2008年09月30日(火)  脊髄を洗って乾燥してキレイになる

気功教室に通い始めて3回目。「体は水を入れる器」で「背骨はかきまぜ棒」。だから、くねくね動かして内臓を按摩すると体調が改善されるという理論は、なかなか興味深い。その背骨に沿って自在に「気」をめぐらせるという境地を目指して、「気をイメージしながら体を動かす」ことをひたすら練習する。動きは単純だから家でもできそうだけど、単純だからこそ一人だと続かない。お習字のようなものだ。

どこも悪いところがなさそうな血色のいい中国人の先生は、わたしのそばにピタリと張りつき、マンツーマン指導状態。どうやら二十名ほどの生徒の中で、わたしがいちばん落ちこぼれているらしい。先生に見られると余計にぎこちなくなってしまい、「違ウ。私ヲ良ク見テ」と見本を示される。真似しているつもりでも、やっぱり「違イマス」。いつまで経ってもカクカクが抜けないわたしの動きを、日本に来て何十年になる先生がカクカクした日本語で嘆く。気を操る術を会得した上級者の方によると、「ある日突然、白樺のようにズドーンとそびえる背骨を意識できるようになる」らしいのだけど、今のわたしは気どころか体の動きさえままならない。歩くような自然さで背骨くねくねができて初めて、「気を回す」ことに気が回るようになる。

「脊髄を洗って乾燥して、キレイになるのが見えます」とテープの声を聞きながら、背骨をゆらゆらくねくね。ひと風呂浴びて甲羅干しして骨休めしている脊髄さんを想像すると微笑ましい気持ちにはなるけれど、「内視」というより「妄想」の世界。先生に「頸柱カラ無限ノ空ヲ見テ」と言われても、「光ガ見エルデショウ」と言われても、頭の中は「これが終わったら何食べよう」でいっぱいだったりする。

ゆらゆらくねくねと単純な動きを繰り返していると、引っかかっているあの企画この企画がわらわらと顔を出す。満員電車に揺られたりシャワーを浴びたりしているとき以上の「ひらめき待ち受けモード」になっているらしい。ホワイトボードに書き殴るがごとくマッシロな頭にアイデアが飛び交い、一人ブレストが進む。これがなかなかいい感じで、頭の整理タイムとしてはかなり有効。先生の言う「光」は見えなくても、煮詰まっていた企画に光が射し込む。

2006年09月30日(土)  本と遊ぶ「おそろい展 ミヤケマイ」
2003年09月30日(火)  BG SHOPでお買い物


2008年09月29日(月)  たま大臣にインタビュー「日本をどんな国に?」

大臣の問題発言がニュースを騒がせているのを見て、ひさしぶりにあれをやってみようと思い立った。娘のたまが言葉らしきものを発するようになった春頃だったか、ビデオを向けて「たま大臣にインタビュー」を試み、わかっているんだかはぐらかしているんだかの絶妙なやりとりに大笑いしたことがあった。今ならもう少し突っ込んだ意見を聞けるのでは、と寝かしつける前の布団の中で大臣をつかまえた。

わたし「たま大臣、日本をどんな国にしたいとお考えですか」
たま「バナナ」
わたし「バナナ? バナナのような国といいますと?」
たま「いっこ」
わたし「バナナが一本? そのようなシンプルな国づくりをしたいと?」
たま「うん」
わたし「たいへん哲学的なお言葉ですね」
たま「わかんなーい」
わたし「大臣、いきなりはぐらかさないでください。ご自分の発言には責任を持っていただかないと」
たま「あはははははは」
わたし「笑ってごまかさないでください」
たま「チュー」

笑ってごまかし、最後は口封じ。ずいぶんふざけた大臣だけど、ここまで無邪気で無責任だと腹を立てる気力もそがれて脱力効果バツグン。いい年した大臣が「バナナみたいな日本」なんて口にしたら、それはそれで「大丈夫か?」と心配やらお怒りやら買いそうだけど。言葉に責任を持つというのは、年相応の分別が求められることなのかもしれない。「バナナみたいな日本ってどんな国だろ」と思い出し笑いしながら、幼い大臣の母は眠りについた。

2006年09月29日(金)  金太本、ついに出版。
2005年09月29日(木)  レストランJ→カフェ・プラハ→レストラン・キノシタ
2002年09月29日(日)  『パニックルーム』→餃子スタジアム→出社の長い日曜日


2008年09月28日(日)  オレンジの壁のユキちゃんち

ニューヨークで5年ほど暮らしていたユキちゃんサトちゃん夫妻が帰国、一家で遊びに行く。日本にいなかった期間まるまる会っていないのだけど、久しぶりの再会という感じがしない。年に何度か思い立ってメールを送ると「わたしもちょうど思い出してたとこ!」という偶然が度々あり、ユキちゃんサトちゃんがニューヨークでご近所づきあいしていた台湾人アーティストのリン(林世宝)さんが来日したときに知り合う機会もあり、離れていても近しく感じていた。親しさを測るのは会う回数じゃないんだなと感じる。

ニューヨークからメールのやりとりで築40年のマンションをフルリフォームしたお宅は、とてもわたし好み。鮮やかなオレンジに塗った壁が目に飛び込んだ瞬間、住みたくなってしまった。額装された林世宝作品の大きさと色の洪水とちょっとした個展並みの点数を余裕で受け止めるオレンジ壁の存在感と包容力。作り付けたこげ茶のクローゼットやニューヨークの蚤の市でそろえたという白塗りのチェスト(ゲイの店員さんが自分で塗っていたそう)もよく合っていて、ため息のように「いいなあ。好きだなあ」を連発した。ハロウィーン前のこの時期はオレンジ壁が一年でいちばんしっくりする季節。カボチャやクモの飾りつけがよく映え、わたしが手土産で持って行ったカボチャの植木鉢の観葉植物も見事に部屋に溶け込んだ。

うちのダンナと娘のたまはサトちゃんユキちゃんとは今日が初対面。前々からダンナ二人を引き合わせたいねとユキちゃんと話していたのが、5年のブランクを経て実現。まだぎこちなさはあるものの「お見合い」は好感触。子育てが共通の話題の一つではあるけれど、サトちゃんユキちゃんは大先輩。3人の子どもとともにニューヨークへ発ち、一人増えて4人の子だくさんで帰国。まだ8か月の末っ子君は、2歳児のたま以上にたくましくしっかり者に育っていた。たまはおっかなびっくりお姉ちゃんお兄ちゃんに近づき、惑星のようにまわりをぐるぐる。手巻き寿司やサラダでおなかいっぱいになった頃、共通の友人のミナが彼氏を連れて登場。ユキちゃんたちと知り合った30代前半の頃にタイムスリップした気持ちで楽しく飲んだ。

2005年09月28日(水)  『Spirit of Wood. Spirit of Metal(平成職人の挑戦)』
2002年09月28日(土)  料理の腕前


2008年09月27日(土)  生傷が絶えない足

ひさしぶりに風呂に入った、と言うと誤解されそうだけど、膝の傷をかばって、湯船につかるのを控えていた。2週間前、大阪へ飛行機で発つ朝に東京の自宅をつっかけで飛び出して、スーツケースを引いて歩道を駆け出したら、つっかけが脱げて派手にダイブし、左足の膝頭と甲を地面に打ちつけながら滑り込み着地。膝がパックリ破れたスパッツ(最近は「レギンス」と呼ばれているけど、なじめない)からこれまたパックリ開いた傷口をのぞかせたまま飛行機に乗り、伊丹空港から梅田に向かい、阪神百貨店でスパッツを買って履き替えた。穴と伝線でズタズタの血染めスパッツには我ながらギョッとしたけれど、派手な上半身に目を奪われたのか、奇抜なファッションだと思われたのか、気遣いの鑑のようなCAさんからもデパートの店員さんからも「大丈夫ですか?」と声をかけられなかった。

ズキズキ痛む傷を抱えたまま15日の万葉ラブストーリーのイベントに参加したのだけど、その3か月前、6月に万葉ラブストーリーの審査で奈良に行ったときは、左すねが血まみれになる事件があった。携帯画面を見ながらぼけっと歩いていたら、歩道から突き出している高さ60センチほどの自転車止めに気づかず激突。ケンケンで歩道を跳ね回るほどの痛みだったが、その傷跡が癒えないうちに新しい傷が加わってしまった。

いい年して生傷が絶えないなあと情けなく思っていたら、先週開かれた広告会社時代の同期飲み会でアートディレクターのヒダイ君が「入社式のとき、会議室に入って来る同期の女子の足元を見てたんだよ」と昔話を始めた。「俺、ディテール観察するの癖だからさ。さすが代理店に入ってくる女の子は、いい靴はいて、歩き方も颯爽としてて、ぬかりないなあって感心してたのよ」。へぇー、わたしにもそんな時代があったのか、と懐かしい思いで聞いていたら、続きがあって、「最後に素足に蚊に刺されたふくらはぎが入ってきてさ、それが今井だった」。一人異質な彼女は何をやる人だろうと思ったら案の定コピーライター。それがわたしの第一印象だと聞いて、顔から火を吹きそうになった。そんなこと覚えていないし、初めて聞いたのだけど、「今井といえば、あのふくらはぎを思い出す」とヒダイ君。15年前の記憶がくっきり。あーあ、昔から成長してない。

さて、ケガのその後。固まっては割れるを繰り返し、グジグジ膿んでいた膝頭の傷口は、一週間かけて、ようやく巨大なかさぶたになった。大学時代にもすねに大きなかさぶたを作ったことがあり、あまりに見事なので、日記をつけていたノートに糊で貼って再現したのだけど、下宿先のおばさんのミチコさんに見つかって心底イヤな顔をされた。そのとき以来の大物を写真に撮りたい衝動を抑えられるぐらいには大人になった。

2007年09月27日(木)  1979〜80年「4年2組 今井まさ子」の日記
2005年09月27日(火)  串駒『蔵元を囲む会 十四代・南部美人・東洋美人』
2003年09月27日(土)  ハロルド・ピンターの「料理昇降機(THE DUMB WAITER)」
2002年09月27日(金)  MONSTER FILMS


2008年09月26日(金)  スーパー家事執行人Mさんの仕事っぷり

京都からSMAPのコンサートを追っかけて上京中のMさんは、2夜続けてコンサートを堪能し、今日は終日フリー。わたしも執筆を休み、娘のたまの保育園を休ませ、平日の休日を楽しむことに。

いつもはベーグルを持ち帰る近所の『白山ベーグル』の店内で朝食。カリッと焼いたベーグルに、クリームチーズやツナ(または卵)をつけて食べる。ベーコンとサラダと飲み物がついて580円。食べながら、Mさんがお手伝いしている高級ゲストハウス『仁寿殿(じじゅでん)』の朝ごはんの話に。Mさんは「自分にできるお手伝いはひととおり何でもやっている」らしく、もちろん得意の料理をふるって朝食も作っている。野菜たっぷりボリュームしっかりの体に良さそうなメニューに、地元のおいしいパン屋さんのパンと、ゲストハウスのマダムがこだわって選んだ「京都でいちばんおいしいコーヒー」がつくのだとか。金閣寺の近くにある隠れ家的なゲストハウスとのことで、サイトで拝見したお部屋も素敵。(※サイト情報によると、パンとコーヒーのコンチネンタルブレックファーストは通常500円で、年内はオープン記念で無料。季節野菜のポタージュや卵料理のついたフルブレックファーストは1500円)

