2008年07月31日(木)  ファミレスで働く

集中してパソコンに向かっていて、ふと顔を上げると時計は三時を回っていた。今さらお昼を作る気力もないし、冷蔵庫には材料もない。ひさしぶりにファミレスに行くことにした。会社を辞めてから出産するまでは週に何度もデニーズに通って、読み物をしたり、企画を練ったりしていた。会社勤めが長かったので、一人で食事をするのも仕事をするのもなんだか淋しくて、人の気配を求めてファミレスに足が向かうのだった。不思議なもので、家にいるときよりも、適度にざわざわしていて隣のテーブルの会話が耳に入るようなところで読んだり書いたりするほうが、仕事がはかどったりする。

出産を機にファミレス通いはぱたりと止んでしまったけれど、ときどきデニーズの朝ごはんが恋しくて食べに行く。今日向かったのは、カレーな気分にまかせて、ココス。大学の正面にあるこの店は客層が若くて、テーブルに向き合った女子大生二人がそれぞれメイクしたり携帯メールを打ったり、けだるそうに過ごしている。行きつけないせいもあってか居心地が悪く、食事だけ済ませてさっさと出てしまった。主婦を中心に中年層でにぎわう300メートル先のドラッグストア2階のデニーズのほうが、わたしには落ち着けるし、ネタの仕入れにも重宝する。

2007年07月31日(火)  マタニティオレンジ153 クッキーハウス解体イベント
2000年07月31日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月30日(水)  マッシュルームにすると美味

何気なく読んでいたダイレクトメールに産地直送のじゃがいもが紹介されていて、「マッシュルームにすると美味」。気持ちはわかるけど、おいもはきのこになれません。mushroomとmashed potato、英語にするとかなり別人。でも、一緒に食べたらおいしそう。こういう罪のない無邪気な間違いは、思い出すたびに顔がにやけてしまう。

マッシュルームに大笑いしているわたしも、口数が多い分、言い間違いも量産傾向にある。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭でひさしぶりに英語を使ったら、似て非なる単語がごっちゃになって「少数民族が言語を守り伝えていかないと、その言語は消えてしまう」と言うのにdisappearedを使うべきところをdistinguished(著名な)を使ってしまった。

横文字といえば、先日ダンナが新聞を見ながら「WTO」について議論をふっかけてきたときに、知ったかぶって「世界保健機構でしょ」と言ったら、「それはWHO(World Health Organization)。しかも機構じゃなくて機関」と訂正された。ちなみにWTOは世界貿易機関。どうも思い込みの激しさがイニシャル系横文字の認識力を邪魔しているようで、ある衣料品店で「商品券は使えますか」と尋ねたときに「クレジット会社発行のものでしたら」と言われ、じゃあと出したのはJTB商品券。JTBの三文字を見ながら頭の中ではJCBを描いていた。

2007年07月30日(月)  劇団ダンダンブエノ公演『砂利』
2004年07月30日(金)  虹色のピースバンド
2003年07月30日(水)  脚本家ってもうかりますか?
2002年07月30日(火)  ペットの死〜その悲しみを超えて
2001年07月30日(月)  2001年7月のおきらくレシピ


2008年07月29日(火)  マタニティオレンジ316 はじめての雷、まだ怖くない。

打ち合わせを終えてダンナの実家に娘のたまを迎えに行くと同時に雷が轟き、雨が降り始めた。大人でもびくっとなるほどの大音響で、たまは怖がるかと思ったのだけど、泣き出すどころか楽しんでいる様子。雷が鳴るたびに「こわいよー」とおどけて言いながらわたしやじいじばあばに抱きつく顔は笑っている。

玄関の鍵が開くカチャリという音には飛び上がって泣き出すのに、雷は平気.怖いと感じる基準は何なんだろう。そういえば、地震で揺れたときも平然としていた。「地震・雷・火事・オヤジ」の三番目はまだ体験していないけれど、火の怖さはまだよくわかっていないようで、台所で火を使っているときに平気で近づいてくる。「熱いよ! 怖いよ!」と立ち退かせるわたしの顔は怖いらしい。オヤジ(パパ)は娘にデレデレで、雷を落としたことはないけれど、一緒に過ごす時間が短いと、警戒して逃げる。

