2007年01月31日(水)  マタニティオレンジ68 左手に赤ちゃん右手にナン

先週の水曜日、千駄木のインド料理屋で、左手に赤ちゃん右手にナンという無理のある体勢でカレーに挑む女性客の姿があった。それはわたしなのだが、周囲のテーブルからの「なんだか大変そうだね」「待ち合わせの人が来なくて一人なのかしら」という同情やら疑惑やらの混じった視線に「はい、わかってます、無理あります」と心の中で答え、「片手でナンをちぎるのって難しい」と発見したり、そんなわたしから目をそらさず微笑みかけるインド人の店員さんの懐の広さに感激したりしながら、ぐずり寸前の娘のたまをあやしつつランチセットを平らげた。なんとかカレーを服に飛び散らさずに済んだと思ったら、爪の間に入り込んだカレーを見落としていた。その手でたまを抱っこしたものだから、ベビー服には明らかに誤解を招きそうな黄色いシミが点々……。

そこまでして食べたくなったのは、その一週間前、五反田の路上でインドカレーのランチboxを売っているおじさんに出会ったからだった。すでにランチを買い込んで友人宅へ向かうところだったのだけど、どんなカレーだろうと気になったので「いつもやってるんですか」と話しかけたら、すぐ近くのアロラ・インド料理学院のカレーなのだと言ってお店のハガキをくれた。学院ではイートインもやっている(前日までの完全予約制 平日11:00〜14:30)と言う。むかし隣の家にインド人一家が住んでいたという話をしたら、名前も聞かずに「ワタシ、その人、知ってる」とおじさん。「いやいや、三十年も昔のことだし、大阪だし」と答えたのだけど、こういうやりとりもインドっぽいなあとうれしくなった。4才で本場の味に出会ってインドカレー歴はかれこれ三十余年。出産後はスパイスで母乳の味が悪くなるという説もあり、ほどほどに控えていたのだけど、おじさんのせいでにわかにインドカレー熱がぶり返した。五反田の友人と「じゃあ今度そこ行こうよ」と約束したものの、それまで我慢できずに千駄木でフライングカレーを食したのだった。

で、今日は待ちに待ったアロラカレー当日。大人三人+赤ちゃん二人(五か月児と一か月半児)という顔ぶれで、マンションの一室にあるアロラ料理学院へ。そのリビングがイートイン会場になっていて、お店というより知り合いのおうちにお邪魔したようなアットホームな雰囲気。電話で赤ちゃん連れと伝えておいたところ、ベッド代わりのソファを用意してくれていた。部屋も貸切で、いざとなったらここで授乳できるわと思ったのだけど、たまはぐずらず、抱っこせずに最後まで転がしておけた。じっくり味わうのに十分な舌滞在時間を確保でき、フライングカレーの雪辱を果たすことができた。カレー2種類(エビとココナッツ、ほうれん草とマトン)に里芋のサブジ、揚げ物2週類、ナンとライスとデザート(いちごのマンゴーソースがけ)とチャイまでインドを満喫。これで1000円。

食事が終わる頃、学院創設者で料理研究家のレヌ・アロラさん(『美味しんぼ』24巻の『カレー勝負』の回に登場しているそう)が現れ、「主人に聞きました。大阪でインドの方の隣に住んでいたとか?」と話しかけてきた。先日のおじさんと今日も路上で会ったので、「これから食べに行きますよ」と伝えたのだが、おじさんは二週間前に会ったわたしのことをちゃんと覚えていたのだ。すごい記憶力なのか、よっぽど印象深かったのか。そのおじさんがアロラ先生のダンナさんなのだった。隣に住んでいたインド人一家の長女の結婚式に出席するためにデリーへ行ったんですよ、と話す。三日連続の披露宴に出てインド料理を食べ続けたこと、歌や踊りをお祝いに贈るインド式にならって「さくらさくら」に合わせて盆踊りといういかがわしい日本芸能を披露したことなどをアロラ先生は大喜びで聞いてくれた。「日本でインド料理を教えて三十年。このような出会いがうれしくて続けています」と言われ、カレー食べに来ただけなのに、と恐縮。「今度来るときは、今日と違うメニューにします。サモサもおいしいです」とのことなので、近いうちにサモサ目当てに再訪したいと思う。

2005年01月31日(月)  婦人公論『あなたに親友はいますか』
2003年01月31日(金)  トップのシャツ着て職場の洗濯
2002年01月31日(木)  2002年1月のおきらくレシピ


2007年01月30日(火)  作り手の手の内、胸の内。

映画のDVDの特典にある制作者のコメンタリーを聴くのが好きだ。どんな思いでこの作品を作ったか、このシーンを撮ったか、作り手の思いを共有できると、作品がいっそう面白く愛しくなる。映画や演劇のパンフレットやチラシにある制作者の言葉を読むのも、同じ理由で好きだ。

先日ひさしぶりに舞台を観に行ったとき、移動中に読む本に選んだのが、劇作家の井上ひさしさんの『演劇ノート―エッセイの小径』だった。自身が戯曲を書いた舞台について、企画の背景や作品に込めた思い入れや苦労話などをテンポのいい文章で綴っていて、エッセイとして楽しめる上に、観ていないお芝居を垣間見つつ舞台裏までのぞかせてもらっている気持ちになれる。納得のいく本が上がらなければ初日をずれこませてしまうことで知られているが、「多方面に迷惑をかけるから間に合わせなければ」と「中途半端なものを出してはお客様に申し訳ない」の間で葛藤しながら、何とかして、どうだっというものを産みだそうとあがき苦しみ、頭を抱えたり抱えられたりしながら本を仕上げていく。その過程や事情をつつみ隠さず語っていて、この人はとても正直で真っ直ぐな人なのだろう。そして、自分はこういう意図でこの作品を作ったのだけれど、それがうまくいっているかどうか、決めるのはお客様だ、という姿勢が一貫している。幕が開くたびに審判を受ける思いで幕間から客席をうかがう。以前読んだアンデルセンの自伝にも、その緊張感と覚悟が書かれていた。作品を「世に出す」のではなく「世に問う」のだ、と作り手の意識のありようをあらためて示された思いがする。

作り手の舞台裏といえば、最近読んだ石田衣良さんの『てのひらの迷路』が大変面白かった。原稿用紙十枚という掌編の連載をまとめた短編集だが、各短編をどうやって発想したか、という手の内を明かした解説がそれぞれの掌編の前に収められている。作者のルックスとも相通ずるようにスマートで都会的にまとまった作品は単品でもおいしく味わえるのだけど、メイキング部分を読んでから本編に進むと、料理長の説明を聞いてから料理をいただくときのように、興味や親近感やありがたみがトッピングされて、いっそう味わい深い。私生活を下敷きにした掌編も多く、作者の手の内だけでなく人となりもうかがえる。あとがきで紹介された亡き母の苗字、石平からペンネームの由来を知った。

2002年01月30日(水)  ボケ


2007年01月29日(月)  マタニティオレンジ67 寝返り記念日

娘のたまが一か月成長するごとに毎月バースデーケーキを用意して、ささやかな誕生会を開いている。自分自身のことを振り返っても一才の誕生会でさえ覚えていないし、親がイベントほしさにやっているようなところはあるけれど、いつか、一年分12個のバースデーケーキの写真を眺めながら、たまが覚えていない誕生会のことを聞かせたいなあと思っている。

ご近所仲間と集まる掲示板で5/12才のケーキを披露したところ、「気になっていたんだけど、毎月お誕生日あるの?」という話題になり、「考えたら誕生日って別に年1回じゃなくてもいいですね。毎月でも毎週でも、思いついたら誕生日にしてもいいくらいですね」「思いついたら誕生日!というのはいいですね」といった声が寄せられた。記念日はたくさんあっていいと思う。誰にでも間違いなく新しい一日はめぐってくるけれど、同じように繰り返される毎日の中で、ブックマークしておきたい日が見つかるのは幸せなことだ。わたしは昔からサラダ記念日並みに何でも記念日にしてしまう傾向があったけれど、誕生日を毎月祝いたくなる子育て一年目の今は、毎日を記念日に指定しそうな勢い。今日は、たまが初めて寝返りをした日。

2006年01月29日(日)  空想組曲『白い部屋の嘘つきチェリー』
2003年01月29日(水)  清水厚さんと中島博孝さん
2002年01月29日(火)  年輪


2007年01月28日(日)  マタニティオレンジ66 贅沢なお産

遠い昔の出来事のようだけど、昨年5月30日に興味深いドラマを観た。日テレのドラマコンプレックス枠で放送された『贅沢なお産』。仕事が楽しくて子どもなんて考えてもなかった水野真紀演じる女性誌編集長がまさかの妊娠。動揺の後に「せっかくなら楽しまなきゃ」と自分らしいお産を求めるストーリー。「自分が妊娠しちゃった手前、おいしいことっていうアドバルーンでも上げてなきゃやってられないんでしょ」と部下が突っ込む台詞は、自分のことを言い当てられたようで身につまされた。当時はまだ妊娠7か月。数か月後に親バカ街道を疾走することになるとは予想もしていなかった。

出産ドキュメンタリーや最新の出産事情の紹介もからめ、情報番組としても使える上出来な番組だった。「タイムリーだわ」と一妊婦として喜んでいたけれど、「ネタ収集中の妊婦脚本家としては、先越された!じゃないのか?」と突っ込む心の声もあった。

ダンナの母も見ていたので、放送翌日に感想を語り合ったのだが、開口一番「やっぱりドラマねー」とダンナ母。「出産なんて、あんなに苦しまないわよ」と勝ち誇ったように言った。
わたし「ドキュメンタリーの出産シーンも、大変そうでしたけど」
ダンナ母「あれも大げさにやってるのよ。カメラの前だから」
わたし「そんな演技する余裕はないでしょう」
ダンナ母「とにかく、わたしはあんなに苦しまなかった」
わたし「あまりの痛みに、忘れちゃったんじゃないですか?」
ダンナ母「ううん、でも苦しまなかった」
とダンナ母はあくまでもドラマに対抗意識を燃やし、わたしは「どんなに難産でも、お義母さんにはラクショーでしたって報告しよう」と覚悟したのだった。

そんなこともあって、読みたいと思っていた原作の『贅沢なお産』をようやく読む。漫画家の桜沢エリカさん自身の出産記。「36才での出産」「妊娠までは仕事中心の昼夜逆転生活」「子どもはいつか欲しいけど今じゃなくていいと思っていた」などなど自分と重なる部分が多い。桜沢さんは聖路加病院、育良クリニックを経て自宅出産を選んだのだけど、わたしの場合、妊娠を知って最初にネットで見つけて「良さそう」と思ったものの距離的に断念したのが、アクティブバースを提唱する育良クリニックだった。続いて聖路加を検討したのだけど、出産した友人の話から「高くても食事は普通だった」と聞いて考え直し、「食事のおいしい産院」を調べたら、家からほど近い助産院に行き着いた。結果的には、ここの「お産は自然なこと、楽しむもの」という構え方が性に合った。

洋服と同じで、値段よりブランドより「しっくりくる」ことが産院選びにはとても大切だと思う。その辺の感覚を桜沢さんは上手にすくい取って表現している。自宅出産と助産院という違いはあるけれど、「分娩台に乗るより、力を出しやすい自然な体勢で産みたい」「じっくり話を聞いて向き合って欲しい」という主張にも大いに共感。大きな病院では一時間待って五分診察というところもあると聞くけれど、わたしが産んだ助産院ではその逆。診察のたびに自信と勇気をもらって出産がどんどん楽しみになったし、自分のやりたいように産ませてもらえた。産院の都合に合わせるのではなく、出産する妊婦の希望にとことんつきあってくれる。「しっくり感」が満たされることが「贅沢なお産」なんだなあと自分のお産を振り返りながら思った。

