2015年02月22日(日)  小2の娘と観た映画「みんなの学校」

予告で心惹かれたドキュメンタリー映画「みんなの学校」が昨日公開。
たま(小学2年生)にチラシを見せたら乗り気だったので、早いうちにと今日観に行った。

たまのまわりにも支援の必要な子はいる。映画を分かち合って、「みんなの学校ってどういうことかな」と話ができればと思った。

渋谷ユーロスペースでは子ども料金500円だった。
わたしは劇場で授業参観。たまは500円の課外授業。

他の小学校に通えなくなって、大空小学校に転校してきた男の子のお母さんの言葉が、印象に残った。
学校から帰って、鉛筆が減っているのがうれしい、と。

そうか、学校で学ぶというのは、ぴんぴんに削った鉛筆が丸くなることなんだ。

鉛筆が減る。クレヨンが減る。上履きが汚れる。
そんな当たり前のことをどんな子にも当たり前にする大空小学校は、大阪の普通の公立小学校。

全校生徒220人中30人が要支援児。かなり高い割合。ひとクラスに1、2人どころじゃない。でも、特別支援学級はなく、同じ教室で授業を受ける。興味深いのは、そのことが児童にとって「当たり前」になっていること。だからなのか、カメラが回っている前でも実に自然にふるまう児童たち。多様な他者をしなやかに受け止めるチカラが知らず知らず備わっている。これってすごいことだ。

学校で起きたすべてのことを体当たりで受け止め、どうしたらいいかを全力で考え、行動で示す木村泰子校長がすばらしい。この校長先生あっての大空小学校ではあるけれど、「みんなの学校」は一人では作れない。教師、児童、保護者、地域住人、学校に関わる一人一人によって実現する。その一人一人を動かす強力なリーダーシップが木村校長にはある。覚悟とユーモアを持ち合わせ、大変な局面でも口角が上がっていて、選ぶ言葉には相手への思いやりがある。それが最初から完成されていたのかといえば、そうではなく、「この子がおらんかったら、ええ学校になれたのに」という本音から出発し、試行錯誤の毎日の末に今の大空小学校にたどり着いたことがわかる。

「最初から宝石は落ちていない。石ころを磨いて光らせるのはあなた次第」だと一昨日の舞鶴・日星高校でもお話ししたが、みんなの学校という宝石もまた最初から落ちていない。困った石ころを、磨けば光ると信じて磨き続けた結果なのだと思う。「すべての子に居場所がある学校」は、一人の情熱ある教師によってのみ作られるわけではなく、一人の問題児によって壊されるわけでもない。みんなと一緒に学ぶことが難しい子をのけ者にする前に、できることがあるのではないか。

思い出したのは、「inclusive」を日本語に訳した勉強会のこと。日記を掘り返したら、障害者権利条約の日本の批准が遅れてるから自分たちで訳そうという勉強会だった。
2007年05月14日(月) 遠山真学塾で『障害者権利条約』勉強会

2007年5月14日のこと。日本が批准したのはそれから6年半後の2014年。国連加盟国の中でもびりっかすのほうだった。(手話講座では142番目と習った。140番目という説もあり、批准と発効の間で順位が入れ替わったのかも)

もうひとつ思い出したのは、アメリカの高校に留学したときの光景。学習レベルにかなり差のある生徒が一緒に学び、支援が必要な生徒にはお手伝いが付き添っていた。先生以外の大人がいる教室は当時のわたしには新鮮だった。「当たり前だよ。学ぶ権利は誰にでもある」とホストファーザーは言った。支援が必要な生徒を特別扱いするのではなく「普通扱いするために必要な配慮をする」のだった。英語が不自由な留学生や移民にも同様の配慮があった。できないから無理という引き算ではなく、何を補えばできるかという足し算が働いていた。

バトンパスすら困難を極める運動会での「世界一難しいリレー」は、「びりっかすの神さま」の「クラス対抗全員リレー」を思い出した。

観ている間に、いろんなことを思い出したし、いろんな感情がゆさぶられた。
あたたかな涙とともに、たくさんの気づきをもらえた。

子どもの頃から学校が大好きだったし、両親が教師だし、わたしも教育学部に進んだし、学校で講演や授業をすることもあるし、娘が小学校に通っているし、学校という場所には並々ならぬ関心と愛着があるのだけど、あらためて、「学校」というものについて考えを深める機会になった。

