2013年05月30日(木)  「けむりの きしゃ」は、どんな汽車?

国語の時間にやったプリントが、ノートに貼り付けられていた。

《「けむりの きしゃ」と いうのは、どんな きしゃでしょう。
えと ことばで かきましょう。》

という問題に、たまは、楽しげに走る機関車の絵を描き、

《いろは、からふるで、おしゃれで、わたしとおかあさんだけがのれるきしゃ、せかいじゅうをはしる。》

と書いた。

「けむりのきしゃ」というお題に対して、自由に想像させて答えさせる問題なのかと思ったら、教科書に載っているお話だとわかった。



教科書を開いてみると、「けむりのきしゃ」は、煙突掃除のおじさんが、落っこちてきた流れ星をお空に返してあげようとして、煙突の煙に乗せてやる、というお話だった。

物語の読解力テストだとすると、たまの答えは、ストライクゾーンを思いっきり外した暴投なのだけれど、先生はバツではなく花丸をつけてくれていた。

ありがたや。これで、たまは「教科書と違うことを書いちゃいけないんだ」と萎縮することなく、国語も、勉強も、好きでいられる。

ひとつの正解に向かって解くことも、もちろん大事だけど、「正解はひとつしかない」という設定は、子どもの想像力を押さえつけてしまう。教科書通りに答えることより、「答えを考えるのって楽しい」という感覚を覚えることが、今は大事だと思うから、花丸をくれた先生に感謝。

これとは逆に、先日聞いたのが、書き取りの答案を見て「字が汚い」と先生に言われてしまった小学生の話。その一言で、書き取りも国語も先生も嫌いになってしまったのでは……。「もっと丁寧に書くと、漢字が読みやすいね」とか、他に言い方があったのではと思うのですが、先生のほうにも余裕がなかったのかもしれません。

先生の何気ない一言で、子どもは天にも上るし,立ち直れないほど落ち込むものです。

2010年05月30日(日)  朝ドラ「てっぱん」ロケで尾道へ
2009年05月30日(土)  『絶後の記録』映画化めざしてキンガさん再来日
2008年05月30日(金)  相続税も所得税もかからない財産
2007年05月30日(水)  マタニティオレンジ126 ピアスを見たり赤ちゃんを見てもらったり
2005年05月30日(月)  脱力系映画『イン・ザ・プール』
1979年05月30日(水)  4年2組日記 男子べんじょ


2013年05月29日(水)  「大人女子」とは何ぞや?(打ち上げにて)

3月にNHK BSプレミアムで放送された「大人女子のアニメタイム」(今井雅子は第3話、山本文緒さん原作の「どこかではないここ」の脚本を担当)。その3作品合同打ち上げが、放送から2か月経った今宵、原宿のシャンニーカフェでにぎやかに行われた。

「どこかではないここ」の脚本会議でご一緒した人の他は知らない人だらけで、最初は、どこに身を置こうかとそわそわ。一軒家のアットホームな雰囲気と、制作会社キュリオスコープのプロデューサー菅原花子さんの「皆さんをつなげたい」という心配りあふれる司会のおかげで、少しずつ居心地が良くなっていった。

第1話「夕餉」(山田詠美さん原作)の脚本・金春智子さん、第2話「人生ベストテン」(角田光代さん原作)の脚本・吉田玲子さんともご挨拶できた。

吉田玲子さんは、おじゃる丸創世記の頃からしばらく脚本を書かれていた大先輩。大ヒットアニメ「けいおん!!」と「バクマン。」も手がけられている。金春智子さんは「一休さん」「花の子ルンルン」「Dr.スランプ アラレちゃん」 「うる星やつら」をはじめ、わたしが子どもの頃に夢中になったアニメ作品の数々を手がけられた方。そんなお二人と同じシリーズ作品に参加できて、なんとありがたいこと。

NHKよる★ドラ「ビターシュガー」を観て、「大人女子アニメ」脚本に声をかけてくださった菅原花子さんに、あらためて感謝。

仕事のご縁には、つくづく恵まれているわたし。そちらで運を使い込んでいるせいか、パーティの抽選大会では当たりに恵まれていなかったのだけど、今宵は、こよなく愛する泡の中の泡、MOETのゴールドを射止めさせていただいた。

大人女子アニメの女神にも微笑んでもらえた様子。今後、毎年恒例の定番シリーズになったときに、また声をかけてもらえる運が残っていますように。



締めの頃に挨拶された男性が、ほろ酔い加減で「大人女子アニメって何なんだ?」を連発したのが妙に可笑しく、会場は爆笑。同じように感じていた男性陣が多かったのかもしれない。「打ち合わせでは男性の意見は全無視」「男にはわからない世界」という声も。

