろう……そんなことを考えていると、だらしなく膨らんだ子宮に悪いガスが溜まっていくみたいだった。

それでも食事は和やかに進み、ダンナ妹が達筆で色紙にしたためた名前は拍手で迎えられ、いい時間だった。さっきイライラしちゃったのは、疲れていたせいだったんだなと思った。いったん静まった感情の波が再び荒れたのは、トイレに入って、窓辺に並べたインク瓶のアイビーがそっくり消えていることに気づいたとき。母を問い詰めると、「枯れてたから捨てた」と言う。一週間の間にインク瓶の水は干上がり、アイビーの根は乾いてしまったようだ。それなら仕方ない。けれど、母が捨てたものは他にもあった。花瓶カバーに使っていたアメリカ土産の花柄の紙袋が、ビニール袋に突っ込まれているのを見つけて、「なんてことするん!」とわたしは噛み付いた。「埃まみれでボロボロやん」と母は言ったけれど、わたしには大切な小物だった。そのビニール袋には、他にも一見ガラクタだけれどわたしには意味のあるものが一緒くたにされていた。「勝手なことせんといて!」怒りが爆発した。

だが、実際には、母は捨てたのではなく、どけておいたのだった。ダンナ両親の目につかぬように。娘の暮らす部屋が少しでも見映えが善くなるようにと、早めに着いたダンナ妹とともに精一杯のことをしてくれたのだ。「あのままを見せるわけにはいかへんやろ」。ダンナ両親とダンナ妹が帰った後で、母はため息をつきながらそのことを話した。ごめんね、と謝るべきなのだろう。ありがとう、と感謝するべきなのだろう。でも、「余計なこと、せんといてくれたらよかったのに!」と憎まれ口しか出てこない。頭に血がのぼって、あっちこっちへ飛び出した感情のこんがらがってしまった。トイレにこもって、わあわあ泣いた。本当はこんな言い争いなんかしたくなかった。子どもを産んで、一週間足らずの育児で、母親の幸せと大変さを知った。自分やダンナもこんな風に生まれて育ってきたんだなと思い、自分の母親にもダンナの母親にも今まで以上に感謝と尊敬の気持ちを抱いた。なのに、なんで、二人の母に苛立ち、娘のためにやってくれたことに文句を言ってしまうのだろう。無性に悲しくて、やりきれなかった。泣きじゃくるわたしの声はドアの外にも聞こえていたはずだけど、母は何も言わなかった。ダンナはわたしの頭をぽんぽんとたたいて、「みんながんばってるよね」とだけ言った。わたしだけの肩を持つのではなく、みんなを持ち上げる。とんちんかんな慰め方だ、とそのときは物足りなく感じたけれど、みんな良かれと思ってやっているのにうまくいかない、なんでだろね、というもどかしさをわかって分かち合ってくれていたのだと思う。

ひとしきり泣いて、またもやすっきりして、あっと気がついた。8月22日の出産当日を出産0日目とカウントするから、今日は出産5日目。産後の憂鬱を表すマタニティブルーは5日目でピークを迎えるという。いつもだったら口ごたえひとつで済むようなことに目くじらを立て、泣き喚いてしまった原因は、これだったのかもしれない。精神的にいちばん不安定なタイミングに、神経をすり減らす出来事が重なってしまったのだ。思えば、高校を出て以来、母を離れた年月が母と暮らした年月を上回ってしまっていた。そんな母娘がいきなり息ぴったりで一緒に暮らせるはけがない。母が大阪へ戻るまでの一週間をかけて、母が手を差し伸べたいこととわたしが頼みたいことの折り合いがようやくついた。

娘を授かって良かったなと思うのは、母の気持ちに少し近づけたことだ。母は娘が何才になっても大人になっても母になっても、娘を必死で守り支えようとする。突っぱねられても、感謝の代わりに文句を言われても、どこまでも母であろうとする。そういうせつない生き物なのだということを知れたことはよかった。母との関係で泣くことはもうないのではと思うけれど、娘との関係で泣かされることはあるだろう。そのときもっと母の気持ちに近づけると思う。

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2006年03月26日(日)  ヘレンウォッチャー【都電荒川線編】
2005年03月26日(土)  映画『いぬのえいが』→舞台『お父さんの恋』
2003年03月26日(水)  中国千二百公里的旅 移動編
2002年03月26日(火)  短編『はじめての白さ』(前田哲クラス)


2007年03月25日(日)  マタニティオレンジ99 たま7/12才とインターナショナル

3日遅れで、8月22日生まれの娘のたまの7か月を祝う。6か月からの一か月は、いったん横ばいになったかに見えた成長曲線が、再び上向いたように感じられるほど、「いつの間に、こんなことが!」の発見に満ちていた。おすわりが決まり、だっこされてのタッチも安定するようになると、自由になった両手がいたずらへ向かう。コンセント、コートのフードの紐、カーテン、お風呂の水栓……ぶら下がっているものは何でも引っ張る。ときどき力の掛け方と方向がうまく合うと水栓は抜けるけれど、どうすればそうなるかはまだ学習できていない。器に盛ったいちごの山に手を突っ込んでいたのが、その中から一粒をつまみ上げようとするようになった(まだうまくはつかめない。UFOキャッチャーのようなもどかしさがある)。

ズリバイで興味の対象へ突進し、手当たり次第つかんでは口に入れる。倒れると危ないので横向きに置いた全身鏡に映った自分も舐める(ナルシスト?)。ベビーラックの車輪を手で回したり、椅子に掛けたジャケットの袖を引っ張ったり、上体をそらせて両手でキャッチしたドアを押したり引いたり。好奇心いっぱいの目をキョロキョロさせて、床上20センチの世界で次々と遊びを見つける。鏡なんか舐めて不衛生ではないか、ドアの角で顔を傷つけないか、と気を揉みながらも、変な味や痛みを覚えることも必要かもしれないと思って見守っている。たま語は「ごえごえ」「んげー」を経て、最近はバとパを連発する。「バアバアバア」「パアパアパア」。ばあばと言ったわ、パパと呼んでるぞ、とダンナ母とダンナは喜んでいるが、わたしとじいじは面白くない。

12分の7才誕生会のマンスリーゲストは、「ハウス」と愛称で呼んでいた京都国際学生の家ゆかりの友人たち。日本人と留学生が暮らすこの寮は、わたしが大学一年生のときに下宿していた家のすぐ近くにあり、ちょくちょく遊びに行っていた。そのおかげで、日本の大学に通いながら留学生活のような刺激を味わえた。ダンスパーティでノリノリになって踊るわたしに、当時流行っていたMCハマーにちなんで「Missハマー」とあだ名をつけたのは、ブラジルからの留学生のリカルド。彼はブラジルの名士の御曹司らしく、「ブラジルのボクの部屋は、ハウスより大きい。ボクのハウスの部屋は、犬小屋のサイズ」と言っていた。シンガポールとマレーシアを旅行したときは、里帰り中の寮生の実家に泊めてもらった。大阪でインド人一家を隣人に育ち、高校時代にアメリカ留学をしたわたしは、ハウスに出会って、It's a small worldという思いをますます強くした。ここの住人であったダンナとは、ハウスのパーティで知り合ったので、ハウス関係者は夫婦共通の友人ということになる。


誕生日ケーキを用意してくれたテスン君は、ハウスに住んでいたチョン・テファさんの弟さん。奇しくも今日がご自身の誕生日だということで、自分用のメッセージプレートまで用意していた。手焼きクッキーのメッセージプレートにもセンスが光るケーキは、創作菓房アランチャのもの。一月にわが家に集まったときに持ってきてくれたケーキとマシュマロの完成度にも驚いたけれど、今回のホールケーキもキャラメルとナッツの香ばしさがアクセントになっていて、舌が恍惚となるおいしさだった。

食事をしながら思い出したのだけど、ハウスのイベントに、寮生たちが自国の料理を作ってふるまいあうコモンミールというものがあった。宗教上の理由で牛がダメ豚がダメという人たちも一緒においしさを分かち合う。その味の向こうにある国に思いを馳せる。食事は人と人の距離も近づけるけれど、国と国の距離を近づけると思った。ハウスのような面白い場所に出会えるかどうかはわからないけれど、たま(今回のメッセージプレートで明らかになったけれど、本名は珠江という)にもいろんな国の人と食事や会話を楽しめる機会を持って欲しい。そして、スパイスが混じりあって料理の味に深みをもたらすように、肌の色や言葉や国籍の違う人との交流が人生をより味わい深くしてれることを知って欲しいと願う。

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2006年03月25日(土)  丸善おはなし会→就職課取材→シナリオ講座修了式
2005年03月25日(金)  傑作ドイツ映画『グッバイ・レーニン!』
2002年03月25日(月)  脚本はどこへ行った?


