2003年09月22日(月)  花巻く宮澤賢治の故郷 その3

大沢温泉自炊部の食堂『やはぎ』で朝食。横のテーブルでは、声のよく通るお坊さんが「結婚は人生最大の修行」と力説。その理由は「結婚すると飛べないから」。結婚して悟った真実なのか、結婚しない口実なのか。朝定食は山の幸と海の幸の体にやさしい献立で650円。

食堂も安いが宿は破格に安い。「1 万1 千円です」と言われて「ひとり分ですか?」と聞き返してしまったが、ふたり分2泊のお値段。素泊まり料に各種貸し出し料が加算される仕組みで、まくらは1泊10円、浴衣は50円也。

送迎バスで大沢温泉を後にする。客が乗り込みはじめ、バスが出発するまで旅館の方が4人、見送りに出られ、最後まで手を振ってくれた。その中に、義父が「立派な人だよ」と激賞している女将さんの姿も。恵子とわたしが泊まっていると聞き、何度も自炊部まで足を運んでくださり、やっと今朝、お会いすることができた。バスは山水閣前発だったが、自炊部から山水閣へ向かうときは、自炊部の方が外まで出て見送ってくれた。礼を尽くす宿である。

花巻駅までの道中は昨日義父に紹介された女性と隣席になった。賢治さんに影響を受けた詩人の一人、草野心平さんの司書をされていた方で、思い出話などをしてくださる。

林風舎でカプチーノを飲んでいるところにIさんが来て、「賢治学会の頭だけ顔出してきた。後はあんたらを案内してやるさ」。二日続けて申し訳ないですと遠慮するが、「あんたらだけじゃ何見ていいかわからんだろ」と言われると、その通り。お言葉に甘えさせていただくことに。

まずは「賢治さんの産湯に使われた井戸」。ここは和樹さんの叔父さん宅の一角にある。家系図の看板を見て知ったのだが、賢治さんの父方も母方も名字は「宮澤」。井戸は母方の宮澤家にあったものだ。続いて高村光太郎が眠る浄土宗松庵寺へ。「この人と賢治さん、宮澤家はつながりが深いからね、何かと絡んでくるのさ」とIさん。

昨夜の賢治祭の会場、銀ドロ公園には誰もいなかった。きれいに片付けられ、ゴミひとつ落ちていない。祭り自体が幻だったような気さえする。「雨ニモ負ケズ」の碑を昼の光で見る。昭和11年建立、文字は高村光太郎の筆によるもの。この公園にあった「賢治の家」は花巻農業高校に移築されているが、「下ノ畑ニオリマス」の書き置きにある畑は今も公園から見渡せ、この辺りですよと示す目印が立っている。

公園の手前にある同心屋敷は賢治さんとは関係がないが、3百年以上前に建てられた興味深い建物。賢治さんが使った倉庫兼トイレを再現した小屋にも立ち寄る。倉庫を開けると、「賢治先生が使った道具」と書かれた札があったが、「3本460円」と書かれた包みなど、最近のものと思しきものが……。現代の物置になっている様子。
賢治さんが「イギリス海岸」と名づけた北上川の河原は花が咲き乱れていた。水かさが少ないときは川底の泥岩層が露になり、ドーバー海峡の白亜紀層の岩壁を想起させるのだとか。賢治さんはイギリスには行っていないが、地質学に明るく、学術的な観点からこの名をつけたそう。『イギリス海岸の歌』では「なみはあをざめ 支流はそそぎ たしかにここは 修羅のなぎさ」と詠んでいる。

昔は橋の上を郵便鉄道が走り、賢治さんは天の川と地上の北上川と遠くの郵便鉄道を見て、『銀河鉄道の夜』の物語をふくらませたのだとか。犬を連れたかわいらしいおばあちゃんと言葉を交わす。「さようなら。元気でね。また会いましょう」。この人も美しい日本語。
車は坂を登り、高村光太郎山荘へ。高村光太郎は賢治さんと交流があり、東京が空襲に遭うと、花巻に疎開した。花巻も空襲を受け、この山荘へと逃れてきたという。粗末なあばら家と聞いていたわりに大きいと思ったら、もとの山荘に「套屋」つまり外套の家をかぶせているのだった。光太郎さんを慕う地元の人々が木材を持ち寄り、山小屋をすっぽり包む家を建てた。さらにそれを保存するためにもう一層の套屋が建てられ、三層魔法ビンのような構造になっている。

この建物の離れになっているトイレは、壁に「光」の文字を彫り、光取りの窓にしている。陽が差し込むと、「光」の立体文字ができるのだろう。

この地で独り暮らししていた光太郎さんは、妻・智恵子さんを思い続けていた。山荘から坂を登ると、妻の名を呼んだという「智恵子展望台」があり、そこから少し下った泉は「智恵子抄泉」と名づけられ、「山の空気のやうに美味」の言葉が刻まれている。これほどまでに夫に愛されてみたいものだ。

どこへ行っても人気者のIさんにくっついていると、いいことがある。山荘入口の受付にいた女性はIさんの知り合いで、「いいもの見せてあげる。ジャーン」と高村光太郎が地元の小学校の卒業式に出席したときの写真を見せてくれた。一緒に写っていたのは彼女のお母さん。記念館に着くと、「ちょうどIさんに送ってもらった写真を眺めていたとこよ」と高橋さんという女性が迎えてくれる。この人は、生前の高村光太郎を知る数少ない人。サンタクロース姿の光太郎さんが小学生に囲まれている写真を花巻に来てから何度か見たが、その衣装を縫ったのが高橋さん。「ひげは本物の羊の毛よ」。

訪問者が感想をつづったノートには「高橋さんの話が聞けてよかった」という書き込みがいくつかあった。それ以上に「パラゾールくさい」というクレームが目立つのは残念。展示物に見入っていたせいか、わたしは気にならなかった。「展示がしょぼい」という書き込みもあった。確かに宮澤賢治記念館ほど設備は整っていないし、予算をあまりかけられていないのはうかがえる。けれど、地元の人の善意が感じられるあたたかい記念館だと思った。

それにしても、高村光太郎とはすごい才能である。書家であり、彫刻家であり、詩人であり……、「いくらまはされても針は天極をさす」は書としてもすばらしいが、名コピーでもある。

気がつけば帰りの新幹線の時間が迫っていた。「昼も食わせんで引っ張りまわして悪かったな」とIさんは気の毒そうに言ってくれたが、食べる時間も惜しいほど見るべきものがあった。それより、宮澤賢治研究会の一員として参加すべき行事がいろいろあったはずなのに、わたしたちの登場で予定が狂ってしまったのでは。「とんだのにつかまっちゃいましたね」と言うと、「何度でも来たら案内してやるさ」と余裕の笑顔。一緒に改札を入り、新幹線ホームまで見送ってくださる。もう、泣きたくなるくらい、いい人。

「知り合いの娘っていうだけで、ここまで人に親切にできるかな」「わたしたちも見習わないとね」と感謝し、自らを省みる恵子とわたし。車内で遅めの昼食。新花巻駅名物『鮭弁当』は売り切れていたので、同じ鮭が入っているという『花巻』にしたが、期待以上だった。

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