2008年10月31日(金)  『ぼくとママの黄色い自転車』初号試写

この夏に撮った『ぼくとママの黄色い自転車』の関係者初号試写が今日あった。「初号」とは完成版の第一号。初号より前の版は「0号」と呼ばれる。となると、初号に改訂が加わったものは「2号」「3号」と数字が増えていくのだろうか。脚本の「2稿」「3稿」みたいに。今度プロデューサーに聞いてみよう。撮影が終わってからの編集作業には数か月かかるので、「あの作品どうなったかなあ」と気になった頃に初号試写の連絡が入る。

初号試写は、シーンがつながって音と絵が組み合わさって一本の作品となった初めてのお披露目。制作スタッフや出資者はもちろん、作品を観て小屋を開けるかどうか決める劇場主や、ノベライズやコミック化などを検討中の出版関係者が品定めにやって来る。わが子はかわいいけれど、皆様のご期待に応えられているだろうか。「思っていたのと違う」という落胆の声や「なんでここはこうなったんだ?」という疑問の声が飛んでこないだろうか。作り手は「まな板の上の鯉」になって審判を仰ぐ。

脚本家は微妙な立場で、出資者をはじめ作品の実現に尽力してくださった方々の反応はもちろん気になるけれど、それ以上に「自分の書いた脚本がどう料理されたか」が気になる。この台詞はこんなニュアンスで言ったのか、このシーンはこういう場所をロケ地にしたのか、ここの芝居はこういうテンションでやったのか……。予想通りのこともあれば予想外のこともあり、答え合わせのような見方になってしまうから、初号を観るときは作品を味わうところまで行けない。自分では冷静な評価ができないから、観ている最中や観終わった後の客席の反応をうかがうことになる。

さてさて、本日の試写はいかに。1回目の上映が終わって30分ほど後に2回目が組まれていたので、1回目を観終えた人が2回目を見に来た知り合いに感想を伝えるところに居合わせることができた。「よかったよ」「安心したよ」といった好意的な声を聞けて、まずは安心する。控え室の前を通りがかると、金髪に日に焼けた肌の恰幅のいい男性がプロデューサーと話していて、その方が原作者の新堂冬樹さんだった。原作『僕の行く道』の繊細さと対極にあるような迫力オーラがあった。

座席に着くと、「さっきの試写で、あの○○さんが泣いたらしいよ」「俺も泣いちゃうかな」などとスーツ姿のおじさまたちが実にうれしそうに盛り上がっていた。男の人にとって、泣くということはイベントなんだなあ。上映が始まると、本当にあちこちから涙の気配。答え合わせに忙しいわたしは感情移入に出遅れたけれど、河野圭太監督が本作りのときからこだわっていたラストの一瞬に、不覚にも涙を誘われた。監督が「こうしたい」と力説していた場面が見事に表現されていて、すべてはこの一瞬のためのホンだったんだと腑に落ちつつ、一観客として感動できた。「泣ける」ことが作品の出来を保証するとは思わないけれど、終映と同時に湧き起こった拍手はこれまでに立ち会ったどの初号試写よりも大きなもので、関係者のお愛想以上の熱がこもっていた。

帰りの電車が途中駅で急行の通過待ちをしていたとき、「今見てきた映画、すばらしかったよ」と興奮した声がホームから聞こえて来た。思わず目をやると、携帯に向かってまくしたてているのは、試写室でわたしの前の席に座っていた男性。「社長に伝えといて」と電話を切ったその人は、すぐさまもう一件かけ、「観てきたよ、よかったよ」と繰り返した。出資者関係の方だろうか。いち早く伝えずにはいられないほど気に入っていただけたんだとうれしくなり、新宿ピカデリーで『P.S.アイラブユー』(偶然だけど、この作品も「愛が届けさせた手紙のトリック」が物語の鍵を握っている)を観る前に入った無印良品カフェでワインを注文してしまう。外で一人でお酒を飲むなんて、初めてだったかもしれない。

2006年10月31日(火)  マタニティオレンジ24 体重貯金
2005年10月31日(月)  もしも、もう一度子育てができるなら。
2004年10月31日(日)  ご近所の会@タンタローバ
2002年10月31日(木)  青年実業家


2008年10月30日(木)  「FM COCOLO」のいとう真弓さんと再会

『パコダテ人』公開のとき、ラジオに出演して作品を語る機会があった(>>>2002年6月30日 FM COCOLOで『パコダテ人』宣伝)。パーソバリティのいとう真弓さんは、大学時代の応援団で同期だったトンちゃんの妹マーちゃんの高校時代のテニス部同期。「わたしの友だちに映画紹介の番組持ってる子がいるで」とマーちゃんが紹介してくれた。

それから、あっという間に6年あまり。朝ドラ『つばさ』に脚本協力として関わるようになり、コミュニティ放送のことを読んだり調べたりして、FM COCOLOやいとうさんのことを思い出していたら、いとうさんから「東京に引っ越して来ました」と連絡があった。この6年まったく音沙汰なかったのにこのタイミングで連絡が来るのも何かの縁。ドキドキしながら渋谷のイタリアン・クッチーナでランチ再会となった。

いとうさんは今はパーソナリティを辞められて、東京に来て新しい仕事を始めたのだけど、そちらの仕事もわたしの脚本業と接点があり、また何かでご一緒できるかもと話す。あとは、お互いの仕事の話、共通の友人であるマーちゃんの噂、東京のおいしいお店紹介などをしていると、あっという間に1時間半。いとうさんは沖縄料理が好きで、一人でお酒を飲める人だとわかった。考えてみれば、いとうさんとは番組出演のときにお話ししただけで、お互いのことをあまりに何も知らないのだった。

友だちの友だちは友だち。人の縁って面白い。

2005年10月30日(日)  同窓会は最高のセンセイ
2004年10月30日(土)  グリー(gree.jp)1か月
2002年10月30日(水)  2002年10月に書いたもの


2008年10月28日(火)  シナトレ12 こじつけ解釈で発想を鍛える 

娘のたまと「テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ」とロシア民謡の『一週間の歌』を歌っていたら、「つまらない女」とダンナが言い放った。機嫌良く歌っている妻と娘のことではなく、歌の主人公のこと。ヒマすぎるにもほどがある。そんなヒマを自慢なんかして、つくづくつまらない女だと言う。

「違うよ。これは恋人にかまってほしい嘆きの歌だよ」と咄嗟に口から出た反論に自分で驚いた。子どもの頃はそんなこと考えなかったはずだけど、数十年ぶりに再会したら、歌の解釈が変わっていた。たしかに歌詞は能天気だけど、あの物悲しいメロディに乗せると、自虐を込めた恨み節のほうがしっくり来る。

テュリャテュリャを除いた『一週間の歌』の歌詞をつなげると、こうなる。

 日曜日に市場へ出かけ 糸と麻を買って来た
 月曜日にお風呂をたいて 火曜日はお風呂に入り
 
水曜日に友達が来て 木曜日は送っていった

 金曜日は糸巻きもせず 土曜日はおしゃべりばかり

 恋人よ これが私の 一週間の仕事です



彼女は彼のために何か手づくりするつもりで糸と麻を買ったのだけど、彼のことが気になって何も手につかない。ぼんやりしているうちに焚いたお風呂のことを忘れて日付が変わり、湯船の中でも想うのはあなたのことばかり。水曜に来て木曜に送っていった女友達は、そんな彼女の恋の相談につきあって泊まっていったのだ。金曜になっても糸巻きする気分にはなれず、土曜日はまた女友達に話を聞いてもらっている。あなたのせいで悶々として、そんな一週間なのよ……。子ども向けの歌詞では恋人は「ともだち」になっているけれど、呼びかける相手は「恋人」でなくっちゃ。

糸巻きからの発想で歌の主人公を女だと決めつけているけれど、男説も否定できない。糸と麻を買わされる男は、妻にこき使われている。子どもが多いので、月曜日に風呂をたいても全員入れ終えて自分が入るのは日付が変わってから。妻は怠け者で、友だちが泊まりに来ては家事をさぼり、金曜は糸巻きもせず、土曜はおしゃべりばかり。そんな妻とたくさんの子どもたちの相手をするのが、俺の一週間さと嘆いている。一週間ぶりに会った恋人に膝枕で耳掃除でもされながら愚痴を聞いてもらっているのかもしれない。

世間ではどんな解釈があるのかと気になって「一週間の歌」をネットで引いてみると、この歌について思うところある人の多いことがわかった。「『一週間の歌』のよう」に生きたいと憧れる人、生きる気力をなくした友人の生活を「『一週間の歌』のよう」と心配する人。ある人にとっては、スローライフ、ある人にとっては自堕落な生活の代名詞になっている。「『一週間の歌』の作者はマフィアの男で、市場で買った麻とは大麻のこと。金曜は黙秘したが、土曜に自白してしまった」という大胆な説もあった。この場合、歌いかける相手は共犯者になるから「ともだち」のほうがいいのかもしれないけど、恋人で共犯者というのも色っぽい。

視点を変える、発見する、こじつける、膨らませる。ひとつの歌を様々に解釈する頭の体操は、発想力を鍛えるトレーニングになる。脚本作りの打ち合わせの現場では投げられたボールを瞬時に打ち返す反射神経が試される。先日の『万葉ラブストーリー』イベントのトークで出された万葉集の歌を咄嗟に「女の子から男の子へのプロポーズの歌」と解釈したのも、日頃の筋トレが役立ったのだと思う。

「こじつけ力」は脚本家の身を助けるだけでなく、マスコミなどの入社試験の創造力テストでも役に立つ。わたしが受験した広告会社の入社試験の最終問題は、「『馬の耳に念仏』を自分なりに解釈して1000字で述べよ」というもの。競走馬の耳元で騎手が「負けたら馬刺にするぞ」と唱え続け、馬鹿力を出せて馬を勝たせたというホラ話が受けて、コピーライターとして採用された。

2008年10月3日(金) シナトレ11 台詞の前後を考える
2008年5月7日(水) シナトレ10 ラジオドラマってどう書くの?
2008年04月27日(日) シナトレ9 ストーリーをおいしくする5つのコツ
2008年04月22日(火) シナトレ8 コンクールでチャンスをつかめ!
2007年10月27日(土) シナトレ7 紙コップの使い方100案
2006年11月07日(火) シナトレ6 『原作もの』の脚本レシピ
2006年03月02日(木) シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年11月01日(火) シナトレ4 言葉遊びで頭の体操
2005年10月12日(水) シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2005年07月27日(水) シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年09月06日(月) シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?