出産してから関連本を読むと、自分の体験を比較材料にできて面白い。最近他に読んだのは『知っておきたい子育てのウソ・ホント50―最新赤ちゃん学が教える子育ての新常識(小西行郎)』。育児に関しては人によって言うことが実にまちまちなので、占いやおみくじと同じく、いいとこどりさせてもらっている。子どもにいいとされるものは世の中にあふれ、早期教育を急ぐ親も多いけれど、「子どもがいちばん必要としているのは、あなた」という言葉に納得。その一方で「子育ては母親だけが背負うものではない」に力づけられ、「かぐや姫と同じく、一人前になったら子どもは世の中に返す」にふむふむと思う。

2006年01月28日(土)  映画関係者の『女正月』に初参加
2005年01月28日(金)  G-upプロデュース公演『ブレインズ』
2004年01月28日(水)  舞台『クレオパトラの鼻』(作・演出:上杉祥三)
2002年01月28日(月)  心意気


2007年01月27日(土)  マタニティオレンジ65 赤ちゃんの集客力

わが家は長年「客の寄りつかない家」だった。わたしが会社勤めしながら脚本を書いていたせいで、どうしても週末を執筆にあてなくてはならない事情もあり、客をもてなすどころかダンナの食事の支度さえもままならない。それ以前に家の片づけにも手が回らず、とても人をよべる状態ではなかった。それでも年に何人かは運良く(悪く)訪れる人があり、手料理らしきものを出したりしていたけれど、作り慣れてないのが見え見えのお粗末な出来栄えで、食べ始めた途端、皆が一斉に満腹を訴える有様。一度来た客は二度と戻って来ない、とさえ言われていた。

会社を辞めて週末に休む習慣ができてから、休眠状態だった家事機能が働くようになった。資料の雪崩がそのまま万年雪になっている床を片付けると、お客様が座れるぐらいのスペースはでき、おっかなびっくり飲み会などを開くようになった。それでも月にひと組ふた組来ればいいほうだったのだけど、昨夏に娘のたまが生まれてからは状況が一変。「赤ちゃん見せて」と週末ごとに誰かしらやって来る。普段親しくしている人もいれば、もう何年もやりとりしていない人もいて、新幹線や飛行機ではるばる来てくれる人までいる。定期的に人が来るので、部屋もそれなりに片付いた状態を保てるし、料理をする機会が増えたおかげでわたしの手際も少しずつ良くなってきた。こうなると「また来てね」の図式は作りやすく、わが家は「客の絶えない家」にめでたく昇格。赤ちゃんの集客力、おそるべし。

今日は会社時代のひとつ上の期のカワムラとワカが遊びに来てくれた。カワムラとは半年ぶりだけど、ワカとは5年ほど会っていない。たまが生まれてなかったら、会う機会を逃したままだったかもしれない。赤ちゃんは再会も運んできてくれる。

2005年01月27日(木)  石井万寿美さんとお茶
2004年01月27日(火)  映画『問題のない私たち』(脚本・監督:森岡利行)
2002年01月27日(日)  詩人


2007年01月26日(金)  ひと月遅れのクリスマスプレゼント

中学一年の夏休み、母に連れられた初めての海外旅行先は東西統一などまだ考えられなかった頃の東ドイツ。エルベ河を下る船の上で知り合った同い年の少女アンネットと住所を交換し、文通が始まった。切手も便箋も書かれている学校生活も、わたしが見知っているものとは違った。教科書にもほとんど載っていない国のことを手紙のたびに少しずつ知っていく興奮に夢中になった。外国の友達が一人いるだけで、目は自然と世界に向かって開かれる。アンネットのおかげで、わたしは櫃異様なものとして語学に親しむことができたし、日本とは違う生活や文化や人々をもっと知りたいという好奇心をかき立てられた。

「ペンフレンドは和製英語で、正しくは『ペンパル』です」と英語の時間に教わったが、ペンフレンドという言葉は今も生きている(死語ではない)のだろうか。地球の裏側へだって送信ボタンを押せばあっという間にメッセージを送れる時代になってしまたけれど、そんな便利さを知らない時代を知っていることを幸せに思う。いつ届くかわからないエアメールを心待ちにし、ポストにそれを見つけた瞬間「あった!」と小躍りし、ドキドキしながら封を開ける。あのときめきは、わたしの少女時代から青春時代のごちそうだった。

毎年12月の初めにドイツから届くプレゼントの小包で、クリスマスの季節が近づいてくるのを知る。だけど、去年は恒例の小包が来ないうちにクリスマスを過ぎ、年を越してしまった。毎年大いに遅刻するわたしからのプレゼントは年明けにドイツに到着したらしく、「ダンケ・シェーン」連発の礼状が届いたのだが、そこには「わたしからのプレゼントも届いた?」と綴られている。どうやらアンネットは例年通りプレゼントを発送していて、とっくにマサコに届いているはずなのに、礼を言って来ないのでおかしいぞと思っている様子。途中で荷物が迷子になったのだろうか、と心配になっていたら、今日到着。どこで寄り道していたんだろう。正月気分が抜けたと思ったらクリスマスが来たようで、これはこれでうれしい。包み紙をひとつずつ解き、プレゼントと対面。チョコレートやキャンドルにまじってベビー服がいろいろ。明るいピンクとイエローの色使いが楽しい。

出会った中学生の頃、互いが親になる頃までやりとりが続くなんて想像していなかったけれど、数えてみたら25回目のクリスマス、もう四半世紀が過ぎていたのだ。文通10周年のときにアンネットへの手紙という形で書いた作文が「夢の旅」を募集するコンクールで入賞した。その中でわたしはアンネットと互いの国を行き来する形で再会する夢を綴った。その後、わたしはドイツのアンネットを二度訪ねたけれど、アンネットはまだ日本に来たことがないので、夢は片道だけ実現したことになる。いつか日本への旅行を贈らなきゃ、とクリスマスプレゼントが届くたびに夢のもう片方を思い出す。

>>>いまいまさこカフェ言葉集 「再会旅行」

2006年01月26日(木)  李秀賢君を偲ぶ会と映画『あなたを忘れない』
2002年01月26日(土)  オヨヨ城


2007年01月25日(木)  ラジオドラマを作りましょう

自分のサイト(いまいまさこカフェ)を持っていて便利だなあと思うのは、わたしのことを見つけてもらいやすいこと。何年も連絡の取れなかった同級生、名刺交換したきりの映画関係者、パーティで盛り上がったきりの人などが名前で検索して探し出してくれる。会ったことない人のアンテナに引っかかって声をかけてもらうこともある。

昨年末、静岡の上村さんという方からメールをもらった。一時期わたしと同じ広告会社で働いていたことがあるが、面識はないという。会社にいたのもわたしが脚本家デビューする前だけど、宣伝会議賞という広告コピーの賞を取ったことを覚えていて、その後『ブレーン・ストーミング・ティーン』も読んでいる。さらに、今の会社でラジオ局に交通事故撲滅の標語を提案しようと思ってネット検索をしたら、はるか昔、学生時代のわたしが書いて入賞した標語(交通事故多発のため涙が不足しております。涙の節約にご協力してください)を見つけた。そういうわけで、今回ラジオ局にミニ枠ドラマを売り込もうと思い立ったときに「そういえば」と再度思い出し、連絡をくれたという次第だった。こういう「縁がありますねえ」という出会いは、いい形で作品につながる予感を秘めている。直接話したほうがいいですから東京へ行きますよと言ってくれ、今日会うことになった。

昨日はプロフィールをまとめたり、これまで手がけたラジオドラマをダビングしたり。こういうことやるのもひさぶりだなあと新鮮な気持ちになりながら、ちゃんと録音できているか確認しつつ、何年も前に書いた作品を聴く。じっと耳を傾けなくては取り残されてしまうラジオの時間は濃密で深く、ひとつひとつの言葉の浸透度が高い。ラジオに耳を澄ますことは心を澄ますことだと思う。脚本家デビューのきっかけになった『雪だるまの詩』を書いたのは98年だったっけ。主人公は三十才手前の若い夫婦で、夫は医療ミスによる後遺症で記憶の蓄積ができない。生まれた子どもの顔も覚えられないわけだから、夫は子どもを持つことを恐れる。この作品を書いたとき、わたしは結婚もしていなかったのだけど、夫もいて、子どもまでいる今あらためて聴くと、気丈に夫を支える妻の痛みがひりひりと伝わって、放送当時よりも涙を誘われた。「最初に書くものが、いちばん訴えたいもの」と言われたりするが、「生きるとは、出会った人の中に思い出を残すこと」というメッセージは、今もわたしが強く感じていることだ。

「昨日聴き返して、ラジオ書きたい気分が高まっているんですよ」「じゃあぜひやりましょう」と上村さんとの顔合わせは、アイデア出しに発展し、早速企画書をまとめて提案しましょうとなる。ラジオはNHKしかやったことがないけれど、民放の場合はスポンサーを探さなくてはならない。先は長いけれど、最初の一歩はいい感じ。こんな風に真っ白な状態で企画について好き勝手に言っているときは、いちばん気楽で楽しい。打ち合わせ場所は丸の内丸善のビルOAZO1階のタント・マリー。カマンベールチーズケーキ人気の火付け役になった店らしい。「フルムタンベール」というブルーチーズのチーズケーキを初めて食べたのだけど、これまた前途を祝福するような絶品だった。

2004年01月25日(日)  サンタさん17年ぶりの入浴
2002年01月25日(金)  絨毯に宿る伝統


2007年01月24日(水)  マタニティオレンジ64 離乳食教室

税金の元を取るチャンスとばかり、区の広報で見つけた離乳食教室に申し込んで参加した。昨年8月に生まれた赤ちゃん8人とそのママがテーブルを囲み、栄養士さんの説明を聞きながら、用意された離乳食を試食。妊娠中に受けたマタニティクッキング教室は調理実習形式だったが、今回は赤ちゃんを抱いているので、受身の形。まずは、野菜をコトコト煮たスープを試食(試飲?)。調味料を一切使わない、やさしいうまみだけが舌に広がる。いろんな種類の野菜を使うほど、味に奥行きが出ます、と栄養士さん。昆布だしや鰹だしの味も同様に素材で勝負。甘みと辛味は生きるのに必要な味なので放っておいても覚えてくれるが、苦味や酸味といった複雑な味は教えてあげる必要があるらしい。最初にあまり甘すぎるものや辛すぎるものを与えると、刺激のないものをおいしいと思えなくなり、味覚が鈍感になってしまう恐れがあるという。人生の楽しみの半分は食事にある、というぐらい食べることが好きなわたしは、微妙で繊細な味の違いのわかる子に育てたいと思っている。

続いて、おかゆを試食。米粒は各自スプーンですりつぶす。離乳食初期のゴックン期はヨーグルト状と言われるぐらいドロドロにしたほうがいいとのこと。粒が大きいものを平気で食べても、丸飲みしているだけの場合がある。飲み込ませるのではなく、食べさせることが大切。スプーンを上あごに押し付けるのではなく、下唇の上にのせて、赤ちゃんが舌を動かすのを待ちましょう、と栄養士さん。