たまは、はらはらと泣いているわたしを不思議そうに見ていた。
観終わった後、劇場を後にしながら「どうだった?」と聞くと、反応は鈍かった。
「あんな学校だったら支援の必要な子も一緒の教室で過ごせるね」と言うと、返ってきた答えは思いがけないものだった。
「わたしは、自分と同じような子がいい」
「同じような子って?」と聞くと、
「自分と同じようにできる子」
たまの通う育成室(学童保育)には要支援の子どもたちも一緒に過ごす。一日のうち2〜3時間。毎日同じ部屋で生活をともにしながら、そんな風に思っていたのか、とショックだった。

待つこと合わせること工夫することからの学びもあると示すのは大人の役割。
もちろん親も含めて。

2014年02月22日(土)  「スカイプランター」で楽しい下向き
2013年02月22日(金)  懐の大きな「ケークサレ」
2012年02月22日(水)  色とおしゃれに目覚める、たま5歳6か月。
2011年02月22日(火)  広告は遠くなりにけり
2010年02月22日(月)  シナリオ倶楽部で『パコダテ人』上映会
2009年02月22日(日)  なりきり芝居で女優開眼!?たま2歳6か月
2008年02月22日(金)  アンチエイジングディナーで合同誕生会
2007年02月22日(木)  マタニティオレンジ81 母になっても女心はある
2006年02月22日(水)  史実の63年後に観る映画『白バラの祈り』
2002年02月22日(金)  生みっぱなしじゃなくて


2015年02月21日(土)  引揚の町、再会の町、舞鶴。

昨日の舞鶴・日星高校での講演と生徒向けワークショップと先生方向けワークショップは、昨秋に同校のオープンスクール(オープンキャンパスの高校版。中学生が見学に来ます)によんでいただいて講演とワークショップをした際に竹内万里子教頭が「次は在校生に聞かせてください! 冬どうです? 牡蠣シャワー降らせますから!」と魅惑的なお誘いをくださり、その後もお電話やメールで口説いてくださり、実現。

昨夜は竹内教頭自ら腕をふるい、蒸し牡蠣、オイル(自家製オイスターソース入り!)漬け牡蠣、酒蒸しの紅葉おろし自家製ポン酢と自家製柚子胡椒がけ、手作り牡蠣おにぎり、土手鍋とこれでもかの牡蠣づくしで、一年分食したのではというほどの牡蠣シャワーを浴びさせていただきました。

何日も前から準備し(オイスターソースの牡蠣、オイルに数日漬ける牡蠣、朝とれたばかりの蒸し牡蠣と、牡蠣を仕入れる時期も三段階)貸し会場に食器やコンロを運び込み、お酒の好みもあらかじめ聞いて「赤の泡とシードル」とお答えしたら、ボーリングのピンのごとくドドーンと泡ボトルがお待ちかね。選ぶ楽しみまで用意してくれていたのでした。

 

……といういい思いを自慢をしたいのではなく、歓迎をあらわすというのはこういうことなんだなと心底圧倒され、自分が誰かをもてなしたいときは今宵の晩餐を思い出そうと心に刻んだのでした。

今日は舞鶴引揚記念館を訪ね、昭和20年に始まった大陸やシベリアからの引揚船の受け入れを、舞鶴は25年以降は唯一の港として33年まで13年続け、66万人あまりの引揚者を迎えたことを知りました。外の人を「よく来たね」と迎え入れる温かな懐は、この歴史とも関係があるのかもしれません。
(引揚記念館については、書きたいことがありすぎるので日をあらためて)