何かを怖いと感じるのも、人間の成長の証なのだろうと思う。火傷の痛さを知ると、火事で失うものの大きさを知ると、火を怖れるようになる。なくしたくないものができ、生きることへの執着を覚えると、死が怖くなり、それにつながる危険を怖れるようになる。わたしは小学校に上がった頃から、雷が怖くて怖くて、震えながら鳴り止むのを待っていた。雷で折れた電柱が倒れてきたショックで心臓が止まった親戚の話を母親から聞いたせいで、「雷で死んでしまうかもしれない」という恐怖が植えつけられたのだった。

2007年07月29日(日)  マタニティオレンジ152 子守すごろく
2004年07月29日(木)  クリエイティブ進化論 by MTV JAPAN
2002年07月29日(月)  中央線が舞台の不思議な映画『レイズライン』


2008年07月28日(月)  マタニティオレンジ315 わがままが進化した

娘のたまのわがままがエスカレートしている。以前は「バーニーみる!」とビデオをせがむところで止まっていて、ビデオをつければ後は機嫌を良くしてくれていた。今はビデオを見せても一時しのぎにしかならない。10分も経つと「いなない(いらない)」と言い出し、別なビデオを要求する。30分もしないうちに、あるだけのビデオをとっかえひっかえさせた挙げ句、また最初のビデオに戻る。ビデオを観ることではなく、親を振り回すことを楽しんでいるとしか思えない。
魔の二歳児まで一か月を切り、わがままも高度になったということか。先週わたしが映画祭の仕事であまりかまってあげられなかったことも原因かもしれない。何をやってもそっぽを向く姿は、仕事が忙しくてなかなかデートできなかった彼氏にすねてみせる彼女のよう。こっちは淋しい思いをさせたという負い目があるので、つい言うことを聞いてしまうのだけれど、それが娘をつけ上がらせているようにも思える。

食べ物が入った皿や飲みさしのコップをほったらかしにするのではなく、「きちゃない」と言って差し出すようになったのも、わがままの一歩前進。「もういらないから洗って」の意思表示なのだけど、ひとさじ入れただけでたっぷり残したスープの皿を「きちゃない」なんて言われては、母は傷つく。「食べ物は汚くないよ」と訂正し、「これはママが食べようね」と引き取っている。ものに敬意を払わないということは、人の気持ちを軽んじること。自己主張は強くても、ものを粗末にする子にはなって欲しくないと願いながら、冷えたスープやぬるい牛乳をすすっている。

2007年07月28日(土)  マタニティオレンジ151 特等席で隅田川の花火
2004年07月28日(水)  日本料理 白金 箒庵(そうあん)


2008年07月27日(日)  SKIPシティ国際Dシネマ映画祭9日目 クロージング

12 時から昼食会の後、クロージングセレモニー。国内短編コンペティション部門に続いて国際長編部門の受賞作品発表。短編審査委員長の高嶋政伸さんのコメントには映画への愛がたっぷりこもっていて、味わい深い。受賞作のひとつ、『黒振り袖を着る日』への思い入れを語った際に「来月結婚することになりまして……紹介しちゃおっかな」と会場にいるフィアンセを紹介したのが何とも微笑ましかった。大賞受賞作『エレファント・マド』の監督HAMUさんは男性二人組さんで、そのうち一人は元気な男の子を連れて壇上へ。「外で子どもの相手してたらいきなり呼ばれて」とあわてふためきつつ、おとなしくしていないわが子を押さえてあたふたする姿が笑いを誘い、これまたいい感じ。

長編部門の表彰は5つの賞を5人の審査員が授ける形で進んだ。関係者が会場に駆けつけられない作品は、受賞者の喜びの声が会場に流れた。昨夜から今朝未明にかけてスタッフは電話をかけまくったとか。わたしがプレゼンターとなった脚本賞の『The Class(ザ・クラス)』の監督・脚本、エストニアのIlmar Raag(イルマール・ラーグ)さんには無事トロフィーを手渡すことができた。学校でのいじめを行き着くところまで描いた『ザ・クラス』は、観ていて苦しく辛い作品。わたしが脚本を書いていたら追いつめられる主人公に救いの手を差し伸べたくなっただろうけれど、この映画は絶望を突きつける。いじめを終わらせるために主人公が取った行動は最悪の結末を招き、せめて映画には希望を見せて欲しいという願いは裏切られる。けれど、現実はこんなもんじゃないというメッセージ性は強烈。作品の影響力の大きさゆえに、ぜひ賞を授けたいという声と、賞を授けることには慎重な声がせめぎあい、審査会議はかなり白熱した。結末に目を奪われると、衝撃ばかりが目立ってしまうけれど、作品は冒頭から一貫して「人間の尊厳とは」を問い続けている。その問いの重さが心の深いところまでずどんと投げ込まれて、時間が経ってもなかなか立ち去らない。強い意志を持った脚本のチカラに感服した。