カルチャーショックやギャップを抱えながら異文化の作品を作り上げるような気持ちで「これでいいのだろうか」と首を傾げつつ作り上げ、今でも「これでよかったのだろうか」と戸惑いつつ、打ち上げにやってきて、「盛り上がってるから良かったようだ」とお酒を飲んでいる……そんな大人男子陣の、普段の作品とは違う苦労に感謝。

話が弾むパーティは、食事が残ってしまう。今回はお店の大盤振る舞いも手伝って、かなりの料理が残ってしまった。前菜からデザートまで品数が多く、盛りつけも豪快で、北京ダックを切り分け、中身の鶏肉で青椒鶏肉絲(チンジャオロースの鶏肉版)とスープを作るなど、大皿料理の一品一品がどれも本格的で手を抜かない全力投球。しかし、しゃべる口と食べる口は同じなので、食べるのが追いつかなかった。

「もったいないですね。持ち帰りましょう」と誰からともなく言い出し、お店の方にパックを借り、パックが足りなくなるとビニール袋を借り、黙々と詰め続けた。もちろん、すべて、女性。「きれいに片づきましたね」「気持ちいいですね」「明日の朝どうしようって思ってたんですよ」「助かりますね」と充足感と主婦感を分かち合い、「この感覚が大人女子!」と笑い合った。

2010年05月29日(土)  ベーグルを買って届ける
2009年05月29日(金)  子守話にホラー誕生
2008年05月29日(木)  マタニティオレンジ295 「うちの子、ここがかわいい」保護者会
2007年05月29日(火)  マタニティオレンジ125 ちょちちょちあわわ
2005年05月29日(日)  『昭和八十年のラヂオ少年』を祝う会
2004年05月29日(土)  幸せのおすそわけ
2002年05月29日(水)  SESSION9
1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい


2013年05月27日(月)  抱え込めばトラウマ吐き出せば表現

小学1年生になった娘のたまと「梅佳代展」を見に行ったところ、同時開催の「難波田龍起の具象」に展示されていた「病床日誌」31点とその後の「絶筆」を見て、「あのしゃしんのおじいちゃんがしんじゃったの?」と混乱し、「ままがしんじゃったらどうしよう」と大泣きしてしまった……と報告した昨日の日記の続き。

Facebookやtwitterで日記を共有したところ、たまの感受性の強さに驚く声、たまちゃん大丈夫?と心配する声が寄せられた。

たま自身、自分の感受性や想像力に振り回されている感がある。疲弊しないように、親が一緒に受け止めてあげなくてはと思う。

今日のたまは、もう泣くことはなくなったものの前日の衝撃を引きずっていて、「ままが、びょういんのべっどで、ずっとえをかいて、もうできませんってしんじゃったら、やだ」とべそをかいた。

「病床日誌」31点から「絶筆」の流れを小学1年生にわかる言葉に翻訳すると、「病院のベッドでずっと絵を描いて、もうできませんって死んじゃう」となるらしい。わかりやすい言葉だけれど、的確に理解している。

そして、「ままは、たくさん、えをかくから、ままもしんじゃうっておもった」のだ、と今日になって新たな事実が明らかになった。

なるほど。たまにとって、わたしは、絵を描く人なのか。

31点の連作を見て、たくさんの絵から「ままみたい」と想像していたから、その後の「絶筆」に衝撃を受けた、ということらしい。

絵を描きすぎて、力つきて、死んじゃったんだ。
だったら、ママも……と怖くなってしまったらしい。

「たまちゃん、ままに、たくさん、えをかいてもらってるけど、それでままがしんだら、たまちゃんのせいだから、もう、えはかかなくていい」とまで言い出したので、
「ままは、たまちゃんのために絵を描けば描くほど元気になるんだから、心配いらないよ」と安心させた。

ママも描くし、たまも描こうよ。

混乱や動揺や不安をくすぶらせて抱え込んでいると、トラウマになってしまう。けれど、紙に気持ちをぶつけて吐き出せば、絵なのか詩なのか、何かしら表現が生まれる。

創作すること、表現することはエネルギーを使う。
頭も体も心も使う。
時間を食う。人生を食う。
もちろん疲れる。
でも、それは作者を消耗させる疲れではなくて、生きている実感になり、もっと描きたい、もっと表現したい、と新たな力を呼び起こす。

「絶筆」で亡くなった画家にとって、31点の「病床日誌」は生きる力、励みになっていたはず。

この絵を描くまでは死ねない、と思って、筆を運んでいたのだと思う。

そういうことを、ゆっくりと時間をかけて、たまと話していきたい。

土曜日(ということは梅佳代展の前)に、たまは「とってもみじかいえほんをかいた」とノートを見せてくれた。

「かっちゃんのかなしいきもち」というタイトルで、主人公のかっちゃんの頭の中にあるのは、「あり」(ダニではない!)のこと。



「かっちゃんがあるいていると」小鳥が手紙を届けてくれる。
「それわ かっていた でもしんだ ありからの てがみだった」

てがみには「かっちゃんへ ぼくはなくなります ありのぴこより」。

それを見て、かっちゃんが「かなしいきもちになった」という内容。


なぜ、アリなのかは置いといて、「ペット(といってもアリだけど)の死」を取り上げているのは、偶然なのか。それとも、たまのアンテナは、無意識にそちらを向いていたのか。

