2007年04月30日(月)  友だちの友だちは友だち

広告のクリエイティブはコピーライター、アートディレクター、CMプランナーの三人セットで仕事をすることが多い。コピーライターとして広告会社に勤めていた頃、アートディレクターのE君、CMプランナーのT嬢とわたしの三人組は仕事を超えて仲良くなり、仕事中の昼ごはん、息抜きの午後のお茶、アイデア出しを兼ねての残業メシ、残業後にお酒を飲みながらの真夜中ご飯……と何度もテーブルを共にするうちにさらに親しくなり、互いの誕生日を祝いあう仲になった。その間にE君とT嬢の間に恋が芽生え、愛が育まれていたことを知らないのは、いちばん近くにいるわたしだけで、職場ではすっかり公然の秘密になっていたのだけれど、「突然ですが、結婚します」と打ち明けられて、わたしはのけぞった。

照れ屋な二人らしく、親しい人だけを集めて軽井沢で執り行われた結婚披露宴は、家族と親族、友人をあわせても三十人ほどのこじんまりとしたあたたかなパーティだった。同僚のカサピー一家、ダンナとともに参加させてもらったが、新郎新婦の各時代を代表する友人が一同に会して、E君いわく「俺の人生のオールスターの夢の競演」となった。初対面の人がほとんどだったものの新郎新婦という共通の話題があり、さらにリゾート地での泊りがけという高揚感も手伝って、新郎新婦のスイートルームに会場を移しての二次会で杯を重ねる頃にはすっかり昔からの仲間のような雰囲気が出来上がっていた。

E君の中学校時代の友人夫妻であるイケちゃんサンちゃん、専門学校時代の親友のフクちゃんとは、とくに親しくなった。披露宴の翌日、帰りの新幹線に乗り込むまでの半日を一緒に過ごしたのだ。なんとなく心惹かれる方向に歩く、という無計画な散策は、いつしか出口の見えない山道を熊に怯えながら突き進む探険になった。奇跡的に頂上にたどり着き、新郎新婦に記念写真を携帯メールで送ると、自分たちの結婚式から生まれた友情に感激していた。

それから一年五か月。昨年9月に娘のたまの12分の1才を祝ってくれたE君、T嬢、大阪から出張中のフクちゃんがまたわが家に集まってくれた。フクちゃんは今回、彼女のS子ちゃんを連れての上京。阪神タイガースファン同士で意気投合したのだとか。おいしいもの好きなところもウマが合うようで、そこは居合わせた全員に共通すること。元同僚のげっしー嬢のいとこがやっている愛媛・八幡浜の昭和水産の一夜干しを焼き、近所のお肉屋さんの和牛を焼き、脂身でガーリックライスを作り、松の実たっぷりの手作りパンをふるまう。よく食べ、よく飲み、よくしゃべり、たまともよく遊んでもらう。フクちゃんと会うのが今夜でまだ3回目というのも不思議だけれど、S子ちゃんとも初めて会った気がしない。友だちの友だちは仲良くなる下ごしらえができているのかもしれない。

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2004年04月30日(金)  日本映画エンジェル大賞受賞
2003年04月30日(水)  2003年4月のカフェ日記
2002年04月30日(火)  焼肉屋『金竜山』で酒池肉林
2001年04月30日(月)  2001年4月のおきらくレシピ


2007年04月29日(日)  マタニティオレンジ112 「自立とは」を考える

障害者の「自立」について考える勉強会に出席する。「あなたは自立していますか」と聞かれたら、迷いなく、はい、とわたしは答える。理由は、自分で働いて稼いだお金で生活していく能力があるから。ところが、最近読んで衝撃を受けた『障害とは何か―ディスアビリティの社会理論に向けて』という本の中に「従来身辺自立と職業的自活に高い価値を置く伝統的な自立観」というくだりがあり、わたしの抱いていた自立観がまさにそれだと気づかされた。経済的に自立していること=自立だとわたしは思っていたのだけれど、職業に就かず、収入がなく、身の回りのことをこなすのに介助を必要とする人であっても、「自己決定を行うことこそが自立」である、と著者である全盲の社会学者・星加良司氏は説く。自分が何をしたいか、どうしたいか、主体的に決定し、主張し、実現できることが自立なのだと。

今日の勉強会では「欲しいことを欲しいと言い続けられること」が自立なのだという話があり、イソップ童話のすっぱいブドウの寓話が紹介された。手を伸ばしても届きそうにないブドウを、「すっぱいブドウ」だと呼ぶキツネの話。自分の欲求が達成されないとわかったとき、自分を納得させる理屈をつけて、理想と現実のギャップを埋める。それは、自分が傷つかないための呪文のようなもので、手に届かないものを「価値がない」と思い込むことによって喪失感、敗北感を味わわずに済む。最初から欲しくないと言うほうがラクなのだ。わたしたちは多かれ少なかれ、「すっぱいブドウ」を使って自分を守っている。失恋したときに、「つまらない男だった」と自分に言い聞かせたりして。「すっぱいブドウ」は障害のある人だけのものではない。ただ、障害がある人の場合は、人一倍努力しなくては手に届かないものが多いから、「すっぱいブドウ」の出番がふえ、ともすれば日常茶飯事となる。「人の手を介してもいいから自分の意思で実現する」「実現しなくても欲望を持ち続ける」ことが大事だという話を聞いて、自立とは生活の形態よりも心のありようなのだ、と思った。言葉の意味をつかもうとするとき、わたしは反対語を考えてみる。これまでは「自立⇔依存」だと思っていたけれど、我慢せずに遠慮せずに諦めずに意思を主張するという意味では「自立⇔抑圧」のほうが近いかもしれない。そして、「抑圧」の逆をたどると、「自由」や「解放」が浮かび上がる。 

自己決定という意味において、わたしは自立しているだろうか、とわが身を振り返ってみる。欲しいもの、やりたいことは見えていて、その実現に向かって手を伸ばしている。だから、自立している、と自己判断する。では、生後8か月の娘はどうだろう。今のところ彼女の欲求はおなかを満たす、おしりをきれいに保つ、遊ぶ、寝る、といったところで、一人で出来ない食事とおむつに関しては、泣いて欲求を訴え、大人の手を借りて実現にこぎつけている。けれど、決断を迫られるような局面には向き合っていないから、自己「主張」はしていても、自己「決定」しているとはいえない。

『障害とは』の本に話を戻すと、その中に小佐野さんという方の1998年の発言が紹介されている。
「自立」には二つの側面があって、その人自身がどうしたいか、ということがちゃんと実現され、保障される、という側面も大切なわけですが、もう一つの側面として、「自立」って社会的なものであって、どんな人でもその他の廻りの人との関係の中で、そこにいることに意味があるということ、そういうことが認め合えるということが「自立」なんじゃないか、と僕は思っています。
子どもを「一人前」に育てるというのは、「自立」へ導くことだと言えるかもしれない。今はまだ生存することに必死なわが子が、やがて、どう生きるかを選べるようになったとき、その意思を尊重すること、そして、わが子が生まれてきた意味を見出せるようにすること、それが、親にできるささやかなことではないだろうか。つかまり立ちをはじめて自分の足で立とうとしている娘の姿を思い浮かべながら、自分は自分、その心をよりどころに立つことの大切さを思った。

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2002年04月29日(月)  宮崎あおい写真集『happy tail』にいまいまさこ雑貨


2007年04月28日(土)  三枝健起監督の新作『オリヲン座からの招待状』

映画『ジェニファ 涙石の恋』でご一緒した三枝健起監督の新作『オリヲン座からの招待状』関係者試写にお邪魔する。ジェニファと同じく製作はウィルコ、プロデューサーは佐々木亜希子さん。『鉄道員』(浅田次郎)に所収されている原作が大好きなので、とても楽しみに拝見した。原作をそのままなぞるのではなく、原作に埋もれている部分に光を当てて膨らませたような脚本になっている。その広げ方、深め方がとても好ましく、この映画を観てから原作を読み返すと、いっそう登場人物たちに思い入れできそうに思えた。

純愛映画ブームは一段落したようだけど、観ていて頭に浮かんだのは「純愛」という言葉だった。「純真」のほうがしっくりくるかもしれない。主人公の青年・留吉(『それでもボクはやってない』の加瀬亮さんが好演)の一途な恋、映画へのひたむきな思い、不器用で嘘のない生き方、どれもがもどかしいほど純粋で真摯。飽和状態の平成の世なら浮いてしまいそうだけれど、数少ない娯楽だった映画がテレビに取って代わられる頃の昭和が舞台だと、ファンタジーのような純真が現実味を帯びてくる。

『ジェニファ』でも指摘されることだけど、映像が美しい、音が美しい、その重なり合いがまた美しい。鑑賞してからひと月も経って日記を書いているが、じんわり染み入るような上原ひろみさん作曲のテーマの余韻が残っている。印象的なシーンの数々も、紙焼きを取り出すように思い出せる。宮沢りえさん演じる若き日のトヨが自転車に乗っている情景は、映画は一枚一枚のシャシンの連続だと思い起こさせるような構図の連なりに引き込まれた。そして、懐石料理や納豆やトマトやとうもろこしが登場した『ジェニファ』以上に食べものがよく出てくる。その食べものがとてもおいしそうで、作り物めいていない感じがいい。ちゃんと、登場人物たちの生活に寄り添っている実感がある。

三枝監督は実景を通して心象を描くのが上手な監督だと思っているが、この作品に登場する「ある道具」の扱い方が心に残った。人を喪うということは、ある道具を使っていた主がいなくなることであり、その役目を誰かが引き継ぐことなのだと、しみじみと感じ入った。映画の中に流れるしっとりとした時間に身をまかせ、ささやかだけれどあたたかな幸せに浸れる作品。11月に東映系で全国ロードショーとのこと。

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2004年04月28日(水)  黄色い自転車
2002年04月28日(日)  日木流奈(ひき・るな)


2007年04月27日(金)  マタニティオレンジ111 「祝・出産 祈・安産」の会

今年1月1日に女の子を出産した会社時代の同期のタニヤン宅でランチ。集まったのは、わたしと昨年8月に生まれた娘のたま、昨年10月に出産したアヤさん母娘、6月に女児出産を控えたゲッシー。年が近くて気が合うので会社を辞めてからも親しくしている人たちが、去年から今年にかけて相次いで出産。偶然なのか、パソコンの電磁波のせいなのか、会社に特殊な「気」でも流れていたのか、示し合わせたかのように女の子の母親になっている。

「一年前に集まったときからのこの変わりようは、どうよ?」。四才の女の子(またしても!)の幼稚園のお迎え帰りに、お茶の時間から合流したアツヨちゃんが言った。乳飲み子を抱えた若葉マークの母親と妊婦に混じると、子育て大先輩の貫禄があるけれど、年齢を考えると、アツヨちゃんだって決して早いほうじゃない。だけど、去年の四月、今日の5人を含む元同僚8人で集まったとき、子どもがいるのは彼女だけだった。産んで働き続けるのは難しい、自分の時間をもうしばらく楽しみたい、欲しいけれど授からない……産まない理由、産めない理由はそれぞれだけど、「30代後半が8人いて、子ども一人は少ないよね」と言い合った。そのときわたしは妊娠5か月だったけれど、授り待ちの友人への遠慮もあって言い出すきっかけを逃してしまった。わたしにとっても、あの日集まったうちの半数がそれから一年余りの間に母になるとは予想外だった。「8分の1」の淋しさを感じていたアツヨちゃんは一気に「8分の5」集団の筆頭になった。35歳を過ぎて「そろそろ」とタイミングが重なったのもあるだろうけれど、これだけ続くと、妊娠がうつるというのは本当なのかもと思ってしまう。