長編部門の最優秀賞は『Arranged(幸せのアレンジ)』。学校の同僚として知り合ったユダヤ教徒とイスラム教徒の女教師が友情を育みつつ、お見合い結婚を進めていく。シンプルな物語なのに、ヒロイン二人の会話には終始ドキドキがあり、観ているうちに「二人とも幸せになってほしい」という思いが強くなる、そんな愛すべき作品。お膳立てされたお見合い結婚までもがステキなことに見えてくる。宗教の違いから来る摩擦や誤解を取り上げつつもチャーミングに描いた力量はかなりのもの。深刻に見せすぎないことで、彼女たちが実際に生活しているようなリアリティを出すことに成功したと思う。

監督賞を受賞したスペイン映画『Listening to Gabrielガブリエルが聴こえる』、審査員特別賞を受賞した『Lino リノ』『Echo 記憶の谺(こだま)』についても、賞を逃した他の7作品についても、語りだしたらきりがない。審査が縁でめぐりあえた12作品の感想は、日をあらためて紹介したい。

受賞を記念して『幸せのアレンジ』が上映される時間を使って、DVDにて短編を観せてもらう。審査員特別賞を受賞した『覗(のぞき)』(35分)、以前どこかで紹介記事を読んで興味を持っていた『大地を叩く女』(21分)、オープニングパーティで知り合い、水曜日に神楽坂で一緒に飲んだ百米映画社の塩崎祥平さんが監督した『おとうさんのたばこ』(17分)。短い作品でも作り手の個性は明快に現れる。短い作品だからこそ、とも言えるのかも。

クロージングパーティでは、オープニングのときよりもたくさんの人と話ができた。『ザ・クラス』のイルマール監督とは「脚本を書くとき、構成を決めてから書く?」「次回作は?」なんて話をした。映画を撮るためにテレビ局を辞めた監督の次回作は、いじめとはがらりとテイストを変えて、WOMANの話。実際にあった出来事をベースにしているところは共通しているけれど、こちらはハートウォーミングなお話とのこと。神楽坂の飲み会で会ったセシリア亜美北島さんも話題に加わり、脚本の書き方について話す。アルゼンチンからの帰国子女のセシリアさんは構想中の商業用長編を映画祭のDコンテンツマーケットでプレゼンし、興味を持ってくれるところが現れたので、夏のうちに初稿を書き上げたい、と意気込んでいる。今年観る側だった人が来年は出す側になるのかもしれない。

2才の息子リノ君を見てひらめいた物語に、血のつながっていない父親役として出演した『Lino』のジャン・ルイ・ミレシ監督に「もうすぐ2才になるうちの娘もリノ君とおんなじことします!」と伝えたくて話しかけたのだけど、監督はフランス語しか話せない。「わたしにも娘がいる」と伝えようにも「娘」の単語を知らないので、「J’ai…小さい…女の子…」と口ごもっていると、「君にも子どもがいるのか?」っぽいフランス語が返ってきた。「その娘がですね、Lino aussi(リノも)」と怪しいフランス語ながらも気持ちは通じた様子。

フランス語をちょこっとかじったのはカンヌの広告祭に行った10年前だけど、世界中から人が集まって来て話したいことがどっさりあるお祭りに居合わせると、もっと言葉ができたら、と思ってしまう。パーティが始まる前に話しかけた『囲碁王とその息子』のジョー・ウェイ監督、囲碁王役と息子役の役者さんにも、自分の言葉で感想を伝えられる中国語を持ち合わせていなかった。寡黙なホン・サンス監督とも、韓国語ができればもう少し突っ込んだ会話ができたのではないか。英語も磨きたいけれど、スペイン語、フランス語、中国語、韓国語、いろんな言葉で、せめて「あなたの映画はよかったよ」と伝えられるようになりたい。