前回の舞鶴訪問の際に観光案内をしてくださった元気すぎる元国鉄マン、田丸さん83歳とも再会。場所は、三度目の「ゆめさら」さんにて。田丸さんを紹介してくださった米澤典子さんのお店。「戦争で勉強ができなかった」ことを悔やんでいる田丸さん。終戦時、13歳で国鉄に就職したものの昇進試験で苦労されたそう。平和な世の中になって、共通の趣味である甘いものを味わいながら他愛のないおしゃべりができる幸せをかみしめました。

一昨年から三年続けての舞鶴。そのたびに出会いがあり、再会があり、好きな人好きな場所がふえていく。引揚の町は再会の町でもあり、早くも次回の再会を楽しみにしながら舞鶴を後にしたのでした。


2014年02月21日(金)  「阪堺電車」脚本、読みやすくなりました。
2013年02月21日(木)  名前のないパーティー ちょっと遅めの新年会
2012年02月21日(火)  電車に乗ったつもりで花を買う
2011年02月21日(月)  ママに甘えたい病に効く甘いもの
2010年02月21日(日)  何文字で「々」を出せるか
2009年02月21日(土)  電話でタイムスリップ
2008年02月21日(木)  バレンタイン月間&確定申告週間
2007年02月21日(水)  三島由紀夫レター教室
2006年02月21日(火)  何かとツボにはまった映画『燃ゆるとき』
2005年02月21日(月)  『逃亡者の掟』(人見安雄)
2002年02月21日(木)  映画祭


2015年02月20日(金)  つなげる・つながる三連発@舞鶴・日星高校

いつかいつかと言っているうちは実現しない。
先延ばしの呪いを解く方法は、「いつか」の「か」を後ろにずらすこと。
「いつか舞鶴講演をやりましょう」と数年言い続けた後に、
「いつ舞鶴講演をやりましょうか」と具体的に相談を始めて、2013年の秋に地元舞鶴の有志の方々がアイデアとてまひまを持ち寄った手作りの「いまいまさこカフェ in舞鶴」が実現した。

そこに聞きにいらしていた西舞鶴にある日星高校の水嶋純作校長が「次は、ぜひうちの学校で話してください」と言ってくださり、昨年秋のオープンスクール(オープンキャンパスの高校版)に呼んでいただいて、日星高校に興味を持つ中学生のみなさんを中心に講演とワークショップに参加していただいた。

このとき初めてお会いした竹内万里子教頭(教頭先生は男性と女性お一人ずつ)が「次は、うちの生徒向けに話してください。牡蠣シャワー降らせますから」と口説いてくださった。
その場の勢いの口約束ではなく、その後も熱心にご連絡くださり、年末には手作りのぽん酢やロースハムを贈ってくださり、胃袋まで勧誘していただいて、3年連続の舞鶴講演が実現することになった。

今回は、在校生向けに講演とワークショップ、先生向けにもワークショップという3コマ連続で。

講演では、高校1、2年生を前に「脚本家はつなげるのが仕事」で「今の仕事が次の仕事につながる」ことを作品とともに紹介。脚本作りは接点探しから始まる。講演もまた同じ。「かつて高校生だったわたし、と、いつか大人になるあなたたち」という接点を意識してお話しした。

終始熱心に聞き入る子。興味のある話とない話で背中の角度が変わる子。うとうとしている子。反応はさまざま。45分の講演の中から、たったひとつでもこれからにつながる何かを持ち帰ってもらえたら、と願うばかり。

続いてのワークショップは1年1組と2組の子たちが教室から机と椅子を持ち込んで。講堂に教室が引っ越ししたような面白い眺め。「鳥獣戯画からドラマを作ろう」と題して、「(カエルは)なんで倒れてる?」「(サルは)なんで走ってる?」というハテナを投げかけることで想像をめぐらせてもらうグループワーク。昨年秋に堺市立新浅香山小学校で行ったワークショップと内容は同じ。わたしの小学二年生の娘が考えたストーリーを先に紹介して、「小学生より面白いこと考えてね」と発奮をうながしてみた。

小学生のときは「サルがカエルをいじめて逃げた」と考えたグループが多かったのだけど、高校生では「サルが盗みを働いて逃げた」と考えたグループが続々。でも、その盗みの内容はそれぞれ違うし、カエルが倒れたのも「仲間割れ」だったり「バク転で失敗した」だったり。