野菜スープを取った野菜をすりつぶして、野菜のマッシュを作る。代表格はポテトだけど、今日はかぼちゃのマッシュ作り。一人ひとかけら配られたかぼちゃをスプーンでつぶす。固いようなら野菜スープでのばしてもいい。離乳食を始めてひと月ぐらいしたら、タンパク質を足していく。豆腐や白身魚がよく使われるが、きな粉でもいいんですよとアドバイス。かぼちゃにきな粉をかけたら、あらこおばしくて食欲がそそられる。すりごまをかけてもおいしいかもと思ったが、ごまは油分が多いので、離乳食初期はひかえましょうとのこと。

合間に裏技やアドバイスが紹介される。始めるときの時間帯は朝が良い(日中のほうが消化がいいし、アレルギーなど何かあったときに医者に診せやすい)。メニューは毎日変える必要はなく、同じものを何日か続けて良い。ドロドロのものから粒々のものに上げるタイミングの目安は、赤ちゃんが舌を前後ではなく左右に動かせるようになること。りんご果汁はすりおろしたのを茶漉しで漉して2〜3倍に薄める。おかゆは炊飯器におかゆ用の小さな耐熱容器を入れて(米に対して水7〜8倍)大人用のごはんと一緒に炊く。キャベツなどの葉っぱはスープから取り出してくるくる巻いてスティック状に凍らせ、おろし金で下ろすと細かくしやすい。片栗粉やコーンスターチでとろみをつけると入りやすい。味噌は底に沈むので、味噌汁のうわずみは早い段階からあげられる、などなど。赤ちゃんたちもあまりぐずらず、神妙に聞いていた。

最後に、離乳食と一緒に作って手間を省ける大人用メニューということで、キャベツとワカメとプチトマトの胡麻和えとポテトサラダを試食。どちらも野菜スープで使う野菜を活用。授乳中はいいおっぱいを出そうとして母親も食事に気を遣うので、断乳・卒乳した途端体調を悪くする人が多い、という話は興味深い。

「離乳食は5か月頃から」というのが一般的なようだけど、わたしが出産した助産院では「なるべく遅らせて。少なくとも6か月以降」という方針。赤ちゃんの胃腸は未発達だからというのがその理由。離乳食は一度始めたらずっと続けなくちゃいけないし、わたしもできることなら引き伸ばしたい。だけど、遅らせすぎると好き嫌いする子になるという話も聞くし、大人が食べるのを見て欲しがったら始めようと思う。今のところ、たまは何となく欲しそうではあるけれど、まだおっぱいがあれば幸せという感じ。

2004年01月24日(土)  映画『LAST SAMURAI』
2002年01月24日(木)  主婦モード


2007年01月23日(火)  マタニティオレンジ63 晴れた日の小石川界隈散歩

天気が悪いと出不精になり、天気がいいと家の日当たりがいいのをこれ幸いと絨毯のひだまりで一日過ごす。外出する理由がないとついつい引きこもってしまい、二日三日家から一歩も出ないこともある。一才を過ぎて歩きだすようになると散歩をせがむようになるらしいが、五か月のたまは家でゴロゴロしていてもごきげんだ。でも、心地よい刺激は与えてあげたほうがいいんだろうなあと思う。外に出れば風に当たり、野良猫に出くわし、道行く人に声をかけられ、ベビーカーやだっこの赤ちゃんとすれ違う。歩いているだけでも、赤ちゃんにはちょっとした冒険気分を味わえる。

今日は目覚めたときから気持ちいい日射し。こりゃお散歩日和だわとご近所のキョウコちゃんと1才5か月のまゆたんをお誘いし、ベビーカーでお出かけする。せっかくだから小石川植物園に行こうか、と歩きながら話はまとまり、だったらついでにタンタローバでお昼はどう、賛成、となる。植物園へはベビーカーを押しながら歩いて三十分ほど、そこからさらに十分ほど歩いた播磨坂という雰囲気のある坂の上にわたしたちのお気に入りのトラットリアがある。

植物園は趣味の写真撮影にいそしむ中高年の方々やベビーカーを押したママやバアバがちらほら。桜の時期には混みあうが、今は花が咲いていない季節なので、わたしたちが目指した日本庭園の辺りは貸しきり状態になっていた。自分の足で歩くのが楽しくてしょうがないまゆたんは、ベビーカーから下ろしてと訴え、降りるとずんずんと小高い丘を登っていく。カモが泳ぐ池の上をサギ(?)やスズメ(?)が飛び交い、木立ではカラスと猫がのどかに遊んでいる。実に平和。入場料は330円だけど、年間パスポートってないのかな、と言うと、三万円で永久会員になれるらしいよ、とキョウコちゃん。元取るのは難しいかなあ、もっと近所だったらいいよねえ、などとわたしたちの会話ものんびり。(後で調べてみると、「小石川植物園後援会」なるものがあり、その終身会費が3万円らしい。会員になると無料で入園できるということだろうか)

まわりに誰もいないので、ベンチで授乳。人目をはばかる必要がないときも、授乳ケープはあったかいので便利。まゆたんは遊び疲れて、たまはおなかが膨れて、二人の姫たちはすやすや眠ってしまう。母たちがゆっくり食事できるようにという粋なはからい、ありがたく頂戴する。一時過ぎのタンタローバはランチタイムの混雑が一段落し、ベビーカーのスペースを空けてもらえる。味のレベルはかなり高いのだけれど子連れには敷居の低い、ありがたいお店。

出産前に行ったきりだったけれど、ひさしぶりに食べてみて、あらためてその実力に感服。前菜、パスタ、メインを豪快に盛ったひと皿にデザートとコーヒーがついて1500円。メインはあじさい鳥のソテー。パスタは渡り蟹とタコのトマトソース。どっしりしたソーセージ、カプレーぜ、オムレツ、生ハム、魚介のマリネなどなど、あれもこれも欲張りたいわたしを黙らせる品数。火の通し具合といい味付けといい、ひとつひとつが絶妙に仕上げられ、ガツンとおいしいイタリアン。とくに最近は、置くとぐずるたまを脇に抱きかかえながら食事することが多く、ゆっくり味わって食事するひまがなかったので、この時間は貴重だわあとキョウコちゃんとしみじみ感激する。「食事って、舌での滞在時間が大事なんだよね」とキョウコちゃん。舌をするっと通り抜けて胃に流し込むだけでは、味わったことにはならない。滞在時間が短いと何も残らないのは旅行と同じ。

タンタローバから播磨坂を少し下ったところには、マリアージュというパティスリーがある。ここはケーキの見映えも味もパッケージもセンスがよくて、近所にあったら自宅用におつかい用にと毎日でも買いに行きたいお店。お茶請けのシュークリームと明日のパンを買う。

帰り道は大回りして、白山に昨年オープンしたイタリアンのVolo Cosiを見て行く。うまい、すばらしい、最高、とあちこちから絶賛の声を聞き、とても気になるお店。予約を取りにくい店になっているという。ここは子連れは難しいかなあ。住宅街に注ぐ日射しは三時を過ぎてもあたたかく、ベビーカーのほどよい揺れも手伝って、たまは眠り続け、帰宅してからもすやすや。泣き鬼のいぬ間にティータイム。マリアージュのシュークリームはしばらく余韻に浸ってしまうほどおいしかった。

2006年01月23日(月)  いまいまさこカフェブログOPEN
2005年01月23日(日)  中国禅密気功の師曰く
2004年01月23日(金)  今日はシナリオの日
2002年01月23日(水)  ラッキーピエロ


2007年01月22日(月)  「気持ちはわかる」間違い集

娘のたまは今日で5か月。ダンナが「そろそろ流動食だねえ」と言い出した。確かに似ているが、離乳食だよ。流動食はまだ始めたくない。でも、気持ちはわかる。彼の頭の中で何かが起きているのか、先日は「コーヒー豆のミケランジェロ」と言っていた。キリマンジャロとミケランジェロ。後半4文字が酷似しているし、これも気持ちはわかる。

「最近ニフティに入った」と言う友人。なんでわざわざプロバイダー名を告げるのかなと思ったら、ミクシィだった。わたしも「すだれをひょいと上げて、居酒屋に入ったら……」。よく考えたら、すだれじゃなくて暖簾だ。気持ちはわかる間違いというのはそこらじゅうにあふれているけど、「ほんとはこう言いたいんだよね」と察して、みんなやさしく流しあっている。

ご近所仲間のT氏が上野広小路にあるABABのエレベーターで仕入れた面白い画像を送ってくれた。「ABABは従業員に優しいお店です」のコメントつき。T氏は一人しか乗っていないエレベーターの中で爆笑したが、わたしも画像を見た瞬間大笑い。これも気持ちはわかるけど、誰も突っ込まないのだろうか。プレートを作った人、受け取った人、取り付けた人、毎日乗り降りしている人、皆がやさしく流している結果、このプレートが生き残っているのだとしたら、すごい。

VOW本(『宝島』の名物投稿コーナーの内容をまとめた『VOW王国 ニッポンの誤植』など)を愛読するわたしは、ここまで堂々とやってくれると「あっぱれ!」とうれしくなってしまうのだが、ダンナは「どうして放置してるんだろうね」と首を傾げる。わたしの日記に誤植を見つけては「物書きとしての品位を疑う」と厳しく指摘する人なので、間違いを見ると正したくなるのだろう。ちなみにわたしは「ABAB」を「エービーエービー」と読んで、「アブアブだよ」と速攻で訂正された(「流動食」のくせに!)。そういえば、昔日記で紹介した「ローマの一番よい三流のホテル」は、その突っ込みどころ満載な日本語訳ゆえに興味をそそられたのだが、当のHOTEL TURNER ROMEとしてはお茶目路線を狙っていたわけではないらしく、愛すべき日本語サイトは現在閉鎖されてしまっている。

気持ちはわかる間違い、わたしは大好きなので、過去の日記にもたびたび登場。
2004年10月06日(水)  ローマの一番よい三流のホテル
2004年07月18日(日)  ニヤリヒヤリ本『ニッポンの誤植』
2004年5月26日(水) ニヤニヤ本『言いまつがい』
2002年03月07日(木)  誤植自慢大会

2006年01月22日(日)  センター入試・英語に挑戦
2005年01月22日(土)  変わらない毎日。変わらない大統領。
2002年01月22日(火)  夢


2007年01月21日(日)  マタニティオレンジ62 母の誕生日を祝う娘

夕方、携帯電話のメモリーに入っていない番号から電話があり、「今日、母の誕生日なんです。突然ですが、サプライズゲストで来ていただけますか」と相手は切り出した。そういう企みは大歓迎。「予定変更。でかけるよー」とダンナに声をかけ、娘のたまをだっこし、指定されたお店に一家ではせ参じた。わたしたちが姿を見せると、誕生日の本人は目をぱちくり。サプライズは無事成功。生後1か月に会ったきりのたまの登場にも大喜びしてもらえた。自分たち自身がプレゼントになれて、わたしたちも感激。

子どもの誕生日を祝うのもすてきだけれど、子どもに祝ってもらえるのもすてきだ。今までは、こういう場面に立ち会うと、「わたしは母にこんなことしなかったなあ」と反省したり、「うちの母もそろそろ誕生日だなあ」と思い出したり、「娘」の立場から母を見ていたのだが、娘を産んだ今は「母」の立場から娘を見てしまう。かいがいしくゲストに食事を取り分ける娘さんの気配りや愛らしい立ち居振る舞いはお母さん譲りで、この光景が母親にとっては何よりのプレゼントなのでは、と勝手に友人の胸中を想像して、こちらの胸が熱くなる。お祝いにかけつけたつもりが、こちらが幸せをいただいてしまった。

