2007年05月30日(水)  マタニティオレンジ126 ピアスを見たり赤ちゃんを見てもらったり

短歌の会「猫又」つながりで知り合い、高円寺阿波踊り仲間にも加えてもらったジュエリーデザイナー・宮崎美保子さんの自宅で新作コレクションを拝見。娘のたまの保育園を午前中だけにして、母娘で美保子さんちへ。おいしいものとおしゃべりが大好きな美保子さんのもとに、おしゃべりな人たちがおいしいものをさげて集まってきて、コレクションはパーティの口実になる。ワインやつまみやおしゃべりの合間に指輪やピアスを見せていただく。人が躍動しているポーズのものと、七色の光る石が連なったもの、2種類のピアスを購入。人は入れ替わりたちかわりやってくるのだけど、急ぐ用のないわたしとたまはずっといて、たまは妙齢のご婦人たちに次々と抱っこされることになった。

1時過ぎに到着して、気がつけば、8時。2、3時間お邪魔するつもりが、倍以上の時間をすごしていた。ここで困ったのが、おむつ。多くても2回替えれば十分、と読んで2枚しかもってこなかったのだけど、替えたばかりの2枚目がまさかの大爆発。ちょうどお客さんが途絶えた時間で、美保子さんが10分ほど出かけてくる間、留守番を頼まれていた。美保子さんの携帯に電話して、おむつを買ってきてもらうべきか、いや、それまで待てない。美保子さんが在宅していたとしても、ドラッグストアへ行く間にますますぐずるたまを見ていてもらうのは申し訳ないし、かといって、爆発のままだっこひもで抱えるのは不可能なので連れても行けない。

とにかく、今この場でことをおさめなくては。さあどうする? とっさに頭をよぎった選択肢は
○タオルで急場しのぎの布オムツ→もれそうだから×
○ウンチをぬぐって履かせ続ける→表面張力級の大量なので×
うーむどちらもダメだあ、と思ってひらめいたのが、「そうだ、さっき替えたおむつをもう一度はかせよう」。比較的汚れの軽いおむつを持ち帰り用ゴミ袋から取り出して再び開き、爆発オムツと交換。肌にあたる部分には駅前でもらったティッシュを敷き、なんとか帰宅するまで持ちこたえた。 まったくもって自慢にならない話だけど、こういう究極の選択に直面するのも子育て期間ならではだなあと思った。そして、わたしには長居の気があるのだから、おむつは余裕を持って用意しなきゃ、と反省。

2005年05月30日(月)  脱力系映画『イン・ザ・プール』
1979年05月30日(水)  4年2組日記 男子べんじょ


2007年05月29日(火)  マタニティオレンジ125 ちょちちょちあわわ

先日の保育園保護者会で教わった「ちょちちょちあわわ」の歌、わたしは知らなかったのだけど、子守唄の定番らしい。

ちょちちょち あわわ
かいぐりかいぐり とっとのめ
おつむてんてん ひじとんとん


「ちょちちょち」で手をたたき、「あわわ」で手を口に当て、「かいぐりがいぐり」で糸巻きのように両手をぐるぐるまわし、「とっとのめ」で人差し指で反対の手の甲を指差す。「おつむてんてん ひじとんとん」で頭とひじを軽くたたく。「お風呂なんかで歌ってあげてください。喜びますから」と言われ、早速やってみたら、ほんとに大喜び。保育園でも何度も歌ってもらっているはずだけど、わたしが歌うと、また新鮮なんだろうか。「あわわ」を真似してやるようになり、その仕草がなんともかわいい。「あわわわわ〜」とそれだけ延々とやってみせると、たまも懸命に真似する。ちゃんと大人を見て、同じことをやろうとしているけなげな姿に、涙が出そうになる。

そういえば、ずいぶんフライングでどっさり本を借りてきたベビーサインの適齢期はたしか8か月頃だった。6か月頃から使っていると、8か月頃に自分からサインを出すようになるといったことが書かれていたと思う。結局、ベビーサインを意識して使うことはしなかったけれど、「げんこつやまのたぬきさん」のような振りつき歌もベビーサインのひとつだと、これも本に書かれていた。同じ歌を歌って、同じ振りをして、それで十分コミュニケーションになっている。

2005年05月29日(日)  『昭和八十年のラヂオ少年』を祝う会
2004年05月29日(土)  幸せのおすそわけ
2002年05月29日(水)  SESSION9
1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい


2007年05月28日(月)  高田さんからの招待状

昭和ひとけた生まれの高田さんは、今井雅子ファン長老クラスの一人。ときどき和紙にしたためた丁寧なお便りをよこしてくださる。あじわいのある筆文字に独学の水彩画が添えられて、そのまま額に飾りたくなるような風情がある。味わいのある文体も楽しみで、読んでいると、にこにこ、くすくすと笑顔や笑いを引き出される。

今回のお便りは、高田さんのお宅でわたしを囲んで集まりましょう、というお誘い。高田さんを引き合わせてくださった同級生の余語先生や二人の共通のお友だち四、五人と応接間で語らう会をこれまでにも何度か持った。皆さん、あと数年で80になる。「気楽なパーティであの世行き乗客専用車にまぎれ込んだ面白味もあるかもしれません」。こういうとぼけた表現が便箋のあちこちに見え隠れする。風邪を引いてなかなか治らなかったときの心境を「お棺の中で寝ている様」と綴り、体調が回復したのでまた新たな絵の制作に取りかかろうと思っているが、「『とし』ですので、まあ子ぎつねへレンがミルクをのむ様な気持で自然に自分が楽しめれば」と語る。

高田さんには、生まれて二か月ほどのときに家に遊びに来てもらい、娘のたまにも会ってもらっている。そのときの印象を「小生はただ物珍らしそうにイエス様とお合いした様な気持ちで赤ちゃんを眺めるのみ」と振り返り、「次にお目にかかる時はこのスクスク組とシワシワ組のかわりように驚き世の諸行無常を嘆くことを必ずと覚悟致しております」と手紙は結ばれている。

2005年05月28日(土)  このごろの通販ショッピング
2004年05月28日(金)  日本映画エンジェル大賞授賞式
1979年05月28日(月)  4年2組日記 がっけんのふろく


2007年05月27日(日)  大人計画『ドブの輝き』

下北沢本多劇場にて大人計画公演『ドブの輝き』を観る。おめあては『子ぎつねヘレン』に警官役で出演された阿部サダヲさん。この人は、見ているだけで、おかしい、楽しい、うれしい。顔面も含めて人間の身体ってこんなに面白い動きができるんだ、と感心してしまう。初主演映画『舞妓haaaan!!!』ではどんな怪しい動きを見せてくれるのか、楽しみ。

阿部さんだけでなく、出演者は皆、体を張っているというか、体当たりというか、体をめいっぱい使ってエネルギーを発散させて、舞台のお祭り騒ぎを加熱し、加速させている。演技していると言うより体現しているという感じ。受け止める側の観客にも相当なパワーとスタミナが要で、寝不足や二日酔いでは力負けして迎え撃ちできない。キャラクターは強烈だしネタは過激だし、大人計画の舞台は、わたしにとっては食べなれない食材や香辛料をふんだんに使った珍味のようなもので、体調不良のときには胃もたれや胸やけや消化不良を起こす。二、三日前から体調を整え、体力を蓄えて劇場に乗り込まねばならない。気合十分な観客たちの「かかってこい」オーラが結集して、開幕前の客席の高揚感になる。

おしりは痛くなったけれど、最後まで振り落とされずに済んだ三時間に迫る長大作は、「涙事件」(作・演出:宮藤官九郎)、「えっくす」 (映像演出:井口昇)、「アイドルを探せ」(作・演出:松尾スズキ )のお芝居二本と映像一本の三本立て。書き手としては遠慮してしまうような大胆不敵な台詞を、客席は遠慮なく笑い飛ばす。茶化したり笑いのめしたりしているなかに、ドキッとさせられる真理が顔をのぞかせるので油断はできない。ドブの輝きというタイトルは、大人計画らしさを言い当てているように思った。

2005年05月27日(金)  『シンデレラストーリー』@ル テアトル銀座
1979年05月27日(日)  4年2組日記 みんないっしょに


2007年05月26日(土)  マタニティオレンジ124 役員仕切りのクラス会

一昨日の園主催の保護者会とは別に、今日は保護者だけが親睦を深める目的で開催するクラス会。各クラス2名いる役員が取り仕切ることになっており、くじ引きで当たりを引いたYさんとともにメールをやりとりしながら準備を進めた。送り迎えのときにお母さんをつかまえては連絡先を聞き出し、お店を見つければ、あとは携帯メールで出欠確認もお知らせの配信も楽々。当日のキャンセルの読みだけは神経を使った。0歳児は体調が不安定だし、折しも麻疹がはやっていたし、子育て中のお母さんも体調を崩しやすい。座敷を予約した都合上、店にはあらかじめメニューを伝えることになっていたが、減らすよりは増やすほうが対応してもらいやすいだろうと、数を一人分少なくしておいた。それでも前日に一人、当日に一人キャンセルが出て、一人分余ってしまうことに。当日キャンセルはきかないことになっていたけれど、応対してくれたお店の人が親切で、応じてもらえた。さらにグルメウォーカーの5%引きクーポンも使えて、助かった。お店はチェーン店の「かごの屋」にしたのだが、別々に「文京区 座敷」のお店を検索していたわたしとYさんがほぼ同時に見つけて、行き違う形で「かごの屋はどう?」とメールしあった。