仕事も好きなことも一通り経験してからの出産は「人生にやさしい」のだと先日見かけた出産本の宣伝コピーにあった。たしかに、年齢的に落ち着いてからはじめる育児は、じっくり子どもに集中できる気がする。集まった元同僚たちは皆、仕事のはりあいで輝いていたのとはまた違う、会社では見せたことのない充実したいい顔をしていた。

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2004年04月27日(火)  二級建築士マツエ
2002年04月27日(土)  映画デビュー!「パコダテ人」東京公開初日


2007年04月26日(木)  マタニティオレンジ110 保育園のPTAはイベント盛りだくさん

今月はじめに入園式に出席した保育園のホールで、こんどは父母総会。その間、子どもは保育していてもらえる。園長先生の挨拶、先生方の紹介、保育方針の説明、お知らせが続く。「子どもは『メタボ』という言葉が好き」という栄養士さんのお話に、父兄の笑い声が起こる。「野菜食べないとメタボになりますよ」と言われると、喜んで食べてくれるのだとか。保健士さんは「少々転んだりすりむいたりは大目に見てください」。過保護にされて切り傷すり傷を経験しないまま大きくなった小学生に「切り傷すり傷の血が止まらない」現象が見られるとのこと。質疑応答では、「娘が調理に興味を示すようになったので、調理室を子どもがのぞけるように台を置いて欲しい」(検討しますという答え)「有料でもいいので紙おむつを園で処理できないか」(持ち帰りが負担になっているのは理解するが、膨大な量のゴミになるので難しい。やっている園を聞いたこともない、との答え)といった意見が出る。これまで図書館から園が借りていた本を園児に又貸ししていたのができなくなったことについては、「家でいらなくなった本を持ち寄って文庫にしては」という意見が出た。わたしも同じことを思ったので、「本の内容の吟味が難しい」ということで保留に。「うちの子は大喜びで通っています」「園も先生も大好きみたいです」といったお父さんお母さんの声が聞けて、あらためて、いい園に入れてよかったと思う。園主催の総会に続いて、父母会の総会があり、くじ引きで当たりを引いて役員になったわたしも自己紹介した。

7年前に発足した父母会は、小学校でいうPTA。子どもの頃に親がベルマークの仕分けに学校へ来たりするのを見ていたけれど、自分が親の立場で関わるようになる番がめぐってきた。役員になったおかげで、入園早々PTAの世界をどっぷり体験している。活動内容などを話し合う役員会は4月に顔合わせの1回目をやり、先週金曜日に2回目を開催。1〜2か月に一回ペースで開かれるとのこと。公民館を借りた一時間のうち、飢えた子どもたちにおやつを食べさせて黙らせるのに20分、後半20分は集中力が切れた子どもたちが机のまわりを走りはじめ、会議に割けるのは20分がいいところ。駆け足で「ハイ次」と進めて、「あとはメールで!」で解散となる。役員8人中7人の子どもが男の子で、わが家のたまは紅一点。お兄ちゃんたちのパワーに目を丸くして圧倒され、泣くことも忘れていた。いろんな子どもがいて、いろんなお母さんがいて、その中に自分がいることがなんだか不思議で面白い。少し前には想像もしなかったことをやっている。1回目の役員会は土曜日にも関わらず、全員お母さんだった。共働きなんだから、お父さんが来る家があってもいいんじゃないかと思うのだけど。

役員にはそれぞれ役職がつく。0才児クラスの親にはなるべく負担を少なく、と取り計らってくれたものの、わたしが担当することになった会計も十分に忙しい。家計簿もつけたことないのですが大丈夫でしょうか、と引継ぎのときに前年度の会計さんに聞いたら、わたしも数字は苦手だけど何とかなりましたよ、と勇気づけられる。帳簿つけより会費集めが主な役割だという。まずは郵便局へ行って通帳の住所欄を書き換える。名義は父母会のままだけど、住所欄を毎年、その年の会計の名前に書き換えていく。住所欄のスペースは残りわずか、あと何年持つやら。配布用の「会費納入のお願い」を作り、ひさびさにコピーを書いた。わたしのコピーでお金が集まるだろうか。納入率を上げるために、広告会社時代に東京ディズニーランドの広告を一緒に作っていたデザイナーのE君にPOPの制作もお願いした。万単位のファミリーを動かしているE君のクリエイティブが保育園に通用するか、お手並み拝見。

父母会の新聞も役員が交代で編集・発行する。わたしは秋に発行する号を担当することになった。それから、各クラスの父母が親睦を深める懇親会を取りまとめるのも役員の仕事。送り迎えのときに顔合わせするお母さんをつかまえ、名前と連絡先を聞いて回る。同時に場所探しを開始。子連れで大勢でゆっくりできるところ。六義園の茶室を借りられると聞いて問い合わせたり、座敷のある店をネットで調べたり。保育園に預けてなかったらこういう作業も発生していなかったわけだけど、仕事の合間の気晴らし、レジャーと思えばそれなりに楽しめる。

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2002年04月26日(金)  『アクアリウムの夜』番外編:停電ホラー


2007年04月25日(水)  教え子四人とシナリオ合評会

一昨年の10月から半年間、シナリオ講座の研修科を受け持った。そのときの教え子の男の子四人が出産祝いを贈ってくれたので、内祝い代わりにわたしの家で合評会を開くことになった。四人がときどき居酒屋で合評会を開いていることは聞いていた。最初は真面目に批評していても、途中からは単なる飲み会になるというが、合評会や仲間の存在が書き続ける励みになっているのがうかがえる。独学でコンクールに応募していたわたしは、そういう同級生がいることをうらやましく、微笑ましく思う。

一週間前必着の約束に一人も遅れることなく原稿がそろってから、一週間かけて四人の作品を読んだ。講座を受け持っているときも、わたしは時間の許す限りじっくり読み込み、気づいたことやアドバイスできることをできる限り伝えるように努めた。わたしが脚本家になれたのは、結局会うことが叶わなかった新井一先生が雑誌の誌上シナリオ講座に応募したわたしの作品に目を通し、温かい励ましの言葉をくれたから。書きたいという思いがある人には、書き続け、デビューのチャンスをつかんでもらいたい。新井先生がわたしにしてくれたことを、これからの人たちに返せたらと思っている。だから、そういう機会に恵まれたときは、真剣に読む。その代わり、書く人にも真剣勝負を求める。誤字脱字には厳しい。何度も読み返し、これでどうだ、と自信たっぷりに突き出して欲しい。気の抜けた原稿は、こちらも気が入らない。

四人の原稿には、書き続けてきた時間に値する成長がうかがえた。脚本のスタイルはだいぶ整ってきたし、読みやすくなっている。でも、肝心なのは、中に何を込めるか。この物語はどこへ向かうのか、最後に何を残したいのか、そこがまだ弱い。「モチーフはいいけど、テーマとうまく絡んでない」「主人公のキャラクターが途中で変わってる」「結末に驚きがない」……。出産祝いのお礼のはずなのに、力が入って、つい言葉がきつくなってしまった。だけど、コンクールで勝ち残るには、他の作品より突き抜けた何かを発していないと、埋もれてしまう。それを見つけてほしい。

互いの作品を評する四人の言葉にも成長が見られた。わたしが見落としている作者の意図を汲みとっていたり、そういう解釈もあるのかと気づかされたり。脚本を読む眼がずいぶん肥えている。初稿は勢いで書いてしまうけれど、直しで完成度を上げていく作業が難しい。どこを削り、何を加えるか。見極めを誤ると、改訂が改悪になってしまう。プロの脚本家の場合はプロデューサーや監督とああだこうだ言いながら方針を定めていくけれど、コンクール応募時代は孤独な作業になる。そんなとき、「本を読める」仲間がいるのは、とても心強い。それぞれ仕事を持ちながら、励まし合い、書き続けている四人。この中の誰が最初にデビューしても、自分のことのように喜びを分かち合うのだろう。もちろん同時に焦りやジェラシーも感じるのだろうけれど。お土産のケーキでお茶しながらの休憩をはさんで四時間。コンクールに応募していた頃を思い出して、お礼をするつもりが、元気と刺激をもらった。

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2005年04月25日(月)  美保子さんちで桃を愛でる会
2003年04月25日(金)  魔女田本「私、映画のために1億5千万円集めました」完成!
2002年04月25日(木)  田村あゆちの「ニュースカフェ」に演


2007年04月24日(火)  4000人と出会った男、大阪へ。

会社時代の同期のなかじが大阪支社に転勤となり、ひさしぶりに同期で集まる。最後の同期会は昨年の7月。大きなおなかを揺らせての参加だったけれど、そのとき、臨月のわたしのウエストといい勝負をしていたのが、なかじのメタボ腹だった。入社したときから体も声も大きな人だったけれど、近年は横幅の成長が著しい。声と体の大きさに人間の引力は比例するのか、入社研修以来、なかじの話はいつも同期を引き付け、笑わせてくれていた。その調子で、飲み屋でもわたしの本(ブレーン・ストーミング・ティーン)をすすめ回ってくれ、「何人の女の子に贈ったかわからない」と言う。

どうやらなかじの巧みな話術は女の子との会話で磨かれたものらしく、今夜の同期会で「これまでに合コンで4000人と出会った」という発言があった。平均して週1回で年約50回、それを十代後半から約20年続けているので、累計1000回。一回に4人に出会うとして、4000人になるという。年を重ねてもペースは落ちず、大阪転勤の辞令が出た数日後も合コンに出かけたところ、ずいぶん前に合コンで会った女の子と再会したのだという。「もう東京は一巡したかなと悟った」そうで、東京を離れる踏ん切りがついたのだとか。満を持して来月から大阪市場を開拓することになったなかじ、突っ込み厳しい大阪の女の子相手に百戦錬磨を続けてほしい。

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2002年04月24日(水)  天才息子・西尾真人(にしお・なおと)


2007年04月23日(月)  はちみつ・亜紀ちゃんのお菓子教室でお買い物

先週の金曜日、友人のはちみつ・亜紀ちゃんのお菓子教室へ娘のたまを連れて遊びに行った。亜紀ちゃんの友だちで、わたしも五年ぐらい前に一度会ったことがあるというビーズアクセサリーデザイナーの佐和子ちゃんが、教室のスペースを使って展示会を開くという。

