2007年02月28日(水)  推定年齢

年齢を聞くのは難しい。いきなり聞くのはぶしつけだし、年齢を聞きあえる仲になるまでの間は、見た目や話しぶりからはじき出した推定年齢を念頭に置いて会話を進めることになる。子どもが同い年だから自分たちまで同級生のような錯覚をおこしてしまうけれど、ママ仲間の年齢層は20代から(下手したら10代もいるだろうけどまだ出会っていない)40代までと幅広い。対象年齢20代の服を愛用するわたしは、ちゃんと年齢相応に見えるらしく、「同じぐらいじゃない?」と同世代のにおいを嗅ぎつけた人が声をかけてくれる。これが誤差二才の範囲内で当たる。小学校時代にゲームウォッチやルービックキューブやリリアンが流行って、幼稚園から小学校低学年にかけてピンクレディーを夢中で真似し、小学校高学年の頃に明星や平凡を広げて「たのきんトリオで誰が好き?」と言いあってた世代だ。

「いくつ?」と聞かれて「6です」と一の位だけ答えられたりすると困る。36にしては若く見えるけど、26にしてはお疲れ気味。どっちだろう。咄嗟の反応に困る。そんなときは、こちらの年齢を告げて反応を見たり、さらなる会話の中に推理の手がかりを求めたりする。子ども同士が指をくっつけあうのを見て、「E.T.みたい」と喜ぶママは30代以上。公開は1982年。6才で観るとしても1976年に生まれていなくてはならない。

同世代だと思っていた人が20代だったり、30手前だと思っていた人が30代後半だったり、推定年齢と実際の年齢がかけ離れていることもある。でも、一度年齢を知ると、その年に見えてしまうから不思議だ。アメリカ留学時代、拙い英語でsixteenと年齢を告げたら、アンビリーバボーという顔をされ、「そんな年に見えない。すっごく若く見える」と驚かれた。どうやら相手にはsixtyと聞こえたらしい。46才の逆サバ。そりゃ驚く。sixteenは若さを協調してteenにアクセントがあるけれど、sixtyになるとアクセントも前のめりになる。

誰もが持っているものだから、年齢に関する笑い話はよくある。昔、女友達が初対面でけっこう彼女好みの男に「わたし、27なのよねえ」と切り出したら、相手は何を思ったか足のサイズと勘違いして「靴探すの大変じゃない?」という話になり、そこから延々と大きなサイズの靴を探す苦労話をしてしまったという。「わたしの足はそんなに大きくない」と彼女は憤慨していたけれど、怒るポイントはそこではない。年の数が足のサイズに化けるのも悲しいけれど、わたしの場合は、年齢が年代に化けた。ラジオドラマ『夢の波間』の収録後の飲み会で上杉祥三さんに年齢を聞かれて「33です」と答えたら、「昭和?」と予期せぬ反応。昭和33年生まれってことは、45才。12才も年食って見えるのか!とショックを受けた。「いやぁ、その若さであんなにええ本は書けんやろ?」という慰めは脚本家としては喜ぶべき褒め言葉なのだろうけれど、女性というもの、若く見られることにこだわる。この実年齢と生年の誤差」も年を重ねるごとに縮まり、8年後にはゼロになって「45才」と「昭和45年生まれ」が共存することになる。それ以降は、「昭和?」がお世辞になるのだな。楽しみだ。

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2006年02月28日(火)  絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』打ち上げ
2005年02月28日(月)  フリーの人の確定申告
2004年02月28日(土)  「ブレーン・ストーミング・ティーン」著者贈呈本
2003年02月28日(金)  2003年2月のカフェ日記
2002年02月28日(木)  ヘンな弟よっくん


2007年02月27日(火)  平成18年度確定申告

日記の更新が遅れているのは、確定申告に時間を取られていたせいだ。毎年この季節になると、「青色申告にしたほうが、たくさん戻ってくるんだろうか」「税理士さんにお願いしたら、いくらぐらいかかるんだろう」などと迷いつつも、提出期限が目前に迫っているので、自力で片付けてしまう。便利なソフトが出ているとはいえ、「帳簿をつける」という面倒くさそうな響きに二の足を踏み、いまだに白色申告。領収書の提出などは求められないけれど、抜き打ちで査察が入ったときのために、経費はきっちり計算して出す。これもエクセルにすればいいものを、領収書やレシートの金額をいちいち電卓に打ち込んだ結果を手書きでメモし、それを項目別にまとめてワードに打ち込むという超アナログなやり方。こんなことやってる間にプロットのひとつでも書くべきではないか、と思う一方で、年に二、三日ぐらい、ひたすら電卓を叩く日があってもいいじゃないか、と自問するのも毎年恒例。今年は片手で乳飲み子をあやしながら片手で電卓を叩くので、例年の倍以上の時間がかかり、一週間を確定申告週間にあててしまった。

電磁波が怖いので、子どもを抱いてパソコンの前に座ることは避けている。子どもを寝かしつけてから、国税庁のホームページを開いて申告表に入力。画面に金額を打ち込むだけで計算してくれるので助かる。雑所得の収入内訳の欄に、この一年仕事した会社の名前と所在地と金額を打ち込みながら、この企画は成立させたかったとか、あのプロデューサーは元気かなあとか、悔しがったり懐かしんだり。企画がボツになるのは悲しいけれど、お金をもらえるようになったのはせめてもの救い。会社員の給料に雑所得の原稿料が混じるようになったのは、平成11年。確定申告のやり方がよくわからず、申告するようになったのは13年から。6桁だった雑所得が7桁になり、給料の4分の1になり、3分の1になり、給料を追い越した平成17年度に会社を退職した。

はじめて給与所得が0になった平成18年度、雑所得は過去最高になり、会社にい続けて受け取ったであろう年収の約3倍に。その半分以上は映画『子ぎつねヘレン』の著作権使用料と関連本の印税なので、来年はどうなるかわからない。だから原稿料や印税は「変動所得」といって、「平均課税」を適用できる。「18年度の変動所得(収入から必要経費を引いたもの)」から「前年度と前々年度の変動所得の平均」を引いたものが「変動所得の平均額」として、平均課税の対象額となる。細かい計算式はわたしの説明能力を超えているけれど、要は「浮き沈みの激しい収入」に見合った「やさしい税率」をかけてもらえる仕組みになっている。申告用紙の注意書きには「変動所得の種目の各欄には、漁獲、のり、はまち、まだい、ひらめ、かき、うなぎ、ほたて貝、真珠、真珠貝、印税、原稿料、作曲料などと書きます」とある。いつ引っかかるかわからない獲物を狙って釣り糸を足らしたり網を広げたり……脚本家の仕事には確かにそういう側面がある。

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2005年02月27日(日)  1975年のアカデミー賞映画『カッコーの巣の上で』
2002年02月27日(水)  世の中は狭い。いや、世界が広くなったのだ。


2007年02月26日(月)  500円の価値

信販会社より「お客様情報流出のお詫び」が届く。ニュースでは何度も見聞きし、よくあることだと思っていたが、ついにわたしにも巻き込まれる番が回ってきた。クレジットカード会員を対象にしたダイレクトメール作成を印刷会社に預託した際に個人情報の一部が流出、その内容は「カード番号、有効期限、氏名、性別、生年月日、郵便番号、住所、電話番号でございます」とある。発覚の経緯や今後の対応、手元に心当たりのない請求書や不審なダイレクトメールが届いたときの対処法が丁寧に記されている。

「お客様に多大なご迷惑とご心配をお掛け致しますこととなり、謹んでお詫び申し上げます」とひれ伏さんばかりの文面だが、「お詫びの気持ちの一端として」同封されたクオカードの額面は500円。事が重大なのかどうか、よくわからなくなる。1000円だったら2倍の誠意が感じられるわけでもないし、10000円だったら「こんなに包まれるほどやばいのか」と不安をあおってしまうかもしれない。お詫びの気持ちを示しましたという事実が大事なのだろう。封筒には「親展」とあるので、ダイレクトメールだと思って開封せずに捨ててしまう人も多いと思われる。ゴミ箱に消えるクオカードの総額はいくらになるだろう。ネタ探しと紙リサイクルのためにダイレクトメールは一通り開封する習慣のおかげで、500円を捨てずに済んだ。いつかこの手のお詫び文書が自分の作品に登場するときのための資料も入手できた。

500円といえば、最近近所のお肉屋さんで買い物したとき、「これ、500円玉じゃないみたいだけど」と出したばかりの硬貨を差し戻された。えっと思ってよく見ると、「500円」と刻印されてはいるが、顔つきが違う。「南極地域観測50年」「平成19年」とあり、最近発行された記念硬貨のよう。「これ、本物ですよね。わざわざ、ニセモノでこんなもの作らないですよね」。いつの間にわたしの財布に紛れ込んだのか、なんだか手品みたい。「記念になるから取っとこっかな」と言うと、「それがいいよ。ね、ね」と店のおじさんが熱心に後押しする。またおつりを返すときに問答になるのが面倒なのかもしれない。押し付けられる形になると、あんまりうれしくないものに思えてしまう。人がありがたがるものをありがたいと思う気持ちが値打ちを底上げするんだなあと実感。

持ち帰った記念硬貨の500円玉は、まだそんなに人の手を経てないようで、ぴかぴかしている。絵柄の二頭の犬は観測犬のタロウとジロウだろうか。昨年リメイク版が作られた映画『南極物語』のオリジナル版は、わたしが人生で最初に観た映画十本の中に入るひとつ。まだ小学生だったと思うが、買ったパンフレットをすみずみまで読んだのを覚えている。いくつかの場面は今でもくっきりと思い出せる。大人になると、映画を観ている途中にふと他のことを考えてしまったり、ある場面を見て別な作品を連想したりしてしまうけれど、子どもの頃は目を見開き、耳を澄まし、全神経を集中させて映画の世界に入り込んでいたのだろう。

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2005年02月26日(土)  ブラジル物産展
2002年02月26日(火)  数珠つなぎOB訪問


2007年02月25日(日)  マタニティオレンジ83 風邪の置き土産

噴水みたいに母乳を吐かれて仰天し、小さな体を折って咳き込む姿に涙を誘われ、娘のたまのはじめての風邪には、これまでになく焦ったりオロオロしたりさせられた。裏を返せば、それまでがあまりにも順調で楽しすぎていたのかもしれない。熱は平熱のままだったのだけれど、鼻と喉が詰まって息するのが苦しそうで、寝ている間に呼吸が止まったらどうしようと心配になった。新生児の頃によくやったみたいに、鼻の前に手のひらを近づけて、吹きかかる息を確かめたりした。もともとわたしの風邪がうつったのだけれど、看病しているうちにこちらの身が弱りそうだった。

一週間経ち、たまはすっかり回復。治ってみれば、風邪のおかげで得られた収穫に目を向ける余裕ができた。診察も薬もタダの乳児保険証のありがたみをつくづく実感。近所の小児科がとても頼りになるいいお医者さんだということも確認できた。その病院の2階では病気の子どもを預かる病児保育をやっている。病気のときに預けることに後ろめたさもあったけれど、仕事の都合で止むを得ず一日お願いしてみた。ベッドが並んでいるだけの殺風景な空間を想像していたのだが、行ってみると、そこは保育園のようなおもちゃと明るい色のあふれる楽しげなお部屋。その日は定員四人のうち三人がインフルエンザの子で、他の三人と部屋を分けたたまは20平米ほどの広々した部屋と保育士さんをひとり占め。わたしが預けた7時間の間におむつを4回替え、ミルクを2回与え、薬を1回飲ませ、熱を3度計り、診察と鼻の吸引までやってもらえる至れり尽くせりぶりだった。家族以外に預けるのははじめだったけれど、この日を境にたまの体調は一気に回復。夜にはひさしぶりの寝返りを決めた。区の補助に支えられているのだと思うが、朝8時半から夕方5時半まで見てもらえて保育料は3000円。人の手を借りられるところは借りればいい、プロにまかせられるところはお願いすればいい、と身をもって学んだ。

シロップ薬は離乳食をはじめる前の格好のスプーントレーニングになったが、空いた大小二つのプラスチックボトルは薬瓶の役目を終え、お風呂のおもちゃに就任。湯船にぷかぷか浮いて、手を伸ばすとするりと身を交わし、魚みたいに手の中で踊ったり跳ねたりする。予測のつかない動きを見せるので、たまは夢中になって手を振り回し、追いかけ回している。その元気な姿を見て、健康がいちばん、としみじみ思えるのは、風邪が置いて行った何よりの土産だろう。風邪の間はお風呂もおあずけだったから、お風呂に入れることにも感謝してしまう。あたり前のことをあたり前にできる日常の中に幸せはあるのだ、と不自由な風邪週間のあとの平常を味わっている。

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2006年02月25日(土)  半年ぶりの美容院
2002年02月25日(月)  信濃デッサン館