酔ってゴロンと横になれた応援団時代以来、子どもを持って座敷のありがたみを感じているのだけれど、通された部屋は貸切の座敷で、ハイハイだけでなくワイワイも遠慮なくできてよかった。あわただしい朝夕の送り迎えでは挨拶ぐらいしかできないけれど、約二時間ゆっくり話せて、お互いを知るいい機会になった。わが家も含め三人参加したお父さんたちにもいい刺激になった様子。また秋ぐらいにやりましょうと話す。そのときには、子どもたちもハイハイからヨチヨチになっているのだろう。帰り道、方向が同じお母さんたちと図書館の前を通りがかって、「ここ、ビデオも借りれるんですよ」と言ったら、「わたし、よく借りてますよ」「ほんと? 借りてみようかな」といった返事。秋には映画の話もできるかもしれない。

2004年05月26日(水)  ニヤニヤ本『言いまつがい』
1979年05月26日(土)  4年2組日記 かみなり


2007年05月25日(金)  車椅子専用クッションのすわり心地

産後の戻りは順調というのは幻想で、産後に調子に乗って無茶したばかりに首から腰にかけてひどい凝りと痛みに悩まされている。座職の身には、死活問題。治療と並行して、仕事道具を見直してみた。食事をするダイニングテーブルにパソコンを置いて打っているのだけど、椅子もダイニングチェア。長い時間据わりっぱなしには向かないし、当然姿勢も不自然になり、背骨にはよろしくない気がする。ダイニングテーブルと椅子のセットは10年ほど前に会社時代のコピーライターの先輩からただ同然の格安で譲り受けたものだが、そのとき以来張り替えもしていなので、すわり心地も相当悪い。中のウレタンクッションは相当くたっていると思われる。

「椅子の張替え」を検索した流れで、「生地のみの張替え」「ウレタンクッションの取替え」といった言葉を見つけ、「ウレタンクッション」で再検索すると、セラピーショップ
というお店の「車椅子専用クッション」が見つかった。一日中座りっぱなしの車椅子の人の床ずれを予防するよう開発されたものが一般向けにも販売されている。床ずれ防止マットレスに使われる低反発ウレタンが体圧を分散し、長時間座っていても疲れにくいのだという。一枚7000円という0ひとつ多い強気の価格設定にも自信がうかがえ、二枚購入。おしりの下に一枚、背中に一枚。袋状の枕カバーに二枚並べて入れ、L字に折って使っている。おしりや背中が痛くて集中力が切れることはなくなった。元を取るぐらいは仕事がはかどりそうだ。

2005年05月25日(水)  オペラに恋して〜愛ラブ3テノール
2003年05月25日(日)  レトルトカレーの底なし沼
2002年05月25日(土)  イージーオーダー
1979年05月25日(金)  4年2組日記 おかあさんが帰ってこれるか


2007年05月24日(木)  マタニティオレンジ123 モンスター親とアリガター親

保育園で保護者会があった。保護者懇談会と参観日をクラス単位で行うもので、まずは職員室に集まり、「ちょちちょちあわわ」「げんこつやまのたぬきさん」をみんなで振りつきで歌い、先生方のご挨拶と保護者の自己紹介と質疑応答(きょうだいがいる人の「朝の支度で大変なときに下の子にかまいっきりで上の子をつい忘れてしまう」という質問には「下の子をおんぶしては」と提案)を終えて教室に移動。離乳食を食べさせ(まわりのコモも食べていると、家よりよく食べる)、園医の先生の問診を見学、という盛りだくさんな内容。

自己紹介のとき、わたしは「朝は出かけようとしたらウンチをされるし、夕方は遅刻ぎりぎりお叱りを受けています」となかなか時間通りに送り迎えできない言い訳のような話をしてしまったが、他のお母さんたち(平日の昼間ということもあってか、夫婦での参加一組以外は出席者はお母さんばかり)の話を聞くと、「保育園に預けられたおかげで無事職場復帰でき、ありがたく思っています」「親だけでなく、他のお子さんのお父さんお母さんや保育士さん、たくさんの目に見守られて子育てできることを心強く思います」「子どもは保育園が気に入ったようで、保育園に入ってからの成長に驚き、喜んでいます」「いろんな保育園を見て回りましたが、ここはとくに環境も良く、先生方も熱心で、いい保育園に入れてよかったです」と保育園への感謝の言葉が続々。自己紹介をやり直したくなった。

わたしは保育園に預ける前から少しずつ仕事を受けていたので、四月から復帰、という区切りがなかった。そのせいか、「自由な時間がふえた」「まとまった時間ができて仕事がはかどる」という変化は感じたけれど、「保育園のおかげで仕事ができる」という意識は薄かった。だけど、保育園に申し込んだ1月の時点では、「どこにも入れなかったら仕事はだいぶ断ることになるんだろうな」という覚悟と不安があった。9時から6時まで安心して子どもを預けられる場所があるから仕事ができる、そのありがたみを忘れていた。

入れてよかった、という気持ちが大きいからか、どのお母さんの口から出てくるのも保育園への不満ではなく感謝や感激だ。近頃話題の学校に文句をつけて先生方を閉口させるモンスター親とは逆のアリガター親。ありがたいという気持ちには伝染力があるようで、わたしもあらためて「いい保育園に入れた」「いい人たちと同じクラスになれた」とうれしくなった。アリガター親がふえると、先生たちもはりきるし、そこから生まれるやる気や工夫が結果的には子どもたちに還元されるのだと思う。

親といえば、上京してきた大阪の父イマセンから早めに駅に着いたと電話があり、いい機会なので保育園を見てもらおうと思いついた。園長先生に相談すると、どうぞ、と快いお返事。突然の訪問にもかかわらず、保育士さんから「お父さん」と気さくに声をかけてもらって父も喜び、わたしはますますアリガター親になった。

2002年05月24日(金)  清川虹子さん
1979年05月24日(木)  4年2組日記 しゅうじで「ビル」


2007年05月23日(水)  マタニティオレンジ122 おはなしたまちゃん

何かを訴えようとしているのか、声を発散させることがうれしいのか、たまは小さな体には似合わない大声をよく出す。そのボキャブラリーも移ろう流行のようにお気に入りのフレーズを変化させながら少しずつふえている。とくに意味はないようでいて、こちらが何か問いかけると絶妙なタイミングで声を上げたりするのが返事のように聞こえたりして、それに応えてまたこちらが何か言うと、会話が成り立っているように錯覚しなくもない。そこで、「たまと合同でお話を作る」遊びを思いつき、寝る前にやってみた。
「昔むかしあるところに、たまちゃんがいました。たまちゃんは、お友達と一緒にピクニックへ行きました。たまちゃん、行き先はどこですか」
「ギョエギョワ」
「ギョエギョワ、に行ったのね。お弁当のおかずは何ですか」
「ギョエギョワ」
「これまた同じ名前。ギョエギョワはおいしかった?」
「ギョエ」
「お弁当を食べてから、何をしましたか」
「ヒャ〜」
「ヒャ〜をしたの。楽しかった?」
「モンモンモン」
「そう。モンモンモンだったの」
こんな感じで物語は進んで(?)いく。自分の言葉をわたしが鸚鵡返しに繰り返すだけでも、なんだかうれしそうだ。リピートアフターミーの英語の先生のような優越感を覚えるのかもしれない。

好きな響きといえば、絵本は内容よりは噛み心地が気に入っている様子だけれど、擬音語にはけっこう反応がある。とくに「わたしのワンピース」という絵本の「ミシンカタカタ」が大好き。「ミシンカタカタカタカタ〜」と大げさに読むと、声を上げて笑う。応用編で「たまちゃんコロコロ」のお話を作ることにした。

たまちゃんのたまは たまごのたま
たまごみたいに まんまるだから
コロコロ コロコロ よくころがる
たまちゃん コロコロコロ〜

コロコロ ころがって くるんとまわって
おりたところは すべりだいの上
すべりだいの きゅうなさかを
たまちゃん コロコロコロ〜

コロコロ ころがって どこまでいくの
ボールさんと ごっつんこ
まあるいものどうし いっしょにいこう
たまちゃん コロコロコロ〜


このあたりまで話していると、いつの間にか眠ってしまっている。

おつきさまみたいに まあるいたまちゃん
たのしいゆめを おいかけて
わるいゆめには つかまるな
たまちゃん コロコロコロ〜
たまちゃん コロコロコロ〜

2005年05月23日(月)  ミヤケマイ/ミヤマケイ展『花よりだんご』
1979年05月23日(水)  4年2組日記 とみさわくん


2007年05月22日(火)  万葉ラブストーリー2007脚本募集

今年に入って、個人的に万葉集がブームである。きっかけは昨年行われたという「万葉の風〜恋・言霊」という朗読公演をラジオで聴いたことだった。俳優で朗読家の白坂道子さんとフリーアナウンサーの深沢彩子さんの言葉のかけあいにチェリストの遠藤益民さんが伴奏をつけるというアンサンブル。教科書で習って以来ひさしぶりに耳にする万葉集の言葉の抑揚には、ずっと身をゆだねていたいような懐かしさと心地よさがあった。やさしく耳をくすぐり、すとんと胸に落ちる、そんな身近さがあった。学校の教室で何度も音読したリズムを体が覚えているからなのか、もっと遠い記憶、遺伝子のような深いところにリズムが刻まれているせいなのか。暗誦している歌もあれば、はじめて耳にする歌もあったが、どれも昔聞いたときより共感できるのは、子どもだったわたしが作者の年齢に近づいたせいなのだろうか。子どもを想う親の気持ちを詠った作品には、時を経ても変わらないものを感じ、その言葉を復唱して味わいながら、手元の白い紙に書き留めた。