かっちゃんのお話を見せた後、たまは「いっしょにきゃくほんをかこうよ」とわたしに持ちかけ、「りぼんちゃん」というキャラクターを編み出し、「りぼんちゃん たびにでる」という出だしをすらすらと書いた。

りぼんちゃんの横で女の子が「えーん」と泣いているのは、旅立ちの別れを悲しんでいるのだろうか。

「いまい たまえ きゃくほん」とあるのは、二人の連名クレジットのつもりらしい。
「いつもかいてます これから りぼんちゃん たびにでる を はじめます」と意気込みも十分。


出だしで止まっている共同脚本作品「りぼんちゃん たびにでる」を二人で作る時間が、衝撃を受け止めるクッションになればと思う。

2010年05月27日(木)  あるところにはあるメロン色のメロンパン
2009年05月27日(水)  プロデューサーに言われた信じられない言葉
2008年05月27日(火)  マタニティオレンジ293 聴診器ごっことマススクリーニング
2007年05月27日(日)  大人計画『ドブの輝き』
2005年05月27日(金)  『シンデレラストーリー』@ル テアトル銀座
1979年05月27日(日)  4年2組日記 みんないっしょに


2013年05月26日(日)  梅佳代×難波田龍起の思わぬ化学反応

「梅佳代」という写真家をわたしが知ったのは、新聞の書評欄だった。
刊行された写真集を評する文章と、そこで紹介されていた「普通っぽいのに、二度見してしまう」ような写真が目に留まった。

ありふれた日常を「どう切り取るか」で引っかかりや余韻を作る、その作家性を評者は面白がっていた。脚本にも通じるなと思いつつ写真集そのものは手にしないままで、写真家・梅佳代に関するわたしの知識は書評で止まっている。

そんな梅佳代の個展へ行ってきた。
その名も「梅佳代展」。
場所は東京オペラシティのアートギャラリー。
意外にも美術館での個展は初めてとのこと。



わたし自身も興味があったのだけど、小学1年生のたまがどんな反応をするのか、見てみたかった。子どもの無邪気さや天然さやアホさを絶妙な距離感とタイミングで切り取った写真は、子どもの目に、どう映るのか。

意外にも、たまがより強く反応したのは、少し年上のティーンエイジャーのお姉さんたち(「女子中学生」シリーズ)や、おじいちゃんおばあちゃん(「じいちゃんさま」シリーズ)の写真だった。

自分に年が近い被写体より、少し離れているほうが、興味をそそられるのかもしれない。

ティーンエイジャーが頭にブラジャーをかぶったり、股に大根をはさんだり、という写真に、親はドギマギするが、子どもは真っ直ぐ見据えて、笑ったり、感想を言ったりする。
性的なものに蓋をする感覚がないから、素直に、大らかに、鑑賞する。

おじいちゃんおばあちゃんの写真の前では、この人は誰に似ている、とそれぞれに似た人探しをしていた。

ひとつ上のフロアでは、「project N」と銘打った若手作家の育成・支援を目的とした展覧会と「難波田龍起の具象」と題した収蔵品展が同時開催されていて、そちらも見て回った。

project Nは、秋山幸という1980年岡山生まれの女性画家を取り上げていた。積み重ねた明るい色をじっと見ていると風景が浮かび上がるような作品。そのタイトルをひとつひとつ読み上げていった。タイトルは、作品との対話のきっかけ、とっかかり。たまは「そんなふうにみえる」と言ったり、「みえない」と言ったり。わからなくても、何か感じてくれれば、それでいい。

難波田龍起展に移動してからもタイトルを読み上げていくと、「病床日誌1」という作品があった。「病床日誌2」「病床日誌3」……と延々と続くので、「どこまで続くのかな」と言うと、たまが壁一面に並んだ絵の端っこまで先回りして、「ひとつだけちがうよ」と戻ってきた。

病床日誌は、31まで続いていた。
その次の作品は、明らかにタッチが違う。
それまでの色と線の重なりはなく、単色で、弱々しい線が走る中に「拝啓」と「澄」と思しき字が読み取れた。

絵というより、走り書きのよう。
タイトルは「絶筆」となっていた。

「ぜっぴつってどういういみ?」と聞かれ、「最後に描いたって意味よ」と教えた。「この絵を最後に、もう書けなくなってしまったの」とつけ加えると、「死んじゃったの?」。「きっとそうね」と答えると、「このえをかいて、すぐにしんだの? なんにち、いきてたの?」。