行ってみると、ちょうど亜紀ちゃんのお母さんとそのお友だちが、テーブルに広げたネックレスやブローチを品定め中。突然の赤ちゃん出現に、「まあかわいい」と目を細めてだっこしてくれ、歓迎モードにたまは大喜び。そこに到着した佐和子ちゃんも大の子ども好きで、「甥っ子の面倒をよく見てたの」と慣れた様子でだっこしたりあやしたり。たまは佐和子ちゃんの首からじゃらじゃらぶら下がっているビーズ(大ぶりのもので、玉に近い)のネックレスが気になってしょうがない様子で、手を伸ばしては引っ張る。「ばらばらになっちゃう」と心配するわたしに、「大丈夫。直せますから」と佐和子ちゃんは涼しい顔。子守りをおまかせして、じっくり作品を見せてもらう。見るだけのつもりが、フランスで買ったというアンティークボタンを組み合わせた指輪に一目惚れ。ハートのストーンをぶら下げたネックレスにも惹かれたのだけど、わたしの場合は引っ張られて崩壊しても直せないので、指輪を選ぶ。色はもちろんオレンジ。

亜紀ちゃんが作ってくれたシフォンケーキをいただきながら、しばしおしゃべり。研究熱心でチャレンジ精神旺盛な亜紀ちゃんは、レシピ開発にも余念がないけど、教室のあちこちにも手作りの工夫が見られて、探険しがいがある。カフェでもらう木のスプーンに色を塗ってつなげたのれんや、ワインの空き箱に取っ手をつけた引き出しなど、発想も面白いけれど、それを形にしてしまうところがすごい、えらい。

トイレの前の壁には、ハートをモチーフにしたポップなイラスト。これを描いたイラストレーターのまりまりさんにも、亜紀ちゃんの紹介で会ったことがある。人脈もユニークな亜紀ちゃん、わたしとの出会いは、ウェディングケーキを作ってもらった6年前。友人に紹介された初対面の日から、あまりに楽しい人で、離れられなくなってしまった。

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2005年04月23日(土)  根津神社のつつじまつり
2004年04月23日(金)  くりぃむしちゅー初主演作『パローレ』(前田哲監督)
2002年04月23日(火)  プラネット・ハリウッド


2007年04月22日(日)  植物は記憶のスイッチ

清瀬という町に、はじめて行く。待ち合わせより三十分ほど早く着いたので、駅前から伸びる小道を歩いていると、道の両側に露店を広げ、フリーマーケットが開かれていた。「苔玉」の札が目に留まり、しゃがんで品定め。多肉植物や山野草が寄せ植えされ、花も咲いていて、なかなか凝っている。「これは三時になったら咲く花でね」この人が作者なのか、気のいいおじさんが熱心に説明してくれる。「表面が乾いてきたなって思ったら、バケツにどぼんって突っ込んで、泡がぶくぶく出てきたら引き上げてよ」。ひとつ550円、ふたつなら1000円だと言う。二つ買うと、竹を黒く塗った手作りの水切り皿もおまけしてくれる。「あと、これもあげるよ」と差し出された風車を「これはいいです」と断ると、おじさんは悲しそうな顔になった。これから打ち合わせで、風車が鞄から飛び出しちゃうから。おじさん、ごめんなさい。もっと喜んでくれる人に、おまけしてあげてください。

二つの苔玉が潰れないように、崩れないように、封筒に入れて固定。家に帰って取り出すと、球形も頂の植物たちもきれいなままだった。キッチンのシンクの前に飾る。清瀬には三時間ほどしかいなかったけれど、二つの苔玉を見ると、駅前の小道での買い物が旅先での一コマのように思い出されるだろう。

植物は、ゆかりの土地や人の記憶を連れてきてくれる。宮崎で買った、青島の軽石に入った400円の多肉植物は、一度茶色くなって枯れたばかり思ったのだが、土を入れ替えたら、以前よりも鮮やかな緑になった。枝と呼ぶのか葉と呼ぶのか、トカゲのシッポみたいな先細りの緑が元気良く前後左右に飛び出している。広い車道の真ん中にそびえていた椰子の木を連想する。神代植物公園の温室の中で長机の店を広げていたじいちゃんが適当な鉢からハサミでチョキンチョキンと何種類か見繕ってくれた多肉植物の欠片は、うまくいかなくても300円だし、と思っていたら、見事に根づき、育ち、どんどんふえている。その図太い生命力は、じいちゃんの印象に通じる。「土に挿せば伸びるから。あんたでもできる」。今日もどこかの植物園で多肉植物を切り売りしながらお客さんに憎まれ口をきいているのかな、と思い出す。会社で隣の席にいた佐々木君が退社するときにくれたパキラは、佐々木君のあだ名にちなんで「チャチャキ」と呼んでいる。パキラのチャチャキに元気がないと、人間のチャチャキ君のことが気になって、「元気?」とメールしてしまう。

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2002年04月22日(月)  ワープロ


2007年04月21日(土)  マタニティオレンジ109 ご近所仲間とたま8/12才

午前中に友人ミヤケマイの個展を見た帰り、8月22日生まれの娘のたまの一日早い8/12才ケーキを求めて、銀座を奔走。まずは大好きなアンリ・シャルパンティエの銀座店へ。重厚感あふれるショーケースはステキだったけれど、ホールケーキはピンと来るものがなく、松屋へ向かうことに。と、通りの向こうにダロワイヨがあるのを思い出し、ショーケースに並んだ春の新作の中に、てんとう虫のケーキを発見。形は最高だけど、ボリュームが足りないかな、とやっぱり松屋へ。スイーツ売場をうろうろしてたら、色とりどりのプチシューが目に飛び込んだ。そうだ、これをてんとう虫のまわりに飾ろう。お店はと見ると、アンリシャルパンティエ。プチシューを8つ買ってダロワイヨへ引き返し、てんとう虫一匹とプチシューの援軍のプチガトー3つを買い、店を出て駅へ向かう途中で思い出した。「肝心のプレートを忘れた!」。急いで引き返し「たま8/12才」と書いてもらう。行ったり来たりのせいで、家に帰りついたときにはプチシューはこぞって逆立ちし、頭のクリームが箱に擦り付いてはげてしまっていた。そんな失敗話もまた、バースデーケーキのトッピングということで。


マンスリーゲストはご近所仲間のK一家と、T氏とM嬢のカップル。食欲と好奇心が旺盛で、気が合い、話が合い、集まるといつも時間を忘れてしまう大好きな人たち。ご近所仲間ではこのところ年に一人女の子がふえていて、たまは「三女」となっている。「次女」は、たまより一年早く生まれたK家のまゆたん。「カマちゃん」とたまのことを呼んで、かわいがってくれている。「長女」はロンドン在住のY家のユキちゃん。一時帰国して三姉妹そろう日が楽しみだねえと話す。親戚の子のような親しみを込めて互いの子どもの成長を楽しみあえるご近所仲間の存在は、とても心強く、ありがたい。

メニューは、毎度の魚屋てっちゃんのお刺身と、定番のまぐろとアボカドのサラダと、近所のお肉屋さん自慢のステーキと、手づくりパン。せっかくいい脂があるんだから、ガーリックライスを作ったら、とK夫人が提案し、作り方を伝授してくれる。ステーキを焼くときの脂と肉の脂身部分をにんにくとともに細かく切って塩コショウし、ごはんと炒めると、脂がたっぷり米にしみこんで、なんともおいしい。「危険だ〜」と言い合いながら、あっという間に平らげる。

たまは終始ごきげんで、愛想をふりまいていた。7か月からの一か月は、保育園に行き始めてからの成長に目を見張るものがあった。離乳食は裏ごししたものから粒々のものに。ハイハイはおしりが上がるようになり、片手ずつ上げて椅子の足やわたしの手をつかむようになった。「バアバア」「パアパア」とハ行の音を発音することが多かったのが、「マアマア」「マンマア」とマ行がふえてきた。次の月例誕生日までには「ママ」と呼んでくれるかもしれない。

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2002年04月21日(日)  貧しい昼食


2007年04月20日(金)  マタニティオレンジ108 助産院で赤ちゃん同窓会 

出産した助産院で、同じ頃に出産・入院した人たちを集めた同窓会が開かれる。参加したお母さんは十名ぐらい。それぞれ赤ちゃんを連れていて、さらに、お兄ちゃんお姉ちゃん連れの方が半分ぐらいいるので、かなりにぎやか。自己紹介を聞いていると、第二子出産の人は、「一人目は病院で産んだけど、二人目は自分のやりたいように産みたい」と助産院を選んだ人が多い。わたしが「食べものがおいしいと聞いて、ここにしました」と自己紹介すると、「わたしも」という人が何人かいた。全食完食したのはわたしだけではなかった様子。皆さん、一様に「次もまたここで産みたい」と言っていた。同窓会に来るということは、満足しているあらわれだろうけれど、「いいお産」と言い切るのを聞くのは気持ちがいい。どのお母さんも、はつらつとしたいい顔をしていた。

おおらかな助産院の雰囲気は、わたしにはとても合っていて、近代的でない、どちらかといえばレトロな建物もあたたかみを感じて好きだった。ところが、現在建設中のビルに引っ越すのだという。「次に産むときは新しいビルよ」と助産師さんは声を弾ませていたけれど、わたしは母校の校舎が取り壊されて新校舎に建て替えられるような淋しさを覚えてしまう。自分が入院中に「あなたはこの部屋で生まれたのよ」と子どもを連れて遊びに来ているお母さんたちがいて、ほほえましかったのだけど、あれができないのは残念。

レトロといえば、助産院と提携している産婦人科さんのことが話題になった。助産院での出産でもしものことがあった場合に搬送されるのがその産婦人科なのだが、昭和初期で時間が止まっているような古めかしい建物で、設備も年季が入っている。とても味わいがあって落ち着くのだけれど、緊急時の搬送先として考えると、助産院のほうが設備が充実しているのではと思えてしまう。おかげで、わたしは「何が何でも助産院で産みきろう」と奮い立ったのだけど、同じように思った人もいたようだ。「新しくしたらもっと患者さん来るんじゃないって言ったんだけど、あそこの先生、儲けようっていう欲がないのよねえ」と助産師さん。何度か検診を受けたその産婦人科は、せめてこのままでいて欲しい。

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2005年04月20日(水)  東京ハートブレイカーズ公演『黒くやれ』
2002年04月20日(土)  16年ぶりの再会


2007年04月19日(木)  焼きたてのパンのにおい

わたしの書くものには食べものがよく登場する。食べることが好きだから、つい登場人物にも何か食べさせたくなる。好きな食べもの、思い出深い食べものを好んで書く。映画『子ぎつねヘレン』とドラマ『快感職人』第五話で登場させたパンは、とくに思い入れのある食べもの。子どもの頃、母親と一緒にパンをつくるのは、どんな遊びよりも楽しかった。パンだねの手ざわりとあたたかさ、部屋いっぱいに広がる焼きたてのパンのにおい、思い出すだけでしあわせな気持ちになる。『快感職人』では、パンのぬくもりを体温のぬくもりに重ね、リストカットを繰り返していた少女が援助交際をやめ、パン屋でバイトをはじめるストーリーにした。

