2005年10月07日(金)  国民行事アンケート「国勢調査」の行方

先日、出かけようとしたら、マンションの前にぽつねんと初老の紳士がたたずんでいた。「こんにちは」と声をかけると、「何号室ですか?」。5年に一度の国勢調査の季節。紳士は調査員で、チャイムを鳴らせど誰も出てこなくて途方に暮れていた様子だった。買い物を済ませたわたしが二時間後に戻ったとき、同じ場所にまだ紳士がいたので「ずっといたんですか」と驚くと、「いえ、出直してきました」。三十世帯足らずのマンション全戸の住人をつかまえ、調査票を回収するまで、紳士は何度足を運ぶのだろうと想像したら、気が遠くなった。

オレオレ詐欺もあるし、国勢調査を騙って悪さを企む者もいるかもしれない。「国勢調査です」と言われてもドアを開けない人だっているのではないか。「国のため」にやっている「いいこと」のはずではあるが、集める側と答える側の温度差はどんどん広がっていきそうだ。おそらく毎回下がり続けているであろう回収率は、今回さらに下がっているのではないか。全国で、オートロックや不信感の壁にはじかれて、何人もの調査員が立ち尽くしているのではないか。ポストに名前はあるのにいつ訪ねても留守だしメモを入れておいても連絡の来ない家の調査票を勝手に書いてしまえとか、「俺、やーめた」と自棄になったりとかしないだろうか。などと思っていたら、「回収がうまくいかないことに苛立ち調査票を燃やした」調査員をニュースで知る。しかも事前に役所に愚痴の電話をかけ、「これから燃やす」と予告している。けしからんことではあるけれど、そういうことだって起こりえるよなあと妙に納得する。

わたしが中学生ぐらいの頃、父・イマセンが調査員をやった。持ち回りの自治会長をやっていた年に調査が重なったからだが、ネクタイ労働を嫌って教師になった父がこのときだけネクタイを締めて各家を回っていたことや、「お上がやってるっちゅうことで、みんなハハーッて感じで丁重に応対してくれはる」と話していたことが記憶に残っている。

父に調査員の思い出を聞いてみようと電話してみると、母が出て、「私もやったよ。15年前かなあ」と話し出した。「70軒で6万円ぐらいもろたかなあ。主婦の小遣いて思たら多いけど、すんなり渡せて回収できるかどうかで効率は変わるからね。同じ自治会で顔見知りの人やったら話早いけど、このごろは近所づきあいも減ってるし、前より大変やと思うわあ」と言う。「回収率も下がってるやろけど、重複してる人もおるんちゃうか。一人で何軒も家持ってる人いるし。誤差はあるやろねえ。そんなんやったら抽出でええやん。なにもかも一斉にしようとするからあかん。続けることに意地になってるんやな。役所はいっぺんやめたらお金が下りなくなるから既得権は死守するねん」となかなか面白いことを言う。途方もない労力をかけた割に中途半端な国民全員参加になってしまうのであれば、抽出案が浮上することもあるかもしれない。

回収法も気になるが、質問の内容はあれでいいのか、はもっと気になる。外国にも国勢調査があって、「一週間に働く時間」より「一週間に愛について考える時間」を問う国があったりするのだろうか。架空の国の調査項目を考えてみるのも面白い。ちなみに、わたしは国勢調査がネタになったときのために(可能性は低いと思われるが)調査票はじっくり読んでしっかり記入。職業欄は記入例のおかげで迷わずに済んだ。「ねりまただし」を検索すると、すでにいろんな人がネタにしていた。例に登場する人名や社名は誰がどうやってネーミングしているのだろう。回収に現れた紳士調査員は調査票を受け取ると、「大切に役立てます」と封筒を高く掲げ、爽やかに立ち去った。なんだか、とてもいいことをした気がした。

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