「いまいまさこカフェ」読者予約特典「Mさんのケーキ」
11月5日Mさんより「仁寿殿マダムが日記で紹介されているのを知って喜んでいるよ」とメールあり。お友だちに日記読者がいらっしゃるそう。そこで、予約時に「いまいまさこカフェ日記を見て」と申し出ていただいた方に、Mさんのお手製ケーキをごちそうしますの大盤振る舞い。後を引く幸せをぜひ。ちなみに「あんたの書いている関西オバンばりの小姑Mは他人のようですぜ。仁寿殿で優雅に朝食をサービスするMちゃんと同一人物とは思えません」と本人から抗議あり。宿泊すると、麗しいMさんにも会えるかも。

Mさん自身は、自宅でときどき知人友人を招いて「ワンデーレストラン」なるものを開いているのだけど、口コミで広がって、京都の食通たちをうならせているという。町家を自分で改装している自宅は日々進化中で、そのうち「心ばかりのお礼をいただく」ようなゲストハウスもやりたいとのこと。

わが家に来て以来、掃除炊事に大活躍のMさん。小石川植物園に案内したところ、植物にもかなり詳しいことがわかった。「わたしは昔、絵を描いてたからねー。デッサンでよう描いたから植物の名前はたいがいわかるんや」。青い実を拾って、「これ、クルミやで。置いとくと、茶色くなってシワシワになるから、見ててみ」。足元の銀杏に「茶碗蒸し一年分!」と歓声を上げ、一面のハコベ(だったと記憶)を見て、「これでお茶作りたい」。これは染料になる、これも食べられる、などと大はしゃぎ。「ここがうちの庭やったら、まるごと使いきったるで」。

お昼ご飯にベーコンときのこのパスタ、夕食にブリの照り焼きとカボチャの煮物と里芋のサラダを作ってもらう。「うちの調味料で、こんな味が出せるの?」と驚く出来映え。たまが前のめりになってむしゃぶりつき、「うめ〜」ととろける。これではまるで普段ろくなものを食べさせていないみたいではないか。食卓はうるおい、キッチンはピカピカ。高級家事代行サービスをお願いしても、こうはいきますまい。

【お知らせ】『犬と私の10の約束』(脚本協力)DVD本日リリース

脚本協力した映画『犬と私の10の約束』のDVDが本日リリース。スクリーンで見逃した方も、もう一度観たい方もぜひ。

作品と今井雅子の関わりについては、過去の日記、2007年08月09日(木) ちょこっと関わった『犬と私の10の約束』をどうぞ。試写を観た感想は2008年01月29日(火) 母の気持ちで……映画『犬と私の10の約束』(脚本協力)に。

犬10は脚本協力という形だったけれど、それなりの時間を費やした作品で、手をかけた分、思い入れがある。自分の関わった作品が映画館で大々的にお披露目された後、手に取れるサイズになって手元に届くと、「おかえり」という気持ちになる。

2006年09月26日(火)  マタニティオレンジ11 ひるまないプロデューサーズ
2005年09月26日(月)  『東京タワー』(リリー・フランキー)でオカンを想う
2004年09月26日(日)  新木場車両基地 メトロ大集合!撮影会
2003年09月26日(金)  映画の秋
2002年09月26日(木)  ジャンバラヤ
2001年09月26日(水)  パコダテ人ロケ4 キーワード:涙


2008年09月25日(木)  ロハス(LOHAS)より愛せるセコ(SECO)

SMAPのおっかけで京都から上京しているメグさんが昨日からわが家に宿泊中。宿賃代わりに家政婦を買って出て、食事を作ったり食器を洗ったり掃除をしたりしてくれている。その昔高級クラブでバニーガールをやりながら客の食べ残した皿をなめてソースの味を覚えたというメグさん。料理の腕前はそこらの名店に引けを取らず、自宅でときどき開くワンデーレストランでは味にうるさい食通京都人をうならせているとか。掃除のプロでもあり、メグさん襲来に備えて必死でわたしが片付けた台所を見て、「ひどいことになってますなー」。ヤシの実洗剤やらスポンジやらを買って来て、「こんだけ汚いと燃えるわあ」とゴシゴシやり始めた。ステンレスのシンクも重層と酢の手づくり洗剤で「ピカピカに磨き上げたるでー」と意気込む。

ダイニングキッチンはわたしの仕事場でもある。食卓でパソコンに向かっている2メートル先でメグさんが「なんやこれ?」「こんなもん使ってるんかいな」「ようこんなんでやっていけるわ」「どうしたらこんな汚れになるんや。信じられへん」「これ細菌やん.食中毒菌やで」「目的地にたどり着くまでが大変やな。チョモランマや」などと反応するたび、「しょうがないでしょ」「いいから、置いといて」「すみません」などと反抗していると、仕事はまるではかどらない。何を言われてもしょうがない惨状を招いたこちらの落ち度はあるのだけど、押さえ込まれると面白くない。汚くて散らかっていて探しものが見つからない台所を「わたしはこれが使いやすいの!」と意地を張り、余計に疲れる。ありがたいけど、ほっといて。この感覚、どこかで……とデジャブを覚えたら、ダンナ母がうちの台所に立ったときの,手と同じぐらいよく回る毒舌に当てられたときのあの感じ。13才年上のメグさんとは、わたしが大学生の頃から二十年近いつきあいになるが、いつまで経っても追いつけない手強い姑のような存在。チクチク、グサグサと引き換えに台所はくすみが晴れたようにピカピカに磨き上げられ、ガンコな茶渋もすっきり。圧力鍋に顔が映り込んだのにはたまげ、かないませんなあと白旗上げて降参した。

メグさんにはゴミ出しについても厳重注意を受け、「ここに置いてあるフタは何の意味があるん?」「捨てるんかとっとくんかどっちや!」などと突きつけられること数十回。「もったいなくて、物を使い切らないとなかなか捨てられない」と言い訳すると、「それはわかる。私もロハスな人間やから」と珍しく同意された。「そのロハスって言葉、わたしダメなんだけど」と言い返すと、「私も別に好きちゃうで」とあっさり意見が一致。ロハスという言葉が出回った頃からなんだか違和感を覚えていたのだけど、何がイヤなのかいまだにはっきり特定できていなかったわたしは、「ロハスっちゅう言葉は、なんかかゆい」というメグさんの台詞に「それや!」と飛びついた。物を無駄にしないとか、自然を愛するとか、ゆったり生きるとか、その精神には共感するのだけど、さりげなく日々の生活に取り入れていることの頭文字をつなげて「ロハス(Lifestyle of Health and Sustainability)」なんてもったいぶった名前をつけることにムズムズする。企業が「ロハス宣言」したりデパートが「ロハス展」をしたり、商業のにおいが強くなるほど、野にひっそり咲く花を額縁に飾って展覧会に押し上げてありがたがっているような不自然さを感じてしまうのだった。

「エコって言われても抵抗感じないのに、なんでだろね」とわたしが言うと、「森永なんとかっちゅう経済学者(たぶん森永卓郎?)がセコって言うてたけど、私はそれやな」とメグさん。セコいとエコをかけて、セコ(SECO)!? この言葉は、なぜか愛せる。わたしもその一員のつもりなのだけど、捨てられないものがあふれ返るだけで、「環境にええていうても、カビ生やしたら健康に悪いし」「中途半端がいっちゃんタチ悪い」とメグさんにしかられている身では、エコの部分が抜け落ちた「セコいだけのセコ」のよう。

2007年09月25日(火)  すごい本『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』
2003年09月25日(木)  ディズニー・ハロウィーン
2002年09月25日(水)  宮崎・日高屋の「バタどら」
2001年09月25日(火)  『パコダテ人』ロケ3 キーワード:遭遇 


2008年09月24日(水)  トマトジュースのレシピで泣かせる『味覚日乗』

「トマトジュースのレシピで読者を泣かせてしまう」。先日読んだフリーアナウンサーの堤幸子さんの本(『堤信子の暮らしがはずむちょっといい話 主婦アナのマルトク生活情報ブック』)で紹介されていた『味覚日乗』に心惹かれ、手に取った。

「かまくら春秋」という月刊誌に9年にわたって連載されたエッセイをまとめたもの。読んで、たまげた。日々の何気ない暮らしの営みを綴った文章が、どうしてこうも格調高いのか。「桜は、なんと光の似合う花でしょう」。凛とした口調に、こちらの背筋も伸びる。栽培大豆の歴史を語り、「人類は、努力家揃いですね」。料理の工夫を述べて、「頭は生きてるうちに使います」。「塩とは、なんとすばらしい物質でしょう」などという表現に、台所にあるものが、そこで営まれる家事という行為が、崇高なものに見えてくる。摘み草をする効能については、「つまり風土そのものを味わうのです。なんという印象的な一体感でしょう。風土の生理と人間の生理は、実は一つなのですし……。教育的意義に就いては、一生の幸・不幸を支配するほどの深意がひそんでいたと思います」。

「『雛祭り』それは心のふかみに、ぼんぼりで照らし出されるように、私を慈しんでくださった人々の顔がよみがえる旬日です」ではじまる雛祭りの思い出の美しいこと。「自分によきことを願う、大人達の心を子供が感じとらぬはずがあるでしょうか」と言われれば、親への感謝と子への慈しみが同時に沸き起こり、「当節“面倒くさい病”が蔓延し、重症者も見かけます。(中略)年中行事を商売の色にこれ以上染めず、私共の手許へかえしたほうがよいのではないでしょうか。かたちから入って、こころをとりもどす方法もあるのです」の提案に激しく膝を打つ。

そして、待っていました、トマト・ジュースの作り方は、「手づくりのすすめ」と題したエッセイの中にあった。「思うに、夫婦別れを胸に、梅干しを漬け、塩昆布を炊き、らっきょうを漬ける光景を見たことはなく、夫婦喧嘩の翌日炊きましたという煮豆を食べたこともなく、冷えた心で肴の煮干しを吊るす人を見たことがありません」「日常茶飯の手業の背景は、推測以上に心の深淵に属し、投影そのものと思います」「深淵にたたえられていたものへの敬意と感謝をなおざりにしていた長い歴史が、こと、ここに至って、あってあたり前とされてきた女の水源を枯渇させているのではないでしょうか」とたたみかける三つの文は、随筆を超えて、もはや哲学の領域。

夫婦喧嘩した直後に背中を向け合って梅酒を漬けた身としては肩身が狭い思いをしつつも、梅酒を漬けている間に平常心と日常を取り戻したことも思い出し、「深淵か」としみじみとなる。そして、このトマト・ジュースの随筆の締めくくりの一文は、「人が愛ゆえに、作ったり、食べさせてもらったりする日々。過ぎてしまえばなんと短いことでしょう」。これはもう手抜き主婦のわたしでもぐぐっとこみ上げるものがある。一食でも多く家族に手料理を食べさせたい、しかも喜んで。そんなやる気を起こさせてしまう威力のある、すごい殺し文句。

巻末の藤田千恵子さんの解説に「トマトジュースのレシピで読者を泣かせてしまうのは、古今東西の料理研究家では髄一、辰巳先生だけなのではあるまいか」とあり、堤信子さんの紹介文の出典を知る。著者が母であり料理研究家である辰巳浜子さんから「家庭料理を作り続けることは、単なるルーティンではなく、愛情という礎の上で行われる、『たゆまぬ努力』だ」ということを受け継いだ、と語るこの解説もすばらしい。「葉も皮も、才覚で美味に使って」大根を一本食べきる話が本文に出て来たが、野菜をおいしく食べ切るように、解説の最後の一行まで味わい尽くせた。