2007年03月24日(土)  マタニティオレンジ98 たまごグッズコレクション

男か女か産んでみてのお楽しみにしていたから、たまごにちなんで「たま」と呼んでいたのが、産んだときにはすっかり「たまちゃん」が定着。用意していた名前を変更して、たまで始まる名前をつけることになった。だから、たまの名前の由来は、たまご。ご近所仲間のT氏とM嬢が「たまちゃんプリン」とたまご型のカップに入ったプリンを持って来てくれたときに、わたしがハートグッズを集めるように、たまはたまごグッズを集めたら楽しいなと思ったのだが、たまご製品は世の中にあふれていても、たまごグッズとなると、なかなかない。そう思っていたら、思わぬところで、たまごグッズの金脈を掘り当てた。先日『はらぺこあむし』のエリック・カールのフェアではじめて足を踏み入れた教文館のショップの一角にイースターコーナーがあり、色も形もかわいらしいたまごグッズが顔を揃えていた。そうか、イースターがあったか、毎年この季節がめぐってきたら、たまごグッズコレクションをふやしていけばいいのか、とうれしくなる。イースターは三月下旬と思い込んでいたが、毎年時期が変わるらしく、今年は4月8日とのこと。

買い求めたのは、イースターエッグ(3つで189円!)、イースターエッグ柄の紙ナプキン、たまご型の木製パズル2種類。パズルはワークスみぎわという通所授産施設の木工品。ホームページによると、この施設では「知的障害を持つ人たちが、木工品の製作や紙すきの作業を通じて自分の隠れた能力を見つけ、働くよろこび、社会に役立つよろこびを学び、自立するための力をたくわえようと努力を続けて」いるという。手作りのあたたみとセンスの良さが感じられ、とても気に入った。今は何でも口に入れてしまうから危険だけれど、このパズルで遊べる日が楽しみ。

2006年9月10日 マタニティオレンジ5 卵から産まれた名前

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2002年03月24日(日)  不動産やさんとご近所めぐり


2007年03月23日(金)  マタニティオレンジ97 板橋ツアー

ご近所仲間で1才7か月のマユタンのママのK子ちゃんから「天気がいいから公園に行かない?」のお誘い。車を出してもらい、板橋にある城北中央公園へ。わが家には車がないので、車で遠出をするのは新鮮。タクシーとバスにはよく乗るけれど、人の家の車には乗り慣れないたまは、遠足気分でごきげん。

公園には売店があり、坦坦麺、カレー、五目おにぎりなど、なかなか多彩なメニュー。わたしはチヂミとアメリカンドッグ、K子ちゃんは焼きそばとおにぎりを注文。大きな木の下にあるテーブルで食べていたら、いきなり、ビチャッと落ちてきたのは、鳥の糞。見上げると、頭上の枝にはハトが三羽。ハトのおトイレの真下で食事を広げていたわけで、あわてて原っぱへ移動。あちこちでレジャーシートを広げた親子連れがピクニックを楽しんでいる。花が咲いているわけでもなく、ただ広い芝生があるだけなのだけど、とてものどかで平和で気持ちのいいところ。

周囲を取り囲んだ土のジョギングコースでは子どもたちがキックボードや三輪車を走らせるのにまじって、シャドーボクシングしながら走るおじさんや散歩する老夫婦がいる。よちよち歩きの子どもたちの姿も目立つ。足の裏痛くないのかなと心配になるけど、裸足でうれしそうに歩いている男の子や、お兄ちゃんを追いかける女の子。最近は走り方も板についてきたマユタンもパタパタと駆けている。みんな、自分の好きな場所へ自分で進めることが楽しくて仕方ない様子。それにしても、子どもはよく転ぶ。足元が覚束ない上に頭が重いせいなのか、見ているこちらはハラハラするけれど、子どもたちは、泣く子も泣かない子も、ちゃんと立ち上がってまた歩き出す。その光景を見ているだけで、じいんとなる。たまの半年後や一年後にも思いを馳せてしまう。肝心のたまは、春の陽射しがあまりに気持ちいいのか、公園にいる間ずっとベビーカーで眠っていた。

板橋はK子ちゃんが生まれ育った地元。K子ちゃんいわく「価格破壊の町」らしく、「赤ちゃん用の靴下が一足20円」で叩き売られていたりすると言う。「たまちゃんが保育園でいるものあったら、買って行けば?」と言われ、「のとや」という激安衣料店へ。食事用エプロンが198円。安居。100円のよだれかけに手が伸びたら、犬用だった。のとやの数軒先の中華屋の店先では蒸したての豚まんや中華惣菜が並んでいる。豚まんはひとつ85円、惣菜盛り合わせは400円。

帰り道にメゾンモンマルトルというパティスリーに立ち寄る。ケーキ、パン、チョコレート、焼き菓子……目移りしそうなお菓子たちの誘惑合戦。自宅用のクッキーを数種類と、午後のお茶用のシュークリームを買い求める。「激安店だけじゃなくて、オシャレなお店だってあるのよ」とK子ちゃん。車だと30分ぐらいの距離なのだけど、なかなか行く機会がなかった板橋。地元っ子のK子ちゃんの案内で、ちょっとした小旅行気分を楽しめた。

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2006年03月23日(木)  ヘレンウォッチャー【松竹本社編2】
2005年03月23日(水)  高校生がつくるフリーペーパーanmitsu
2004年03月23日(火)  ENBUゼミ短編映画『オセロ』
2002年03月23日(土)  インド映画『ミモラ』


2007年03月22日(木)  マタニティオレンジ96 胴体着陸と前方回転

先週、世間を騒がせた胴体着陸。うちのたまの得意芸でもある。おなかを床につけ、両手を床と平行に広げて、飛行機ぶ〜ん。これをやっているときは、実に得意げな顔をしている。ところが厄介なのは、この飛行機、翼が前輪にもなり、突如駆動を始める。おなかは床につけたまま、足の押し出しと腕の引き上げを組み合わせて、じりじり、ずるずると、全身を引きずる。いわゆる「ズリバイ」。よほどの重労働と見えて、一回ずりっと移動しては休憩し、くたばっているのだが、獲物を見つけると、すごい勢いで瞬間移動する。とかげみたいだ。好きなものほど、遠くにあっても執念深く追いかける。一回ズリバイして手に届かなければ諦めることを「1ズリバイ」と単位づけるなら、ビニールが2ズリバイ、本・新聞が3ズリバイ、いちばん好きな携帯電話は4ズリバイといった具合。先日、異様な関心を見せたヴィックスヴェポラップのチューブも携帯に並ぶ。5ズリバイ以上すると、わが家では壁にぶち当たる。

おなかを中心にした回転技も加え、360度どこへでも自在に移動するので、目が離せない。ベッドの真ん中でおすわりして機嫌よく遊んでいたので安心していたら、突然、不穏な気配がして、見ると、いつの間にかハイハイでベッドの端まで進んだたまが、勢い余って次に伸ばした手が空を切り、40センチ下の床へ頭から転落する瞬間だった。あっと思って駆けつけたわたしの目の前で、たまは頭が床を打つより先に両手をついた。それでも手では支えきれずにおでこが床にめりこみ、反動でベッドから離れた足が、ベッドの正面に立つわたしのほうに倒れてきた。わずか半秒ほどの出来事だったと思うけれど、緊急事態には脳はめいっぱい仕事をして、ストロボ写真状態になる。器械体操部出身のわたしのDNAのなせるわざか、0歳児にしてハンドスプリング(前方回転)が決まった、などと感心する余裕はなく、倒立の格好になったたまを夢中でキャッチし、抱き上げた。咄嗟に両手が出たからよかったものの、首で体重を受け止めていたらと思うと、ぞっとする。生後7か月の記念日に悪夢を刻むところだった。

朝起きたら子どもがベッドから落ちてて慌てて医者へ行ったという先輩ママいわく、「赤ちゃんは、落ちても身を守れるようにできている」そうで、ベッドから落ちたという話はよくあるけれど、落ちて大事に至った話はあまりないのだという。それでも本当に焦った。赤ちゃんの動きはボンバル機以上に予測不可能と肝に銘じて、目を配らなくては。

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2002年03月22日(金)  遺志


2007年03月21日(水)  MCR LABO #2「無情」@下北沢駅前劇場

2月に観た第一弾がとても面白かったMCR LABOの第二弾「無情」を観る。鑑賞の友は前回と同じくわたしのシナリオご意見番のアサミちゃん。観終わった後で、「いやあ、進化してたねえ」と二人でしみじみ。第一弾は帰り道に「面白かったね〜」を壊れたレコードのように繰り返したけれど、数日経つと、面白かった印象だけが残って内容はあまり思い出せなくなった。でも、今回は、たぶん一週間経っても余韻が消えないだろう。

前回は男性ばかりだったのに対し、今回は女性が登場し、しかも主人公だったことで、より感情移入しやすくなったせいもあると思う。「体が足先から麻痺していく難病に冒された妻と見守る夫の物語」をA面とすると、B面では「一人暮らしの盲目の女性の部屋に出入りする人々の物語」が展開され、交互にABABとミルフィーユされていくうちに、まったく別の物語の顔をしていたAとBが溶け合い、最後にはひとつになる。A面の妻は麻痺が進んでやがて会話もできなくなるが思考は停止しない。B面の女性の元には善人の顔をして彼女を利用しようと近づいてくる人が後を絶たない。どちらの主人公を取り巻く人々の行動にも、人間のいやな部分をにじませつつ、「自分にもそういうところはあるよな」と思わせるリアリティがある。悪人キャラは憎みきれない存在に描かれているし、思い詰めた設定でありながら随所に笑いがちりばめられている。その匙加減の絶妙さに感心。軽い調子の中に込められた本音がグサッと突き刺さる。作・演出のドリルさん、台詞も間の取り方も本当にうまい。5月の第3弾「審判」、7月の第4弾「愛情」も今から楽しみ。

MCR LABO #1「無情」
作・演出:ドリル
プロデューサー:赤沼かがみ
「青春の切り落とし」

「お前を10分で落とす方法」

「彼女は機械になりたい」

「絶望列車希望号」

「俺は機械になれない」
×
櫻井智也(MCR)
黒岩三佳(あひるなんちゃら)
前田剛(BQMAP)
諌山幸治
ますもとたくや
(スペクタクルガーデン)
異儀田夏葉
住田圭子
石沢美和(SQUASH)
上田楓子(MCR)
福井喜朗(MCR)
渡辺裕樹(MCR)
小野紀亮(MCR)
伊達香苗(MCR)

2007年2月12日 MCR LABO #1「運命」@shinjukumura LIVE

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2005年03月21日(月)  弘前劇場+ROGO『FRAGMENT F.+2』
2004年03月21日(日)  アドフェスト4日目
2002年03月21日(木)  「かわいい魔法」をかけられた映画