去年、オーブンレンジを買い換えたとき、決め手になったのは「PAM発酵」「かんたんパン」というボタンがついていたことだった。「パンが手軽に焼けます」とビックカメラの店員さんに言われ、ひさしぶりにパンを焼いてみよう、と思った。そんなことをすっかり忘れるほど、子育てでばたばたしていたのだが、保育園がはじまって少し時間にも気持ちにも余裕ができ、パン焼き機能の出番となった。昔は車の中やらこたつの中やらパンだねの入ったボールをあちこちに運んで発酵させたものだけど、レンジでふくらむとは便利。おまけにレシピもとっても簡単。ビニール袋に強力粉と塩と砂糖とドライイーストをまぜ、溶かしバターに水を加えたものを流し込み、しっかりこねて一次発酵、成形して二次発酵、そのまま「かんたんパン」ボタンを押せば、温度も時間も勝手に調節して、いい感じに焼き上げてくれる。こんなに手抜きでうまくいくのか、とおっかなびっくりだったけど、ちゃんとふっくらもちもちして、思いのほかおいしい。固くなってしまったチーズ、ぜんざいを作る前に冬が終わってしまったゆで小豆など、これどうしましょうな食材をくるんだアレンジパンも、いける。こしょうとごまと松の実とバジルソルトを混ぜ込んだパンは、肉料理のおともにぴったり。オリーブオイルをつけて食べてもおいしい。焼きたてのシズル感と「うちで焼いたパン」という特別感がお客様にも受ける。

焼きたてのパンのにおいに包まれていると、学生時代にバイトしていた老舗のパン屋さんのことを思い出した。休憩で出されるパン目当てにバイトをはじめたのだけど、一日に菓子パンを6個食べたこともあり、食べすぎで一気に太った。バイトは若い子たちばかりで和気藹々としていて、妙に楽しかった。何より、メロンパン(その店では「サンライズ」と呼んだ)やフランスパンやホテルブレッド(MKタクシーがホテルへ届けるパンをお迎えに来ていた)やドーナツ、いろんなパンのにおいが混じりあった中で調理パンを袋に詰めたり、レジを打ったりする時間は、時給に換えられないぜいたくを味わわせてくれた。できることなら卒業するまで働かせてもらいたかったのだけど、「また応援団の合宿で一週間休みます」と告げたら、「その後もずっと休んでいいよ」とクビを言い渡された。応援団活動を優先させるくせに、食い意地だけは人一倍なわたしは、雇い主にとっては手の焼けるバイトだったと思う。今もあるのかな、京都の山田ベーカリー。

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2005年04月19日(火)  ありがとうの映画『村の写真集』
2002年04月19日(金)  金一封ならぬ金1g


2007年04月18日(水)  マタニティオレンジ107 子どもの世界の中心でいられる時間 

ここ数日の大きな変化。保育園に通い出した娘のたまが、人の顔をじーっと見て、知っている人と知らない人を区別するようになった。毎日会う保育士さんには「知ってる知ってる」という顔をし、初めての保育士さんには「知らない」という目を向ける。そろそろ人見知りが始まったのかもしれない。そして、わたしのことも、はっきりと認識し、他の人たちと差別化している。保育園へ迎えに行っても知らんぷりでおもちゃに夢中になっていたのが、わたしの姿を見つけると、ぱっと目を輝かせるようになった。まだ言葉を話せない子どもが、瞳を見開き、両手を広げ、「ママ!」とまっすぐに訴えてくる。この子に母親として認められつつあるんだ、とうれしさと誇らしさがこみあげる。一日中離れていても、ちゃんと覚えていて、とびきりの笑顔を見せてくれる。なんてけなげな、愛しいヤツ。「やっぱりママがいちばんなのねえ」と言いながら、保育士さんが引き渡してくれる。

思い出したのは、数週間前に読んだ新聞記事。4才と1才になる幼い兄弟を置き去りにして、交際相手の家へ向かった女性がいた。1才の弟は餓死してしまったけれど、4才の兄は生ゴミや冷蔵庫の調味料で飢えをしのいで生き延びた。そして、ひと月ぶりに姿を見せた女性に飛びつき、抱きついたのだという。このくだりを読んで、わたしは「えっ」と不意打ちを食らった。同じシチュエーションを脚本に描いた場合、「ぐったりと弱りきって動けない男の子」や「心を閉ざし、母親に背を向ける男の子」を思い浮かべただろうが、「抱きつく」は思いつかない。死んだ弟と二人きりの閉ざされた家の中で命をつないでいた兄は、そんな状況にあっても、なのか、そんな状況だからこそ、なのか、母親を待ち続けていた。母親にとっては子どもが世界のすべてではないけれど、幼い子どもにとっては母親が世界なのだ。置き去りにした女性は、それが重かったり煩わしかったりしたのかもしれない。彼女が家に戻ったのは、子どもが心配になったからではなく、荷物を取りに帰るといった個人的な理由だった。とっくに死んでいると思っていた息子が生きていたことに、彼女は驚いたそうだ。記事にはそこまでしか記されていなかったけれど、抱きついた子どものあたたかみと重みを受け止めた彼女の中で、眠っていた「母親」が目を覚ましたかどうか、気になっている。

間もなく8か月になるたまは、これから言葉を獲得し、歩くようになる。「ママ、ママ」とつきまとい、追い回すようになる。だっこさえしていればごきげんな今とは違い、「やだ、やだ」とだだをこねたり、あれしたいこれしたいと主張したり、やっかいな生き物になっていく。そうなったとき、わたしにも、娘を煩く思うことがあるかもしれない。娘が生きている小さな世界に占める母親の大きさを忘れないようにしたい。子どもの世界が広がるにつれ、お母さんの存在感はどんどん小さくなっていく。全身で、全力で頼られるのは、とても短い時間のことなのだと思う。

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2005年04月18日(月)  日比谷界隈お散歩コース


2007年04月17日(火)  作詞をしませんか

「作詞を引き受けていただけますか」と音楽制作を請け負う会社より問い合わせがあり、会うことになった。食品ソングなどを手がけている会社で、『冷凍マイナス18号』からわたしにたどり着いたそう。具体的な話はまだなく、何か動きがあれば声をかけます、ということで、今日は顔合わせのみ。食べることは大好きだし、作詞ももっとやっていきたいので、食品ソングだったらよろこんで、と答える。歌詞の開発のためにはまず味を知ってから、なんて言って、おいしいものにありつけたりするんだろうか。楽曲はJASRAC登録し、著作権使用料を保証してくれるという。PRソングの類はCDを無料で配るケースが多いが、「無料配布CDでも著作権使用料が支払われる」ケースがあることをはじめて知る。有料の場合とは違う計算法があるらしい。

自分のサイトを持っていると、脚本だけでなく、作詞の仕事まで向こうからやってくる。せっかくだから、これまでに作詞を手がけた作品をまとめておこう、といまいまさこカフェにページを作った。メニューバーのwordsからどうぞ。

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2005年04月17日(日)  ティッシュちりぢり映画『コーラス』


2007年04月16日(月)  祖師ヶ谷大蔵で小さな旅

聞いたことはあるけど、行ったことはなかった街、祖師ヶ谷大蔵へ仕事で行く用ができた。昨日鎌倉で感じたことだけど、日常を過ごしている街から出て他の街を訪ねることは、それだけで立派な旅になる。行ったことのない街ならなおさらだ。

待ち合わせより一時間ちょっと早めに駅に着き、「キヨビスカ」という自然食レストランでランチ。素朴というか質素というか、素材勝負の野菜中心のおかずが並ぶ。華はないけれど体には良さそうだ。200円プラスでごはんを「アドボ丼」に変更。持ち前の思い込みで「アドボ丼=アボカド丼」だと決め込んでいたのだけど、肉を煮込んだようなもので、これまた茶色く、地味。アボカドをわざわざアドボと呼んだりするわけないか。でも、アドボって何だ? 隣のテーブルでは大学生のカップルが就職活動の話。彼女が面接用の自己紹介を彼氏に聞かせると、「バカっぽくね?」と彼氏。でもわたしは、「わたしはわたしが大好きです!」という謙遜のないバカ正直さに好感。店を出るとき、ベーコンとチーズの入った手作りイングリッシュマフィンを買う。

お昼を食べ終わっても、まだ40分ほど時間が余っている。キヨビスカの向かいに雰囲気のいいティールームを見つける。店の前に出た看板は紅茶とスコーンに自信ありと語っている。明日の朝食用にスコーンを買って帰ろう、と店をのぞくと、「これから焼くので17分ほど待ってもらえます?」とカウンターの奥の女主人。それなら自慢の紅茶を飲みながら待たせていただきましょう。小さなお店には、先客の女性が一人。「あら、面白い服」と裾に鍋敷きみたいな刺繍の花をぶら下げたわたしのスパッツに目を留める。「近くで見せていただいていい?」と席を立ち、わたしの足元まで来てかがみ込み、手を伸ばして興味津々。「ご自分でなさったの?」「いえいえ。買ったときにはついてました」「へえー。初めて見たわ」「大阪の人がデザインしてバリで作っているという服なんです」「わたし、刺繍やるの。今度、自分の服にやってみようかしら」。そんな会話を交わすうちに打ち解けて、女主人も加わって三人で話が弾み、「この街もずいぶん変わったのよ」「この店はできて8年になるの」「向かいのお好み焼き屋がおいしいのよ」などと地元話を聞いているうちにスコーンが焼きあがった。せっかくなので、持ち帰り用とは別に焼きたてをいただくことに。粒々した食感で、添えられたクリームとロイヤルミルクティーによく合う。「人の縁って面白いわね。わたしがあなたの服を見て声をかけなかったら、どういう人だか知らずにすれ違っていたんだものね」と先客の女性。看板が気になってドアを開けたのは、出会いが待ち受けている予感があったせいかもしれない。お店の名前はティーベル(Tea Belle)といった。

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2005年04月16日(土)  オーディオドラマ『アクアリウムの夜』再放送中
2002年04月16日(火)  イカすでしょ。『パコダテ人』英語字幕


2007年04月15日(日)  鎌倉で大人の休日

鎌倉にある友人セピー君のセカンドハウスを一家で訪ねる。電車を乗り継いで一時間ちょっとの旅。生後236日目のたまにとっては、はるか遠くに感じられる距離かもしれない。北鎌倉のおばあちゃんちを訪ねたことはあったけれど、海を見るのは初めて。波しぶき、砂浜、波の音、潮の匂い、未知の刺激がいっぱいだ。

江ノ電を降りると、セピー君がお出迎え。駅前のハワイアンカフェでグァバジュースを飲みながら、逆方向の藤沢から江ノ電でやってきたテスン君とユキコさんのカップルを待ち、合流。たまの12分の7才を祝ったメンバーだ。セピー君行きつけのトルコ料理店で海を見ながらランチ。魚のケバブを初めて食べた。

「これから何したい?」とセピー君が挙げてくれたオプションからピクニックを選ぶ。極楽寺という小さなお寺で一本桜を冷やかした後、極楽寺から江ノ電にひと駅揺られて稲村ヶ崎へ。海浜公園でレジャーシートを広げ、シャンパンといちごとチーズとパテを楽しむ。シートのはしっこで、たまがハイハイの練習をしている。子どもと一緒に大人の休日。とても贅沢をしている気持ちになる。空をゆったり旋回するとんびは、地上の宴のおこぼれを狙っているらしい。膝枕で昼寝のカップル、大型犬を散歩させる人、よちよち歩きの男の子の手を引くお父さん……海のそばは時間がゆったり流れて行く。