2007年02月24日(土)  マタニティオレンジ82 たま6/12才と応援団

8月22日生まれの娘のたまが2月22日(わたしの母の誕生日でもある)に6か月になった。節目の半年、はじめての風邪がおさまり、元気がいちばん、としみじみした。風邪を引いた以外はすくすく育っているように思われる。下の歯が二本顔を出したので、授乳の後、水を含ませたガーゼでぬぐっているが、離乳食はまだ始めていない。観察対象としてもどんどん面白くなっている。2月の頭に寝返りとおすわりを相次いで決め、表情や手の動きがさらに豊かになった。お風呂の中では両手を振り回して水面をたたく。顔にしぶきを浴びても平気で、歓声を上げる。おもちゃを与えられるより、一緒に体を使って遊ぶのが好きで、わたしが船になったり、たまを飛行機にしたり、二人でシーソーになったりして遊んでいる。たま語のボキャブラリーもふえ、ときと場合に応じて違った音を発する。彼女なりに意味のあることを言っているのだろう。昨日ははじめてのドライアイスに興奮、あぶくと水煙を立てて踊る小さな氷山をのぞきこみ、「アチャ〜ンゲ〜ホエ〜」と話しかけていた。

「今月は誰を呼ぼうか」と悩む前に、3つ下の応援団のリーダー部員だったスギヤマ君から「たまちゃんの6/12才と先輩の誕生日と僕の誕生日を一緒に祝いましょう」と売り込みがあり、マンスリーゲストはすんなり決定。スギヤマ君・ナツコさん夫妻、チアリーダー部の大後輩でスギヤマ君の元同僚のカネコ嬢、カネコ嬢のさらに後輩でわたしの11代下のカナザワ嬢が祝いの品や泡立つお酒やケーキを持って集まってくれる。去年2月にわが家で顔を合わせたメンバーでもある。「あのときすでにたまちゃんがおなかにいたんですね」「でも、お酒飲んでましたね」「ちょっとだけね」。数センチの大きさだった胎児が外に出てきて、70センチサイズの服を着ている。petitcoquin(プチコキャン)でそろえてくれた誕生日プレゼントは、離乳食こぼしてもへっちゃらスタイ、ミルクにかけてホルスタイン模様の洒落がきいた哺乳瓶、オブジェとしても飾るもよしのポップなマラカス、写真に撮り忘れたけれどあひる柄とみつばち柄の紙ナプキン。さすが後輩、わたしの趣味をよくわかっている。マラカスを握らせると、たまはフライドチキンのごとくかぶりついた。

メニューは、これを出せば間違いなしなので恒例となった魚屋てっちゃんの刺身、ジャーマンポテト、鶏がらでだしを取った鳥鍋。たまはダンナとわたしに交替でだっこされ、ごきげん。「自分に関心が向いてないと面白くないのよね」と言うと、「応援団向きですね」とスギヤマ君。手足のたくましい動きを見て、「踊りそうですね」「将来はチアですか」とカネコ嬢とカナザワ嬢。声は大きく、笑顔もばっちり、素質は十分かも。応援団特有の伝統や美意識や上下関係は今の若者には面倒がられ、全国の応援団が団員不足や断絶の危機に瀕しているのだという。踊りたくてチアリーダー部に入っても、ビラ配りや立て看板制作やOBあての文書発送や夜ごとの宴会という応援団の行事につきあわされる。これをイベントとして楽しめるか拘束と感じるかで明暗が分かれるのだが、卒団まで生き抜いた団員たちは、四年かけて叩き込まれた「楽しいお酒の飲み方」や「目上の人との会話の続け方」や「一見無理なことも気合で何とかなる、どうせやらなきゃならないことは楽しんだ者が勝ち精神」が社会に出て何より役に立ったと口を揃える。「だけど、たまちゃんが大学生になる頃まで、ありますかねえ、応援団」とずいぶん先の心配をする元団員たちだった。


スギヤマ夫妻が選んでくれた6/12才ケーキは自由が丘のパリセヴェイユ(Paris Seveile)のもの。磨き上げたピアノのようなチョコレートの光沢にキャンドルの炎が映り込み、なんともいい感じ。1/12才のときに「一本だと線香みたいだよね」とキャンドルを立てるのをやめたのだけど、立ててみると、バースデーケーキはこうでなくちゃという気がする。電気を消し,ハッピーバースデーの合唱のあと、代理でわたしが炎を吹き消した。

アンティークの便箋に羽根つきペンでしたためたようなメッセージプレートの美しさにただならぬセンスを感じるが、チョコレートクリームとピスタチオのクリームとフランボワーズのソースが口の中で渾然一体となる味の完成度も相当なもの。クリームの間にカラメルの薄い層がはさまれ、フォークで突き刺したときの手ごたえ、口に含んだときの歯ごたえが、いいアクセントになっている。カナザワ嬢のおみやげのリーガロイヤルホテルの色とりどりのマカロンはひと足早い春が来たようだった。

2007年1月20日(土) マタニティオレンジ61 たま5/12才
2006年12月23日(土) マタニティオレンジ47 たま4/12才
2006年11月23日(木) マタニティオレンジ31 たま3/12才と食育
2006年10月22日(日) マタニティオレンジ23 たま2/12才
2006年9月23日(土) マタニティオレンジ10 誕生日コレクション

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2006年02月24日(金)  金曜日の夜の開放感
2005年02月24日(木)  だいたい・キラキラ・インドネシア語
2002年02月24日(日)  PPK


2007年02月23日(金)  シュークリーム・ランキング

高校時代に大阪で一緒に留学前研修を受けたマイちゃんが遊びに来てくれる。会うのは三年ぶり。子育ての13年先輩であるマイちゃんは受験やママづきあいの大変さを語り、「昔の友だちはラクでええわあ。いらん探りあいせんでええし、どこまで話していいんか気ぃ遣わんでええし」と言った。お互いの赤ちゃんをかわいいねえとほめあっているうちは平和だが、子ども同士の人間関係が結ばれ始めると、こんがらがってくる。1)親も子も仲良し 2)親は仲良し子は仲悪し 3)親は仲悪し子は仲良し 4)親も子も仲悪しの4パターンのうち「2と3が面倒やねん」とマイちゃん。葛藤あるところにドラマあり。「まあ、見ててみ。あんたもすぐやで」。楽しみなような怖いような……。

手土産に持ってきてくれたのはシュークリーム。渋谷の東急東横店のシーキューブ(Cの3乗と表記)で買ったもの。はじめて食べたけど、アイスクリームみたいに濃厚なクリームが気に入った。「シュークリーム、めっちゃ好き」と言うと、「よかったぁー。わたしも好き」とマイちゃん。彼女のベストシューは慣れ親しんだヒロタのカスタード。子どもの頃よう食べたなあ、あればっかし食べたなあ、あれしかなかったし、と話す。

先日、恵比寿でお昼を食べたお店で食べたシュークリームもめっけもんのおいしさだった。250円のランチデザートを大した期待をせずに注文したら、ずいぶん気合の入った一皿が運ばれてきたのだ。大きく開けた口(あご、外れてます)にたっぷりのクリーム、その下にはリンゴのコンポートという組み合わせ。シュークリームは、形からして「幸せ〜」という顔つきをしている。結婚前のダンナがはじめてわたしの大阪の実家に来たときの手土産もシュークリームだった。甘いものはじゃんけんで取り合うのが慣わしの今井家では、父が真っ先に「じゃいけん!」と張り切って声を上げ、当時のダンナは「おやつに目の色を変える、子どもみたいな親」に驚いたり、「シュークリームなんだからじゃんけんする必要はないのでは」と思いつつ突っ込めずにいたりした。

あとの自分のベストはなんだろう、とこれまでに食べた大小さまざまのシュークリームを思い浮かべてみる。帰りに立ち寄ったら、とマイちゃんにおすすめした近所にあるパティスリー・シモンのシモンシューはかなり上位に位置している。バニラビーンズたっぷりのクリームを注文してから詰めてくれるのがうれしい。

最近は散歩コースのパティスリー・マリアージュの軽やかなシューに心を奪われている。シモンシューは何十回と食べているので、新鮮な出会いに浮気しているだけかもしれない。『子ぎつねヘレン』の網走ロケで獣医監修の荒井先生が差し入れてくれた幸栄堂菓子舗のシュー(写真で見るとじゃがいもみたい。北海道なだけに!?)も忘れられない。

ご近所シューといえば、他にも三田線白山駅近くの手作りケーキ屋『風子』のシューや、三田線千石駅近くのお茶屋さんがやってるケーキ屋さんのエクレアがなかなかの実力を備えていたりする。

上位ランキングはめまぐるしく入れ替わるけれど、ベストはやはりウエストのシュークリームだろうか。ナイフとフォークが必要な551の豚まんもびっくりのボリューム、それでいてナイフとフォークでいただくのが似合う優雅な味わい。不動の一位にふさわしい堂々たる風格を備えている。

シューが好きということはエクレアも好きだ。ポーランドの古い城下町クラコフでは、道行く人たちがホットドッグ感覚でエクレアを頬張っていた。ポーランド人のくわえタバコ率の高さには驚いたが、タバコをくわえていない人はエクレアをくわえていた。どのパティスリーのショーケースにも必ず並んでいるエクレアを食べ比べるのは楽しかった。ポーランドではエクレアのことを「棺桶」と呼ぶと聞いたことがあるけれど、真偽のほどは未確認。でも、似ている。写真は、わたしのエクレア好きを聞きつけた友人のテスン君が手土産に持ってきてくれたもの。ビターなクリームといい、小ぶりで細身のサイズといい、大人のエクレアという感じ。味も洗練されていて、ひとつ上の高級感を醸している。名前は失念してしまったけれど、世田谷の梅が丘のほうのお店。

エクレアといえば、『子ぎつねヘレン』の打ち合わせのとき、誰も手を出していない差し入れのエクレアに、誘惑に負けてかぶりついた途端、はちきれんばかりに詰まったチョコクリームが飛び出し、打ち合わせ用の脚本の上に着地した。まだ突っ込みを入れられる人間関係ができる前だったので、何もなかったかのように会議は続けられたのだが、チョコレート色の日の丸みたいになっているのを見て見ぬふりされるのは何とも不自然だった。誰も突っ込まないので、ティッシュくださいとも言い出しにくい。焦る手の中ではコーティングのチョコレートが解けはじめているが、次のひと口で新たなチョコ鉄砲が飛び出す危険があった。その後どうしたかの記憶は抜け落ちているけれど、こういうのを間が悪いって言うんだなあとか、こうなるから誰も手をつけてなかったんだなあと反省したことだけは覚えている。

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2006年02月23日(木)  金メダ○
2005年02月23日(水)  飛騨牛パワー合同誕生会
2002年02月23日(土)  連想ゲーム


2007年02月22日(木)  マタニティオレンジ81 母になっても女心はある

朝から、つまらないことで不機嫌になった。近所にできた予約がなかなか取れないレストランに、ダンナが仕事先の人と行くことを知った。それに対して、「わたしと行くんじゃなかったの?」となじった。「行きたいねって言ってたけど、約束してたわけじゃないじゃないか」とダンナが反論した。それはそうだ。「それに、思い出の店ってわけじゃないし」。それもそうだ。「だけど、わたしと行く前に、他の人と行くわけ?」「いいじゃないか。下見だよ」「その人たちと行く前に、わたしと行けないの?」「無理だよ」。そんな不毛なやりとりをしているうちに、どんどん面倒くさい女になっていって、「何だよ、うるさいな!」とダンナを怒らせてしまったので、わたしは黙り込んだ。

客観的に自分の言い分を聞きながら、「こういう女とは、予約が取れても食事したくないなあ」と思う。だけど、言わずにはいられなかったのだ。一体何が気に入らないんだろう。ダンナを送り出し、一人になって考えてみた。妊娠・出産するまでは「子どもができたら、おいしい店でお酒飲んだりできなくなる」というのは、わたしがおそれていたことのひとつだった。だけど、いざ産んでみると、おしゃれして、いい店に行って、いいワイン空けて、という欲求がうまい具合に子育ての面白さに置き換わった。子連れで出かけられるところも案外あるものだし、週末は出かける代わりに友人たちが来てくれるようになったし、何かを我慢したり犠牲にしたりしているという不満はなかった。

でも、不満はなかったのではなく、表面化してなかっただけかもしれない。自分が家で子どもと二人で向き合っているときに、すぐ近くの店でダンナがおいしいものを食べることにケチをつける。これは嫉妬だ。風邪を引いた娘と数日間家に引きこもっていた閉塞感も追い討ちをかけたわけだが、ダンナにはわたしが駄々をこねているようにしか聞こえない。だけど、何とも説明がつかないこのもやもやした気持ちは、何なのだろう。何かがズレている。ズレが生まれたのだ、と思い当たる。二人の行動範囲に極端な差ができて、バランスが悪くなっているのではないか。毎晩のように外食しているダンナにとって、その店は数ある選択肢の一つでしかないのだが、外で食べる機会が激減したわたしの中では、子どもを預けてその店で食事する楽しみの比重が異様に膨らんでしまっていた。そして、産んで以来、すっかり乳母化して、二人で食事をするというデートの対象に見られなくなっているという現実を突きつけられた淋しさも手伝って、ねちねちと食い下がってしまったのだ。そんな風に今朝の自分の言動を分析した。こういう些細なことを掘り下げてみるのも、いつか飯の種になるかもしれない。