以来、短歌や詩歌の本を読んでいても「万葉集」の三文字が目に飛び込むようになったのだが、そんな矢先、大学時代のクラスメートから電話があった。口をきくのはたぶん大学を卒業して以来の彼は現在、NHK奈良放送局にいて、「万葉ラブストーリー」という短編ドラマの脚本募集に関わっていると言う。「万葉」と聞いて、「来た」と思った。クラスメートは脚本を読める女性の審査員を探していて、そういえば、とわたしのことを思い出してくれたらしい。アンテナを張っていると、計ったようなタイミングでこういう話が舞い込む。今年はわたしにとって「万葉集の年」ということだ。9月14日応募締め切り、その後、他の審査員の方々と議論して入選作を選ぶのだという。時間にして10分程度、原稿用紙10〜15枚ほどのショートストーリーなので、はじめて脚本を書く人にもとっつきやすいサイズ。入選作三本はドラマ化して放送するというから、勝率もかなり高い。脚本家をめざして勉強中の人もビギナーズラックを狙う人も、万葉集で一本、書いてみてはいかがだろう。「劇中に万葉集の歌を最低1句は使用すること」が条件なので、わたしも万葉集をあらためて紐解いてみようと思う。くわしくはNHK奈良放送局のサイトにて。

1979年05月22日(火)  4年2組日記 外でしゅくだい


2007年05月21日(月)  マタニティオレンジ121 ついに床で寝る

がけから落ちそうになってはねおきると夢だった。無印良品のシングルベッドを二つ並べたところに親子三人川の字で寝ていたのだが、端から9か月のたまが落ちやしないかという心配が、そのまま夢に現れている。ベッドの左端に寝ているたまの右側は壁が、左側は添い寝しているわたしの体が、頭は引き戸がふさいでいる。落ちるとしたら足元側からしか考えられないか、このところはいはいが盛んになり、夜中に壁に手をついてつかまり立ちしたりしているので、わたしが熟睡している間に足元側にはいはいを始めないとは言い切れない。

無印ベッドは、お客さんが来たときにはL字型に配置してソファになる。狭いわが家をやりくりするアイデアだが、お客さんが来るたびにソファにしたりベッドにしたりというのはけっこう面倒くさい。昨日9/12才会をやったのをいい機会に、ソファはソファのまま置いておき、L字に囲まれたスペースに布団を敷くことにした。これなら落ちる心配はないし、ベッドがつかまり立ちにうってつけの高さなので、夜中や早朝に目を覚ましたたまも機嫌よく遊んでくれる。難点をいえば、わが家にひと組あったマットレスと敷布団を並べて敷いているので、寝心地は良くないし、とくに腰痛持ちの身にはこたえる。それでも悪夢で寝不足になるよりはいい。

2005年05月21日(土)  『サッシペレレ』でサンバナイト
1979年05月21日(月)  4年2組日記 水やり


2007年05月20日(日)  マタニティオレンジ120  たま9/12才

2日フライングで8月22日生まれの娘のたまの9/12才を祝う。保育園に入った4月はハイハイも離乳食も目覚ましく進歩したけれど、保育園にも慣れてきた最近は少し落ち着いた印象。体重は先月末に8100グラムだったから、今は8500近くあるだろうか。離乳食(鶏ひき肉、豚ひき肉を覚えた)をしっかり食べる上に母乳もミルクもあいかわらず飲むので、むちむち、まるまると太ってきた。身長の伸びは体重ほどではなく、まだ70センチサイズが余裕で入る。「70の服があっという間に着られなくなったわ」という声をよく聞くのだけど、たまは70センチサイズ時代が長い。ハイハイをすると全身運動なのでスリムになるらしいが、つかまり立ちを覚えてからは上へ上へ伸び上がり、ハイハイをしようとしない。床に転がった携帯電話を目ざとく見つけたときはハイハイでダッシュしてくるが、すっかり腰も上がって高バイになった。顔を洗うぐらいの短い間に部屋の隅から隅まで移動してしまう。本は内容よりも噛みごたえ重視。読み聞かせ甲斐がないが、擬音語が登場する場面はときどき「おーおー」と反応があるから、一応は聞いている様子。意味がわかっているのかいないのか、「ママ」「マンマ」「ネンネ」を気まぐれに発する。

今月のゲストはダンナの仕事仲間のO君夫妻。わたしは挨拶はしていたけれどじっくりお話しするのは初めて。でも、噂はかねがね聞いていたので話題に困ることはなく、すぐに打ち解けられた。メニューは近所のお肉屋さんのステーキとガーリックライスをメインに手作り焼きたてパンやアンチョビとキャベツのパスタやアボカドとマグロのサラダなど。ステーキのインパクトがあれば他の料理のアラが目立たないので助かるが、今日は全体的にうまく行って自己採点90点の出来。O夫人のお父さんが趣味で輸入しているというカリフォルニアワインがステーキによく合った。

O君夫妻が持ってきてくれたバースデーケーキは自由が丘のモンサンクレールのもの。名前はよく耳にするけれど、口にしたのはたぶん初めて。トップにマドレーヌをあしらったチョコレートケーキは惚れ惚れと美しく、ハート型のメッセージプレートの文字に至るまで美的センスが行き届いている。もちろん濃厚かつ上品な味も、さすが名店。毎月、月例(月齢?)誕生会が終わると、ケーキ単体の写真とケーキを前にしたたまの写真を大ぶりの額に新入りさせる。月ごとに空白が写真で埋められ、にぎやかになっていく。あと3回、12か月分そろったときの眺めが楽しみ。


2007年04月21日(土)  マタニティオレンジ109 ご近所仲間とたま8/12才
2007年03月25日(日)  マタニティオレンジ99 たま7/12才とインターナショナル
2007年02月24日(土)  マタニティオレンジ82 たま6/12才と応援団
2007年01月20日(土)  マタニティオレンジ61 たま5/12才


2006年12月23日(土)  マタニティオレンジ47 たま4/12才
2006年11月23日(木)  マタニティオレンジ31 たま3/12才と食育
2006年10月22日(日)   マタニティオレンジ23 たま2/12才
2006年09月23日(土)  マタニティオレンジ 誕生日コレクション

2005年05月20日(金)  『シェ・ルネ』→『ラ・ボエム』8時間の宴
2002年05月20日(月)  ともだちの写真集デビュー
1979年05月20日(日)  4年2組日記 はちがみねキャンプ場


2007年05月19日(土)  MCR LABO #3「審判」@shinjukumura LIVE

2月に第1弾、3月に第2弾を見て、あちこちで「面白かった」と触れ回っているMCR LABOの第3弾「審判」を観る。「沈痛な面持ちでひたすらその時を待つとか、そういった意味ではなく、日常に於いて度々報告される厚顔無恥な事後報告により審理を通過することなく決められた道を歩かされるとか、そういった意味合いです」とチラシにある。

鑑賞の友は前2回と同じくわたしのシナリオご意見番のアサミちゃん。3回目ともなると、役者さんの顔もだいぶ覚えて(作、演出のドリルさん=櫻井智也もばっちり)、行きつけの店で「ここのコーヒーの香り、好きなんだよね」とくつろぐ気分で、ドリルさんの世界を楽しむ。だけど、トーストをいきなり口に突っ込まれるような不意打ちにはときどき見舞われる。髪がびしょ濡れの女がいきなり風船を膨らませたかと思うと、風船から送られる風で髪を乾かすといった「!」を間に噛ませながら、それぞれ癖ありワケありの登場人物たちが一言放つたぶに、物語はごろごろと転がっていく。台詞の面白さはあいかわらずだけど、筋書きは予定調和じゃない。期待に応えて予想を裏切り、80分の上演時間は気持ちいい速さで過ぎていく。個人的には、某テーマパークの舞台裏を描いたエピソードに衝撃を受けた。あの話、どうやって思いついたんだろう、というような突飛な設定でありながら、そこで繰り広げられる会話には妙なリアリティがある。劇場を出てから「あの台詞が面白かった」「あそこに受けた」などと言い合いながら歩いていたら、新宿まで20分ほどの道のりもあっという間だった。全4段階の実験も、7月の第4弾「愛情」を残すのみ。どんな最終章になるのか、とても楽しみ。

MCR LABO #2「審判」

作・演出 ドリル(MCR)
舞台 小林英雄
照明 シミズトモヒサ
音響 中村成志(SoundGimmick)
制作 八田雄一朗(MCR)/丸山かおり(MCR)
プロデューサー 赤沼かがみ(G-up)

櫻井智也(MCR)
小野ゆたか
大佐藤崇(ロリータ男爵)
中川智明
三瓶大介(ククルカン)
草野イニ(ロリータ男爵)
山田奈々子
高橋優子
上田楓子(MCR)
おがわじゅんや(MCR)
福井喜朗(MCR)
渡辺裕樹(MCR)
小野紀亮(MCR)
伊達香苗(MCR)


2007年3月21日 MCR LABO #2「愛情」@下北沢駅前劇場
2007年2月12日 MCR LABO #1「運命」@shinjukumura LIVE

2006年05月19日(金)  鴻上尚史さんと「恋愛」対談
2005年05月19日(木)  鬼界浩己事務所公演『グレートエスケープ』
1979年05月19日(土)  4年2組日記 大きなこぶ


2007年05月18日(金)  数学の本 日本語の本

日記の更新が滞っているのを見て、楽しみに読んでくれている何人かの人たちから「大丈夫ですか」と連絡をいただいた。体でもこわしたのでは、と心配されたらしい。ピアノ演奏並みの激しさでパソコンのキーボードを打っているのだけれど、舞い込んだ仕事のプロットなどを打っては直す毎日で、つい日記が後回しになっている。