2007年03月20日(火)  マタニティオレンジ95 満を持して『はらぺこあおむし』

『はらぺこあおむし』の絵本はぜひ買いたいと思っていた。世界的ベストセラーになっている絵本だが、わたし自身は読んだ記憶はない。けれど、子育てをしている友人の家に行くと、必ずといっていいほど、インパクトのあるあおむしの表紙の絵本があり、「子どもが大好き」「わたしも気に入っている」と皆がほめちぎるのだった。今日、東銀座で打ち合わせして、九州から出張で上京している友人ごんた君と歌舞伎座の裏にあるカフェでお茶をして、そのまま日比谷まで歩いていたら、あおむしのポスターがわたしを呼んでいた。見上げると、そこは教文館のビルで、ちょうど作者のエリック・カールのフェアをやっているのだった(4月8日まで)。

6階でリトグラフ展『どうぶつのおやこ』を見た後、9階の『エリック・カールの世界』へ。数々の仕掛け絵本の展示、独特の色づかいが生まれる工程の紹介、記念撮影コーナーなど、入場無料ながら充実した内容。各国語に翻訳された『はらぺこあおむし』の表紙がずらりと並んだのを見て、英語題は『The Very Hungry Caterpillar』だと知る。これを『とてもおなかをすかせたいもむし』と訳していたら、日本での人気は半減していたかもしれない。

世界中で愛されている絵本『はらぺこあおむし』の誕生に、映画『子ぎつねヘレン』の原作『子ぎつねヘレンふのこしたもの』を出版している偕成社が関わっていたと知る。面白い仕掛けゆえに形にするのに難航していた60年代後半、印刷製本技術を開発してくれる先を見つけたのが、当時社長だった今村廣氏とのこと。それゆえエリック・カール氏も日本に愛着を感じ、たびたび来日されているという。

『はらぺこあおむし』以外の作品も、とにかく楽しい。色も言葉もはずんでいる。作者自ら面白がって作っているのが伝わってくる。「私の絵本は私の中の子供に向けたことばなのです」という言葉に納得。伸びやかな作風の背景には、子ども時代に絵を褒めてくれた恩師の存在があるという。褒められるのがうれしくて夢中で描いているうち大人になったような人なのだろうか。作品にはまた作者の子どもたちへのあたたかなまなざしがあふれている。家庭という守られた場から学校という社会へ踏み出す子どもたちの不安に思いをはせ、「私は私の本をこの深い淵にかける橋にしたい」とも語っている。作者の年表を見ると、52年にレオ・レオーニの紹介でニューヨークタイムズのグラフィックデザイナーになった後、広告会社のアートディレクターを経て独立したという。『スイミー』の作者(教科書ではレオレオニとなっていた記憶がある)との接点も知れて、なんだかうれしい。

物販コーナーには、迷うほどいろんな形の『はらぺこあおむし』が勢ぞろい。自分で色を塗って完成させる塗り絵版、英語の勉強にもなる二か国語版、葉書の半分ぐらいのミニ版があるかと思えば、紙芝居のような大型本も。小型ながら厚手のボール紙製でめくりやすそうなボードブックを購入することに。あおむしが曜日ごとに食べる量をふやしていく仕掛け部分も、この厚さなら、何度めくっても持ちこたえられそう。早速、生後210日目の娘のたまに読み聞かせてみた。内容はまだわからないだろうけれど、色がにぎやかなので、じっとページに見入っていた。

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2004年03月20日(土)  アドフェスト3日目
2002年03月20日(水)  はなおとめの会


2007年03月19日(月)  大木達哉さんを励ます会

映画『天使の卵』をプロデュースした大木達哉さんが電通キャスティングを退職。次なるステップへの門出を祝福、激励しようと「励ます会」が開かれた。発起人の顔ぶれも会場のセルリアンタワーも気後れするぐらい豪華で、単身乗り込んだわたしは、一体どこに身を置きましょう、と小さな体をさらに縮こませるばかり。でも、『天使の卵』でご一緒した懐かしい人たちも見えていて、挨拶することができた。

乾杯の発声は三浦友和さん。21才で出演したグリコのプリッツのCMの担当者が、当時電通のクリエイティブにいた大木さん。プリッツのCMの上がりを見て、映画『伊豆の踊り子』のオファーが来て、百恵さんと出会ったのだから、大木さんとの初仕事がキューピッドとも言える。「今でもお菓子はグリコ、スーツは青山」ユーモラスな語り口があたたかな笑いを誘う。義理堅い三浦さん、大木さんとの縁も大切にされてきたよう。『天使の卵』には歩太の母の恋人役で出演されている。「励ます会っていうからどれだけしおれているかと思ったら……」と大木さんの元気をたたえ、前途を力強く祝して、いい乾杯だった。

大木さんは一見こわそうなのだけれど、実はとてもやさしい人で、そのギャップのせいなのか、ことのほかやさしい人という印象が強く残る。「やさしい」を「思いやりのある」「気配りのある」と言い換えたほうがいいかもしれない。とても忙しい人のはずだが、自分にできることを惜しまない。謙虚で一途で一生懸命で、いつの間にか、この人に「お願いしますよ」と言われたら断れなくなっている。普通は仕事で何度も顔を合わせていると、だんだん本音を出し合うようになってイヤな部分も見えてしまうものだけど、第一印象からどんどん印象がよくなる人も珍しい。そんな愛すべき大木さんを盛り立てる人たちの熱気に、わたしも励まされた。

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2004年03月19日(金)  アドフェスト2日目
2002年03月19日(火)  パコダテ人ノベライズ計画


2007年03月18日(日)  DVD6作品目の『天使の卵』

自分の関わった作品がスクリーンで上映されたり、テレビで放送されたりするのはとてもうれしい。それがDVDになって手元に届くのもとてもうれしい。どちらがうれしいか甲乙つけがたいけれど、DVDはてのひらに乗るところがいい。軽さに拍子抜けするぐらいの体重をてのひらに受け止めながら、懐かしさといとおしさがこみあげてくる。手塩にかけて育てたわが子が長旅を終え、自分のところに帰ってきてくれた、そんな感じ。ひとまわり大きく成長、ではなく、ずいぶん小さく変身しているのであるが。

3月28日発売の『天使の卵』のDVDが今日届く。はじめて作品がDVDになった『パコダテ人』から数えて5本目の映画、ドラマ『快感職人』を加えると6作品目のDVD。いくつ作品を重ねても、DVDになった作品に再会し、手に取る瞬間はとてもドキドキする。初恋が続いているような、この気持ちを持ち続けていたいと思う。

届いたDVDを自宅で再生するときも、ひさしぶりに同級生に再会したときのような懐かしさと照れくささがある。『天使の卵』はおなかが大きいときに試写を観たのが最後なので、出産を経た今、前とはどう受け止め方が変化しているのか興味深い。初回凄惨限定のコレクターズ・エディションには通常版の本編DISCに加えて、特典映像DISCと封入特典がついてくる。DVD特典は、わたしにとってもオマケ。今回もはじめて目にする内容が多いので、これからじっくり楽しむつもり。

『天使の卵』コレクターズ・エディション 2枚組
(本編DISC114分+特典DISC64分】)

特典映像
●タマゴノアトサキ<メイキング>53分
 市原隼人、小西真奈美、沢尻エリカ、村山由佳、冨樫森監督インタビュー ほか
●イベント映像集<村山由佳 冨樫森監督>7分
 完成報告記者会見、プレミア試写会、初日舞台挨拶
●特報・予告編・テレビスポット
封入特典
●特製ブックレット"歩太のスケッチブック"32P
 市原隼人、小西真奈美、沢尻エリカ、村山由佳 サイン入りコメントつき
 劇中使用のデッサン、フォトで構成したビジュアル・ブックレット
●オリジナルポストカード3枚組

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2006年03月18日(土)  ヘレンウオッチャー【公開初日編】
2005年03月18日(金)  あなたのペンが「愛・地球博」にそびえます。
2004年03月18日(木)  アドフェスト1日目
2002年03月18日(月)  『風の絨毯』高山ロケ3日目 高山観光


2007年03月17日(土)  『散歩の達人』大塚 駒込 巣鴨

めったに雑誌を買わないわたしがときどき買って愛蔵版にしているのが、『散歩の達人』。よく行く町が特集されている号を読むと、「知っている店や場所が紹介されているうれしさ」と「おなじみの町の穴場を知る驚き」を味わえて、二倍楽しめる。ひさしぶりに近所の本屋に行くと、散歩コースの大塚・駒込・巣鴨が取り上げられた2007年1月号を発見。発売から2か月経っても、地元なので平積みになっている。

紹介されているお店にはすぐさま行きたくなってしまうが、今は「子連れで行けるかどうか」が大きなポイント。大塚にある「ダッチオーブン&アウトドアクッキング ガウチョ(GAUCHO)」というお店は、アウトドアと名乗るからには大らかに受け入れてくれるのではなかろうか、と勝手に期待する。写真を見る限り、店内も広々した感じ。お店のサイトを見たところ、スイーツも自慢とあり、ますますそそられる。で、スイーツの説明を読むと、「ハーブ料理研究家 松永梨杏(rina)」さんの手作り、とある。どこかで聞いた名前だと思ったら、映画『ジェニファ 涙石の恋』にヘアメイクで参加されていた人。ヘアメイクと料理の両方できて、作品によってメイクを担当したり消えものを担当したりしているという多才な方。直接面識はないのだけど、mixiでつながってメッセージ交換をしている。

そんな偶然もうれしくて、今日はダンナとベビーカーにのっけた娘のたまとともにガウチョへ。ボリューム満点の豪快なアウトドア料理とは違い、ランチはこじんまりしたサイズ。でも、ベビーカーのまま店に入れて(床は土を敷いてある)、こあがりに子どもを転がしておけたので、ゆっくり食事できたのが何より。お楽しみの梨杏さんのデザートは、フルーツケーキとストロベリーのスコーンを注文。ほっとするようなやさしい味で、お店の雰囲気にぴったり。こちらももう少しボリュームがあるとうれしかった。物足りなく感じるのは、おいしくてペロッと平らげてしまった証拠。今度はメニュー豊富な夜に行ってみたい。