じゃあ、どうして欲しかったのか。ダンナがその店に行くのはかまわないし、順序だってどうだっていい。夫の楽しみを喜べないつまらない妻にはなりたくない。ただ、気持ちを察して欲しかったのだ。休日、ダンナに子どもを見てもらって映画や芝居を見に行っても、わたしは用が済んだら食事もせずに飛んで帰る。だけど、ダンナはいつ帰ってくるか告げずに出かけられる。わたしは心配だから、早く会いたいから急いで帰るわけだし、それを損だとか不公平だとかは思わない。けれど、それぞれが好き勝手やっていた二人に子どもができて、片方の時間の過ごし方ががらりと変わってアンバランスが生じている。そのことをわかっていて欲しかったのだと思う。わたしのまわりにも「子育ての大変さに不満はないけど、夫がそれを『母親なんだから当然』と思っていることが不満」と訴える人は多い。妻という字はわかりやすく下半分が女になっているのだが、母という字に隠された女は目を凝らさないとも見落としてしまう。母になっても女心はあることを世の中の夫たちは忘れがちなのではないか。女心を察して態度で示すためには、店へ連れて行くより高度な繊細さが要求される。ダンナにはしっかり下見をしてもらって、いつかあらためて誘ってもらおう。その日はちゃんとおしゃれして、マスカラも塗って、一緒に食事をして楽しい妻でありたい、と思う。

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2006年02月22日(水)  史実の63年後に観る映画『白バラの祈り』
2002年02月22日(金)  生みっぱなしじゃなくて


2007年02月21日(水)  三島由紀夫レター教室

同じ作家の作品を続けて読むことが多い。他の作品との共通点を見つけるのも楽しいし、同じ作家が書いたと思えない作風の幅を知るのも楽しい。ひさしぶりに読み返した『音楽』に唸り、『三島由紀夫レター教室』を手に取った。「有名人へのファン・レター」「借金の申し込み」「同性への愛の告白」「出産通知」「英文の手紙を書くコツ」などといった項目ごとに「筆まめ」だけが共通する五人の登場人物の書く手紙が紹介されていく。文例集の顔をした小説である。読み進むうちに五人を取り巻く状況や過去が浮き彫りになり、行き交う手紙が交錯する糸のようになって五人の人間関係を複雑に絡ませていく。

女性週刊誌に連載していたとあって、手紙の文体も内容も日常会話のように軽やかなのだが、平易な文章の中に顔をのぞかせる比喩のうまいこと。女好きの服飾デザイナー・山トビ夫は客の中年女性の崩れた体型を「はみだしたシュークリーム」とこきおろし、年下のOL・空ミツ子の胸を「ふくれて、口をとんがらせて、『何よ』と言っているみたいな形」と形容する。ミツ子は、アルバイトしながら演出家を目指す多忙な青年・炎タケルからのプロポーズに「私は、一枚のオブラートではあるまいし、二十四時間のあなたのお時間の、どの隙間にすべりこめばよいのですか?」と返す。貧乏学生・丸トラ一に天津甘栗をねだられて「ゴキブリでもつかまえて食べていたらいいでしょう。どちらも黒光りしてツルツルしていますからね」と突き放す未亡人・氷ママ子は、まったく魅力を感じない取引先男に告白され、「たのみもしないのに、いきなり頭へ重い鉄兜をのせられたよう」と男友達のトビ夫に相談。トビ夫は「どうか、路面電車の線路と地下鉄の線路は、決して交差することはないということを、ご銘記くださいますように」とやんわり断る返信を提案する。タケルとミツ子の披露宴に出たトラ一は、紋付き袴の新郎と文金高島田に白のウチカケの新婦が「キンキラキンの支那料理店」に座るさまを「ラーメンの丼に刺身を入れて出されたような感じ」と表現する。人物のネーミングのセンスには時代を感じさせるものの、テレビが白黒であっても表現には古さを感じさせない。

性的快感を音楽に例え、冷感症の女性の治療過程を精神科医の目線で淡々と綴りながら心理サスペンスに仕立てた『音楽』と同じく、人間観察の鋭さとそれを表現する文章力の巧みさに感心することしきり。芝居に誘ったところ「千載一遇のチャンスを逸するのはくやしくてたまらない」が、親友の結婚式と重なってしまい、「一生に一度の盛事に奉仕せねばならぬ」由を述べた返事とともに切符を送り返したミツ子に対して、「あなたは手紙を長く書きすぎました」と咎めるママ子の手紙は秀逸。「招待を断るには『のがれがたい先約があって』という理由だけで十分」であり、「出席か欠席かの返事だけが大切で、それについて、もはや余計な感情の負担を負いたくない」という指摘の的確さに唸らされた。手紙には込めるべき情報や感情の適量があり、足りないとゴミになるが、度を越すと荷物になる。

最終章の「作者から読者への手紙」は、著者のあとがきである。手紙の第一要件は「あて名をまちがいなく書くこと」と三島由紀夫は記す。それをまちがえることは「ていねいな言葉を千言並べても、帳消し」にし、「文中に並べられたおびただしい誠意を、ニセモノと判断させるに十分」となる。最近はコピー&ペーストであて名だけ差し替えた手紙がふえたけれど、わたしのところにも別人あての取材や仕事の依頼が来る。五箇所あるうちの四箇所はわたしの名前になっていて一箇所だけ別の人の名前が残っていたりすると、「先にこの人に話を持って行って断られたんだなあ」という事情が透けて見えて白ける。「手紙を書くときには、相手はまったくこちらに関心がない、という前提で書きはじめなければいけません」と力説する著者は、「他人は決して他人に深い関心を持ちえない、もし持ちえるとすれば自分の利害にからんだ時だけだ」という哲学を披露し、「手紙の受け取り人が受け取った手紙を重要視する理由は、一、大金 二、名誉 三、性欲 四、感情」と断言する。この第四の手紙はいちばん難度が高く、「言葉だけで他人の感情を動かそうというのには、なみなみならぬ情熱か、あるいは、なみなみならぬ文章技術がいるのです」とある。

メールも含めて、わたしは手紙をよく書くほうだと思うし、今書いている日記も不特定多数の人に向けた手紙と言える。手紙という乗り物に正しい分量の情熱を乗せて正しい方向へ発信できているだろうか、と自問する。脚本だって、出資者や出演者に訴えかけ、最終的に観客に届けられる手紙という見方ができるかもしれない。もうかりますよ、えらくなれますよ、もてますよ、でない限り、心をゆさぶる脚本でなければ相手にしてもらえないということだ。

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2006年02月21日(火)  何かとツボにはまった映画『燃ゆるとき』
2005年02月21日(月)  『逃亡者の掟』(人見安雄)
2002年02月21日(木)  映画祭


2007年02月20日(火)  ヘレン絵本四刷できました

映画『子ぎつねヘレン』から生まれた絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』の四刷の見本誌が届く。版を重ねるごとに帯も微妙に変化していて(左から一刷、二・三刷、四刷)、四刷には「かけがえのないもの、家族の絆、思いやる心、そして命の尊さ─ヘレンが教えてくれた、大切なこと。」とある。奥付の日付は今日2月20日。昨年3月21日の映画公開から一年近く経っても手に取ってくれる人がいる。「ブームで終わるのではなく、息永く読み継がれる絵本に」と編集会議で話し合ったことが現実になった。

わたしの本だからと買ってくれた友人や知人が「うちの子が気に入って読んでいるよ」と報告してくれる。二歳になる友人の長男君は読み聞かせてもらううちに暗唱してしまったという。会ったことのない人がメールをくれたり、ブログで紹介してくれたりしている。お母さんの代筆やひらがなの感想文に混じって、大切な人を亡くした年配の方からのお便りも届く。タイトル通り、おくりものにと何冊も買い求める人もいる。高校時代の同級生はいつも感動をプレゼントしてくれる大好きなアーティストへ、お礼代わりにおくった。半世紀前にお子様を突然死で亡くされた七十代の友人は四十冊広めてくれた。絵本にサインするとき、「生きることは おくりものを おくりあうこと」という言葉を添えている。絵本から生まれるやりとりを楽しみ、喜びながら、おくりものをおくりあっているなあと実感している。

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2004年02月20日(金)  いい履歴書の書き方
2002年02月20日(水)  別世界


2007年02月19日(月)  近くて遠いアカデミー賞

先週の金曜日、昨年仕事をしたプロデューサーから事務連絡の電話があり、おひさしぶりです、などと話していると、「いま、アカデミー賞の授賞式に来ているんです。お手伝いで」と言う。「そうか、今日でしたっけ」と答えて、「なんだかアカデミー賞なんて、すごく遠い世界です」と続けた。もともと賞レースに絡む作品に関わったことはないので、子育てで遠ざかったわけではない。けれど、映画会社にちょくちょく打ち合わせに行ったりしていると、映画業界の年に一度のお祭りは必ず話題にのぼる。何がノミネートされたとか、何が本命だとか、なんであれが選ばれないんだとか、そういう話に加わっていると、お祭り騒ぎのおこぼれにあずかれるのだった。「僕だって遠いですよ」と電話の向こうでプロデューサーが言った。「会場にいても、遠いですか」「ええ、遠いです」。目の前で祭典が繰り広げられ、自分の見知った関係者が受賞するのを見ても、自分が手がけた作品が賞を取らなければ、他人事になるのだろう。すぐそこにあるのに触れない、手が届かない、そのほうが遠く感じるのかもしれないなあと思う。

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2005年02月19日(土)  青春京都映画『パッチギ!』
2004年02月19日(木)  ツマガリのアップルパイ
2002年02月19日(火)  償い


2007年02月18日(日)  東京マラソン2007

第一回東京マラソン当日。ダンナが出場するのでわたしも無関係ではいられず、朝6時に起床して、餅を焼いて雑煮風にしたものを作る。「とにかく炭水化物」ということで、昨夜の夕食はうどんとごはんだった。9時10分の出走シーン(もちろん自分は映らないのだが)のテレビ中継を娘のたまと一緒にビデオに撮っておいてくれ、と頼まれ、テレビの前に風邪引きたまをお座りさせてビデオを回すが、まるで興味がない様子。眠ったりぐずったりを繰り返すたまの看病と子守をしながらテレビの前でレースを見守る。

先頭争いよりも、一般参加者のお祭り騒ぎを見ているほうが楽しい。受けを狙ってとんでもないカッコをしている人がいるのでは、と思ったけれど、急遽配られた雨よけのポンチョをかぶった人がほとんどでよくわからない。ベルリンマラソンでは走っている途中で挙式して婚姻届まで出すカップルがいた、なんて解説が入る。雷門前で立ち止まって写真を撮っているランナーがいます、そんな中継が微笑ましい。途中で配られる食べ物は事前に話題になったバナナのほか、チョコレート、あんぱん、人形焼、レーズンまである。あんぱんってパン食い競走みたい。人形焼を配るのは浅草だろうか、レーズン一万粒は手づかみだろうか。食べものの話題は楽しい。

出場者の家族でなくても世間の関心も高いようで、「ダンナさんどう?」とメールが続々舞い込む。公式サイトでゼッケン番号からラップタイムを検索できる(シューズに取り付けたタグの情報が送られる仕組み)と聞いていたのだけど、PC版も携帯版も混み合っているのかうまくつながらない。蔵前に住むママ仲間のトモミさんは急ごしらえのプラカードを作り、いつ通過するかわからないわがダンナを沿道で応援してくれた。

4時間38分かけて無事完走したダンナは「スタートラインを越えるまで8分」かかり、途中で「トイレ」の表示を見てコースを外れたら係員に「メトロの中になります」と言われ、地下鉄のトイレまで階段を上り下りして約5分のロス。いちばんの敵は寒さで、「もう少し気温が高ければ3時間台で走れた」と豪語する。配布されたポンチョが行き渡らず、かなり雨に打たれたところで誰かが捨てたポンチョを拾って着たのだが、すでに体が冷えきっていて、思うように走れなかったという。靴も水を含んで重くなるし、雨のレースはきつかった様子。体力の消耗も激しく、一切合財の食べものは先行者に食べ尽くされた後で、「飴玉いかがですかー」と厚意で差し出す沿道の人に蟻のようにランナーが群がったとか。ダンナもその恩恵にあずかった一人で、「あの飴玉で救われた」と感謝。「金持っている人なんかコンビニで買ってたよ」。同じレースなのに先頭集団との緊張感の落差がおかしい。

「変なカッコしてる人いた?」と聞くと、「いた、いた」の答え。30キロ地点でチュチュ風の白鳥男に抜かれ、「白鳥に負けるわけにはいかん!」と追い上げ、何とか追い越したが、35キロ地点まではヒヨコ姿の女性と並んでいて、これまたプレッシャーだったと言う。ヒヨコならうちにも酉年の年賀状の撮影に使った衣装がある。わたしが出るときはそれ着ようかな、と言ったら、キミには42.195キロは無理だから、と断言された。自分に務まるかどうかわからないけど、妙に足の速いヒヨコって面白い絵になりそう。