31枚の作品の連なりの後の力つきたような絶筆。
その落差が、たまの心をとらえてしまったらしい。

そこから初台の駅へ向かう途中、電車に乗ってからも、問答は続いた。
「どうしてしんじゃったの?」
「病床日誌って書いてたから、病気だったのかなあ」
「びょうしょうにっしってなあに?」
「病床っていうのは、病気で寝てるってこと。日誌は日記ってこと。病院に入院しながら、日記の代わりに描いたのかもね」
「なんのびょうきだったの?」
「さあ、ママも初めて知った人だから、そこまではわからない」
「あのしゃしんのおじいちゃんがしんじゃったの?」
「ううん。写真展の写真に写ってた人と、絵を描いた人は別の人。写真展の人は関係ないよ」
「かんけいなくなんか、ないよ」

そう言うと、たまは突然泣き出し、わたしにしがみついてきた。電車の中で。

絶筆の画家と梅佳代の写真は、たまの中では無関係ではなく、つながっていたらしい。
精力的に作品を重ねていた画家が力尽きて亡くなってしまうように、家族写真に納まっていた笑顔のおじいちゃんも、いつかは、いなくなってしまう。
そして、自分の大好きな家族も……。

たまの想像力は、そこまで先回りしてしまったのではないか。

そう見当をつけて、「パパやママがいなくなっちゃうと思って、こわくなったの?」と聞くと、泣きじゃくりながらうなずき、「ママがいいよう」といっそう強く泣いた。

ひと駅手前で降りて、スーパーで材料を買って、おやつにパフェを作ろうという計画だったのだけど、とにかく家に帰りたいと言うので、まっすぐ帰宅し、涙を落ち着かせた。

パフェの材料を買いに出かける道で、「ママがいなくなったら、やだ」。
パフェを食べてひと心地ついてからも、「ママがいなくなったら、どうしよう」。
思い出しては泣くので、目のまわりが赤く腫れてしまった。

「ママがいなくなったら、たまちゃん、ごはんつくれない」と現実的なことを言って、脱力させてくれた後に「ママがいなくなったら、ママに、ぎゅう、してもらえない」と言うので、わたしまでせつなくなってしまった。

これまでも、死というものについて考えたり話したりする機会はあった。ご近所さんが亡くなったときは、死ぬと体はどうなるのかと知りたがり、焼かれると聞いて、では心はどうなるのかと聞いてきた。

怖がらなかったのは、どこか他人事で、自分の身近な人にはふりかからないもののように思っていたせいかもしれない。それが、今日、梅佳代の家族写真と難波田龍起の絶筆が頭の中で化学反応を起こし、死が他人事から我がごとになってしまった。

難波田龍起の紹介リーフレットを開くと、〈高村光太郎との出会いによって詩と絵画の境界線がなだらかにつながった。〉〈高村光太郎によれば「芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかっている」。〉〈「いのち」とは目に見えない自然のエッセンスであり、ものの本質を言い表す言葉である。とすれば、デッサンとはそれらと魂を通わせながら手で捉えること―内と外の世界を結ぶことにほかならない〉といった言葉があった。

たまにとっては、写真と油絵の境界線はなく、両者はなだらかにつながり、「いのち」を訴えかけてきたのかもしれない。年月をかけて思索を深める芸術家の境地に近いところで、子どもは作品と対話しているのかもしれない。

自分と同じような子どもの写真を見て、無邪気に面白がる姿を予想していたら、思いがけない反応になった。

でも、梅佳代の写真が「家族」の「生」をはっきり写し取っているからこそ、そこに「愛」が宿っているからこそ、絶筆の意味を知ったときに「失うもの」の大きさを感じてしまったのではないか。台詞や生活音が聞こえてきそうな、汗や息のにおいが漂ってきそうな、一瞬をわしづかみしたような写真だから、たまはいつも以上に感応したのだ。そんな気がしている。

梅佳代がおじいちゃんを撮り始めたきっかけは、高校時代に「じいちゃんは撮っとるうちは死なんと思った」ことらしい。もちろんそんなことをたまは知らないのだけれど、シャッターを切る梅佳代の念のようなものが、写真からにじみ出ていたのかもしれない。

今回の展示では、その後のじいちゃんのショットも加えられているという。じいちゃんは長生きしているようで、良かった。

こうして、書評止まりだったわたしの知識に、新たな梅佳代評が刻まれたのだった。

「梅佳代展」と所蔵品展「難波田龍起の具象」そして「project N 秋山幸」は、いずれも6/23(日)まで。

2010年05月26日(水)  雨だから相合い傘。災い転じて福。
2009年05月26日(火)  2歳児のネーミングセンス
2008年05月26日(月)  いい広告を作るには、いいオンナになれ。
2007年05月26日(土)  マタニティオレンジ124 役員仕切りのクラス会
2004年05月26日(水)  ニヤニヤ本『言いまつがい』
1979年05月26日(土)  4年2組日記 かみなり