大塚から歩いて帰る途中に通りがかる「パティスリー228」が「プリンがおいしい」と紹介されていたので、買って帰り、ご近所仲間のKさん宅さんに寄って一緒に食べる。「散歩の達人で紹介されてた」と話すと、「うちもその号買ったよ」とK夫妻。

今日は大塚界隈を散歩したけれど、わたしがよく行くのは「おばあちゃんの原宿」巣鴨。地蔵通り商店街には健康スポットや健康グッズに店がやたらと多く、店先にババシャツがはためき、歌声喫茶から懐メロが聞こえる。ポップや看板の文字の級数も心なしか大きい気がするが、巣鴨特集号の「商店街ぶらぶら節」と銘打った商店街探索のページには「商品をわかりやすくするためか、説明過剰気味なポップや看板が楽しい」というくだりがある。それで思い出したが、地蔵通り商店街の突き当たり、都電の踏切を渡った少し先に、とても気になる看板がある。すべて手書きのその看板でいちばん大きく書かれているのは「足っぽ」の三文字。足つぼではなく、足っぽ。けれど、「足にできた突起物」などと意地悪な解釈をする人はおらず、常識的な想像力で補って「足つぼ」と正しく理解されている様子で、一向に訂正される気配はない。さらに、「足っぽ」の上には、「WHO推奨」と堂々とうたっている。World Health Organizationともあろうものが巣鴨の怪しげな店を推奨するわけがあろうか。はたまた別物のWHOか(Warm Heel Onlyとか?)。まさか本家WHOの白書にASHIPPOが登場していたりして……。そんな想像をかきたててくれる。

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2006年03月17日(金)  弘前劇場公演2006『職員室の午後』
2002年03月17日(日)  『風の絨毯』高山ロケ2日目 イラン式撮影現場


2007年03月16日(金)  幻の魚・たかべとダンナ母語録

ダンナの実家で晩ごはんをごちそうになる。「たかべがあるんだけど、焼こうか?」とダンナ母に言われて、思わず、「幻の魚!」と口走った。あれは結婚したばかりの頃だっただろうか、「これ、たかべ。おいしいでしょ」とダンナ母が熱心にすすめる焼き魚に口をつけたが、その魚はいわしにそっくりな味がした。隣で同じ魚をつついているダンナ妹に「たかべっていわしのこと?」と小声で聞くと、ダンナ母は「あなたたちは、いわしよ」と言い放った。一匹しかないたかべはかわいい息子専用だったのである。わたしだけでなくダンナ妹も同じ扱いを受けたので、「嫁に食わすなってことですか!」と目くじら立てる事態にはならず、「お兄ちゃんは愛されてるね〜」と笑い話になった。そんな昔を振り返りながら、「これがたかべなんですね」としみじみ味わっていただく。

ダンナ母は頭の回転が早く、それに負けないぐらい舌の回転が早く、嫁のわたしを打ちのめす数々の名台詞を吐いている。会社員時代の上司は、「ダンナ母にやりこめられる今井の話」を聞くのが大好きだった。出産のお見舞いに来た元同僚たちには「ついに噂のおかあさまに会えた」と喜ばれた。この日記の「おきらくレシピ」に登場するダンナ母語録にもファンは多い。そういえば、以前日記に書こうとしたものの公表を控えたダンナ母ネタがあったっけ、とファイルを発掘。読み返してみると、ダンナ母、実にいいキャラ。敵対関係ではなく好敵手(とはいえ、わたしはやられっぱなしだけれど)のような嫁と姑の関係も、なかなか新鮮。脚本なのか、小説なのか、もう少し膨らませてみても面白いかもしれない。以下、掘り出し物。

姑VS嫁1 お見合い

会社の上司に聞かせて、何より喜ばれるのが「姑」の話。姑とは言いたいことを遠慮なく言い合える関係だが、息子にただならぬ愛情を注いでいる姑は、何があっても息子の味方。わたしがダンナのことを愚痴っても、「それはあなたが悪いのよ」と返されるのがオチ。ダンナが絨毯にお茶をこぼしたのも、わたしのせい。ダンナが太るのも風邪を引くのも、わたしのせい、となる。そのやりとりを職場で再現すると、拍手喝采。わがまま娘のわたしをギャフンと言わせる舌鋒が、とにかく痛快らしい。

ところが先日、姑と二人でお茶をすすっていたら、「あなたと結婚してなかったら、あの子、どうしていたかしら」と、いつになく殊勝な発言。ようやく嫁のありがたみをわかってもらえたかと思い、「あんなわがまま息子の相手できる人は、なかなかいませんよ」と強気に出ると、「お見合いだったかしらねえ」と、遠い目をしてしんみり言う。「そうでしょうね」と調子に乗って相槌を打つと、姑は遠い目のまま、「いっぱい来たでしょうね。いい条件のお見合い」。油断したわたしが甘かった。お義母さん、その目は逃した嫁を見ていたんですか……。ここで「ひどい!」となれば、お決まりの嫁VS姑バトルに突入となるのだが、わたしの場合、「なんて面白い台詞なんだ!」とネタ帳に書きつけるのに忙しく、喧嘩にならない。

姑と嫁の関係といえば、「いびり」か「猫可愛がり」の両極端、でなければ「疎遠」かと思っていたが、うちはそのどれにもあてはまらない。息子(ダンナ)をめぐるライバルであり、彼のために力を合わせる同志でもあり、未来に向かってネタを積み上げるコンビでもある。

姑VS嫁2 顔で選べば

深夜、心静かに本など読んでダンナの帰りを待っていると、どこかの酔っ払いが呂律の回らぬ舌で何やらほざいている。耳を澄ましてみると、「ブサイクー」と言っているようだ。その声に覚えがあると思ったら、わがダンナの声ではないか。通りから明かりのついたわが家を見上げ、妻に呼びかけているのだった。やがて千鳥足で帰還したダンナは、あらためて「ブサイク!」とほざき、深夜番組の画面の中から手を振る美女たちとわたしをかわるがわる見て、「チェンジ!」を連呼し、こちらが怒る間もなく寝入ってしまった。

この話を聞いた同僚のT嬢は「花だってキレイキレイと言われてキレイに咲くのに、そんな言われ方したら、良くなるものも悪くなるよ!」と激励(?)してくれる。「こういうことは、断固許しちゃダメ!」と背中を押され、姑に「ひどいんですよ、あなたの息子」と訴えると、「んまあ、あの子、そんなこと言ったの?憎たらしい」と珍しく息子批判。これは嫁に追い風か。「お義母さんからもピシャリと言ってやってください!」ともうひと押しすると、姑はきっぱりと、「そんなに不満なら、顔で選べば良かったのに」。ええっ、そう来ますか!? 嫁、返す言葉なし、あっさりKO負け。悔しいことに、このネタ、誰に話しても受ける。会社の上司も大喜び。いちばん笑ったのは、ダンナだけど。


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2005年03月16日(水)  春はお茶が飲みたくなる季節
2003年03月16日(日)  Q.生まれ変わったら何になりたい?
2002年03月16日(土)  『風の絨毯』高山ロケ1日目


2007年03月15日(木)  マタニティオレンジ94 0歳児は病気との戦い 

今日は娘のたまが四月から通う保育園の面談日。入園までに用意するものの説明を受け、普段の一日の過ごし方、離乳食の進み具合などを詳しく聞かれる。離乳食は一人ひとりの段階に合わせて作り分けて出してくれるらしい。新しい食材が出るときには、「来週は豆腐をはじめます」などと連絡が入るので、保育園の前に家で試しておいてください、とのこと。「たまちゃんのいいところは?」と性格を聞かれたので、「機嫌がいいところ」と答えた。まだ人見知りは始まっておらず、誰を見てもニコニコと愛嬌をふりまいている。入園してしばらくは慣らし保育で、毎日一時間ずつ預け時間を延ばしていくことになっているが、この分だと慣れるのも早そう。

乳幼児がかかりやすい感染症について、保健師さんから説明がある。伝染性の疾患にかかった場合は、治癒の上、主治医の登園許可をもらい、登園届を提出する。登園届が必要な感染症の一覧表には、麻疹、おたふくかぜ、風疹、水疱瘡、百日咳、インフルエンザ、手足口病といったおなじみのものの他に、伝染性紅斑(りんごほっぺ)、咽喉結膜熱(プール熱)、マイコプラズマ肺炎といった聞いたことのある病名、流行性角結膜炎、ヘルパンギーナ、感染性胃腸炎、溶連菌感染症といったはじめて聞く病名が並んでいる。「0歳児は病気との戦いです」と保健師さん。1歳児、2歳児と大きくなるにつれ、体も大きく丈夫になり、病気にかかりにくくなるが、0歳児は病気にとことん弱い。一昨年はノロウィルスで0歳児クラスは全滅したとか。入園が決まるまでは、入れればそれでいいと思っていて、病気のリスクまで考えていなかった。たしかに、集団生活する分、病気をあげたりもらったりする確率は高くなる。

感染を防ぎ、かかった場合も軽く済ませるために、予防接種は早めに受けておいたほうがいいと言われる。怖いのは、インフルエンザ。型が違うと予防接種をしても効き目がない。ママ仲間のレイコさんはせっかく注射したのにかかってしまい、あわてて娘のレミちゃんをダンナさんの実家に避難させた。注射をしたお医者さんを訪ねたら、「インフルエンザのため2週間休診」となっていたとか。大流行の可能性が指摘されている新型インフルエンザが保育園を襲ったら……。0歳児で預けるのは早まったかなあという不安が頭をかすめるが、病気に負けないたくましい子であれと願い、健康な体と生活リズムを作るために親もしっかりしなくちゃと気を引き締める。

