2008年02月17日(日)  東京マラソン2008当日

一週間前からにわかに楽しみになった東京マラソン当日。娘のたまは昨日のうちにダンナの実家に預け、昨夜は11時に就寝。今朝は6時起床、緑茶と焼いた餅、ガトーショコラの生クリームがけとカフェオレのパワーブレックファストを胃に納め、フルマラソンに出るダンナとともに7時に家を出る。昨年の冷たい雨とは打って変わって、よく晴れたマラソン日和。コンビニでチョコレートを仕入れ(はじめて見つけた小枝の「大樹」版)、8時前に新宿に着くと、湯気が立ちそうな気合い十分なランナーが続々西口へ。

ずいぶん余裕を持って出かけたつもりなのに、あっという間に「荷物締切10分前!」とマイクの声。ずらっと数十台停まったトラックの指定された号車に荷物を預けるのだが、わたしがめざすトラックはいちばん奥のほうで、なかなかたどり着けず、心細い思いをする。荷物を預けると、今度はスタートラインへ。走る前にトイレに行っておこうと思ったのに、長蛇の列。「もっと先にもトイレはあります」と係員に言われたのだけど、それを見つける前にスタート位置に着いてしまった。携帯電話も手荷物で預けてしまったので時間がわからず、今からトイレに行って間に合うかなあとぐずぐずしている間に、後から後から人が来て身動きできなくなる。結局30分ぐらい待たされる間、底冷えする寒さも手伝って、「トイレに行っときゃよかった」と悔やみ続ける羽目に。

9時10分スタートするものの前がつかえてノロノロ。スタート地点にたどり着くまでに10分ほどかかる。道路脇の生け垣には脱ぎ捨てられたビニールポンチョの山。エントリーで配られた一式に入っていたもので、待ち時間の冷え防止に大いに役立ったが、走り出したら無用で、大量のビニールゴミが発生することに。「エコ大会」をうたっているけれど、これはリサイクルできそうにない。給水所の紙コップも使い捨てだし、無料で配られたアミノバリューの手袋もボトボト捨てられていたし、ゴミは必要悪なのかなあと思いながらスタート地点を超える頃には人もばらけて走れるようになった。こごえて縮こまっていた手足を動かすのが気持ちいい。新宿の高層ビルの間を駆け抜けるのも贅沢。手を上げて携帯で風景を撮るランナー多数。昨年聞いた山手線ガード下の大立ちション大会は今年も実施され、「やだあ」「信じられない」と女性ランナーの困惑した声が上がっていた。歌舞伎町辺りで東京大学応援部が発していると思われる「T・O・K・Y・O TOKYO レッツゴー」コールが聞こえてきて、応援団出身のわたしには何よりのエールとなった。

「3キロ」のボードを通り過ぎても足は跳ねるように軽快に動き、まわりのランナーと肩を並べて走っている感覚。少し前を行く体格の似た女性についていくように走ると、ペースを作ってもらえて楽だった。だが、5キロ前に彼女が下がってしまい、わたしも疲れが出はじめる。体力と気力は残っているのだけれど、足が持ち上がらない。コースがよくわかっていないので、ペース配分ができないのも辛かった。先週飯田橋を通りがかったとき、「この辺りが7キロ」とダンナが言ったのを信じていたのに、飯田橋を過ぎて「6キロ」のボードを見つけたときは泣きそうになった。

あとは1キロ刻みでどんどん足が重くなり、苦しさは増すばかり。日が高くなってきて、アスファルトの照り返しがじりじりと肌を焼く。喉が乾くけれど、トイレに行きそびれた下半身からは「容量オーバーです」の悲鳴が上がっていて、ここは我慢。大音量のYMCAに合わせて歌い踊る集団や沿道からの声援に励まされ、ミツバチや魚のコスプレに目を楽しませ、なんとか前へ前へ進む。8キロから9キロがいちばんきつかった。怒涛の100人、いや1000人抜き(去られ)を味わい、後ずさっているような錯覚を覚える。「ゴールこちらです」の声に誘導されて左へ折れたら「トイレこちらです」で、がっくり。その先に「9キロ」のボードがあり、あと1キロもあるのかと愕然となった。