逃げているサルに「ジョニー」と名前をつけた男の子がいて、彼の妄想のぶっ飛び具合は、抜群だった。「場所は大阪っぽい砂漠」という表現からして、そそられる。「大阪っぽい砂漠ってどういう感じ?」と質問すると「たこ焼き型のピラミッドがある」と即答した瞬発力もさすが。そんな世界を駆け抜けるジョニーが盗んだものは「たらこ」。普段の授業では先生方も気づいていないかもしれないカラフルでカーニバル脳内宇宙を垣間見られた。



続いては、同じワークショップを先生方向けに。トランプを引いて4人一組の7グループに。

学校の先生の発想の豊かさとノリの良さには前々から感心していたけれど、日星高校の先生方ものっけからノリノリで面白がって取り組んでくださった。

「カエルはなんで倒れてる?」と問えば、「デッドボールを受けた」「原発事故から避難中に転倒した」「貴重なヘソをもぎ取られた」「運動会で第四コーナーを回りきれなかった」「万能な黄金の苗を手に入れたのに猿に奪われ絶望している」「うさぎ引っ越しセンターの引越し中に脳梗塞で倒れた」「仲間外れの猿が人気者のカエルに嫉妬して、カエルのぶら下がっている枝を追った」「酒を飲まされて二日酔い。飲ませた兎が猿に濡れ衣を着せようとしている」と7グループ7色、虹色の個性が光る「!」が返ってきた。

それぞれの発想から台詞を膨らませた実演発表も、ぶっつけ本番とは思えない完成度。なにせ毎日生徒を前に舞台に立っているわけなので、学校の先生の舞台度胸というのは大したもので、発表慣れしているし、声も大きいし、そこらの役者のワークショップよりも役者がそろっている。先生方の熱演を生徒に見せたら、「同じお題でこんなにいろんなお話が作れるのか、ここまで飛べるのか」と驚いてもらえるのではないだろうか。

日頃の教員研修とは趣の異なるワークショップで先生方も普段使わない脳の筋トレができた様子。大切なのは、この体験をどう次につなげるか。「投げる『?』を工夫すれば、面白い『!』が返ってくるかもしれない」という発見を、生徒達との関わりにどう活かしていくか。

質疑応答では「グループの中で意見が分かれたとき、どうまとめるのか」という質問があった。異なる意見のぶつかりあいが化学変化を起こすことで、石ころは磨かれ宝石になるのだけど、交通整理がうまくいかないと衝突、分裂で終わってしまう。慣れるまでは先生が進行役をつとめてクラス全体でアイデア出しをするか、グループごとに先生がつく必要があるかもしれない。大事なのは、自分と違う意見を否定しないこと、自分の意見を押しつけないこと、異なる意見からの新発見を楽しむこと。

アイデアを上手に「拾う」「つなぐ」ことができるチカラは、自分と異なる人と互いを尊重しながら渡り合うチカラになる。「石ころだからつまらない」のではなく「どこをどう磨けば光るだろう」と考えるだけで、宝の持ち腐れは宝の山に変わり得る。アイデアも、人も、クラスも、学校も。そのことを実践で試すことができるのは現場にいる先生達。今日のワークショップの石ころがこれからの学校生活のさまざまな場面で磨かれますように。

2013年02月20日(水)  片道何時間もかけて学びに来る人
2011年02月20日(日)  4月からはカレとはなればなれ
2010年02月20日(土)  朝ドラ「つばさ」ファンサイトと#tamaki283
2008年02月20日(水)  整骨院のウキちゃん4 「ティ」ってどうやって打つの?編
2007年02月20日(火)  ヘレン絵本四刷できました
2004年02月20日(金)  いい履歴書の書き方
2002年02月20日(水)  別世界