初日に出会った『Under the Bombs 戦渦の下で』の助監督兼スタイリスト兼ジャーナリスト役のビシャラさんは、英語とアラビア語の他にフランス語も少々という言葉の羽根に加えてバツグンの人なつっこさと愛嬌でパーティ会場を飛び回り、すっかり人気者になっていた。「大好きな日本に来れたことが、すでに賞だよ」と喜び、「レバノンは今も戦渦の下。いつ爆弾に当たって死んでもおかしくない。戦争は僕らには日常。爆撃の音で眠れないのは最初だけ。そういうことを僕という人間を通して日本の人に知ってもらえたら、この来日には意味がある」とも言っていた。レバノンという国への大きな親近感と興味をお土産に置いて行った彼はダンサー、振付師でもあり、コスチュームデザインも手がける。わたしに会うたびに着ているものを面白がってくれた。名刺の肩書きは「artist unlimited」。「やりたいことがあるうちは死なない気がする」と言っていた彼が、どうか爆弾に当たることなく才能を発揮し続けてほしいと願う。

リトルDJとなってパーティを盛り上げてくれたのは、『囲碁王とその息子』の子役君。とてもきれいでまっすぐな目をした利発そうな彼の今後も楽しみ。

「川上さんの知り合いです」と話しかけて来たニシダカオルさんは、初監督の『6月4日』を短編コンペ部門にエントリーしていた新人監督。もともと女優で、わたしの友人の脚本家・川上徹也さんに脚本の書き方のアドバイスを受けたのだとか。彼女が出演した川上さんの舞台をわたしが観ていたことがわかり、「クリスマスイブに中野でやったあれ、出てたんですか!」「あれ観てたんですか!」とお互いびっくり。そのニシダさんが「函館映画祭のシナリオコンクールで今年受賞した男の子が来てます」と紹介してくれたのが藤村享平君。「わーい函館の同窓生だ! 300万円穫ったのかコノヤロ! 今度受賞者集めて飲み会やろう!」と母校の後輩を見つけたようなうれしい気持ちになって、盛り上がった。自分が写真に写ることはめったにないのだけど、今夜は記念写真を撮りたい場面の連続。

おひらきの時間になり、審査員のリカルドさんと別れを惜しむ。「アルゼンチンではキスが挨拶だから、ついハグしそうになるんだけど、日本ではしないんだねえ」と戸惑っていたリカルドさんに、また会いましょうと最後に一回だけハグ。お茶目で陽気なラテン乗りのおじさんだと思っていたけど、審査のときの鋭い意見を聞いて、ただものじゃないと恐れ入った。今年審査をご一緒したのも何かの縁。今年出会った人たちも作品も何かの縁。いい縁に恵まれ、映画好きでお祭り好きなわたしにとって、予想以上にたのしい映画祭となった。

2007年07月27日(金)  あの傑作本が傑作映画に『自虐の詩』
2005年07月27日(水)  シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年07月27日(火)  コメディエンヌ前原星良
2002年07月27日(土)  上野アトレ
2000年07月27日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月26日(土)  SKIPシティ国際Dシネマ映画祭8日目 いよいよ審査

2年半ぶりのシングルルームで夜中に乳飲み子に起こされることもなく、ぐっすり眠って爽快な目覚め。浦和ロイヤルパインズホテルはパティスリーが自慢で、朝食のバイキングには焼きたてのクロワッサンやデニッシュが並ぶという。部屋に備え付けの案内ブックの写真を見ているだけでおなかが鳴る。グラタンもやたらとおいしそう。

食後のコーヒーを飲んでいる審査委員長のダニーさんと審査員のリカルドさんの隣のテーブルに着き、映画祭事務局の木村美砂さんと合流。同い年で甘いもの好き同士の木村さんとパンをどっさり食べながら、女性が働き続けることについて話す。