2013年05月24日(金)  ミヤケマイ展『白粉花(おしろいばな)Little Lily-White Lie』

明日5月25日から銀座のポーラミュージアムアネックスで始まる友人の絵師ミヤケマイの「白粉花(おしろいばな)Little Lily-White Lie」展。

そのオープニングパーティへ、共通の友人のアサミちゃんと娘のたまと行って来た。



こんな機会でもないと足を踏み入れることがなかったポーラ銀座ビル。
一階のフロアの真ん中にあるガラスで囲まれた空間は,エレベーター。
「2階までしか行かないよ。美術館は3階だけど」
「でもとりあえず乗ってみよう」
と乗り込んで2階へ。

エレベーターを下りると、2階は茶房になっていて、器やお茶請けのお菓子も、センスの良い佇まいで並べられている。

まあ素敵。
後でここでお茶しましょ、と別のエレベーターに乗り換え、3階へ。

今回はミヤケマイが追い求め続けている色、白がテーマということで、白い壁に白のグラデーションの作品が並び、ミヤケマイも白のコーディネート。
ごめん、白い服持ってなくて、と挨拶。

「産まれ落ちた時、私達は真っ白なまま世に出て来る。そしてこの世を去るときも記憶も消去され、真っ白な骨や灰になって出て行く」
と今回もミヤケマイ節の詩のような啓示のような言葉が躍る。
色とは、白く生まれて白く去るまでの間にうつろいたゆたう幻。
そんな悟りのような境地を感じさせる、白い白い世界。

たまはくぐり戸を抜けて入る和室(畳も白)を気に入り、出たり入ったり。
並んだ掛け軸がスクリーンになり、光が投影される。
「白い影絵」を見ているような感覚。

もうひとつ、たまが気に入ったのが、障子の穴からのぞくと、それぞれの穴の向こうに違った絵が見える箱。この穴からは何が見えるかなと全部の穴をのぞきたくなる楽しさがあり、子どもは子どもらしく、大人も子どもらしく、無邪気に目を近づける。体が大きくなる薬を飲んだ不思議の国のアリスの気分も味わえる。

こんな遊び心が、ミヤケマイの作品の楽しさ。
今日は人差し指の先ほどだったのぞき穴が、会期中にいろんな人にのぞかれて、どんどん大きくなって行くのか、さらに穴がふえるのか、もう一度行って確かめてみたい。

壁から幾つもの手首が飛び出し、それぞれに何かを握っている作品の前で、たまはいちばん長い時間を過ごした。


香水瓶を持つ手。コンタクトレンズのケースを持つ手。手話の指文字みたいな手。
それぞれの手が何をしようとしているのか、手の持ち主はどんな人か、子どもなりに想像して、楽しんでいた様子。

歓待の泡とフィンガーフードをいただき、個展に行くたびに感じる「どこまで行くのかミヤケマイ」の衰えぬ勢いも感じ取り、先ほど通り過ぎた茶房へ。

量は小ぶりだけれど、体にやさしい、いいものを食べたという満足感がしっかり残る1650円の季節膳。食後には選べる和菓子がつき、550円のお薄といただくと、とてもゆたかな晩ごはんになった。


一人でお手洗いに行ったたまは、「ながしそうめんみたいなのがあるよ。いいから、きて」とわたしたちを呼びに戻ってきた。竹筒のような注ぎ口から自動的に手洗い水が出てくる様は、なるほど流し素麺を連想させる。

内装も器も品が良くて質が高くて、ぜいたくな気持ちにさせてくれ、銀座にこんなくつろげるいい空間があったのかと感激。一人でごはん食べるのにも良さそうだし、打ち合わせにも使えそう。ミヤケマイ展へ行かれた折には、2階での寄り道もおすすめ。

ミヤケマイ展は6月30日まで。11-20時(入場は19時半まで) 会期中無休 入場無料

2012年05月24日(木)  キャラ弁なるもの
2011年05月24日(火)  リレーおてて絵本とオリーブちゃん脚本
2010年05月24日(月)  朝ドラ「てっぱん」クランクイン
2009年05月24日(日)  「つばさ」第9週は「魔法の木の下で」
2008年05月24日(土)  カレーパーティ前日
2007年05月24日(木)  マタニティオレンジ123 モンスター親とアリガター親
2002年05月24日(金)  清川虹子さん
1979年05月24日(木)  4年2組日記 しゅうじで「ビル」


2013年05月23日(木)  インターホン暴走、のち、お色直し。

2週間前の夜10時前、お湯を沸かしていたら、突然インターホンがけたたましく鳴り出した。
「ガス」のランプが点いていたので、あわてて警報解除ボタンを押し、換気扇を回した。
普段から億劫がって換気扇を回さないことが多いのだけど、魚を焼いても反応しないのに、やかんの湯沸かしで反応してしまうのか……などと思っていたら、数分後、再びけたたましい音が。

