2007年10月12日(金)  マタニティオレンジ191  「働きマン」と「子育てマン」

昨日、連ドラ『働きマン』初回を見て、広告会社時代を思い出した。週刊誌の編集と広告のコピーライターという職種の違いはあっても、締め切りに追われ、社内外に競合相手がいて、徹夜や休日出社が日常というところは似通っている。

働きマンと呼べるほどの働きぶりを発揮していたかは別にして、女を捨ててたことは確か。輪ゴムで髪を束ね、ピアスの穴がふさがるからとクリップを刺し、エアコンが止まる夜10時以降はパソコン熱で室温が上昇するので、熱さまシートをおでこに貼り付けてコピーを打ちまくった。競合プレゼンで億単位の仕事を勝ち取るのは快感だったし、自分の仕事やCMやポスターになって世の中に出ていくのも楽しかった。「働きハイ」になっていたところもあったと思う。

会社を辞めたのは2005年の7月なので、あれから2年ほどしか経ってないのだけど、「わたしもこんな生活してたなあ」と懐かしむと同時に、「もうできないなあ」と思った。マラソンのレース途中で一度歩いてしまうと再び走れない感じ。あのペースには、今さらついていけない。

しかし、そこで、はたと気づいた。「仕事に没頭すると恋もおしゃれも寝食も忘れる」のが働きマンだというが、子育てもまさにそうではないか。子どもの服はかわいいのをそろえても自分のおしゃれは後回し。子どもの離乳食は頑張って作っても、自分はその食べ残しでおなかを満たす。家計を切り詰めるためによれよれのセーターを着て、産後のシェイプアップどころじゃない。母は女であるのに、母をやればやるほど女を捨てることになる矛盾。母親こそ「子育てマン」である。

そこで思い出したのは、化粧品ブランドを担当して月に百時間以上残業を共にしていたアートディレクターのミキのこと。彼女が妊娠、出産し、育児と仕事の両立が難しくなって会社を辞めたとき、「仕事のほうが楽だった」と言った。まさか、と思ったけれど、プレッシャーも拘束時間も育児のそれは仕事を上回る。それでも「やってらんねえ!」と辞表をたたきつけることも、「昨日徹夜だったんで」と代休を取ることもできない。そこに来てダンナに「俺の飯まだ?」とせっつかれ、「一日中家にいたんだろ?」とトドメを刺されたりする。

「働きマン」時代は、子育てしている友人が「毎日大変」「わたしはえらい、よくやってる」と主張するのが不思議だった。でも、自分がその立場になってようやくわかったのは、子育てマンは自分で自分をほめるしかないということ。「このCMいいね」と褒められるとき「コピーは今井が書いたの?」「ボディコピー書くの大変だったでしょう」「五社競合で勝ったんだって」と自分のことも褒められた。給料も出た。けれど、子育ては、できて当たり前というところがある。子どもの成長は何よりのやりがいになるけれど、子どもを褒められるとき、子どもを育てているお母さんの仕事に思いを馳せてくれる人がどれだけいるだろうか。わたしは、自分がやってみるまで想像したこともなかった。通りがかった女性に「おいくつですか」と聞かれ、「一歳になります」と答えたとき、「そう。ここまで大きくするの大変でしたでしょう。お母様もおめでとうございます」などと声をかけられて涙が出そうになったが、それほど子育てマンが人からねぎらわれる機会は少ない。

もちろん、何よりのねぎらいは、手をかけた分だけ応えてくれるわが子の成長。それを確かめる喜びは、脚本が作品になって世に出て行く醍醐味にも勝る。子どもは「手を差し伸べたくなるように神様が不完全な形で送り出した」という言葉を最近どこかで目にしたが、子育ては親と子でひとつの「人間」(人格)を作りあげるコラボレーションという見方もできる。

2006年10月12日(木)  マタニティオレンジ18 デニーズにデビュー
2005年10月12日(水)  シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2003年10月12日(日)  脚本家・勝目貴久氏を悼む
2002年10月12日(土)  『銀のくじゃく』『隣のベッド』『心は孤独なアトム』

<<<前の日記  次の日記>>>