一覧表にはなかったけれど、同じぐらいの月齢の子を持つお母さんと話していると、「トッパツ、やった?」という話になる。トッパツとは突発性発疹のことで、いきなり39度ぐらいの熱が出て、熱が下がると発疹が出る。赤ちゃんが突然はじめての高熱を出すので、ママたちは大いに焦るらしい。かかるのは一才ぐらいまでで、かかる子とかからない子は半々ぐらいという。たまはまだかかってないが、トッパツ・ロシアンルーレットはできれば当たらないで欲しい。

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2005年03月15日(火)  チラシ大好き
2002年03月15日(金)  月刊公募ガイド


2007年03月14日(水)  マタニティオレンジ93 マタニティビクスの恩師・菊地先生

わたしのマタニティライフをオレンジ色にしてくれた二大功労者は助産院とマタニティビクスだと思っている。この二つは、妊娠・出産への不安を明るく吹き飛ばし、前向きに楽しむというオマケをくれた。なかでもマタニティビクスのインストラクターとして出会った菊地妙子先生の功績は大きい。ネットで見つけた教室に見学に行った日、マンションの二階の細い廊下を進みながら、本当にこのドアの向こうにスタジオがあるのだろうか、と首をかしげながらドアを開けると、妊婦さんを前によく響く声を張り上げ、汗をほとばしらせる菊地先生の姿が目に飛び込んだ。大きなおなかをかばって踊るのだからラジオ体操の延長のようなおとなしいものを想像していたのだが、菊地先生の長身から繰り出されるダイナミックな動きを見て、わあ本格的、とうれしくなり、しばらく踊ることから遠ざかっていた体がウズウズした。

スタッフの方々の感じのよさももちろんあったけれど、わたしがその教室に入会することを決めたのは、菊地先生の魅力に引っ張られたところが大きい。先生は週3回のプレママクラスのうち、月曜のマタニティビクスと水曜のマタニティヨガを担当していた。わたしは全部で60回のプレママクラスを受けたから、その3分の2の40回を菊地先生に教わったことになる。クラスが始まる前に体重と血圧と体調のチェックリストが一枚になったカルテを提出し、それを見ながら先生が「体重、いい感じでキープできてますね」「背中の痛みには猫のポーズがいいですよ」などと一人ひとりにメディカルチェックをしてからレッスンに入る。わたしは公開妊婦相談室のようなこの時間がとても楽しみだった。二児の母である菊地先生の体験談をまじえたアドバイスを聞いていると、とても大らかな気持ちになり、元気と勇気が湧いた。大柄で声が大きい先生の「どんと来い」オーラのせいだろうか。「出産してから温泉なんかのマッサージチェアに座ると、おなかがすごーく震えるんですよー」といった話に大笑いしたのも胎教によかったと思う。大きくなっていくおなかを一緒に喜んで、面白がって、大切にしてくれた。クラスの最後には、おなかの子にありがとうと伝え、拍手をした。

出産してからはベビー&ママビクス/ヨガのクラスで再び菊地先生に元気をいただいた。先生はベビーたちにも大人気で、わが娘のたまも菊地先生がお話しするときには顔を向け、目を見て、耳を傾ける。でも、たまも保育園に入ってしまうので、クラスを受けられるのも三月いっぱいだなあと思ったら、先生も三月で今の教室を卒業してしまうことを知った。上のお子さんが小学校に上がるので、自宅から近い教室に絞るのだと言う。

今日は菊地先生のベビーヨガクラス最終日。しばらくごぶさただったママも姿を見せて、いつもよりもにぎやか。終わった後でみんなから寄せ書きとレオタードを贈ったら、先生はサプライズに感激して、言葉に詰まってしまった。わたしたちも胸がいっぱいになった。菊地先生のクラスを受けられるときに妊娠・出産できて幸運だった。4月からは横浜と自由が丘でクラスを持たれるとのこと。興味がある方は、ブログをどうぞ。

菊地先生と出会った教室は、蔵前にあるトリニティーという。菊地先生のクラスは受けられなくなるけれど、他のインストラクターさんもとてもパワフルで魅力的なので、マタニティビクス/ヨガやベビー&ママビクス/ヨガのクラスを探している方にはおすすめしたい。大江戸線で行けばエレベーターを使えるし、人込みがない静かな町なのもいい。第二子を出産する機会があれば、また蔵前に通いたいと思っている。

2006年12月13日(水) マタニティオレンジ42 ベビーヨガ10回目
2006年10月11日(水) マタニティオレンジ院〆導&再会
2006年9月11日(月) マタニティオレンジΑ〕縦蠧過ぎても踊れます

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2002年03月14日(木)  『風の絨毯』記者発表


2007年03月13日(火)  マタニティオレンジ92 ダンナのおむつ替え確率

出産してからいっそう涙もろくなって、新聞を読んでいてもしょっちゅう視界が潤む。こども未来財団が募集した第10回こども未来賞で読売新聞社賞を受賞したエッセイにも泣かされた。式町直樹さんというアメリカ在住の高校教師の方が寄せたもので、タイトルは、「パパ、うんこ」。内容を要約すると……国際結婚をし、男の子が生まれたが、子どもにはほとんど話しかけなかった。日本語で話しかけても拙い英語で話しかけても子どもを混乱させるという遠慮と、仕事で帰宅が遅くなるというのが理由だった。だが、子どもの成長に参加していない、と反省する出来事があって以来、積極的に息子との時間を作るようになる。おむつも進んで替えるようになり、おむつを替えながら「うんこはくさいですね」などと日本語で話しかけた。息子は英語しか口にしなかったが、ある日、息子が泣いてママを呼び、ママではなくパパが駆けつけると、息子は一瞬戸惑った後に「パパ、うんこ」とはじめて日本語で叫んだ。その瞬間、父親であることを息子に認められた気がした……という内容だった。このパパと息子はどうなるのだろうと思いながらドキドキして読み、一生懸命日本語で話しかけるパパの姿を想像して切なくなり、「パパ、うんこ」のくだりで涙腺ダムが決壊した。

折りしもわが家では「ダンナよ、もっとおむつを替えてはどうだ」論争が起こっていた。最近では一週間に一枚替えるかどうか、百枚に一枚替えればいいほうで、百枚につき三枚だったのがいつの間に二枚になった年賀葉書の切手シートの当選確率にさえ負けている。ウンチのときは完全に腰が引けて、「ウンチは苦手だ」とのたまうが、わたしだって得意じゃなかった。だけど、場数を踏んで、少しずつ失敗を減らしてきたのだ。億劫がるダンナを説得するより自分で替えたほうが早いので、結局わたしがやってしまう。イヤイヤ替えても意味がない。ダンナのおむつ替え確率を上げるには、それが義務ではなくチャンスだという意識改革が必要だ。おっぱいが出ないダンナにとって、おむつ替えは絶好のスキンシップの機会なのだ。それをみすみす逃すなんて、もったいないと思うけれど、そのことに本人が気づかなくてはならない。このエッセイの作者のように。「おむつの数だけ絆が強まるよ」と言っても「おむつ以外で頑張る」と逃げ腰なわがダンナに「パパ、うんこ」を読ませたら、開眼するだろうか。

ところで、本格的に離乳食を始める前の赤ちゃんのウンチは、くさいというより酸っぱいにおいがするが、これが「玄米ガ炊けるときのにおい」によく似ている。うちで玄米を炊くたびに「もしや……」とたまのおむつに濡れ衣を着せてしまうほど。玄米を食べているお母さんたちに話すと、「わかるわかる」と盛り上がる(白米を食べているお母さんの場合でも、玄米のにおいがするらしい)。以前、『トリビアの泉』で「えのきの袋を開けたときのにおいが、いちごジャムに似ている」というトリビアが紹介されていたが、あれよりも「へぇ〜」を稼げるのではないかと思う。サンプルのウンチをどうやって調達するのか、ゲストにウンチのにおいをかがせるのはいかがなものか、という問題はあるけれど。

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2006年03月13日(月)  ヘレンウォッチャー【ヘレンパン編】
2005年03月13日(日)  宮崎美保子さんの四角い指輪


2007年03月12日(月)  マタニティオレンジ91 歴史は繰り返す

同じ年に留学して一緒に研修を受けたショウコに二人目の男の子が生まれ、同期のミカコ、ナオコとともに赤ちゃんを見に行く。ミカコは三人の女の子のお母さんで、翻訳の仕事をしながら、最近は手作りの焼き菓子を近所の喫茶店に卸している。お土産に持ってきてくれたそのお菓子は、素朴でとてもやさしい味がした。ナオコは2才の男の子を連れ、沖縄の医学部で勉強中。会社を辞めて医学部を受ける、と聞いたときもびっくりしたけれど、子育てしながら卒業までやり遂げるバイタリティには頭が下がる。いいお医者さんになって欲しい。ショウコはわんぱく盛りの2才の男の子と新生児の子育てで手一杯のはずなのに、自宅出産の様子をフォトアルバムにまとめ、手書きコメントをびっしり書き込んでいる。結婚式の写真の整理もまだ手つかずなわたしは反省。出会った16才の頃も「アメリカ行くぞー!」という勢いで元気いっぱい、目きらきらな人たちだったけれど、20年余り経って、しわが増えて口角が下がっても、開拓精神あふれる生き方は変わらない。

出会ったときから二倍以上の年齢になって子連れで会っているというのは、なんとも不思議な感じ。子どもだった自分たちがいつの間にか大人になって、また子どもを抱いている。そのうち子どもが「留学したい」と言い出したりするのかもしれない。親の立場になってみると、一年も親元を離れて海外にやるなんて、心配が尽きない。「自分たちの親はよく行かせてくれたよね」などと話す。

帰り道、電車の中でぐずりだした娘のたまに、ナオコが歌を歌ってくれた。「かえるの歌が聞こえてくるよ」「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね」。ナオコの息子のマコト君も一緒に歌ってくれ、たまは機嫌を持ち直した。子どもの頃に親と歌った歌を、今度は子どもに歌い聞かせたり、子どもと歌ったりする。