審査は11時から。ダニーさんには英語、リカルドさんにはスペイン語、ホン・サンス監督には韓国語の通訳がつき、公用語の日本語に訳されたものをそれぞれの言語に訳し直すという四か国語会議。これまでにも一流の通訳の方の仕事ぶりを拝見する機会はあったけれど、今日の3名の通訳さんの技量には舌を巻いた。スペイン語や韓国語がわかっているわけではないけれど、発せられた言葉と訳された言葉の間に時差はもちろん温度差も感じさせず、口ぶりや微妙なニュアンスまでそのまま伝えているような印象。外国人審査員3名は男性で通訳3名は女性なのに、通訳の言葉が本人の言葉に聞こえる。文楽の人形遣いの黒子が見えず、人形だけが動いているように見える、そんな見事な一体化のワザを見せてくれた。

その通訳さんたちが、14時半過ぎまで3時間以上にわたって続いた会議の後に「こんな面白い会議は久しぶり」と興奮で疲れを吹き飛ばしたほど、審査は白熱し、ドラマティックに展開した。受賞作を選び出すプロセスは審査委員長に委ねられる。ノミネート作品12本をある程度絞り込んだ中から5つある賞を振り分けていくのではなく、賞ごとに一から絞り込みの作業をやり直す手のかかる審査方法は、それぞれの賞にいちばんふさわしい作品を丁寧に選びたいという今年の審査委員長の心意気と真摯さの表れ。12作品のラインナップの多様さもさることながら、各審査員が推す作品は各自の価値観や好みを反映して、こうも多様な反応があるものかと驚くほどばらけた。ある審査員が満点をつけた作品に別な審査員は0点をつける。その落差が互いの主張を聞くうちに歩み寄りを見せたり、それまで誰も言及していなかった作品に突然光が当たったり、議論はジェットコースターさながら乱高下する。その波に乗ったりのまれたりを繰り返しながら、言葉の応酬だけでこんなスリルを味わえるなんて、とわたしの血は騒ぎっぱなし。やがてジェットコースターは滑るような走りとなり、静かにUnanimous(満場一致)に着地する。陪審員たちの裁判での議論を描いた『12人の怒れる男たち』を彷彿とさせるような劇的な審査が5回にわたって繰り広げられたのだった。

同じ作品を観ても、こうも受け止め方が違うものかと驚きつつ、自分が見落としていた点の数々を発見。賞は今回出品された作品に対して授けるものであるけれど、賞が今後も作品を撮り続ける監督へのエールになると考えれば、まだ観ぬ未来の作品を視野に入れることにも意味がある。監督はどんな人だろうという想像力はわたしにも働いたけれど、他の審査員たちは「監督はどの国でどういう教育を受けた人か」「どういう思想を持った人物であるか」まで思いを馳せた上で作品を吟味し、デジタル映画祭であることを踏まえて「デジタル技術をいかに駆使しているか」という視点で作品を評価することにも気を配っていた、物語の読解力はもちろんのこと、技術的な部分を観る目もまだまだ養わなくては。


未熟な自分がこんな席に着かせてもらっていいのだろうか、とありがたいやら恐縮するやら興奮するやらで大忙しのうちに、はじめての映画審査は終わった。集中力を緩めて味わったお昼のお弁当を一気に平らげ、浦和パインズホテル自慢のケーキもするりと胃に納め、5つのunanimousの余韻に浸った。

2007年07月26日(木)  エアコンの電源が入らない
2005年07月26日(火)  トレランス番外公演『BROKENハムレット』
2004年07月26日(月)  ヱスビー食品「カレー五人衆、名人達のカレー」
2002年07月26日(金)  映画『月のひつじ』とアポロ11号やらせ事件
2000年07月26日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月25日(金)  SKIPシティ国際Dシネマ映画祭7日目 審査員ディナー

埼玉県川口市のSKIPシティにて長編作品2本を鑑賞し、国際コンペティション部門審査対象の全12作品の鑑賞を終える。いよいよ明日は審査会議。その会場でもある浦和ロイヤルパインズホテルへ移動し、審査員ディナー。映画祭ディレクターの瀧沢さんより審査方針の説明があり、「大賞(賞金1000万円!)は必ず一本選出してください」と言われる。意見が分かれて該当作なし、あるいは2本で分かち合うという形はナシ。そのためにも昨年4名だった審査員は、今年5名になっている。多数決を取れば偶数で引き分けることにはならないが、審査委員長のダニー・クラウツさんは「アナニモス」で決めることにこだわる。聞き慣れない言葉だけど、unanimousは「満場一致の」という意味らしい。議論を尽くし、互いの意見を聞いた上で投票し、この賞にはこの作品、と全員が納得する形で決めて行きたい、とダニー氏。明日は熱い議論が交わされることになりそう。