書く時間の工面はなかなか大変だけれど、読む時間はけっこう取れる。毎日のように打ち合わせに出かけるので、移動中を読書時間にあてている。いま読んでいる『数学的にありえない』はわたしの苦手な数学の確率論やら物理学の理論が次々と繰り出されるのだけど、それがブレーキではなくむしろアクセルになって、ぐいぐい引き込まれてしまうSFエンターテイメント。序文によると、「地球に巨大な隕石が衝突して、文明が消え去ってしまう確率」は「毎年ほぼ100万分の1」であり、「われわれの祖先である類人猿は、700万年前からこの地球を闊歩していた」から「現在までに地球が滅亡している確率は、ほぼ700パーセント」となり、人類はこれまでに7回死んでいることになる。しかし、事実は「人類は一度として絶滅していない」から、「なにがどうなるかなんて、わかりゃしない」。確率的にはありえないことが起こってしまう世の中で、絶体絶命の危機にさらされる登場人物たちが、わが身の幸運に賭けながら、人生というギャンブルを必死で生き抜いている。それぞれの運命が少しずつ絡み合い、話が思いがけない方向にどんどん転がって、まったく先が読めない。わたしにとって数式や専門用語や学者の名前といった理系ワードは外国語のようなもので、普段あまり縁がない分、かえって新鮮だったりする。

落語家の立川談四桜さんの軽妙な語り口が楽しい『日本語通り』は、「座右の銘」を聞かれて「左右の目」だと勘違いして「1.5」と答えたガッツ石松さんのエピソードなど、電車内で読むには危険な笑いの罠が全ページに仕掛けられた一冊。濁点ひとつで意味が大いに変わり、漢字と仮名の組み合わせは無限にあり、同音異義語が豊富な日本語は、聞き間違えや言い間違えや勘違いの宝庫。定期的に吹き出す怪しい乗客になりながら、日本語の面白さ、奥深さにあらためて気づかされた。「氷がとけるとになる」のを埋める小学校の理科の問題の正解は「水」らしいが、「春」と答えた子がいたとか。「食」を「弱肉強食」と埋めるところを「焼肉定食」という伝説的小話(わたしは小学生の頃に聞いた覚えがある)とともに紹介されていたけれど、こんな答えが飛び出すところが日本語の懐の広さ。予期せぬ珍答を面白がる懐の広さが採点の現場にもあっていいのではと思う。「出世魚のハマチは大きくなったら何になる?」「刺身」というテレビのご長寿クイズでの珍問答も紹介されていた。これも番組では不正解とされたらしいけれど、真実を言い当てている。

「師匠はなぜモチにカビが生えるかご存知なんですか」と弟子に聞かれて「早く食わないからだ」と答えた林家正蔵師匠(晩年は彦六という名で通した)のエピソードなど、落語に出てきそうな気のきいたやりとりも多数登場。わたしは仕事柄、電車内でもカフェの中でもまわりの会話にはアンテナを張っているけれど、談四桜さんの頭には相当性能のいいテープレコーダーが内蔵されている様子。

最近わたしが思わず頭のテープレコーダーに録音したのは、カフェの隣のテーブルで朝のコーヒータイムを楽しんでいた元気なおじいちゃまたち(推定年齢75才前後)のこんな会話。
「……と、昨日、うちのテレビが言ってました」
「ほほう、おたくのテレビもそう言ってましたか」
わたしの感覚だと
「……って、昨日、うちのテレビで見た」
「へーえ、あなたもそれ見た?」
となって、偶然同じ番組見たんだねってことになるのだけれど、おじいちゃまたちは、自分ではなくテレビが主体で、しかも、自分ちのテレビと友人のテレビが同じことをしゃべったということに素直に驚いている。テレビがはじめて家に来た日を事件として記憶している世代だからだろうか。それぞれのテレビが人格を持っているように聞こえて、微笑ましかった。

2003年05月18日(日)  風じゅーの風よ、吹け!
2002年05月18日(土)  『パコダテ人』のかわいい絵の安井寿磨子さん
1979年05月18日(金)  4年2組日記 西佳先生好きょ


2007年05月17日(木)  マタニティオレンジ119 麻疹の予防接種を受けるべきか

「都内で麻疹が流行しています!」というお便りが保育園で配られる。すでにニュースなどで話題になっているけれど、文京区はとくに患者が急増しているよう。空気感染するので、同じ部屋にいた、一緒に食事をした、電車で隣の席に座った、この程度の接触でもうつるという。保育園で一日中一緒にいたら、あっという間にクラス中が感染してしまう。「0歳児さんも予防接種を」と呼びかけられ、今朝、保育園に預ける前に小児科へ行った。

麻疹の予防接種は一才以降になると無料で受けられる(一才以降と就学前の二回)が、それ以前は自費になる。だけど、タダになるまで待っているうちにかかってしまい、麻疹の流行源になる事態は避けたい。保育園に子どもを預けると、「自分の子が麻疹になってしまう」ことより、「他の子に麻疹をうつしてしまう」ことを心配するようになる。「今回受けたのとは別に、あとの二回は予定通り受けると、より免疫が強くなりますよ」とお医者さん。「タダのはずの一本を有料で受ける」のではなく、「念押しのもう一本を受ける」と思うと、オプション感覚で少しは損した気分が薄れる(その後、流行への緊急対応策として、文京区では1歳未満でも麻疹の予防接種を無料で受けられる措置がとられた)。また、一週間後に控えたポリオの集団接種は受けられなくなり、秋の接種まで待つことになる。ポリオにかかる確率よりも今は麻疹の予防が優先。ポリオも心配なら自費で受けられますと説明される。

予防接種にはもちろんリスクもあり、小児科の先生の中にはあまりすすめない人もいる。保育園に行ってなければ、自然にかかったほうがいいという考えもある。わたしが行った小児科の先生は推進派のようで、「日本は麻疹の予防接種を受けない人が多く、『麻疹輸出国』と言われているんですよ」と話された。ただし、あまり幼いうちに注射をしても免疫がつかないようで、「8か月以上」を目安にしているとのこと。たまはあと一週間足らずで8か月なので、ぎりぎり大丈夫でしょうと言われる。「卵は大丈夫ですか」と聞かれ、「ワクチンには鶏卵が使われています」と説明がある。ごく微量なのでアレルギー反応を起こす可能性は極めて低いが、リスクはある。そう言われ、診察室でしばし考え込んでしまった。卵を食べさせて、アレルギーがないとわかってから病院にもどったほうがいいのか、えいやと受けてしまったほうがいいのか。そういえば、卵が入っているパンを一口食べたことがある。「それぐらいの量だと思います」。お医者さんはあくまで大丈夫という言葉は使わず、親に判断を委ねる。膝の上に抱いているたまに「受けてみよっか」と声をかけ、「ではお願いします」とお医者さんに告げた。

足の裏にブスッと針を射した検査用の注射にはじまり、BCG、三種混合と注射を受けるたびにこの世の終わりのように泣きじゃくっていたたまが、今日はじめて注射で泣かなかった。針を刺される瞬間、「う」と小さくうめいたけれど、その後ぐっとこらえた。針が抜かれた後も目に涙をためていたけれど泣かなかった。それを見て、わたしが泣きそうになった。

2003年05月17日(土)  脚本が届く日
2002年05月17日(金)  人生最高の日〜『パコダテ人』最終日
1979年05月17日(木)  4年2組日記 今日から日記


2007年05月15日(火)  三島由紀夫はなぜ死んだのか

産後の無理が今頃たたって腰痛が治まらない。医者に匙を投げられた人が次々とよくなっているという整体師さんを口コミで知り、ついに生まれて初めて鍼を打つことに。中国系のグサッ、ブスッという太いごっつい鍼を想像して身構えていたので、画鋲を頼りなくした感じの細くて短い鍼に拍子抜けする。顔や手首に鍼を打ち、シール状になっているのでそのままつけて帰ったら、ずいぶん体が軽くなった。ついでに「普段はやらないんですけど特別に」ということでグキグキッと骨盤の歪みを直してもらったのも効いたのかもしれない。ここは一回一万千円もするのでそう頻繁にはいけないのだけれど、体の辛さがすうっと溶けてなくなるようなビフォアアフターを体験すると、一万出しても惜しくない、という気持ちになるのだった。

二回目の今日も同じようなことを期待したら、今回は鍼はなしで、アレルギーテストのようなことをやり、基本のアレルギーを取る治療を受ける。人間は何かしらアレルギーを持っていて、それが体に不調をもたらしているのだとか。前回ほどの劇的な変化は感じなかったけれど、前回同様施術の後に体だけでなく頭がすっきりする。にごり、淀んでいたものが、済んで流れ出すような感覚。血流がよくなった証拠なのだろうか。

先生はあまり年齢が変わらないと思われる男性で、「知ってる? 産後すぐは頭あんまり洗わないほうがいいんだよ。頭蓋骨も開いちゃってるから」などと妙に軽いノリで整体の薀蓄を語ってくれる。わたしの知らないことをたくさん知っているし、わたしの話は「へえー」と面白がって聞いてくれる。そんな風にいろんな職業の患者さんの話を吸収して自分のものにしているのかもしれない。

三島由紀夫の『音楽』の話をしたら、「読んでないけど、面白そうだね」と先生は言い、そこから「なぜあの人は自殺しちゃったんでしょう」という話になった。「あの人は肉体をすごく鍛えてたって聞きますね。年を取ること、肉体が衰えることに、人一倍恐怖があったのかもしれない」。先生はそう言って、「枯れる花は許せなくても、散る花は許せたんでしょう」と映画の台詞みたいに嘯いた。おしゃべりも鍼のように心地いい刺し加減。

2004年05月15日(土)  レイモンド・ローウィー展→フォトモア展
2002年05月15日(水)  パコの不一致


2007年05月14日(月)  遠山真学塾で『障害者権利条約』勉強会

『障害者権利条約』の勉強会についての記事を別々の新聞で目にしたのは先月のこと。昨年12月13日に国連総会で満場一致で採決され、今年3月に国連本部で署名式があり、82か国が批准予定だという条約だが、日本は国内法が未整備という理由でサインをせず、政府の公式日本語訳もいつ上がってくるかわからない状況。ならば自分たちで訳しつつ、どんな内容の条約なのか勉強してみよう、と呼びかけているのが遠山真学塾という数学教室だった。