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2004年02月18日(水)  父&ダブルまさこでディズニーシー
2002年02月18日(月)  函館ラ・サールニュース


2007年02月17日(土)  マタニティオレンジ80 はじめての風邪

誕生日にもらったわたしの風邪が娘のたまにうつってしまった。母親からプレゼントした免疫は半年で切れると聞いていたけれど、あと一週間で6か月というときに、はじめての風邪を引くことになった。鼻水が止まらなくなり、続いて咳がコンコン出て、昨夜、咳き込んだ拍子にどばっとヨーグルト状になった母乳を吐いた。すぐさま育児の百科で「乳を吐く」を引くと、肝心の6か月前後の記述は見当たらなかったけれど、「咳き込んだ拍子に吐くのはよくあること」というニュアンスを読み取り、とりあえずひと晩様子を見ることに。今朝起きがけにまた吐いたので、こりゃいけない、と近所の小児科へ。朝8時からやっているのだが、8時に着くとすでに9人待ちで、診察を受けられたのは45分後だった。

熱はない。喉も腫れてない。風邪の引きはじめでしょう、という診断。鼻水が痰になると苦しいので、吸引機で吸い取ることに。診察をいやがって泣き叫んだたまの涙をまず吸い取ってくれる。吸引だけでも来ていいですよ、と言われる。処方箋をもらい、病院の近くの薬局で薬を受け取る。乳幼児保険証があるので、診察も薬も無料。ありがたい。薬用のカルテを作るために用紙に記入していると、窓口のお姉さんがのぞきこんで、「何とお呼びしますか」と聞く。「たまと呼んでください」と言うと、「いえ……なんとお読みしますか」とあらためて聞かれる。呼び名はお呼びではなかった。親バカにつける薬はありません。

風邪を引いても、遊んでくれ、かまってくれと訴える元気はある。いつもよりさらに甘えたになって、一日中抱っこをせがむ。でも、踏ん張る足の力は弱く、寝返りもしない。体力が涙目になって咳き込む姿を見ると、こちらが泣きたくなる。シロップの薬をスプーンで飲ませながら、「離乳食に向けて、スプーントレーニングだ」と不幸中の幸い探し。「風邪に〜な〜って〜 風〜邪にな〜って〜♪」と歌いあやしながら、はじめての看病をなんとか明るく乗り切っているところ。

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2006年02月17日(金)  学生新聞「キャンパス・スコープ(campus scope)」取材
2005年02月17日(木)  魔女田さんの新作『平成職人の挑戦』
2004年02月17日(火)  オーマイフィッシュ!


2007年02月16日(金)  マタニティオレンジ79 旅行気分の谷中界隈 

穴場のカフェ探しに注いでいた情熱を、今は子連れで出かけられる場所探しに注いでいる。椅子よりはソファ、ソファよりは畳がありがたい。だったらあそこはどうだろう、と益田祐美子さんに教えてもらった日暮里のペルシャ料理屋ZAKUROを思い出した。床に並べた板を囲んで、絨毯に座って食べるスタイル。赤ちゃんを転がしておけるし、イランの家庭で宴会をやっているようなガヤガヤ感のあるお店なので、多少ぐずっても大丈夫そうだ。念のため電話して「おむつを替えるスペースはありますか」と聞いたら、「すみっこで替えてもらっても」。そういう返事を期待していました。

ランチタイムは11時から3時ということで、ピーク時を避けて1時に集合。メンバーはビクス仲間のトモミさんと5か月半のミューちゃん、レイコさんと6か月半のレミちゃん、トモミさんの台東区ママ仲間のユキさんと4か月半のホホちゃん、わたしと5か月半のたまの母娘四組。ナツメヤシをつまみながらシナモンのお茶を飲んでいると、ナン、米、おこげ、オリーブ、羊のヨーグルト、米と野菜のスープ、ペースト状のセロリ、一見ケーキのサラダ(ポテトとビーツらしきもののマッシュを層に重ねた上からヨーグルトがかかっている)、豆のトマト煮込み、羊のスープで煮た丸ごとにんにく、チーズと野菜の春巻き風揚げ物……皿が押し寄せ、床のテーブルを埋めていく。順不同でショートケーキが差し入れられ、すっかりおなかいっぱいでまったりしたところに、「サモサ食べたいって言ってたから」とサモサの中身を大きな皮に包んだ揚げ物が到着。これで1000円。まいりました。娘たちは手こずるほどにぐずることはなく、授乳したりおむつ替えしたりしながら3時過ぎまで居ついてしまう。

ZAKUROは日暮里駅から谷中の商店街へ向かう手前にある。店を出て、商店街をひやかして帰ることに。と、前方から遠近感が狂いそうな体格のいい集団が来る。たくましい肩にカメラや機材を担いだ数人に混じって、あ、まいうーの人だ、と石塚英彦さんとパパイヤ鈴木さんの姿を見つけるが、その二人が小さく見えるほど集団のサイズ平均値が高い。よく食べる番組なのでスタッフ一同増量傾向にあるのだろうか。あちらはあちらで、すれ違いざま、「なんだなんだ、赤ちゃんがいっぱい」「お宮参りか」と反応していた。

商店街は距離は短いけれど食べもの屋率が高くて楽しい。二日前に製造して本日入荷したばかりのかりんとう(210円)を買うと、「前だっこは出るとき足元気をつけて」とお店のおじさん。中ほどにあるパン屋で明日の朝食用のパンを買い、商店街の突き当たりを折れたパン屋でおやつのドーナツを買う。

お茶して帰るというあとの三組とはそのパン屋で別れたのだけど、パン屋を出てバス停に向かって歩いていると、追いついてしまった。途中の店に立ち寄ってたと言う。「たまちゃんに絶対似合うねって言ってた服があるの!」と興奮気味に言われ、みんなでその店まで引き返す。宮 kyuという手作りの服と雑貨のお店。たまに似合う、と噂されていたのは大胆に金魚を配したオレンジのつなぎ。皆さんよくわたしの趣味をわかってらっしゃる。でも、最近はセパレートのものを着せるようになったので、つなぎは卒業しつつある。「60センチの頃に出会いたかったです」と残念がりつつ店内を見回すと、わたしが着られるサイズの服もある。授乳によさそうなAラインの長袖Tシャツを購入。お店の人とのおしゃべりも弾んで、旅先で記念のおみやげを買っているよう。お金とモノを交わすだけじゃなくて、言葉も飛び交って、気持ちも通い合って、こういう買い物って楽しい。

谷中って面白いなあ、また来ようっと、と思いながらバスを待っていたら、「あんたあんた、早く」とおばあさんが駆け寄って来る。到着したバスに赤ちゃん連れのわたしを真っ先に乗せようと、先頭へ誘導してくれたのだった。後から乗り込んだおばあさんは、わたしが席に着いたのを見て、「座れてよかった」とにっこり。これまた土地の人に親切にされた旅人の気分を味わう。

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2006年02月16日(木)  『WEL-COME to パラダイス』と少年山賊団
2005年02月16日(水)  不思議なピンクの水、「ナーガ」水。
2002年02月16日(土)  パコダテ人@スガイシネプレックス


2007年02月15日(木)  マタニティオレンジ78 遅速を愛す哉 

出産したことと関係あるのかどうか、このところ新聞で紹介されている短歌や詩に心を打たれることがふえた。五七五七七なり五七五に込められた思いを以前より感じ取りやすくなった気がする。何日か前に見かけた「二もとの梅の遅速を愛す哉」という与謝蕪村の俳句にはとくに感心して、何度も口に出してつぶやいている。二本の梅の木があり、日当たりか何かの違いで、咲くタイミングに微妙な差が生まれる、そのことを愛でている。そのようなことが解説には書かれていた。

早く咲くのもよし、遅く咲くのもまたよし。わたしにはこれが子育てにも通じるように思える。だからこそ、この句に惹かれるのかもしれない。首すわり、おすわり、寝返り、ハイハイ……同じ頃に生まれても、早い遅いの差が生じる。月齢が遅い子のほうに先を越されることもある。髪が伸びるスピードも、おっぱいを飲むのにかかる時間も、おむつのサイズが変わる時期も、言葉をしゃべりだすタイミングも、みんな違う。それでも、自分の子ができたときはうれしいし、人の子ができたときもうれしい。自分の子の分と、人の子の分と、成長を確かめられる機会が何度もあることを喜びたいと思う。いくたりの子らの遅速を愛す哉。

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2002年02月15日(金)  ゆうばり映画祭3日目


2007年02月14日(水)  松井久子監督の第三作を応援する会

差出人「松井久子監督の第三作を応援する会(通称マイレオニー)」の封書が届く。98年に『ユキエ』で映画監督デビューし、02年に第二作『折り梅』を公開した松井久子監督の第三作『レオニー』(仮題)を実現させるための応援ネットワークへの参加を募る案内。昨年、『風の絨毯』プロデューサーの益田祐美子さんの紹介で監督と名刺交換させていただいた縁で送られてきたよう。

リーフレットのキャッチコピーは「レオニーに会いたい」。レオニーとは彫刻家イサム・ノグチ(「イサムノグチ」を変換すると「イサムの愚痴」と出た)の母レオニー・ギルモアのことだという。イサム・ノグチという人物にはとても興味を覚えているけれど、その母のことはまったく知らなかった。日本から来た青年詩人ヨネ・ノグチと恋に落ち、彼の子を身ごもるが、それを知らされた途端、ヨネは日本に帰国。レオニーは混血の子を産み、働きながら一人で育てる。日系人差別から逃れて渡った明治後期の東京で、異邦人のシングルマザーとして生き抜きながら、彼女がわが子に授けたのは、豊かで美しい日本文化……というあらすじを読んだだけでも、この女性をもっと知りたい、映画で観てみたい、という気持ちになる。

題材の魅力ももちろんあるのだろうけれど、松井監督自身にも「この人の次回作を観たい、応援したい」と思わせる強い引力があるらしい。マイレオニー事務局では10万人の応援ネットワークを目指すと意気込んでおり、賛同人にはジャーナリストや作家や大学教授や党派を超えた議員らが名前を連ねている。「最短の目標は、春の製作発表、秋のクランクイン」という段階から「松井監督の第三作」を一緒に実現させようという波が起こっている。多くの人に望まれ、求められ、その思いに押し出されるようにひとつの映画が生み出されるとしたら、送り手にとっても、受け手にとっても、これほど幸せな共同作業はないだろう。レオニーを待望する波がどのようなうねりに成長していくのか、とても楽しみである。

マイレオニーのサイトでも最新情報を見ることができる。3月14日には「あなたの人生の選択〜女性が決断する時」と題して〈新しい、観るカタチ〉10万人キャンペーンのキックオフイベントが開催される。松井監督のほか、賛同人でもあるタレントのちはるさん、衆議院議員の野田聖子さんが出席、アナウンサーの草野満代さんがコーディネイターを務める。レオニーの人生も紹介しながら、「人生の節目で選択・決断を求められる女性」がいかに人生を選び取っているかを語り、考えるトークイベントのよう。入場無料で申込み先着400名を招待。この日記を書いている16日の21時現在、まだ受付中。

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2006年02月14日(火)  一度泊まってみたいチョコレートのホテル
2005年02月14日(月)  5年ぶりにケーキを焼く
2002年02月14日(木)  ゆうばり映画祭2日目


2007年02月13日(火)  マタニティオレンジ77 一年先を想像する 一年前を振り返る 

大学の応援団の後輩かじかじ君と一昨年結婚したマサコさんが遊びに来る。彼女がうちに来るのは三回目。一回目は夫婦で来たのだが、二回目は「赤ちゃん見に行っていいですか」と一人で現れ、「子どもがほしいんです」と言うので、「妊娠はうつるっていうから、うつるといいね」と「気」を送ったら、今年になって「うつりました!」と連絡があった。予定日は8月15日というから、ほぼわたしの一年後になる。わたしも8月6日生まれの近所のまゆたんを見ながら「一年後はこんな感じかあ」と想像し、先輩ママのキョウコちゃんにあれこれ聞いていたのだが、今日は同じことをマサコさんにされる番になった。産み月が同じだと、必要な物のアドバイスもしやすい。「夏生まれは、産む前は暑いけど、育てるのはラクだよ」と話す。

近所のインドカレーをテイクアウトしてうちで食べていたのだが、受け狙いとしか思えないタイミングで、娘のたまのおむつが爆発。一年前、安定期に入ったばかりのわたしだったらドン引きするところだけど、マサコさんは「楽しいエピソードが増えました」と落ち着いたもの。産む前から赤ちゃんの生態を受け入れているってすごい。

マサコさんが帰った後で、一年前のわたしはどんな感じだったんだろ、と手帳を引っ張り出して2月13日の週を見てみた。打ち合わせと脚本直しの合間に取材と飲み会と映画と芝居。翌週に産婦人科の予約が入っていて、かろうじて妊婦の予定表だとわかる。母になる自覚が芽生えるのはまだまだ先の話だった。

