2004年10月15日(金)  広告労協の女性会議

■就職して驚いたことのひとつが「お洒落な外資系広告代理店にも労働組合がある!」ことだった。わたしが入社した頃はけっこう力が入っていて、真っ赤な「団結」腕章をつけて集会をやったりストをやったりしていた。組合の活動もクリエイティブ精神を発揮して面白がる空気はあって、組合部屋に残っているデモ行進の写真は、どう見てもハロウィーンの仮装行列だった。早速、新入社員のわたしに執行委員のお鉢が回ってきた。学生時代にどっぷり浸った応援団と似た空気があり、組合の世界にはすんなり馴染めた。会社の中での団交やビラ作りや職場集会の記憶はあまりなく、会社の外での広告労協(広告業界の労働組合が集まったもの)の活動ばかりが印象に残っている。京都やら岐阜やら各地で開かれる総会に旅行気分で出かけ、懇親会で盛り上がった。わたしは「女性会議担当」という役職を与えられていて、あちこちの会社の組合から送り出された担当者たちと一緒になって、年に一度開かれる「女性会議」という泊りがけ集会の準備を進めた。仕事帰りや週末に集まっては会議を重ねたり、宿泊先を下見したり、資料を作ったり。面倒なことも多かったけど、会社を超えたイベントサークルのノリで楽しんでいた。■執行委員の任期を終えると女性会議からも広告労協からも遠ざかったが、一部の人たちの間で交流が続いているとは聞いていた。今夜、女性会議メンバーの一人、Aさんの退職と北海道での第二の人生の門出を祝う会が開かれるということで、声をかけてもらった。ほぼ十年ぶりに会う人たち。皆さんに覚えてもらえているか、ドキドキしながら銀座『川のほとりで』へ向かう。でも、懐かしい顔が目に飛び込んだ瞬間、一気に空白の時間を飛び越えてしまった。恥ずかしながら、今までちゃんと理解していなかったのだけど、「女性会議」の生みの親が、今夜の主役のAさんと出席者のNさん、Yさんなのだった。「広告業界で女性がもっと働きやすくなるように、女性同士で意見を交換できる場があるといいわね」という会話から、広告労協の一事業として立ち上げたのが十五年前。その後、女性を取り巻く環境もずいぶん変わり、「女性だけの問題というものが少なくなった」ため、女性会議は役目を終えたのだという。わたしが関わったのは、女性会議がいちばん求心力と発信力を持っていた時代だったよう。貴重な時期を体験できたことがうれしく、その時間を共有した人たちとまたつながることができた幸せをかみしめる。広告業界って、組合まで面白い。

2003年10月15日(水)  このごろの「悲しいとき」

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