2005年09月26日(月)  『東京タワー』(リリー・フランキー)でオカンを想う

朝から大阪の実家に電話をしているが、誰も出ない。出ないと気になってまたかけるが、やはり出ない。そんな行動に出たのは、わが家の留守番電話に残されていた見知らぬ女性のメッセージ。「山梨のお母さんでーす。元気ですか?お電話くださーい」。お母さん、残念ながら、お子さんからの電話は来なさそうです。うちの電話には着信番号記録機能もなく、間違い電話を知らせてあげることもできない。山梨のどこかで電話を待っている優しい声のお母さんのことを想像していたら、しばらく会っていない大阪の母の声が聞きたくなった。

同じ留守電が入っていたとして、ひと月前に同じ行動を取ったかというと、わからない。その違いは、リリー・フランキーの『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』を読んだこと。アマゾンでの売り上げランキングはひと桁をキープ、本屋では平積みが面積みになっていて、会う人ごとに「読んだ?」「泣いた?」と聞かれる。かなり期待して読みにかかったのだが、その期待を軽く上回る面白さ。言葉遣い、キャラクター、エピソード、登場する何もかもがとても愛おしい。みんなが通り過ぎてしまうような日常の小さな出来事や、寝て起きたら忘れてしまいそうな心の微妙な動きをひとつひとつ拾い上げる視点が、優しくてあたたかい。副題通り作者リリー氏とオカンの物語で、ときどき別居中のオトンが登場し、彼らを取り巻く親戚や友人たちが現れる。自分の知っているあの人この人の顔、記憶の底に眠っていたあんなことこんなことが行間から浮かんでくる。わたしは自分の子ども時代のオカン、オトンを思い返しながら読んだ。

本の中では「親との別れ」が大きな泣かせどころになっている。誰もが向き合う運命にあるこの恐怖をわたしはまだ体験していない。大阪の両親も東京の義父母もアメリカのホストペアレンツも健在で、大阪のオトンオカンにいたっては入院したこともない。集団食中毒を出した弁当を三個食べてもおなかをこわさなかったオトン(三人前平らげた胃袋にも呆れる)、ディズニーランド行き夜行バスに乗って東京観劇に乗り込むオカン。二人の健康を通り越した頑強さに甘えて、わたしは里帰りもさぼりがちになっている。

でも、一度だけ、「オカンが死んでまう!」の恐怖に震えたことがあった。家のガレージに車を停めて降りた母をドアの間にはさんだまま、サイドブレーキをかけていなかった車がずるずると滑りだした。後ろはガレージの壁で、ドアはそれ以上開かない。車は重力に引っ張られてガレージの緩やかな坂をじりじりと下り、母を締め付ける。サンドイッチの具状態の母が「誰が呼んできて!」と叫んだ。近所の家を手当たり次第ピンポンし、「お母さんを助けてください!」と訴えるうちに涙は止まらなくて、お母さん死んだらどうしようどうしようと悪い想像はどんどん膨らみ、家々から飛び出したおっちゃんおばちゃんが車を押し戻し、母とドアの間に隙間を作る間もビービー泣いた。しかし、母は思いのほかあっさりと救出され、「痛い痛い」と死にそうな声を出していた割には骨にひびも入ってなさそうで、「病院いったほうがええんちゃう?」と心配するご近所さんをよそに「近商行ってくるわ」とケロッと言い、さっきまで凶器だった車に乗り込んだ。この世の終わりみたいに泣いたわたしはおさまりがつかず、「ウソでもええから救急車呼んでくれたらええのに」と奇跡の生還者を乗せて遠ざかるファミリアをうらめしく見送った。小学校2、3年の頃のできごと。

2004年09月26日(日)  新木場車両基地 メトロ大集合!撮影会
2003年09月26日(金)  映画の秋
2002年09月26日(木)  ジャンバラヤ
2001年09月26日(水)  パコダテ人ロケ4 キーワード:涙

<<<前の日記  次の日記>>>