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2004年02月13日(金)  ウィーリー・ウォンカのチョコレート工場
2002年02月13日(水)  ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 1日目


2007年02月12日(月)  MCR LABO #1「運命」@shinjukumura LIVE

G-upの赤沼かがみさんからMCR LABOの第一回公演の招待案内が届く。「小細工抜きのせめぎあいがしたくて」MCR LABOを立ち上げ、「シンプルで力強い、卵かけご飯のような美味しさをもつ企画」を見せるという作・演出のドリルさんの言葉に意気込みと勢いを感じる。LABOと名乗るように、毎回の舞台はどんな化学変化が起こるか未知数な実験であり、観客にその立会人になってもらうという考えのよう。こういう試みは、わたしのシナリオのご意見番・アサミちゃん好みなのでは、と彼女を誘ってみた。

劇場は西新宿にあるSHINJUKUMURA LIVE。ここが新宿!?と疑うようなのどかな空き地の先に建っている。殺風景なハコをイメージしていたら、中は布のあたたかみとやわらかさがあふれて大きなリビングルームのような空間だった。三方を客席に囲まれたステージは出演者三人のオムニバス作品にはちょうどよい大きさ。チラシによると、MCR LABOでは「テーマを設定したオムニバス作品を少人数で上演」し、「それはどれも、日常に当然の様に降りかかる二文字の事柄」であり、第一弾のテーマは「運命」。といっても描かれているのは、運命的なとか宿命とかいった劇的なものではなく、運命のいたずら的なもの。そのちょっとした「フツーではない状況」をつかみの短時間で示し、観客を登場人物たちの置かれた立場に引きつけ、運命共同体にしてしまう。間の悪い現場に居合わせてしまった三人が見せる「運命」との距離感、互いとの力関係が微妙に変化していく過程が面白い。「笑いは間合い」だとNHKの『課外授業ようこそ先輩』で語った落語家は志の輔さんだったか。台詞のやりとりの呼吸、言葉や動きの力の入れ加減(抜き加減)、空気を変える瞬間を差し込むタイミング、間の取り方が実に絶妙。

わたしとアサミちゃんがとくに気に入ったのは、二話目の「徘徊の隙間」。ゾンビに噛まれて瀕死の友人を担いでビルの狭い部屋に逃げ込んだ男二人が、迫り来るゾンビ集団という外からの恐怖と、潜在的ゾンビである友人という内に抱えた恐怖の間で身もだえる。生きている友人を邪険にできないが、死んでゾンビに豹変したら襲われる。ゾンビになる瞬間を見極めようとするが、友人は死にそうでなかなか死なない。いつゾンビるか、もうゾンビるか、とはらはらさせてはぐらかすジェットコースター的展開。緊張の後の弛緩は笑いを呼ぶのだと実感。男二人が必死になればなるほど客席はよく笑った。ゾンビの形態模写がけっこうリアルで、「夢に出そうだね」とアサミちゃんと話していたら、本当に夢に出てきた。フロイト曰く、夢は欲望の充足。わたしもゾンビに取り付かれてしまった。

ところで、この話に出ていた絶対王様の有川マコトさんをinnerchildの小手伸也さんだと思って観ていた。どちらも存在感のある体格と声をしているけれど、並べてみると全然違うのだと思う。でも、似ていると思う人はいるのだろうか。そんなことを聞ける人が身近にいないのが残念。

帰り道、「演劇は奥が深いねえ」「層が厚いねえ」とアサミちゃんとしみじみ語る。力と才能が有り余っている人たちがたくさんいる。掘っても掘っても掘りつくせない宝の山のよう。作・演出のドリルさんって何者なんだろうと調べたら、劇団MCRの主宰で役者名は櫻井智也、「徘徊の隙間」に出ていたとわかる。ゾンビの人かな。

MCR LABO #1「運命」
作・演出:ドリル
プロデューサー:赤沼かがみ

「修羅場詰め将棋」
辰巳智秋(ブラジル)
伊波銀治(TEAM 発砲・B・ZN)
北島広貴(MCR)

「徘徊の隙間」
有川マコト(絶対王様)
瀧川英次(七里ガ浜オールスターズ)
櫻井智也(MCR)

「事故(みたいなもの)」
宇鉄菊三(tsumazuki no ishi)
康ヨシノリ(康組)
宮本拓也(MCR)

「あさはかな魂よ、
慈悲深い雨となって
彼女の髪を濡らせ」
児島功一(劇団ショーマ)
森岡弘一郎(無名塾)
福井喜朗(MCR)

MCR LABOの実験は一年をかけて続く模様。
#2「無情」3/19-21 下北沢駅前劇場
#3「審判」5/15-20 shinjukumura-LIVE
#4「愛情」7/11-16 shinjukumura-LIVE


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2006年02月12日(日)  『子ぎつねヘレン』完成披露試写
2005年02月12日(土)  浸った者勝ち映画『ネバーランド』
2004年02月12日(木)  本のお値段
2003年02月12日(水)  ミヤケマイ個展 MAI MIYAKE EXHIBITION2003


2007年02月11日(日)  切り抜く代わりに書き抜き新聞記事

出産前に家の大掃除をして、かなりモノを捨てたのだが、その大半が新聞紙だった。目に留まった記事を片っ端から切り抜いて、「人」「病」「言葉」「老」といったジャンル別に分類してファイルに納めていく、ということを脚本を書き始めた頃からやっているのだけど、整理する時間が取れないままに、切り抜いただけの記事が溜まりに溜まって山となり、雪崩を起こして床を覆いつくしていた。そのひとつひとつを読み返し、いるものといらないものに分けるだけでも軽く数週間かかったのだが、なぜ切り抜いたのかわからない記事がかなりあり、半分ぐらいは迷いなく捨てられ、手元に置いておく必要を感じたものはほんの少しだった。古い記事には90年代の日付があり、当時は目新しかったものが時の流れで色あせてしまった、ということもあった。

そういうわけで、最近は、よっぽどの記事でない限り切り抜かないことにしているのだけど、あいかわらず誘惑に駆られてはハサミを握りそうになる。「思い出は甘く ケーキの飾り付け」は昨年12月3日の毎日。来春から取り壊される小学校の円形校舎をクリスマスケーキに見立ててろうそくやイチゴなどのオブジェを飾り、ライトアップ。小学校は兵庫県の湯村温泉にあり、温泉の旅館飲料組合が企画したとのこと。「睡眠時を除く一生をビデオで録画し続け、テレビで見られる程度にデータを圧縮すれば50テラバイトで足りるという。1テラバイトのハードディスクが10万円程度で買える今、500万円で一生が記録できる」(1月4日 朝日)。だけど、思い出という付加価値の部分は録画できない。記録は記憶を呼び覚ます手がかりにはなれても別物なのだと考えさせられる。

「開店!王妃のタコヤキ店」の見出しは、1月6日の読売夕刊。インドネシアの古都ジョグジャカルタで現地王室の王妃がタコヤキ店を開店。本文を読むと、一昨年知ったサイト『インドネシア黄金の繭』(>>>2005年2月24日の日記)で紹介されていた王室だと気づく。サイトで紹介されていた王妃の披露宴の模様も見ていたので、あの王妃とわが故郷の味がつながったとは、とうれしくなる。1月7日の朝日Beサイエンス版には「220枚の硬貨から成る284円」と題する中ザワヒデキ氏のアート作品。220と284は『博士の愛した数式』にも登場する「友愛数」で、片方の数字のその数以外の約数を足すと他方の数字になる。この関係性を目に見えるアートにしようという発想がお見事。「308620枚の硬貨から成る389924円」まである。

2月7日読売夕刊には「5000年の愛」の見出しと、抱き合う二体の白骨のカラー写真。5000〜6000年前、新石器時代に埋葬された若い男女とみられるという。昔、考古学者が発掘した男女の人骨と学者が三角関係に……というラジオドラマを考えた(「おしゃべりな骨」というタイトル)もののディレクターに「変なこと考えますね」の一言で片付けられたけど、事実はドラマより奇なり。これだから国際面も目が離せない。そこだけ手でちぎったので日付が不明だけれど、パソコンでの変換ミスコンテストの応募作品、「お客彷徨う(様用)トイレ」「遅れてすいません。怪盗アンデス(回答案です)」にも笑った。

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2004年02月11日(水)  口福の餃子
2002年02月11日(月)  こどもの詩


2007年02月10日(土)  秘密のトンネル

当然そこにあるべきものが突然消えて、どんなに探しても見つからないとき、もしかしたら、どこかに異界へ通じる秘密のトンネルがあって、そこから向こうへ落っこちたんじゃないか、と思ってしまう。幼い頃のわたしはかなり本気でトンネルの存在を信じていて、忽然といなくなったおもちゃたちがあちら側で集まっている光景を思い浮かべたりしていた。この年になると、さすがにそんなおとぎ話めいた想像はしなくなったけれど、数日前、やはりどこかに抜け穴が……と疑いたくなる事件が起きた。お風呂に入る前にスイッチを入れたエアコンのリモコンが、お風呂から上がり、部屋があたたまったのでエアコンを切ろう、と思ったときには消えていた。着ていた服の一枚一枚を裏表ひっくり返して振っても出てこない。ティッシュの箱の中にも紛れ込んでいない。ベッドの下にもシーツの隙間にも、ない。まるで神隠しに遭ったようだ。

探し回るのに疲れて、向こうから現れるのを待つことにした。とりあえず、つきっ放しのエアコンはコンセントを抜いてオフにする。さして広くもないこの家のどこかにヤツが身を潜めているのは間違いない。開いた傘から鍵が転がり出てくるように、思いがけないところから手品みたいに姿を現すに違いない。しかし、夜が明け、再び夜が来ても登場の気配はない。リモコンがなくてはスイッチを入れることができないので、暖房なしの生活をしていたら、風邪を引いてしまった。

リモコンだけ買うことってできるんだろか、と心配し始めた矢先、事態はあっさり解決した。発見のきっかけになったのは、携帯電話。バイブレータをオンにしているので、着信メロディと同時にブルブルと身を震わせるのだが、夕方に部屋のどこかで着信したとき、「メロディはくぐもっているのに、振動音がやたら響く」という状態だった。音を頼りに居場所を突き止めると、携帯電話は壁とベッドの隙間にはさまってじたばたしていた。呼び出して返事をしてくれるモノは見つけやすくて便利だ。電話を取り出してから、待てよ、と再び隙間に手を差し込むと、確かな手ごたえ。こうしてリモコンは二日ぶりに救出され、秘密のトンネルを信じる根拠はなくなった。だけど、片っぽずつ姿を消す靴下やピアスは、どうやって、どこへ、消えていくんだろ。

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2005年02月10日(木)  「香盤表」の由来
2002年02月10日(日)  ペンネーム


2007年02月09日(金)  マタニティオレンジ76 母になってはじめての誕生日

誕生日は祝うのも祝われるのも好きだ。今のところ、年がひとつふえるたびに人生のたのしみもふえているので、いまだに無邪気に自分の誕生日を喜んでいる。今年は娘のたまが生まれてはじめての誕生日。誕生日にとくべつなことをしよう、と思いめぐらせるとき、娘と自分がセットになっている。「誕生日ランチをしよう」と会社時代に仲良しだった同僚が声をかけてくれ、せっかく青山一丁目に行くんだったら、写真を撮ってもらおう、と思い立つ。mixiの子連れコミュニティで知ったstudio memoir(スタジオメモア)という写真スタジオが勤めていた会社の近くにあるのだった。

朝10時に予約を入れる。フォトグラファーは韓国から来日して間もない女性。韓国に留学していたという女性スタッフが通訳してくれる。「見た瞬間、思わず、イップダー・センギョッタって言ってましたよ。かわいい顔って意味です」。おきまりのほめ言葉なのかもしれないけれど、親バカのハートを射抜く威力十分。わが娘は韓流にも通用するぞ。別室に場所を移しての撮影には通訳はつかないけれど、「フク、チェンジ」「オッパイ、OK?」など片言で何とかなる。予約は一時間にひと組。説明を受けてから11時まで、合間に休憩したり授乳したりしながら正味30〜40分撮影。その間に着替えをしたり(最初に着ていた服→はだか→スタジオで借りた服→持ってきた一張羅)、ポーズを変えたり(ぬいぐるみの前にお座りさせたり、シーツをかぶせたり、花畑のパネルを背景に置いたり)、何バリエーションも撮ってもらえる。撮影の邪魔にならなければ、手持ちカメラで撮ってもいい。

最後はリクエストしておいた母娘ツーショット。椅子に座ってだっこ、床に並んでお座り、あぐらをかいて高い高い、ほっぺたをくっつけての寄りショット。娘とダンナの写真はたくさんあるけど、自分との写真はほとんどない。撮り役に回っているせいもあるし、よれよれトレーナーにぼさぼさ頭という写真映えしない格好をしていることがふえたせいもある。誕生日の自分を娘と一緒に撮ってもらえたのは、いい記念になった。

