2005年05月29日(日)  『昭和八十年のラヂオ少年』を祝う会

「『昭和八十年のラヂオ少年』完成のお祝いをしましょう」と昭和三年生まれのお医者様、余語先生が会を設けてくださる。先生には時代考証からフーちゃんの病気のことからずいぶん相談に乗ってもらったので、こちらがお礼すべき立場なのだが、いつものように甘えてしまった。

先生の同級生のT氏、K氏とともに銀座ハゲ天本店へ。ハゲ天は余語先生と同じ昭和三生まれの創業七十五年。当初は『たから』の屋号だったが、初代がハゲ頭だったことから、いつとはなしに『ハゲ天』の名が定着したとか。「ハゲの天ぷら屋」と親しまれるうちに縮まったのだろうか。

T氏の奥様が留守のときにT邸で集まる「洗濯の会」(「鬼の居ぬ間に洗濯」にちなみ今夜命名)で何度かご一緒しているK氏は、元NHK記者。音だけの取材時代、自分で8ミリを回して編集した時代など、この方の経験自体が生きる放送史だったりする。ちなみにラヂオ少年の感想は「前半があわただしくて入り込むまでが大変でした」とのことだが、後半はお楽しみいただけた様子。

知的好奇心旺盛、それでいて三者三様の視点を持った三人と話していると、わたしの知らない引き出しが次々と開き、次は何が飛び出すのかと楽しくてしょうがない。わたし自身の備忘録も兼ねて、今宵の話題を書き記しておこう。
【女流画家・三岸節子の生きる力】
19才で画家の三岸好太郎と結婚。彼も才能に溢れていたが31才で病死。夫の女性関係に悩んでいた節子は「これで生きていかれる」と言った。今よりも女流画家にとって逆風の時代に絵で身を立て、60代後半で渡仏、20年のパリ暮らしを経て帰国。93才で亡くなるまで絵筆を握る。絶筆となった『さいた さいた さくらが さいた』にも生命力がみなぎっている。先日の展覧会を見たT氏は「さくらさくらの絵を見る人々を見ていたんですよ。そしたら、皆さん、ふっと微笑まれるんですね。よく最後まで描ききった、生ききったなって顔で絵を見るんです」。

【植草一秀元教授の手鏡覗き事件は冤罪か否か】
手鏡で女子高生のスカートの中を覗いたとして逮捕され、早大大学院の教授の職を失った植草一秀氏の経済講演会に出席したT氏の目的は、「彼が本当にあんなことをしたのか見極めるために、彼の話を聞きたかった」。逮捕激は、植草氏の反対派が彼を貶めるために仕組んだものとする主張について、T氏が持ち帰った講演会の資料をもとに「植草氏の唱える経済論がそれほど危険なものかどうか」を議論するが、資料の内容は別段過激とは思えない。冤罪であれば怖いが、真実は本人にしかわからない。

【信濃デッサン館と無言館】
余語先生と出会った直後に館長である窪島誠一郎氏の本を借り、深い感銘を受けた『信濃デッサン館』が資金難のため閉鎖されるというニュースを聞いたのですが……とわたしが振ると、「まだご覧になっていないですか。日帰りでもすぐ行けますよ」と余語先生。先生に言われて行ったというT氏は、デッサン館はもちろんのこと、無言館の作品の力に圧倒されたとか。「これから出征する者が生きた証を残そうとする気迫がこもっていて、あれを見た後に銀座の画廊に行っても何も感じませんでした」。

【陪審員と裁判員と調停員】
翻訳劇を観に行って途中で出てきた余語先生とT氏が「アメリカの村々をめぐる話をそのまま訳したって、日本人にはどこがどこだかさっぱりわからない」。「翻訳したものを日本を舞台にした形に脚色すれば面白かったかもしれません。でも、『十二人の怒れる男』は半世紀も昔のアメリカが舞台なのに、陪審員たちの心理劇の面白さで楽しめましたね」とわたし。そこから裁判員の話になり、自分に回ったらどうしようと議論。そういや家庭裁判所などでは裁判官とペアになって示談交渉などを進める調停員という職業があって、元同僚がやっていますよとK氏。もしかしたらネタになる話が聞けるかもしれませんよということで、ネタになるかどうかはともかく、今度皆でその調停員氏を囲みましょうと話す。

【ハンセン氏病の誤解】
穏やかな余語先生、ハンセン氏病の話になると熱い。先日も熊本の隔離施設を見学した際、案内の人が施設の歴史についてあまりに不勉強なことを叱責したとか。「そういえば、ハワイの隔離施設に住み込みで働いていた神父が感染し、死亡したという実話に基づいた芝居が以前上演されましたね」とわたしが言うと、もちろんご存知で、「あれはけしからん芝居です!」と一喝。「大人が感染する確率は極めて低く、本当にハンセン氏病だったのかも疑わしい。そのことを台詞で断らなかったあの舞台は誤った認識を植え付けてしまった」と劇場側に抗議したところ、応対した担当者は「そのような事実は知りませんでした」と回答したそう。余語先生、シネスイッチで観た『愛の神エロス』についても「あの劇場があんなものをかけるとは!」とご立腹だった。

【岩波ホールの『山中絵巻』】
岩波ホールというのは面白い映画をかけますねーという話になり、余語先生は先日観た『山中絵巻』を紹介。牛若丸と常盤御前の母と子の物語を描いた絵巻にストーリーをつけ、映画で絵巻を鑑賞するという試みが面白そう。今かかっている『ベアテの贈りもの』は、日本国憲法の草案作成の際に「男女平等」の文言を加えたベアテ・シロタ・ゴードンの生涯をドキュメンタリー映像を交えて描いたもの。「あれは観てみたいですね」と皆興味津々。

【高層マンションと生活のにおい】
高層マンションの16階に引っ越したK氏。窓を開けると東京湾が一望できる。「でも、生活のにおいが上がってこないんです」。子どもたちの声、物売りの音などが聞こえて来ず、日々の営みははるか下にあって不思議な感覚なのだとか。俗世間と切り離された21世紀の仙人とでも言おうか、この台詞、何かドラマのにおいを感じる。

【超高齢と東京都シルバーパス】
「われわれはチョー高齢なんですよ」と誇らしげなお三方。「え、そんな言葉あるんですか?」。チョーと言えば若者の言葉だと思っていたが、「超高齢」は役所などでも普通に使われているのだとか。なんだか超高速みたいでカッコいいですねと話す(家に帰ってネットで調べると、超高齢の定義はあいまいで、85才以上、90才以上と様々。75才は超がつくにはまだ若いのでは)。東京都では70才を超えると、都営バス・地下鉄・都電に乗り放題のシルバーパスの交付を受けられるが、非課税者は年間1000円で購入できるのに対し、富める課税者は「年間2万ン千円も取られるんです」と余語先生。ほとんど毎日外出し、十分元は取っていると思われる。

他にも「除細動器」「乗馬」とあっちの引き出し、こっちの引き出しが次々と開き、食事を終えても話は止まない。わたしはよく覚えていないが、余語先生にはじめて会ったとき、「わたしに刺激をください」と口走ったらしい。その一言を強烈に覚えている余語先生は、いつも「いい刺激になりましたか」と聞いてくれる。今宵もたっぷりいただきました。

2004年05月29日(土)  幸せのおすそわけ
2002年05月29日(水)  SESSION9
1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい

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