あとがきによると、『味覚日乗』というタイトルは、かまくら春秋社の伊藤玄二郎さんがつけたという。「日乗とは、平凡気な日常を書き重ねるという意味」というが、主婦業そのものが「味覚」を「日乗」することだなあと感じ入った。一食を重ね、日を重ね、月を重ね、季節を重ね、年を重ねる。消耗されるのではなく蓄積される響きがある「乗」という漢字に、労われる思いがする。

97年にかまくら春秋社より刊行され、2002年にちくま文庫となり、わたしが手に取ったものは2005年の6刷版。今でも版を重ねているのではないだろうか。解説にもあるけれど、「今日もちゃんと台所に立とう」という気持ちをこれほど奮い立たせてくれる本を他に知らない。

2005年09月24日(土)  DVDプレーヤーがやってきた
2002年09月24日(火)  アメリカ土産の「Targetスーパー」のカード
2001年09月24日(月)  『パコダテ人』ロケ2 キーワード:対決 


2008年09月23日(火)  さつまいもの町、川越。

さつまいもが大好きで、ダンナの実家では「いもねーちゃん」と呼ばれ、「雅子にはイモの天ぷらが何よりのごちそうだ!」とどっさり揚げてもらっている身としては、さつまいもの町として有名な川越にはぜひ行かねばと思っていた。あちこちの雑誌に載っていた川越情報の切り抜きを集めるばかりで、なかなか行く機会を逃していたのだけれど、いざ行くと決めたら池袋から30分。家を出て1時間も経たない距離に、小江戸・川越はあった。

駅からてくてく歩いて、ひょいと入ったお寺で、かわいい子猫がお出迎え。なぜか川越は猫が多い町でもあった。猫もイモが好き?

お寺の中にある団子屋さんの行列に誘われて並ぶ。一人で10本20本と買い求めて行く人たちがいて、飛ぶように売れている。2歳児のわが娘・たまも、顔をしょうゆだらけにして、一本ぺろり。団子屋はそこらじゅうにあって、どこでもたいてい一本80円。

蔵造り通りの町並みをひやかしながら歩いていると、イモはもちろん栗やあんこや豆の誘惑が次々とふりかかり、試食だけでおなかいっぱい、幸せいっぱい。いろんな種類の豆を気前良く食べさせてくれる豆屋さん、サイコー。名物らしい「きな粉豆」と甘納豆をお買い上げ。


ここにも、猫発見、蔵が並ぶ昔ながらの町並みになじむよう、クロネコヤマトのお店も蔵造り通り仕様。

路地の左右からなつかしいお菓子が誘いかける駄菓子屋横町も、これまた楽しい。お店の人たちも威勢がよくて、縁日みたいな雰囲気。

氷川神社にお参りし、観光協会に寄って、ポスターで知った「たま」というお店の場所を聞くが、今日は開いていない様子。さらにてくてく歩いて、町のシンボル的な「時の鐘」へ。正面にあるうどん屋さんに入り、3時の鐘を聞く。

いも天ぷら、いもうどん、いもそうめん、いもの甘煮などのいも尽くし。これだけいもを食べても、まだ食べたい。次回は「いも懐石」に挑戦してみようと思う。
川越駅までの道も、歩いているといろんな発見があり、楽しい。レトロなカフェやら、どんな味がするのか興味をそそられるお煎餅の看板やら。2歳児の探検にも打ってつけの町だとわかった。

2007年09月23日(日)  オフコースを聴いて思い出すこと
2006年09月23日(土)  マタニティオレンジ10 誕生日コレクション
2005年09月23日(金)  今日は秋分の日
2001年09月23日(日)  『パコダテ人』ロケ1 キーワード:事件


2008年09月22日(月)  「せつない」が言葉になった、たま2才1か月

娘のたまが2才の誕生日を迎えて、はや1か月。いまだに日によって「あまちゃん1才」と言ったり「あまちゃん3才」と言ったり、いまだにチョキはできないし、「たま」も言えない。「タ」だけでなく「ピ」も苦手で、「チンポーン」と大声の効果音つきでチャイムを鳴らす。「ピ」と言えないので、周囲は爆笑、親は苦笑。まわりが受けると、余計に調子に乗って「チンポーン」を連発。陽気な三枚目路線を突っ走っている。

バスの降車ボタン、エレベーターの階数ボタン、ウォッシュレットの操作ボタン、押せるボタンは手当たり次第押す。自宅のインターホンについている警報ボタンを押してけたまましい警報が鳴り響いたことも二度三度。ご近所さんに何と言い訳しようかとハラハラしたけれど、誰も「どうしましたか?」と駆けつけてくれず、意味がないことも判明した。

いつも何かしら口ずさんでいて、「ちょうちょ」「ぞうさん」「おもちゃのチャチャチャ」「ぶんぶんぶん」「バナナがいっぽんありました」「ねんねんころりよ」に加えて、「大型バスに乗ってます〜」という「バスごっこ」の歌と「しまうまのしまをぐるぐる取って〜」という「しまうまぐるぐる」、「おうまのおやこ」がレパートリーに加わり、「崖の上のポニョ」もだいぶ歌えるようになった。保育園では保育士さんが一日中歌ってくださっている。毎日聞いて体にしみこんだ歌が次々と顔を出し、いつの間に覚えたの、と驚かされる。「ぶんぶんぶん ママがとぶ」や「アンパンマンのおやこは なかよしこよし」「たまちゃんはいいこだ ねんねしな」など替え歌にして遊ぶことも覚えた。マイクをにぎってカラオケのまねごとをして、最後に「サンキュ」と言いながらマイクを持ち上げる。どこでそんなこと覚えたのか。わたしの鼻歌にも「なんの うた?」と興味を示し、部屋が静かだと「おんがく」とリクエストする。

たま語銀行に書き留めきれない勢いで日々進化している言葉は抑揚が豊かになり、「ひっぱんないで」「たま、まだ たべてないよ」などと感情を込めて言うようになった。一人で受話器に向かって「もしもし? あまちゃんよ。げんきよ。こうえんいこねー」などとべらべらしゃべっている。この一か月は、「さびしい」を訴える表現がふえて、今まで我慢していたんだなあと反省した。打ち合わせで遅くなる日が続くと、朝保育園で別れ際に「きょうは ママ くる?」と聞いてくる。休日にわたしがパソコンを打ちたいときはパパが散歩へ連れ出すのだが、「そろそろ帰ろうか」とパパが言うと、「ママ まってないよ」と切ない声で言ったりするという。

今日は夕方から打ち合わせが入ったので、昼間は保育園に預けず、仕事を忘れてじっくり遊ぶことに。ちょうど風邪気味だったこともあるけれど、体よりも心をいたわってあげたかった。後楽園ラクーアまで散歩すると、メリーゴーランドを指差し、あれに乗ると言い出した。7月に東京ディズニーシーでカルーセルに乗せたときは、またがった途端「かえる」とべそをかいたので、怖いからやめとこうよと諭したのだけど、乗ると言ってきかない。月誕生日プレゼントのつもりで乗せると、怖がるどころか、手を振る余裕。こんなところにも成長は現れている。

2007年09月22日(土)  マルセル・マルソー氏死去
2006年09月22日(金)  マタニティオレンジ9 赤ちゃんとお母さんは同い年
2005年09月22日(木)  innerchild vol.10『遙<ニライ>』
2003年09月22日(月)  花巻く宮澤賢治の故郷 その3


2008年09月21日(日)  「プロポーズ・アゲイン。」と『最後の初恋』

「プロポーズ・アゲイン。」というプラチナの新聞広告にあった「よい夫検定」の問題。「初めてのデートの場所は?」とダンナに投げかけると、「うるさい」と答えが返って来た。ど忘れよりもタチが悪い。落第者は妻にプラチナを贈って出直しましょう。宝石にあまり興味がないわたしは、プラチナよりもプラスティックのほうが好みだけど。

かつての恋人は妻という名の家政婦となり、今や母という名の乳母も兼ね、恋は遠い昔に置き去りにされている感がある。結婚何年目かのある日、突然「いとおしい」と言われて頬を赤らめたら「うっとうしい」の聞き間違えだった。ずっと恋していたいわたしには淋しいことだけど、結婚とは生活の重力に引っ張られて地に足をつけていくことなのかもしれない。せめて恋の時代を通り過ぎても、別な形の愛情に置き換わっていることを願う。

家族は愛情が前提の単位だから、それを失った相手のために食事をこしらえたり洗い物をしたりするのは苦痛になる。給料の出ない家事という奉仕にどれだけ前向きに取り組めるかは、家族への愛情のバロメータになるかもしれない。

わがダンナは家事逃れの天才で、「君の入れてくれた風呂が好きだ」とのたまってまで風呂掃除を押しつけようとする。「君の入れてくれた珈琲が好きだ」なら乗せられて一杯煎れるけれど……。「わたしが食事を作ったんだから、あんたがお皿を洗ってよ」と言うと、「君が汚したんだから,君が洗ってよ」と言い返され、憤怒のあまり絶句したこともある。お風呂もお皿も洗い物はダンナという結婚当初の約束は、「聞いてない」。以前、夫婦で大石静さんにお目にかかる機会があったとき、ダンナは「武士」というありがたいあだ名を頂戴した。

子どもが生まれてからも武士ぶりは健在だったけれど、最近変化が現れだした。お手伝いも遊びになる娘のたまに巻き込まれる形で家事に手を出すようになったのだ。洗濯機から洗濯物を運び出すリレーごっこやお風呂ゴシゴシごっこを父娘で楽しそうにこなしている。

感謝や思いやりがあれば夫婦はやっていけると聞くけれど、毎日顔を合わす相手に興味を抱き続けられるかどうか、これがすごい挑戦なんじゃないかと思う。感謝や思いやりを向けることは努力で何とかなっても、関心をコントロールするのは難しい。ダンナとは知り合って人生の半分ぐらいになるけれど、これだけ一緒に過ごしてきても、初めて知る一面があるのが面白い。「子はスパイス」だと思う。

さて、今日の日記の内容にも関連して、宣伝をひとつ。9月27日公開の映画『最後の初恋』の劇場用パンフに今井雅子のエッセイが登場。映画に登場するモチーフにからめてエッセイを競演するという企画で、わたしがいただいたお題は「嵐・海」。母であり、妻である前に女でありたい。生活に埋もれているそんな女心に揺さぶりをかけるのは、嵐の海……。劇場で手に取っていただけたら幸いです。原作は『きみに読む物語』『メッセージ・イン・ア・ボトル』のニコラス・スパークス。嵐の海で恋に落ちる二人はリチャード・ギアとダイアン・レイン。

2006年09月21日(木)  マタニティオレンジ8 赤ちゃん連れて映画に行こう
2003年09月21日(日)  花巻く宮澤賢治の故郷 その2
2002年09月21日(土)  アタックナンバーハーフ