テトラポットを見下ろす海沿いの遊歩道を歩いて戻り、セピー君が腕をふるって、日の高いうちから早めの夕食。あさりのワイン蒸し、バジルバターで味つけしたエスカルゴ、バルサミコとしょうゆのソースが絶品のステーキ。テーブルにはキャンドルが揺らめき、窓の外は夕焼け色から少しずつ夜の色になっていく。チャイコフスキーに合わせて、ほろ酔いのユキコさんがバレエを踊る。見ているたまが喜んで両手を振り回す。いい光景だなあ、とわたしは夢見心地になる。線路でつながっているけれど、東京の日常とは切り離されたような浮世離れした感覚がある。日帰りでも、こんなに遠くへ運ばれることができるんだなあ。帰宅して布団に入ってからも、遠足帰りの小学生みたいに気持ちが昂ぶって、「楽しかったあ」「また行きたいなあ」を繰り返していた。

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2005年04月15日(金)  トンマズィーノでアウグーリ!
2002年04月15日(月)  イタリアンランチ


2007年04月14日(土)  京都の青春

7月に二人目の女の子が産まれた大学の同級生夫妻の一家と新宿三丁目の東京大飯店で飲茶ランチ。ここは子ども用椅子もあるし、おむつ替えシートもあるし、飲茶のワゴンが行き交って適度にがやがやしているので、子連れには打ってつけ。今日は初めてお会いする同窓で来月に第二子出産を控える夫妻の一家が加わり、総勢大人六人、子ども二人、乳児二人、おなかの中に一人というにぎやかな円卓となった。飲茶は大勢でつつきあうのが楽しい。

学生時代を過ごした京都の話題になり、懐かしい定食屋や喫茶店の名前を挙げながら、どの辺りに下宿していたかを説明しあう。「そういえば、あれ読んだ?」と『鴨川ホルモー』と『夜は短し歩けよ乙女』のタイトルが挙がる。どちらも京都が舞台の青春もの。わたしは、あちこちで激賞されていた『鴨川ホルモー』を楽しく読んだばかりだけど、『夜は〜』も傑作なのだそう。自分が知っている地名が出てくる物語には親近感が湧くし、ましてや青春ものとなれば、自分の甘酸っぱい思い出と重ねて、それだけで点が甘くなってしまう。でも、どちらもよく売れているということは、京都に土地勘や思い入れがない人にも支持されているらしい。「京都と青春は相性がよろしい」のかもしれない。

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2005年04月14日(木)  マシュー・ボーンの『白鳥の湖』
2002年04月14日(日)  おさかな天国


2007年04月13日(金)  マタニティオレンジ106 慣らし保育完了 

4月4日から毎日少しずつ時間を延ばして保育園に慣れさせてきた「慣らし保育」が本日で完了。来週からは、延長保育なしでめいっぱい預けられる18時15分まで預けられることになった。朝は7時15分から保育を受け付けているけれど、わたしは朝いちばんの打ち合わせでもたいてい10時以降なので、9時頃に預けに行く。約9時間の保育となる。9時間あれば、ハシゴで映画三本観られる。DVDなら四本いける。打ち合わせも短いものなら三本入れられる。子どもを抱っこしていると、どうしても子どもに意識が集中してしまうけれど、一人で街を出歩くと、なにげないネタが目に留まったり耳に入ってきたりしやすくなる。
店員「当店ではサービスでイニシャルをお入れできるんですが、お名前をうかがってよろしいでしょうか」
客「(ぼそぼそ)」
店員「そうしますと、イニシャルがT.T.となりまして、どちらが苗字でどちらが下の名前かわからなくなりますが、よろしかったでしょうか」
客「(ぼそぼそ)」
声の小さなお客さんは何と答えたのだろう。しょうがないですね、だろうか。どうしろっていうんですか、だろうか。

仕事はなるべく保育時間内に納めて、子どもと過ごせる時間は、子どもと向き合うことに使いたい。いくつかの仕事の依頼を断った。今までなら「徹夜してでもやります」と引き受け、よっぽどのことがない限り断ることはなかった。でも、今は少し余裕を残しておくぐらいの仕事量にとどめようと思っている。やっぱり受けとくべきだったんじゃないか、と後悔したり、もう声をかけてもらえないかもしれない、と不安になったりはする。けれど、母親という役割をいちばん大切にしたい。

保育園に通わせることで、増えてしまう仕事もある。名前付けは入園で一段落したけれど、園との連絡ノートは毎日書かなくてはならない。睡眠時間や食事の内容、気づいたことなどを保護者が記し、保育士さんは園での様子や気になったことを記す。手間と時間は取られるけれど、これはこれで交換日記のようで楽しい。後から読み返せる成長記録にもなる。週末ごとの布団カバー取替えをはじめ、洗濯物は倍増。すぐに洗って乾かさないと間に合わない。保育園に預けたらほったらかしでは……どころか、家にいるよりよく面倒を見てくれ、少しでも汚れたり汗をかいたりしたら、着替えさせてくれる。おむつもこまめに替えるので、やたらと減りが早い。家にいるときは「まだいける」とおむつが重くなるまで持たせたりしていたが、さすがに「おむつがもったいないので、ケチってください」とは言えない。さらに、こんなときだけくじ運の強さを発揮して保護者会の役員になってしまった。甘く見ていたら、けっこうやることがたくさんある。ひと月からふた月に一度の役員会に出たり、通信を書いたり。わたしは会計を務めることになったので、会費の徴収やら会計報告やらをしなくてはならない。ひさしぶりに書くコピーが「会費納入のお願い」のプリントとは。どうやったら会費納入率が上がるか、元コピーライターとしては工夫したくなる。カラーの紙に印刷してはどうだろう、会費を投函するポストまわりにPOPを立てようか、などと考えている。

早寝早起きになり、家族以外に「おはよう」「行ってきます」と挨拶することが日課になった保育園通いは、わたしの生活に大きな変化をもたらしたけれど、7か月半の娘のたまにとっては、生まれて以来の大事件と言っていい。新しい環境の中で、はじめて会う先生や同級生に囲まれて、違う国に引っ越したような刺激を受けているに違いない。わずか8日間の保育園通いで、ハイハイも離乳食の食べっぷりも飛躍的に進化した。連絡ノートには、家では見たことのないたまの姿が綴られている。おもちゃのピアノを得意げに弾いていたり、トンネルくぐり遊びに夢中になったり。他の赤ちゃんに興味津々で、ハイハイで近寄っては手を伸ばして触っているらしい。「たまちゃんは人が好きみたいですよ」と保育士さん。病気はもらわず、いい影響だけ受けて欲しい、と親は調子のいいことを願っている。

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2006年04月13日(木)  ヘレンウォッチャー【「子ぎつねヘレン」の夕べ編】
2005年04月13日(水)  お風呂で血まみれ事件
2002年04月13日(土)  パーティー


2007年04月12日(木)  『ドルフィンブルー』と『ヘレンケラーを知っていますか』

今日は映画を二本。映画を観るのも仕事。ママズクラブシアターでの子連れ鑑賞もいいけれど、子どもを預けて作品に集中して観られるのはありがたい。まず、午前中は松竹試写室にて『パコダテ人』の前田哲監督の新作『ドルフィンブルー』。病気で尾びれを損傷したイルカに人工尾びれをつけるという実話から生まれた作品。主役のイルカ・フジをモデルとなった本人(本イルカ)自ら演じ、今もフジが暮らす沖縄美ら海水族館が実名でロケ地として使われ、人工尾びれ再生プロジェクトに関わったブリジストンも実名で登場。ドキュメンタリーのようなリアリティと映画ならではのフィクションのストーリーがうまく絡み合って、切実さとかわいらしさをあわせもった愛せる作品に仕上がっている。驚いたのは、イルカの演技力。表現力と呼んだほうが正しいだろうか。何かを語りかけるような豊かな表情、流線型のボディが描くなめらかで優雅な軌跡、泳ぐさまも宙を舞う姿も実に絵になる。ずっと眺めていたいぐらい、見ていて飽きない。正直、ここまでイルカに引力があるとは思っていなかった。

イルカに限らず、一生懸命に生きている命って美しいということに気づかせてくれるのが、この作品。尾びれを失って「浮いているだけ」のフジを何とかしてやりたい、と奔走する新米獣医(松山ケンイチさんが熱演)や、その熱意に応えようとするブリジストンの開発者(田中哲司さんの演技とは思えない演技に、「本物?」と思ってしまった)、ときには喧嘩もしながら尾びれプロジェクトを支える水族館の館長(山崎努さんが実に楽しそうに演じている)やスタッフたち(池内博之さん、坂井真紀さん、利重剛さん。この三人もなりきってます)……それぞれがプライドを持って自分のやるべきこと、できることに取り組む姿を見て、命は張り切っているときにひかるんだなあと思った。水族館を囲む風景も音楽も、交わされる言葉も、全編に美しい空気が満ちて、観ているうちに気持ちがまあるくなってくる。イルカのつるんとした背中みたいに。『パコダテ人』の脚本作りをしていたとき、前田監督が「動物映画で成功する、と占い師に言われた」と話していた。「動物映画じゃないけど、しっぽが登場するから、パコダテ人のことを予言したのかも」とそのときは思ったけれど、占い師が見た未来には、イルカが映っていたのかもしれない。

前田監督は女優さん、とくに少女を魅力的に撮るのがうまいと思う。フジに自分を捨てた母親を重ねている不登校の少女ミチルを演じる高畑充希さんは、この作品が映画デビュー作の15才。心を閉ざした役なので台詞は最小限だし、怒ったようなすねたような「笑ったらかわいいんだろうなあ」という表情が続くのだが、それゆえラストの台詞と表情がしあわせな余韻となって残った。主題歌『大切なもの』でデビューする「みつき」さんとは写真を見ると同一人物なのだけれど、プレス用パンフにもそのことは記されていない。女優としても、歌手としても、これからの成長に注目したい。

もうひとつ、前田監督らしいと思ったのが、エンディングのクレジットロール。フジをはじめ出演しているイルカ全員(全頭)の名前が連なり、地元のエキストラ出演者の名前も『パコダテ人』に負けない行数でしっかり刻まれている。同じ苗字が五人も六人も続くのは家族だろうか。大家族が多い沖縄ならでは。プレス用パンフの出演者のコメントには、「この作品に関われてよかった」という思いがあふれている。とても雰囲気のいい現場で、前田監督が伸び伸びと撮っているのが目に浮かぶよう。自信を持ってすすめたい作品で、自分のことのようにうれしくなる。松竹の制作部に顔を出し、「キツネもすごいけど、イルカもすごいですよ」と宣伝。公開は2007.7.7と7づくしの日。

距離にして数百メートル移動して、午後は銀座シネパトスにて『ヘレンケラーを知っていますか』。「実在の人物をもとにふくらませた作品」だと新聞で紹介されていて、興味を持った。うろ覚えなのだが、母親と暮らしていた中途盲聾障害者の女性が、母親の死によって、山奥に隔離され、不自由な暮らしを余儀なくされたというようなことが書かれていた。その女性の境遇を知った怒りが作品の出発点なのだという。小林綾子さんが一人で十代から78歳までを演じるヒロインにはモデルがいるわけだ。どこまでが実話に基づいているかはわからないが、実在の人物の半生を見るつもりで作品を観た。目も見えず耳も聞こえない人生がどういうものか、想像で推し量るしかないけれど、まわりに人がいて、何かが起こっていても、自分に触れてもらえなければ蚊帳の外に置いてけぼりになる。「わたしの孤独がわかりますか」と教室で先生やクラスメートに訴える主人公の叫びが、胸に突き刺さった。