今度は解除ボタンを押しても止まらない。
インターホンを見ると、「ガス」の隣の「非常」のランプが点いていた。
蓋を開け、中の小さなボタンを尖ったもので押している間は止まるのだけど、離すとまた鳴り出す。

そうこうしている間に、玄関のドアをノックする音が。
インターホンが生きていないから、ノックなのか。
警報がうるさくて、同じマンションの方が訪ねて来たのかもしれないと思い、ドアを開けると、制服姿の若い男性が「綜合警備保障です」と名乗った。

なんと、インターホンの警報はアルソックに通知されるらしい。
通知を受けると、とにもかくにも飛んでくるらしい。
ということを初めて知った。

アルソックさんの指示で、インターホンのブレーカーを下ろし、とりあえず、音は止まった。
インターホンのブレーカーが独立していることも初めて知った。

インターホンが使えないと不自由でしょうからとアルソックさんが、インターホンを管理している会社に連絡をしてくれ、そこのお兄さんが、11時前に修理にやって来た。
こんな夜中にと恐縮したが、お兄さんは今夜中に復旧させるという意気込みで早速作業を開始した。

アルソックさんといい、修理のお兄さんといい、普段からわたしの知らないところで、24時間体制で安全安心を守っている人たちがいたのだ、ということを知った。
アメリカに高校留学したときにクリスマスプレゼントでもらった1986年もののひらひらしたパジャマを着替えるタイミングを逸したまま、お兄さんの作業を見守った。



お兄さんが回線をいじるたび、ダンナがブレーカーを上げる。
そのたびに警報音が鳴り、「ああダメですね」とがっかりする。
というのを繰り返した。
ついにブレーカーを上げても警報が鳴らなくなり、「やりましたね」とダンナの声が弾んだが、「いや、この状態だと、インターホンも鳴らないので、意味ないです」とお兄さん。

一時間粘ってくれたが、「中の基盤を代えないといけないかもしれないので、メーカーさんに問い合わせてみてください」と口惜しそうに言い残し、お兄さんは去って行った。

日をあらためてマンションの管理会社経由でアイホンさんに連絡を取ると、陽気なおじさんが修理にやってきた。

台所のガス警報機を外して、もう一度つけるとランプが赤く点くのを見て「ああ、こりゃ警報機がダメになってる」。通常は5年が取り替えの目安で、不具合がなければ使い続けても良いのだけれど、うちのはマンションを建てた15年前のものなので、さすがにガタが来ていたらしい。

異常があると女性の声でお知らせしてくれる最新型のガス警報機に取り替え、ブレーカーを上げると、警報は鳴らなかった。

夜中に修理に来たお兄さんも警報機のランプが不安定なのには気づいていて、「インターホンだけでなく、警報機も古くなっているので取り替えたほうがいいかも」と言われた。実際には不具合を起こしていたのはガス警報機のほうだけで、そこから送られる警報に反応してインターホンが鳴り続けていたのだった。

そのメカニズムについて、アイホン修理のおじさんは、紙にペンを走らせて説明してくれた。
「普段は6ボルトの電流が流れているんですけど、ガスに異常があると12ボルトの電流になって警報が鳴るんです。逆に警報機を外すと0ボルトになるので、これまた警報が反応します」
それから、「試しにやってみましょうか。アルソックには通知が行かないようにここは切っておきますから」と実験してみせてくれた。

出張修理代が8000円かかる予定だったのだけど、ガス警報機を買ったので、12600円の実費で済んだ。4600円で警報機を買えてトクした気分と言うと、おじさんは受けていた。よく笑う人で、「警報が鳴ったらアルソックさんが飛んできてびっくりした」という話にも大笑いしてくれ、こちらも楽しくなってしまった。

「警報機が止まらないときはブレーカーを落とす」
「インターホンの故障よりガス警報機の故障を疑え」
という教訓を得て、インターホン暴走騒動は一件落着。

すっかりインターホンを新調する気になっていたのに使い続けることになったので、日焼けで黄ばんだ本体をマスキングテープで覆って若作り。



2010年05月23日(日)  すっとこどっこい器械体操部
2009年05月23日(土)  広告業界200人!船上結婚パーティ
2008年05月23日(金)  春の大掃除週間と娘の運動能力
2007年05月23日(水)  マタニティオレンジ122 おはなしたまちゃん
2005年05月23日(月)  ミヤケマイ/ミヤマケイ展『花よりだんご』
1979年05月23日(水)  4年2組日記 とみさわくん