数学と条約の組み合わせを意外に感じたが、自閉症、ダウン症、発達障害などの子どもたちに数学や算数をとっかかりにして学ぶ楽しさを伝えている塾だとわかった。アンテナに二度引っかかったのも何かの縁と思い、早速問い合わせてみると、記事の反響で4月の勉強会は定員に達しており、5月はどうでしょうと言われて、ひと月待ったのだった。

集まった8人ほどがロの字型に組んだ長机を囲み、まずは司会進行役を務める塾の主宰者、小笠毅さんが自己紹介。「もともとは教育とは畑違いのところにいまして」。不二家を辞めて再就職した出版社で担当したのが、水道方式と呼ばれる数学学習法を開発した遠山 啓氏。その先生の教えを継ぐ形で学習塾をはじめることになったのだとか。「まさか自分が子どもを教えることになるとは思ってませんでした。わっはっは」「英語も全然わかりませんので、皆さんのお知恵を拝借と思いまして。わっはっは」。大きな声の関西弁で実によくしゃべる。裏表がなさそうな人だ。関西人の数学教師ということで、父イマセンとイメージが重なった。

続いて、配られた「Article24 -Education(第24条 教育)」の日本語訳を試み、「inclusive education」をどう訳したか、各自が発表。inclusive はしばしば「包括的」と訳されるけれど、そもそもこの言葉自体なじみが薄く、わかりにくい。「包むという漢字があるので、風呂敷みたいに包み込むイメージかなあと思ったりしてるんですが」と小笠先生。「みんな一緒の教育」「混在、ごちゃまぜの教育」などと訳す人によって言葉が違うのが面白い。

わたしは「反対語はexclusive=排他的だなあ」と考えて「分け隔てのない」「誰でもどうぞ」などとプリントの片隅にメモをしていたが、二つ隣の席の女性が「inclusiveは風呂敷を包むのではなく、風呂敷を開いた状態なんですね」と言うのを聞いて、なるほどうまいこと言う、と感心した。包み込まれては、はじかれる人が出てくる。開いたままなら、誰でも受け入れられる。風呂敷なら厚みもほとんどないから、敷居のような段差もない。単に英語を日本語に置き換えるだけでなく、条約に込められた思いを読み解こうとする作業は、貴重な体験となった。条約の原文全文が掲載されたブックレット『若者と語る 「障害者権利条約』は遠山真学塾から購入できる。

風呂敷発言の女性は英語を仕事にされている方かなと思ったら、勉強会の後、「今度、翻訳本が出るんです」と小笠先生に話しているのが聞こえたので、帰りのエレベーターで一緒になったときに「さっきちらっと聞こえたんですが、なんという本ですか」と話しかけ、一緒に電車に乗り込んだ。上原裕美子さんという翻訳家さんで、6月に刊行される『わが子と歩む道―「障害」をもつ子どもの親になるということ 』(シンディ・ダウリング他)の翻訳を手がけたことから今日の勉強会に興味を持たれたそう。ひとつ前に手がけた翻訳本は『母と娘 ふたりの風景』。「親子もの専門ってわけじゃないんですけど、たまたま続いたんです」。わたしにとっては子育ては旬の話題なので、二冊ともぜひ読んでみたい。名刺サイズの新聞記事からあたらしい人につながり、本につながり、本を読めばまた新たな発見があるかもしれない。行ってよかった。

2005年05月14日(土)  病は気まで 『ぎっくり背中』の女
2002年05月14日(火)  戯曲


2007年05月13日(日)  マタニティオレンジ118 母の日は「わたし」の日だった!

娘のたまを孫のようにかわいがってくれている京都のメグさんが、SMAPの追っかけで上京。昨夜のコンサートの後わが家に泊まり、今日の昼のコンサートに出かけていった。わたしより干支一回りと少し年上のはずなのだけれど、追っかけにかける情熱と京都から度々足を運んでくるフットワークの良さには、真似できないなあと感心する。なかなか人のことをほめず、わたしにとっては永遠の小姑のような人なのだけれど、たまのことは「初めてかわいいと思った」とべた褒め、べた惚れで、「あんたはほんまにええ子やなあ」「あんたは幸せな子やなあ」と言いながら、わたしに見せたことのない笑顔であやしてくれる。赤ちゃんサイズのカーディガンや帽子を編んだり、「冷え込みがきついから風邪を引かさないで」とメールをくれたり、ひな祭りにはカードを送ってくれたり。メグさんとは10代の終わりに知り合ったので、あと数年で20年近いつきあいになるけれど、たまが生まれなかったら知ることのなかった一面を見せてもらっている。

メグさんが出かけた後、たまを抱いてクリーニングを取りに行って戻って来たダンナの手には、ピンクのブーケがあった。「今日は母の日だから、たまからですよ」とたまに手を添えさせて花束を差し出す。今年の誕生日、ダンナからはじめて花を贈られて、「子どもが生まれると変わるものだ」と驚いたけれど、母の日にまで心憎いことをしてくれるとは。しかも、今日出かけついでに思いついたのではなく、昨日の午後に花屋に予約をしてあったというから、重ねて驚く。「すごい進化だねえ」と感心していると、「だから、僕じゃなくて、たまからだってば」。母の日といえば、自分の母やダンナの母に何をしよう、ということばかり考えて、自分が母になったことをすっかり忘れていたのだが、これからは母の日はわたしの日でもあるのだ。あと何年かしたら、「ははのひおめでとう」なんて言ってくれるようになるのだろうか。似顔絵を描いてくれたりするんだろうか。パパと二人で、「ママにないしょね」とプレゼントの相談をしたりするんだろうか。5月のカレンダーに楽しみがひとつふえる。

2004年05月13日(木)  246CAFE<>BOOK
2002年05月13日(月)  ディレクター


2007年05月12日(土)   「海老が……死んでた」volo cosiでランチ

わたしが書いた『ブレーン・ストーミング・ティーン』にとてもうれしい感想を寄せてくれた、みきさんという女の子がいる。わたしよりうんと年下でまだ20代だけれど、たくさんの人に本を薦めてくれた敬意も込めて、みきちゃん、ではなく、みきさん、と呼んでいる。彼女に本を紹介してくれたのは、わたしの会社時代の同期だったなかじ君で、感想も彼経由で受け取った。なかじ君をまじえて会社近くでお昼を一緒に食べたのが2004年の秋。それからメールのやりとりがはじまり、「今度は二人でランチしましょう」と言っているうちに2年半経った。その間にわたしは広告会社をやめてフリーの脚本家になり、ウェディングプランナーだったみきさんは秘書を経て船のリース会社勤務になり、わたしは出産し、みきさんは今年1月に結婚した。


「結婚祝いにランチをごちそうさせて」と提案すると、わたしの日記を読んでくれているみきさんは、「じゃあ、『海老が……死んでた』お店で」とリクエスト。わが家の近所に昨年オープンしたVolo Cosi(ヴォーロ・コズィ)というイタリアンレストランのこと。住宅街の中にありながら予約がなかなか取れないこのお店、一緒に行こうねとダンナと話していたのに、ダンナが仕事先の人と先に行く約束を取りつけ、わたしの焼きもちも手伝って喧嘩になった。ダンナが店に行く頃にはわたしも「どうだった?」と聞ける余裕を取り戻したのだが、レストランを語るボキャブラリーに乏しいダンナの感想は「海老が出た」といったそっけないもので、「海老がどうなってたの?」と聞いたところ、「海老が……死んでた」という珍答が返ってきたのだった。

「予約が取れない」という噂通り、ほんとにひと月先まで予約が埋まっていて、ようやく今日のテーブルを確保できた。みきさんとメニューを開き、「海老」を探す。メインの魚は海老ではなく、選べるパスタメニューにも海老は見当たらなかったけれど、前菜に海老が登場し、二人で「いた!」と喜ぶ。会うのは一年半ぶり二度目、仲人役のなかじ君もいないということで、最初はお互い緊張気味だったけれど、海老のおかげで場が和んだ。料理はイタリアンだけれど、もともとあったフレンチのお店の内装を活かしているので、雰囲気はゴージャス。お皿の数が多く、それもまた贅沢な気分にさせてくれる。海老はもちろん前菜のひとつひとつもパスタもメインもデザートも丁寧に作られていて、楽しみにしていた甲斐があった。

2007年03月07日(水) マタニティオレンジ88 笑いの効能
2004年10月25日(月) ウェディングプランナー・みきさん

2005年05月12日(木)  段ボールから発掘ぁ ̄筆は何キロ走ったのか
2004年05月12日(水)  『ジェニファ』完成披露試写@TATOU TOKYO


2007年05月11日(金)  お茶することが仕事

4月から娘を保育園に預けて本格的に仕事を再開するようになり、打ち合わせに出る機会もふえた。会社の会議室に集まることは少ない。たいてい会議室が埋まっているという事情もあるし、外を飛び回っていてめったに会社にいないプロデューサーも多いし、社内は息は詰まるからという理由で会社近くの店を指定されることもいる。東京の外から会いに来られる場合もある。おかげでわたしはあちこちの喫茶店やカフェに行ける。

今週は神保町でしっとりとした雰囲気のあるレトロなカフェ(たしか『きゃらばん』という名前だった)に連れて行ってもらい、丸の内オアゾのエムシーカフェ(一階のタントマリーが満席だと、ここに流れる)でクリームがそびえ立つワッフルをごちそうになり、ひさしぶりに新宿サザンタワーの見晴らしのいいラウンジでゆっくりお茶をした。もちろん打ち合わせありきなのだけれど、お茶することが仕事になるって、趣味でお金をもらっているようでありがたい。かといってフードライターではないから、すてきなお店ですね、おいしいケーキですね、とお気楽にお茶していればいい。打ち合わせでいちばん大事なのは「楽しくやること」だと思う。お茶をしながら、いい気分で、笑顔で、名刺交換したりアイデア出しをしたり戦略を練ったりする。それだけで打ち合わせは8割がたうまくいき、次の打ち合わせにつながる。

2006年05月11日(木)  さよなら交通博物館
2005年05月11日(水)  段ボールから発掘 BarNoneみっけ!