盲聾者のために「触手話」なるものがあることも初めて知った。相手の手話を触って確かめる。触れた手から伝わるものは意味だけではないだろう。わたしは小学校六年生の必修クラブで手話を習ったのだけど、四半世紀前に週に一度かじっただけなのに、劇中で使われた手話のほとんどに覚えがあった。体で覚えた記憶は深く刻みつけられるのだろうか。あらためて手話を学んでみたい気持ちになった。上映後にはロビーで熱く手話で語り合う聾唖者グループの姿があった。この作品に限らず、字幕つき上映が広がれば、当たり前の光景になるのだろう。

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2002年04月12日(金)  背筋ゾーッ


2007年04月11日(水)  ロバート・アルトマン監督の遺作『今宵、フィッツジェラルド劇場で』

テアトル銀座にて『今宵、フィッツジェラルド劇場で』を観る。原題は『A PRAIRIE HOME COMPANION』。劇中にも登場するラジオ番組の名前で、この公開番組の最後の放送日のスタジオを舞台にした群像劇になっている。作品をすすめてくれたご近所仲間で映画通のT氏によると「これは実在のラジオ番組で、この番組の司会者兼製作者であるギャリソン・キーラーが自ら脚本を書き、アルトマンに企画を持ち込んだ作品。(映画のストーリーは勿論フィクション)」とのこと。番組司会者に妙なリアリティがあると思ったら、それがギャリソン・キーラー氏。役名は「ギャリソン・キーラー」で、本人が本人を演じている。司会をしながら歌も歌い、生コマーシャルのような感じでCMをさりげなく入れて歌につなげたりする。番組に出演するミュージシャンはくせものぞろいで、個人的には万段風に下ネタを連発するカーボーイ・デュオのお下劣さが気に入った。

ラジオ好きなわたしにとっては、手作り感と人間くささのあふれる番組の雰囲気を味わえるだけで幸せな作品。映画を観ているというより、自分も公開スタジオの観客の一人になっている感覚。楽屋での出演者の会話も、脚本に書かれた台詞をしゃべっているというより、いつもの何気ないおしゃべりのようなライブ感があり、これまたドア陰で立ち聞きしているような気分になった。映画の中では歴史を閉じてしまったラジオ番組『A PRAIRIE HOME COMPANION』は健在。実際の放送も聞いてみたい。

番組の進行と並行して、謎めいた美女が絡み、ちょっとしたサスペンスが展開する。謎解き的な面白さとは違うけれど、「一方、こちらでは……」というオンステージとバックステージの配分が絶妙で、最後まで飽きさせない。深みと奥行きを感じさせる映像の美しさにも引き込まれたが、カメラはT氏がこのところ贔屓にしているエド・ラックマン。T氏が入れ込み、ご近所仲間に勧めまくっているトッド・ヘインズ監督の『エデンより彼方に』の撮影もこの人だそう。「これが遺作なんて出来すぎ」とT氏。アルトマン監督の名前は聞き覚えがあっても、何を撮った人かは思い出せないわたし。プロフィールを見ると、「米アカデミー賞で史上最多の五度ノミネート」とある。挙げられた五作品のうち、『ショート・カッツ』だけは観たことがあった。「映画のお仕事されているんですから、勉強してくださいね」とまたT氏にお叱りを受けそうだ。



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2004年04月11日(日)  日暮里・千駄木あたり
2003年04月11日(金)  ちょっとおかしかった話
2002年04月11日(木)  ネーミング


2007年04月10日(火)  マタニティオレンジ105 産後の腰痛とつきあう

応援団時代の後輩かじかじ君のお嫁さんが訪ねてくる。8月にはじめての出産を控え、マタニティオレンジを読んで予習しているのだとか。かじ嫁さんにも、昨日会った6月出産予定の元同僚G嬢にも、ひと足お先に産んだわたしは先輩風を吹かせて、おすすめのグッズを紹介したり、トラブル対処法をアドバイスしたりしている。これまでは「出産後、けっこうすぐ遊びに出かけたよ。家にこもってると退屈だし」などと得意げに話していたのだけれど、最近は、「産んでしばらくはおとなしくしてたほうがいいみたい」と言うようになった。そのうちおさまるだろうと思っていた産後の腰痛が一向に良くならず、半年以上経ってもまだ残っているのだ。もともとわたしは腰痛持ちではなかったし、明らかに妊娠・出産の置き土産なのだが、産後調子に乗って無茶をしたツケだと思われる。

助産院での一週間の入院を追えて帰宅した二日後、母に子守を頼んで映画を観に行った。『あの子を探して』が近所の三百人劇場のスクリーンでかかるとあって、これは是が非でもと駆けつけたのだが、二時間を越える上映の最後のほうは座っているのが限界なほど背中から腰が疲れた。自分のペースでやりたいから、と母には一週間で大阪に帰ってもらい、首のすわらない新生児を抱きかかえて買出しに行かけた。通りすがりの年配のご婦人に「こんな重いもの持ったら、後で響くわよ」と声をかけられ、「鍛えてますから」と威勢よく答えたが、ご婦人の心配は予言となって見事的中。今頃になって「ひと月は寝てろというのはほんとだったか……」と悟っても、後の祭り。

腰痛に効くという温熱シップやスポーツ用テーピングなどを片っ端から試したけれど、効果なし。もぐさを燃やす赤外線でリンパの流れを良くするという療法に最近通い始めた。ここは、手の空いた人が子守りを引き受けてくれ、わたしが施術を受けている間、ずっと抱いていてくれる。整体やマッサージを受けようにも、子連れだとなかなか行き辛かったので、これはありがたい。リラックスすることだけに集中できる一時間は、横たわっているだけでも体に溜まった疲れが和らいでいくよう。わたしの体を触診した施術者は「むち打ちになったことあります?」と聞く。それほど首の後ろが板のようにパンパンに腫れているのだという。「首は痛くなくて、腰なんですけど」と言うと、「首はあまりにひどくて痛みが麻痺しているんです」。実際、施術後は首の後ろの痛みを自覚するようになった。とにかく、腹筋はぶよぶよで全然戻っていないし、体は冷えているし、満身創痍の状態だと脅される。かえすがえすも自分の体力年齢を過信した無謀な産後生活を反省。

もぐさ療法のおかげ(?)で、今は首から腰までが痛みベルト地帯となっているが、子どもが起きているときはだっこ、寝ているときは座りっぱなしでパソコンを打つ生活は、傷口に塩を塗りこむようなもの。せめて体への負担を少なくしよう、とスリングを卒業し(娘が軽いうちは良かったけれど、8キロ級になると肩が凝る)、たて抱きできて両手が空くだっこひもに。さらに、中のウレタンがすっかりスカスカになっている椅子の張り替えを検討。「ウレタン」を検索していたら、椅子生地の中のウレタンではなく、低反発ウレタンを使ったクッションを見つける。介護用品を扱う
セラピーショップ
の「車椅子専用クッション」で、「良好な体圧分散性 高密度でありながら低硬度のウレタンフォームを使用していることから体圧分散性が良好です長く座った時の疲労を軽減」と説明がある。車椅子に座りっぱなしでも疲れないというのは説得力がある。加えて、一枚7000円という0ひとつ多い強気な値段にも自信がうかがえ、購入。確かに座り心地は飛躍的に向上。映画館や劇場でも、椅子が悪いとすぐにおしりが痛くなってしまうけれど、このクッションを持っていけば快適かもしれない。

腹筋をはじめ筋力が落ちているから首やら腰やらに負担がかかっているらしく、筋力を鍛えることが腰背筋首痛の回復を助けるという。歩くときはおなかに力を入れ、たまをあやしがてら足の間に挟んで腹筋に励んでいるが、果たしていつまで産後のツケを払わされるのやら。もはや産後ではない、と思っていたのに……。

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2004年04月10日(土)  大麒麟→Весна(ベスナー)
2002年04月10日(水)  なぞなぞ「大人には割れないけど子供には割れる」


2007年04月09日(月)  人形町の『小春軒』と『快生軒』と『玉英堂彦九郎』

6月に出産を控えた元同僚のG嬢と人形町で会う。路地を入ると、趣のある洋食屋や和菓子屋がそこかしこにあり、探険しがいのある町。地元に住むG嬢の案内で、明治45年開業という洋食屋『小春軒』で昼食。店の名前は山県有朋のおかかえ料理人だった初代の小島種三郎氏とその妻・春さんの名前を一文字ずつ取ってつなげたものだとか。「小春」という字面も「こはる」という響きもとても好もしい。お店が続く限り、この二文字の中に夫婦は寄り添い続ける。現在は四代目の店主が味とのれんを守っている。注文したのはコロッケ定食。できたてほくほく、皮さくさくのポテトコロッケを頬張る。

小春軒の二軒隣には、これまた趣のある喫茶店。大正8年創業の喫茶去(きっさこ)快生軒。店構えもさることながら、店内は時間が止まったようなレトロな空間。テーブルも椅子もカウンターに鎮座する年代物の器具も、いい味を出している。こういう雰囲気の中で落ち着いて味わうコーヒーはしみじみとおいしく、場所代に空気代まで上乗せしたくなるが、カフェオレ500円と良心的。向田邦子さんも通われたお店なのだそう。

G嬢おすすめの和菓子屋・玉英堂彦九郎(ぎょくえいどうひこくろう)で「とら焼き」を買って帰る。焼いたときに虎のような模様がつくことから、どら焼きではなく、とら焼き。したたるようなみずみずしい餡とふわふわの皮が絶品。次回は一つ550円也という玉饅(ぎょくまん)を試してみたい。断面を見ると、一個のおまんじゅうの中に五色の餡がマグマを囲む地層のように納められ、小さな餡地球のよう。このお店、創業は天正4(1576)年とか。本能寺の変(天正10年)より6年早い。こうなると、明治や大正が最近のことのように思えてしまう。片や、人形町は子宝にご利益があるという水天宮のお膝元で、マタニティ服やグッズの店が軒を連ねている。伝統と未来が共存する、なんとも懐が広くて面白い町。

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2004年04月09日(金)  五人姉妹の会@タンタローバ
2002年04月09日(火)  東京コピーライターズクラブ


2007年04月08日(日)  東京都知事選挙

選挙権というものを使わなかったことは数えるほどしかない。よっぽどの理由がない限り、投票に出かける。とはいえ、今日の都知事選挙は、入れたい人がいなくて困った。石原都知事の強力なリーダーシップと実行力には感心しているし、ときどきテレビ放送されている記者会見でのやりとりを見ていても、信念と自信を持って都政に取り組んでいるのはうかがえる。けれど、都政の私物化、独裁と紙一重なこのごろのやり方には注文をつけたい気持ちがある。かといって、対立候補の中に東京都を託せる人がいるかどうか、となると難しい。人柄は好もしいけれど東京のスケールには負けそうな人だったり、知事になったら面白そうだけどギャンブルな人だったり。結局は石原さんが再選されるのだろうけれど、石原さんではない候補に一票を投じた。

