2001年09月25日(火)  『パコダテ人』ロケ3 キーワード:遭遇 

佳純さん・小川さんと遭遇 ■8時に目が覚める。旅に出ると早起きしてしまうのは何故なのか。一人で朝食バイキングしていたら、衣裳助手の佳純さんが隣に来た。佳純さんは『風花』に次いで映画は2作目。「出演者の数と衣裳の数が多くて大変でしたー」「シナリオ書いてるときから衣裳のイメージがあったんですけど、衣裳部屋に並んでるの見て、全部着たいって思いました」「そう言ってもらえると報われます」。佳純さんと喫茶『はまなす』にソフトを買いに行くと、小川さんが朝食中。「映画の世界は長いんですか?」「私は最初違うことしてから入ってきたから……でも、20ン年にはなるかな」。薬師丸ひろ子の写真集のスタイリストをしていた縁で相米監督の『セーラー服と機関銃』の仕事が舞い込み、映画の世界へ。「学生時代に演劇をかじってて、台本読むのも好きだったの。映画は面白いなあって思った。服にストーリーと人格があるから」。昨夜も美由紀さんが「小川さんって、ほんとにかわいい人よね」と繰り返していたが、醸し出す雰囲気全体がチャーミング。「この世界に飛び込んだときは辛かったわよ。もともと男の世界だから。カメラの前に出るなんて、もってのほか。衣裳は着せて終わり。後はさがってろって感じでね。でも、私はしつこくカメラの横で見て、すそが乱れたりしたら、ささっと直して。こうしていると、役者さんも、自分を見ててくれてるって安心感があるの。だんだん他の人もわかってくれるようになったわね」。小川さんがその後も仕事を重ねた相米監督は、クランクインの日に亡くなった。一緒にやった『風花』が最後の作品になった。「一旦東京へ戻らせていただいてね。こっちの準備と同時進行で、迷惑かけちゃったけど、監督にはお世話になったなんてもんじゃないから。住み込ませてもらってたしね。だけど、今回の映画が始まるときに旅立っちゃったってことは、新たな展開へ向かえって言われたのかなって受け止めてるの」。相米監督のもとでデビュー作『かわいい人』を撮った前田監督も、そんなことを言っていた。「パコダテ人は今までの映画でいちばん大変だった。いちばんの腕の見せどころでもあったけどね。お金がかかる映画なのに、この予算でしょ。低予算を見せないように工夫しないとね。私の仕事は服だけ見てちゃダメで、映画の中での服を見るの。衣裳デザインはキャラクターデザインだと思ってる。服を見て、この子がわかった、とか言われると、すごくうれしいの。役者さんにとっては、服が最初の手がかりなの。衣裳を着ると、台詞がすんなり言えたりね。キョンちゃん(小泉今日子)は、最終的な味方は衣裳だけって言ってた」。衣裳を身につけることによって違う自分になれる。「台本は読み込まれるほうですか」と聞くと、「最初はぱっと読むだけ。感覚で作り始めるの。で、後から確認作業として何度も読む。衣裳は目で考える仕事なのよ」。イメージ通りの服が見つかるとは限らない。ないときは作ってしまう。パコダテ人は「自称デザイナーのとんでる姉ちゃんが作る服」がたくさん登場するので、既製の服にフェルトのアップリケをつけたり、監督が選んだ布でベビードールを縫ったり、かなりの点数を手作りしたとか。「ギャラは製作費込みだから、作れば作るほど自分の首締めるんだけど、作っちゃうのよね」と笑う。衣裳に愛がある。小川さんに衣裳を手がけてもらえたパコダテ人は、ほんとに幸せ者だ。