2006年10月28日(土)  田邊のおじさまの還暦音楽祭


2008年10月27日(月)  青森りんご「あおり21」の悲しいニュース

金曜日だったか土曜日だったか、新聞を見て、えっそんなことがと絶句した。青森県が年に一千万円の予算をかけ、24年の年月をかけて開発した新種りんご「あおり21」の品種登録が、期限内に農水省に6000円の登録手数料を払い忘れたせいで取り消されたという。手数料を払い忘れたのはミスだけど、そのミスの代償に失った何億や何十年の大きさに呆然となり、こういう結果になるしかなかったのだろうかとやりきれない気持ちになった。自分たちの県のお金と人材を投入して開発した新種を、青森県は独占管理する権利はなくなった。

このニュースが入ったのがぎりぎりで記事を差し替える時間がなかったのか、日曜版には、あおり21の開発裏話を紹介する記事があり、よけいに哀しい気持ちになった。品種登録取り消しなんて結末を、誰も予想していなかったのだろう。まさか、そんなことがと思っていたからこそ招いてしまたともいえる。

どうしてこのニュースにこんなに胸を締めつけられるのだろうと考えて、企画がなくなるときの喪失感を重ねているせいではないかと思い当たった。時間をかけ、労力をかけて練った企画は、なくなるときはいともあっさりで、不条理な理由で打ち切られることも多い。誰を責めていいのかわからず、運が悪かったと諦め、時が慰めてくれるのを待つしかないことも珍しくない。これが世に出たらすごいぞ、面白いぞという未来を励みに苦労を重ねてきたのに、その未来が奪い去られた瞬間、それまでに積み上げてきた過去も否定される。企画が成立し、作品が完成しても、出資者が離れてしまったり、助成金を取り損ねたりという悲劇はある。『風の絨毯』は文化庁の助成金の審査に通ったのに、期日までにフォルムがイランから届かず、数千万を逃すことになった。

それでも24年間、数億円かけた企画が消えたという話はなかなか聞かない。かけた年月から考えると、携わった人の数も相当なものだろう。その一人一人の無念を、自分が味わった無念の何倍かに膨らませて想像し、悶々としてしまうのだった。

2007年10月27日(土)  シナトレ7 紙コップの使い方100案
2004年10月27日(水)  TakashimaKazuakiの服


2008年10月26日(日)  上野動物園で芸を仕入れる

年間パスポートを持っている上野動物園へ。4回行けば元が取れる計算で、たしか今回が4回目。入場券を買って入ると長居しないと損した気になるけれど、パスポートだと、ゾウだけ見に行く、ウサギだけ見に行く、と気軽にふらっと訪ねられるのがいい。

今日のお目当てはワニ。今まで場所を見落としていた爬虫類館が池之端門を入ったすぐ脇にあると知り、娘のたまが好きなワニを見せてあげようと思い立った。アクリルプールの縁の上までジャンプすることもあるらしいが、今日は水底に体を押しつけたまま動かず、ワニなのか流木なのかわからなかった。

ワニが外れた代わりに、ゾウが大当たりで、身づくろいをするところを初めて見られた。長い柄のついたブラシのようなもので飼育員さんがゴシゴシ磨き、体についた土を払うのだが、ブラシでトントンと横腹をノックされたのを合図に、ゾウは足をぐにゃりと曲げてゴロリと巨体を横たえる。ズドーンと転がるのではなく、その場に静かに横になるなめらかな動き。ブラシでゴシゴシされる間は気持ち良さそうにしていて、終わるとまたノックを合図に足を踏ん張って立ち上がる。4000キロを越える塊が立ったり寝たり。それだけでも目が離せないのだけど、さらにお楽しみは続き、後ろ足をノックされると、片足ずつ上げて、足の裏をゴシゴシされる。その動きがまた何ともチャーミング。きれいになったところで、よくできましたとバナナのごほうび。バナナを差し出されると、長い鼻をひょいと持ち上げ、バナナにかぶりつく。鼻で食べるイメージがあったけれど、口で食べるのか。

一部始終を食い入るように見ていたたまは、家に帰るなり、「たまも ゾウさん やる!」。「ゾウさん、ゴシゴシしますよ」とわたしが呼びかけると、じゅうたんにゴロン。手でゴシゴシしてやり、「ゾウさん、きれいになりましたよ」と言うと、立ち上がる。「ゾウさん、あんよゴシゴシしますよ」と言うと、片足ずつ上げてゴシゴシ。「じゃあ最後にバナナ食べましょう。なんちゃって」と言うと、長い鼻に見立てた片手をひょいと上げて「なんちゃって」のポーズをしながらバナナを食べる真似。

今日は他に片足を上げてポーズする一発芸「フラミンゴ」を仕入れた。たまは持ち芸「バレリーナ」との合わせワザを思いつき、伸ばした足を上げた後に曲げて持ち上げ、「バレリーナ〜、フラミンゴ〜」。こうやったらもっと受けるのではと工夫する芸人根性は大したものだけど、人前に出ると固まってしまい、宝の持ちぐされ。舞台度胸がつけばコメディエンヌの才能が花開くのでは、と親バカなことを考えている。

2007年10月26日(金)  愛知工業大学で「つなげる」出前講義
2004年10月26日(火)  ジュアールティー1年分


2008年10月25日(土)  ひさしぶりにラジオドラマを書く

知人の中学生のお嬢さんが横浜で開かれた陸上の全国大会に出るというので、ダンナがたまを連れて見に行く。一人で過ごす休日は長くて、仕事がはかどった。今書いているのは、ひさしぶりのラジオドラマ。ラジオドラマで脚本家デビューしたからラジオが好きなのか、ラジオが好きだからラジオドラマでデビューしたのか、ラジオは書いていて無性に楽しい。

予定枚数をずいぶん越えてしまい、これをどう絞っていこうか悩むことになりそう。録ってからこぼれることがわかって削るのは辛いので、先に打てる手は打っておく。映像だったら絵を一枚入れて説明がつく場面を音だけの情報で表現しようとすると、工夫が必要になる。台詞のやりとりだと長くなるところをモノローグにしたり、遊びのシーンを削ったり、登場人物を減らしたり。あまり説明不足になるとリスナーが置いてけぼりになるので、さじ加減が難しい。

2004年10月25日(月)  ウェディングプランナー・みきさん
2002年10月25日(金)  木曜組曲


2008年10月24日(金)  掃除という名の大移動

京都時代の友人のトコロ君から出張のついでに泊めてほしいと連絡があり、急遽掃除大臣に任命され、朝から大掃除。ベランダの防水工事のためベランダからどけた大量の植木鉢が寝室を占拠していて、テレビ部屋を寝室にしているのだけど、客人トコロ君にテレビ部屋を明け渡すためには寝室から植木鉢をどかさなくてはならない。工事が終わったベランダへ荷物をUターンさせ、土やら砂やらを掃除機で吸い込み、寝室を回復。いったんはのっぺらぼうになったベランダは再びモノだらけに舞い戻った。客が来るたびに大慌てで大掃除をしているけれど、結局右のものを左に動かし、また戻しているだけで、家はまったく片付いていないという事実に愕然となる。

急いで片付けたのに、山手線の終電でやってきたトコロ君が現れたのは一時前。わたしは10年ぶり、ダンナは5年ぶりぐらいの再会で、積もる話で夜更かしする。

2004年10月24日(日)  『月刊 加藤夏希』DVD
2002年10月24日(木)  JSAを読んで考える 北と南 東と西


2008年10月23日(木)  生パスタみたいな絶品ラーメン『麺工房 山久』

ラーメン屋へはめったに行かないのだけど、去年近所に出来た『麺工房 山久』(>>>食べログ)の塩ラーメンを初めて食べたとき、おおこれは!と目を見張った。ほうれん草をねりこんだちぢれ麺にトマトがトッピングしてあり、スープは脂っこいしつこさがなくさらっとしていて、味が上品にまとまっている。麺は手打ちなのか、ラーメンというよりパスタ感覚。オリーブオイルやトマトソースにからめたらよく合いそう。