撮影料は無料で、セレクトされた70ほどのカットから気に入ったものをプリント(六つ切2100円)してもらうシステム。パソコン上でスライドショーで見せてもらうと、全部欲しくなってしまい(ぐずり気味だったたまの一瞬のいい表情をしっかりとらえる腕は、さすが)、原本のCDを買うことに。値段はプリント14枚分に相当する29400円。他の写真スタジオを使ったことがないので、高いのかリーズナブルなのかわからないけれど、何度もスライドショーで楽しめるし、家族や友人にも見せ放題なので、元は取れそう。それより何より、居心地とセンスのいいスタジオ(内装がとてもわたし好み。小石を敷いたトイレも素敵)で、気兼ねなく授乳やおむつ替えをしながら過ごせた時間が、わたしにとってはプライスレスだった。

スタジオを出ると11時45分。大好きなイタリアンレストランal solito posto(アルソリトポスト)のケーキショップに寄ってクッキーを買い、プレシデントホテル一階のオーガニックレストラン・オルトへ。前回はベビーカーで来たのだけれど、今日はだっこひもで行くと、立派なスイングチェアを用意してくれる。さすがホテル。トイレにはおむつ替え台もあり、その横の椅子(荷物置きかもしれないけど)で授乳もできないことはない。十二穀米と具だくさんの味噌汁をお替りできるランチも体にやさしく、母乳の味方。「今日はあなたが主役」と元同僚たちがランチをごちそうし、花やカードを贈ってくれる。たまの成長を親戚の子を見るように面白がってくれる、ありがたい友人たち。他にも懐かしい人たちに何人か会えて、いいランチになった。

今日いちばんの驚きは、ダンナから花を贈られたこと。わたしが花を好きなのを知っているくせに、これまで贈られたことがなかった。子どもが産まれて、この人にも心境の変化があったのだろうか。年を重ねた分だけ、一年前にはなかったおまけがついてくる。

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2006年02月09日(木)  倉カルミネにて2006年の誕生日
2004年02月09日(月)  今年もハッピーバースデー
2003年02月09日(日)  何才になっても祝うのだ
2002年02月09日(土)  シモキタ(下北沢)


2007年02月08日(木)  マタニティオレンジ75 授乳しながらランチ&シネマ

一見何の変哲もない茶色い布、Busy Baby(ビジー・ベビー)というブランドのNURSING WRAP(ナーシングラップ)、いわゆる授乳ケープ。周囲の視線は遮るけれど、おっぱいを飲む赤ちゃんの様子はママから見られるようにデザインされている。わたしより二か月早く二人目の女の子を出産した友人ユメちゃんから出産祝いに贈られた。ユメちゃんが一人目を出産したときにいたロサンゼルスでは「人前で授乳している母親をとがめてはならない」という条例があり、ショッピングモールやら公園やらあちこちのベンチで堂々とおおらかに授乳できたという。産後一か月でこれを贈られたときは「自分が使うことはあるのかな」と思ったけれど、出歩くことが増えた産後四か月頃から手放せなくなった。もちろん日本ではロスよりは人目をはばかる必要があるけれど、このケープは色といい質感といい目立ちすぎず、季節が冬になった今ではふわりと羽織る防寒具のようにも見える。実際あたたかいので屋外での授乳では風の冷たさから守ってくれる。日本でも通販で購入可能。

今日は贈り主のユメちゃんと六本木ヒルズでランチ&シネマ。いつもは哺乳瓶と湯冷ましを保険のために持ち歩くけれど、「哺乳瓶を一度も使っていない」というユメちゃんに便乗して、今日はケープだけで乗り切ってみることに。インフォメーションでベビーカーを借り、混みあう12時より前にウェストウォーク5階のロイズに入ると、奥まった席に案内してもらえる。六本木ヒルズはどの店もベビーカーでいやな顔をされたことがない。しばらくは貸し切り状態。「授乳天国ね」とおそろいのケープで授乳しながら食事。220グラムのハンバーグをしっかり味わう。ウェストウォーク5階には授乳室もあり、施錠して貸し切りで使える。

ベビーたちの腹ごしらえとおむつ替えを済ませ、ママズクラブシアターで『幸せのちから』を観る。劇場予告を観たときからわたし好みの予感がしていた作品。全財産21ドルから億万長者になった実在の人物クリス・ガードナーの半生を映画化したもので、主演の父子をウィル・スミスと実の息子が演じていることで話題になっている。医療機器のセールスマンだったクリスは、大量に仕入れた高価な機器が思うように売れず、借金は膨れるばかり。ある日、一流企業が並ぶオフィス街で満ち足りた顔の男をつかまえ、「何をやって? どうやって?(このようになったのか)」と聞くと、彼は株のトレーダーであり、学歴がなくても数字と人に強ければなれる、という答え。その言葉に一念発起し、証券会社の正社員の夢に賭けることに。6か月の無給研修の後に採用されるのは20人に一人だけ。妻に逃げられ、家賃が払えず家を追い出され、モーテル代も払えなくなったクリスは息子とともに路頭に投げ出される。研修を早退して教会のベッドの行列に並び、息子を寝かしつけると、月明かりの下で勉強に励む。果たして夢は叶うのか……というストーリー。人種差別を入れ込んだあざとい展開を予想したのだけれど、登場人物は基本的にいい人で、立ちはだかる壁は「貧乏」に絞られていて、父子の絆がそれを跳ね返す力の源となっている。親の目線にのっかれるかどうかで感情移入度合いが分かれるかもしれない。

原題は"Pursuit of Happyness"。Happinessのiがyになっているミススペルは、クリスが息子を預ける託児所のドアの落書きのもの。Pursuit of Happinessはアメリカ独立宣言(The Declaration of Independence)にLife(生存)、 Liberty(自由)と並んで誰にも侵せない権利(unalienable rights)としてうたわれている。「なぜトマス・ジェファーソンは"幸福"ではなく、"幸福の追求"としたのか」とクリスの台詞がある。幸福は与えられるものではなく追い求めて手に入れるもの、というメッセージが全編から伝わった。クリスが息子に「夢を持ったら守りぬけ。不可能だなんて誰にも言わせるな。たとえ親にでもだ」と語るシーンに、自分もこんな言葉を贈れる親でありたい、と思った。親の力でしてやれる幸福には限度があるけれど、幸福は自分の力でつかむものだと気づかせ、その「幸せのちから」を引き出すことが親の役割なのかもしれない。再びおなかを空かせたたまに授乳しながら、そんなことを考えた。

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2006年02月08日(水)  クリピロ様セネガル行ってらっしゃい会
2005年02月08日(火)  映画『不良少年の夢』試写会
2004年02月08日(日)  FRIDAYの亀ちゃん
2002年02月08日(金)  フライングワイン


2007年02月07日(水)  マタニティオレンジ74 子育て中の美容院とエステ

「お誕生月につき10%オフ」の葉書が届いて、しばらく美容院に行ってないなと思い出す。産後3か月の11月に行ったきりだ。娘のたまをベビーカーに乗せて出かける。赤ちゃんウェルカムな美容院で、前回はたまがぐずると店長さんが抱いてあやしてくれた。今日は店長さんの姿はなく、ちょうど混んでいる時間帯。30分ほど待って順番が来た頃には、たまはベビーカーの中で海老反りをはじめていた。「だっこして切ってもらっていいですか」と無理を承知で聞くと、「はい」と美容師さんはこともなげに言い、「だったらこちらを」と親子スモックなるものを取り出した。上から見ると8の字になっていて、母と子のそれぞれをくるんでくれる。前髪を切ってもらうときに脇で抱く以外は、膝の上に立たせて機嫌を取った。「すぐ済ませますからね」と美容師さんはすごい勢いでハサミを動かす。雑誌も置かれない。シャンプーは省略で、髪の切れ端を流すだけ。美容院で髪を洗ってもらうのが好きなので、もったいない気がする。次回はやっぱり預けてこようかな、と思ったり、預けられるならお茶したい映画観たい、と思ったり。

ところで、前髪を切ってもらっているときのこと。「分け目はどうしますか」と聞かれたので、「つけたら、どうなりますか」と聞いたら、「老け込みますね」と即答された。そんな心配をされたことはなかった。フケ飛びますね、と言われたほうが衝撃は小さかったと思う。老け込むにはまだ早いと思ってたけど、わたしはすでに老け込みますねの境界線上にいるのか、としみじみグサグサ来てしまった。

子育てで一気にガタが来たのもあるのだろうか。なけなしの若さやみずみずしさを、ぴちぴちの娘に吸い取られている。こういうときこそエステなんかに行くべきなんだろうなあ、と思ったので、いつもは途中で切ってしまう勧誘電話に最後までつきあった。「一度お試しいただければ、ぷるぷるのお肌を実感できます」なんて言われて激しくうなずいたものだから、戸田恵子似の張りのある声の勧誘員さんもノリノリだったのだけど、「興味ありますか」と聞かれたところで、「赤ちゃん連れでもいいですか」と聞き返したら、はじめて沈黙の間が生まれた。「迷惑ですよね。他のお客様はリラックスしに来られるわけだし」と遠慮すると、「……そうですね。どなたかに預けていらっしゃることはできますか」。美容院と同じで、預けたほうが自分もゆっくりできるのだろうけれど。「子育て中の方にこそ、体験していただきたいんですけど……」。勧誘員の立場ではどうすることもできない。そこからは「もう離乳食ですか」「夜は何時間おきに起きてますか」などと子育て相談電話のようになる。勧誘員さんは子育ての先輩らしく、聞き上手でもあった。「がんばってくださいね」と励まされて電話を切ると、エステほどではないけれど、ちょっとすっきりした気持ちになった。


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2004年02月07日(土)  二人芝居『動物園物語』


2007年02月06日(火)  マタニティオレンジ73 ひろくてやわらかい床を求めて

先日初寝返りを決めた娘のたまが、今週辺りからおすわりも決まるようになった。うまく座らせると十分ぐらいは持つ。自由になった手を伸ばして、なにやら得意げだ。バランスを崩すと前やら横やらに倒れてしまうので、おすわりするときはベッドの上に置く。案外勢いがつくので、壁にも要注意だ。いつの間にかおすわりからスフィンクスのポーズになって寝返りをはじめていたりする。「キャ〜〜〜」と楽しげな悲鳴が続いているので、きげんよく遊んでいるなと安心していて、ふと目をやったら、ベッドから上半身が飛び出していた。連続寝返りで大移動したらしい。気づくのが遅かったら、頭から床に落ちるところだった。危ない危ない。慌てて抱き上げてからしばらく心臓がドキドキした。ハイハイは「気持ちだけ前進」状態が続いているけれど、フローリングの床で練習させようとしたら、いきなり転がって頭を床に打ちつけ、大泣きした。

ひろくてやわらかい床を求めて、区がやっているプレイルームを訪ねることに。登録はしていたものの利用ははじめて。お邪魔しまあすと顔を出す。同じぐらいの月齢の赤ちゃんを連れたママ同士で自然と輪になって、お名前は、とか、何か月ですか、とか言いながら、いい感じで打ち解ける。話しているうちに「あれ、母親学級でご一緒しましたよね」とお互い思い出したりする。妊娠中は顔もむくんでいるので、産後はかなり印象が変わる。内蔵していた赤ちゃんが分離独立して再会するのは、なんだか不思議で面白い。男子四人に囲まれて、紅一点のたまは元気な雄叫びを上げて、スフィンクスのポーズでごきげん。ここならマット敷いてるし、転んでも平気だよ、とお膳立てされた環境だと、なぜか転ばないのだった。

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2004年02月06日(金)  ミニ同期会
2002年02月06日(水)  電車にピップエレキバン


2007年02月05日(月)  マタニティオレンジ72 出産ドキュメント

昨日のマタニティオレンジを書いて、五か月も前のことをよく覚えていることに驚いた。強烈な体験は、一瞬一瞬がストロボを焚いたように、心の印画紙に焼き付けられるのかもしれない。最近読んだ漫画家の桜沢エリカさんの妊娠出産ドキュメント『贅沢なお産』にも刺激を受けて、記憶が鮮明なうちに、あの日のことを書き留めておこうと思い立った。

予定日を一日過ぎた8月21日月曜日、生まれる気配はないけれど、家でじっと待っているのは落ち着かないので、マタニティビクスへ。ズンズンという刺激は天然の陣痛促進剤になるのだが、お盆休みで一週間レッスンが空いていた。19日が予定日のトモミさんも来ていて、「今日の刺激で陣痛が来るかも」と笑いあう。自宅まで一時間半の道のりを歩いて帰る途中、「しばらく外食もできないし」とヌーベルシノワの店でランチを取る。帰宅し、ご近所仲間のT氏に借りていた『加藤泰 映画を語る』を読み、喉が渇いたな、と台所へ立ち、オレンジにストンと包丁を入れた瞬間、バン!と破裂音。フローリングの床を見ると、足元に直径三十センチほどの白濁した水たまりができていた。