松田美由紀さんと遭遇 ■小川さんは撮影の準備をしに衣裳部屋へ。わたしも部屋に戻ろうとすると、松田美由紀さんが歩いてくる。昨日出番がなかった松田さんは、江差のカモメ島を観光してきたらしい。「もうすっごくいいとこよ。あなたも来ればよかったわ。たまげそうに立派なニシン御殿が残っててね、200円で入れるんだけど、掃除してたおばちゃんがいきなり紺の制服に着替えて、ではこちらへ、なんて案内はじめるの。たった200円でそこまでやるのよ。すごいサービス精神でしょ」と今朝もパワー全開。そのとき「あ、うちの息子に首切られた人だ!」。振り返ると、今夜撮るシーンに登場する調査団長役の田中要次さんが、出迎えの石田さんとともに通り過ぎた。出演作を挙げたらキリがない田中さんは、『御法度』で松田龍平さんに首を切られたらしい。

前田監督と遭遇 ■11時になったのでランチバイキング会場のレストラン『イタリアントマト』へ。朝食からノンストップで飲食しているので、さすがに食欲はない。「今回のロケでいちばんうれしかったことって何ですか?」「そうねえ。監督とまた仕事できるってことかな」。松田さんは昨年夏公開の『GLOW……。僕らはここに』が前田監督との初仕事。はじめて会った日に監督を気に入り、自分があたためていた企画を打ち明けたという。「監督は役者側に立って演出する人なのね。役者をコマみたいに動かすんじゃなくて、どうしたいって聞いてやらせてくれるから、やりやすいの。だから、じゃがじゃがのときも、あんなこと言い出しちゃったんだけど」。じゃがいものシーン撮りのとき、松田さんは思いがけない行動を取ったのだが、それはここでは言わない。噂をしていたら、監督がやってきた。「監督、昨日行ったとこ最高だったわよ。ツバメ島」。あれ、さっきはカモメ島だったけど?「この人の場合、よくあることです。で、でっかいカモメの塔でも建ってるんですか」と監督。「塔じゃないわよ。カモメ島っていったら、島よ。決まってるじゃない」「ああ、決まってるんですかー」。松田さんもマイペースだが、監督も負けていない。

大正湯と遭遇 ■一時前にロケバスに乗り込み、大正湯へ。97年の秋以来だから4年ぶり。観光で元町をうろついていたときに、美瑛から来たパワフルなオバチャンに声をかけられた。「この辺にタイショウユがあるはずなんだけど。知らない?」「何ですか、ショウユ(醤油)?」「北海道でいちばん古いお風呂やさん。大正時代からあるんだって」「へーえ、おもしろそうですね」とついて行ったのが、大正湯との出会い(*後から調べてみると、建物の建築は昭和三年。北海道最古ではないようだが函館最古ではあるのかな)。洋館風のハイカラな外観に一目惚れして写真を撮った。オバチャンはその後、海鮮市場のカニ売場で再会したとき、「中を見せてもらうだけのつもりが、どうぞどうぞと言われてお風呂入ってきちゃった。タオルも貸してもらえたわよー」。そのときの思い出をもとに書いたのが、『昭和七十三年七月三日』。家庭の事情で引き裂かれた初恋の男女が三十年後の再会を誓いあう。待ち合わせ場所に決めたのは、二人で通った大正湯。家から風呂屋までの往復が 、二人に許された逢瀬の時間だった。三十年前も三十年後もきっとそこにあるに違いない。大正湯には、そう信じさる存在感がある。この脚本が函館山ロープウェイ映画祭(函館港イルミナシオン映画祭の前身)のシナリオコンクールで受賞したことが、翌年の『ぱこだて人』につながった。日野家は当初、薬局という設定だったが、ロケハンで条件に合う薬局が見つからなかった。「大正湯でもいいですか?」と監督から電話を受けたとき、不思議な巡り合わせを感じた。再会した大正湯の向こうには海が見えた。