2015年02月17日(火)  誕生日、一週間違いでした。

朝ドラ「てっぱん」でご一緒した脚本家の関えり香さんが、わたしの誕生日にお祝いメッセージを寄せてくれ、ひさしぶりに会いましょうということに。

「お誕生日プレゼントです」と木箱に入った蜂蜜を差し出してから、
「わたしも誕生日だったんですよー」。

今井が2月9日で、その一週間後の16日が関さん。
「覚えやすいねー」と言ってから「前にもこの話をしたような」。
誕生日を祝うのも祝われるのも好き!
なのに、人の誕生日をなかなか覚えられないわたし。
備忘録も兼ねて書き留めておきましょう。



水瓶座同士で、お酒好きおしゃべり好き同士で、時々会って尽きない話をするのが楽しくて、お互いの苦労話を一緒に笑い飛ばせる人。

関さんが脚本を書いた瀧本美織ちゃん主演ドラマ「フラガールと犬のチョコ」は、3月11日よる9時テレビ東京で放送。あかりからすっかりオトナになった美織ちゃんを観るのも楽しみ!


2013年02月17日(日)  春を待ちわびる気持ち
2011年02月17日(木)  押忍!della collina
2010年02月17日(水)  「人生で今がいちばん楽しい」と言う人
2009年02月17日(火)  桜えび×すりおろし野菜のやきやき料理
2008年02月17日(日)  東京マラソン2008当日
2007年02月17日(土)  マタニティオレンジ80 はじめての風邪
2006年02月17日(金)  学生新聞「キャンパス・スコープ(campus scope)」取材
2005年02月17日(木)  魔女田さんの新作『平成職人の挑戦』
2004年02月17日(火)  オーマイフィッシュ!


2015年01月19日(月)  【たま語】ママはやくおおさかにかえってよ

お風呂から上がった娘のたまが、テレビの前でじっとうずくまっていた。
どうしたの?と声をかけると、突然、こわい顔して、
「ママはやくおおさかにかえってよ!」
と言いだした。

え? 何? と面食らっているわたしに、
「どうしてかぞくをすててとうきょうにきたの?」
と泣きそうな顔で言い募る。

ひとまず落ち着かせて、一体どうしてそんなこと言うのと聞いたら、
「ママはおおさかにいるときのほうがわらってる」と言う。

「わたしのことはいいから、ママひとりでかえってよ」
と一人で感情をたかぶらせているので、
こっちはついていけなくて、
わたし何かやらかしちゃったっけとオロオロしていたら、
うずくまっていたたまの足下に、わたしの出身大学の応援団の団誌があった。
年に一回送られて来る現役の活動報告誌みたいなものだ。
それを見て、たまの中で「ママのふるさと→大阪→ママはかえりたい」と連想ゲームが始まり、「いつかわたしをすてていなくなっちゃうくらいなら、いっそ今いなくなってほしい」となって感情が爆発してしまったらしい。

小学2年生の思考回路もなかなかフクザツだ。
いや、たまがややこしいのか。
ときどきこんな風になっちゃうたま。
感情のほとばしりに整理が追いつかない。
自分でも自分を持て余しているんだろうな。
「大丈夫。ママは今幸せだし、大阪に帰りたいなんて思ってないよ。大阪にいるときも笑っているけど、東京にいるときも笑ってるでしょ」と言い聞かせると、ようやく落ち着いた。

あなたのそばが、ママのいる場所なんだからね。

2011年01月19日(水)  鯛夢出鳴門円也=Time is priceless?
2010年01月19日(火)  何をしていたのかよくわからない日
2008年01月19日(土)  2〜4週間で効く薬
2007年01月19日(金)  夕刊フジ「ギョーカイ有名高校人脈」
2006年01月19日(木)  ミヒャエル・ゾーヴァ(Michael Sowa)の世界


2014年11月18日(火)  「びりっかすの神さま」収録

「アクアリウムの夜」以来のNHK-FM青春アドベンチャーを書きました。

大阪の小学校で長らく図工の先生をされていた児童文学作家の岡田淳さんのロングセラー「びりっかすの神さま」を全5回で。



小学二年生の娘は、本の表紙を見て、「あ、学校の図書室にある!」と反応。図書室でも図書館でも熱く支持され、読書感想文で取り上げられることも多いようですが、現役小学生はもちろんのこと、かつて小学生だった大人たちにもずしりと響くメッセージを投げかけてくれます。