店内は小洒落た和食ダイニング風で、女性一人でも気後れせずに入れる雰囲気。テレビで紹介されてあっという間に行列店になるのではと思ったのだけど、一年経っても開店当時ののどかさは変わらず、最近立て続けに2度行ったら、いずれも客はまばらだった。子連れでも落ち着いて食べられるのはありがたいけれど、ラーメンにサービスの小ライスがついて650円というお値段でやっていけるのかと心配になってしまう。「ここ、もっと流行ってもいいのにね」とほうれん草麺をすすりながら言うと、「声がでかい。店の人に聞こえる」とダンナにしかられた。「なんで? お店を応援してるんだよ」と言い返したが、「まるで今ダメみたいじゃないか」と言う。だって、味の割に明らかにガラガラなのは事実ではないか。このおいしさが埋もれたまま店が閉まってしまうのはしのびないので、日記で紹介することにした。文京区本駒込、白山界隈にお越しの際はぜひ旧白山通り沿い、東洋大学の目の前の山久でラーメンを。

2005年10月23日(日)  ついに早稲田松竹で『インファナル・アフェア』
2004年10月23日(土)  SLに乗ったり地震に遭ったり
2000年10月23日(月)  パコダテ人P面日記 誕生秘話


2008年10月22日(水)  あまえんぼジュークボックス、たま2才2か月。

娘のたまが通う保育園の「保育参加」なるものを体験し、保育士さんに混じって子どもたちと午前の数時間を過ごした。近所まで、てくてく散歩についていく。わたしはたまと手をつなぎ、3人の保育士さんが箱乗りバギーと自分たちの手で8人の子どもたちを運ぶ。行きは良い良いだけど、帰りはみんなぐずって、歩きたがらない。たまも立ち止まり、「おんぶ」とせがむ。たまをおんぶしながら、重い、背中が痛いと音を上げそうになっていたら、保育士さんは、おんぶにだっこに手を引いて、一人で3人を相手していた。そのたくましさに頭が下がる。

たまは、今日で2才2か月。あいかわらずあまえたで、おっぱいが大好きで、おむつが外れる気配はない。だけど、事後報告で「チッコ」(大きいの)「もれてる」(小さいの)と教えてくれるようになり、おまるにも嫌がらずに座るようになった。

おっぱいが欲しくなると、「とんとん、はいってるかー」と呼びかけてくる。「入ってるよ」と答えると、「いってみろう」のかけ声とともに吸いつく。「いってみよう、だよ」と何度教えても「いってみろう」になるのがおかしい。おっぱいを飲みながら、長袖の袖口に自分の手を入れて来る。恋人のコートのポケットに手を忍ばせて甘える、そんな感じ。袖口もわたしもデレデレと伸びる。

したいこと、したくないことを言葉で伝えてくれるようになり、意思疎通のストレスはずいぶんなくなった。いちご柄の半袖を着せようとして、「いちご、さむい」と言ってくれると、じゃあ長袖にしようね、となる。

言葉の発達と反比例するようにガブリ癖も治まってきてひと安心していたら、今週は二人のお友だちを引っかいてしまった。引っ張られた、おもちゃが欲しかったなど、たまなりに事情はあるようだけど、咄嗟のときは言葉より手が出てしまう。悪いことだと本人はわかっていて、「○○ちゃんに、ごめんねする」と自分からしおらしく謝りに行き、「ごめんね」、「いいよ」、握手で仲直り。我慢はまだ身についていないけれど、言葉で歩み寄ることを覚えつつある。

耳で覚えた歌をどんどん覚えて口ずさむ、その成長も目覚ましい。ポニョやらきらきら星やら、一人で機嫌良く歌っている。「すいかのめいさんち〜」に続けて「ゆ〜きやこんこ」と季節感は度外視。YouTubeで見つけた「ううあ」の歌を気に入り、次から次へと持ち歌にしている。UAと童謡というキャスティングの妙はもちろん美術や衣装もオシャレで、わたしもはまってしまった。恩恵を被りつつ思うのだけど、YouTubeは著作権保持者には脅威だ。今に映画まるごと上げられるようになったら、脚本家も二次使用料を取りっぱぐれてしまう。

2007年10月22日(月)  マタニティオレンジ197 たま14/12か月
2006年10月22日(日)  マタニティオレンジ23 たま2/12才
2005年10月22日(土)  おばあちゃん99歳
2004年10月22日(金)  クリオネプロデュース『バット男』
2002年10月22日(火)  大阪では5人に1人が自転車に『さすべえ』!


2008年10月21日(火)  満を持して『ザ・マジックアワー』 

面白いよと何人にすすめられたかわからない『ザ・マジックアワー』をついに新文芸座でつかまえる。ちょうど今、三谷幸喜さんのエッセイ『オンリー・ミー―私だけを』を読んでいて抱腹絶倒中で、血中三谷ワールド値が急上昇しているところ。『ザ・マジックアワー』を観るには打ってつけのタイミングなのでは、とおめでたい気持ちで客席へ。映画が始まり、妻夫木聡演じる若い男がヤクザの親分の愛人を寝取り、命を助けてもらう代わりに伝説の殺し屋を連れて来いと命じられる。期限は5日で、日めくりカレンダーがめくられていく絵になる。その日付が10月17日、18日、19日と読めた。もしかしたら一日ぐらい誤差があるのかもしれないのだけど、咄嗟に「期日の5日目は10月21日、今日のことではないか」と思って、今日これを観ることが運命づけられていたんだと一人で舞い上がった。

内容のほうは、三谷作品らしい笑いに声を上げて笑わせてもらいつつ、ちりばめられた伏線が見事に結実したラストがすがすがしくて、「いいもの見せてもらったー」という深い満足感があった。町並みはセットで時代設定もどこか現実離れしていて、芝居がかった物語なのに、「くたばってたまるか」と映画の中の時間を必死に生きている登場人物たちの人生には真実味があった。CMの端役をやりながらもう一度「マジックアワー」の好機を狙っているかつての名スターが、佐藤浩市演じる売れない役者に心意気を語った後、出番を知らせに来たスタッフに名前ではなく「おじいちゃん」と呼ばれる場面が強く印象に残った。エッセイ『オンリー・ミー』には脚本家として売れ始めた頃の三谷さんのドタバタ、ジタバタが詰まっているのだけど、その実体験があるから、ドタバタ、ジタバタと生きることのおかしみとかなしみをこの上なく愛おしく描けるのだろう。そう納得した。

2006年10月21日(土)  5本目の映画『天使の卵』初日
2005年10月21日(金)  小さな冷蔵庫 大きな冷蔵庫
2002年10月21日(月)  アウシュビッツの爪痕


2008年10月20日(月)  「袖すり合う」か「袖ふり合う」か

竹内まりあが歌う朝ドラ『だんだん』の主題歌を聞きながら、「袖ふり合うって聞こえるけど、袖すり合うじゃないの?」とダンナが言った。「すり合うじゃなくて、ふり合うだよ」と答えると、「ふり合うってどういう状況?」と聞いてくる。「だから、袖を振ってるんじゃないの? 振り袖っていうじゃない」と答えたのだけど、考えてみると、袖をぶんぶん振り合っている二人というのもおかしな図だ。

新明快国語辞典で「袖」を引くと、【袖触(ふ)り合うも多生の縁】だとわかった。「見も知らぬ旅人同士が同じ木の下に一時いこい宿るのも、決して偶然ではなく、この世に生まれる以前からの深いつながりによるものだ」とある。触れ合いの「ふり」だったのかと納得すると同時に、「他生」は俗用で「多生」が正しいのだと知る。「袖振り合うも他生の縁」と二箇所も間違って覚えていた。昔、脚本家の大先輩の荒井晴彦氏の名前を「新井春彦」と日記に書いてしまい、前田哲監督から「半分間違っていますよ」と指摘されたのといい勝負。

……と書いたら、「竹内まりあではなく、まりやです」と読者から指摘があった。これは思い違いではなくうっかりミス。この手の間違いを知らず知らずふりまいているんだろうなあ。そういえば、最近経済ニュースなどで「レバレッジを効かせる」という表現をよく聞く。leverはテコだから、leverageはテコ入れ。覚えたダンナが早速「ベバレッジを効かせる」と使っていたが、beverageはジュースなどの飲み物である。アルコールが入ってないから効かせるのも難しい。

2005年10月20日(木)  神保町めぐり


2008年10月19日(日)  おにくぼくじょう! マザー牧場2日目

娘のたまが昨夜「おにくぼくじょう」と命名したマザー牧場にご近所仲間のK家と泊まり、朝7時前に目覚める。高原の朝は爽やか。朝食前に牛を見に行く。有刺鉄線のすぐ向こう側で牛がのんびり草を食んでいる。朝ご飯のために牛舎に戻って行くところも見られた。入れ違いに、かわいい子牛たちが放牧場に行進してくる。


和食をチョイスした朝食はごはんと味噌汁と干物と海苔。食後の飲み物に選んだ牛乳のコクは、さすが牧場。こうでなくっちゃ。

大自然の中で、子どもたちも伸び伸び。たまとK家のマユタンは、木の枝を手に地面を彫ったり木の幹をツンツンしたり。バランスを崩したたまが草の坂道をトトトとつんのめるように下り、数メートル下の平らになったところでこけて止まるというハプニングもあった。多少のスリルは味わって、たくましく育ってほしい。
牛牧場へ引き返し、乳搾り体験。子どもの頃にやったことがあったような、ないような。おっぱい党のたまはおじけづいて手を引っ込め、おっぱいのことならまかせなさいのわたしは、思いのほか苦戦。ジャージー牛牧場通いで慣れているマユタンはバツグンの指使いでジャージャー搾り、飼育員さんをうならせた。