中華をコースで楽しみながら、話題は映画から経済へ。20年前にダニーさんが来日したときは円高だったけれど、今回はユーロが強いので、買い物天国なのだとか。電車に乗って国境を超えられ、今やパスポートの検閲もないEUヨーロッパの国際感覚は、島国ニッポンとはまるで違う。国によって線路の幅が違ったり、車両の大きさが違ってトンネルを抜けられなかったり、という問題が発生することも。規格統一するときには大国が幅を利かせ、小国は従わされる。「ドイツでバターが余ったときにロシアに送ってあげようという話になったが、根回しするうちに時間がかかり、ロシアにバターが届いたときには賞味期限切れになっていて、喜ばれるどころか怒らせてしまった」という小咄も面白かった。

今日はホテルに宿泊。一人でホテルに泊まるのは、2005年の冬に『天使の卵』の撮影で大阪に宿泊したとき以来。足の踏み場もない家で生活しているわたしにとって、すっきりしたホテルの部屋は非日常。体を伸ばせる大きなバスタブに自分一人のためだけにお湯をたっぷり張る贅沢。湯上がりにお茶を飲んで、ソファにふんぞり返ってテレビを観て、こういうのひさしぶりだなあとしみじみする。CNNのニュースを副音声で聞いて、英語に浸った。

2007年07月25日(水)  父と娘から生まれた二つの『算法少女』
2005年07月25日(月)  転校青春映画『青空のゆくえ』
2003年07月25日(金)  日本雑誌広告賞
2000年07月25日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月24日(木)  潜在意識?『7月24日通りのクリスマス』

監督とプロデューサーと週一回ペースで会って、映画の企画を練っている。昼過ぎから夕方まで、会っている時間の半分ぐらいは雑談に費やし、最近観た映画や昔観た映画の話になる。今日、どういう流れからか、わたしの口から『7月24日通りのクリスマス』の話題が出た。たまたま三人とも観ていたことがわかり、ヒロインの妄想に出て来て恋を応援するポルトガル人の父子は『アメリ』をやりたかったのかなあ、などと話した。

そのときは何も思わなかったのだけど、家に帰って、今日の日付が「7月24日」であることに気づいて、あらっと思った。『7月24日通りのクリスマス』が公開された2006年秋、わたしは六本木ヒルズのTOHOシネマのママズシアターでマタニティビクス仲間のレイコさんと子連れで観たのだけど、他に観た人がまわりにいなくて、それ以来、誰かとこの映画の話をしたことはなかった。ほぼ2年の間記憶の底に沈んでいたこの作品のことを今日思い出したのは偶然ではなく、無意識のうちに「7月24日」という情報が記憶野の深いところをかき回した結果なのかもしれない。「なんで、突然こんな話してるんだろ」と不思議に思うことがわたしはよくあるけれど、自分でも気づかないうちに記憶につながるスイッチが押されているんだろうなあと想像した。

2007年07月24日(火)  マタニティオレンジ150 自分一人の体じゃない
2000年07月24日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月23日(水)  神楽坂の隠れ家で、英語で映画を語る。

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭5日目。審査委員長のダニー・クラウツさんとダニーさんに映画製作を教わったという百米映画社取締役のジョン・ウィリアムスさんが神楽坂で飲むというので、仲間に入れていただく。炉端焼き屋『てしごとや 霽月 (てしごとやせいげつ)』の個室に集まった約10名は国籍様々な映画関係者。審査員のリカルドさんもダニーさんとともにはるばる川口市からやってきて、「SKIPシティから抜け出したのは初めて」と言う。観光したい気持ちはヤマヤマだろうけれど、お二人とも審査にいそしみ、飲んでいる間も映画の話。根っからの映画人だ。

宴の公用語は英語で、合作映画の進め方なんかを語っている。天井が低い隠れ家みたいな部屋を飛び交う異国の言葉の映画の話は、秘密の香りがする。わたしの英語は友だちを作って意気投合するまでは出来るけれど、深く語り合うには拙すぎ、聞き役に回ってしまう。以前わたしが関わったものの成立しなかった海外ドラマの日本版を作るという企画のオリジナルを観ていた日本人の女性がいて、そのドラマの話で盛り上がった。