「なんのためにがんばるのか」という普遍的なテーマを、光の当て方を変えながら訴えかけるストーリーは、ページをめくる手がどんどん加速。人生のできるだけ早いうちに出会っておきたい一冊。

舞台は小学校の四年一組。

「不思議屋旅行代理店」(「エンゲルハンス島の謎」「過去に架ける虹」)でご一緒した演出の吉田努さんからお話をいただいたのが、ちょうど堺市の新浅香山小学校へ授業をしに行く頃。このタイミングもご縁でしょうか。

出演は、びりっかすの神さま役にオフロスキーの小林顕作さん、びりっかすの神さまが最初に見える転校生の木下始役に田村睦心さん。マグネティックな声の方々がセリフにいのちを吹き込んでくださいます。

こないだの日曜日の顔合わせ、本読み。
二次元の物語が三次元に立ち上る瞬間に立ち会えたようで、ワクワク、ゾクゾクしました。


そして、今日は収録。
台本の1ページ目から順録りで。
どんどん物語ができあがっていくさまに、やはりワクワク、ゾクゾク。
NHKオーディオドラマのサウンドデザインにも、いつもながら、ほう、となり。

これに効果音をつけて、音楽をつけて。
ドラマを完成させるのは、聴いてくださるみなさまの想像力。
12/15(月)-19(金) 22:45-23:00 ぜひ。
NHK-FMを受信できなくても、パソコン・スマホがあれば、ネットラジオ「らじるらじる」でも聴けます。

【出演者】
田村睦心 小林顕作 ザンヨウコ 中嶌聡 良田麻美 
久野美咲 渡辺明乃 薬丸夏子 川澄綾子
【原作】岡田淳
【脚色】今井雅子
【スタッフ】
演出:吉田努
技術:坂野伊和男
音響効果:畑奈穂子
選曲:黒田賢一
>>>青春アドベンチャー放送予定

ところで、小林顕作さんは、「小平市観光まちづくり大使」。
名刺を配られていたので、わたしも「実は……」と堺親善大使名刺を配らせていただきました。
小平市はブルーベリーの産地なのだそう。
「名刺、ドサッと送られてきませんか?」と聞いたら
「ぼく、もう500枚配りましたよ」。
なんと働き者の大使!
わたしもしっかり配らねば。

2011年11月18日(金)  年賀状の文面を考えて「顧」
2010年11月18日(木)  朋あり遠方より来る。パンを携えて。
2009年11月18日(水)  「黙らせろ」と言われても
2006年11月18日(土)  アーロンバシャ(Aaron Basha)のBaby Shoes


2014年11月17日(月)  【たま語】年月というものはきまぐれなものなのだ

わたしが夜お仕事の日は、じいじばあばの家に預けられる、たま。

そこでは、昭和な時間が流れていて、掘りごたつの机で、カレンダーの裏に落書きしたりして過ごしているようです。

先日カレンダーの裏に書いたのは「年月は、はやい」という作品。


年月ははやい

(年月というものは、すぐさっていくものだ)
(なのに人げんは、そのじかんをだいじにしはしない)と、けい太はいつも思っている。そこで母さんに聞いた。年月というのはどういうことかを。
母さんは、言った。「年月は、ときのながれよ。」
でもぼくは、こう思った。(年月は、時間を、たのしんだり、かなしんだりする。)ものと思う。
(だからぼくは、いやみんなもこの年月をあじわったらいい。)と思った。
そう思いながら一年がたった。
やっぱり年月は、はやい。
よくかんがえてみたら、(ぼくは、10さい これまで10年間の年月をすごした。)
(なのに、なぜだろういいことをかんがえると、わるいことがおき、わるいことをかんがえるといいことがおこる)
(だから年月というものはきまぐれなものなのだ。)
母も父さんも(みんなきまぐれ)だけど一ばんきまぐれなのは年月だ。だってぼくはいのちを大切にしたいから年月を大切にしたいからなんだ。
ぼくはこのままでいいんだ
自分をすきになっていいんだ。
大すきだぞ。いのち、年月
おしまい


