2009年05月08日(金)  2才8か月、言葉で納得して卒乳。

無理してやめさせなくても、そのうちやめるだろう。そう思って卒乳を見送っているうちに、娘のたまは2才8か月を過ぎた。もはやおっぱいはほとんど出ていないから、「飲む」というより、おしゃぶり代わり。だけど、「みかんのあじがする。みかんばべたから」などとかわいいことを言い、「いつまで飲むの?」と聞くと、「いつまでも」とあまえた声で返してくる。この時間だけは、誰にも邪魔されず、ママを独り占めできる。逆も同じで、娘と過ごせる時間が限られているわたしもまた、卒乳できずにいた。

すでに母乳タンクがほぼ空になっていた何か月も前のこと、「もう入ってないと思うよ。入っているか聞いてみたら?」と言うと、たまが「トントン、はいってるか?」とノックをして問いかけたのがきっかけで、おっぱいに「トントン」とあだ名がついた。たまの言葉が成長するにつれ、トントンは次第に人格を帯び、「トントンとおでかけする」「トントンとこうえんであそぶ」などと言うようになった。

しかし、ダンナの両親には、「いつまでやってるのか」と不評で、ダンナも「そろそろやめたら?」と言い出し、ゴールデンウィーク中のある日、ついにダンナ父が「母乳をあげ続けていると、乳歯の後の永久歯がボロボロになる」説を唱え出した。ダンナ父のその父のお兄さんが歯医者さんで、そのような研究をしていたらしく、国会図書館へ行けば本がある、とすすめられた。そこまで思い詰めながら、なかなか強く言えなかったのだな、と思い、卒乳しようと決めた。

5月5日だったか、外から戻ってきたたまがいつものように「トントン」とせがんだとき、たまをだっこして、言い聞かせた。
「いい? トントンは、たまのお友だちでしょ。お友だち、食べないでしょ。だから、今日から、トントン飲むのは、やめようね」
じっと聞いていたたまは、思いのほかあっさりと、「うん、わかった」と納得し、「じゃあ、トントンとあそぶ」と言った。2、3日は淋しくなると「トントン、いる?」と聞いて手を伸ばし、ぬくもりを確かめて心を落ち着けていたけれど、欲しがることはなかった。

そして、「パパにも報告しようね」と言い、ダンナに「たまから大事なお話があるから聞いてあげて」と言った。はじらうたまを前に、ダンナは「おおきくなったら パパとけっこんする」と言われるのを勝手に想像したらしいが、「あのね、トントンはたまのおともだちになったの」ときっぱり宣言した娘のほうが、よっぽどオトナだった。2才8か月になって「きっぱり」も何もないけれど、言葉で納得して区切りをつけたことに、いい卒業だったなと満足した。

淋しいときだけ見えていた妖精がある日突然見えなくなるように、トントンの存在は、たまの中で日に日にしぼんでいる。置いて行かれる淋しさとともに、子どもが成長するって、こういうことなんだなと感じている。

覚えやすいように、5月5日こどもの日を卒乳記念日として刻んでおくことにした。

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