2013年05月19日(日)  旭寿の看板5千円。「バざあごっこ」プライスレス。

保育園時代のママ友たちと朝からフリマ。

いやー、焼けた焼けた。
いやー、何が売れるかわからない。

インクリボンがまさかの100円で売れ、
旅館の宿泊者プレゼントだった新品ゆかたが500円で売れたのに、
呉服屋の七五三着物は売れ残り、
若かりし頃に散財した旭寿のホーロー看板は5000円で引き取られ、
子ども服はひとつも売れなかったのに,お古の子ども靴は4足売れ、
わたしの服はひとつも売れなかったのに、
年賀状の撮影で使った着ぐるみのひよこと漫才師衣装と
メイド服とハロウィンで使ったピエロ衣装が売れた。

まさか売れると思ってなくて、写真を撮ってなかった旭寿の看板。

出張先の京都で母と落ち合い、たまたま通りがかった骨董市でひと目惚れ。
そのときの母とお店のおっちゃんのやりとりがおかしかった。
「表だけでええから真ん中ではがして半額にして」と母。
「無茶言いな。これ貼り合わせとちゃうで。一枚もんのホーローやで」とおっちゃん。
母はおもむろに、わたしに向かって「あんた、切符出し」。
東京へ戻る新幹線の切符を差し出すと、母はおっちゃんに突き出して、
「この子、東京から買い出しに来たんや。交通費かかってるねん」
おっちゃんは「お母ちゃんに負けたわ」と、色々おまけつけてくれたけど、
こっちが払ったのは結局一万円。
トクした気にさせておいて、ちゃっかり儲けて。おっちゃんの勝ち。

そんな思い出だけ、取っておきましょう。

小学校がバラバラになった仲間と再会トークをしながら、おこづかいを稼げて、お部屋もスッキリ(あっちこっちからモノを引っ張り出したので、ちらかってるけど、モノは減った)。

「暑いときに冬物は売れない」
「午前中が勝負」
「日焼け止めは流れる」
「ダブルクリップが洗濯バサミ代わりに使えて便利」
など、次回につながる教訓もたくさん得た。

お友だちとずっと遊んでいて、ほとんど店にはいなかった、たま。
だけど、「ほんもののおみせごっこ」には心惹かれた様子。
ほとばしるように描いた「バざあごっこ」のメモが34枚!
子どもにも「何か」を残せた貴重な体験は、プライスレス。

「えほん たまちゃんじけん 500円」は、お買い上げ後、書き下ろしてくれるそうです。




2010年05月19日(水)  「産まないの?」を受け流す方法
2009年05月19日(火)  絵本『まじょのなみだ』を探している人
2008年05月19日(月)  マタニティオレンジ290 クラスのお友だちがわかる
2007年05月19日(土)  MCR LABO #3「審判」@shinjukumura LIVE
2006年05月19日(金)  鴻上尚史さんと「恋愛」対談
2005年05月19日(木)  鬼界浩己事務所公演『グレートエスケープ』
1979年05月19日(土)  4年2組日記 大きなこぶ


2013年05月14日(火)  安く見られちゃ困るけど、気前良くは見られたい。

脚本と音楽、業種は違うけれどフリーランス同士で話の合う作曲家のサクライエーコさんと久しぶりに会食。

自分に値段をつけること、自分の権利を守ることの難しさを語り合ったとき、彼女が放った金言。
「安く見られちゃ困るけど、気前良くは見られたいわね」

同じく彼女の言葉で3年前に聞いたのは、
「一杯目のビールみたいな仕事がしたい」

そのココロは、
「ビールってさ、一杯目がおいしいけど何杯も飲んでるうちに新鮮みがなくなるじゃない?でも、何度仕事をしても、ああ、サクライさんのビールはうまいって言われたいのよ。いつだって、うまい一杯目のビールを出したいのよね」
>>>2010年08月16日(月)  一杯目のビールみたいな仕事がしたい

会うたびに、思わず書き留めたくなる名言を、メロディに自然に乗る歌詞のように、さらりと口にするエーコさん。

お子さんが通う小学校で、お母さんたちの合唱のまとめ役(歌唱指導とは言いたくなかったのよねーとのこと)をやったところ、練習を重ねるごとにみるみる上達したエピソードを聞かせてくれた。

その最初の練習日、エーコさんが集まったお母さんたちに言ったのは、
「この歌は、わたしたちから子どもたちへのプレゼントです。徒競走で子どもたちを見てわたしたちが感動するのは、足が速いからではなく、一生懸命走っているからですよね? わたしたちも、上手である必要はありません。一生懸命歌う姿を子どもたちに見せましょう」

そして、恥ずかしくて声を出せない人も、せめて口パクしてください、と。

どんな気持ちで歌えばいいのかがわかっただけで、お母さんたちが同じ方向を向いて練習に取り組めた。
その結果、心をひとつに、歌を届けられた。
そして、最初は口パクだった人も、本番には大きな声で歌えたという。