パパたちが娘たちを馬に乗せ、たまは馬乗りを初体験。メリーゴーランドといい馬といい、乗ることが好きなようで、「おうまのったねー」と後々言い続ける。

初めての馬に続いて、山頂で初めてのソフトクリームを体験(クリームよりもコーンに感激)し、ドーム型施設で羊ショーを鑑賞。これが掘り出し物で、オヤジギャグを連発するニュージーランド人の羊使いが十数種の羊を紹介したり、毛刈りをしたり。一心不乱に餌を食べ続ける羊たちの姿は微笑ましく、会場を走り回った牧羊犬が一気に羊たちの背中の上を駆け去ったのは迫力があった。子羊たちに会場から名乗り出た子どもたちがミルクをあげる場面では、哺乳瓶を飲み込まんばかりの子羊たちの旺盛な食欲にびっくり。最後はステージに上がってふれあいタイム。

トラクターバスに揺られて麓へ下り、豚を見て、ヤギを見て、羊の大行進を見て(牧羊犬に追われてイワシの大群のごとく羊がぐるぐる)、わたしとたまは巨大迷路も体験。おなかいっぱい遊んで、初めてのおにくぼくじょうを後にした。

2007年10月19日(金)  インテリアデザイン『DAYS』のマツエ
2006年10月19日(木)  マタニティオレンジ22 めぐる命と有機野菜
2005年10月19日(水)  新宿TOPS 2階→8階→4階
2003年10月19日(日)  100年前の日本語を聴く〜江戸東京日和
2002年10月19日(土)  カラダで観る映画『WILD NIGHTS』


2008年10月18日(土)  おにくぼくじょう! マザー牧場1日目

ご近所仲間のK家と泊まりがけでマザー牧場へ。K家にはうちの娘のたまより1年上の女の子マユタンがいて、先日食事をしたときに二人が遊ぶのを見ながら「今度はゆっくり旅行したいですね」と話していたのが思いのほか早く実現することになった。K家がよく行くという軽井沢のジャージー牛牧場へ行こうとしたら、牧場の宿泊施設も周辺のペンションも軒並み満室。2日前の駆け込みでは予約が取れない軽井沢人気を見せつけられ、牧場違いで「マザー牧場はどうでしょう」となった。

アクアラインを使うと、あっという間に海を越え、文京区を出て一時間ちょっとで到着。マイカーを持たないので、クルマってこんなに楽なのかと驚く。両家ともマザー牧場を訪れるのは、初めて。宿泊先のコテージはずいぶん年季が入っていて、備え付けの柄つきポットや黒電話は昭和の雰囲気。わたしが勤めていた広告会社が広告を手がけていて、けっこう新しいイメージがあったのだけど、できて50年近く経つらしい。

牧場は、とにかく広い。9月に大阪へ帰省したときに訪ねたハーベストの丘も広々していたけれど、それが5つ6つ入りそう。見晴らしがよくて、空気がきれいで、山に来たという感じがする。広さに加えて夕方だったせいか入場客の姿はまばらで、山頂まで坂を上ったところにあるミニ遊園地は、客よりもスタッフのほうが多いほど。落差一メートルほどのミニ急流すべりでは、誰も乗っていない船をおじさんが所在なげに押していた。娘たちはアンパンマンや電車の乗り物にお金を入れずに乗ってごきげん。大人たちは一人200円のボール当て射的に4人で挑戦し、戦果ゼロ。たまはメリーゴーランドを気に入り、「メリーゴーラン」と言い続けた。

夕食は焼き肉。さすが牧場!というおいしさにあふれていないのが、惜しい。メニューにもう少し工夫があれば、レストラン目当てに来る客が増えそうなのだけど(そこはハーベストの丘に軍配が上がる)。それでもみんなでワイワイと肉をつつくのは楽しく、家で焼き肉をしたことがないたまにとっては新鮮だった様子。寝かしつけるときにK夫人が「今日はクルマに乗ってどこにおでかけしたかな」とマユタンに語りかけていたら、「おにくぼくじょう!」と割って入った。以来、両家でのマザー牧場の呼び名は「おにくぼくじょう」に。

娘二人が寝た後は、大人の時間。ブルーベリーワインを飲み、スナック菓子をつまみ、K家が持って来たドイツの図形パズルに挑戦したり、新聞の旅行広告を見ながら「ご近所仲間で船旅をしたいですねえ」と話したり。

2007年10月18日(木)  マタニティオレンジ195 ママ友に取材 
2005年10月18日(火)  体にやさしくておいしい中華『礼華(らいか)』
2002年10月18日(金)  「冷凍食品 アイデア料理のテーマパーク」で満腹!


2008年10月17日(金)  イランの非常に強い漢方薬

目にいいという漢方薬をイランからのお土産にいただいた。薬の名を聞くと、「日本語はわからないけれど、ペルシャ語では『黒い穀物』」だという。穀物というよりは石と形容したくなる固さで、ヒマワリの種大の不揃いな小石状のものが袋にびっしり詰まっている。

歯が立つ固さではなく、まずは口に入れるために小さくする必要があった。フードプロセッサーでは刃が負けそうなので、ベッドの足で踏んづけることに。木の鍋敷きの上に何粒か置き、ベッドの足を乗せて体重をかけると、「バキッ」という不吉な音とともに鍋敷きがまっぷたつに割れた。

作戦を変え、トンカチで砕くことに。木のテーブルに直接粒を並べてガンガンやったら、粒の形にテーブルがへこんだ。何ということ! わたしもへこんだ。

胡椒挽きのような道具があればと思いめぐらして思い出したのが、イタリア製のキッチンツール。友人イヅミ嬢がロンドンに引っ越したときの置き土産で、粒胡椒を粉にする道具だと思っていたのだけど出番がないまま台所の引き出しの奥で眠っていた。粒が大きすぎるとうまくつぶせないことがわかり、鉄鍋の上でトンカチで粒を細かくした上で、つぶし器でさらに細かくしていく。と、あろうことか、持ち手の柄がまっぷたつに。鉄より強い漢方薬。強いの意味合いが違うのではないか。

わが家に数々の被害をまきちらした漢方薬を最後にねじ伏せたのは、ヨーグルト。味がしなくて砂を噛むような感覚なので、「ヨーグルトをまぜて食べるといい」とアドバイスをもらっていた。3ミリ角ぐらいになった荒めの粒をヨーグルトに一晩つけると、手に負えるやわらかさに。雨垂、石をうがつ。ヨーグルト、イランの強力漢方薬を負かす。

2007年10月17日(水)  マタニティオレンジ194 長生トマトの歌にノリノリ
2006年10月17日(火)  マタニティオレンジ21 赤ちゃんと話したい
2002年10月17日(木)  Globe Trotter×ELEY KISIMOTOのスーツケース


2008年10月16日(木)  偶然の遭遇

先日、七里ケ浜の駅で待ち合わせたテスン君とユキコさんと海沿いのレストランを目指して歩いていたときのこと。「あっちが山だから、海はこっちです」と自信たっぷりなテスン君を信じてついて行ったら、「あれ? 間違ってました。海はあっちですね。ここ曲がりましょう」となり、道を右に折れた。すると、少し先にロケバスらしきものが停まっていた。「なんかの撮影かな」と話しながら目をやると、ロケバスの脇に立っていた男性がじっとこちらを見ている。「あ」とテスン君が気づいて、「こんなところで」と声をかけた。

飲み仲間のテレビ局プロデューサーだというその彼に、テスン君が「こちら『子ぎつねヘレン』を書いた脚本家の今井雅子さん」と紹介してくれた。3年前の映画だし、ピンと来ないかも、と一瞬思ったら、「ああ。あの犬、死んじゃったんですよね」と思いがけない反応。ヘレンの餌を横取りしようとしてほふく前進で近づくというアカデミー賞に動物部門があったら受賞間違いなしの名演技を披露したロッシは、映画撮影から間もなく亡くなり、『子ぎつねヘレン』が遺作となった。そのことはノベライズ本の後書きなどでも触れられているけれど、ヘレンと聞いて真っ先にロッシの死と結びつけた人は初めてだった。「実は、あの犬を最初に起用したのは僕なんですよ」と言われ、納得。「『ロシナンテの災難』というドラマで……」「それ見てましたよ」「それで、ロッシって名前になったんです」「そうだったんですか」……。テスン君が道を間違えて、あの角を曲がらなければ、聞けない話だった。

その翌日に鎌倉山で陶芸教室を体験したのは、工房を主宰する陶芸家のダンちゃんとダンナの遭遇がきっかけだった。二人は小学校時代の同級生。焼き鳥屋のカウンターで隣に座ったのが、二十歳のときの同窓会以来18年ぶりの再会となった。

ご近所仲間の会も、店で隣合わせになった偶然から始まった。会社の元同僚のイズミ嬢と当時はまだ恋人だったチョッキー君がお昼を食べている隣のテーブルにわたしとダンナが案内された。向こうは食事を終えかけていて短い会話を交わしただけだったけど、また近いうちにあらためてとなった。二度目に再会したときに映画と鉄道を愛するT氏と彼女のミキちゃんを紹介され、三度目に再会したときに、後にたまのひとつ年上のマユタンが誕生することになるK夫妻を紹介され、その4組がご近所仲間の会としておつきあいを続けている。