2007年05月10日(木)  遠崎さんとGOGO!イゾリーナ

広告会社に入社したグループのボス(クリエイティブ・ディレクター)だった遠崎さんが三月に退職した。今後の連絡は会社ではなくこちらへ、と書かれた個人用メールアドレスには数字の5が並んでいる。「GOGO自由人!」の開放感がこんなところにも現れている。遠崎さんはシャイな人で、「俺についてこい」と子分を作るタイプでもないのだけど、ひそかな人気があり、直属の部下だったわたしは「遠崎さんと飲みたいんだけど、セッティングして」とお願いされたりする。今夜は、会社時代から仕事を超えて親しくしているアートディレクターのE君とCMプランナーのT嬢の夫妻と営業ミチコとわたしで遠崎さんを囲むことになった。場所は銀座のISOLINA(イゾリーナ)。ISOLAの系列で、ナポリピッツァが自慢。

トレードマーク(!?)の水道橋博士風サイドのみロン毛をばっさりと刈ってスキンヘッドになった遠崎さんを見て、思わず「若返りましたね!」。これまでは頭頂部のツヤツヤについ目が行ってしまっていたが、健康そうな肌の艶にも磨きがかかって見え、はつらつとした印象。見た目もGOGOになっている。これでサングラスをかけ、数年前に免許を取って乗り回しているシルバーのオープンカーから声をかければ、若い女の子だって引っかかりそうだ。

遠崎さんといえば、「さわやかテイスティ I feel Coke」のコピーの産みの親。それまでアメリカの代名詞のようだったコカ・コーラを日本の日常生活の場面に溶け込ませたキャンペーンは、日本人とコークの距離を一気に近づけた画期的なもので、二十年以上経った今でも覚えている人は多い。わたしもその一人で、高校の同級生と「どうやったらあのCMに出られるんだろう」と噂しあったりした。ジョージアの「男のやすらぎ」キャンペーンも遠崎さんの発案。このアイデア出しにはわたしも下っ端コピーライターとして関わったのだけれど、「コーヒーのCMといえば男性タレント。でも、めぼしいタレントはすでに他社に押さえられている。だったら、女性タレントで行こう」と発想を切り替え、「コーヒーを飲んでやすらぐ男」ではなく。「コーヒーを飲んでやすらぐよう、男を誘惑する女」を主役に据えた。当時はまだあまり売れていなかった飯島直子を強く推したのも遠崎さんだったように記憶している。そんな昔の仕事の話をする遠崎さんは実に楽しそうで、冒険談を聞いているようでこちらも楽しかった。

遠崎さんとは何度も飲みに行ったことがあったけれど、わたしはいつまで経っても子ども扱いされていた。車の免許を取って新車の助手席にどの女性を最初に乗せるか、という話になったときも、わたしが立候補したら、「今井を乗せたら誘拐になる」と却下された。そう言われたときは、とっくに三十を超えていたのだが。「そういえば、一万円で追い返された事件もありました」。いい機会だと思い、今夜のテーブルで遠崎さんに詰め寄った。「何なに? そんなことがあったん?」とE君が面白がる。二次会が終わり、まだ飲みたかったわたしは「もう一軒行きましょうよ」と遠崎さんの袖を引っ張ったのだが、遠崎さんはタクシーをつかまえ、「これで帰りなさい」とわたしに一万円札を握らせて去ったのだった。「一万円で一緒に飲もうって誘われるってのは聞くけど、一万円出してまで帰ってほしかったんだ、ってショックでした!」と十年以上前の出来事を思い出して言うと、「何言ってんだよ。今井、無茶苦茶酔っ払ってて、歩くのもやっとだったんだよ」と遠崎さん。「え?」とまるで記憶にないわたし。「もう一軒なんてとてもムリだと思ったから帰したんだよ」。誤解も解け、子どもを預けているのでお先に、と立ち上がったら、ひさしぶりのワインでしっかり酔っ払っていた。出口でお店の人に「傘は(どれですか)?」と聞かれて、「階段は持ってます」と折り畳み傘を示し、千鳥足で階段を下りながら、「あ、傘は持ってます、だった」と言い間違いに気づいた。

2005年05月10日(火)  段ボールから発掘◆‐森のおばちゃまのサイン
2004年05月10日(月)  脚長美人計画


2007年05月09日(水)  ラジオ『疑問の館』と『アクアリウムの夜』再放送

月曜日、ひさしぶりにラジオを聴いた。NHKの『疑問の館』というクイズ番組。先週、上野動物園の帰りに近所に住むママ仲間のユキさんとホホちゃんのおうちを訪ねたら、「ちょうど上野動物園帰りの友人が来ているんです」と紹介された女性が、番組の制作に関わっている方だった。クイズに出題する動物ネタの資料を借りに動物園を訪ねていたのだという。「来週の月曜日に放送します」と聞いていたので、どんな問題が出るのだろう、と興味をそそられてラジオをつけてみた。

テレビでクイズ番組を見ることはよくあるけど、ラジオは新鮮。視覚ヒントがなく音のヒントだけを頼りに答えを探るというのは、余計な情報がない分、思考に集中できる気がする。回答者の声の調子から自信のほどがうかがえ、その表情までも想像できて、ラジオとクイズは相性がいいのだなあと思った。動物ネタの出題は、ある動物の鳴き声だった。「モォ〜モォ〜」。これ、何の動物でしょう。牛の鳴き声にとても近いのだが、答えはキリン。めったに鳴くことがないキリンの貴重な録音。声から動物を当てさせるのは、ラジオならでは。今年は、キリンが日本に来て百周年なのだという。ダンナ方のひいおばあちゃんが百才だけれど、おばあちゃんが生まれる前にはキリンは日本にいなかった、と考えると、新しい。馬と日本史の密接な歴史を思えば、相当新しい。国内での輸送は船に乗せて川を渡ったそうだが、首が長すぎて橋げたにつかえ、途中で陸上輸送に切り替えた、というエピソードが面白かった。今なら歩道橋につかえてしまうが、百年前には横断歩道もなかったに違いない。

子どもの頃、母は家事をしながらいつもラジオを聴いていた。落語を好んで聴き、文学講座を学び、株価や天気もラジオで確かめた。子育てをはじめた今、ラジオに耳を傾けながら子どもの世話や家のことに手を動かすのは、なかなかいいものだ、と気づく。とくに、洗濯物をたたみながら聴くのがいい。両手はふさがっているけれど頭は容量がある状態。そこに音が入ってくる。これからもときどき聴いてみよう、昔の母みたいに。そう思っていたら、折りよく2002年に書いた連続オーディオドラマ『アクアリウムの夜』が5月28日から再放送されるという知らせが舞い込んだ。2005年に次いで、二度目の再放送。書いているときは後ろを振り返るのも怖いほど、震えながら脚本を書いた青春ホラー。実体が見える化け物よりも、闇に潜んでいる気配のほうが怖い。恐怖を増幅させるのは、見えない部分を膨らませてしまう想像力なのだ、と冷や汗をかいてパソコンを打ちながら悟った。だからホラーもラジオと相性がいい。

2006年05月09日(火)  大人計画本公演『まとまったお金の唄』
2005年05月09日(月)  段ボールから発掘  悗泙舛砲い辰燭个△佑襪舛磴鵝
2002年05月09日(木)  奇跡の詩人


2007年05月08日(火)  マタニティオレンジ117 愛情と責任と○○

6月上旬に出産を控えている元同僚のげっしー嬢に会う。彼女は会社で人事にあたる「Human Resourse(ヒューマンリソース)」という部署にて、広報を担当していた。で、人材を活かす術として、今話題のコーチングの研修にも通ったりしていた。わたしはコーチングというものを今ひとつ理解できないでいるのだけれど、本人も気づかない資質や能力を引き出し、伸ばす方法だという。眠っている種に光を当て、芽を出させる。「コーチ」と呼ばれる人が、その手引きをする。そんなイメージを抱いている。

コーチングは会社という組織が社員という人材を活用するためのものだとばかり思っていたら、「子育てのコーチングもあるのよ」とげっしー嬢。たしかに子育てもひとつの能力であり、引き出し甲斐がある。その研修がとてもよかった、とげっしー嬢は言い、「子育てで親が子に教えるものは三つに集約されるんだって」と研修で聞いた印象的な話を聞かせてくれた。「へーえ、三つって何?」「えーっとね、愛情と責任と……あれ、あとひとつ、何だっけ」げっしー嬢が答えに詰まり、そこから二人で「何だろうねえ」とクイズの答え探しになった。「我慢?」とわたし。「責任と近くない?」「信頼?」「それは愛情に似てる」「じゃあ、自由?」「それは教えなくても、いいかも」「そうねえ。好奇心?」「漢字二文字だったと思う」「興味……は違うっぽいね」。笑顔、親切、誠意、希望、情熱、努力……どれも子どもに伝えたいことだけれど、三つ目のピースにはめるには何か足りない。あきらめて別な話題に移ったとき、「あ」とげっしー嬢が思い出した。「感謝!」「感謝?」「そう、愛情と責任と感謝」。愛情と責任と感謝、と復唱して、これはしっくりくるね、と二人でうなずきあった。この三つがあれば、笑顔も誠意も努力も自然と備わってくるのかもしれない。わたしは娘のたまに、げっしー嬢はこれから生まれる女の子に伝えよう。愛情と責任と感謝。