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2005年03月12日(土)  しみじみ映画『きみに読む物語』
2004年03月12日(金)  『ジェニファ』マスコミ試写開始
2002年03月12日(火)  FOODEX


2007年03月11日(日)  『のど自慢』チャンピオン大会

昨日ダンナの実家でダンナ母の誕生日を祝っていたとき、ニュースを観たままつけっぱなしになっていたNHKで『のど自慢』チャンピオン大会がはじまった。最初はなんとなく観ていたのだが、だんだんテレビに向き直り、最後には正座して拝聴、というぐらい見入ってしまった。各地の大会で優勝したチャンピオンの中から選りすぐりの15人が出場し、真のチャンピオンを決める。それだけの番組なのに、なぜこうも惹きつけられてしまったのか。観ているときも観終わったときも感じたのは、「世の中にはいろんな人がいるなあ」「どの人にもドラマがあるなあ」という驚きだった。

のど自慢の地区大会で優勝すること自体普通ではないしドラマチックだけれど、優勝者一人ひとりが生きている日常がこれまたドラマチック。それは彼ら一人のキャラクターが魅力的である証拠で、一人につき一本の映画を作れと発注されたら、するすると脚本を書けそうである。歌のうまい下手は生まれ持った声や発声法などの技術ももちろんだけど、歌に込める想いの重さで決まるのかもしれない。人の心を動かす歌を歌える人は、自分の心がまずたっぷりとしっかりと動いているのだろう。映画『のど自慢』は大好きな作品のひとつだけど、登場人物の心情に十分乗っかったところでクライマックスの大会での歌唱シーンが来るから、気持ちが入って泣けるのだ。のど自慢チャンピオン大会は、こころ自慢チャンピオン大会でもあるのだなあと思った。

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2005年03月11日(金)  絶対王様公演『やわらかい脚立』
2004年03月11日(木)  岩村匠さんと再会
2002年03月11日(月)  漫画『軍鶏』


2007年03月10日(土)  マタニティオレンジ90 存在することがプレゼント

三種混合の2回目の予防接種の6・7か月検診を一度に済ませようと小児科で順番を待っていたら、ママ仲間のトモミさんより「たまちゃん今日で200日目よ」とメールが届いた。トモミさんちのミューちゃんは一日違いの8月23日生まれで明日200日目を迎えるという。わたしも母親200日目かあとしみじみ。6・7か月検診では、身長、体重、頭囲、腹囲を測る。7375グラム、63センチのたまは、「体重は標準以上だけど身長が伸び悩んでますね」とのこと。親に似てチビっこ街道を進むのかもしれない。おすわりは上手にできたけれど、「仰向けになり、顔の上に置かれたティッシュを手でどける」がなかなかできず、これではまるでご臨終。「うーん、取りませんね」とお医者様が唸ったら、手ではなく口を動かし、もぐもぐとティッシュを食べてしまった。前世はヤギか。

今日は奇しくもダンナ母の誕生日。一年前は節目の70歳ということで中華料理屋で食事をし、デザートのタイミングで「実は8月に出産します」と打ち明けたら、予期せぬ報告にダンナ母と父が涙ぐみ、ダンナ妹もつられ、わたしももらい泣きしてしまった。結婚当初から孫、孫とことこあるごとにせっついていたダンナ母は、わたしとダンナが旅行に出かけるときには「お土産はいいから収穫を」と名台詞を吐いた。適当に聞き流したりネタ帳に書き留めたりしていなければ、プレッシャー負けするような勢いだったけれど、あるときからぱたりと子どもの催促をやめた。出してはならない話題ではと勝手に悟って自粛に踏み切ったようだった。わたしとダンナはただ長すぎるモラトリアムにはまっていたのだけど。それでも言いたい気持ちを必死に抑えていたダンナ母の歓迎ぶりはただごとではなかった。

そして今日、たまを連れて夜に外食するのはあんまり好ましくないし、おかあさんに夕食を作らせるのは悪いし、明るい時間に行ってお茶だけしよう、と花と誕生日ケーキを用意してダンナの実家を訪ねた。突然行って驚かせようと思ったら、ダンナ母は外出中で帰宅したのは夜。ごはん作るわ、と言い出したので、寿司の出前を取ることに。出前ってこういうときありがたいものだ。ケーキは「日本一のショートケーキ」と名高いフレンチパウンドハウスの苺ショート。でも、おかあさんにとって何よりのごちそうは、孫の顔を見れたこと。「今日会えるとは思わなかったわ」と二年続けてのサプライズを喜んでくれた。孫は存在する(present)だけでプレゼントになってしまう。

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2005年03月10日(木)  おうちでDVDレンタル『TSUTAYA DISCAS』
2002年03月10日(日)  循環


2007年03月09日(金)  マタニティオレンジ89 4月から0歳児保育

助産院を退院する前日、子育ての先輩である友人二人が見舞いに来てくれ、「保育園はどうするの?」と聞かれた。「まだ産んだばっかりだし、そんな先のことは考えていない」と答えると、「0歳から預けるなら、申込みは年明けだから、けっこうすぐだよ」「フリーは就労証明がもらえないから、0歳から預けたほうが入りやすいよ」などとアドバイスしてくれ、二人で口をそろえて「わたしたち、預けてよかったって思ってる」と力強く言った。それまで、保育園には「本当は預けたくないけど、仕事するためにはしょうがない」という後ろ向きなイメージを持っていたわたしは、積極的に預けたい場所なんだ、と驚いた。彼女たちの二人合わせて五人の子どもたちは、お手本にしたいぐらい個性と好奇心を上手に伸ばして育っているから、彼女たちの太鼓判には説得力があった。こうして出産五日目に「4月から0歳児保育」計画が急浮上したのだった。

12月下旬から近所の保育園を三つ見学。実際に目にした保育園は、わたしの想像よりもはるかにいい環境だった。日当たりのいい広々とした部屋。思いきり遊べる園庭。三輪車で元気よく駆け回る園児たちも、彼らを追いかけて走り回る保育士さんたちも、とてもいい顔をしている。夏は毎日水遊びをして、卒園時にはみんな泳げるようになるという。0歳児クラスは10人を4人の保育士で見てくれ、週に一回、小児科医の診察もある。正直、ここまで至れり尽くせりだとは思って居なかったので、安心を通り越して喜んで預けたい、という気持ちになった。

1月上旬に区役所に申込みの書類を提出すると、下旬に区の職員さんの家庭訪問があり、「保育の必要度」を尋ねられた。わたしが住む文京区では、保育の必要度を点数化し、点数の高い人から希望の園へ割り振られる。就労証明もなく勤務時間も不規則なフリーランスは、順位が低くなりやすいのだが、ちゃんと「いかに保育に欠ける状況であるか」をアピールできる機会を設けてくれているのはありがたい。これまでの作品歴、昨年一年の仕事の実績などを本やDVDの画像も入れ込んでまとめたプレゼン資料を用意し、執筆は自宅だが打ち合わせや取材で外に出ることが多いこと、体を空けておくのも仕事であること、などを切々と訴えた。職員さんが『子ぎつねヘレン』を知っていてくれたら話が早いなあと思ったのだが、「知りません」と言われて、がっくり。この訪問の際に、「あなたが希望されている園の倍率はこうなっています」ということを教えてくれる。わたしは第2、第3希望の園に行くにつれ競争率が高くなっているので、「倍率の低い園に変更したほうが、確実に入れると思います」とアドバイスされた。早速その日、家からは少し遠くなるけれど倍率が比較的低いという園を見学し、第3希望を差し替えた。

第一希望の園は難しいだろうなあと覚悟していたのだが、2月下旬に郵送で届いた内定通知を開くと、そこには第一希望の園の名が記されていた。この年になって内定にバンザイすることになるとは。通知が着いた二日後に健康診断があり、内定は正式決定に。その際にもらった「準備するものリスト」を見ると、買い物をしなくてはならないし、大量の名前づけ作業をこなさなくてはならない。ひさしぶりに苦手な裁縫と格闘である。入れてからは楽になるのだろうが、仕事がふえて三月は大忙しだ。入園まで、あと一か月足らず。ママの宿題は間に合うのだろうか。

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2006年03月09日(木)  ヘレンウォッチャー【松竹本社編】
2002年03月09日(土)  映画『カンダハール』


2007年03月08日(木)  身につまされた映画『ドリームガールズ』

観たい観たいと思っていた『ドリームガールズ』がママズクラブシアターでかかり、早起きして9時20分の回をキャッチ。ミュージカルは舞台も映画も大好きだが、とりわけ好きな『シカゴ』のスタッフが多数参加し、しかも『シカゴ』の脚本を書いたビル・コンドンの監督作品とあって、期待は高まるばかり。

冒頭のアマチュアコンクールの場面、無名三人娘のドリーメッツが舞台に登場し、リードボーカルのエフィーの歌声が弾ける。スクリーン越しに観ているのを忘れ、コンクール会場の客席にいるような迫力。エフィーを演じたジェニファー・ハドソンは役作りのために体重をふやしたと聞くが、人よりも多くついた脂肪も肉も体重もあの歌声の栄養源なのではと思えるほど。監督が演技を評して「ショーストッパー」と絶賛したという新聞記事を読んだが、あまりの拍手でショーが中断するほどの熱演、という褒め言葉は決して大げさではない。アカデミー賞助演女優賞を受賞したのも納得だけど、助演ではなくて主演ではないのかというぐらい、わたしは完全にエフィーに乗っかって観た。