『http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103810017/imaimasakocaf-22/自由が丘物語』という子育て日記本で出会った「偶然は人生最高の香辛料」という言葉をしみじみと思い出している。

2007年10月16日(火)  マタニティオレンジ193 シュレッダーごっこ
2006年10月16日(月)  マタニティオレンジ20 ビバ!ウンチョス!
2004年10月16日(土)  SolberryのハートTシャツ
2002年10月16日(水)  カンヌ国際広告祭


2008年10月15日(水)  朝ドラ『つばさ』に参加しています

来年春からはじまる80作目のNHK朝ドラ『つばさ』。今日開かれた出演者発表(>>>NHK公式サイト つばさ放送前情報)にお邪魔してきた。サンバの陽気なリズムに乗ってサンバダンサーが登場。ダンサーに導かれて、ヒロイン・玉木つばさ役の多部未華子さんが中央に進み出る。つばさの祖父・千代役の吉行和子さん、母・加乃子役の高畑淳子さん、父・竹雄役の中村梅雀さん、弟・知秋役の冨浦智嗣さん。つばさの幼なじみのサッカー青年・大谷翔太役の小柳友さん。ご近所で鳶の頭の宇津木泰典役の金田明夫さん、スーパーの社長の木宏夫役の佐戸井けん太さん、小料理屋の女将の篠田麻子役の井上和香さん。つばさをコミュニティFMへ差し向ける斎藤浩徳役の西城秀樹さん。コミュニティFMの上司・真瀬昌彦役の宅間孝行さん、同僚・浪岡正太郎役のROLLYさん。語りと「ラジオの男」役のイッセー尾形さん。これだけの顔ぶれがそろうと実に豪華。舞台で注目している役者さんも多くて、朝ドラファンの一人として、期待が高まる。

それぞれのコメントにも味があり、笑わせてくれたり、ほろりとさせてくれたり。「朝ドラのヒロインオーディションを受けては落ち」だったという高畑淳子さん、「わたしも落ちた組で」と井上和香さん。最終のカメラテストまで残ったと言ったのは金田さんだったか。「朝ドラに怪奇の風を吹かせます」と真顔で語って笑いをさらったROLLYさんは、すでに風を吹かせていた。

ヒロインつばさと母・加乃子の逆転母娘ぶりもドラマの見所のひとつなのだけど、「あ、いまわかった! 加乃子って目の前に餌をぶらさげられると追いかけちゃう馬みたいな人なんですね。私は馬だと思ってやります」などと突然勢いづく高畑さんの空気撹拌力は、まさに加乃子のイメージ。ドラマの中でどんな風に暴れてくれるのか。色濃い人々に囲まれたつばさがどんな色に染まっていくのかも楽しみ。

この作品に、今井雅子は脚本協力として参加しています。社会人になった頃はベッドの下に置いたテレビから流れる音声を目覚まし代わりに聞き、宮崎あおいちゃんがヒロインを演じた『純情きらり』以降は早起きして観るようになった朝ドラ。すっかり視聴習慣がついたところに声がかかり、朝ドラが生まれる過程に立ち会えることに。しかも、大好きな和菓子とラジオが出て来る話。おまけにヒロインは原作・脚本を手がけたドラマ『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』で主役の山口摩湖を演じた多部未華子さんに決まり、これもきっと何かの縁。

脚本はドラマに映画に大活躍の戸田山雅司さん。徳井優さん目当てに観ていた『ロッカーの花子さん』や生後1か月半をだっこしてママズシアターで観た『UDON』など、楽しませてもらった作品は数知れず。あまりに面白くて一気に一週間を読み切ってしまう脚本が、出演者に息を吹き込まれてパワーアップしたら、どうなることやら乞うご期待。サンバダンサーが出演者発表当日だけのにぎやかしなのか、はたまたドラマに関係するのか、それも本放送を見てのお楽しみ。

すっかりどっぷり朝ドラモードに浸っている今日この頃、アンテナには朝ドラ関連のものがどんどん引っかかるようになった。和菓子屋チェックも以前にも増して熱心に。神楽坂の梅花亭では、「あさどら」どら焼きを発見。夕方のおやつにしたけれど(ふわふわ生地としっとり小豆が美味!)、朝のおめざに食べるもの?

2006年10月15日(日)  マタニティオレンジ19 おでかけが楽しくなるだっこひも
2004年10月15日(金)  広告労協の女性会議
2003年10月15日(水)  このごろの「悲しいとき」


2008年10月14日(火)  このごろの、たま語

今月22日で2才2か月になる娘のたまの言葉を集めたたま語。最近の仕入れから。

犬が後ろ足上げてオシッコするのを見て、
「バレリーナしてるねー」

鏡に映った自分をじーっと見て、
「おめめ おおきいねー」

帰宅が遅いパパを待って、
「パパ さんぽながいね。こまったねー」

近所の大学のキャンパスを散歩していて帰りたがらないので、「ここに残って何するの?」と聞くと、
「べんきょう する」
でもその後で、「チッコ する(おしっこする)」。勉強とトイレが同じ次元に……。

パパが木を指差して「植物も、たまと同じで生きてるんだよ」と教えると、自動車を指差し、
「これも いきてる?」

まだ卒乳の気配なし。おっぱいへの呼びかけはさらにカジュアルに。
「トントン、はいってるか? はいってるよ。いってみよう」
(オリジナルは、「トントン、はいってますか? はいってますよ。いただきます」)

さらに、おっぱいの味を聞いたら、
「りんごのあじ」
先月は「にゅうにゅうのあじ」だったけど、秋の味覚に昇進?

玄関で靴べらを見つけて、
「もじ」(しゃもじ)

2004年10月14日(木)  PLAYMATE 第5弾!『SWAP 2004』
2002年10月14日(月)  四あわせの五円玉


2008年10月13日(月)  鎌倉山の陶芸教室と『静辰』

セピー君とお母さんの志雅子さん、わが家の三人、夕食だけのつもりが宿泊になったテスン君とユキコさん、朝7時に合流したダンナの妹ケイコちんとともに江の電に乗って、七里ケ浜へ。お目当ては、「世界一の朝食」と噂の『Bills』。『アテンションプリーズ スペシャル シドニー・オーストラリア編』の脚本執筆でシドニーのことを調べているときにこの店のことを知り、湘南にあるという海外1号店のことも気になっていた。昨日セピー君が「行こう」と言い出し、山積みパンケーキ状態の期待を抱えて乗り込んだのだけど、開店15分前にして一時間待ちの行列。

諦めて、徒歩5分ほどのファーストキッチンへ。世界一の朝食よりも海に近いテーブルで頬張るバーガーは、格別。数あるファーストキッチンの中では世界一の朝食と言えるかも。

テスン君、ユキコさんとは朝食の後に別れ、あとのメンバーはタクシーで鎌倉山へ。前日から鎌倉入りしたのは、ダンナの小学校時代の同級生で陶芸家のダンちゃんのkamakura山陶芸工房を訪ねるためだった。10時前に前を通り過ぎたタクシーの窓から見ると、Billsの行列は店内に納まっていた。

2歳児連れのわが家に配慮して、貸し切りで教室を開いてくれたダンちゃん先生。各自ろくろと手ふき布と粘土を配られ、まずは「作りたい物を言っていただけますか」と先生。セピー君は「邪視」という目玉みたいなものを入れる器、志雅子さんはキャンドルホルダー、ケイコちんはぐいのみ、ダンナは一輪挿し、わたしは「たまの手型を押した」お皿。「一輪挿しより器のほうが使えるよ」と言ったが聞き入れられず、「せめて取っ手がゾウの鼻になってるとか、面白いの作ってよ」と言うと、「それはどうでしょう」とダンちゃん先生に首を傾げられた。基本的には生徒のやりたいことを引き出すのが上手な先生で、「どうしたいですか?」と聞いた上で助け舟を出してくれる。師いわく、「実現したいという気持ちがあれば、方法は見つかる」。

土台を作り、ぐるりを積み上げてから形を整えて行く。娘の手型のついた皿にもてなし料理を盛って、「これ、たまの手なんです。合作」と言って話のタネにしようというのがわたしの目論みだったのだけど、粘土に手を押しつけようとしたところたまがぐずりだし、激しく抵抗。「お母さん、それぐらいで」とダンちゃん先生に止められ、手型を諦めることになった。

セピー君は作るうちに「邪視そのもの」を粘土で作りはじめ、ケイコちんのぐいのみは巨大サイズのビールジョッキに化け、ダンナの一輪挿しは不器用さを物語る塊に仕上がって行った。志雅子さんの作るキャンドルホルダーだけは、最初からブレがなく、着々とイメージに近づいて行く。

結局、わたしが作ったのは、ハート型の大ぶりの器。サラダや煮物を入れるのによさそう。手型をつけられなかったかわりに、底にハートをくっつけた。セピー君から余り粘土を分けてもらい、ミルクピッチャーを作りかけたらうまくまとまらず、ハート型の小ぶりの器になった。姉妹みたいで、これはこれでいいかもしれない。表面を丁寧にならし、うわ薬を塗り、藁で飾り用のキズをつけて完成。乾燥した後ダンちゃんが焼き上げてくれる。出来上がりは、一か月後のお楽しみ。

