2003年10月12日(日)  脚本家・勝目貴久氏を悼む

■「おじさんが亡くなりました」と友人のカツメからメール。「おじさん」とは、脚本家の勝目貴久(かつめ・たかひさ 本名吉彦=よしひこ)氏のこと。姪の友人(つまりわたし)が脚本を書いていることを聞き、「だったらシナリオ作家協会に入ったほうがいいよ」とすすめ、入会の際の推薦人を引き受けてくださった恩人だ。脚本家としては、新人映画シナリオコンクール(1990年より新人シナリオコンクール)の第6回(1956年)に「血友家族」で当選を受賞。第5回までは佳作または選外佳作受賞者しか出ていないので、コンクール初の当選だったようだ。「うなぎとり」(1957) 「素敵な野郎」(1960) 「情熱の花」(1960) 「小父さんありがとう」(1961) 「太陽を射るもの」(1961) 「山男の歌」(1962) 「われら人間家族」(1966) 「ともだち」(1974) 「アフリカの鳥」(1975) 「四年三組のはた」(1976) 「新どぶ川学級」(1976) 「残照」(1978) 「お母さんのつうしんぼ」(1980) 「仔鹿物語」(1991) 「小さな仲間」などの映画のほか、テレビドラマも多数手がけられていた。享年69才。3か月前にお会いしたときの元気な姿が記憶に新しいので、訃報はあまりに突然だった。■「おじさんをいまいに紹介するまで実はあまり交流がなく、『幻の叔父』だったんだけど、いまいの事で(シナリオ協会に入る時とか)電話を掛けてきてくれたり手紙をくれたりして、身近な人になったの」とカツメのメールには書いてあった。シナリオ作家協会に入ってからは、姪の彼女よりもわたしのほうが勝目氏と頻繁に会い、言葉を交わす機会に恵まれていた。とても面倒見のいい方で、協会の集まりでお会いすると、知り合いのいないわたしにせっせと人を紹介し、「姪の友人で、将来有望なライターなんですよ」と持ち上げてくださった。カツメにもわたしのことをうれしそうに話してくれていたのだという。カツメのメールは続く。「いまいの記事が載っていた月刊シナリオ(だっけ)を郵送してくれたお礼を延ばし延ばしにしていて(なおかつおじさんはその事を気にしていて)結局お礼が言えなかった…後悔」。わたしも勝目氏に期待されたり心配されたりしながら、何にも応えられないままのお別れとなってしまった。いつも「どうやったら日本の脚本家の質と地位が向上するか」を真剣に考え、「今井さんも自分のことだけじゃなくて、後に続く脚本家のことを考えてほしい」とおっしゃっていた大先輩。わたしのうれしいニュースを一緒に喜び、悔しい出来事にはわたし以上に怒ってくれた心やさしい人。そんな風に仲間や後輩と関わりあえる脚本家になりたいと思う。カツメのおじさん、ご冥福をお祈りします。

2002年10月12日(土)  『銀のくじゃく』『隣のベッド』『心は孤独なアトム』

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