娘のたまには祝福されることの多い人生を送ってほしいと願うけれど、それ以上に、祝福したい人や出来事に恵まれた人生をと願う。そして、今日の娘さんのように、人を喜ばせることを自分の喜びにできる人に育って欲しい。こんな風に娘の成長を願うとき、それは母であるわたし自身がそうありたい人間像でもあると気づく。人の子を鑑にし、わが子の行く末に思いを馳せながら、自分の生き方を見つめ直す機会をもらっている。

2006年01月21日(土)  ご近所仲間新年会
2005年01月21日(金)  1人1ピッチャー!? 体育会飲み会
2002年01月21日(月)  祭り


2007年01月20日(土)  マタニティオレンジ61 たま5/12才

8月22日生まれの娘のたまの5/12才誕生日を2日早くお祝いする。今回はマンスリーゲストを招くのではなく、こちらがゲストとなってダンナの実家へ。その前に御徒町へ買い物に出る用があったので、付近のケーキ屋さんを調べると、松坂屋にアンテノールが入っていることがわかった。何度か行った神戸のお店が大好きだったので、懐かしくなり、ここで5/12才バースデーケーキを買うことに。小ぶりのちょうどいいサイズの苺のロールケーキがあった。口当たりは軽いけれど、大人四人がたっぷり楽しめるボリュームで1050円。

ケーキを前に写真撮影のとき、たまがケーキに手を伸ばし、「2007.1.22 たま5/12才」のプレートを弾き飛ばした。最近はだいぶ手が自由に動かせるようになってきたのだが、上下よりは左右(卓球のサーブのように)方向が動かしやすいようで、テーブルの上の手に届くものをなぎ倒す。お椀のへりをつかんでガガガッと滑らせたりするので目が離せない。おすわりはまだだけど、手を添えれば、ぐらぐらながらも座っていられる。視点が上がるのが楽しい様子。寝返りは今にもしそう、と思ってからだいぶ経つ。最近は体重が増えて体が重くなったせいか、前よりも寝返りの気配が減った。ハイハイもまだだけど、両腕で踏ん張って上半身を支える耐久時間は五分ほどに延び、伏臥上体反らし状態で世界を眺めるのも気に入っているよう。他にこの一か月の変化といえば、大きな声を出すようになったこと。「キャ〜〜〜〜」という楽しそうな悲鳴を発し、その自分の声に興奮して、どんどん声が大きくなる。これも成長の証なのだろうか。ご近所さんに怪まれなければいいが。

月誕生日を迎えるたびに、大人の一か月に比べて、赤ちゃんの一か月は何と変化と起伏に富んでいるのだろうと思う。毎日更新される成長ぶりを記録しておきたくて、インフォシークのフォトアルバムに「ほぼデイリーたま」と称して写真とコメントをのっけて親しい人たちに公開していた。それが見られなくなっていると友人から連絡があり、なんとそのサービスが終了していたことを知って愕然。楽天フォトへ移行できたらしいのだが、移行期間は1月15日に終了していた。300枚余りの写真に一枚一枚コメントをつけていたから、1枚30文字としても約1万字の記録が失われたことになる。復元することは到底無理で、叫び出したいほどショック。データは消えても思い出は消えるわけじゃない、記録より記憶、書き記したことで記憶が深く刻まれたかもしれない……などといろんな言葉で自分を慰めているところ。この日記だっていつ突然どうなるかわからないので、保険をかけて早速ダウンロード。

2002年01月20日(日)  浮き沈み


2007年01月19日(金)  夕刊フジ「ギョーカイ有名高校人脈」

「君の名前が夕刊フジに出てるらしい」とダンナから電話。最近は作品の動きがないし、取材もされてないし、記事になるような覚えはない。「手に入る?」と言うと、コピーを持ち帰ってきた。「ああ青春……ギョーカイ有名高校人脈」という欄の「大阪編15」で母校の大阪府立三国丘高校が紹介されていて、その中にわたしが登場しているのだった。「日本サッカー協会キャプテン 川渕三郎」「実力派映画監督 阪本順治」「『面接の達人』などの作家 中谷彰宏」、日本人初の宇宙船外活動を行った土井隆雄、日本テレビの藤井恒久アナ、森富美アナなどにまじって、「『子ぎつねヘレン』などの脚本家、今井雅子は高校時代は米国留学し、広告美術と演劇を学んだ」と紹介されている。「なんで君が入っているか謎だけど、なかなか華やかな顔ぶれだねえ」と感心するダンナ。華やかさでは、元々女子校だったお隣の府立泉陽高校は、与謝野晶子と橋田壽賀子と沢口靖子を輩出している。

話を元に戻して、なぜわたしが入っているのか。わたしの百倍ほどの仕事をされている大先輩の脚本家で翻訳家の堺三保(さかいみつやす)さんや、『廃用身』『破裂』『無痛』などの医療もの作品で注目を集める医師で作家の日坂部羊(くさかべよう)さんが入っていないところを見ると、情報ソースはフリー百科事典のwikipediaかもしれない。正月に帰省したときに「三国丘高校のページの主な卒業生の中に雅子が入っているぞ」と父が喜んで教えてくれた。そこには「今井雅子(映画脚本家・代表作『子ぎつねヘレン』) 」と紹介されている。名前だけなら「誰?」となるところだが、『子ぎつねヘレン』が有名なので、ネームバリューがあると判断されたのだろう。

この記事に限らず、『子ぎつねヘレン』や『天使の卵』といった大きな作品に関わる機会を得て以来、わたしに興味を持ってくださる方がひと桁ぐらい増えた。「『子ぎつねヘレン』の」がつくと、人に会うにも企画を通すにも話が早くなり、仕事がしやすくなった。それはとてもありがたいことだけれど、作品の大きさを自分の大きさと勘違いしないように気をつけなくてはと思う。ヘレンやてんたまの神通力も時間とともに薄まる。幸運の神様や世間がこちらを向いてくれているうちに、次の枕詞となる作品を生み出さなくては。

2006年01月19日(木)  ミヒャエル・ゾーヴァ(Michael Sowa)の世界


2007年01月18日(木)  マタニティオレンジ60 赤ちゃん探偵ドラマ

マタニティビクス仲間からベビービクス仲間になったトモミさんから「『赤ちゃんは見た』っていうサスペンスドラマはどう?」と提案。娘のミューちゃんを抱っこしたままハッと振り返らせる遊びをやっていて、「『家政婦は見た』みたい」と思いついたのだと言う。ドラマで放映されている探偵の最年少はコナン君だろうか。幼稚園児のおしゃまな女の子が事件を解決する推理小説を高校時代に読んだが、あれは映像になったのだろうか。本の題も忘れてしまった。

お題を投げられると、わたしの空想にスイッチが入り、一人ブレストモードになる。ベビービクス教室からの帰り道、ふむふむと考え始めた。この子だったら、どういう風に事件を解決するだろう、と娘のたまを探偵役に想定し、「あて書き」してみる。赤ちゃんは嗅覚が発達しているから、警察犬のような活躍ができないか。大人は気づかない微妙なにおいの変化に気づき、犯人特定に結びつけるというわけだ。視点の低さも使える。大人なら見落とすところに、犯人は手がかりを残していたりする。大人の指が入らない隙間に小さな滑り込ませ、動かぬ証拠を手に入れるのはどうだろう。犯人を油断させられるのも武器。犯行現場を目撃しても、赤ちゃんなら見逃してもらえる……。「探偵」という目で娘を見たことはなかったから新鮮だ。

赤ちゃん一人では行動できないから、助手のワトソン君ならぬママが捜査に同行する。昔あったアメリカ映画『ベイビートーク』のようにアフレコで赤ちゃんにベラベラしゃべらせるより、諵語や片言をママが翻訳するのがいいかもしれない。ベビーサインも取り入れてみよう。声を立てられない潜伏捜査の現場では手話代わりになる。

赤ちゃん探偵、略して赤タン。ベビー探偵、略してべビタンでもいいのだが、これ、いけるかもしれない。でも、どうして誰も作ってないのだろうと考えて、はたと気づいた。たとえ1クール(3か月)の連ドラだとしても、撮影中に赤ちゃんはどんどん成長してしまう。『子ぎつねヘレン』の撮影では時期をずらして生まれた3組の子ぎつねがヘレンを演じ、「ずっと子ぎつね」状態を保ったが、赤ちゃん探偵では顔が変わってしまう。動物の撮影と同じで「ごきげん待ち」時間も取られるし、大急ぎで撮るのは難しそうだ。単発のドラマなら成立するけれど、高視聴率をマークしてもシリーズ化はできない。赤ちゃん探偵の月齢に応じた推理力を発揮させるのは、それはそれで画期的だけれど。

そもそも赤ちゃんが推理するという性格上、強盗や殺人といった血なまぐさい事件は扱い辛く、コソ泥や迷子といった緊張感に欠ける題材に偏ってしまうから(番組としても地味になるけれど、そこは赤ちゃんの愛嬌でカバー)、二時間サスペンスはきつそう。探偵の体と事件のサイズに合わせて、いっそミニ番組枠でもいいのかもしれない。それぐらいなら赤ちゃんの集中力もネタも持ちそうだ。
プロデューサーの皆様、いかがでしょう。

2006年01月18日(水)  『子ぎつねヘレン』公開まであと60日
2002年01月18日(金)  ショーシャンクの空に


2007年01月17日(水)  夢のお告げ!? 小さな鳥の物語

 間もなく生後5か月になる娘のたまは、よく眠るようになったとはいえ、夜が明ける前には必ず目を覚ます。授乳をすると、すぐまた眠りに落ちてくれるけれど、そこからは眠りが浅くて、次は2時間ほどしか持たない。だから明け方のわたしは夢うつつの状態でいることが多く、そういうときの頭の中は、ぬか床をかき混ぜるようにゆっくりと攪拌されるのか、底のほうに沈んでいた記憶が不意に掘り起こされたりする。
「鳥の話、書いたことがあったな」と今朝思い出した。
 ある企業のPRビデオの企画で書いたストーリー。一言ではくくれない多様な情報サービスを提供するその企業の「見えない価値」を「見えるカタチ」にするために、みんなの幸せを思って知恵を絞るけなげでちっぽけな鳥というキャラクターを考えた。個々のサービスを紹介しながらブランドイメージを築いていきましょうという提案だったが、コンペ(競合)で敗れてしまった。なかなか愛らしい鳥のキャラクターも開発したのだが、それも日の目を見なくて残念。
 コピーライター時代から書き散らしているので、こんな風に埋もれてしまったストーリーはたくさんある。ありすぎて、わたしの記憶の中でさえ埋もれてしまっているほど。でも、どうして鳥の話を思い出したのだろう。何かの啓示か予兆だったりするのだろうか。鳥を飼いなさいとか、赤い羽根の募金をしなさいとか。あるいは、この鳥のように体は小さくても大きな志を持ちなさいという夢のお告げなのか。それとも単純に、こないだ鳥鍋をして、鳥、鳥とはしゃいだことが潜在意識をつついたのかもしれない。
 こんな話だった。
(企画書用に書いた形なので、具体的なサービスを想起させる内容を盛り込んであり、実際は企業の名前やスローガンも入っている)