せっかくだから教室の後に鎌倉らしいところで食事をということで案内されたのが、教室からすぐ近くの坂道をひょいと入ったところに建つ一軒家。『静辰(しずたつ)』という暖簾が下がり、軒先には大きなからすみを干している。お寿司やさん? 中に入ると、洋間と和室にテーブルが一つずつ。昼夜ともにひと組しか客を取らないのだという。

陶芸教室に出た後は、器を見る目もいつもより観察深くなる(器を勉強するために、「いいお店」を知っている陶芸家は多いのだとか)。陶器の平皿にパンが盛られているのが新鮮。このパンが外はカリッ、中はモチモチ、後に続く料理への期待を否応にも高めてくれる絶妙な味。

ひと皿目は、パンによく合うよう計算された塩加減のパテ。ターメリックで味つけしたタマネギと里芋を添えて。タマネギはあまりに美しく澄んだ黄色に染まり、これは何だろうかと一同で答えを出し合ったけれど、正解はいなかった。

ふた皿目は、魚介のカルパッチョ。たまがむさぼるように食べた。彩りも楽しい生野菜はシャキシャキとした歯ごたえで新鮮そのもの。

三皿目は、大きなほたて貝の殻を器にしたきのことほたてのグラタン。これまた、たまが半分以上食べてしまった。

四皿目は、イカスミのたきこみごはん。とっても辛い大根が添えられていて、ちょっとずつ混ぜて食べる。こんなもの、食べたことない。

そして、デザートは、ふわふわの雪玉のようなまあるいチーズケーキ。danchuに作り方を紹介されたときの記事が壁に貼ってある。シェフの川口氏の看板メニューの様子。たまの食いつきはすさまじく、皿に鼻をつけんばかりに身を乗り出し、「うめー」とうなりながらほとんど平らげてしまった。

厨房から出て来たシェフに、「おいしいです!」を連呼するたま。浴びるほど称賛を受けてきたと思われるシェフも、「子どもは正直ですよ」とうれしそう。たまは厨房まで追いかけ、なおも「おいしいです!」。一食でずいぶん舌が肥えてしまった気がする。椅子にじっとしていない子ども連れでコース料理を最後まで味わえるのは貸し切りだからこそ。ゲストブックに名前を求められたが、次回訪ねたときに今回と違うメニューを出すためなのだそう。

鎌倉山から鎌倉駅へ向かうバスが一時間に二、三本ほどしかないので、歩きながらバスを待つことに。あと少しでバス停というところで追い抜かされること二回。足が疲れてバス停で休んだら、今度は40分以上待たされた。でも、両側にこだわりの注文建築の家が並んでいたり、かわいいパン屋さんがあったり、歩いていて楽しい道だった。

2002年10月13日(日)  新宿のドトールにいませんでした?


2008年10月12日(日)  鎌倉で語り明かす

三連休の二日目。仕事を夕方で切り上げ、由比ケ浜の海沿いのレストランで、先に鎌倉のセピー君のセカンドハウスに遊びに行っていたダンナと娘のたまと合流する。テーブルを囲んだのは、セピー君と、はじめましてのお母様の志雅子さんと、来月に挙式を控えたテスン君とユキコさん。前々からやりましょうと言っていた婚約祝いの会を、わたしたちが鎌倉に泊まる日に合わせて急遽開催することになった。

テスン君とユキコさんは翌日に式の打ち合わせがあるため、今夜中に東京に帰ることに。夕食が終わって、もう一杯だけ飲みましょうとなり、海沿いの道をぶらぶら歩いてセピー君のセカンドハウスへ。一杯が二杯になり三杯になり、「終電で帰るか泊まるか」の時間になり、結局二人は泊まることに。これまでに何度も繰り返されている歴史。このメンバーが集まると、話が尽きない。テスン君のお兄さんとセピー君とダンナが学生時代に同じ寮に住んでいたという縁で、共通の知人友人も多い。元首相から「あなたとは違うんです」発言を引き出した記者のD君もその一人。去年わが家で集まったときもD君は皆を質問攻めにしていた、なんて思い出話で盛り上がる。

今宵は志雅子さんという強力なスパイスも加わり、いつも以上にテーブルが熱くなった。イラン人との国際結婚をユーモラスに綴った著書『『そこは、イラン―私が愛してやまない国』』を読ませていただいて以来、会える日を楽しみにしていた志雅子さんは、着ているものといい物腰といい、どこか日本人離れした雰囲気。年齢も不詳で、オバサンじみたところがまるでなく、チャーミングな女性だった。

傑作だったのは、ウンチをしたかもしれないたまのおむつに鼻を近づけ、わたしとダンナが「チョスったかな?」「チョスったかも」と話していたときのこと。「チョス」はウンチの愛称「ウンチョス」をさらに略したわが家語なのだけど、「チョスはペルシャ語で、とても臭いおならという意味です」と志雅子さんが言い、一同大爆笑。「ペルシャ語と日本語は結構つながっているんですよ。チャランポランは、ペルシャ語でも、チャラン(グ)ポラン(グ)、地面はザメンと言います」と志雅子さん。

テスン君は漫画の編集者だけど、これまで仕事の話をしたことがなかった。今夜、どういう流れからか、「いつでも企画を求めている」という話になり、「こんな話があるんだけど」とあたためている企画を話すと、「それ面白いじゃないですか」と乗って来て、「僕だったら、ラストはもっと身につまされる形にしますね」とアイデアも飛び出し、テスン君の勢いは止まらなくなった。わたしもうれしくなって打ち返し、突如始まった一騎打ちブレストをセピー君たちは面白がって眺めていた。他にどんな企画があったっけなと思いめぐらせ、「どんな企画が欲しい?」と聞いたところ、テスン君は急に熱が冷めたような顔つきになり、「相手の要望を聞いて企画出してちゃダメですよ。どうしてもこれがやりたいんだ、これを形にしたいんだ。そういうものじゃなきゃ、こっちも乗れません」。まったく、その通り。お酒より何よりしびれる言葉だった。

要所要所に古今東西の名言を引用し、会話に知的な彩りを添えてくれるセピー君が、「タゴールの詩にこんなのがあってね」。この妻と子さえいなければ自分は神になれたのに、と思って家を出た男を神がつかまえて、「なぜあなたは、あなたのそばにいる神を捨てたのか」と問う、そんな内容。幸せは自分のすぐそばにあるのに、それに気づけないことが不幸なことだとわたしは常々思っているので、「わたしが考えていることと同じ!」と反応したら、「タゴールと肩を並べるなんて、図々しいにもほどがある」とダンナは呆れ顔。彼は目の前の神に気づいていない。

2007年10月12日(金)  マタニティオレンジ191  「働きマン」と「子育てマン」
2006年10月12日(木)  マタニティオレンジ18 デニーズにデビュー
2005年10月12日(水)  シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2003年10月12日(日)  脚本家・勝目貴久氏を悼む
2002年10月12日(土)  『銀のくじゃく』『隣のベッド』『心は孤独なアトム』


2008年10月11日(土)  2回目の運動会

娘のたまの保育園の運動会。「うんどうかい くる?」と何週間も前から楽しみにしていたくせに、昨夜はぐずってなかなか寝つかず、寝ぼけ顔で開会式を迎えた。父兄による紙のトーチの聖火リレーで、開会。今年の競技はほぼすべてが親子参加型で、まずは全クラスの親子で『崖の上のポニョ』に合わせて準備体操。続いて、競技。たまがいる2歳児クラスは「親子かけっこ」「アンパンマン体操とバイキンマン撃退ボールなげ」「おいしいものさがし(パン食い競走のおせんべい版)「アンパンマン障害物走」。たまは最後まで眠たそうでエンジンがかからず、障害物走で鉄棒にぶら下がるときも、足は地面についたままだった。

圧巻だったのは父兄と先生方による椅子取りゲームならぬフラフープ取りゲーム。大小さまざまなフラフープのまわりを音楽にあわせてぐるぐる回り、音がストップしたら輪の中へ。両足が入ればオッケーで、ひとつのフラフープに飛び込んだ大人たちがしがみつきあっている様が笑いを誘った。一回ごとにフラフープの数が減らされ、最後は小さなフラフープひとつに。圧倒的な強さを見せた同じクラスのママが優勝した。

去年とはまったく違うプログラムで、競技に使う道具や飾りを一から手づくりしたのかと思うと、頭が下がる。先生方、おつかれさまでした。

2007年10月11日(木)  Sky fish公演 Vol.6『二神(ふたかみ)』
2006年10月11日(水)  マタニティオレンジ17 再開&再会
2005年10月11日(火)  ユーロスペースで映画ハシゴ
2003年10月11日(土)  わたしを刺激してください


2008年10月10日(金)  おなかの中にいたときから友だち

マタニティビクス仲間のトモミさんが娘のミューちゃんと一緒に遊びに来てくれる。ミューちゃんとわが娘たまは誕生日が一日違いで、背格好もよく似ていて、姉妹を見ているような感じ。おなかの中にいた頃から近くにいたせいか、久しぶりに会ってもなんとなくなじんでいる。