個人的に気になったのは、泡沫候補と呼ばれる人たちの得票数。インターネットの普及で選挙もずいぶん変わったけれど、今回はYouTubeの動画配信で政見放送が出回った。「この候補の政見放送が面白い!」といろんな人がブログで取り上げたら、あっという間に知名度は上がる。わたしも話題を集めた候補の政見放送をYouTubeで観たけれど、パソコンの前で大笑いした。言っていることは無茶苦茶だが、きれいごとや耳障りのいい言葉を並べた演説ではなく、有権者へのこびへつらいも遠慮もなく、赤裸々な本音をまくしたてている。ある意味、「最も自分の言葉で喋っている候補」と言えたかもしれない。この候補、ネット検索のヒット数も相当な数になっていたが、得票数はそれほど伸びなかった。発言の面白さへの支持と候補者本人への支持を有権者は切り離しているということか。安心する。

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2005年04月08日(金)  懐かしくて新しい映画『鉄人28号』
2004年04月08日(木)  劇団ジンギスファーム「123」
2002年04月08日(月)  シナリオに目を向けさせてくれた「連載の人」


2007年04月07日(土)  G-up Presents vol.5『アリスの愛はどこにある』

G-upの第5回プロデュース公演『アリスの愛はどこにある』を観る。脚本は、ほさかようさん。第1回のプロデュース公演『金魚鉢の中で』をはじめ、これまでに観た3本のほさかよう脚本作品に毎回うならされている。わたしが苦手とする「毒」を描くのがとてもうまい。人間のドロドロした部分を描くというのとは違い、登場人物を襲う残酷な運命を実に痛々しく描き出す。息苦しくなるような胸の痛みを観客に与えた後に一条の光のような救いを投げかける、そんな感じだ。

『ヘンデルとグレーテル』を下敷きにした『Deep Forest』はとりわけ印象に残っている作品だが、今回の『アリス〜』は『Deep Forest』に次ぐ童話ファンタジー第二弾ということで、チラシを観たときから期待が膨らんだ。主人公はメルヘンが大嫌いな女の子、アリス。だが、皮肉にも、絵本作家の恋人が手がける作品はメルヘン。彼女の誕生日も仕事で忙しい彼からの贈りものは、手づくりの絵本。その世界に迷い込んだアリスは、物語の中で役割を果たせば元の人間の世界に戻してやると言われる。ハッピーエンドくそくらえなアリスが招いた結末とは……というストーリー。異世界に迷い込む設定は『不思議の国のアリス』をなぞっているけれど、ほさか流の毒をまぶされ、すっかりダークな味わいのファンタジーに。笑いをふんだんにちりばめながら伏線を張り巡らせた前半から一転、後半はハッピーエンドを期待する観客の楽観をあざ笑うがごとく、これでもかこれでもかとたたみかけるように登場人物が不幸に見舞われる。すっかりたたきのめしたところで今回も救いのラストが用意され、計算された構成に感心したが、いきなりすべてがきれいに納まってしまったので、激辛攻撃で麻痺した舌に甘ったるいデザートをのっけられたような唐突さは否めなかった。出来すぎていた『Deep Forest』と比較して、まだまだ面白くなるのでは、と欲張ってしまう。わがままな観客。

歯車を倒したようなギザギザの台座を三つ並べたシンプルな舞台美術とキルティング地の衣装は、色使いがとてもメルヘンチックで、わたし好み。ステージを客席が三方から囲む形で、暗転はなし。台座をぐるぐる回しながら位置を替えて場面転換をするアイデアは面白い。『Deep Forest』でも共演したアリス役の新谷真弓さん、女王役の楠見薫さんが光っていた。愛らしさと不思議さをあわせもつ新谷さんのアリスは見事にはまっていて、そこに存在するだけで空気中のメルヘン度数が上がる。この女優さんは観ていて本当に楽しくて、目が離せない。誰かにすごく似ているんだけど誰だっけ、と思いめぐらし、高校のときに同じクラスだったヤヨイちゃんだと思い出した。文化祭でやった『オズの魔法使い』でドロシーを演じたヤヨイちゃんは、役になりきっていた。新谷さんのドロシーもきっとすごく似合うだろうな。

アリスの愛はどこにある
新宿FACE
2007年4月4日(水)〜8日(日)

【cast】

楠見薫
新谷真弓(NYLON100℃)

高木稟
小林健一(動物電気)
桑原裕子(KAKUTA)
森岡弘一郎
辰巳智秋(ブラジル)
瀧川英次(七里ガ浜オールスターズ)
多根周作(ハイリンド)
中谷千絵(天然工房)
桜子
小宮山実花
田中あつこ(バジリコ・F・バジオ)

櫻井麻樹
山村秀勝
熊野善啓(チャリT企画)
竹岡常吉(PMC野郎)
矢田一路
弓削智久

脚本 ほさかよう 
演出 板垣恭一 
舞台美術 松本わかこ 
音響効果 末谷あずさ(OFFICEmyon) 
音響オペレート 天野高志(OFFICEmyon) 
照明 正村さなみ(RISE) 
舞台監督 金安凌平 
衣裳 名村多美子 
衣裳協力 渡辺まり 
音楽 佐藤こうじ(SugarSound) 
小道具協力 櫻井徹 
演出助手 井村容子 
演出部 田村友佳(KAKUTA) 
宣伝美術 岩根ナイル(mixed) 
チラシ写真 Tomo.Yun
撮影 田中亜紀 
制作助手 松井見依子/田辺恵瑠 
プロデューサー 赤沼かがみ 
企画製作=G-up


2006年01月29日(日)  空想組曲『白い部屋の嘘つきチェリー』
2005年05月31日(火)  G-up presents vol.3『Deep Forest』
2004年10月09日(土)  G-up第1回公演『金魚鉢の中で』

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2004年04月07日(水)  2人で150才の出版祝賀会
2002年04月07日(日)  イタリア語


2007年04月06日(金)  エイプリルフールと愛すべき法螺吹き

気がついたらエイプリルフールが終わっていた。世間的に流行らなくなったのだろうか。それともわたしが大人になっただけだろうか。子どもの頃は、好きなだけ嘘をつけるこの日が待ち遠しくてたまらなかった。今年はどんな嘘をついてやろうかと待ち構え、日が暮れるまでに何人を騙そうかと張り切ったものだ。

大人になると、無邪気な嘘を楽しむエイプリルフール適齢期は過ぎてしまう代わりに、毎日が嘘つき日和になる。自分をかばうために、相手を傷つけないために、罪のない嘘や罪つくりな嘘を重ねる。嘘をつくとき、人はとても人間くさくなると思う。嘘をついてまで守りたい何かや壊したい何かや手に入れたい何かがある。嘘をつくことそのものが目的だったエイプリルフールを卒業し、嘘は目的を果たす手段になる。

嘘をつかれた場合、それなりの事情があったんだろうなと察して許したり流したりするのが大人だけれど、あまり気分のいいものではない。でも、豪快な法螺話には愛すべきものが多い。勤めていた広告会社には、大風呂敷を広げる名人がたくさんいた。「ビッグなタレントを起用しよう。G7とか」と言って部下を仰天させたクリエイティブディレクターの発言は、法螺ではなく「V6」の言いまつがえだったけれど、「世界中のホームページは全部見た」と言い放った別なクリエイティブディレクターの自慢話は、あまりのスケールの大きさに「うちの会社のワールドワイドのホームページの間違いだろうか」「一を聞いて十を知る、の変型かもしれない」とさまざまな憶測を呼んだ。風呂敷にも適度なサイズがあり、大きすぎると道化を演じることになる。

脚本の仕事の発注を受けるときも、大音量の法螺を吹かれてびっくりすることがある。自分や企画を良く見せようと精一杯の虚勢を張りたい気持ちはわかるが、いきなりクロサワだのナルセだの巨匠監督の名を次々と挙げる人には、安心よりも警戒を覚える。「スピルバーグも関心を示している予算50億円の映画」は確かにすごいと思うけれど、そんな大企画の脚本を会ったこともない脚本家に託すプロデューサーの気が知れない。おいしいネタをごちそうさまでした、と心の中で手を合わせて丁重にお断りする。

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2002年04月06日(土)  カスタード入りあんドーナツ


2007年04月05日(木)  消えものにお金をかける

子どもが生まれて、出かけるよりも家で過ごす時間が増え、訪ねてくれる人の数も増えて、50屬舛腓辰箸里錣家が狭く感じられるようになった。不動産屋さんに相談すると、家賃を今より5万円上げても、せいぜい10屬曚匹靴広くならないと言われる。住んでいるエリアの相場が上がっているのに対し、わが家の家賃は越してきた6年前から据え置かれている。引っ越す意味があるぐらいのインパクトのある広さを獲得しようとしたら、家賃は2倍近くに跳ね上がる。さらに、不動産紹介料や礼金や引越し代もかかる。「今の物件に住み続けるのがおトク」という結論になり、「今より20峭い引っ越すのが難しいなら、デッドスペースを有効に使って20屬鯒噂个靴茲Α廚犯想を転換。3DKのうち2部屋はウォークインクローゼットと化しているが、これをひと部屋に減らし、各部屋にあるごみごみしたものを整理すれば、体感面積は2、3割増しになる。

出産前の大掃除でかなり物を減らしたけれど、それでもまだ未練がましく溜め込んでいる「二度と着ない服」や「二度と読まない資料」とけじめをつけることに。さらに、「余計なものは拾わない、買わない」ことを肝に銘じる。もったいない精神がしみついているわたしは、まだ使えると思うものは捨てられないばかりか拾ってしまう悪い癖があり、会社の大掃除のたびに廊下に放出された不用品を持ち帰っていた。引越しシーズンの今は、マンション入口前の粗大ゴミ置き場が宝の山に見えてしょうがない。まだまだ現役オーラを放っている机や棚と目が合ってしまうが、「うちは狭いからね」と連れ帰ることを泣く泣く諦める。

かさばる雑貨は我慢し、買うなら「消えるもの」を心がける。映画の撮影で「消えもの」といえば、役者さんが演技で使う食べものや飲みものを主に指す。もとは舞台用語で、上演のたびに毎回新しいものを用意しなければならないものを指すらしく、丸めてポイされる原稿用紙や紙吹雪も消えものということになる。家賃の高いところに引っ越したつもりで何かを買うなら、「家庭版消えもの」にお金をかけようと思う。嵩張らず、狭いわが家にのさばらないものたち。たとえば、お菓子。たとえば、花。たとえば、キャンドル。手元に置かれるより、送り出されることが宿命のグリーティングカードやレターセットも、消えものと呼べようか(最近はエンボス加工のついたレターセットに凝っている)。共通点は、消えるときに、誰かの心をあたためたりやさしくしたりしてくれること。物を減らしても体感面積を広げるには限界はあるけれど、消えものの贅沢はゆとりを運んでくれる気がする。

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2004年04月05日(月)  シンデレラブレーション
2002年04月05日(金)  イマセン高校へ行こう!