小さな鳥の物語

 あるところに、小さな鳥がおりました。鳥はもっと立派になりたくて、知恵のある長老鳥に相談しました。
「人々を豊かに、幸せにしなさい。その幸せなキモチがあなたを大きくしてくれるでしょう」と長老鳥は言いました。
 でも、どうやって? 
 鳥はちっぽけで、力もありません。お金も持っていません。
「空を自由に飛べる翼があるではないか。それに、もうひとつ、心の中にも翼がある」
 長老は力強く言いました。翼をはためかせ、想像力をはたらかせなさい、と。どんなちっぽけな鳥でも、夢見る力は無限大です。
 さっそく、鳥は考えました。
 どんなとき、人々は豊かな、幸せな気持ちになるのだろう。
 探し物が見つかったとき。欲しかった物が手に入ったとき。あきらめていたことが実現したとき。困っていた問題が解決したとき。もちろん、自分のしたことを誰かが喜んでくれたとき。
 鳥は翼をはためかせ、自分が役に立てそうな人を探しに行くことにしました。

 コウノトリに魅せられた会社員がいました。コウノトリの住む町に移り住む夢がありましたが、毎日の忙しさで夢を忘れかけていました。
 別な場所では、結婚を間近に控えた恋人が喧嘩していました。二人は遠く離れて住んでいて、すれ違いばかり。果たして無事結婚できるのでしょうか。
 ベビーベッドに赤ちゃんを寝かしつけているお母さんは、ため息をついています。ついこの間まで大きな会社で働いていた自分が懐かしいようです。
 この人たちを豊かに、幸せにするにはどうすればいいのでしょう。
 鳥は仲間の鳥たちに相談しました。みんなの想像力が集まると、面白い思いつきが次々と飛び出しました。
 鳥はその思いつきを自分の羽に託して、空に放ちました。羽を風に乗せるとき、小さな声で何やら唱えました。自分に素直に、思いのままに、飛んでいけますようにというおまじないの言葉です。鳥たちには当たり前のことですが、人間は大人になるにつれこの気持ちを忘れてしまうようです。

 おや、誰かが羽を手に取りました。
 コウノトリに魅せられた会社員です。羽を手にした瞬間、けわしかった表情がやさしくなりました。忙しくて考えるゆとりのなかったコウノトリの里のことを思い出したようです。
 うつむきがちだった会社員が空を見上げると、次から次へと羽が落ちてくるのが見えました。ひとつ手に取るたびに、会社員は何かに気づき、ひらめき、希望や勇気が湧いてきました。
 足取りの軽くなった会社員は、自分の欲しい羽をどんどん手に取り、集めていきました。すると、どうでしょう。背中に翼が生えてきました。自分の思いのままに進む力を手に入れたのです。
 翼をはためかせ、会社員はコウノトリの里まで飛んでいきました。

 遠く離れた恋人同士は、喧嘩の電話を切った後、それぞれの住む町の空を見上げ、ひらひらと舞い降りてくる羽に目を留めました。
 羽を手にした二人は、どちらからともなく仲直りの電話をしました。結婚式の計画が再開したようです。電話をしながら、二人はひとつ、またひとつ、羽を集めていきます。話が弾んで、とても楽しそうです。
 若い二人には、自分たちの家で将来レストランを開きたい、という夢がありました。でも、広い土地を買うゆとりはありません。
 そのとき、落ちてきた羽を手に取った二人の頭の中に、緑に囲まれた一軒家が思い浮かびました。
 都会の真ん中じゃなくて、電車に何時間か揺られた先なら、大きなレストランも夢ではない、と二人は気づいたのです。空気と水のきれいな場所なら、自家製のおいしい野菜を看板料理にできるかもしれません。
 微笑む二人の背中に、天使のような翼が生えてきました。距離を乗り越えて夢をかなえる力を二人は味方にしたようです。

 ベビーベッドのそばでため息をついていたお母さんは、窓から部屋に舞い込んだ羽を手に取りました。外の世界へと誘いかける手紙のようでした。子どもが生まれるまでは大きな会社で朝から晩まで働き通しでしたが、赤ちゃんがくれたこの時間を使って、何かしてみよう、という気持ちが湧いてきました。
 ずっと前から興味のあったファッションの勉強をしてみたい。そう思ったとき、別な羽が風に運ばれてきました。羽を手に取ると、ひとまわり若い学生たちと並んで授業を受けている自分の姿が目に浮かびました。安心して赤ちゃんを預けられるところも、子育てをするお母さんたちが意見を交わせる場所も、ちゃんとありますよと羽は教えてくれました。
 なんだ、その気になればいろんなことができるんだ、とお母さんはうれしくなりました。一日中家に閉じ込められていると思っていたけれど、自分で自分の翼を押し込めていたようです。大きく深呼吸すると、ぐーんと翼が伸びました。

 空高くからこの様子を見ていた鳥は、たいへん喜びました。自分の思いを託した羽が、誰かをちょっぴり豊かにしたのです。会うことはなくても、どこかの誰かの幸せな生活と関わっている、そう思うと、ほこらしい気持ちでいっぱいになるのでした。
 おや、ひとまわり、体が大きくなったようです。 

2003年01月17日(金)  Lunettes du juraの眼鏡
2002年01月17日(木)  HAPPY


2007年01月15日(月)  マタニティオレンジ59 人間ドライヤー

週末に遊びに来た友人のセピー君が「赤ちゃんを確実に泣き止ませる方法知ってる?」と自信満面の笑みで聞いてきた。「え? 何なに?」と答えを求めると、「ドライヤーある?」。洗面所から持ってくると、セパンタ君はスイッチを入れてブーンと音をさせ、「お母さんのおなかの中で聞いた音と似てるんだって」と言った。胎内では、母親の体を流れる血液の音が大きく聞こえるらしく、母親学級では「水を流すジャーという音を聞くと、赤ちゃんは安心する」と教わった。

「それからビニール袋も」とピー君。袋をこすり合わせたときに出る音にも同じ効果があるのだという。娘のたまは生後間もなくの頃からビニールをカサコソいわせると熟睡していてもパチッと目覚めたので、この音が嫌いなのだと思っていた。セピー説ではその逆で、大好きな音だから反応していたことになる。途中でたまが泣き出したので早速ドライヤーとビニール袋の二本立てで試してみると、涙を溜めた目で音の鳴るほうを振り返り、耳を傾ける顔になった。音に安心して泣き止むというより、音に気が紛れて泣き止まるといった感じ。わたしは「一時的な気休めにはなるかな」と見たが、ダンナの目には「効果あり」と映った。

ドライヤーとビニール袋が立てる音が似ているとは思えないけれど、この二つには「音を立てるときに風を立てる」という共通点があることに気づく。ドライヤーの風は熱いので直接かけるのは危険だけれど、一メートルぐらいの距離から前髪を浮かせる感じで風を吹きつけると、音よりも風を喜んでいるように見える。そこで「口で息を吹きかけてみたらどうだろう」と思い立ち、やってみた。たまの顔から三十センチほど離れたところからフーフーと風を送ると、舌を出し、手足を振り回して大喜び。ドライヤーよりビニール袋より受けているではないか。大泣きしたときにも試してみたら、ピタリと泣き止んだ。涙を乾かすには、電気ドライヤーより人間ドライヤー。他の赤ちゃんにも効果あるのかな。

2005年01月15日(土)  ノンストップ『Mr.インクレディブル』
2004年01月15日(木)  谷川俊太郎さんと賢作さんの「朝のリレー」
2003年01月15日(水)  ひつじの国 ひつじの年
2002年01月15日(火)  ノベライズ


2007年01月14日(日)  innerchild vol.12『アメノクニ/フルコトフミ』

ひさしぶりの観劇。東銀座の時事通信ホールにてinnerchild(インナーチャイルド)第12回公演『アメノクニ/フルコトフミ』を観る。この劇団の作品を観るのは三回目だが、日本の成り立ち、わたしたちのルーツのような部分に根を下ろし、今とこれからのこの国のあり方を考えさせるストーリーを発信している。暗喩を多用するが、メッセージは直球、真っ向勝負。軽い気持ちで楽しむというより、背筋を正して客席に着き、突きつけられた挑戦を受け止めることを要求されるので、観るほうに覚悟と忍耐力が足りないと力負けする。妊娠4か月で観た第11回公演では眠気を誘われてしまった。

2006年03月08日(水)  innerchild vol.11『PANGEA(パンゲア)』
2005年09月22日(木)  innerchild vol.10『遙<ニライ>』

今回は2時間を越える大作。前の席にいた女性二人組の終演後第一声は「長かったぁ」「体感時間4時間」だったが、わたしは引き込まれた。国の命により不本意な神話を書かされることになった男が語り部だったせいだろうか。生者や死者の都合に振り回され、これから生まれる命を予言する重圧までも負わされる神話編纂者の苦悩に、書き手としての自分を重ねて観た。「私達は私達を成立させる『物語』なしでは生きていけない」のであって、そのよりどころとして神話が必要であり、歴史をでっちあげることも必要悪なのだという視点は面白い。同じことが政府のナントカ白書編纂室で囁かれても不思議ではない。

舞台は「過去、現在、未来の日本を同時通訳的にイメージした架空の王国」であるユーレンシア(大神州国)。フルコトフミとは古事記のことであり、編纂者のヤスマールは太安万侶であるが、スクリーンには第二次世界大戦と思われる記録映像が映し出され、ヤスマールの助手を務めるアレー(稗田少名)の携帯電話はアメノクニとつながっている。何かを企てているらしい不気味な存在のアメノクニはアメリカを指すようだが、その企みは明かされない。9月に上演予定の連作第二部『アメノクニ/ヤマトブミ』にて、第一部で蒔いた種が刈り取られる様子。二作品を合わせると5時間級の大河ドラマになる。蘇我氏と物部氏の対立をシェークスピアの恋愛悲劇に重ねた上杉祥三さん作・演出の『Brokenロミオとジュリエット』にも度肝を抜かれたが、神話をモチーフにこれだけ壮大な時空を超える物語を膨らませた小手伸也さんの才能と勢いにも敬服する。ヤスマールのように外からの圧力を受けて書かされるのではなく、これを書きたいという内から迸る衝動を書きつけることが大切なのだ。

思いがけない収穫だったのは、ニギヒ(物部饒日)役の尾崎恵さん。STRAYDOG公演でおなじみだったが、しばらく見ないうちに大人っぽくなり、女優としての艶を増していた。自信をまとったのだろうか、以前よりも舞台で大きく見えた。

innerchild vol.12
『アメノクニ/フルコトフミ〜八雲立つユーレンシア〜』

2007年1月8日〜14日 時事通信ホール
作・演出:小手伸也
【キャスト】
古澤龍児 菊岡理紗 土屋雄 三宅法仁 宍倉靖二 小手伸也 (innerchild) 進藤健太郎(無名塾) 板垣桃子 ハルカ・オース 石川カナエ 尾恵(STRAYDOG) 小柳こずえ 三枝翠 桜子 関本なこ 関根洋子 長尾純子 馬場巧(まめや別館/ヰタ・マキ) 初谷至彦(NG企画) 
【スタッフ】
舞台監督:筒井昭善・清沢伸也
舞台美術:筒井昭義・小手伸也
照明:伊藤孝
音響:尾林真理
映像:神戸ちぎ
衣装:渡辺まり
メイク:萩原麻弥
小道具:桜井徹
宣伝美術:土谷朋子(Citron Works) 
稽古場助手:三嶋義信 
制作:赤沼かがみ(G-up)・インナーチャイルド製作部 
企画・製作:innerchild