わたしが超手抜き晩ご飯を用意する間、トモミさんが子どもたちと遊んでくれた。誕生日祝いにもらったカップ入りの24色粘土「ねんDo」を開けるのが怖くて、わが家では未だに封印して積み木として遊んでいるのだけど、トモミさんは「これと同じ色を探してみよっか」と絵本『大きなかぶ』のページを開いて色探しごっこを始めた。粘土と同じ色を見つけたミューちゃんとたまが「あった」とうれしそうに指差す。この遊び、先日トモミさんが母娘で参加した泊まりがけの自然教室で教わったそう。指導員さんが「これと同じ色の葉っぱを探してこよう」と落ち葉を見せ、母子は拾った葉っぱを見本と照らし合わせては「もう少し赤いね」「近いね」などと話し、自然が作る微妙な色の濃淡を学んだという。

子どもの数だけ子育てはあって、他のお母さんと話していると、こんな教室があるんだ、こんな便利なものがあるんだ、こんな考えがあるんだ、などと発見がある。娘を保育園に預けて働いていると、ママ仲間と交流する機会があまりないので、トモミさんが運んでくる情報はとても新鮮。ママ同士のおつきあいは、いい刺激を受けられる反面、互いの子育てを尊重することには気を遣うそう。

ミューちゃんとたまは「またきてね」「またくるね」と再会を約束。おなかの中で一緒に踊っていた二人が言葉を交わすようになったことに、時の流れを感じた。

2007年10月10日(水)  マタニティオレンジ190 3人娘1歳合同誕生会
2004年10月10日(日)  爆笑!『イラン・ジョーク集〜笑いは世界をつなぐ』


2008年10月08日(水)  願えば never ever

友人の男性二人と、共通の友人であるプレイボーイ(死語?)の噂をしていたときのこと。一緒に飲みに行ったとき、彼は我々そっちのけで女の子を口説いていた。
「で、ジョウジュしたのかね?」と友人1が言った。
「ジョウジュ?」と友人2が聞く。
「つまり、小さいユを抜いて……」
「情事」を遠回しに言って「成就」とは、なかなか奥ゆかしい。高校生の頃だったか、『危険な情事』という映画に誘われて、ジョージという暴れ者が活躍するアドベンチャーだと誤解して観に行ったらドロドロの不倫ホラーで困ってしまったことも思い出した。

日本語を絶賛吸収中の娘のたまが話す「たま語」も、似ている言葉に気づかせてくれる。保育園の帰りに買うコロッケを食べるとき、「はんぶんこ!」というところを「じゅんばんこ!」と言う。そのたびに「じゅんばんこじゃなくて、はんぶんこよ」と教えると「はんぶんこ!」と言い直すのだけど、翌日になるとまた戻る。「ん」と「ん」と「こ」が同じ場所に入っていて、たしかに似ている。

魚を食べていて、「たね」と言い、ブドウを食べていて、「ほね」と言う。「ほね」と「たね」、「ね」で終わる二文字の邪魔者同士。絵本のネタにもなりそうだ。

「かまくら」と「キャバクラ」が似ていることはオヤジギャグでも言い古されているけれど、「かまくら」と「かまきり」のほうがもっと似ていることも、オヤジよりぐぐっと目線を下げた子ども感覚での発見。KAMAKURAとKAMAKIRI、ローマ字にするとかなり紛らわしい。紛らわしいローマ字といえば、「CHIBA」あてのエアメールが「CHINA」に回されて、ずいぶん遠回りして着いたという笑い話が新聞の投書欄にあった。

そういえば、田園都市線で通勤していた頃、「次は〜宮前〜平〜」という車内アナウンスに突っ込みを入れるようにランドセルを背負った男の子が「見覚え〜ないか〜」と呟いたのを聞いて、ハッとしたことがあった。「ミヤマエ〜ダイラ〜」と「ミオボエ〜ナイカ〜」が似ていると、彼はいつ気づいたのだろう。

そんなことを考えていたせいか、ストリートライブがひしめく代々木公園脇の歩道を通りがかったとき、「願えば never ever」とラップバンドが歌うのが耳に飛び込んできた。「ネガエバ」と「ネバエバ」はたしかによく似ているけれど、「願えば きっと」とは真逆な意味になる「願えば never ever」はどういう文脈で使われているのか。「never ever諦めない」のように、後にネガティブな言葉を打ち消す歌詞が続いていたのか、気になる。


2008年10月07日(火)  朝からベランダで野良仕事

「ベランダの防水工事をするので5日中にベランダのものを撤去してください」という通達がポストに投げ込まれていたのが4日。他のお宅も驚いたと思うけれど、うちは青ざめた。家の中が散らかっていてベランダだけは片付いているなんてことはありえない。お客さんが立ち入らないのをいいことに、荒れ放題ぶりは室内の比ではなく、捨てられない症候群のツケが山となって積まれている。

会社で捨てられていたのを持ち帰ったものの置き場所がなく追いやられた木の机。何年も使っていないけれど捨てるにはもったいないダンナのゴルフバッグ。枝が立ち枯れたままの植木鉢が点々と十あまり。さらにビニールの苗木用ポットが出てくる出てくる。その数、五十は下らない。先月大阪に帰省中にアイビーが枯れ果てたのを最後にわがベランダに生息していた植物は絶滅してしまったのだけど、ビニールポットを数えながら、こんなに枯らしちゃったのかと申し訳なくなる。ポットの分だけ土が持ち込まれたわけで、雨ざらしで朽ちかけたすのこ8枚をめくった下は、鉢からこぼれた土に覆われてコンクリートが隠れていた。

防水工事ってどういう工事なんだろ。コンクリートにコーティング剤みたいなものを重ねるのだろうか。業者さんはどうやってベランダに立ち入るのだろう。片付けなさいの警告チラシには工期しか書かれていなかった。不親切なと文句のひとつも言いたい気分になるけれど、締切に迫られないと重い腰を上げないわたしへのありがたい強制力だと思うことにする。

机とゴルフバックと植木鉢とすのこは玄関に避難。大量のビニールポットと枯れ枝も拾い、後には落ち葉まじりの土が残った。そういうわけで、今日は朝から左手にビニール袋、右手にスコップとほうきを代わる代わる握って、土さらい。これ、どこまでどけたら「撤去」になるんだろう。うっすら土をかぶったコンクリートに防水加工は施せるのだろうか。土ぼこりの中で、謎は渦巻くばかり。

2006年10月07日(土)  マタニティオレンジ16 おっぱい出張所
2005年10月07日(金)  国民行事アンケート「国勢調査」の行方


2008年10月06日(月)  『食いタン妻』と『百均探偵』

友人からの食事の誘いに「食いしんぼの妻も喜びます」とメールを返信したダンナが、「食いしんぼ妻って、なんかドラマにならない?」と言い出した。制作とは畑違いの人だけれど、わたしの企画を聞かされるうちに「これぐらいなら自分にも思いつく」と妙な自信をつけたようで、ときどき思いつきを投げかけてくる。「食いしんぼ妻って、どういう話よ?」と突っ込むと、「君みたいな食い意地の張った妻が人が困っているところに現れて、そこの家にあるもの遠慮なしにむしゃむしゃ食べて、悩み聞いたりして解決する話」と言う。がめつい食いしんぼ妻のキャラクター設定を聞いていると、わたしはこんな風にダンナから見られているのか、とガックリするのだけど、わが妻をモデルにしたドラマで視聴率を稼げると思っているのか? 

ダンナ「いかにもおいしそうに食べるところが共感を呼ぶんだよ。
    毎回おいしそうなものを出してさ。
    その食べものが問題解決とつながってたりするんだな」
わたし「ただ悩み聞くより、事件もののほうが面白くない?」
ダンナ「いいねっ。食べたらひらめく食いしんぼ妻」
わたし「それって『食いタン』の探偵が人妻になっただけじゃないの?」
ダンナ「あ……」

こうしてダンナのひらめきは膨らませる前にしぼんだ。
企画会議でもよく話題になるけれど、いいこと考えた!と膝を打っても、突き詰めていくと、どこかで聞いたことある話になることは多い。パクリとか真似とかいう以前に、人が考えることって自然に似てしまう。見たことない話を考えるのって大変だ。

妻ものでいえば、以前『白鳥の湖』を観に行った後に、並び席で鑑賞していた「かよちゃんのお姉さん」が、「私、勘が強いの」と言い出した。「一目見て、浮気しているとか見抜いちゃう」と言う。「そういう主婦が主人公の話ってどう、今井ちゃん?」と聞かれて、昔書いた企画『百均探偵』を思い出した。身の回りのものはすべて百円均一ショップでそろえ、それらをアレンジして素敵に暮らすやりくり上手主婦が、百均グッズを手がかりに主婦的ひらめきを発揮して事件を解決するというもの。探偵ドラマのネタを求められて何本か書いたなかで、これがいちばん好感触だった。というか、これ以外は「目新しくない」という理由でまったく引っかからなかった。他には『ガーデニング探偵』や『ペット探偵』といった案を出した覚えがある。『ペット探偵』は迷子のペット探しをするペット探偵が事件も解決する話なので、正しくは『「ペット探偵」探偵』か!? 