2008年09月19日(金)  広告会社時代の同期会

3年前まで勤めていた広告会社、マッキャンエリクソンで同期入社したナカジ君が転職することになり、同期を中心にした送別会が開かれた。打ち合わせが長引き、会社が入っている青山一丁目のビルの一階にあるカフェ246に着いたのは、12時前。ビニールカーテンの外を嵐が吹きすさぶオープンテラスでそのまま二次会が続いていて、主役のナカジ君を含めて8人の同期に会うことができた。同期が集うのは、ナカジ君が大阪支社に転勤になったとき以来、約2年ぶり。平成5年に入社したときは15人いた同期もナカジ君が抜けて、あと3人となった。広告業界は入れ替わりが激しく、転職組の中には3社目に移った人もいる。

この同期、すごく仲が良くも悪くもなく、ノリが良くも悪くもなく、恒例の新卒パーティ(新卒社員が企画、主催して社員にパーティ券を売る)も、なんとなくやらなかった。それでいて、誰かが異動したり結婚したりすると、同期で集まろうとなり、会うと楽しかったり懐かしかったりして、また近々やろうよと言いつつ、あっという間に2、3年過ぎる。他社からマッキャンに中途入社した社会人同級生も「同期」に勧誘しているので、同期会を開くたびに、集まる同期が増えていたりする。なんともマイペースな集団なのだけど、そのゆるさが、年を経るごとに心地よく感じられる。内定式や入社式が遠い思い出になるにつれ、同期会は、「ただいま」と帰る場所になっていく。

同期入社のアートディレクターのヒダイ君が、入社して間もなく同期で行った一泊旅行の写真を持ってきていた。FIT(フィット)というスポーツ宿泊施設でテニスをしている皆の若いこと。ピタピタのスパッツをはいて逆立ちしているわたしも、恥ずかしいぐらい幼い。モノクロで撮ってカラーで焼くとセピアカラーになると教えてくれたのはヒダイ君だけど、その手法で焼き付けられたセピア色の思い出が余計に懐かしさをかき立てて、照れくさいような眩しいような思いで、じっと見入ってしまった。

2004年09月19日(日)  2代目TU-KA


2008年09月18日(木)  マタニティオレンジ333(最終回) 魔の二歳児 魔法の二歳児

知恵がつき、言葉が達者になり、わがままも口答えもいっちょまえになって親の手に負えなくなってくる「魔の二歳児」。その悪魔の「魔」は魔法の「魔」でもある、という投書を新聞で見つけた。いつの間にこんなことができるようになっていたの、と目を見張る魔法のようなことが確かに次々と起こる。

パソコンインストール用のCDが床に転がっているのを見つけたわが娘たまは、封筒からCDを取り出し、わたしの作業椅子に飛び乗り(これもいつの間にか危なっかしくなくなった)、Macの右側にある溝にすいっと滑り込ませた。しまじろうのお試しDVDを観るときにわたしが取る手順をちゃんと見て覚え、真似している。厚さ2ミリほどの溝にCDを通すなんて器用なこともできるようになったのか、と驚いた。

大阪でいとこ兄妹のシュンちゃんとトモちゃんに「大阪にはうまいもんがいっぱいあるんやで〜」という振りつきの歌を教わったのだけど、そのときはまったく動きについていけなかったのに、昨日の朝保育園に向かう道で突然上手に踊り出した。「大阪にはうまいもんがいっぱいあるんやで〜 たこやき ぎょうざ お好み焼き 豚まん」という一番では、ほっぺたにたこ焼きを作り、耳の後ろに手を当ててぎょうざを作り、頭の上下を両手ではさんでお好み焼きを作り、最後に鼻を指で押し上げて豚まんを作る。「大阪にはうまいもんがまだまだあるんやで〜 カニ道楽 くいだおれ もんじゃ焼き なんでやねん」では、カニの手、くいだおれ人形のたいこを叩く仕草、もんじゃを焼く真似に続いて、右手を前に突き出して「なんでやねん」のポーズ。今はなき「くいだおれ」がこんな形で娘に受け継がれることに感激し、「豚まん」「なんでやねん」をうれしがって繰り返す三枚目な姿に大阪人の血を感じた。

ところで、産後のマタニティブルーにひっかけて「マタニティオレンジ」と題して子育てにまつわるあれこれを書き綴ってきたけれど、1才の誕生日を過ぎ、2才の誕生日を過ぎ、まだオムツでおっぱいとはいえ娘はもはや赤ちゃんではなくなり、わたしも、もはや産後ではなくなった。ちょうど333とゾロ目になった今日をマタニティオレンジの最終回にしようと思う。会社を辞めて脚本に専念しようと思った矢先に縁あって首をつっこむことになった子育ては、想像した以上にネタの宝庫で、毎日のように書きたいことがあった。子育て中の人は自分と重ねて泣き笑いし、子育てが一段落した人は昔を振り返り、「今井さんと同じときに子育てしたかった」と言ってくれる人もいた。子どもを授からなかった友人は、「自分が子育てしていたらこんな感じかなあ」と想像しながら成長を見守ってくれた。日記を読みながら一緒に喜んだり心配したり面白がったりしてくれた人たちの反応に励まされて、オレンジな気持ちのまま今日まで来られた。マタニティオレンジ期は卒業しても、娘の話題はこれからも日記をにぎわせるはずだし、たま語銀行への貯蓄も続けるつもり。おもろいことも大変なことも、いっぱいあるんやでえ。まだまだあるんやでえ。

2005年09月18日(日)  和歌山・串本の干物
2004年09月18日(土)  愛以外は証明できる宇宙飛行士
2003年09月18日(木)  夢も人もつながる映画『夢追いかけて』
2002年09月18日(水)  月刊ドラマ


2008年09月17日(水)  湯気の中にかおりが見える映画『しあわせのかおり』

『パコダテ人』のプロデューサー、ビデオプランニングの三木和史さんの最新作『しあわせのかおり』を試写で観た。中華鍋を熱する炎がボワッという大きな音とともに青く揺らめいて立ち上がるオープニングにつかまれる。このボワッ!がけっこうな音量で、劇中で火が点くたびにわたしは座席で飛び上がることになった。よく熱した中華鍋を卵液が踊るように滑りながら固まりかけていく様も、画面いっぱいに映るとすごい迫力。包丁さばきも大胆なジャーッと炒める手つきも豪快で、中華を作るってアクションだったんだなあと気づかされる。

とにかく出てくる料理がひとつひとつ実においしそう。中谷美紀演じる百貨店の出店交渉担当がお昼目当てに一週間通い、一日交替で「山定食」「海定食」を注文するモンタージュは、あれも食べたいこれも食べたいと目が迷い箸状態になった。しっかりとカメラにとらえらえた湯気の中に、タイトルにある「しあわせのかおり」が本当に見えるような気がしてくる。

今作と同じく三原光尋監督、藤竜也主演、三木和史プロデューサーが組んで上海国際映画祭で最優秀作品賞を射止めた『村の写真集』同様、悪い人は出て来ず、写真の代わりに料理を通して登場人物が心を通い合わせる過程をじっくりと描いている。食事を作ることは「好き」を伝えることで、嫌いな人のために料理を作るのは苦痛なのはもちろん、まず自分が自分を好きという精神状態でいることがとても大切。わたしはそう考えるので、料理の腕を上げるうちにヒロインの顔つきが変わり、藤竜也演じる師匠の王(ワン)さんに認められていく過程を面白く観た。

説明をしすぎないというか、あえて空白を残しているように感じられる場面もあって、ここは食い足りないのではと思ったりもしたけれど、料理の満腹感とのバランスを考えるとちょうどよかったのかもしれない。体にやさしくおいしいものを食べた後のように、あたたかなもので満たされたような「しあわせ」がしみじみと広がる作品だった。

出口近くで「今井さん」と呼び止められて振り返ると、『パコダテ人』でご一緒した石田和義さん。CM制作会社から映画の世界に飛び込み、パコでアソシエイトプロデューサーとしてスタートを切り、今はヒットメーカーのROBOTにいる。そういえば、『村の写真集』にも関わっていたはず。石田さんに紹介してもらって縁ができたROBOTで何度かすれ違ったことはあったのだけど、やっと今日お茶する時間を持てた。お互いやパコ関係者たちの近況を話す。石田さんにとってもわたしにとっても初めての映画だった『パコダテ人』は、格別に思い入れ深い故郷のような作品。石田さんは、『死神の精度』に続き、超大作『K−20 怪人二十面相・伝』を手がけていて、金城武づいている。

2004年09月17日(金)  『浅草染太郎』のお好み焼き
2003年09月17日(水)  Virginie Dedieu(ビルジニー・デデュー)
2002年09月17日(火)  宮崎映画祭『パコダテ人』上映と手話


2008年09月16日(火)  マタニティオレンジ332 大阪行く! 大阪また来る!

NHK奈良主催の万葉ラブストーリーがらみで、娘のたまを連れて大阪にちょくちょく帰る機会が出来、今回で4回目。これまでと違って今回は「おーかー いく!」(大阪行く!)とちゃんとわかっていて、何日も前から楽しみにしていた。保育園でも「おーかー いく!」と保育士さんに触れて回り、少し前に大阪に行ったお友だちに「おーかー いく?」と聞いていたという。

6月に会って以来、3か月ぶりの大阪じいじばあばは、急に言葉がふえたたまとのやりとりを面白がり、よく笑った。広い床、広い庭、玄関先で飼っているメダカ……東京の家にはないあれこれに、たまの目はランラン。マイカーのハンドルを握らせてもらい、じいじがなぜか持っていたマイクを握って持ち歌を次々と熱唱した。

ダンナの弟夫妻のところの3才のハルくん、わたしの妹夫妻のところの5才のシュンくんと3才のトモちゃん、3人のいとことの交流も楽しんだ。今日はわたしの中学時代の同級生、ハルちゃんのところに昨年10月に生まれたケンタくんと初対面。「あかちゃん くる?」と楽しみにしていたのに、自分と同じぐらい大きな男の子に気後れして、泣きべそをかいていた。ケンタくんは写真で見ていた以上のきりりとした美男子。今度帰ってくるときには一緒に遊べるかなあ、とお土産にいただいたマダムシンコのバウムクーヘンを食べながらハルちゃんと話した。

3泊4日の間には「おうちかえる!」と突然言い出すこともあったけれど、いざ帰る時間になると、「おうちかえらない!」。「おーかー またくる!」と繰り返しながら大阪を後にした。子連れでの帰省は今のところもっぱら飛行機。新幹線で3時間もじっとさせておくのは大変、飛行機なら泣いても一時間というのがその理由だったのだけど、新幹線のほうがラクなのではと思えてきた。泣かれても逃げ場がない飛行機と違い、新幹線なら車内を歩いて気を紛らわせることはできる。乗っている時間には2時間ほどの差があるけれど、空港までの距離、空港での待ち時間、空港内の移動を含めると、所用時間はどっこいどっこい。値段も新幹線のほうが安いし、便数も多いし、次回は陸路で帰ろうか。空港バスと並走していた白地に青いラインの泉北高速鉄道の車両を指差して、たまは「しんかんせん!」と歓声を上げていた。

2005年09月16日(金)  棚橋荘七個展 A+Tアート青山 横山KAN事務所
2003年09月16日(火)  『冷凍マイナス18号』キャンペーン開始


2008年09月15日(月)  「第2回万葉LOVERSのつどい」でますます万葉ラブ!