ラストスパートどころか惰性のようによろとろ走ってゴールを踏んだとき、電光掲示板の時計は1:13:51。先週走った感触から70分ぐらいで走れたら上等と予想していたが、スタートラインを踏むまでに10分程度かかっているので、60分前後で走れたことになる。タイムは靴に取りつけたチップから計測されるのだが、スタートラインを踏むまでの経過時間を引いた正式タイムが3月中旬に発送されるとのこと。

フィニッシュ地点から日比谷公園に入ると、立て続けにアミノバリュー飲料、東京水、ソイバー(カロリーメイトみたいなもの)、青森りんごを配られる。水分も固形物もおいしく、体が生き返るよう。青森りんごを丸かじりしていると「ひとことお願いします」とビデオを構えた青森りんご関係者が近づいてきた。みずみずしくて最高!と絶賛。走った後のりんごは水分補給にもなる。ニュースで「今年はバナナ増量」とやっていて、食らう気まんまんだったのだが、10キロまでは配られなくて残念。計測チップと引き換えに完走メダルを受け取る。手荷物の受け渡しもスムーズで、第一回の反省をもとに、運営はかなりスマートになったよう。

月桂樹をかぶって記念写真を撮ってもらい、ガクガクの足で階段を上り下りして人形町へ移動し、30キロ付近で応援。道路の反対側は浅草へ向かう往路のランナーたち。皆、疲れているのだろうけれど、晴々としたいい顔をしている。10キロで音を上げていたくせに、フルマラソンを走ってみたい気持ちになってしまう。応援の合間に日本テレビの中継を見る。今年は芸能人やアナウンサーのランナーを追いかけたり、注目する一般ランナーを取り上げたりしてドラマを盛り上げていて、24時間テレビを見ているような感じ。ところどころ、そこまで感動を売りつけなくてもと思うところはあったけれど、走っている姿を映すだけで十分だと感じるのは、自分が走ってきたばかりで感情移入しやすくなっていたせいもあるかもしれない。

マラソン大会なるものに参加してみて、いちばん面白く感じたのは、「みんな違って、みんな一緒」ということ。老若男女、いろんな国の人、障害や病気を抱えた人、有名な人無名な人、みんな、ロードに出てしまえば、同じ距離を走りきるしかない。同じ数の坂を登り、同じ気温に耐え、同じゴールに向かってひた走る。頼れるのは自分だけなんだけど、一緒に走る人たちや沿道から声援を送る人たちとの一体感が力をくれ、自分を限界より先へと押し出してくれる。それがマラソンの醍醐味なのだと感じた。応援団出身のわたしは、自分が走るわけじゃないのに、自分のことのように一生懸命応援する沿道の人たちの姿にじーんとなった。そんな人たちに「ありがとう」「みんなも頑張って」と応援返しをするランナーの爽やかな姿にも感動した。使命感を持って生き生きと働くボランティアもまぶしかった。みんながみんなを応援しあって、笑顔と元気が飛び交って、東京ってすばらしい街だ、日本ってすばらしい国だ。うれしさや感謝の気持ちがこみあげて、走れば走るほど、体にたまった毒がどんどん抜けて行くようだった(乳酸がたまる5キロ地点までの話)。

少し前に読んだ新聞記事に、最近のマラソンブームは「ゆるい連帯感」(※後で記事を掘り出したところ、正しくは「ゆるやかな連帯」)が受けていると書かれていたことを、走りながら思い出した。連帯責任の重圧はないけれど、同じゴールを目指す同志がいる心強さに後押しされて、一人ではできないことを成し遂げられる。一致団結して力を合わせるチームワークとは違い、まわりの力を取り込んで自分のものにするゆるさ、ゆるやかさがある。願掛けで走る人、自分の殻を抜け出したくて走る人、メッセージを発信するために走る人……それぞれ背負うものは違っていても、同じゴールを見つめ、気持ちを向ける波長は、不可能を可能にするような大きなうねりを生み出す。わたしも走っているうちに、体の奥から力が湧いてきて、なんだってできそうな気がしてきた。気持ちが前へ前へと運ばれて、大きな手に背中を押された一日だった。

2007年02月17日(土)  マタニティオレンジ80 はじめての風邪
2006年02月17日(金)  学生新聞「キャンパス・スコープ(campus scope)」取材
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