音楽つながりとはいえ、普段やっている作曲の仕事とは勝手の違う役割。
でも、音楽という自分の得意な分野で役に立てたことがとてもうれしかった、と言うエーコさん。
働いているお母さんは、時間のやりくりが難しくてPTA活動も参加し辛かったりするけれど、できることを一生懸命やれれば、自分にとってもまわりにとっても幸せな結果がついてくるのよね、と話した。

そんなわけで、わたしは、PTA広報誌を書いているところ。
こういう仕事こそ,気前良く、でもプライドを持って、愛を込めて、やらなきゃね。

2011年05月14日(土)  こんなに幸せにはなっていなかった
2010年05月14日(金)  「どうしたかったの?」と聞きましょう保護者会
2009年05月14日(木)  信号の「赤」の位置はどこ?
2008年05月14日(水)  マタニティオレンジ286 プチ反抗期で「いーの!」
2007年05月14日(月)  遠山真学塾で『障害者権利条約』勉強会
2005年05月14日(土)  病は気まで 『ぎっくり背中』の女
2002年05月14日(火)  戯曲


2013年05月08日(水)  mtのマルとHacoaのサンカク

育成室(学童保育)で使う連絡帳を新調。94円のノートを島袋千栄さんのポストカードとmtのマスキングテープで楽しく変身。



そっけない封筒もコピー用紙も一瞬でかわいくしてしまうマスキングテープ。
近所の小さな文房具屋に、ゆたかな品揃え。
壁紙のアクセントやちょこっとした模様替えにも使えるCASA(おうち)版テープも出ているとか。

Hacoaの素朴な木のテープカッターもゴキゲン度倍増アイテム。
マスキングテープを切るのに十分な切れ味だけど、指先を押しつけても痛くない。
かたつむりみたいなフォルムも、お気に入り。

2011年05月08日(日)  絶品パスタとマドレーヌと「はからめ」
2010年05月08日(土)  じいじがまってるから、じいじとあそぶ。
2009年05月08日(金)  2才8か月、言葉で納得して卒乳。
2008年05月08日(木)  マタニティオレンジ282 どうしてお友だち嚼んじゃったの?
2007年05月08日(火)  マタニティオレンジ117 愛情と責任と○○
2005年05月08日(日)  佳夏の置き土産、高倉三原同窓会やるでー。
2004年05月08日(土)  STRAYDOG公演『母の桜が散った夜』


2013年05月07日(火)  【たま絵】かいしゃいんのままーどです

ゴールデンウィーク中に、たまはいくつかの新作を描いた。

これは?



「あかちゃんがうまれたところ」の絵だそう。

親バカだけど、母と子の大きさのバランスとか、目線とか、構図が絶妙だなあと思う。

こちらの絵には、吹き出しが。
「かいしゃいんのままーどです」「よろしくね」
たまから見た会社員はこんなイメージのよう。



ママードちゃんの左右にあるのはデスクと椅子。
デスクの上にあるのはパソコンだそう。
ということは垂れ下がっているのは、マウス?
わたしのMacからはマウスが伸びていないのだけど、この光景はどこで覚えたのだろう。

「ぱぱとたま」「ままとたま」の家族の肖像画も描いてくれた。



三人揃って、ではなく、それぞれ。
わたしとたまの絵では、「1さいのたま」と「29さいのまま」。
計算が合わないけど、若くなる分には、いっか。

2012年05月07日(月)  果実ドロップ色のダイニングチェア
2011年05月07日(土)  摘みたてハーブティーのある暮らし
2010年05月07日(金)  事件は家の外ではなくパソコンの中で
2009年05月07日(木)  「100%アポを取る方法」と「必ず雨を降らせるお祈り」
2008年05月07日(水)  シナトレ10 ラジオドラマってどう書くの?
2007年05月07日(月)  甘いものは何が好きですか
2005年05月07日(土)  甥っ子二人、弟三人。


2013年05月02日(木)  『短歌があるじゃないか―一億人の短歌入門』が文庫に!

脚本家・今井雅子は歌人でもあります。

短歌があるじゃないか―一億人の短歌入門』(穂村弘 東直子 沢田康彦)に5首所収され、そのうち4首がトリを飾っています。

やや誇大広告ですが、真相はいかに?

ちょうど単行本刊行から十年を経て文庫になったので、手に取って見てみる手もあるじゃないか。

2011年05月02日(月)  豊島でアートとジャムとカフェの小豆島3日目
2010年05月02日(日)  タクシーの運転手さんも不眠不休
2009年05月02日(土)  絵本みたいなデコレの収納ボックス
2008年05月02日(金)  マタニティオレンジ278 2380円のピアノ
2007年05月02日(水)  マタニティオレンジ113 上野動物園でいちばん面白い生き物
2002年05月02日(木)  永六輔さんと「しあわせのシッポ」な遭遇

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