2004年01月14日(水)  泣けました、「半落ち」(横山秀夫)
2002年01月14日(月)  災い転じて


2007年01月13日(土)  味付けおまかせ羅臼のこんぶ茶

冬といえば鍋。今夜訪ねてくる友人が「鍋にしたい」と言うのも当然の流れ。だけど、レパートリーが極端に少ないわたしはご近所仲間のキョウコちゃんに「どうしたらいい?」とSOS相談。「鶏肉と水菜の鍋はどう?」とアドバイスをもらう。鶏と塩と昆布でだしを取り、柚胡椒で食べるのだという。シンプルなだけに、いい材料を使えばうまくいきそうな予感。「坂の下に鳥の専門店あるでしょ。あそこで買ったら?」という助言に従うと、打ってつけの鍋用鶏肉があった。骨がついていないので、だしがあまり出ないかもしれない。と思ったら、濃厚なスープが取れそうな鶏がらを発見。専門店なのに鶏がら二本と肉500グラムで745円とお値段は良心的。

圧力鍋のレシピ集を参考に、まず鶏がらスープを作る。鶏がらをぬるま湯で洗い、熱湯でくさみを取り、くず野菜(長ネギの青い部分と人参の端っこを使った)とお酒少々と水800ccでぐつぐつ煮る。出来上がったスープを卓上用鍋に移し、なくなっては足すことにする。「塩と昆布」で味付けということで、「そうだ、あれを使おう」と思い出したのが、羅臼漁業協同組合の「こんぶ茶」。あさりの吸い物も鯛の潮汁も、これで仕上げれば素材の味を引き立てた上品な味つけになる。読みは当たり、鶏のうまみと昆布と塩がいい具合に溶け合い、我ながら上出来。それでいて柚胡椒が入る余地を残しているのも見事で、一同「うまい」「おいしい」を連発しながら平らげる。具は鶏肉、水菜の他に豆腐、長ネギ、しいたけ、えのき。野菜のエキスもにじみ出て、締めの雑炊も絶品。

羅臼のこんぶ茶はダンナが仕事先の方からいただいたもの。「茶」と名乗るからには本職はお茶で、お湯を注げばおいしいこんぶ茶の出来上がりなのだが、微妙で繊細な味付けに天才ぶりを発揮し、お茶漬けも料亭の味わいに。これがわが家に現れて以来、覚束ない料理の腕前を補って余りある活躍を見せてくれている。妻が大喜びしまして、とダンナが先方に伝えたところ、さらに追加でどっさりいただき、催促したようになってしまった。毎日のように使うので、そろそろ在庫が尽きてきたが、漁協のサイトでも買えることがわかってひと安心。ひと袋70グラムが357円。これはお値打ち。

2003年01月13日(月)  成人の日
2002年01月13日(日)  ごちそう


2007年01月12日(金)  『半島を出よ』(村上龍)

年末に読み始めた『半島を出よ』をようやく読み終える。上巻を半分まで読むのに一週間かかり、くじけそうになったが、そこからは加速して、下巻は二日で読めた。時間がかかってしまった理由のひとつは登場人物をはじめ情報量が膨大すぎて、頭の整理が必要だったこと。もうひとつは、人間を痛めつける描写が凄惨すぎて、目をそむけたくなったこと。その前に読んだコロンビアマフィアの世界を描いた『ゆりかごで眠れ』(垣根涼介)も血の匂いがするようでページをめくる手が重かったが、『半島を出よ』は何も食べたくなくなるほど気分が悪くなった。それだけリアルな情景を想像させてしまうのは筆者の腕なのだろうけれど。

いろんな意味で圧倒された作品だった。北朝鮮の「反乱軍」を名乗る武装集団が福岡を占拠し、制圧する。「反乱軍」ゆえに政府は対応に戸惑い、解決策を見出せないうちに十二万人の後続隊が日本に向けて出発してしまう……。フィクションだけれど、ありえない話ではないと思わせるリアリティは取材の成果なのだろう。とくに、危機に面した政府の対応のお粗末さは、そうであって欲しくはないけれど、これが実情なのではと怖くなった。『半島を出よ』が提示している、今そこにあるリスクや問題点のどれだけを、日本を動かしている人たちは把握しているのだろうか。

「怖い」という感情にも圧倒され続けた。こんなことが本当に起こったらどうしよう。でもこれは本の中の出来事、本を閉じれば平和な世界に戻って来れる、と自分に言い聞かせるけれど、もしもが現実になる可能性はないとは言い切れない。その危機感を抱かせただけでも、『半島を出よ』には有無を言わせぬ力がある。とはいえ、その先には進めず、どうかそんなことが起こりませんようにと祈るしかないわたしは、楽天的な性善説主義者だろうか。

脚本を書くようになってから、「自分が映像化するなら」という目で本を読むようになった。まず自分との接点(共感できる部分や感情移入できる人物)を見つけ、そこから膨らませていく。当然映画化の話はあって、すでに脚本も起こされているかもしれないけれど、原作のスケールを表現するのは相当難しいと思う。映画に必要な葛藤はいくらでもあるけれど、あまりにありすぎると、誰のどの葛藤を追えばいいのか手に負えない。爆破や銃撃戦の迫力は予算で出せても、想像力で増幅される心理の複雑さや深みをどう見せるのか。恋愛も絡めてエンターテイメント性を追求するなら、反乱軍の宣伝番組を担当する女性アナウンサーの視点で語るのが王道だろうか。でも、わたしだったら、反乱軍の本部に送り込まれたシングルマザーの市役所職員を主人公にする。異国の武装集団に町が制圧された非常事態であっても、朝食を作り、子どもに食べさせ、幼稚園に連れて行くという日常をこなさなくてはならない。そして、あんたにしかできないという市長の期待に応えたくて、反乱軍に協力するという使命に懸命に取り組む。その気持ちと行動は、いちばん理解しやすかった。

2002年01月12日(土)  アボルファズル・ジャリリ 


2007年01月11日(木)  マタニティオレンジ58 フライングパンツ

新生児サイズにはじまり、Sサイズ、Mサイズ、Lサイズへ。おむつのサイズは体重が目安になっているが、体重が重くてもスリムな赤ちゃんもいるし、その逆の場合もある。太ももやウエストが太くなっておむつの跡がつくようなったら、ひとつ上のサイズへの替えどきのサイン。この「昇進」は、ママたちにとっては「大きくなったのねえ」とうれしく誇らしくなる機会でもある。8月22日に生まれた娘のたまは生後2か月でSサイズになった。しばらくSサイズ時代が続くことを予想して、どっさり買い込んだのだが、4か月になって太ももまわりがきつくなってきた。サイズを上げると一枚あたりの単価は高くなるのだけど、ウンチョスのバクハツ回数も増えたので(背中から飛び出し、一瞬で背中がマスタードを撒き散らしたように黄色く染まる。洗濯が大変)、Sを卒業することに。おむつが大きくなると、それだけ引き受け面積が増えるので、ウンチョスが飛び出す確率も低くなる。

Mサイズのおむつを買いに行ったら、Mからは「テープ式」と「パンツ式」を選べる。うれしくなってパンツ式を買ったのだが、おしりを高く上げないとはかせられない。おしりを軽く浮かせて、ささっとおむつを潜りこませればいいだけのテープ式に比べて、倍の時間がかかる。脱がせるときは、これまた大変。テープ式は下に新しいおむつを敷いて、汚れたおむつを丸めるので、替えている途中に粗相があっても安心なのだけど、さてパンツ式は?汚れたおむつに新しいパンツを重ねてはかせ、中のおむつをちぎって抜こうとしたら(サイドの縫い目を引き裂けるようになっている)うまくちぎれず、手こずるうちにぐずられる。それもこれもおしりが上がらないうちにパンツ式に手を出したから。赤ちゃんが動き回ってもずれにくく、立たせたままおむつ替えできるのがパンツ式の売り。「たっちができたら」がデビューの目安になっている。ご近所仲間でママ歴は一年先輩のキョウコちゃんに「なんで、もうパンツにしたの?」と不思議がられ、「ハイハイからでも使えるって書いてあったから」と答えると、「でも、たまちゃん、ハイハイもまだだよね?」。そうでした。すっかり気が早くなってフライング。出直してテープ式を買うことに。お値段もこちらのほうがおトクだった。

2006年01月11日(水)  Salyuさんの『風に乗る船』
2003年01月11日(土)  おっと!ホットサンド
2002年01月11日(金)  親孝行


2007年01月10日(水)  マタニティオレンジ57 鏡っ子たまちゃんとダスキンちゃん

生後141日目の娘のたまと、新年初ベビービクス。スタジオの正面の壁は鏡張りになっているのだが、この鏡を見せるのが楽しみだった。たまは2か月半頃から鏡に興味を示しはじめ、3か月を過ぎると、鏡の中の自分に笑いかけるようになった。4か月半の今では、鏡に向かって「オウ」「アウ」と大きな身振りを交えて話しかける。鏡に映っているのが自分であるのか、別な赤ちゃんだと思っているのか、たまの頭の中はうかがい知れないけれど、わたしは「鏡っ子たまちゃん」と名づけ、出かける前に「鏡っ子たまちゃん、行ってきまーす。お留守番よろしくねー」と声をかけたり、外出先では「おや、鏡っ子たまちゃん、ここにもいるねー」と話しかけたりしている。鏡の中に住む、たまそっくりな女の子という設定。たまを抱いて百面相している鏡の中のママが面白くて笑っているのではという気もするが、一人で鏡の前に置いても、じーっと見入っている。その間に、ささっとお皿を洗ったり掃除機をかけたりできるので、鏡っ子たまちゃんはベビーシッターになる。

年末辺りから、スフィンクスのポーズで鏡に向き合わせると、肘を突き出し、鏡っ子たまちゃんに向かってハイハイの真似事を始めるようになった。少しでもお近づきになりたいという気持ちの表れだろうか。気持ちは前へ進んでいるけれど、手足の動きが伴わず、おなかを軸にして時計回りに回転する。だいたい十二時から三時までの90度ぐらいで力尽きるが、滑りがいいときは六時、九時と大きく回る。フローリングの床にこすりつけたおなかで拭き掃除をしてくれるので「ダスキンちゃん」と呼んでいるが、よだれがボタボタ落ちる後を追いかけて床を拭いているわたしも「ダスキンさん」になる。腕の支える力や足のけり出す力がつき、タイミングが合うようになると、ハイハイになるのだろう。おしりを落とし、おなかを床にこすりつけてのハイハイを「ズリバイ」、おしりを上げてのハイハイを「高バイ」と呼ぶらしい。

ハイハイを始めると見張っておくのが大変、「じっとしてた頃に戻りたいわ〜」となるらしいが、早く見てみたい気もする。まさに、「這えば立て、立てば歩めの親ごころ」(と昔から言うらしい)。大きな鏡だったら鏡っ子たまちゃんの吸引力も増すだろうか、というわけでベビービクスのスタジオの鏡に期待したのだった。ところが、鏡の前のたまはキョロキョロするものの鏡に向かって進もうとする気配なし。鏡が大きすぎて、他の赤ちゃんやママやいろんなものが映り込んでいるので、鏡っ子たまちゃんに集中できない様子だった。

2005年01月10日(月)  オペラシアターこんにゃく座『森は生きている』
2004年01月10日(土)  ラブリー「ニモ」!