エフィーが主役を食ってしまったのは、ジェニファー・ハドソンの演技の存在感なのか、それともわたしが感情移入しすぎたせいなのか。歌うことが好きで好きでたまらないという空気を全身から発散させている姿には、踊っているだけで幸せだった学生時代の自分を重ねた。大学を出たわたしは、自分が踊るのではなく、言葉を躍らせる道を選んだけれど、エフィーにとっての「歌う」をわたしにとっての「書く」に置き換えて、観た。好きなことをしてお金をもらえて名前も売れるショービジネスの世界。レコードの売り上げやリクエスト数がランキングを駆け上る高揚感は麻薬のように人を夢中にさせ、惑わせ、運命を狂わせる。誰かが成功する陰で誰かが傷つき、誰かが乾杯する陰で誰かがヤケ酒をあおり、誰かが頂点を極める陰で誰かがどん底を味わう。栄光の光が眩しすぎる分、そこに生まれる影も大きい。ドリーメッツがドリームガールズの名でメジャーデビューすることが決まったとき、エフィーはテレビ的に見映えのいいビヨンセ演じるディーナにリードボーカルの座を譲ることになる。脚本の世界でいえば、プロデューサーとあたためてきた企画に出資者が現れて実現することになったものの、脚本家は別の人でと告げられたような状況だろうか。好きなことを仕事にしているからといって、好きなようにできるわけではない。どこかで夢と現実の折り合いをつけなくてはならない。だけど、夢を売る仕事であっても、自分の夢を安売りしたくはない。グループとしての夢が叶った代償に一人の歌い手としての挫折と屈辱を味わうエフィーの葛藤が痛いほど伝わってきて、わたしの胸まで引き裂かれそうだった。

持ち歌が盗まれたり、金の力でつぶされたり、というエピソードも他人事とは思えなかった。歌であれ映画であれ、ソフトが商品になるとき、その市場価値を生み出すのはプロデューサーの腕の見せどころ。さらに言えば才能という原石を宝石に化けさせるか石ころのまま埋もれさせるかもプロデューサーの腕次第だ。自分には夢をつかむだけの才能があると信じる者は、自分を売り出してくれる手腕とコネを持つ者に出会い、自分を信じるようにその人を信じ、運命を託す。けれど、売り出す立場の人間にもまた夢があり、野望がある。故意であってもなくても、悪意があってもなくても、利用された、裏切られたという悲劇は起こる。ここにも光と影がある。

『月刊シナリオ』を読んでいると、ときどき、名指しでプロデューサーを糾弾する脚本家の手記に遭遇する。脚本を送って打ち返しの返事を待っている間に、いつの間にか勝手に内容が変えられていたり、脚本家が替えられていたりする。糾弾された側の言い分も掲載しないと欠席裁判になるのではという気もするが、叫ばずにはいられない心情も理解できる。お金の問題でもなければ、ただ感情的になっているわけでもない。その作品に懸けていたからこそ悔しい、腹立たしい、やりきれない。夢と期待で膨らみきった風船は、割れたときの衝撃も大きい。だけどその痛みは、光と影がセットであるように、夢を仕事にする幸福につきまとう副産物なのかもしれない。エフィーのように仕事に逃げられ、信頼していた仲間に背を向けられたら、わたしだって何も信じられなくなるだろう。だけど、何もかも失っても「自分にはこれしかない」と歌い続けたエフィーのように、自分に正直に生きたいと思う。夢を追い求める魂だけは誰にも盗めないし、売り渡してはならない。夢を打ち砕かれることがあっても、そのかけらを拾い合わせて、つなぎ合わせて、大切に持ち続けたい。そんなことを大真面目に考えた。

努力すれば、力を合わせれば、夢は叶う、と夢みたいなことを信じているわたしは今でもドリームガール。あれ、ドリームガールは夢のような女の子という意味だろうか、夢見る女の子だとドリーミングガールになるのか。劇中歌はどれもメロディ歌詞ともにすばらしいし、あの時代の空気感みたいなものまで見事に表現されていて、音楽を聴いているだけでも存分に楽しめた。機会があればぜひ舞台版も観てみたい。『アニー』『ムーランルージュ』『オペラ座の怪人』『シカゴ』に、またひとつ、お気に入りのミュージカル映画が加わった。

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2006年03月08日(水)  innerchild vol.11『PANGEA(パンゲア)』
2004年03月08日(月)  勝地涼君初舞台『渋谷から遠く離れて』
2002年03月08日(金)  言葉の探偵、『天国の特別な子ども』を見つける。


2007年03月07日(水)  マタニティオレンジ88 笑いの効能

マタニティオレンジ81に書いた「母になっても女心はある」(>>>2007年2月22日の日記)には、母たちだけなく妻たちからも反響があった。妻という字に女が入っているのは一目瞭然だけど、「出産して乳母」となる前に「結婚して家政婦」となってしまったことを嘆く女性はけっこう多い。「女性は女である自分に妻や母をトッピングできるし、恋人である男に夫や父をトッピングすることもできるけれど、男性の場合は結婚した途端に恋人は妻になっちゃうし、出産した途端に妻は母になっちゃうし、とトコロテン式に押し出されるのね」「人間の器というのは、女性は子宮のように伸縮自在だけど、男性は形も大きさも決まっていて融通がきかないのかも」などと女同士で分析しあったりして、うちだけじゃないんだ、と安心した。

さて、わたしに「ダンナは女心がわかっていない」と嘆かせた予約の取れないレストランに、ダンナが仕事先の人と行ってきた。「すごくよかったよ」と興奮気味に言うのを聞いて、「どんな感じ?」と自然に聞けた。よかった、わたしはもうすねてない、いじけてない。
わたし「何食べたの?」
ダンナ「前菜が2つとパスタが2つと……」
わたし「お皿の数じゃなくて」
ダンナ「海老とか魚とか肉とか」
わたし「それだけじゃわかんないよ。海老がどうなってたの?」
ダンナ「海老が……死んでた」
次の瞬間、わたしは思いっきり吹き出し、しばらく笑いが止まらなかった。娘のたまが「ママこわれちゃったの?」という目でわたしを見、ダンナも呆気に取られていた。いやぁ、こんないい台詞、頭を捻っても書けない。料理の海老の説明がこの調子なんだもの、女心を理解して気のきいたことを言ってと要求するのは無茶だ。しみじみと納得しながら、こないだもこれぐらい面白いこと言ってくれれば、その場でくさくさした気分を笑い飛ばせたのに、と思ったりする。

わたしは自分でもびっくりするぐらい笑い、笑った後で「うわあ、なんかすっきり」と爽快感にこれまた驚いた。自分では溜め込んでいないつもりでも、毎日少しずつガスは溜まっていたらしく、それが一気に発散された様子。わたしがあんまり笑うので、ダンナもつられて笑いだし、たまも一緒にニコニコしていた。笑いは家族円満に何より効く。常備薬にしておかないと。

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2006年03月07日(火)  ヘレンウォッチャー【全国からありがとう編】
2002年03月07日(木)  誤植自慢大会


2007年03月06日(火)  『ゲゲゲの鬼太郎』×『子ぎつねヘレン』

ゲゲゲの鬼太郎』のマスコミ試写を観るため、ひさしぶりに東銀座の松竹へ。子どもの頃、何度言っても「ゲゲゲのゲ太郎」と言い間違えてしまったが、あのアニメの世界がどんな風に実写になっているのか、まさに「怖いもの見たさ」で客席に着く。結果から言うと、すごくよくできている。この妖怪にはこの人しかありえない、というような絶妙なキャスティング(川村恵)と、完成度の高い衣装デザイン(ひびのこづえ)と特殊メイク(江川悦子)の合わせワザで生まれた妖怪たちは実にチャーミングで、見ているだけでうれしくなる。ウエンツ瑛士の鬼太郎、田中麗奈の猫娘、室井滋の砂かけ婆、間寛平の子なき爺、どのキャラも見事にはまっていたが、妖怪度私的ベスト3を挙げるなら、西田敏行の輪入道(画面いっぱいの顔面の迫力に目が釘付け!)、YOUのろくろ首(こんなに長首が似合ってかわいい人はなかなかいない)、大泉洋のねずみ小僧(あまりに素顔となじみすぎて、演じていることを忘れさせるなりきりぶり)。役者さんたちが皆ノリノリで演じている雰囲気が伝わってくる。撮影現場はどんなことになっていたんだろう。見たかった。

妖怪狐のリーダー格、空狐を演じていた妙に存在感のある役者さんは橋本さとしさん。以前、舞台『シンデレラストーリー』で宮廷大臣ピエールを演じていた人(>>>2005年5月27日の日記)。「この人は誰!」と二度驚いたから、もう忘れない。いちばんわたしの心をとらえたキャラクターは、目玉おやじ(声はアニメと同じく田の中勇)。画面に出てくるたびに何をしでかしてくれるか、目が離せなかった。小さな手足を懸命に動かして感情を訴えるしぐさが、何とも言えず愛らしい。持ち帰ってお椀のお風呂に入れたい! とにかく、妖怪の豪華大競演だけでも一見の価値あり。子どもは無邪気に面白がるだろうし、大人には芸の細かさを観察する楽しみがある。

脚本は羽原大介さんと本木克英監督。わたしが勝手に実証している「ハバラダイスケ作品にハズレなし」の法則は『フラガール』に続いてまたしても記録更新。突然の悲劇に見舞われる父子家庭の姉弟(井上真央・内田流果)を救おうとする鬼太郎が妖怪の反発を招いて窮地に陥るというストーリー展開で、アクションをふんだんに取り入れつつ、要所要所でしっかり笑いを取り、最後には人情をにじませ、なんとも贅沢なエンターテイメントに仕上がっている。

エグゼクティブプロデューサーの榎望さん、プロデューサーの石塚慶生さんは『子ぎつねヘレン』のプロデューサー。狐の妖怪が大暴れするのはそのせいではないと思うけれど、思わぬ場面で、ヘレンとのコラボレーションを発見。お、こんなところに……! 子ぎつねヘレンを観た人なら、見つけてうれしくなってしまうはず。そのヘレンが今月、地上波に登場するそう。21日(水・祝)の21時よりテレビ東京にて放映。普段は水曜ミステリー9の枠。祝日なので家族揃って観てもらえるとうれしい。話題がそれてしまったけれど、ゲゲゲの鬼太郎は4月28日公開。