第1回に続いて審査員を務めたNHK奈良主催の脚本コンクール「第2回万葉ラブストーリー」募集。審査会で大賞1作品佳作2作品を選んだ6月12日からわずか3か月の間にホン直し、撮影、編集が進められ、活字だった3つの受賞作は、それぞれ10分あまりのオムニバス3作品となった。その「ドラマ万葉ラブストーリー夏」の完成を記念した「第2回万葉LOVERSのつどい」が今日開催された。会場は奈良女子大学記念館。明治時代に建てられたという美しいたたずまいの洋館は、国の重要無形文化財だとか。講堂の高い天井に施された装飾や、舞台正面の壁に配された謎の扉に、胸が高鳴る。

今回の受賞者も全員女性。そのうちの一人、『人込みさがし』で佳作を受賞した宮埜美智さんは、昨年『フルムーン ハネムーン』で受賞した藤井香織さんの友人で、わたしの一日シナリオ講座を一緒に聴きに来てくれたことがあった。審査の段階では作者名は伏せられているので、受賞が決まった後に知ったのだけど、うれしい偶然。大賞作品『誰そ彼からの手紙』を書いた高橋幹子さんは、今年のフジテレビヤングシナリオ大賞も受賞。立て続けにコンクールの最高賞を射止めるのは、才能に加えて運も強力な証拠。受け答えからも自信と意欲が伝わってきて、たのもしい。『つらつら椿』(ドラマ化にあたって『花守り』と改題)で佳作を受賞した縞古都美さんは受賞をしみじみと感激している様子。わたしもコンクールがきっかけで脚本家デビューをしたので、自分が経験した授賞式を振り返りながら、今日の感動が書き続ける力となりますようにと願った。

開演直前に、司会の中村宏アナウンサーと杉本奈都子キャスター、審査員で万葉学者の上野誠先生と第一部のトークショーの打ち合わせ。前回はドラマに登場する万葉集の歌3首を紹介しつつ展開したのだけど、ネタバレになる恐れもあるので、今回は路線変更することに。上野先生が「万葉集の巻七の冒頭にこういう歌があるんですが……」と手書きのメモをテーブルに出した。

 天の海に
 雲の波たち
 月の舟
 星の林に
 漕ぎ隠る見ゆ


「この歌からどんな場面が思い浮かぶかについて話すのはどうでしょう」と上野先生。作者は詠み人知らず。誰が誰に向かってどんな場面で詠んだ歌か思いを馳せるところから脚本作りは始まる。「まさにそういうことができたらと思ってました」とわたし。2回審査をやってみて、「ストーリーに万葉集の歌を盛り込むのではなく、万葉集の歌を原作にしてストーリーを膨らませる」ことが万葉ラブストーリーの必勝法だと確信したところ。その作業のさわりをトークで披露できたら面白い。

ホワイトボードもなく、パワーポイント上映もできないというので、上野先生が読み上げる歌を復唱して頭に入れつつ、一人ブレスト開始。月夜の海に小舟を浮かべて語り合う若い男女がすぐに思い浮かぶけれど、脚本家としては、中村アナや杉本キャスターが思いつかないような変化球を投げてみたい。開演の挨拶を舞台袖で聞きながら思いをめぐらせ、ふと「宝探しの暗号みたい」と思った。「謎解き」というヒントを得て、言葉遊びのスイッチが入り、歌をあらためて眺めると、もうひとつ発見。「できた!」とストーリーが見えた瞬間、名前を呼ばれて壇上へ。

即興脚本作りに入る前に、まず、上野先生が大きなハートを縫い付けたわたしのワンピースを話題に上げた。万葉「ラブ」にちなんでハート服を選んだのだけど、「近くで見ると、すごく縫い方が荒いんですよ」と上野先生。会場の笑いを誘ったところで、「この服を作ったデザイナーはこんな目に遭うとは想像してなかったと思うんですけど、万葉集の作者たちも自分の作品がドラマにされるなんて思ってなかったでしょうね」とわたしが引き取った。リード上手な上野先生との掛け合いは、気持ちよく話がつながる。


「今日は皆さんに脚本が生まれる瞬間に立ち会っていただこうと思うんです」と上野先生が切り出し、「天の海」の歌を読み上げ、「天が海なら雲は波 雲が波なら月は舟 その舟が漕ぎ出すのが星の林に隠れて見える」といった意味を解説。「これを詠んだのは男だと思いますか? 女だと思いますか?」と中村アナ、杉本キャスター、わたし、ついで会場の皆さんに質問。男派と女派がほぼ半々。続いて、中村アナと杉本キャスターに「この歌の場面を即興で演じてください」と上野先生。星空を見上げるカップルをたじたじと照れながら演じはじめたお二人、決め台詞が出ず、会話が終わらない。「その舟に乗せて私をどこへ連れて行ってくれるの?」と上野先生が助け舟。

「では、プロの今井さんならどんなドラマを考えますか」と上野先生に振られ、わたしが披露したのはこんな話。

つきあって10年になるのになかなかプロポーズが聞けない美穂子ちゃん(愛称ホコちゃん)が彼氏の阿久津君に宝探しの歌を贈った。この歌の中に宝のありかが……だけどなかなかわかってくれない阿久津君。じれったくなったホコちゃん、「頭の5文字をつなげてみて!」。答えは「アクツホコ」。ホコちゃんがアクツ君のお嫁さんになるのが宝だってこと。さらに「アクツホコ」を並べ替えると、「アホコツク(アホ小突く)」。鈍感な阿久津君にかわいく肘鉄食らわせたホコちゃんに阿久津君はついにプロポーズしてハッピーエンド。

「プロポーズの舟が星に隠れて見えない」というじれったさが歌に込められていたことを言い忘れたけれど、会場からは拍手を頂戴できたので、ほっとひと安心。ちなみにひらがなで書き起こすと、

 あめのうみに
 くものなみたち
 つきのふね
 ほしのはやしに
 こぎかくるみゆ


打ち上げの席で放送部長の武中千里氏に「在原業平の『かきつばた』の折り句の逆の発想ですね」と指摘されて、それを言い添えておけば教養がにじんだものをと悔しがる。「猫又」という短歌の会で以前「くりひろいを折り句にして一首」というお題があったのに、折り句という言葉もかきつばたもすっかり忘れていた。何気ない会話にさりげなく古典を忍ばせられるような大人になりたい。

第二部は授賞式。上野先生は「景」(景色)と「情」(情感)が描かれていることが選出基準であると話し、井筒和幸監督は大賞の「誰そ彼からの手紙」を絶賛。わたしは脚本作りを料理にたとえ、「このコンクールは万葉集と奈良を使うことと材料が指定されているけれど、万葉集は何千とあり、奈良の見所も何千とある。そのどれとどれを選んで組み合わせ、ストーリーを膨らませるか、そこが料理人の腕の見せどころ」と話した。

その受賞脚本にたくさんの人の手で命が吹き込まれ、さらに重厚な味わいに仕上がっているはず。というわけで、第三部はわたしも初めて観る「ドラマ万葉ラブストーリー夏」の披露上映。昨年以上に見ごたえのある3作品に惹きつけられた。自分の脚本が作品が映像になると、「ここは、こうなったのか」と答え合わせをしながら観てしまう。思った通りのこともあれば、予想を裏切られても期待を上回ることもあり、あれっとなる場合もあるけれど、間違いなく言えるのは、夏の奈良の名演は脚本に描かれている以上だったのではということ。前回の秋の奈良も素晴らしかったけれど、夏には夏の輝きがあり、すでに募集が始まった第3回(>>>募集要項)の春編にも早くも期待が高まる。ぜひ第4回募集で冬編まで作って、万葉ラブの四季を完成させてほしい。

披露上映後、『人込みさがし』に中村太郎役で出演した真鍋拓さん、『花守り』に桜井るり役で出演した中園彩香さんとともに受賞者3名が登壇。ドラマの感想を語り、真鍋さんが劇中でも披露した笙の音色を聞かせてくれた。今回の役のために特訓されたそう。『人込みさがし』を書いた宮埜さんは、ドラマの感激に加え、サプライズで来場したダンナさんのお父さんが涙ぐんでいるのが壇上から見えて、涙、涙。脚本コンクールは数あれど、授賞式と完成披露が一度に行われるものは珍しい。受賞者が一日に味わえる幸福度でいえば、万葉ラブは最強かもしれない。

つどい終了後はお時間の許す方に残っていただき、「ふれあいミーティング」という名の意見交換会。今日の感想をうかがったり、質問を受けつけたり。次々と手が挙がり、前回以上に活発なやりとりとなった。大学時代に応援団の写真をよく撮ってくれた小山氏もわたしのサイトでイベントを知ってサプライズで登場。「三人の受賞者の方、なぜそれぞれの歌を選ばれましたか」といい質問を投げてくださった。ミーティング後も話しかけてくださる方あり、サインを求めてくださる方あり。「子ぎつねへレンのファンです」という男性、「去年も参加しました」という男性、「次回応募したく東京から参加しました」という女性、「奈良に住んでいて、紹介したいところはたくさんあるんですけど、脚本の書き方がわからなくて」という女性三人組。「来年も来ます!」の声がたくさん聞けて、万葉LOVERSの輪が着実に広がっている手ごたえを感じた。

わたしに審査員を依頼してくれた大学時代の同級生、高田雅司くんは夏に千葉放送局に異動したけれど、イベントのために戻ってきてくれた。前回の受賞者の藤井香織さんは東京から、西村有加さんは名古屋から(お土産に名古屋グルメをいただく。あんこ味マーブルチョコ、ヨコイのソース、チョコ×海老せんべい)駆けつけ、ちょっとした同窓会気分。帰りたくなるイベントって、なんだかいいなあ。

奈良放送局へ移動し、ミニ打ち上げ。「6時45分のニュースでやるよ」とテレビをつけ、見守るが、なかなか出てこないうちに天気予報。「この後にもまだ枠があります」と中村アナ。しかし、天気予報の後は相撲のニュース。「落ちたか」と秋山局長。「いえ、あと1分あります」と中村アナ。最後にすべりこみで映った瞬間、大きな歓声。今年も成功でしたね、来年もよろしく、と気持ちよくしめくくる。

ドラマ「万葉ラブストーリー夏」は早くも放送が決定。昨年は奈良ローカル放送に始まり、関西地区での放送を経て全国放送まで4か月かかったけれど、今年は一か月以内のスピードで達成。ドラマとして楽しむもよし、第3回応募の傾向と対策を練るもよし。奈良放送局のブログで読める「万葉サブストーリー」とあわせてどうぞ。
◆9月19日(金)20:00-20:43(総合テレビ 関西のみ放送)
◆10月12日(日)15:05-15:48(総合テレビ 全国放送)

2002年09月15日(日)  パコダテ人P面日記 宮崎映画祭1日目


2008年09月14日(日)  降雪確率100%の「ハーベストの丘」

大阪滞在2日目。「あそこはええよー」と大阪の家族や友人から評判を聞いていたハーベストの丘へ。わたしの実家からは車で10分ほどの距離にあるのだけど、駅前から出ているバスに15分ほど揺られて向かう。行ってみて、「ここはええわー」。広い敷地にいろんなものが詰め込んであって、何時間でも過ごせそう。目移りしそうな遊具に、娘のたまも目がキラリ。だけど、何をするにもいちいちお金がかかる。それぞれ300円かける大人二人。子どもが4才を越えたら、さらに子ども料金がかかる。

放し飼いになっている犬と遊べるコーナーに入るのにも、付き添いの大人は300円。たまが入りたそうにしていたので入ったら、「こわい〜。でる〜」とぐずりだす。300円の元を取ろうと思って引き止めたものの「でる〜」。せめて写真をと撮ったけれど、ひどい顔をしていた。