2005年05月08日(日)  佳夏の置き土産、高倉三原同窓会やるでー。
2004年05月08日(土)  STRAYDOG公演『母の桜が散った夜』


2007年05月07日(月)  甘いものは何が好きですか

作品を観て興味を持ってくれたプロデューサーが声をかけてくれて、はじめての会社によばれた。プロデューサーと監督と三人で打ち合わせをした後で、食べ物の話になり、三人とも甘いもの好きだということがわかった。「何が好きですか」と尋ねたら、監督は「僕はおたべですね」、プロデューサーは「僕はベルギーワッフルです」と即答。迷いのない答えにびっくりしていると、「今井さんは?」と聞かれ、「わたしは、えーと……」はたと考え込んでしまった。

いちばん好きな食べ物を問われたら、「551の蓬莱の豚まん」で決まりなのだけど、甘いものは候補がありすぎてひとつに絞れない。スイートポテトか、栗かのこか、どら焼きか、最中か、大福か……。どら焼きだったら、宮崎の日高の「バタどら」か竹隆庵岡埜の「とらが焼」か、スイートポテトだったら、おいもや興神か広尾のあもうか……。共通点は、いも、栗、あずき。「ほっくり系が好きです」と答えた。シュークリームやナッツチョコレートは、ほっくり系というより、ねっとり系だろうか。これ、と即座に言える究極の第一位を持っておきたい気もするけれど、甘いものに関しては、優柔不断の浮気性は治らないようにも思う。

2005年05月07日(土)  甥っ子二人、弟三人。


2007年05月06日(日)  マタニティオレンジ116 泣き止まなくて急患

朝5時に起きた娘のたまが苦しそうに泣き続け、泣いたり泣き止んだりを繰り返しながら7時になってもぐずり続けた。こんなことは初めてで、どこか痛いんだろうか、悪いんだろうか、と心配になる。思い当たることといえば便秘だけれど、果汁を飲ませようとしてもイヤイヤをして受け付けない。

たまがどんなに泣いても目を覚ましたことのないダンナが起き出し、「病院へ行こう」となった。平日だったら走って三分のところにある小児科が八時に開くのを待てばいいのだけれど、あいにく日曜日。区でもらったしおりを頼りに救急外来をやっている病院に電話する。まずは最寄のA病院。「どうされました?」「子どもが泣き止まないんです」「はあ?」。明らかに、そんなことで電話するなよ、というニュアンスの対応。でも、うちの子はめったなことで泣き続けたりしないんです。こんなに泣くからにはどこか悪いはずなんです……という言葉は飲み込み、「十時半まで先生が来ません」と言われるがままにその時間に予約を入れる。電話を切り、「十時半まで泣かせとくわけにはいかない!」とB病院に電話すると、こちらは「すぐ来てください!」とあたたかい言葉。わが携帯電話に後光が射したようなよう。

雨の中、タクシーで病院に駆けつけると、八時前の救急外来は活気があり、平日の昼のような雰囲気。先客あり、後からやって来る人あり、親子連れでにぎわっている。親が不安そうな割には子どもたちは元気そうに見える。わが娘たまも、タクシーに乗り込んだ途端泣き止み、診察の順番が回ってきたときには、けろっとしていた。「泣き止んで」と祈ってたくせに、病院に着いたら「少しはしんどうそうにしてて」と親は勝手なことを思う。診てくれたのは、医者というより噺家のようなひょうひょうとした初老のお医者さん。「さっきまで泣きじゃくってたんですが」と恐縮すると、「よくあることですよ」と朗らかな口調に救われる。「便秘でおなかが痛いんじゃないかと」と恐る恐る打ち明けると、「じゃあ浣腸しましょう」とこれまた明るく言ってくれ、別室で女医さんに取り次がれた。

ベッドに紙のシーツを敷いた上にたまを寝かせ、浣腸を終えた女医さんが「すぐ出ると思いますよ」と言い残して離れてから、本当にすぐに快音(?)が轟いた。すっきりした顔のたまを抱き、「ありがとうございました」と受付でお代を払おうとすると、結構ですと言われる。急患であっても乳児医療症の無料診療でカバーされるとのこと。ウンチごときで朝から大騒ぎして申し訳ない、おまけにタダとは恐縮するばかり。一件落着、家を飛び出したときとは打って変わって、よかったよかったと帰宅したら、時計はまだ十時前。なんだ、いつもの休日の朝のスタートと変わらないね、とダンナと笑いあう。

午後からは、応援団の後輩のかじかじ君と8月に出産を控えているお嫁さんの雅子さん、ダンナとわたしの大学時代の友人のウヅカ君が来て、食事。「今朝、こんなことがあったんだよ」と話したい誘惑に駆られつつも、ウンチの話なので遠慮した。子育ての大先輩のウヅカ君は、中学生と小学生の女の子のお父さん。かじかじ君夫妻のところの赤ちゃんも女の子。わたしのまわりは、女の子を授かる人がとても多い。

2005年05月06日(金)  吉村公三郎作品『眠れる美女』『婚期』
2002年05月06日(月)  古くても新聞


2007年05月05日(土)  マタニティオレンジ115 つかまり立ちがはじまった!

得意げな声が聞こえて目をやると、娘のたまがテーブルの脚につかまって立っていたので驚いた。はいはいの腰の位置が高くなってきたと思ったら、いつの間にこんなことまで、できるようになっていた。はいはいしながら片手を上げて、手当たり次第つかんだり振り回したりする遊びを覚えたが、ついには右手と左手をかわるがわる出して両手を自由に使えるようになったようだ。テーブルの脚をつかみ、木登りの真似事のようにして体を引き上げ、立ってしまった。

それだけ脚や腕や背中の筋力がついた証拠だが、もちろん、立ってみたい、という好奇心あってのこと。視点が高くなったのがうれしいのか誇らしいのか、たまは「わあ」のような「キャア」のような歓声を上げている。椅子の脚を手がかりにして座面に腕を踏ん張って絶ったり、相撲の張り手よろしく壁をぺたぺたと伝って立ったり、あの手この手で上へ向かう。娘の成長を喜んでカメラなんか向けていると、手が体を支えきれなくなって宙を舞い、バランスを崩して、体を床に打ちつける。笑っていたのがたちまち泣き出し、大騒ぎになる。つかまり立ちというよりは、すがり立ち。まだまだ危なっかしい。

四つんばいで地面を歩き回っていた人類の遠い祖先が二足歩行を獲得したときも、まずは近くにある木や岩につかまり立ちしたのだろうか。そんなことを想像しながら、人類の進化よりはずっとささやかだけれど、わが家にとっての歴史的な快挙に見入っている。というより、目が離せないので、つきっきりで見守るしかないのである。

2005年05月05日(木)  店主も冷蔵庫も味な居酒屋『串駒』
2004年05月05日(水)  映画『チルソクの夏』
2003年05月05日(月)  日本橋三越に「風じゅー」現る!


2007年05月04日(金)  マタニティオレンジ114 二世代で同級生

大阪での幼稚園、小学校、中学校時代の同級生で今は横浜に住むナオヤは、昨年7月、わたしよりひと月お先に男の子の父親になった。二代そろって同じ学年ということになる。親子同窓会やろうや、と誘ってもらいながらなかなか日が合わなかったのだけど、今日、『0歳からのコンサート』で有楽町に出たついでに一家でわが家に立ち寄ってくれた。ナオヤはわたしの家の隣に住んでいた幼なじみのヨシカと小学校の3、4年生のときに同じクラスで、ヨシカが「ナオヤ」と呼んでいたのにならって、わたしも呼び捨てにしているのだけれど、ナオヤはわたしを「今井さん」と呼ぶ。「今井さんがおっぱいあげてるとこ、想像でけへんなあ」と言うので、思わず焦って「想像せんといて!」。同級生との会話におっぱいが出てくるのは、なんだか変な感じだ。ナオヤは幼稚園の頃から驚くほど変わってない、とわたしは思うのだけど(当時からやたらと記憶力のいい子で、誰がどのクラスにいるか言い当てるのが得意だったのだが、今でも頭の中にちゃんとクラス別名簿が整理されてある)、三十年以上も前からお互いを知っているというのもすごいことだ。二代目のわが娘・たまとマサシ君の顔合わせは、一人が泣けばもう一人も泣き、を繰り返し、友情を育むどころではなかったけれど、やがては数十年来の友だちになるかもしれない。

わたしたちの学年は上の子が高校生という子もざらにいて、娘がアイドルデビューしている子もいるし、一昨年の同窓会の時点で孫がいる(!)という男の子もいて、当時36才のおじいちゃんに度肝を抜かれた。子育てが一段落している同級生が多い一方、昨年はちょっとした出産ラッシュで、他にも何人かの二代目同級生が生まれている。今も地元に住んでいる同級生は、「子ども同士が同じクラスになって再会」なんてこともあるらしい。東京に住んでいるわたしの場合は、子どもが同じ学校に通う可能性は低そうだけど、親子二世代で同級生って、ゾロ目が出たようなうれしさがある。

2005年05月04日(水)  一緒に飛べなかった『アビエイター』
2002年05月04日(土)  フランスのパコダテ人、函館のアメリ。


2007年05月03日(木)  中原道夫さん目当てにサイエンス俳句

最近メールを交換するようになったHさんという女性が俳句をたしなまれる方で、「今井さんは俳句をやらないんですか」と聞かれたので、「コピーライター時代に仕事で組んだデザイナーが中原道夫さんという俳人で、遊び半分で手ほどきを受けたことがあります」と伝えたら、「そんなすごい人に!」と驚かれた。広告会社のアートディレクターが俳人でもあるのではなく、俳人が気まぐれにアートディレクターもやっている、という感じの人で、会社あてに「先生いらっしゃいますか」という電話がよくかかってきた。プレゼン間際に「中原さんがいない!」「もう出発するのに!」と焦った営業がふと隣のビルに目をやると、カルチャーセンターの俳句教室で指導しているのが見えた、という笑い話もあった。