わ、破水だ、と口に出して言ったわたしは意外と冷静だった。時計を見ると、17時20分。エコー検査で「たっぷりあるわね」と助産師さんにほめられた羊水は自分の体温であたためられてあったかく、温泉湯元になった気分。と、感心している場合ではない。30週の妊婦検診で見つかったGBS(Group B Streptococcus B群溶血性レンサ球菌)が薬でも消えず、母子感染する可能性があった。羊水というバリアが取り払われると、胎児は菌に対して無防備になってしまうので、抗生物質の点滴を受けなくてはならない。助産院に電話をすると、「すごく急がなくてもいいけど、早く来なさい」と言われる。電話を切ると、オレンジを食べ、出発。陣痛でアイタタなおなかをかばいながらヘイ、タクシー!の予定が狂い、羊水を受け止める巨大紙おむつをあてて電車に乗り込む。

改札を通り過ぎたとき、下腹に痛みを感じた。「お、来たかも」。破水してから二十四時間以内に陣痛が来ないと助産院では対応できず、病院に搬送されるので、陣痛様歓迎なのだった。時間は17時50分。3つ先の駅で降りて助産院へ向かう途中に軽い痛み、3分後に初めてギューッと締めつけられるような痛みが来た。歩きながらレポート用紙をはさんだバインダーとペンを取り出し、記録開始(以下、緑字で再録)。18:09軽 12ギューッ。出産というまたとない体験をネタとして書き留めない手はない。19軽 24ギューッ 29軽。はっきり陣痛だとわかる痛みが、交互に緩急つけてやってくる。36ギューッ。腰痛い。

助産院に着き、体重を計り(56.5キロ)、採尿。出産用の前開きガウン状パジャマに着替える。45ギューッ。48ギューッ。かなり腰痛い。50注射 注射と書いたのはGBSをおさえる抗生物質の点滴のこと。入院は自分が生まれたとき以来だが、点滴も初めて。効果は6時間。それまでに生まれなければ追加で打つ。「生まれていることはまずありえないわね」と助産師さん。初産なので目標は明日のお昼と言われ、「そんなに持ちません!」と悲鳴。いやいや、大変なのはこれからよと笑われる。話している間に、55ギューッ
19:00軽 05かなり 11かなり しんどくなってきて、「痛い」を省略。
20最大 22弱め 腰骨に指をめりこませるようにするとラク 
25いたい 30いたい 34歩くがしゃがみこむいたさ
 「痛い」が漢字で書けずひらがなになる。ここで、それまでいた診察室を出て、入院室に案内された。ベッドとテーブルと洗面台のある個室。
36痛い 犬のポーズやると楽 40呼吸吐くのを意識するとラク。犬のとき腕のほうにぐっと力いれる。44 かなり痛 47 鈍痛 50 かなり痛 ベッドに移動
漢字を書けているということは比較的余裕があったのか。
52〃 56〃 59〃 「かなり痛」と書く体力がなく、簡略化。
20:01最大 03〃 06〃
10 12 14 16 20 22 25 〃を振る気力もなく、数字を記すのが精一杯。
余白にウィダーインゼリー1本と走り書きがある。それまで買ったことはなかったが、助産師さんの指名で、ダンナに買ってきてもらった。結局、液体より固体よりこれがいちばん口に入りやすく、役に立った。大好きなペルティエのパンは長期戦に備えて二千円分買い込んでもらったが、ひとつも喉を通らなかったし、バナナも半分でギブアップ。ダンナはこの頃に駆けつけたと思われる。何度「立ち会って」と頼んでも「約束できない」とはぐらかされてきたが、いざとなるとちゃんと来てくれた。
27おにぎりおかか 体力つけなきゃと無理やり食べた記憶がある。
30最大 35うんち? 実際は便意ではない。赤ちゃんが降りてきている証拠。 
37限界 38 40最大 トイレ行く いきみのがし押してもらうと楽
21:00移動
 ここで分娩室に移動。といっても分娩台はなく、和室に布団が敷かれた部屋。抱きかかえて苦痛を和らげるビーズクッションがでん、と置いてあった。
21:10フーウン これを最後に絶筆。「フーウン」というのは呼吸法。

そこから先のことは記録には残せなかったけれど、手当たり次第にシャッターを押して撮った写真のように記憶に残っている。廊下の壁、トイレの壁、本棚の上、ソファ……オリエンテーリングのポイントを回るようにあちこちに手をつきながら陣痛をやり過ごしたこと。ダンナに頭をなでられたのがすごく安心できて、ふわふわといい気持ちになったのに、次の瞬間、「触らないで!」と手を払いのけ、そんな自分を「逆毛を立てて威嚇する妊娠猫みたい」と思ったこと。ダンナがいったん仕事に戻り、助産師さんがトイレで離れた五分間が永遠のように長かったこと(病院での分娩ではぎりぎりまで放っておかれることが多いらしいが、わたしが産んだ助産院では基本的につきっきりだった)……。順不同で、時系列に並べ替えるのは難しいけれど、画像は鮮明で、そのときの音やにおいや手触りも一緒に保存されている。

極限状況に陥ると、人は正気を保つために気を紛らわせる努力をする。「笑う出産」「歌う出産」「踊る出産」「祈る出産」など様々なスタイルがあるようだが、わたしの場合は「しゃべる出産」だった。「今どうなってますか」「なんでこんな痛いんですか」「あと何時間ですか」と助産師さんを質問攻めにし、「マタニティヨガで習ったんですけど、このポーズ楽です」「ああ、いま束の間の休息です」「この呼吸法、母親学級でやりました」などと実況し、合間に「年間何人ぐらい取り上げているんですか」と取材したりした。「あなたは最後まで冷静だったわ」と後で助産師さんに言われたが、言葉を発散することで、ばらばらになりそうな気もちをつなぎとめていた気がする。

先に破水した分、クッションがなくて衝撃がもろに伝わるので、陣痛がきつかったらしいが、そのおかげでお産が早く進み、初産にしては特急スピードの四時間で「子宮口全開」と言われるステージまで来た。ここまで来たら、あとは出すだけ、の段階。その時点で23時頃だっただろうか。助産師さんも「もしかしたら日付が変わる前に生まれるかも」と言い出した。当初の見通しより12時間繰り上げとなる。ところがそこから先が難航。これで最後と思って踏ん張るのに、出そうで出ない、その状態が二時間以上続き、気力体力ともに限界。24時、二度目の点滴の後、鼻に酸素吸入のチューブが差し込まれた。

25時頃、助産師さんが応援をお願いしたベテラン助産師さんが到着。白衣に白髪、深夜に駆けつけたにも関わらず、きちんと化粧を施された顔はおしろいで白く、その中でピンクの口紅を塗った唇だけが色を放っている。ベテランの余裕と貫禄を登場の一瞬で感じさせた。「さあ、ここからが正念場だよ」。すでにさんざん正念場だったのだけど……。「もうダメです!」と弱音を吐くと、「赤ちゃんはもっと苦しい!」と激が飛ぶ。火事場の馬鹿力でいきむと、「上手、上手」と助産師さんが二人がかりで褒めてくれる。「だいぶ進んだよ」「ほら頭が見えた」「鏡で見る?」「手を伸ばしたら、頭触れるよ」。そう言われても、「そんな余裕ないです!」と叫ぶ。「痛い、痛い」「どこが?」「股!」「そりゃ股は痛いわ」と助産師さんが吹き出す。やはり直径的に無理がある、と鼻からスイカ伝説を思い出すが、ここまで来たら出すしかない。

「ヒ、フー」だった呼吸はついに「ハ、ハ、ハ、ハ、ハ!」と舌を出す犬状態に。あとはもう無我夢中。ゴールテープが見えたマラソンランナーの心境。出産の瞬間はえもいわれぬ爽快感がある、と誰かが語っていた。「十か月の宿便」は言い得て妙なのかもしれない。めったに味わえない感覚だから、それをしっかり味わおう。楽しみができると、雲間に射し込む光のように、マッシロな頭に余裕が生まれた。出産中は麻薬物質のようなものが出て、痛みに鈍くなるという話も聞くから、そのときのわたしは恍惚状態に入っていたのかもしれない。

「さあ、行きますよ」。助産師さんの声にもラストスパートの力がこもる。次の瞬間、おなかの上に確かな重みがのっかった。小さな体を震わせ、泣いている生き物、これがわが子なのだとすぐには実感が湧かない。母親学級で見せられた出産ビデオでは、無事出産のこの場面でどばっと涙が出た。自分のときは号泣するんじゃないかと思ったら、安堵感のほうが大きくて放心状態になっていた。修羅場の喧騒がしずまると、CDから流れるオーボエの穏やかな音色が部屋に満ち、なぜかフランダースの犬の最終回、教会の冷たい床で抱き合うネロとパトラッシュの姿が頭に浮かんだ。

「8月22日午前2時28分」。助産師さんが壁の時計を読み上げながら素早くメモする。上から読んでも下から読んでも822228、回文だ。このとき、産んでみてのお楽しみだった性別を知る。男の子だと勝手に思い込んでいたので、女の子だとわかってびっくり。出産の間、わたしが「たまー、がんばれー」と呼びかけていたので、産まれた途端、助産師さんも「たまちゃん、よかったねー」と呼んでくれたのだが、「名前じゃなくて、卵のたまです」と言うと、不思議な顔をされた。ダンナの手にハサミが渡され、テープカットならぬへその緒カット。健康なへその緒は太くて弾力がある。ゴムチューブのような手ごたえで、なかなか切れなかった。

やっと出産が終わったら、まだ胎盤が残っている。後産というらしい。ゴールテープを切った後にもう一周と言われるような気分。胎児に比べるとずっと小さいのだけど、モチベーションが低い分、しんどい。これが赤ちゃんの入っていた袋、胎嚢。破水のとき、ここが破れたのよ。これが胎盤。レバーみたい? などと助産師さんが丁寧にレクチャーしてくれる。胎盤を食べたという知人がいて、わさび醤油がいけると話していたが、わたしは食欲が湧かなかった。

たまはいったん診察室に連れて行かれ、身長と体重を計られる。50センチ、3238グラム。小さく産むはずだったのに、大きく産んでしまった。初めてのおっぱいを含ませながら、「3000切ってたら、もう少しラクだったんですかねえ」と言うと、「生まれるタイミングは赤ちゃんが決めるから」と助産師さん。今日出てきたい、とたまが思ったのだから、それでいい。

羊水を体じゅうにつけたままおむつだけ着けた生後一時間のたまとわたしとダンナを和室に残し、「今夜はここでゆっくり休んで」と助産師さん二人は去って行った。「産んだ直後は何ともいえないほど幸せ」と先に出産した友人たちに聞いていたが、疲れているはずなのに興奮して寝つけない。うとうとしてはすぐ覚め、隣で寝息を立てているたまを確かめて、「完璧だ」とつぶやいたり、子宮に比べたらこの部屋は宇宙ぐらい広いだろうなあと想像したりした。

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2002年02月05日(火)  3つの日記がつながった


2007年02月04日(日)  マタニティオレンジ71 「鼻からスイカ」伝説

出産を終えてよく聞かれるのが、「『鼻からスイカ』ってほんと?」。直径的に無理があることのたとえだけど、スイカは大げさ、「鼻からキュウリ」ぐらいが実感に近い。キュウリにしたのは理由があって、出口の突破よりも、長さのある物が狭いトンネルを通り抜ける道中が大変なのだ。いわゆる陣痛。最初はジンジン、そのうちズンズン、ついにはガンガンと体の内側から金槌で殴られるような衝撃が10分おき、7分おき、5分おきと間隔を縮めながら襲ってくる。

痛みの新単位HANAGEが国際学会で承認されたというジョークがメールで飛び交ったのは十年ほど前だろうか。鼻毛一本抜く痛みを1HANAGEとすると、出産は一万HANAGEだったか十万HANAGEだったか。鼻毛を一万本(あるいは十万本)抜くほうがラクなのでは、と馬鹿馬鹿しい比較をするうちは余裕があった。「痛い」より「苦しい」に近い衝撃がボリュームのつまみを回すようにきつくなっていく。赤ちゃんは旋回しながら産道を下りてくる、と母親学級で教わった。産道をギリギリとこじ開けながら進む円周三十センチのスクリュードライバーを想像する。「少しでも直径を小さくするために頭蓋骨を折り畳んで出てくる」(そんなことができる胎児って何者!?)そうだから、実際の円周は三十センチもないかもしれない。でも、肩は外せないし、ワインボトルの底ぐらいはあるのだろうか。

「出産は十か月の宿便です」とカリスマ助産師の神谷先生は母親学級で言い放った。この人の言葉には一言も聞き逃せない説得力があるのだが、うちの子をウンチ呼ばわりとは、とこれにはフンガイした。先生は続けて言った。「これまで体験したことのないエネルギーがあなたに押し寄せます」。苦痛に耐えるのではなく、力を受け止める。その考えは気に入った。実際体験してみると、確かに途轍もないエネルギーだった。脳裏には、トンネルを開通させるために山に穴を空ける発破シーンが浮かぶ。陣痛のたびに体の中でダイナマイトが爆発するようで、体も気持ちもばらばらになりそうになる。脳裏を過ぎるイメージは、山肌を洗う溶岩流に、砂浜を飲み込む津波にと過激になっていく。マグマの怒りを受け止める地球ってこんな感じだろうか。