300円の観覧車から眺めると、吊り橋の向こうは畑や牧場や池が広がるのどかなエリア。観覧車を降り、吊り橋の手前の小径を下って小川が流れているところまで歩く。自然の小川には、あめんぼやおたまじゃくしが泳いでいる。たまを裸足にさせて小川に足をつけさせると、指の間に砂が入り込む感触が気持ち悪いらしく、「でる〜」。軟弱な都会っ子になってしまっている。

吊り橋を渡り、たまが異様に興味を示したパンダボートに乗る。20分900円。自転車を漕いで大きな池を進む。フナみたいな魚が群れで泳いでいて、手をたたくとホイホイ寄ってくる。警戒心ゼロ。ボートから上がると、100円の電気自動車をせがまれ、スイカ車に乗り込む。思いがけないスピードで発進したかと思うと、あっという間に走らなくなる。降りると、「イーゴ」とイチゴ車に駆け寄るたまを引きはがし、牧場エリアへ。ヤギやウサギの餌も有料。どうせたまは怖がるので,眺めるだけに。

カフェテリアのお昼は意外とおいしく、たまもよく食べる。その近くにガラス越しに中の作業を覗ける工場があり、プリンやらソーセージやら牛乳やらを作っている。午後でほとんどの機械は止まっていたけれど、プリンにフタをする作業をたまは食い入るように眺めていた。

ちょうど期間限定の「ハーベストの丘に雪が降る」というイベントがあり、降雪機でまいた雪を敷き詰めた二十畳ほどの銀世界が出現。子どもたちがひしめきあって、角砂糖に群がるアリ状態。そこに高度を上げた降雪機のノズルから大粒の雪が降り注ぐ。大粒というより塊で、こぶし大の雪を顔面に受けると、冷たさよりも衝撃が勝る。昼寝から無理矢理起こされた寝ぼけ眼のたまにはあまり受けなかった。

2003年09月14日(日)  ヤッシー君、地震を吹っ飛ばす!
2002年09月14日(土)  旅支度


2008年09月13日(土)  大阪・北浜『五感』のVIPルーム

『万葉ラブストーリー』イベントに出席するため、3か月ぶりに大阪へ。今回は娘のたまに加えてダンナも一緒に行けることになり、大阪に住むダンナの弟一家とお昼を食べてお茶することに。去年の秋東京で会ったきりなので、ほぼ一年ぶりの再会。甥っ子のハル君はたまより1才4か月年上で、すらりと背が伸び、上手におしゃべりして、すっかりお兄さん。たまもハル君も最初は緊張気味だったけれど、少しずつ打ち解け、追いかけっこをはじめたり、ギュッとだっこしたり。

うどんやだけどカツ丼が名物というお店でお昼を食べた後、歩いて北浜のパティスリー『五感』へ。去年、元同僚夫妻の披露宴で意気投合したフクちゃんたちと大阪で再会したときに案内されたお店で、昭和以前の建物と思われるレトロな店構えに一目惚れした。そのときはティールーム待ちの行列を前に店内で食べるのは諦め,持ち帰ってフクちゃんのデザイン事務所で食べた。一階のパティスリーを見下ろすような二階の回廊のティールームはどういうことになっているのか興味をそそられ、ぜひもう一度機会があればと願っていたら、ダンナ弟のほうから「勤め先近くのケーキ屋」として案内してくれたのだった。

今回も一時間待ちの行列。だけど、焼き菓子の甘い香りの中でショーケースのケーキを冷やかしながら待っていると、思ったより短く感じられた。飴色の階段を上ってすぐの個室に案内される。大人4名子ども2名の6人でちょうど囲める大きなテーブル.壁には本棚。ドアを見ると、「VIPルーム」のプレート。子連れへの配慮でいちばんいい部屋に通されたのだろうか。大人だけだったら、テーブルが並ぶ大部屋だったかもしれない。お手洗いに行くついでに通りがかったそちらも、もちろん雰囲気たっぷりだったけれど、個室は格別。実際、たまがぐずりだしたときは、まわりに他のお客さんがいなくてよかった、と心底ほっとした。人のティータイムを邪魔してしまうほど心苦しいものはない。

さて、運ばれて来たデザートは、注文した「和栗のモンブラン」に桃のシャーベットと小さなケーキ(チョコのスポンジで栗とクリームをサンド)が添えられたもの。三つを交互にスプーンですくって口に運ぶ。ケーキはやさしくふくよかな味でシャーベットはほどよい甘さ。ケーキがひとつ400円ぐらいとして、プレートに昇格したら2倍ぐらいになるんだろうかと思ったら、値段はケーキ一つのまま。シャーベットとプチケーキはおまけなのだ。店内で食べると割高になるのはよくある話だけど、おまけがつくというのは珍しい。飲み物とセットにしても1000円弱でおさまり、なんだかとても満たされた気分。銀座の古い洋館に東京店をぜひ。


2008年09月12日(金)  キューバ帰りのクラシゲ嬢

勤めていた広告会社でコピーライターの同僚だったクラシゲ嬢は、関西出身らしい個性的な着こなしと気さくな性格に好感が持てて、一緒に仕事したことはないけれど、大好きなお姉様だった。わたしが会社を辞めてからも年賀状のやりとりは続いていたのだけど、今年の年賀状は戻って来てしまい、引っ越したのかと思ったら「キューバに行ったよ」と聞いていた。小柄でいつもニコニコしているけれど底知れぬパワーを秘めたクラシゲ嬢がキューバでラムを飲んでいる姿は、想像してみると、とても自然だった。

そのクラシゲ嬢から突然連絡があり、東京に戻って来たという。「近いうちに会えない?」というので、善は急げ、「じゃあ今日」と返事をした。

エクセルシオールカフェで軽く食事しながら、キューバで撮ってきた写真のプリントアウトを見せてもらう。クラシゲ嬢にコピーだけでなく写真の才能もあったことは今日まで知らず、そのことにも驚きながら、あふれる色と笑顔に圧倒される。「こんな小さい赤ちゃんでも、すっごくいい表情するのよ」とクラシゲ嬢。たしかに、澄ました顔がない。日本人よりひとまわり大きな目や口がさらによく動いて、写真のこちら側の人間を仲間に引き込みそうな磁力がある。クラシゲ嬢の小さな体がしっかり溶け込んでいる写真もあって、もともと魅力的な人なつこい笑顔が、いっそう眩しく見えた。

キューバは社会主義の国なので、物は基本的にほどほどに足りていて、すごく貧しい人もいないかわりにすごく富める人もなく、日本を悩ませているような格差への不満や鬱屈はあまりなく、理不尽に人を傷つける事件も聞かない。お金がたくさんあっても使うところがないし、お礼をするときは「油」をあげると喜ばれる……。日本とはまったく価値観の異なる国の話を興味深く聞いた。キューバの案内書は日本ではかなり乏しく、魅力を伝えきれていないので、自分が発信したい、とクラシゲ嬢。彼女のコピーと写真があれば、読んでも眺めても楽しい充実した本が期待できそう。「取り急ぎ、キューバブログを作ってみたら?」と提案すると、「ブログって何?」と聞かれ、今度はわたしが話す番に。

キューバの話も面白かったけれど、「日本で女が独身のまま40代を生きる不自由」についての話もわたしには新鮮だった。わたしは結婚したことで、「あらゆるカードを旧姓のまま使えない不自由」を味わったけれど、「銀行からも不動産屋からも信用されない40代独身女の生き辛さ」は面倒くさいを通り越した深刻な問題で、「そういう線引きのないキューバのほうがよっぽどラク」というクラシゲ嬢は、またしばらくしたらあっちに戻るつもりなのと言った。だけど、日本を離れる間の連絡先確保がまた曲者で、銀行には「郵送物の送り先が国内に確保できなければ口座を閉じてくれ」と言われたとか。「ずっと日本にいたら見えていなかったこと」をいろいろと教えられた。

2006年09月12日(火)  マタニティオレンジ7 おなかの赤ちゃんは聞いている
2004年09月12日(日)  黒川芽以ちゃんのTシャツ物語
2003年09月12日(金)  ビーシャビーシャ@赤坂ACTシアター
2002年09月12日(木)  広告マンになるには


2008年09月11日(木)  フォトグラファー内藤恵美さんの写真

「プロフィール写真を送ってください」と言われるたびに困る。子どもの写真は撮るけれど、自分が写ることはめったにない。第1回万葉ラブストーリーのポスターには、娘が生後6か月のときにフォトスタジオで撮った写真を切り抜いて使った。あごの真下に娘の頭があるので、ずいぶんバランスの悪いトリミングになった。第2回のときに「他の写真を」とリクエストされて、セルフタイマーで撮ったものを送ったら、なかったことにされたのか、前回と同じ写真が使われていた。第3回はそろそろ別の写真にしないと年齢詐称になりそうだし、プロフィール写真ぐらい作っておかなきゃと思い、フォトグラファーの内藤恵美さんを思い出した。

知り合ったのは、雑誌の取材。内藤さんが撮ってくれた写真をわたしが気に入り、内藤さんもわたしの作品を読んだり観たりしてくれるようになった。その後もう一度取材で再会したときの写真もとてもよく撮れていて、いつかじっくりと撮っていただきたいなあと思っていた。「プロフィール写真を撮っていただけませんか」とひさしぶりにメールを送ると、「思い出していただいてありがとうございます」と返信があり、「せっかくだからご家族の写真も撮りませんか」。ありがたい提案に飛びついた。

先週土曜日、光が降り注ぐ最上階のスタジオで行われた撮影は和やかで、楽しくて、1才の誕生日の記念写真を撮ったフォトスタジオではぐずりっぱなしだった娘のたまも終始ごきげんだった。カメラを向けられるのが苦手なわたしもリラックスできて、よくわかってくれている人に撮られるのってラクだなあと感じた。


一時間ほどかけて撮ってくれた写真約200枚を焼いたCDが今日到着。早速スライドショーで楽しむ。遠近感のある構図。寝転がったたま。カメラを意識していない顔。自分でも知らないようなとっておきの表情を本当に上手にとらえていて、写真って瞬間をつかまえるものなんだなあとあらためて思う。「今井さんに会うと、いつもワクワクする」と言ってくれる内藤さんのまなざしが、わたしのいいところをしっかりつかまえてくれて、ワクワクする写真になっている。

プロフィール写真はどれにしようか、候補はたくさんあるけれど、一人で写っているものより娘と一緒に写っているもののほうがいい表情をしている。たとえば、手をつないだ娘に視線を投げかけているこの顔(切り抜き)。

びっくりするような謝礼で引き受けてくださった上に、添えられたカードには「私の写真にたくさん写ってくださってありがとうございます」。こんな気持ちでわたしも書いていきたいなあと背筋が伸びた。

2007年09月11日(火)  マタニティオレンジ175 母娘漫才
2006年09月11日(月)  マタニティオレンジ6 予定日過ぎても踊れます 
2005年09月11日(日)  ZAKUROの2階のZAM ZAM
2004年09月11日(土)  感動の涙が止まらない映画『虹をつかむステージ』
2003年09月11日(木)  9.11に『戦場のピアニスト』を観る