2007年04月04日(水)  マタニティオレンジ104 ママ友さん、いらっしゃいませ。

生後225日目のたまは、今日から慣らし保育。初日は9時に預けて10時にお迎え。敷布団と毛布にシーツをかぶせ(週はじめにセットし、週終わりにはがして洗濯)、おむつバケツにビニール袋をかぶせ、小さい引き出しにおむつとおしりふきをセットし、大きい引き出しに着替えやスタイやタオルを入れ、一回分の着替えとおむつをゴムで留めてかごに入れ、名札をピンで留め(手で引っ張らないよう背中に)……やることがたくさん。まごついていたら9時半になり、帰宅したものの何もしないうちに保育園に舞い戻る。慣らし期間はママのためのものでもある。

保育園に子どもを預けて働くようになると、平日の昼間に子連れで遊ぶ機会はめっきり減ってしまう。遊ぶなら今のうちとばかり、ビクス仲間のトモミさんと娘のミューちゃん、トモミさんの紹介で知り合ったユキさんと娘のホホちゃんをわが家に招く。資料の雪崩が床を覆ってハイハイスペースはないくせに、引っ張りがいのあるコードはニョキニョキ、誤飲を誘うこまごました小物はゴロゴロのわが家、これまでに訪ねた赤ちゃんといえば、ご近所仲間のK夫妻の娘のマユタンぐらい。さすがにたまがハイハイをするようになって、雪崩を片付けて床を作り、コードをできるだけ隠し、飲み込みそうなものは手に届かないところへ追いやったけれど、まだまだ危険がいっぱい。というわけで、料理に取り掛かる前に大掃除。お客さんが来てくれると部屋が片付く。赤ちゃんが来てくれると、さらに精が出る。

危険物を除去しただけではステキな家にはならないので、花をいっぱい飾ることに。ばら売りのガーベラとスイートピーでトイレを明るく、サービス品のブーケでテーブルを華やかに、ポット苗のピンクと紫とえんじの花を切り花にしてデミタスカップに活け、窓辺をにぎやかに。普段スティックサプリメントを差して冷蔵庫に貼り付けているマグネットつきポケットには、濡れティッシュで根元をくるんだ花を活けて、玄関のドアに貼り付けた。

到着したトモミさんとユキさんに子守をお願いして、ようやく食事の用意を開始。一時間もお待たせしたランチのメニューは、先日の12分の7才誕生会で成功を納めたチリコンカン、ゆずぽんとすりごまのサラダ、まぐろとアボカドのサラダを再現。それと、やまいもともやしと豚肉の中華風いため。コンセプトは「ご飯が進むおかず」。三合炊いた玄米をほぼ完食。食後のデザートは、トモミさんのお土産の「ふらの雪どけチーズケーキ」と、ユキさんのお土産の大粒の苺と錦糸町の工場直売バウムクーヘン。どちらも写真を撮る前に平らげてしまった。

トモミさんとユキさんとは同じ時期に出産した縁で親しくなれたわけだけど、別なところで知り合っていても意気投合したと思う。自分にとって心地いいものを上手に見つけてくる人たちで、出産や子育てのスタイルにもそれが現れている。わたしはこんな風にやってみてよかったよ、と自分の体験を分かち合ってくれるけれど、決して押しつけないし、あなたはどう、と人の体験から学ぶ姿勢も持ち合わせている。そして、互いを認め合うのと同じように、互いの子どもの違いを楽しんでくれる。だから、一緒にいて楽だし、楽しい。ママ友だちはたくさんいたほうがいい、と欲張って広げるより、気のおけない一人ひとりを大切にするほうが、わたしには合っている。

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2004年04月04日(日)  TFS体験入学
2002年04月04日(木)  前田哲×田中要次×松田一沙×大森南朋パコダテ人トーク


2007年04月03日(火)  マタニティオレンジ103 保育園の入園式

あいにくの雨の中、保育園の入園式。保育園でも入園式をやるのか、と意外な気がしたけれど、手作りであたたかみのあるとてもいい式だった。全園児がホールに集まり、まずは人形劇。あんぱんまんとドキンちゃんが春を探しに野原に出かけ、そこから保育園の子どもたちあてに手紙を出しに行くという物語。いちばん大きな3歳児クラスの園児たちは、人形に実によく反応して、笑ったり、驚いた声を上げたり。アンパンマンがちょうちょをつかまえようとする場面では、一緒に息をつめて見守り、ドキドキし、ため息をもらす。お手紙が着くまでの間は、園長先生のお話。「どうか安心して託してください。わたしたちに子育てのお手伝いをさせてください」という父兄への言葉にあたたかい心強さを感じる。その間に届いたお手紙を開くと、中には新しく入園したお友だちの名前が入っている。全員が新入生の0歳児クラスの他に、1歳児、2歳児、3歳児クラスにこの春から仲間入りした園児の名前も読み上げられ、みんなの拍手で迎えられた。最後は3歳児クラスによる、振り付けつきの「おもちゃのチャチャチャ」の合唱。わたしのひざでだっこされている生後224日目のたまは、両手をぐるぐる振り回し、大喜び。

小学校のPTAにあたる保護者の会が保育園にもあり、0歳児クラスからもくじ引きで役員が選ばれることになった。10人から2人選出、確率は5分の1。ビンゴはめったに当たらないけれど、この手のものに当たる確率はめっぽう高いわたし。会社員時代も組合の執行委員になり、さらに広告業界の組合の集まりである広告労協の女性会議の実行委員にもなった。予想通り、開いた三角くじには「アタリ」とある。早速、今週土曜日に顔合わせの役員会が開かれることに。本当の意味で「アタリ」と思えるよう、楽しみを見つけながら、与えられた役割をこなしたい。

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2007年04月02日(月)  21世紀のわらしべ長者

ご近所仲間のK氏から聞いた興味深い話。オーストラリアのストロー会社が味つきストローなるものを開発した。ストローの内側に味をすりこんであり、これで牛乳を吸い込むと、即席バナナ味やチョコレート味のミルクセーキになるという代物。一攫千金を夢見て世界各地に売り込みをかけたところ、投資家の目に留まり、ポンと大金がつぎ込まれた。そのストローは欧州のマクドナルドで採用が決まり、作った人も投資した人もハッピーな結果となったという。ストローなだけに「現代版わらしべ長者だ」と感心した。

味つきストローなんて珍しいものを見せられたら、わたしは「これ、いくらで買えるんだろう」と百円単位の想像をしてしまうが、投資家は、「これにいくら投資したら、何年で回収できるか」と億単位の算盤をはじく。ちなみに日本に売り込んだ反応はいまひとつだったらしいが、ソニプラあたりで面白輸入グッズとしてお目見えしたら、味見してみたい。バナナ味とチョコレート味を二本同時に吸い込んだら、バナナチョコレート味になるのだろうか。

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2005年04月02日(土)  アンデルセン200才
2002年04月02日(火)  盆さいや


2007年04月01日(日)  歌い奏で踊る最強披露宴

一昨年、会社時代の先輩アートディレクター・Y嬢が開東閣で「踊る披露宴」を行ったとき、出席したコピーライターのK嬢が「結婚披露宴というものは、歌う披露宴、奏でる披露宴、踊る披露宴の順に格が上がる」と教えてくれた。その法則にあてはめると、Y嬢の披露宴は、わたしがかつて出席した最上格の披露宴だったのだが、「歌い、奏で、踊る」を一度にやってのける披露宴が現れた。新婦は会社時代の後輩営業だったユカ。プロを目指してニューヨークでバレエをやっていたという彼女は、個性を競い合うようなユニークな社員ぞろいだった会社の中でも、とくに面白い子だった。披露宴もきっとただごとでないことになるに違いない、という期待に見事に応え、パワフルでハッピーな最強の披露宴をやってくれた。

会場は、ミュージシャンたちが「いつかあのステージで」と憧れる格調高いライブスペース、ブルーノート東京。通常は叶えられないことらしいが、縁あって夢の貸切公演披露宴が実現。入口のボードにはアーティスト名ならぬ新郎新婦の名前が刻まれた。新郎のシンペイさんは沖縄出身。昨夏放送された深夜の連続ドラマ『快感職人』で主役の神宮寺直樹を演じた尚玄とは同じ高校の出身で友人らしい。そんな縁もあって夫妻で『快感職人』を観てくれていた。

開宴から、いきなり踊る。沖縄の結婚式で身内が舞う慣わしという祝いの琉球舞踊を新郎の父が披露。乾杯に続いて食事を楽しんでいると、今度はクラシカルな衣装に身を包んだ神父とおつきの青年が登場し、「ここで人前式を行いたく思います」と宣言。いかにも神父なのに、神前式ではなく人前式? その謎は間もなく解け、「申し遅れましたが、わたくし、新婦の父でございます」で場内は爆笑。神父ならぬ、新婦の父。ローブは東京衣装でレンタルしたとか。「あなたはわたしが手塩にかけ、愛情をかけた娘を幸せにしますか」と新郎に詰め寄る台詞には迫力があり、さらなる笑いと拍手を誘った。「では、指輪と手錠の交換を行います」にも大爆笑。手錠の正体はブレスレット。指輪だと失くしやすいからという理由のよう。

センスのいい招待状のデザインも会場に流れる映像の編集もユカの友人が手がけている。赤がアクセントのドレスは、友人のコムサデモードのデザイナー・池野慎二さんの手によるもの。当日つけていたアクセサリーもすべて手作りしてくれたのだとか。わたしも何かお手伝いできればよかったのだが、抱腹絶倒の神父台本を花嫁に書かれては出る幕がない。

後半はライブタイム。友人たちで結成された生バンドに合わせて新郎新婦が歌い踊り、列席者もステージ前に繰り出して一緒に踊る。はじめて聴いたユカの歌は玄人はだしでびっくり。プロでもめったに立てないブルーノートのステージで、毎日歌っているような余裕と貫禄を見せていた。

ライブを休憩し、ダイナミックに積み上げたドーナツが登場。ケーキカットではなく、口を大きく開けてドーナツを食べさせあうドーナツバイトというのは、いかにもユカらしい。ドーナツは、昨年12月にオープンした新宿サザンテラスの日本上陸店の長い行列が話題になっているKrispy kreme Dougnutのもの。日本初のドーナツタワー(これまたユカの友人の厚意で実現)に、「あれだけ買おうと思ったら、一日並ばないと」と同じテーブルについた広告会社の元同僚たちはどよめく。わたしが知ったのはつい最近だったのだけど、「クリスピークリームドーナツって知ってた?」と聞くと、当然のように「ああ、何度も食ったよ」と言う。「並んだの?」「ロケんとき、ロスで食った」。こういう会話を聞くと、広告業界だなあと思う。

再びライブで盛り上がった後、新郎新婦から両親へのメッセージ。目の前で読み上げると泣いてしまうからか、録画した映像を流した。ユカが幸せをつかむまでに辛い時期を過ごしたことをはじめて知った。うまく口にできないけれど伝えたかったご両親への思いにも胸が熱くなった。あらためて、本当によかったね、と祝福の気持ちがこみあげた。

今日の披露宴はユカとわたしが一緒に仕事した広告会社の懐かしい顔ぶれが大集合していて、同窓会のにぎやかさもあった。再会のチャンスをくれたユカに感謝しながら、「あの頃は楽しかったね」と思い出話に花を咲かせ、「また集まろうよ」と約束しあった。出席した後で新郎新婦のことをもっと好きになれる披露宴は、分けてもらった幸せが余韻みたいに続いて、何よりの引き出物になる。

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2004年04月01日(木)  「ブレーン・ストーミング・ティーン」刊行
2002年04月01日(月)  インド料理屋にパコの風



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