2005年10月31日(月)  もしも、もう一度子育てができるなら。

最近、わたしのまわりは赤ちゃんづいている。今日は大阪に帰ったついでに、妹夫婦の長女ともよちゃんと、義弟夫婦の長男はるき君に会ってきた。「赤ちゃんがかわいらしいのは、愛されるために神様がそう創ったのだ」という話を聞いたことがあるが、黒目80%のつぶらな瞳に引き込まれ、表情の微妙な変化を眺めているだけで、時間が過ぎてしまう。ちょこっとでも笑ってもらえたらメロメロ、泣かれたらオロオロ、でも何されてもヨシヨシ。たまに会うから身勝手なおばさんできるのだけれど、甥っ子姪っ子はまるごとかわいい。

ご近所仲間ではロンドンのY夫妻に2月に長女ゆきちゃんが誕生したのに続き、8月には歩いて五分のところに住むK夫妻に長女まゆこちゃんが誕生。家で仕事しているわたしは、ちょくちょくお邪魔させてもらい、会うたびに微妙にでも着々と成長しているまゆこちゃんの変化に立ち合わせてもらっている。「赤ちゃんは幸せを運んできてくれるって本当だね」とまゆこママのきょうこちゃんは言い、ゆきママのいづみさんは「ロンドンの助産婦さんがこんな素敵な言葉を贈ってくれた」とDiane Loomansという人の書いた詩"If I had my child to raise over again"を紹介してくれた。いい言葉だなあと思ったので、Y夫妻の協力を得て、日本語訳をつけてみた。
If I had my child to raise over again,
I'd finger-paint more and point the finger less.
I'd do less correcting and more connecting.
I'd take my eyes off my watch, and watch with my eyes.
I would care to know less and know to care more.
I'd take hikes and fly more kites.
I'd stop playing more serious, and seriously play.
I'd run through more fields and gaze at more stars.
I'd do more hugging and less tugging.
I would be firm less often, and affirm much more.
I'd build self-esteem first, and the house later.
I'd teach less about the love of power,
and more about the power of love.

もしも、もう一度子育てができるなら、
指差してお説教するかわりに、指でお絵かきしよう。
間違いを探すより、触れ合いを増やそう。
時計を見るより、わが子を見よう。
知識を気にかけるより、思いやる気持ちを知ろう。
山登りをしたり、凧揚げをしたりしよう。
まじめぶるのをやめて、まじめに遊ぼう。
もっと野原を駆け回ったり、もっと星を眺めたりしよう。
ダメと押さえつける代わりに、いいよと認めてあげよう。
厳しく縛りつける代わりに、優しく抱きしめてあげよう。
自信を築き上げるのが先で、家を築くのは後でいい。
力を愛することより、愛の力について教えよう。

By Diane Loomans 今井雅子訳

詩といえば、きょうこちゃんが「本屋で立ち読みしたら涙でぐしょぐしょになってしまったので、責任取って買いました」という絵本『わたしがあなたを選びました』を読ませてもらった。これから生まれようとするおなかの中の赤ちゃんが、まだ見ぬ、だけどつながっているお父さんお母さんに期待や不安やお願いを語りかける。産婦人科医である著者・鮫島浩二さんは、「赤ちゃんを想像するお産」を提唱していて、どうやったら母となる妊婦たちが胎児の気持ちに思いをはせやすいだろうと考えたとき、あふれ出した言葉が詩になったとのこと。 この詩のコピーが共感を呼んでお母さんの手から手へ広まり、植野ゆかりさんの絵が添えられて絵本になったそう。作品のお産もまたドラマティック。

2004年10月31日(日)  ご近所の会@タンタローバ
2002年10月31日(木)  青年実業家

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