2007年01月09日(火)  マタニティオレンジ56 男の人が歌う子守歌

出産祝いにとCDが贈られてきた。宮本益光さんというバリトン歌手が歌う子守歌を集めた『おやすみ』。「どうして男の歌手が日本語で歌った子守歌のCDがないのだろう」とギモンに思ったジャーナリストの江川紹子さんが「子守歌は子どもが歌う最初の音楽。だから本物を」と美しい曲ときれいな日本語と最高の演奏にこだわり、企画を実現させたのだという。名前は存じ上げていたものの江川さんの著作にはまだ触れたことがなかったが、ジャーナリストに要求される粘り強さや度胸や行動力が一枚のCDに結実し、子どもを授かったわたしの元に美しい贈り物となって姿を現した。

18曲の子守歌のうち、松本隆さんが日本語詞をつけたものが8曲。吟味された言葉がシューベルトやブラームスやドヴォルザークの調べにしっくりとしっとりと寄り添い、耳に心地よい。けれど、子どもに合わせた甘い味付けにはなっていないのが松本隆流。「愛はいつでもさすらうもの 一人から また別の人に」(『おやすみ』 作曲:シューベルト)、「誘惑と戦ったの 死ぬほど苦しんで」(『夢』 作曲:トスティ)といった歌詞が子守歌には斬新。『ねむの木の子守歌』は「作詞:皇后陛下」とあり、「高校時代のお作詞」だという。宮本益光さんの伸びやかな歌声に身をまかせ、言葉のひとつひとつを味わっていると、とても気持ちがいい。メロディと言葉が響きあい、ゆっくりと指先まで体をあたためてくれる。

「子どもはもちろん、大人たちの一日の締めくくりにも、ぴったりだと思う」と江川さんは記されているが、眠りにつく前に聞いていると、疲れが癒され、いい夢が見られそうな気持ちになる。一日中寝たり起きたりが仕事の赤ちゃんよりも、安らかで穏やかな眠りを求めているのは、お母さんのほうだったりする。子守歌を耳元で囁いて労ってくれるような気のきいたダンナさんはなかなかいないから、そういう意味でも男の人が歌う子守歌CDは重宝がられるかもしれない。お母さんがゆったりした気持ちになって体と心を休めることができたら、おいしい母乳が出て、それを飲んだ赤ちゃんはすやすやと眠れて、そのおかげでお母さんも安心して眠れる。

2004年01月09日(金)  ヨシミン(井野上豊)
2002年01月09日(水)  見えなかったB


2007年01月08日(月)  マタニティオレンジ55 ランドセルの紳士

娘のたまを抱いて自宅のマンションに帰宅すると、ランドセルを背負った男の子がインターホンを押し、「僕です」と家の人に言って玄関のオートロックを解除してもらっていた。開けたドアの向こうにいったん消えた男の子が、すぐに舞い戻ってくる。落し物でもしたのかなと思っていると、ドアをいっぱいまで開けて「どうぞ」と近づいてくるわたしを待つ。赤ちゃんを連れた住人が後ろから来るのに気づいて、咄嗟に引き返した様子。そうすることが当たり前というような迷いのない行動に惚れ惚れしてしまった。「困っている人を見かけたら手を貸しましょう」と日頃から教えられて身についているのだろうか。今度お母さんと一緒のところを見かけたら、息子さんの紳士ぶりを伝えたいと思う。そんな風にお母さんのことに思いを馳せるようになったのは、出産を体験してからの大きな変化のひとつ。

大丈夫ですか。気をつけてください。どうぞ。エレベーターの乗り降り、電車の中でもたくさんの人が気遣い、声をかけ、場所を譲ってくれる。親切や善意はいつでも取り出せるところに用意してあって、それを差し出す相手とタイミングを待っているだけなのだと気づかされる。妊婦や赤ちゃん連れというわかりやすい対象を見つけると、こぼれた水にハンカチが差し出されるように、さっとさりげなく手が差し伸べられる。以前は電車で席を譲られると、遠慮して「いいです」と断ってしまっていたのだが、そうすると相手は引っ込みがつかなくなった善意を持て余し、居心地が悪くなってしまう。だから最近はありがたく甘えさせてもらい、相手が先に電車を降りるときもこちらが先に降りるときも、あらためてお礼を言う。親切を受ける側の身のこなしも、慣れてくると、自然でスマートになる。

2006年01月08日(日)  『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』放送
2003年01月08日(水)  ベトナム料理
2002年01月08日(火)  Georg Jensen


2007年01月07日(日)  蓬莱の豚まん 日本一世界一551

大阪に帰る楽しみのひとつが551蓬莱の豚まん。ふっくらもちもちの厚めの皮と重量感のある中華あんの組み合わせが絶妙。物心ついた頃から慣れ親しんだ味だけれど、直営店で手作りの出来立てを販売することにこだわり、大阪を中心にした関西圏外へは進出していない。家族や友人が上京する際のお土産にリクエストしては大量に買ってきてもらったのをラップに包んで冷凍し、一個ずつ蒸しては食べているのだけれど、ストックを食べ果たし、血中551濃度が下がってきた頃の帰省。降り立った伊丹空港のお店の行列に思わず並びそうになった。

実家に帰ると、電話でのリクエストに応えて母親が買っておいてあった。最寄駅前の泉北高島屋の地下にお店が入っている。3日に2個、4日に1個、5日にまた買いに行って2個、6日に1個。「よく毎日食べて飽きないねえ」と東京育ちのダンナが呆れるが、いくつ食べても幸せになれる。140円でこれだけ満たされる物を他に思いつかない。6日の夕方に中学校の同級生のハルちゃんが遊びに来ている間に、父がまた高島屋に出向いて東京への持ち帰り用を買ってきてくれた。「わたしも買ってこよかと思ったけど、かぶるかなあと思ってやめてん」と言うハルちゃんは、去年のバレンタインデーに限定販売のハート豚まんを送ってくれた。

難波の蓬莱本店の歳末くじで両親が当てたという「551いろはかるた」が実家に転がっていた。
【い】てるかな? ガラスの向こうで つくるひと
【ろ】んよりうまいチャーシューまん
【ば】れんたいん ハート豚まんで 彼ゲット
といった具合。よくもまあ自分とこの宣伝でいろは四十七文字分作ったもんだなあと感心するが、551好きには共感できるものが多く、ついニンマリしてしまう。
【お】みやげは おおさかめいぶつ 551
うん、これはわたしのことだ。
【ほ】うらいの豚まん 日本一世界一551
世界一は言いすぎ、と思わず突込みを入れるわたしも、「地球上でいちばん好きな食べ物は?」と聞かれたら、迷いなく「551の豚まん」と答えてしまう。551好きが遺伝したのか、生後4か月の娘・たまはお店のガラス越しに豚まんを丸める店員さんたちに釘付け。気づいた店員さんたちが面白がって豚まんをガラスに近づけて、鈴を振るようにぶらぶらさせて遊んでくれる。「買いましたよ〜」とガラスのこちら側で赤い紙袋を持ち上げて見せた。一年後には一緒に食べられるようになるのかな。

湯気の立つ豚まんを紙袋のまま持ち帰ったら、帰りの飛行機の中に豚まんのにおいが充満してしまった。父や母が上京するときはビニールで厳重に梱包してにおい封じをしていたけれど、友人たちは新幹線の駅や空港で買ってすぐ乗り込んでやってきていた。道中でにおいを撒き散らしてしまい、肩身の狭い思いをしたかもしれない。ごめんなさい。

2005年09月05日(月)  あたり前田のクラッカーと551蓬莱

2002年01月07日(月)  カレーライフ


2007年01月06日(土)  マタニティオレンジ54 いとこ対面

今回の帰省の目玉は、娘のたまといとこ達との初対面。まずは三日にダンナの弟夫妻のところのハル君と顔合わせ。1才9か月になるハル君は、去年のゴールデンウィークぶりのわたしとダンナに慣れないのか、最初はもじもじ。一方、人見知りが始まっていないたまは、一目で美男子の従兄が気に入った様子。「大好き」光線を出して手を広げ、しなだれかかるようにハル君にぺたっと張り付き、ハル君がひしと抱きとめて、熱い抱擁となった。「わあ、しっかり抱きあってる!」と二組のパパママは大興奮。

慣れてくると、ハル君は余裕が出てきて、ママ仕込みの「チュー」を披露。ぎりぎりまで顔を近づけてから唇を突き出し、チュッというさりげなく爽やかなキス。スプーンの扱いもまだ覚束ないのにキスの腕前は大人顔負けというギャップが面白い。じいじやパパの粘っこいチュー攻撃には食傷気味のたまも、ハル君のキスにはうっとりご満悦。ハル君も受けているのがうれしいのか、たまのことを気に入ってくれたのか、チューを連発。いとこ同士なのに禁断の恋に落ちてしまうのでは、といらぬ心配をしてしまうほど、いい感じの二人になって、初めてのいとこ対面は大成功。

今日はわたしの妹・純子の一家が会いに来る。4才になるシュンスケ君と1才七か月になるトモヨちゃん。シュンスケ君は会う前から「雅子んとこのたまちゃん」に会うのを楽しみにしていてくれたのだけど、いざ目の前にすると恥ずかしいのか隠れてしまう。トモヨちゃんはママを取られまいと必死。純子がたまを抱き上げると、不満を露にし、たまを睨みつける。女の子同士のライバル心もあるのか、たまもトモヨちゃんには警戒モード。ハル君にはあんなに愛想をふりまいていたくせに。わたしと純子も仲のいい姉妹というよりは、喧嘩の絶えないライバルだったけれど、その関係がたまとトモヨちゃんにも受け継がれるのか。別れ際には少し打ち解けて、ぎこちないながらも無事抱き合ってくれてひと安心。

きょうだいと友人の間のような、いとこという存在。子どもの頃、年に何度か親戚同士で集まる機会にいとこと再会できるのが、とても楽しみだった。たまといとこ達も次に会うのが待ち遠しくなるような関係になってくれたらうれしい。

2004年01月06日(火)  引っ越したお隣さんと舞い込んだ鳥
2002年01月06日(日)  非戦


2007年01月05日(金)  佳夏のお墓参り

隣の家に住んでいた幼なじみの寺岡佳夏が2004年春に亡くなって、間もなく三年。彼女が最期の数年を研究で過ごした地ベルリンには、四季の花が植わっているお墓があるが、故郷の大阪にも昨年春にご両親がお墓を建てた。子どもの頃によく遊びに行ったサイクルスポーツセンターのすぐ近く、金剛の山並みを望む高台に立つお墓には、ひまわりの絵が刻まれている。8月生まれの佳夏を太陽やひまわりに例える人は多い。豪快にお酒を飲んだ彼女が天国でも喉を潤せるように、気を利かせた誰かからお酒を差し入れしてある。よく見ると、花を活ける器もビアマグだ。一緒にお酒を飲む機会はあまりなくて、わたしには佳夏=酒豪のイメージはなかった。知らんかったわ、あんた、お酒強かってんなあ。

佳夏のことを日記に書いたのを見つけて、彼女と交流のあった人たちからときどき連絡が舞い込む。いずれも訃報を聞きつけて驚き、情報を求めているうちにわたしの日記にたどり着いた方々だった。自分の知る佳夏がいかに魅力的な人物で、自分に多大な影響を与えたかを、会ったこともないわたしに語り聞かせてくれたことも共通していた。日本一おしゃべりな幼なじみの佳夏には、出会った人をも多弁にしてしまう力があった。わたしには初めて聞くエピソード、わたしの知らない佳夏を教えられ、死んでしまってから出会い直すような不思議な感覚を味わった。「あんなにすばらしい女性に会ったことはない」と言う男性もいれば、「彼女に生きる力をもらった」と言う女性もいた。そんな佳夏と子ども時代にこれでもかというぐらい遊べたことを幸せに思いつつ、大人になってからをもっと知りたかったわ、お酒も一緒に飲みたかったわとひまわりの石に語りかける。