中原さんと化粧品の広告をつくっていた頃、わたしはまだ二十代半ばだった。俳句界の芥川賞にあたる賞を受賞した、ということは聞いていたけれど、俳句のことはまるでわからないゆえの無邪気さと若さゆえの図々しさで、「わたしも書いてみましたぁ」と作品を見せた。五句ぐらいあった中で批評してもらえたのは「稲妻の ピアスのごとく 海つらぬく」という一句。しかし、拾ってもらったのではない。「俳句というものは作者の見た世界を十七文字に凝縮しなくてはならないが、この句が表現している世界は十七文字より小さい」ということを伝える例として選ばれたのだった。「稲妻、ピアス、つらぬく、すべてとんがってたものでかぶってるでしょ。十七文字のうち半分以上が同じこと言ってる。驚きも意外性もないし、深みもない。十七文字からイメージがひろがらない」と言われ、「十七文字から原稿用紙一枚分、四百字ぐらいの情景が浮かぶようにしなさい」とアドバイスされた。「海つらぬく、と六文字になっているがけど、ここが字余りになるのは美しくない。余らせるなら真ん中の七文字を」と指摘されたことも覚えている。中原さんとは、普段は仕事そっちのけで得意先へ行くついでに何を食べるかばかり考えているくいしんコンビだったから、「おいしいお店を知っている楽しいおじさん」ぐらいに思っていたのだけれど、さすが俳句を見る目は的確だった。高名な師の添削に、謝礼代わりに「言うことがプロっぽ〜い」とはしゃいでいたわたし。世間知らずの二十代とは恐ろしい。

そんな思い出話を伝えていたところ、Hさんから「中原さんが関わっている俳句募集がありますよ」とお知らせをいただいた。日本科学未来館が5月4日に「“句会”科学を旅して、俳句をつくろう」というイベントを行い、「21世紀の新しい世界の変化を、日本古来の表現形式でどこまで表現」できるのかを検証する。その講師に中原さんを迎えており、インターネットからも投句を呼びかけているのだった。「宇宙」「ロケット」「遺伝子操作」などなど科学と縁のある言葉を折り込み、未来をとらえた「サイエンス俳句」がお題。日本科学未来館へは『恋愛物語展』という企画展を目当てに訪ねたことがあったけれど、科学に物語をつけるのが得意なようだ。

応募はたくさん来るだろうけれど、目に留まった句は中原さんに読んでもらえるかもしれない、と早速取り組んでみる。季語に加えてサイエンス単語という縛りが出来、これがなかなか難しい。締め切り間際になんとか三句ひねり出した。

織姫と彦星きどり 星めぐり

ロボットが 雪を降らして 雪をかき

国連が 星連になり 天の川


宇宙や未来はスケールが大きいけれど、句のスケールはといえば甚だ心もとない。応募の雅号は「いまいまさこ」にした。「今井雅子にはこういう色が似合う」「今井雅子は銀座のあの店には行ったか」などと中原さんはわたしのことをフルネームで呼んだ。運良く応募作品を目にしたら、「今井雅子、変わってないね。十七文字からまるでイメージが広がらない」と嘆かれるだろうか。ドキドキしながら送信ボタンを押した。

2003年01月31日(金) トップのシャツ着て職場の洗濯

2004年05月03日(月)  渋谷川ルネッサンス
2002年05月03日(金)  スペクタクル・ガーデン「レジェンド・オブ・ポリゴン・ハーツ」


2007年05月02日(水)  マタニティオレンジ113 上野動物園でいちばん面白い生き物

ダンナが急に休めることになり、わたしは今日やる予定だった原稿を明日に回し、娘のたまは保育園を休むことに。平日に一家で過ごすのは、本当にひさしぶり。天気もいいし、ベビーカーで散歩がてら上野動物園をめざす。ゆっくり歩くと一時間以上かかるけれど、千駄木から根津にかけて、お店がたくさん並んでにぎやかな通りをひやかして歩くのは楽しい。

陽気に眠気を誘われて、動物園に着いた頃には、たまは半分目を閉じて、うとうと。「ほら、ライオンだよ」「ゾウさんだよ」と親ははしゃぐけれど、たまはまったく興味なさそう。「たまに対して、動物が大きすぎるんじゃないか」とダンナが推理する。ベビーカーの高さにかがんでゾウを見ると、ちょうど目の前に柵があり、その向こうに見えるゾウの灰色の体は壁のように見える。もともと動きがゆったりしているゾウは、暑さにやられているのか、張り付いたように動かない。確かに、見ていて退屈かもしれない。ゴリラだって、たまの目には黒い塊、岩のようにしか映らないのかもしれない。足で頭をかく姿を「ダメ親父っぽい」と笑っあったり、「ああいう顔の人いるよね」とうなずきあったりできるのは、まだまだ先のことになりそう。広い園内を歩き回って、たまが唯一ベビーカーから身を乗り出したのは、鳥のガラス檻の前だった。鮮やかなオレンジの小鳥が枝から枝へ飛び交う様には心惹かれた様子。動きのあるものを近くで見るなら、動物園より水族館のほうが面白いかもしれない。

「はじめての動物園に驚くたま」を記録しようとカメラとビデオを構えていた親としては、あっけないほどの無関心に「8か月で動物園は早いのか」「でも、6か月で大喜びしたって話も聞いたけど」と肩透かしを食らった格好。数か月したらまた違った反応が見られるのだろうし、そのうち指差して動物の名前を言ったり、「また連れて行って」とせがんだり、絵日記を書いたりするようになるのだろう。わたし自身は動物園が大好きで、いつも、そこらの子どもに負けないぐらい目をきらきらさせて動物たちの表情や動きを観察しているのだけど、今日は檻の向こうではなく、手前のわが子ばかり見ていた。これから数年間、動物園でいちばん面白い生き物は、この子になるんだろうな。

2002年05月02日(木)  永六輔さんと「しあわせのシッポ」な遭遇


2007年05月01日(火)  今井雅子という人物は存在しない!?

新聞の整理をしていたら、夫婦別姓について論じる記事があり、一昨年の二月の飲み会のことを思い出した。広告会社時代の先輩のお姉さまたちと五人で集まったときのこと、婚姻届を出したばかりのY嬢が「自動的にダンナの苗字にされるのはおかしい! わたしも稼いでいるのに!」と言い出した。「っていうか、ダンナより稼いでいるのに!」と賛同する声があり、お酒の勢いもあって「夫婦別姓だあっ!」という話になった。

わたしたちが働いていた広告会社では、結婚後も旧姓を名乗る女性がほとんどで、わたしもそうしていた。キャッシュカード、クレジットカードの類の名義変更の多さに閉口し、「なんで妻だけがこんな面倒なことを……」と恨めしくは思ったものの、それ以外の不便や不満はとくに抱いていなかったので、お姉さまたちの怒りが意外だった。

「で、今井はどうなの?」と詰め寄られ、「わたしは名前が二つにふえた、ぐらいに思ってたんですけど」と答えると、「あたしもそうだな」とO嬢。この先輩は「新鮮だから」という理由で、結婚するなり新しい姓の名刺を刷った。苗字を選べると考えれば、窮屈ではない。わたしの場合は、旧姓がペンネームにもなっているので、郵便物も半数以上は宛名が「今井」になっている。日常的に「今井」で呼ばれることが多いから、結婚によって慣れ親しんだ名前を失ったという感覚が薄いのかもしれない。

そのことを痛感したのは、飲み会から数か月後、銀行の窓口で、だった。通帳の記入漏れを知らせる郵便物がしばらく届いていない口座があり、もしかしたら結婚した際の住所変更をし忘れているのではと思って問い合わせたのだが、名義が今井雅子になっているせいで、照合を受け付けてもらえない。

「今井雅子という人物は戸籍上存在しないわけでして」。女性行員にそう告げられた瞬間、飲み会で吠えていたお姉さまの気持ちに、ぐぐっと近づいた。物心ついてからずっと自分は今井雅子だと思って生きてきたのに、戸籍が書き換えられただけで、今井雅子という存在は消されてしまう。そんな簡単なものじゃないでしょう、と目の前の行員さんに食ってかかりそうになった。自動的に新しい苗字の名刺を持たされる会社に勤めている人や、専業主婦になって「○○さんの奥さん」と呼ばれるようになった人が結婚早々に体験している衝撃を、わたしは結婚後6年も経って味わったのだった。

どうやったら、わたしが元・今井雅子であることを証明できるだろうか。銀行の窓口で策を練った。『子ぎつねへレン』のチラシを見せて、「ここに今井雅子って名前があるでしょ」と示しても、それがわたしである証明にはならない。そのとき、そうだ、と思い出し、財布を探った。わたしが加入している文芸美術国民保険の保険証には、氏名に筆名が併記されている。結婚後の名前と旧姓が仲良く並んでいる保険証を見せると、行員さんの態度が変わった。今井雅子名義の口座の住所変更がされているかを確認し、「変更はできているが、年間の取引額が少ないので通帳記入漏れの案内が発送されていない」ことがわかった。

また今回のような騒ぎになると困るので、その場で名義を本名に書き換えたが、旧姓のまま遺しておけばよかったかなとも思う。自分の手で、またひとつ、今井雅子を消してしまった。それにしても、保険証という証拠がなかったら、今井雅子という人物は存在しないままになっていた。戸籍の一行が旧姓で生きてきた何十年という時間を覆せるわけがないのに。

次にお姉さまたちと飲むときは、「名前が変わるったって、書類だけのことじゃないですか」なんて笑って言えないな、と思った。

2005年05月01日(日)  天才せらちゃんと神代植物公園
2004年05月01日(土)  池袋サンシャイン国際水族館『ナイトアクアリウム』
2002年05月01日(水)  きもち

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