『やまじょう』の人々と遭遇 ■一時半過ぎに『やまじょう』に着く。映画祭の太田さんがやっている喫茶店で、映画祭の事務局もここにある。昨日、遺愛女子高校でのロケを見に来ていた太田さんが、FMいるかの寺尾さん、北海道新聞のカメラマンの大城戸さんと引き合わせてくれ、今日集まることになった。道新には佐々木学さんという記者がいる。二年前『ぱこだて人』が受賞した後に電話取材をしてきた人。取材の内容は受賞についてではなく「外の人から見た函館について」だった。「ぱこだて人のシナリオ、興味深く読みました。僕がとくに面白いと思ったのは、『清く正しく美しい函館を守る会』の存在です。新しい価値観を拒む空気を函館に感じておられたわけですか」という質問を受けた。「函館がとくに排他的な街だという印象はありませんでした。自分の慣れ親しんだ土地に別な価値観を持ち込まれるのを嫌う傾向は、どこの街にもあるんじゃないかと思います。高校時代に留学したアメリカでも、学生時代を過ごした京都でも、『清く正しく美しい函館を守る会』のような人はいましたが、自分と違うものは認めないという生き方は、人生を狭めて しまう気がします」と答えたのが記事になった。普通は掲載紙を送っておしまいだが、佐々木さんは毎年「映画化されるといいですね」と年賀状をくれていた。「取材されるのなら、ぜひ佐々木さんに」と大城戸さんに伝えたところ、今朝、佐々木さんから「うかがいます」と電話があった。初対面だけど初めてじゃないような、ペンフレンドに初めて会うような気持ち。「映画化おめでとうございます」「佐々木さんが最初に面白いと言ったジャーナリストですからね」と和やかに取材が始まった。太田さんが自慢のコーヒーを入れてくれ、大城戸さんがバシャバシャ撮る。昨日つけて踊ったピンクのパコダテールをテーブルに置き、「シッポ越しに引き気味に撮ってください」とお願い。函館に来てから寝不足で肌がボロボロ。作者の顔写真を見て作品に幻滅されては困る。大城戸さんは昨日のロケを取材しに来たところ、報道陣役で出演することになったのだが、スタッフの間では「絵になる男」と評判になっていた。■降り出した雨の中を佐々木さんと大城戸さんは帰って行った。カウンターに席を移し、FMいるかの寺尾さんと話す。寺尾さんは昨日に続いて今夜も取材陣として出演する予定。「17日の飛塚邸のシーンも出ました」「ああ、星野博士の?」「レポーターEをやらせていただきました」「どうですか、出演された感想は?」「映画がいかに多くの人を巻き込んでいるか、驚きましたね」。先日は監督がFMいるかに出演。他にもちょくちょくパコダテ人情報流しているそう。そこから話は大泉洋さんのことに。デパートにはグッズコーナーまであり、とにかくすさまじい人気らしい。「パパパパパフィーにも出てますよ」と寺尾さんが言ったところで、映画祭事務局の浜中さん登場。映画祭のジャンパー姿しか記憶にないので、スーツ姿が新鮮。今は10月6日にクランクインする『オー・ド・ヴィ』の準備で大忙しらしい。2001年度のシナリオコンクールのグランプリ作で篠原哲雄監督がメガホンを執る。これまでコンクールの受賞作が映画化されたことはなかったのだが、一挙に二作品が形になるとあって、映画祭事務局も大張り切り。時間的精神的金銭的なキツさも並大抵ではないようだが、「こうなったらやるしかないよ!」と浜中さん。奥様が「主人は映画祭のことになると、他のこと放り出しちゃうんです」と苦笑していたのを思い出す。太田さんの新妻・陽子さんが、店の奥から4か月の一歩(いっぽ)君を抱いて出てきた。「名前の中に太陽がある」通り、明るくて伸びやかな人。「前田監督がさ、息子が生まれるごとに二歩、三歩て名付けて、四人目は四歩(シッポ)にしましょうって言うんだよ。漫画だよな」と太田さん。

パコダテール店と遭遇 ■ざざ降りの雨が止んだので、急いで大正湯に戻る。コインランドリーは美術の田口さんと窪田さんの手で『パコダテール』店舗に衣替え。会社の後輩デザイナーの西尾真人が度重なる直しに「これでどうや!」と吠えながら作ってくれたpakodataoilのロゴは、ちゃんと立体になり、店の一部として使われている。本人にもこの光景に立ち会わせてあげたかった。