( )に囲まれた部分は、頭の中で考えていること、らしい。
「カレンダーから思いついたのかしらね」とダンナ母。

あるときは詩人、あるときは哲学者。でも本人は無自覚。そんなたまの言葉は、ツイッターのたま語に集めています。

2013年11月17日(日)  ビターシュガーな夕食
2011年11月17日(木)  「難」解→南海→難波→難儀
2010年11月17日(水)  ママのおしごとって、すてきだとおもうよ。
2009年11月17日(火)  八百屋さんで「ママください」と父のホック
2007年11月17日(土)  出張いまいまさこカフェ6杯目 「脚本で食べていく」
2006年11月17日(金)  関西映画『メアリ』!?
2005年11月17日(木)  『天使の卵』ロケ見学4日目 電車でGO!
2002年11月17日(日)  学園祭


2014年10月31日(金)  「伝力」講演のはじまりの地、京都へ。

明日11月1日、京都大学教育学部の同窓会総会で講演を行います。

京都での講演といえば、2011年3月20日に京都大学応援団OB会のいぶき会総会での講演が思い出されます。

3月11日に震災があり、呆然として何も手につかず、講演で何を話せばいいのかと途方に暮れていた震災数日後の新聞の片隅、風刺投稿の小さな小さなコラムに目が留まりました。

「足りないもの 伝力。東京電力」

とありました。原発について、計画停電について、情報が錯綜し、安心させるつもりの情報発信がかえって不安をあおっている状況を電力にかけて「伝力」不足と揶揄したものでした。

この伝力の二文字で、目の前の霧が晴れたように思いました。何を書けばいいのか、何を話せばいいのか、無力感で凍りついていたわたしに「脚本家には伝力があるじゃないか」と気づかせてくれたのです。

脚本を書くことは連想ゲームに似て、想像力を働かせ、石ころを磨き、光らせる作業。最初から光る石は落ちていない、石ころを磨いて光らせるのは自分。宝物は自分の中にあって、それを宝の山にするのも宝の持ちぐされにするのも自分次第。

講演で話したいことが見え、体に力が入るようになりました。あの京都講演で誰よりも力づけられたのはわたし自身だったかもしれません。

3年のときが流れる間に「なんで?とそんで?で光らせる」という新しいキーワードが生まれ、そちらの伝道に力を注ぐようになり、講演で「伝力」のことを話すことは減ってきました。

でも、わたしにとって転機となった京都での講演、今回は「伝力」のことをお話したい、とパワーポイント原稿に「足りないもの=伝力」のページを一枚加えました。

講演では「日常はドラマの宝庫 石ころ式脚本の作り方」と題してお話しします。聞きに来られる方に、磨きたくなる石ころを持ち帰っていただけるよう、伝力を働かせたいと思います。

2013年10月31日(木)  議論反論ハロウィン・ガールズ
2012年10月31日(水)  島袋千栄さん個展×わにのだんす
2011年10月31日(月)  安田真奈さん→びたしゅが打ち上げ「電」
2010年10月31日(日)  motherways(マザウェイズ)で子ども服
2009年10月31日(土)  初めての短編小説「クリスマスの贈りもの」
2008年10月31日(金)  『ぼくとママの黄色い自転車』初号試写
2006年10月31日(火)  マタニティオレンジ24 体重貯金
2005年10月31日(月)  もしも、もう一度子育てができるなら。
2004年10月31日(日)  ご近所の会@タンタローバ
2002年10月31日(木)  青年実業家


2014年10月14日(火)  「政界のジャンヌ・ダルク」との思い出

縁あって、土井たか子さんと映画を一本観て語る時間をご一緒したことがありました。日記を読み返すと、ちょうど10年前。まだマッキャンエリクソンでコピーライターをしながら脚本を書いていた頃でした。数々の逸話、様々な印象を残して立ち去られた方ですが、わたしが受け取った言葉や想いを知っていただけたらと思い、その日の日記をシェアします。