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2006年03月06日(月)  ヘレンウォッチャー
2005年03月06日(日)  傑作韓国映画『大統領の理髪師』
2002年03月06日(水)  家族


2007年03月05日(月)  マタニティオレンジ87 プレ離乳食

生後4か月頃から「そろそろ離乳食」の声が聞かれる。わたしが住む文京区では、「5か月中には始めましょう」と指導しているが、出産した助産院では「赤ちゃんの胃腸は1才頃まで機能が未完成なので、なるべくスタートは遅らせて」という方針。「6か月までは、なるべく母乳とミルク以外与えないで」と言われた。「離乳食は3才からでいい」という大胆な説を唱える小児科医もいるとかで、焦ってはじめる必要はなさそう。ただ、あまりのんびりしていると、母乳やミルクしか受け付けない偏食をする子になるとか、母乳やミルクだけでは栄養が偏るという話も聞く。何事もバランスが大事。「食べることを楽しめる子」に育てるのは、わたしの子育ての大きな目標のひとつ。食事は楽しい、待ち遠しい、その感覚だけは間違いなく身につけさせたい。

そういうわけで、12分の6才を祝った週末が開けた2月26日の月曜日から、ぼちぼち離乳食への助走を始めることに。おかゆやマッシュド野菜に進む前の、いわゆるプレ離乳食。まずは胃腸に負担をかけないサラサラのもので、スプーン慣らしをする。最初に覚えさせるのは日本の繊細なだしの味と決めていた。といっても素材に湯通しするだけの手抜き調理。月火水で鰹だし、木金土で昆布だし、そして昨日から三日間かけて煮干だし。同じものを続けて与えると、少しずつその味に慣れていく様子が観察できて面白い。はじめて出会う味には何とも微妙な表情を見せ、警戒しながらおそるおそる舌を出して味見をするが、三日目になるとゴクゴク飲み込む。未知との遭遇。パックの鰹節でこんなにドキドキを味わえるとは。煮干だしを征服したら、野菜のうまみだけでだしを取った野菜スープに挑戦する予定。

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2005年03月05日(土)  Uzさんの新ユニット『croon』
2002年03月05日(火)  情熱


2007年03月04日(日)  マタニティオレンジ86 初節句

最後に雛祭りを祝ったのはいつだったか。とっくの昔に雛ではなくなり、雛祭りと縁遠くなって久しいが、親鳥になって再び雛祭りが身近なものになった。3月2日の金曜日から三日続けて雛祭り。お祭り好きのわたしにとっては、行事がふえるのは大歓迎である。

まず2日は、昨年同時期に女の子を授かった上野のユキさんに声をかけてもらい、ユキさんを紹介してくれたビクス仲間のトモミさんとともにお宅にお邪魔する。築40年の古家をリフォームした家は吹き抜けの高い天井が気持ちよく、観葉植物に囲まれて温室にいるよう。海の底の竜宮城に負けない居心地のよさで、気がつけば6時間。料理上手なユキさんのダンナ様が腕をふるったちらし寿司とはまぐりのお吸い物、トモミさんが手作りした道明寺桜餅が雛祭り気分を盛り上げてくれた。傍らに寝転がした雛たちを愛でながら、話題は子どもたちのことと自分たちのことを行ったり来たり。最後はナマ雛三人を60度ずつずらして絨毯に寝かせ、その間に雛壇から出張させた雛人形たちを挟んで記念撮影。

3日はダンナが仕事でお世話になっているお客様がわが家へ。皆に交代でだっこされ、わが家の雛はごきげん。洋服やおもちゃもプレゼントされ、雛祭りにクリスマスがくっついたよう。デザートは新宿タカノの雛祭りケーキ。ぼんぼり代わりにろうそくを左右に一本ずつ灯す。

締めくくりの今日は、ダンナの実家で雛祭り。ちらし寿司寿司の前で、桜餅の前で、ひなあられを持たせて、写真をたくさん撮った。2週間前から飾ってある雛壇の前でも記念撮影。いちばん下の段に飾ってある神輿が、ぜんまいを巻くと「明かりをつけましょぼんぼりに〜」が流れるオルゴールになっているのだが、この音楽が怖いらしく、たまがおびえてぐずる。たしかに「通りゃんせ」や「かごめかごめ」に通じる不気味さがある。雛人形は、ダンナの妹が生まれたときに買い求めたもので、8月22日生まれのたまと誕生日が2日違いの彼女が雛壇の前でお座りしている写真が残っている。ダンナ母はそれが昨日の出来事であるかのように「ちょこんとお座りしてね、かわいかったのよ」と懐かしむ。たまもちょっぴり不安定ながらお座りを決めた。わたしも数十年後、色あせた写真を見ながら昨日のことのように初節句の思い出を取り出すのだろうか。

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2005年03月04日(金)  押忍、ひさしぶりの総会っす。
2002年03月04日(月)  感想


2007年03月02日(金)  マタニティオレンジ85 孫をかわいがるのは人間だけ

妊娠・出産に際して数々の忘れがたい言葉を贈られた。友人で医師の余語先生に言われた「孫をかわいがるのは人間だけ」は印象的な言葉のひとつ。動物が子どもをかわいがるのは本能だが、孫に特別な感情を寄せるのは人間ならではなのだという。三つ先の駅に住む義父母は、娘のたまの誕生を心から歓迎し、よくかわいがってくれる。血を分けた孫だからこその愛おしさはもちろんあるのだろうが、他人の孫をかわいがれるのもまた人間ならではだと最近つくづく思う。

たまを抱っこして街を歩いていると、すれ違う年配の方々が顔をのぞきこみ、声をかけてくれる。「あら、髪が豊かでいらっしゃること」「もう何か召し上がっていますか」「どれぐらい経ちましたか」「今日はお出かけ日和ですわね」。文京区という土地柄か、上品な言葉使いの方が多い。わたしは人と話すのが好きなので、相槌を打ちながら「お子さんを九人もお育てになったんですか」「曾孫さんがいらっしゃるんですか」などと感心したり、「この子はバスの揺れが好きなんです」「メガネを見ると、パパの仲間だと思うみたいです」などとわが子の解説をしたりする。まだ言葉を話せない子どもと部屋に二人でこもる時間が長いので、他愛のないおしゃべりはいい気晴らしになる。

今日、友人宅へ遊びに行こうと駅へ向かっていたら、突然かばんが重くなった。見ると、おばあさんがかばんにぶらさがっている。ぶらさがっているように見えたのは、身長150センチのわたしよりさらに小柄な方だったからで、「あたしが持ちますよ。あなた大変だから」とわたしのかばんの紐に手をかけ、引っ張っているのである。「大丈夫です」と言っても、「どこにも持って行きやしませんから」と引かない。おばあさんのことは疑っていないけれど、肩に掛けた紐を外して受け渡しするのも面倒だし、恐らくわたしのほうが体力も腕力もある。「ほんとに大丈夫です」と重ねてお断りすると、とても残念そうな顔をされたので、「そのかわり、あやしてやってください」とお願いした。一緒にいる理由ができて、改札を抜けるまで並んで歩いた。

出産以来、新聞でも街の掲示板でも「地域の子どもをみんなで育てよう」といった呼びかけが目に留まるようになった。街のじいじばあばに見守られているという安心感は、わたしにはとても心地よくてありがたい。

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2006年03月02日(木)  シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年03月02日(水)  昭和十六年の教科書
2002年03月02日(土)  手づくり


2007年03月01日(木)  マタニティオレンジ84 「おなかの皮で風呂水」伝説

マタニティオレンジ71「鼻からスイカ」伝説(>>>2007年02月04日)には老若男女から反応があり、産みの苦しみへの関心の高さをうかがわせた。で、今回検証する伝説は「おなかの皮で風呂水」。産後3週間目頃に広告会社時代の先輩CMプランナーだったO嬢から送られたメールに「出産後はおなかの皮で風呂水がすくえるってほんと?」と素朴な疑問があった。わたしも知っている共通の元同僚がかつて出産したときに「すくえる」発言をしたらしい。まさか、と思いつつ実際やってみたのだが、できなかった。だけど、出産直後だったら、できたかもしれない。

出産後のおなかの皮のたるみようは尋常じゃなかった。助産院の風呂場の全身鏡に映った産後一日目のわが身を見て、わが目を疑った。おなかを膨らませていた子どもと胎盤が出ていけば、おなかはぺったんこになる、とわたしは重大な勘違いをしていたのだが、張り合いをなくしたおなかが重力に負けて、ぽよよんとだらしなく垂れていた。「わ、年食ったキューピーみたい」と思わずつぶやき、しばらく鏡の前で呆然となった。ビキニを着なくなって久しいし、何も失うものなどないさ、と強気だったわたしも、さすがにひるんだ。子どもの頃、夢中になって遊んだ風船が、数日経つと、しわしわになって萎んでしまうのを見るのが悲しかった。そんなことを思い出した。あのときつまんだおなかの皮は、たしかによく伸びて、おたまにでもスコップにでもなれそうだった。

時間をかけて戻るから大丈夫よ、と助産師さんは慰めてくれた。空っぽになった子宮はゆっくりと元の大きさに戻っていく。伸びきっていたおなかの皮もじわじわと縮んでいく。母乳育児の減量効果も手伝って、産む直前に92センチあった腹囲は、産後6か月で65センチになった。産んだ直後は何センチあったのだろう。計っておかなかったのが悔やまれる。「体重は戻っても体型は戻りません」という名コピーに釣られて買った補正下着は、ムカデの足みたいなホックのつけ外しが面倒で数回着たきりだが、ウエストに関して言えば、「サイズは戻っても、張りは戻りません」という感じだ。あと数センチ減らせば妊娠前のサイズになるけれど、皮のぶよぶよ感は居残りそうな気配。風呂水はすくえないけれど、娘のたまはお風呂の中でわたしのおなかの皮を手すり代わりにギュッとつかむ。悪いことばかりではない。

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