『百均探偵』もそれ以上は進まず、デビューしたばかりだったわたしは「二時間ドラマのネタじゃないかぁ」とあっさり引き下がった。転んでもタダでは起きない今だったら、「30分のシリーズ、いや10分とか短いシリーズならどうだ? そのほうが、かえって百均らしいお手軽感が出るかも」と気を取り直してプロットを書き直し、プロデューサーを追っかけるのだけど、今度は書く時間がない。でも、3分クッキングみたいな超ミニ枠だったら……。日常に潜む素朴な謎を解く一発芸。ヒマを見つけてネタを書きためてみようか。かよちゃんのお姉ちゃんをブレーンにして。『食いタン妻』よりは、きっと新しい。

2007年10月06日(土)  マタニティオレンジ188 フミキリン
2006年10月06日(金)  マタニティオレンジ15 がんばれ母乳部
2005年10月06日(木)  行動する芸術家・林世宝さん
2004年10月06日(水)  ローマの一番よい三流のホテル
2002年10月06日(日)  餃子スタジアム


2008年10月04日(土)  「集中力」と「気晴らし力」

娘のたまをダンナの実家に預けて朝からパソコンに向かう。夜中までかかることを覚悟していたら、思いのほか早く夕飯前に仕事が片付いた。娘は泊まりだし、解放感もあってダンナと外で食べようということに。ご近所仲間のT氏を誘うと、ちょうど空いていて、三人で名古屋コーチンのお店へ。居酒屋で飲みながら食事をするのはひさしぶり。ミモザを飲んで焼き鳥をつまみながら共通の友人の話に花を咲かせていると、頭の凝りもほぐれる。ほろ酔いで夜道を散歩しながらなおも話し続け、よく笑った。体の中に風が吹き抜けたようなさっぱりした気分になり、明日からまた書けそうな気力が湧いてくる。仕事には「集中力」と「気晴らし力」の両方が必要で、その気晴らしにつきあってくれる家族や友人がいるのはありがたい、と感じた夜だった。

2002年10月04日(金)  平日の休日
2000年10月04日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/03)


2008年10月03日(金)  シナトレ11 台詞の前後を考える

「ちひろって名前もね、パパとママがいちばんいいと思ってつけたんだから」
自転車がわたしの脇を通り抜けた一瞬、聞き取れたのはその台詞だけだった。5才ぐらいの女の子を乗せたママチャリが去って行くのが見えた。言葉が途切れがちに聞こえたのは、ペダルを漕ぎながらだったからだ。母親の言葉の前に、女の子は何と言ったのだろう。その答えになるような母親の言葉に、女の子は何と反応したのだろう。「ねえママ、どうしてあたし、ちひろって名前なの? 同じ組のちひろ君と同じで、けっこんしたら同せい同名だってみんなからかうんだよ」とすねて見せたのを母親が諭したのか、「あの犬、タマって変な名前だね。ネコみたい」と笑ったのを母親がたしなめたのか。台詞の前後に思いを馳せると、それを口にした人物の人となり(キャラクター)が見えてくる。「生きた人物」が発した「生きた台詞」を手がかりに前後のやりとりを考えてみるのは、「生きたキャラクター」作りのいい練習になる。それをシーンとして書き起こす余力があれば、なおいい。

わたしの場合、夢想癖のある子ども時代から想像スイッチが入りやすい体質ではあったけれど、「人の台詞」を聞き取ることを意識するようになったのは、「頭のテープレコーダーを回せ」(この表現に時代を感じる。今ならICレコーダーかも)とコピーライターの先輩に言われてから。そして、その台詞の背景(どんな人がどんな気持ちで言ったのか)に思いを馳せ、台詞の前後を想像するクセがついたのは、脚本を書き始めてからのように思う。

以前、ある売れっ子CMプランナーが創作の極意を聞かれて、「とくに何もしてませんが、感情を突き詰めて考えるようにしてます」といったことを語っているインタビュー記事を読んだことがあった。悔しいとき、悲しいとき、うれしいとき、面白いと思ったとき、なんでそんな気持ちになったのかを突き詰めて考える。泣いている人、怒っている人を見たら、何があったのか想像してみる。なぜ人は心を動かされるかが見えてくると、15秒、30秒という短い時間で人の心を動かすCMにつながる……。記事を読んだ当時はピンと来なかったのだけど、脚本と広告の二足のわらじを履くようになってからコピーを書きやすくなったのは、「台詞の背景」を掘り下げるという脚本作りでの作業が反映されたから。そこからの逆算でいえば、心を動かされるCMにはドラマの核があるわけで、そこからストーリーを膨らませるという勉強法も考えられる。今受けてるCMの台詞の前後を考える修行を積めば、今の時代感覚も自然と身につくかもしれない。

2008年5月7日(水) シナトレ10 ラジオドラマってどう書くの?
2008年04月27日(日) シナトレ9 ストーリーをおいしくする5つのコツ
2008年04月22日(火) シナトレ8 コンクールでチャンスをつかめ!
2007年10月27日(土) シナトレ7 紙コップの使い方100案
2006年11月07日(火) シナトレ6 『原作もの』の脚本レシピ
2006年03月02日(木) シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年11月01日(火) シナトレ4 言葉遊びで頭の体操
2005年10月12日(水) シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2005年07月27日(水) シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年09月06日(月) シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?

2006年10月03日(火)  マタニティオレンジ14 ヘンなのは自分だけじゃない
2005年10月03日(月)  Paulina Plizgaの着るアート
2000年10月03日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2008年10月02日(木)  マッキャンAgain展パーティ 

3年前まで勤めていた広告会社マッキャンエリクソンの大先輩15人が合同で開いた『Again〜ヤケドしそうな広告をつくってきた仲間たちの、ふたたび』展(>>>2008年4月6日の日記 ギャラリー工にてマッキャンOB『Again』展)。4月にやったギャラリー工(こう)から場所を移し、マッキャンの受付フロアで再び開かれることになり、そのオープニングパーティに行ってきた。会社を辞めて3年あまり。有休消化期間を含めると3年半近くになるけれど、辞めてしまうとなかなか足を踏み入れ辛く、会社の下まで来て仲の良かった同僚に会うことはあっても、中に入るのは、最後に出社して以来になる。

子守の都合がつかなかったので娘のたまを連れて行くことにしたが、知っている人に会えなくても、たまが一緒なら間が持つという保険でもあった。でも、フタを開けてみると、「お、今井だ」「ひさしぶり」と次々と声がかかり、放っておかれる心配ご無用だった。お世話になった人たちが「仕事順調そうじゃん」「活躍してるね」などと喜んでくれ、あまり仕事で関わりがなかった人も日記を読んでいてくださっている。最後に仕事をしていたクリエイティブディレクターは、「いま幸せ?」と聞き、「おかげさまで」と答えると、「君が幸せそうで安心しました」。この会社に飛び交う言葉はやっぱりオシャレだ。「作品は、正直いいんだか悪いんだかわかりません」「僕は作品を出していません。僕自身が作品ですから」など、祝辞のスピーチも味がある。たまが絶妙なタイミングで「あれ?」などと声を発すると、「そこ、うるさいよ。なんたって今井の娘だから」と突っ込みが入った。

クリエイティブという部署にいたこともあって、「いま何読んでる?」「最近何観た?」が挨拶のような職場だった。そんな中で十年あまり仕事をできたことが、脚本を書く基礎体力を鍛えてくれたと思っている。わたしが脚本と二足の草鞋を履くことにも寛容で、面白がり、応援してくれた。肩身の狭い思いをするどころか、全社メールで新作を案内したりチケット購入を呼びかけたりさせてもらった。そんな会社にいたから、なかなか辞める踏ん切りがつかなかったともいえるのだけど、子ぎつねヘレンのロケを前に、脚本に専念することを決めた。上司は「君が一本立ちすると決めたってことは、それだけ脚本の仕事が軌道に乗ったということだね」と祝福し、「でも、うまくいかなかったら、帰っておいで」と送り出してくれた。

社員として戻って来なくても、ときどきは立ち寄りたいと思いつつ、かこつける用事がなくて今日になってしまった。子連れでの初めての帰省をあたたかく迎えてくれたマッキャン。この先わたしが再就職することがなかったら、ここが人生でたったひとつ会社となるけれど、いい選択をした、と今でも思えることがうれしい。

2006年10月02日(月)  マタニティオレンジ13 おかげの花
2004年10月02日(土)  「平均年齢66-1才」若返りの会
2000年10月02日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2008年10月01日(水)  行列のできる脚本家

以前仕事をしかけたプロデューサーさんから新しい仕事の依頼が舞い込んだ。「ありがたいお話ですが、今、けっこう立て込んでまして」とこちらの事情を打ち明けると、「でも、僕らとしても、客のいないレストランには入りたくないわけで」とプロデューサー氏。うまいことをおっしゃる。

たしかに、この店入ろうかなとのぞいてみて、中はガラガラで、ヒマを持て余した店主と目が合ったときには引き返したくなる。デパ地下のスイーツも、すんなり買えるより少し待たされるぐらいなほうが期待が高まる。映画やドラマのキャスティングにしても「お仕事ですか! 待ってました! もうヒマでヒマで」と飛びつかれるよりは、「厳しいんですけど、調整します」と言われたほうが、ありがたみがあったりする。

ヒマなときにもそれなりに混んでいるフリをしてみるべし。

2006年10月01日(日)  マタニティオレンジ12 お宮参りイベント
2004年10月01日(金)  「Licensing Asia2004」にCook81(クック81)登場
2002年10月01日(火)  Mr.少林サッカーからのプレゼント
2000年10月01日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)

<<<前の日記  次の日記>>>