2004年08月26日(木) 土井たか子さんと『ジャンヌ・ダルク』を観る

2013年10月14日(月)  おじゃる丸「銀河がマロを呼んでいる」をプラネタリウムで
2012年10月14日(日)  「石ころを宝石に」先生たちと6時間
2011年10月14日(金)  歓喜のuguisu
2010年10月14日(木)  「ママ、ヘタクソにうんだ!」事件
2009年10月14日(水)  Macのマウスが暴走して困ります
2008年10月14日(火)  このごろの、たま語
2004年10月14日(木)  PLAYMATE 第5弾!『SWAP 2004』
2002年10月14日(月)  四あわせの五円玉


2014年10月08日(水)  「100円でいいからください」の人

先週のこと。毎週水曜の定例打ち合わせに出た帰り、渋谷駅に向かって歩いていたら、誰かに声をかけられた気がした。

なんと言われたか、咄嗟には意味を汲めなくて、立ち止まって振り返ると、消え入りそうな女性の声が、さっきと同じ言葉を呪文のように繰り返していた。

「100円でいいからください。100円でいいからください」

女性は長めの裾のすぼまったスカートをはき、くるぶし丈の靴下をはいていた。
髪は真っ白で、年齢は70歳前後に見えた。

繰り返される「100円でいいからください」に足を留める人はいない。
彼女自身に向けられているようにも聞こえるか細さで、自分に向けられた言葉と思わない人も多いのかもしれない。

呼び止められたように思い、実際足を止めたわたしも、それ以上彼女に近づけなかった。

「100円でいいからください」と言われて、100円だけ差し出すべきなのか。
もう少しまとまったお金を差し出すべきなのか。

わたし自身も貧しかった学生時代、貧乏旅行で訪ねたアメリカで、電車賃をくれないかと手を差し出され、小銭を渡して「いつまでもこんなことをしていていいの?」と声をかけたら、手のひらに涙が落ちて来たことを思い出した。あの人は、小銭で救われたのではなかった。

自由に使えるお金がふえた社会人になってからの旅行で訪れたバリでは、百円玉をにぎりしめて「チェンジ」と両替を頼んで来た子どもたちがいた。「100円でいいから」を集めた結果、まとまったお金になったのだ。だとしたら、目の前の彼女に差し出すわたしの100円は、それだけでは微力でも、誰かの100円とあわされば、彼女を助けられるのではないか。

だけど、ただお金を差し出すのがいいことなのか、とも考える。

だったら、どこかお店に一緒に行って、好きな物を食べてもらって、彼女の話を聞かせてもらう代わりにごちそうするのはどうだろう。
いい考えのような気もしたけれど、それは彼女が求めていることではなく、わたしが差し出したいことであって、こちらの意思の押しつけではないかと思い直した。

100円渡そうと、1000円渡そうと、焼け石に水ではないのか。
こういう人こそ生活保護を受ける対象なのではないか。
だったら、彼女の住んでいる町の役所について行って、一緒に申請するのがいいのだろうか。
それもまた、彼女が望んでいることがどうかを確認してからでないと……。

頭のなかをいろんな考えが飛び交ったのは、時間にすれば短い間のことで、結局わたしは彼女に背を向けて駅へ向かった。その背中に「100円でいいからください」の声が突き刺さった。

わたしはどうしたら良かったのか。

彼女のことが頭の片隅から離れなかったせいか、その後、わたしの住む町でも、お金に困っているらしき方を二人見かけた。一人は自動販売機のおつりの返却口に指をつっこみ、小銭を求めていた。わたしが小さい頃、同じことをしている男性を駅でよく見かけた。老いた犬を連れたその男性は、誰かの忘れた小銭で生活しているのだった。もう一人はベンチを寝床にしている男性。このベンチには住人がいたりいなくなったりする。人が入れ替わっているのかどうかはわからない。

渋谷の女性も、わたしの町で見かけた男性二人も、いずれも高齢の方だった。仕事を見つけるのも大変なのかもしれない。渋谷の女性が「100円でいいからください」と訴えるようになるまでには、どんな挫折と葛藤があったのだろうか。

今週彼女がいたら声をかけてみようと思って同じ道を歩いたけれど、「100円でいいからください」の声は聞こえなかった。

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