2000年10月04日(水) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/03)

「晴れ(お日様マーク)」

「A11 サンドリア片岡氏」名前を見るまで永らく忘れていた懐かしい名前。会社のある青山ツインビルと青山一丁目交差点をはさんだ斜め向かい、国道246沿いにあったケーキ屋。ミキハウスのスチール撮影用の誕生日ケーキをここで注文したこともある。

片岡氏はソリューションXという会社をやっている元電通マン。わたしの書いたJAAA入賞論文(カンヌ広告祭での「JAPANESE論争」を書いたもの)を読んで、ご自身が編集されている『広告マンになるには』という本への寄稿を依頼してくださった。この日が初顔合わせ。仕立てのよい詰め襟のスーツ(イタリアのマフィア風)を着こなし、業界用語を連発する片岡氏の第一印象は、電通OBっぽい人。店を出た後、「これから石原慎太郎に会ってきます」とタクシーに乗り込んだ。

「オレンジ棚 移動」オレンジ棚=独り暮らしのアパートの前に捨ててあったオレンジのカラーボックスのこと。このときは今も住んでいる文京区のマンションに移り住んだ後だったか。

「立田野(抹消線で消してある) 萩」どちらも会社の地下にある和食の店。立田野ではなく萩で昼を食べた。

「たくや アンダンティーノ」たくや=大学の同級生の松本拓也君だと思われる。電通で何年か勤めた後独立してアクションクリックという会社をやっていた。今は芸能とITを自在に行き来する世田谷のプロデューサー(自称せたP)として活躍、本もバンバン出している。アンダンティーノは会社のあった青山ツインビルの双子の片割れ、西館の一階にあった喫茶店。広い割にお客さんが少なくてゆったりできたけれど、商売としては厳しかったのか、ampmにとってかわられた。赤坂御所の向かいという配慮からか、ここのampmの看板はモノクロだった。

「エルグレコw/望月 藤本」夕飯はINAひまわり生命の仕事で組んでいた先輩アートディレクターの藤本さん、パンフのレイアウトをやってくれていたプロダクションDADAのデザイナー望月さんと会社の地下にある喫茶店で。

青山一丁目まわりで5軒の店を行き来した一日。

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