2007年07月23日(月)  マタニティオレンジ149 ダンボールハウス
2005年07月23日(土)  映画『LIVE and BECOME』・バレエ『ライモンダ』
2004年07月23日(金)  ザ・ハリウッド大作『スパイダーマン2』
2003年07月23日(水)  チョコッと幸せ


2008年07月22日(火)  マタニティオレンジ314 おっぱい「まだ でる!」たま1才11か月

一昨年8月22日に生まれた娘のたまは、2才の誕生日まで、あと1か月。「魔の2才児」の助走は始まっていて、日に日に自己主張が強くなっている。「あんよ たい!」(歩きたい)と言い張るのでベビーカーに乗せずに出かけると、「ここ たい!」とだっこをせがまれて閉口する。「ぬぎぬぎぽん たい!」(服を脱ぎたい)、「くるくるここ たい!」(バスタオルをぐるぐる巻いてだっこしてほしい)、「でで たい!」(出たい)、「ねんね ない!」(寝ない)、「ねんね たい!」(寝たい)と、お風呂に入ってから寝るまでの間にも要求は刻々と変化する。毎日のように仕入れて来る新鮮なコトバを駆使して交渉上手になっていく姿を見ていると、「コトバは意志を伝えるための道具」だなあとあらためて思う。伝えたい気持ちがコトバを求め、磨かせる。

つい先日のこと、「とんとん!」とおっぱいを欲しがり続けるので、「もう出ないよ」と言ったところ、「まだ でる!」と泣きながら言い返してきて、ダンナと大笑いした後に、「もう」と「まだ」の使い分けができるとは、と驚いた。実際には「もう」という単語を知らないので「まだ」を使うしかないのだが、普段はnot yetの意味合いで使っている(「うんちは?」と聞かれて「まだ でない」のように)のをstill moreの意味合いでも使いこなしたことに感心した。2才を前にしても卒乳の気配はなく、トイレトレーニングも「まだ!」。

この一か月の目覚ましい変化は、助詞を使えるようになったこと。「ママと いく」「ママと いっしょ」と「と」を使うときは、二人で出かけたいとき。パパに手を引かれて出かけるときには、「ママも くる?」と振り返る。「ここに ある」「あっちに いく」など、場所や方向の「に」も使いこなすようになったが、これに相手を示す「に」が加わり、昨日わたしが打ち合わせから戻ると、「ママに コーローケ」と得意げに指差した。「じいじばあばの家から持って帰ってくれたのね」とお礼を言ったら、ダンナが実家でのエピソードを披露してくれた。たまはコロッケを夢中で食べた後に「ママに コーローケ」と言い出し、ダンナ母が「どうしよっかなー」とふざけてはぐらかしたら、テーブルに突っ伏して泣いたという。自分が食べておいしかったものをママにも食べさせたい、その気持ちがいじらしい。親は子を喜ばせるために心を砕くけれど、子どものほうから笑顔以上のお返しが来るようになった。

人を笑わせたいというサービス精神も旺盛。今月お目見えした芸は、「バレリーナ」。レッスンバーよろしく柱などにつかまって片足をひょいと上げ、「バレリーナ」のかけ声とともにポーズを決める。それだけでも笑いを誘うのだけど、「あれ?」と首を傾げる仕草がまたおかしい。自分で突っ込みを入れるなんて、誰に教わったのか。関西人の血ゆえの天然仕込みなのだろうか。機嫌がいいときはいつもフンフン鼻歌を歌っている。「ハッピーバースデー ディア あま〜」と2才の誕生日に向けてバースデーソングを練習中。

2007年07月22日(日)  マタニティオレンジ148 ダブルケーキに仰天!たま11/12才
2005年07月22日(金)  万寿美さん再会と神楽坂阿波踊り
2002年07月22日(月)  10年前のアトランタの地下鉄の涙の温度


2008年07月21日(月)  マタニティオレンジ313 なす術なし!の手足口病

先週の金曜日、打ち合わせを終えて娘のたまを保育園に迎えに行くと、「さっきから熱が出て、今また上がって38度6分です」と保育士さん。「手首と足と口のまわりと口の中にブツブツができていますから、手足口病かもしれません」と言われて小児科へ直行すると、予想的中。体の抵抗力が落ちたときにウィルスに負けて引き起こされる
症状だそうで、薬はとくにないとのこと。