自衛隊と遭遇 ■再び降り出した雨の中を自衛隊の車両が到着。中からカーキ色の制服に身を包んだ自衛隊員がドヤドヤ出てくる。なんと本物の自衛隊がエキストラ出演。隊長らしき人が橋内さんの説明を神妙に聞き、「ハイ。わかりました。そのように」などとキビキビ答えている。車に戻るときも駆け足。雨足がいっそう強くなるが、自衛隊と雨はよく似合う。自衛隊車両の横には消防車が到着。雨のシーンに続いて二度目の登場。そして、反対側からはパトカーが。集まりだした野次馬たちも「なんか本格的だねー」と興奮気味。今夜撮るクライマックスシーンは、函館ロケのクライマックスでもある。

虹と遭遇 ■雨はシトシト降り続く。こんな天気で撮影できるのだろうか。機材がビショ濡れになったら、あと一日あるのに出演者が風邪引いたら、寒くてエキストラが帰ってしまったら……などと心配が渦巻いていると、「あ、虹!」。その声に、みんなが一斉に天を仰ぐ。大正湯の空に見事な七色のアーチが架かっていた。虹の麓には海。水平線から虹が出ているのなんて見るの、初めてかもしれない。函館の空からの贈り物だ。「うわあー、虹なんて、いつぶりだろ」と小山さん。「あおい、一沙、そこ立って」と虹に誘われて出てきた二人にカメラを向ける。橋内「ちゃんとカラーで撮った?」小山「当たり前でしょ!」。あちこちで虹をめぐる会話が生まれ、にわかに現場が活気づいた。「虹が応援に来てくれるなんて、ついてるよ」「ハラハラさせといて、こんなキレイなものを見せてくれるなんて、函館の空も粋だねえ」「よし、これはイケる!」。フィルムが回りだすと、空はもう泣かなかった。


『北海道のキラ星』と遭遇 ■一旦札幌に戻っていた大泉洋(おおいずみ・よう)さんと安田顕(やすだ・けん)さんが大正湯の前に現れると、たちまちファンに取り囲まれる。サインを求めて紙を差し出すのは、お母さん世代から小学生まで守備範囲が広い。人の輪が一瞬途切れたところで大泉さんに挨拶。相手の目をしっかり見て話す人。少し遅れて、一人で撮影を見守る安田さんに「若社長さんですよね?」と声をかけた。「脚本の今井と申します」「ああ。はじめまして」と腰を深々と折る。「あの……読ませていただきました。受賞のときのシナリオ。高橋学さんてご存じですか? その方にシナリオをお借りしまして……面白かったです」。高橋さんには会ったことがないが、シナリオコンクールで同じ年に受賞した札幌の田森君から、名前は聞いている。札幌でテレビの仕事や劇団運営に関わっている人で、田森君と映画も作っていたはず。その人と安田さんが仕事をしているらしい。「ラッシュ見て、若社長すごく良かったので、ひとことお礼言いたくて……」「いえ。こちらこそ、こういう映画に出られる機会はなかなかないものですから。本当にありがたいと思っています」「マンホールはすごかったんですよね。北海道で3万人動員したって聞きました」「僕ら北海道じゅう回ったんですよ。映画館のない街とか。映画の前にトークショーつけたりして。それで達成した数字なんです」「意味のある3万人なんですね」「ええ。本当に自分たちで一生懸命やって」「パコダテ人も見習わないと」と話していると、「安田はちゃんとやってましたか?」と大泉さん。「最高でしたよ、若社長。いい意味で裏切られましたね」「僕はどうでしたか?」「古田も最初考えていたのとは違ってたんですけど、大泉さんの古田になっていて、良かったです。泣きのシーンが湿っぽくならなかったり」「泣きのシーン?」「まゆに謝るところ。わたし、シナリオ読むとき、あそこでいつも泣いちゃうんですよ」「僕もあそこで泣きましたよ。え、僕の演技、泣けませんでした?」「あの感じが良かったんです。お涙頂戴にならなくて。こういうのもありだなあって思ったんですよ」「(聞いてない)。泣けなかったかー。ダメだったかなー」。この場を借りてしつこく言いますが、大泉さんの古田はチャーミングで味があって素晴らしかったのですよ。

2000年10月23日 『パコダテ人誕生秘話』

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