誰よりも生命力にあふれていた佳夏がわたしより先にいなくなることは、まったく予想外だった。それから二年して、佳夏と同じ夏生まれの女の子を授かることもまた想像していなかった。ほんま、子どもを抱いてあんたのお墓参りするとは思わんかったわ。相変わらず、佳夏が死んでしまったことに涙はこぼれない。涙のかわりに、ひまわりの石に桶いっぱいの水をかけた。

2004年6月20日 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと

2005年01月05日(水)  英国旅行10日目 オクトパスと三越とママの会とフレンチ
2002年01月05日(土)  知ってるつもり


2007年01月04日(木)  マタニティオレンジ53 二世代同窓会

娘のたまを連れての初めての里帰りは、堺の実家に昨日から三泊して六日に東京に帰る日程。昨日はダンナの弟一家に会い、その近所に住む友人と夕方から会った。大移動の上にはじめて会う人ばかりで興奮し、さらにお風呂も布団もいつもなじんでいるものとは違って落ち着かないのか、夜になってたまは珍しく大泣き。寝付くまでに三十分ほど泣き続けた。大人ペースで予定を入れてしまうと、大人以上に疲れやすくて繊細な赤ちゃんは参ってしまう。反省。と言いつつ、今日は昼の部と夕方の部で友人が遊びに来たのだが、たまは一晩寝て大阪の家の雰囲気に慣れたのか、しっかり昼寝をしてくれて、昨日のようにぐずることはなかった。

昼は広告会社時代にコピーライターとデザイナーで組んで仕事をしていたミキがダンナのサクちゃんと7才の息子のコウヘイ君と遊びに来る。ミキはわたしが会社勤めをした十余年でいちばん親しくなった友人で、週末も一緒に遊んでいたので、一週間に十食ぐらいを共にしていた。サクちゃんは、わたしの大学の応援団の同期。ミキの家に泊まった翌日にサクちゃんと応援団仲間の芝居を観に行く約束をしていて、予定がないなら一緒に来る?とミキを連れて行ったら二人が意気投合したのだった。学生時代の男友達と社会人時代の女友達が結婚して、二人を足して二で割ったような顔の男の子がいるというのは、なんとも不思議な感じ。ポーカーフェイスでクールな印象のサクちゃんがたまをあやす姿も学生時代には想像もつかなかったことで、時の流れはいろんなことを変えるなあとしみじみする。

夕方からは中学校時代のソフトボール部で一緒だったヨシキョー、タカ、オカサンが遊びに来る、ヨシキョーは小学6年生の女の子、4年生の男の子、昨年8月に生まれたリュウセイ君を連れて登場。リュウセイ君はたまに興味しんしんで、小さな手を伸ばし、積極的にアプローチ。たまは相手にされないときは「構ってくれ光線」を発するのに、言い寄られる立場になると、そっぽを向いて指を吸ったりして高飛車な態度。「オウ、オウ」と呼びかけるリュウセイ君は、「なんだよー、その態度」と訴えているようにも見える。そんな0歳児を並べて眺めながら、「親子で同級生っておもろいねえ」と話す。子連れで昔話に花を咲かせている未来の自分なんて、中学生の頃は想像もしなかった。たまはどんな中学生になって、何部に入って、どんな友達と出会うんだろう。振り返りたくなるような日々になるといいなと思う。

2005年01月04日(火)  英国旅行9日目 ティーとブラッセリーと中華とショコラ
2004年01月04日(日)  じゅうたんの花の物語
2002年01月04日(金)  ひだまりでウェイクアップネッド


2007年01月03日(水)  マタニティオレンジ52 飛行機で大阪へ

実家の大阪へ娘のたまを連れて初めての里帰り。さて新幹線にしようか、飛行機にしようか。赤ちゃん連れだと地面を走っているほうが安心な気もするけど、先日新幹線で東京と大阪を往復したママが「二時間半は長かった。ぐずる子どもを抱いて一両目から歩き続けたわ」と言うのを聞き、飛行機に決定。飛行機ならぐずっても一時間の我慢。特割で買えたので、料金も新幹線とほぼ同じ。赤ちゃん同伴と告げると、行きは中央四列席の通路側の二席、帰りは窓側二列席を用意してくれる。

飛行機の選択は正解。羽田空港の出発ロビーにも伊丹空港の到着ロビーにもベビー休憩室があり、おむつ替えと授乳ができて大助かり。羽田空港内には14か所の授乳室があるそう。授乳はいざとなれば機内でもできないことはないけれど、これだけ充実しているのはありがたい。ANAの機内誌によると、トイレでおむつ替えができる機種も導入されているとのこと。

離陸のときの耳ツーンや上空での揺れ、着陸のときの振動でぐずるのではと心配したけれど、たまは初体験の機内の雰囲気に怖さよりも物珍しさを感じた様子。もらったおもちゃのリストバンドを噛み噛みしながら、ごきげんだった。ずっと同じ姿勢で飽きたのか、着陸二十分前頃からぐずぐず言いはじめたが、高い高いなどをして気を紛らわせる。高い高いが大好きなたま、本当に空を飛ぶのも楽しかったのかもしれない。

2005年01月03日(月)  英国旅行8日目 妻・母・長女の家と財布とシーザー
2004年01月03日(土)  庚申塚の猿田彦神社
2002年01月03日(木)  留守番


2007年01月02日(火)  新年の掘り出し物『クリスマスの笑顔』

去年のクリスマスの頃、「あれはどこにしまったっけ」と古いファイルの掘り出し大会をやった。あれというのはずいぶん前に見つけた「クリスマスの笑顔」について書かれた英語の詩。コピーライター時代に「Smile」に関する言葉を集める作業の中で見つけたもので、とても気に入ったので出典を調べたところ、何十年も前にニューヨークの老舗デパートが出したクリスマス広告のコピーらしいことがわかった。原文をファイルにしまっておいたはずなのだが見つからず、そのままクリスマスは終わり、年を越した。

昨日いまいまさこカフェに「2002年6月25日の日記に書かれているSnuggleという詩をホームページで紹介したい」と書き込みがあった。自分でも忘れていたのだけれど、留学時代のホストマザーから送られた詩に訳をつけて紹介していたのだった。

日記を掘り返してみると、他にもFriends(何日かに分けて紹介)、HEAVEN'S VERY SPECIAL CHILD(天国の特別な子ども)、If I had my child to raise over again(もしも、もう一度子育てができるなら)といった英語詩に再会する。

それで、懸案のSmileの詩を思い出し、発掘作業を再開。無事、"The Value of a Smile at Christmas "を掘り出すことができた。出典はDale Carnegieの本"How To Win Friends Influence People"となっているが、カーネギーさんはこの詩を掲載した本の著者で、コピーライターは別だろうか。広告といえば「うちの店員は笑顔が自慢」という直球アプローチになりがちだが、普遍的な笑顔のすばらしさ(わが子の笑顔に癒される今、とくに共感)を説いた上でお客様の笑顔を持ち上げるコピーワークが秀逸。

2006年から持ち越した宿題を仕上げるきっかけをくれた大阪の英語教師・小沢先生に感謝。偶然わたしの日記にたどり着かれたようだが、わたしの弟の勤務する高校の先生という面白いめぐりあわせに、思わずスマイル。

The Value of a Smile at Christmas

It costs nothing, but creates much.
It enriches those who receive, without impoverishing those who give.
It happens in a flash and the memory of it sometimes lasts forever.

None are so rich they can get along without it,
and none are so poor but are richer for its benefits.
It creates happiness in the home, fosters good will in a business,
and is the countersign of friends.
It is rest to the weary, daylight to the discouraged, sunshine to the sad, and Nature's best antidote for trouble.

Yet it cannot be bought, begged, borrowed, or stolen,
for it is something that is no earthly good to anybody till it is given away.
And if in the last-minute rush of Christmas buying some of our salespeople should be too tired to give you a smile,
may we ask you to leave one of yours?
For nobody needs a smile so much as those who have none left to give!

価値あるクリスマスの笑顔

元手はかからないけれど、もたらすものは大きい。
受け取った者は豊かになるけれど、与えた者は損をしない。
一瞬の出来事だけれど、いつまでも記憶に残ることもある。

どんなに金持ちでも、これがなければ生きていけない。
どんなに貧しくても、これがあれば豊かになれる。
家庭には幸福をもたらし、ビジネスでは善意を育み、
友達同士の合言葉になる。
疲れた者には安らぎとなり、落ち込んだ者には光となり、
悲しむ者には太陽に、悩める者には何より効く天然の解毒剤になる。
けれど、お金では買えない、無理強いもできない、
借りることも盗むこともできない。
それは、差し出されてこそ価値があるものだから。

クリスマスセールの追い込みで疲れきった店員のなかに
笑顔を忘れた者がおりましたら、
恐れ入りますが、お客様の笑顔を頂戴したく思います。
笑顔を使い果たした者ほど、笑顔を求めているのですから。

From Dale Carnegie's book: "How To Win Friends Influence People"
訳:今井雅子

2005年01月02日(日)  英国旅行7日目 生家と古城とリモニー・スニケット
2004年01月02日(金)  金持ちよりも人持ち
2002年01月02日(水)  パワーの源


2007年01月01日(月)  マタニティオレンジ51 赤ちゃんのいるお正月

娘のたまと初めて一緒に迎えるお正月。わたしの実家、大阪の今井家の正月は年々カジュアル化が進んでいるが、東京のダンナの実家では、日本らしいお正月を味わえる。まずはお屠蘇でご挨拶。松に見立てた昆布、竹に見立てたするめ、梅干し、松竹梅のおめでたさを口に含み、お屠蘇の杯にひと口つけて、「あけましておめでとうございます」と一同に恭しく頭を下げる。これを一人ずつ順にやる。生後4か月のたまも小さな手に昆布をのせてもらい、口に運ぶ真似。と、いきなり舌を出して昆布をペロペロ。刺激に驚くかと思ったら、にっこり笑って上機嫌。「お、喜んでる」「よろコンブだ」「ビデオビデオ!」と大人たちも大喜び。お食い初めの鯛の塩味も気に入っていたし、この子は酒飲みになるかもしれないねと笑いあう。赤ちゃんがいると、ハレの日がいっそうおめでたくなる。

挨拶を済ませると、おせち料理とお雑煮。お宮参りのときに明治神宮でいただいたお食い初め用の盆と汁椀に、たまの分も盛り付ける。お雑煮は「器が小さいから赤ちゃんサイズに切りましょう」と人参もゴボウもお餅も小さくする。大人用と並べると、ミニチュアのようなかわいらしさ。でも、単独で写真に撮ると、比較材料がなくて、なんだか普通になってしまって残念。離乳食さえ初めていないたまはもちろん見てるだけ。「あなたは母乳の分もあるから、どんどん食べていいのよ」と乗せられ、たまの分は責任持ってわたしが平らげる。来年は、たまも歯が生え揃い、一緒に食べられるだろうか。

2006年01月01日(日)  いいことありそな初日の出
2005年01月01日(土)  英国旅行6日目 嵐とプリンと美女と野獣
2003年01月01日(水)  2003年の初仕事
2002年01月01日(火)  幸先
1999年01月01日(金)  テスト

<<<前の日記  次の日記>>>


My追加