2008年09月10日(水)  さすらいの「書き鉄」

娘のたまが鉄道本にはまっている。お気に入りは絵本『やこうれっしゃ』と別冊太陽のムック『宮脇俊三 鉄道に魅せられた旅人』。どちらの本もご近所仲間で鉄道ファンのT氏にいただいたもの。絵本はたまへのプレゼントで、ムックはわたしへの課題図書。「乗り鉄」「飲み鉄」などの分類にあてはめれば、T氏は「贈り鉄」!? T氏が敷いたレールにまんまと乗っかり、たまは「読み鉄」の道を走り始めた。

絵本もムックも「読む」というより「探す」行為を楽しんでいる(「探し鉄!?」)。文字のない『やこうれっしゃ』のページを開き、駅のホームで「あくしゅで バイバイ」している人や走る列車の洗面所で「おてて あらう」している人を探し、たくさんの乗客から「あかちゃん」を探し、「あった!」と見つけて指差す。ムックでは風景に溶け込んで走る車両を見つけて、「がたんごとん あった!」。

娘がムックで宝探しをする傍らで、わたしは写真の脇にある文章に目を走らせる。鉄道ファンで知られる作家の酒井順子さんが「私は本当は鉄道が好きなのではなくて、宮脇俊三さんが好きなのではないか」とコメントを寄せている。わたしも宮脇さんの書く鉄道の話を読むのが好き。終戦の日の玉音放送のときを綴った「時は止っていたが、電車は走っていた」(『時刻表昭和史』より。この本もT氏に教えられた)なんて名文にはしびれる。

宮脇さんの著書だけでなく、鉄道について書かれた本(ほとんどT氏にすすめられたり贈られたりしたもの)を読むのは楽しい。ガタンゴトンと揺れながら人や物を運ぶ鉄道にはロマンを感じる(そんなJRの広告コピーもあったっけ)。娘の「読み鉄」はわたし譲りなのかも。

鉄道について綴るのも好き(「書き鉄」!?)で、以前ラジオドラマの企画が舞い込んだときに、『さすらい駅』という鉄道駅を舞台にした五分ほどの一話完結ドラマを考えた。その企画が立ち消え、せっかく何本も考えたので何とか形にしたいと思って、読み物にまとめた。ドラマは駅員のモノローグだったので、そのまま一人称語りの掌編になった。映画の宣伝で縁ができた鉄道会社のフリーペーパーに持ち込んだら好感触で、連載して一冊の本にまとめたいですねと盛り上がったのだけど、乗ってくれた担当者が相次いで異動してしまい、話はしぼんだ。『さすらい駅』のお話なだけに企画もさすらっている。

2007年09月10日(月)  マタニティオレンジ174 ご近所さんちで2歳児の会 
2006年09月10日(日)  マタニティオレンジ5 卵から産まれた名前
2005年09月10日(土)  『チャーリーとチョコレート工場』初日
2004年09月10日(金)  原始焼『七代目寅』in English?
2002年09月10日(火)  大槻ケンヂ本


2008年09月09日(火)  腰痛は気功で治せるか

産後一か月は横になっていなさいの忠告を体調がいいことに無視して、産院から退院するなりパソコンに向かった。しかも、ダイニングの椅子に座って。そのツケの腰痛に悩まされるようになって一年半。近所の整骨院に通うようになって、だいぶ症状は緩和され、痛みで眠れなくなることはなくなったけれど、完治にはまだまだ遠い道のり。ついに気功教室の門を叩くことになった。

背骨を動かすことで内臓をマッサージし、腰痛はもちろん万病を緩和し予防するという考え。「気」がのぼっていくのをイメージしながら、背骨を一本ずつ曲げていく。少しずつレベルアップして最終的には気をコントロールする術を体得するらしいが、初級編は背骨くねくねの動きを覚えるのが中心で、体操教室みたいな感じ。

体が気持ちよくなってくると眠気と邪念が湧いてくる。それを超えた境地をめざすらしいのだけど、わたしは眠気と邪念にすっかり支配されて、近所の子どもたちの泣き声はやたら大きく聴こえるし、仕事でやってる企画のあれこれのファイルが勝手に開いて、脳内で一人ブレストが始まってしまった。

「いいなあ、楽しいなあ、気持ちいいなあ、という感覚。わかりますか?」と独特のアクセントで語りかけながらお手本を見せる中国人の先生の動きは恐ろしくなめらかで無駄がなく、ちょっと人間離れした感じがある。顔色も非常に良く、体のどこも悪いところがなく、悩みも一切ないような穏やかで平和ないいお顔。何よりも教室の片隅にあるパキラがこれまで見たことないほど大きく立派に茂っている姿に、ここに漂う気はただものじゃありませんぜという説得力があった。教室の後は身も心もずいぶん軽くなった気がしたけれど、気がうまくめぐったせいなのか、運動不足が解消されただけなのか。見極めるためにも続けてみようと思う。

2007年09月09日(日)  マタニティオレンジ173 父母連総会で区長と話そう 
2005年09月09日(金)  アンティークボタンの指輪


2008年09月08日(月)  マタニティオレンジ331 おばけごっこ トンネルごっこ

2才児の遊びにも流行り廃りがあり、娘のたまの最近のブームは「おばけごっこ」と「トンネルごっこ」。「おばけごっこ、る!」と「トンネルごっこ、る!」とせがみ、親にシーツをかぶらせおばけ役をさせたり、足を上げてトンネルを作らせたり。保育園で今はやっている遊びらしい。

「おばけ こわーい」と言いながら笑顔で歓声を上げるさまは、怖くないおばけ屋敷ではしゃぐギャルのよう。トンネルをくぐるのは、何がそんなにおもしろいのか、飽きることなく何度もくぐる。パパとママの二連トンネルや壁に片足をつけての大型トンネルなど、トンネルにバリエーションをつけると、ますます遊びは終わらなくなる。たいていお風呂上がりに「る!」と言い出し、夜中にかけて調子づいてしまうので、寝るのが遅くなる。でも、昼間は保育園に預けっぱなしでかまってあげられないしとつい甘くなってつきあってしまう。

2007年09月08日(土)  対岸のタクシー
2006年09月08日(金)  マタニティオレンジ4 男の子か女の子か?
2005年09月08日(木)  文芸社パンフレットの取材
2004年09月08日(水)  東銀座の『台湾海鮮』
2003年09月08日(月)  「すて奥」作戦


2008年09月07日(日)  出張いまいまさこカフェ9杯目「映画祭審査員は五人五色」

池袋シネマ振興会のフリーペーパーbukuに連載中のエッセイ「出張いまいまさこカフェ」の9杯目を書く。今回は「映画祭審査員は五人五色」と題して、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭の話題。白熱した審査の模様などを綴った。7月下旬に開催された映画祭から、あっという間にひと月半。知り合った皆さんはどうしているだろう。それぞれの国で新作に取り組まれているだろうか。映画のマグマがたぎっていた祭りの熱気が懐かしい。

2007年09月07日(金) マタニティオレンジ172 『パパは神様じゃない』
2006年09月07日(木)  マタニティオレンジ3 「食事のおいしい産院」で産みたい!
2004年09月07日(火)  韓国のカメラマン Youngho KWONさん


2008年09月06日(土)  マタニティオレンジ330  『ちょうちょう』熱唱! はじめてのカラオケ

ダンナが仕事でお世話になっているS氏のお宅を一家で訪問。先日ダンナとS氏が飲んでいたときに酔った勢いでわたしに電話をかけてきて、「うちのマンションのカラオケルームに来てくださいよ。とにかくすごいから」と熱っぽく勧誘されたのに乗った。マンションのすごいカラオケルームってどんなだろと想像がつかないまま高層マンションの高速エレベーターで最上階へ。階数表示は50階を越えていた記憶。一歩中に足を踏み入れると,思わず「おおっ」と感嘆のため息。壁一面のガラス窓から見はるかすビューの見事なこと。まさに天空のステージ。こんなところで歌ったらさぞ気持ちよかろう。

でもカラオケはとんとごぶさたで、何を歌えばいいのやら。娘のたまも一緒に楽しめる童謡なんか入ってるかしらんとブックを開けば、これまた窓外の景色に張り合うような充実のラインナップ。一曲目に『ちょうちょう』を入れ、たまにマイクを握らせると、小さな口にマイクの先が入り、なめるような格好に。マイクを見るのもつかむのも初めてで、扱い方がわからない。それでも歌の最後のほうにはほどよい距離を開けてマイクに声を乗せることを覚えた。

『ちょうちょう』は普段口ずさんでいるテンポより少々早めで曲に遅れがちだったけれど、2曲目の『ぞうさん』はのんびりペースでうまくメロディに乗れた。S氏の愛娘、4年生のミドリちゃんは、お姉さんらしくたまを温かく見守りながらときどき唱和してくれる。「よーし、こうなったら、今日は童謡縛りだ」とS氏。『いぬのおまわりさん』『おもちゃのチャチャチャ』『ぶんぶんぶん』と片っ端から童謡を入れて行く。2曲100円の設定なのだけど、童謡は短いのであっという間に終わり、コストパフォーマンスはよろしくない。「そうだ、『ポニョ』はどうだ?」とS氏。新譜で入荷したポニョを皆で熱唱。たまも大喜びで歌いながら踊る。「ポニョは長いな」と気に入り、童謡を数曲はさんで、またポニョで締めた。

その後、エレベーターで数十階下りてS氏宅で夕食をごちそうになる。面倒見のいいミドリちゃんにお風呂まで入れてもらい、たまはゴキゲン。親子でたいへん楽しい時間を過ごさせてもらった。たまにとっては初めてのカラオケの印象が強烈だったようで、帰り道もにぎりこぶしをマイクにして「ちょうちょ〜」と歌っていた。

2007年09月06日(木)  マタニティオレンジ171 苦し紛れの雨カバー
2006年09月06日(水)  マタニティオレンジ2 着たいがない!
2004年09月06日(月)  シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?
2002年09月06日(金)  ミナの誕生日


2008年09月05日(金)  アテプリスペシャルがDVDに!