新聞で読んだバースコーディネイターのインタビューに「出産は女性の体から未来が生まれること」とあった。もう限界というとき、この言葉が自分を奮い立たせてくれた。未来を生むのだ、楽なわけないじゃないか。わたしがダンナと二人の助産師さんに励まされて何とか持ちこたえている今、おなかの中の「未来」は一人ぼっちで暗い産道を光に向かって進んでいるのだ。愚痴も言わず、弱音も吐かず。その胎児の姿をはっきりとイメージした。この子を世界に出してあげられるのは、わたしだ、と体に残っていた最後の力を振り絞った。何度も投げ出しそうになった七時間半の耐久レース。その苦しみは、生まれた瞬間の開放感と達成感と爽快感に吹き飛ばされた。ゴールテープを切った瞬間、次のレースのことを考えるマラソンランナーのように。

鼻からスイカ伝説は、「普通だったら耐えられない痛み」のたとえとしても語られる。わたしも「無痛分娩にすればよかった」と呪文のように繰り返していたけれど、わたしが体験したのは、麻酔なしで手術を受ける拷問のような痛みではなく、出口を求めて押し寄せる圧倒的なエネルギーだった。「耐えられる痛みですか」。出産を控える人にそう聞かれたら、「ラクではないけど、怖がることはありませんよ」と答えている。それを受け止める力は、ちゃんと母親には備わっているから。「命を宿す力があるということは、命を産み落とす力もあるということです」とも神谷先生は言った。

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2002年02月04日(月)  福は内


2007年02月03日(土)  映画『それでもボクはやってない』と監督インタビュー

Shall we ダンス?』以来11年ぶりの周防正行監督の最新作、『それでもボクはやってない』。劇場予告を観た第一印象は社交ダンスから一転、痴漢冤罪とは地味な題材だなあというものだった。「痴漢したでしょ」と主人公の袖をつかまえる女子中学生が『風の絨毯』でさくら役だった柳生みゆちゃんだとわかり、これは観なくちゃ、となったけど、ヒットはしないだろうなあと思った。観る人を選ぶ作品だろうなと。月刊シナリオ2月号の監督インタビューで「バカヒットさせたい」という言葉があったが、バカヒットは難しいだろうなあと思った。ところが、今朝9:30からの日比谷シャンテシネは、ほぼ満席。客席は中高年が目立ち、岩波ホールのような雰囲気。バカがつくかどうかわからないけど、ヒットしている。

混雑した通勤電車で、仕事の面接に向かうフリーターの青年が痴漢の疑いをかけられて駅員室に連れて行かれ、警察に引き渡され、罪を否認していると起訴され、裁判に巻き込まれる。青年の主張は終始一貫して「ボクはやってない」。だが、話せばわかってもらえるはずと思っているうちに、どんどん抜け出せない深みにはまっていく。やったことの証明よりも、やってないことの証明のほうが難しく、無実だからと言って、無罪になるとは限らない。逮捕者の有罪率は99.9%。無罪を出すことは警察が間違いを認めることになり、逮捕した以上は有罪だと決めてかかられる。有罪行きレールに乗せられた青年を丹念に追いかけながら、作品は日本の警察や検察や裁判の抱える問題点を次々と浮かび上がらせる。

周防監督は痴漢冤罪を取材しているうちに「これを作りたいじゃなくて、作らないと駄目だ」と使命感を覚えたらしい。そして、「とにかく現実に僕が見たことを伝えたい。そのためには、どう整理していったらいいか、それしか考えなかった」という。「とにかく映画的に演出の工夫をしようとか一切なく正直に撮ろう」という姿勢で小技や小細工を排し、「それで映画がつまらなくなるんだったらしょうがない」と開き直ったそうだが、結果的には大変面白い作品になった。でも、他人事だからのん気に見物できるのであり、自分が濡れ衣をかぶる立場だったら笑い事では済まされない。

グリコ森永事件の頃、大阪では大がかりな検問が行われ、キツネ目男に似ているというだけで疑いをかけられた人が多数いた。運悪くグリコや森永の製品を持ち合わせていた人は、とくにしつこく取調べられた。「十人の真犯人を逃すとも 一人の無辜をお罰するなかれ」という言葉が映画の冒頭に出てくるが、実際には、十人の真犯人をつかまえるために、間違って逮捕されてしまう人がいて、無実の証明に失敗すれば有罪の判決を受ける羽目になる。つい最近、服役まで終えた人が後から無実だと判明したという記事を読んだ。「家族は認めている」と取調べで言われ、否認しても無駄だと諦めて自白したらしいが、すっかり人間不信になってしまったのは無理もない。つかまえる側も裁く側も使命感と責任感を持って悪を正すことに取り組んでいるわけで、好きで無実の人を有罪にしているわけではない。けれど、有罪率99.9%は結果ではなく前提になってしまっている。それでも映画だったら奇跡を起こしたくなるものだが、ラストを甘くしなかったところに真実味があり、一件落着にしなかったことで観客に宿題を持ち帰らせるという余韻を残した。上映時間143分が全然長く感じられない。寝ているダンナに娘を頼んで出かけた甲斐があった。

帰宅してから月刊シナリオのインタビューを再読。2月号なのでもう書店には並んでいないかもしれないけれど、このインタビューは職人の心意気のようなものが伝わってきて、読み応えがある。「最終的には、僕のことなんかなんにも知らない観客が見る」から、人の話を聞く。「作る前に聞いて、そこで恥かいとかないと。作る前の恥は誰も知らない」「とにかく作る前に批判にさらされて、作ってからあまり批判されたくない」という真摯な姿勢がちゃんと作品の完成度に結びついている。

月刊シナリオには脚本も掲載されている。台詞のある登場人物は全員フルネームがついていて、みゆちゃん演じる中学生は古川俊子。『パコダテ人』のまもる父ちゃん、徳井優さんは留置係の西村青児役。徳井さんは『Shall we ダンス?』にも出演していて、その撮影をわたしは間近で見ている。ストリートダンスの映画だと勝手に勘違いしてエキストラに応募し、ダンス大会の観客席を埋める観衆の一人となって、「社交ダンスだったのか……」と呆然としながら、「あ、引越しのサカイの人だ」と徳井さんを見つけて喜んでいた。そのときは自分が映画の仕事に関わることになるとは思っていなかったし、映画脚本デビュー作に目の前の俳優さんが出演するとも思っていなかった。11年(撮影は公開より前だから12年か)も経つと、いろんなことが変わる。それだけの長い歳月を空けて渾身の一本を送り出したんだなあ、とあらためて恐れ入る。

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2004年02月03日(火)  東北東に向かって食らえ!
2003年02月03日(月)  納豆汁・檜風呂・山葡萄ジュース・きりたんぽ
2002年02月03日(日)  教科書


2007年02月02日(金)  マタニティオレンジ70 子連れで江戸東京博物館

友人アサミちゃんを誘い、特別展「江戸城」(3/4まで)めあてに江戸東京博物館へ。ここはわたしの好きな場所のひとつで、心惹かれる特別展があると足を運んでいる。赤ちゃん連れでも大丈夫なのかなと事前に調べたら、授乳室があり、ベビーカー貸し出しもやっているというので、安心して出かけた。

平日の昼間だから空いているだろうと思ったら、江戸城展はベビーカーが割り込む隙間を見つけるのは一苦労な混み具合。休日よりはよっぽどましなのだろうけれど、人並みが途切れた瞬間を見計らって陳列棚の前に滑り込んだり、人垣越しに背伸びして見たり。信長や家康の残した文書を見ながら、「朱印状って習ったよね」「あったよねー朱印船」などと歴史の時間を懐かしむ。昨年一緒に観た『築城せよ。』を思い出して、「映画に出てたお城の設計図もこんな感じだったねえ」とも話す。昔の人の遺した手紙や日記や作られたものや使っていたものと数百年の時を経て対面するのは、不思議な気持ち。それらのものがあるということは、たしかに人が存在したということで、人はいなくなっても、ものはたしかに存在している。半分ぐらい見たところでたまが大声で泣き出してしまった。江戸ワールドに引き込まれている人々を現実に引き戻してしまっては申し訳ない。ベビーカーからたまを引っこ抜いて抱っこにし、アサミちゃんにベビーカーを押してもらう。それでもぐずるので、残り四分の一ぐらいは駆け足で通り過ぎる。一瞬見たお菓子(もちろん和菓子)の再現サンプルが迫力満点。横長の饅頭がオムレツのように大きかったのだけど、あれは原寸なのか展示用に拡大していたのか。

おむつ替えシートではなくベビーベッドが置いてある立派な授乳室で授乳とおむつ替えをして、たまのごきげんが持ち直してから常設展へ。こちらはベビーカーで回るスペース十分だったのだけど、たまはだっこのほうが良さそうなので、ベビーカーを返却。課外授業で来ている高校生の女の子たちが「かわいいー」と寄ってくる。中国語を話す女の子のグループも近づいてきて握手攻め。名前を覚えてもらって、別な場所で再会すると「たまちゃーん」と呼びかけられる。歴史の展示物の中に赤ちゃんがいると新鮮で面白いのかもしれない。

わたしもアサミちゃんもジオラマやミニチュアで再現された昔の暮らしや町並みを見るのが好きで、「よくできてるねえ」と感心しながら見て回る。昔の出産風景なんて展示は以前来たときもあったのだろうけれど、当時は関心がなかったせいか記憶に残っていない。産婆さんの膝に新生児を立てかけるようにして沐浴したのは、へそからばい菌が入らないようにするためだとか。期間限定の「北斎展」も面白かった。北斎は時期によって名前を変えながら作品を発表していたそう。最初は挿絵画家からスタートというのは現代のイラストレーターにも通じるものがある。

赤ちゃん連れは行動の自由度が低くなるけれど、アサミちゃんにつきあってもらったおかげで、かなりじっくり見て回ることができた。ママ仲間同士だとお互い様の気安さはある代わりに全員手がふさがっているという弱点がある。手の空いている道連れがいると、ぐずったときに「荷物持ってて」や「あれ取って」を頼めるので助かるのだった。博物館へ行く前の腹ごしらえのランチも、交替でだっこしながらしっかり完食。「両国のおいしい店」を検索して見つけた『自然食レストラン 元気亭』は、雰囲気も店員さんの感じも良く、カラダにやさしいメニューが充実していて、また行きたいお店。

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2005年02月02日(水)  しましま映画『レーシング・ストライプス』
2003年02月02日(日)  十文字西中学校映画祭
2002年02月02日(土)  歩くとわかること


2007年02月01日(木)  マタニティオレンジ69 女性は子どもを産むキカイ?

厚生労働大臣が口にした「女性は子どもを産む機械」という発言が問題になっている。こういう言い方は昔からあったけれど、いまや当の大臣の専売特許のようになり、多方面から非難が集中している。最初ニュース音声で「女性は子どもを産むキカイ」と聞いたとき、「機会」という漢字が頭に浮かんだ。日本語としては不自然なのだけど、「女性は子どもを産む機会」って詩的な表現だなあと思ったら、「機械」のほうだった。機械という言葉は「人間」の反対語としてとらえられることが多いし、「女性を機械呼ばわりとは!」「女性の人間性を否定している!」と猛反発を食らっている。産む前だったらわたしも反射的にそう感じたかもしれないけれど、ちょうど半年前の出産のことを思い返しながら書き留めていて、女性の体に備わっている妊娠・出産という能力は実に精巧なメカニズムだなあと思っていたところ。「女性=機械」とイコールでは結べないけれど、そういう側面はあるということを生理的に理解できる。machineというよりはvehicleに近いかなあとは思う。手元の辞書でvehicleを引くと、「媒介物、伝達の手段(方法)、表現形式」とある。

「機械」というたとえを使ったのは話をわかりやすくするため、という釈明がされている。報道では問題発言の部分ばかり抜き出されているので、どういう文脈で使われたのかつかみかねるけれど、ちょっとした温度や湿度の差を嫌う精密機器以上にそれはとてもデリケートなもので、機能させるには環境の整備やサポート体制や設備投資が必要である、という趣旨での発言かどうかは疑問だ。女性を機械にたとえたことより、「機械が減っているから、一台あたりの生産量を上げるべき」と聞こえるくだりに、わたしは引っかかりを感じる。子どもの「生産量」が減っているのは「機械」の責任ではなく、少子化は「機械」だけが頑張って解決する問題ではない。マシーンは電源を入れスイッチをONにすれば作動するけれど、大臣のたとえる「機械」は言葉ひとつでダメージを受ける繊細さを備えている。そういう意味では配慮に欠ける発言だったと言わざるをえないけれど、「機械」という言葉尻だけをとらえて騒ぎ立てても何も産み出さないと思う。この表現の何が問題なのかが議論され、問題発言が問題提起のきっかけになることが、「子どもを産む機会」を行使しやすい国へ近づく一歩にならないだろうか。そんな期待を寄せながら事の成り行きを見守っている。

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2004年02月01日(日)  東海テレビ『とうちゃんはエジソン』
2002年02月01日(金)  「なつかしの20世紀」タイムスリップグリコ



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