4月に放映された『アテンションプリーズスペシャル〜オーストラリア・シドニー編〜』がDVDになることを知ったのは、数週間前。偶然ネットを渡り歩いているときに「9月17日発売」の情報を見つけた。DVD化が決まりましたという知らせがなかなか来ないので、今回はしないのかなあと諦めもよぎっていただけに、なんだ,知らなかっただけかと喜んだ。

そして今日、完成したDVDが到着。タイトル以外は文字情報を拝し、美咲洋子のキラリンとした笑顔だけのいさぎよい紙箱パッケージの中に、ケース入りDVDとオマケのミニ下敷き(?)。ドラマの放送や映画の公開には、心弾むお祭りのような華やかなうれしさがあるのだけど、手に取れるグッズになって帰ってきてくれるのは、抱きしめていとおしむようなしみじみとしたうれしさがある。4か月間の短期決戦で打ち合わせとホン直しを重ねた怒濤の日々までいとおしく思えてきて、手をかけた分だけ作品に親孝行されたときの感激もひとしお。

2007年09月05日(水)  モランボンの鍋ソング 
2006年09月05日(火)  マタニティオレンジ1 マタニティブルーの逆は?
2005年09月05日(月)  あたり前田のクラッカーと551蓬莱
2004年09月05日(日)  映画女優 高峰秀子『チョコレートと兵隊』


2008年09月04日(木)  佐瀬寿一さんと『はだしになって』

『およげ!たいやきくん』『パタパタママ』といえば、わたしが子ども時代に最もよく歌ったベストテンに入る思い出の歌。その作曲を手がけた佐瀬寿一さんが、わたしの書いた歌詞にメロディをつけてくさった。広告会社時代の大先輩、濱田哲二さんがコーディネイターと佐瀬さんとともに「チャイルド・オアシス・ソング」というプロジェクトを立ち上げた縁で、「今井も何か書いてみない?」と声をかけていただいたのだった。4月に歌詞を2つ送って、

>>>2008年4月16日マタニティオレンジ269 『およげ!たいやきくん』作曲家が贈る新しい童謡

待つこと4か月あまり、一案目の『はだしになって』のデモが完成。それを聴きながら打ち合わせしましょうとなり、高円寺にある濱田さんの「ギャラリー工(こう)」で佐瀬さんにお目にかかった。『およげ!たいやきくん』に至っては、子ども会で劇までやった(あの歌をお芝居に膨らませたのは、うちの母だったか?)ので、わたしの思い入れはただものではない。住宅街の突き当たりの道で通し稽古をした30年前のことを話しながら、あの歌の作曲家に会う日がいつか来るなんて考えもしなかったなあと不思議な気持ちと感激がこみあげた。

デモはちょっぴりとぼけた味わいの明るい曲調で、一度聴いたら口ずさめる親しみやすさ。わたしの書いた歌詞の3分の2ほどの分量のメロディになっていて、「これぐらいが歌いやすいと思うんですよ」と佐瀬さん。以前もある人に「君の歌詞はいろんなことを盛り込み過ぎ」と指摘されたことがあったけれど、シンプルにひとつのイメージを伝えることを心がけて言葉を選ばなくてはとあらためて感じた。

他にも「意味はよくわからなくても擬態語や擬音語のような言葉だけで遊ぶフレーズがあってもいい」「一番が春、二番が夏、三番が秋となってるけど、せっかくだから四番の冬まで作ってみては」などとアドバイスをいただく。冬に外ではだしになるのって、どんな場面でしょうねえ。温泉の足湯とか?などと雑談。いただいたデモを聴きながら歌詞を練ることに。

作詞作曲の世界では、CMなどを除いては通常ギャラはなく、印税(著作権料)が作詞料、作曲料となるのだとか。脚本料に加えて著作権二次使用料が入る脚本家とは勝手が違うけれど、そのかわり、売り上げに占める印税のパーセンテージは大きい。「この歌が形になったときはJASRACに入ったほうがいいですよ」と佐瀬さん。加入するときに5万ほどまとまった金額が必要だけれど、年会費のようなものはいらないとのこと。

2007年09月04日(火)  愛すべき映画『Little DJ〜小さな恋の物語』
2004年09月04日(土)  文京ふるさと歴史館
2002年09月04日(水)  暑い日の鍋


2008年09月03日(水)  マタニティオレンジ329 アンパンマンがミッキーのおうちへ行く話

昨日と一昨日、仕事で帰りが遅くなり、娘のたまに淋しい思いをさせた。玄関を向いて座り、「ママ くる?」と帰りを待っていたという。今日、保育園へ送りに行ったときに「きょうは ママ(がお迎え)?」と聞かれたので、いつもより30分ほどだけど早く迎えに行ってから思いっきり甘えさせることにした。散歩して、絵本を読んで、ごはんを食べて、買い物ごっこをして、お風呂でお絵描きして、娘と一緒にたくさん笑った。

寝る前にひさしぶりに子守話を聞かせてあげようと思って、「何の話しよっか?」と聞いた。たいてい「ワニ」「ゾウ」などと動物の名前が挙がって、「ワニが何する話?」と突っ込んで聞くと、「ダンス」などと答えてくるのだけど、今日の返事は「アンパンマン」。「アンパンマンが何する話?」と聞くと、「ミッキーのおうち」。キャラクターの強さに自分のオリジナリティが負けた気がして、娘がちょっと遠くへ行ってしまったような淋しさを覚えた。娘と遊んであげているようで、わたしも遊んでもらっていて、娘が喜んでくれると思って差し出したものを受け取ってもらえなかったり、他のものがいいと言われたりすると、すねてしまう。

「今日ね、ショックなことがあったんだよ」とダンナに話したら、「別にいいんじゃないの?」とクールな返事。「たまにとってはアンパンマンもミッキーも動物もみんな友だちなんじゃない?」。アンパンマンがミッキーマウスの家を訪ねたら、そこにワニやゾウがいたっていい。その垣根のなさをわたしも面白がればいいのか。たまの世界が広くなったのに合わせて、わたしの作る物語も広がればいいだけの話。ゴムみたいに自由に伸び縮みして形を変える、子どもの発想みたいに。

子守話24 ころころニャーン

ニャーンちゃんと たまちゃん なにしてあそぼ。
ボールごっこして あそぼ。
でもボールがないよ。ボールになって あそぼ。
からだをくるんとまるめて さかみち ころころ。
すべりだい とんとんのぼって すべって ころころ。
どこまでいくの あれあれ とまらない。
ころころ ころころ うみまでころがって こどもたちに つかまった。
ボールになった ニャーンちゃんとたまちゃん
みぎにころころ ひだりにころころ なげられてころころ。
とうとう うみに ざっぶーん。
びしょびしょボールの ニャーンちゃんとたまちゃん
かえりみちは おもたくなって ごろごろ ごろごろ。

2007年09月03日(月)  お金を恵むのではなく
2004年09月03日(金)  下高井戸シネマで『Big Fish』


2008年09月02日(火)  マタニティオレンジ328 買い物ごっこ

牛乳を買いに行こう、と娘のたまを誘ったら、「おかね ちょうだいな」と小さな手を差し出された。買い物は今、たまにとって、ちょっとしたブーム。日曜日の夜、いきなり「コロッケ ちょうだいな」とわたしをお店の人に見立てて話しかけてきた。「お店入ってくるところからやってよ」とわたしが言うと、「がらがらがら」と言いながらドアを開ける仕草がつき、買い物ごっこが始まった。

「コロッケいくつ?」と聞くと、ニコニコしながら「うん」。もう一度聞いても同じ。何言われてるんだかわからないけど愛想笑いを浮かべてその場を切り抜ける能力は、2才にして備わっている。「いくつ? 一個? 二個?」と聞くうちに、「いくつ」は数を尋ねているのだとわかってきて、「いっこ」と答えが返ってきた。ちんぷんかんぷんだった言葉の意味が、やりとりを重ねるうちにぼんやり見えてきて、やがてくっきりとなり、そうかこういう局面ではこのカードを切ればいいんだ、と試しにやってみたら、欲しいものが手に入る。言葉が通じない国で買い物するときのあのワクワクドキドキする感じを、母国語で味わっているのだろう。面白いと思ったら飽きることを知らない2歳児の好奇心も手伝って、またやるの、まだやるのと「コロッケちょうだいな」を繰り返すうち、一種類だったコロッケは二種類から選べるようになり、ソースがつき、店を出て数歩あるいて家に帰り、「ピンポーン。パパ、コロッケ かってきたよ」とパパと食べる続きが生まれ、演劇でエチュードを繰り返しながら場面が出来上がっていくように、会話が進化していった。

たま「がらがらがら(と音とともにドアを開ける仕草)」
わたし「いらっしゃませ。今日は何にしますか」
たま「コロッケちょうだいな」
わたし「何コロッケにしますか?」
たま「うん」
わたし「野菜コロッケとカレーコロッケがありますが、どちらにしますか?」
たま「やさいコロッケ」
わたし「大きいのと小さいのがありますが」
たま「おおきいの」
わたし「大きい野菜コロッケ、おいくつ包みましょうか?」
たま「うん」
わたし「いくつ?」
たま「(うなずきながら)いくつ」
わたし「い・く・つ?」
たま「(指を一本立てて)い・く・つ」
わたし「一個ですね?」
たま「(うなずいて)いっこ」
わたし「ソースもつけますか」
たま「うん」
わたし「お代は90円です」
たま「(笑って)」
わたし「お客様。笑ってごまかされては困ります。お金をちょうだいできますか」
たま「(ますます笑って)」
わたし「いえいえいただくものはしっかりと。90円です」
たま「はい、ばっちーん(とわたしのてのひらにお金を置く仕草)」
わたし「あるじゃないですかお客様。百円お預かりしましたので、10円のお返しです。ありがとうございました」
たま「またねー」

2007年09月02日(日)  マタニティオレンジ170 せらちゃんのおさがり
2004年09月02日(木)  「とめます」と「やめます」
2002年09月02日(月)  My pleasure!(よろこんで!)


2008年09月01日(月)  『ブタがいた教室』と『ヤング@ハート』

8月の試写最終日に駆けつけたら満員で入れなかった『ブタがいた教室』の追加試写を観る。『パコダテ人』の前田哲監督の最新作で、撮影の葛西誉仁さん、制作の田嶋啓次さん、現場スタッフの澤村奈都美ちゃんと『パコダテ人』関係者率高し。3月にロケにお邪魔した(>>>2008年03月15日(土) 前田組「豚のPちゃん」に会いに行く)こともあって、身内の作品のような親しみを寄せている。

さて、気になる仕上がりは……試写室を出た瞬間、「よかった!」と監督に興奮して電話してしまったほど、引き込まれた。最後に食べるという前提で6年生のクラスで飼い始めたブタのPちゃんに次第に愛情が湧き、食べることに葛藤する子どもたち。名前をつけてしまった時点から家畜ではなく友だちになり、食べられなくなってしまう。Pちゃんを食べるのか、食べないのか。その答えを子どもたちに導かせようとする先生。卒業の日というタイムリミットに向けて学級会議が重ねられる。一緒に過ごす時間が長くなるほど離れがたい気持ちはふくらむ。けれど、食べないことが愛情なのか。Pちゃんを残して卒業するのは無責任ではないのか……。子どもたちのやりとりに口をはさまず、腕組みしてじっと成り行きを見守っている妻夫木聡演じる星先生の姿は、そのまま撮影現場の姿勢を思わせた。子どもたちには議論の台詞部分を白紙にした台本を渡したと聞くが、子どもたちの本音を引き出した演出は見事。大人の用意した言葉ではなく、自分たちの言葉で自分たちの結論を導いた子どもたち。説教臭くもなくお涙頂戴にもならず、映画のモデルとなった実話の教室で起きた化学変化を映画という形で表現することに成功していて、新鮮だった。公開は11月1日。前田監督の飛躍作になりそうな予感。

続いて、同じ試写室で『ヤング@ハート』を観る。ロックを歌うおじいちゃんおばあちゃんのコーラス隊を追ったアメリカのドキュメンタリー映画。シネカノンで予告を観て、これはいかにもわたし好みと思っていたら、先日『トウキョウソナタ』の試写で試写状をもらった。かわいいおばあちゃんになるのが夢のわたしにとって、チャーミングなお年寄りは人生のお手本。期待通り、いくつになってもヤング@ハートなコーラス隊の面々を観て、年を取るのが楽しみになってしまった。年を取っても趣味を持って仲間を持って張り合って負けたら悔しがって、ずっと自分らしく生きていけたら幸せだ。長生きしても人生から引退してしまったら時間を持て余すだけ。お年寄りがみんなこんなに元気なわけじゃないだろうけれど、人生が詰まった歌声を聴きながら、アメリカは日本に比べて寝たきり老人の数が圧倒的に少ないという話を思い出した。

2007年09月01日(土)  第2回ユニバーサル映画祭
2004年09月01日(水)  年を取らない誕生日
2003年09月01日(月)  「うんざりがに」普及運動

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