「ブツブツが出てしまえば熱は引くし、ブツブツにはとくに痛みやかゆみはないけれど、口の中にできたものに限っては、しみるので、食べるときに痛がるかもしれません」というお医者さんの言葉通り、熱が引いてからが大変だった。食べものを口に入れるたびに顔をしかめて「いたい!」と泣く。空腹と痛みに加えて、食欲はあるのに痛くて食べられないもどかしさと不満が苛立ちを募らせ、機嫌は悪くなるばかり。可哀想にと同情を誘われるけれど、親にもどうしてやることもできない。丸三日苦しんで、ようやく今夜あたりから少し食べられるようになったけれど、それまでは白いご飯さえも受けつけないほど固形物は一切ダメで、牛乳とお茶とおっぱいでしのいだ。一度なれば免疫ができるという類いのものではないらしく、弱っているときにウィルスが入ってくれば何度でもなるというのが厄介だ。

「手足口病? 何それ?」とダンナ母は初耳のように言い、「うちの三人の子どもたちは一度もかからなかったから特殊な病気に違いない」と言い張ったけれど、わたしが子どもの頃から身近にあって、「てあしくちびお」と呼んでいたのを覚えている。わたし自身がかかったときの記憶なのか、妹や弟がかかったときだったか。そのものずばりの病名が子どもにも親しみやすく、覚えやすいがゆえに忘れられなかったのだけど、今回「手足口病」をネットで調べて、英語では“hand-foot-mouth disease”と呼ぶことを知った。日本オリジナルのネーミングかと思いきや、直訳なのだろうか。

2007年07月21日(土)  体に寄り添う仕事用の椅子
2005年07月21日(木)  日本科学未来館『恋愛物語展』
2004年07月21日(水)  明珠唯在吾方寸(良寛)
2002年07月21日(日)  関西土産
2000年07月21日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月20日(日)  映画祭と日常を行き来する通勤審査員

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2日目。今日から国際コンペティションの長編部門と国内コンペティションの短編部門が始まり、会期中に各作品2回の上映機会がある。昨日はオープニングだから盛況だったけれど、今日はどうだろう、と行ってみると、朝一番の上映から立ち見が出るほどで、初日だけじゃないんだ、となんだかうれしくなった。長編部門の審査員5人は12本のノミネート作品を観た上でクロージング前日の審査会議で受賞作品を選び出す。どの作品をどのように観てどのような感想を持ったかについて、審査が終わるまでは記さないほうが良さそう。どれもクオリティが高く紹介したい作品ばかりで、一度目の上映で観た作品を「ぜひ観るべし!」と二度目の上映に誘うことができたらと思うのだけど、それができないのは歯がゆい。

今日は審査委員長のダニー・クラウツさんと審査員のリカルド・デ・アンジェリスさんとそれぞれのアテンドの通訳さんと行動を共にした(写真は会場に特設されたシネマカフェでの休憩時に食べたカレーパン)。ダニーさんはオーストリアでDOR FILMという製作スタジオを立ち上げ、100本以上の映画やテレビをプロデュースされている。「こっちが3才の娘で、こっちが18才の娘」と子どもの写真を見せてくれたので、「15才も離れているの」と驚いたら、「他に5人いる」と言われて、もっと驚いた。「映画作りと子作り、とても生産的な人生ですねえ」と感心。映画祭の会期中に妻と子の誕生日があるので、プレゼントを日本で見つけなきゃと言う。精力的に仕事をこなしつつ家庭を楽しむ大らかさに好感。

リカルドさんはアルゼンチンの撮影監督で、3作目の『A Place in the world』がアカデミー賞候補に。16本撮った長編作品のうち8作品がデジタル撮影で、南アメリカにデジタル技術を広めている。とにかく機械が好きで、記録撮影のクルーが担いでいるカメラや会場にあるハイビジョンテレビなどに興味津々。英語は片言だけどコミュニケーション能力はバツグンで、表情が実に豊か。この人のいる現場は笑い声が絶えないだろうなあ。あるいは、南米の人たちって、皆さんこんなに陽気なんだろうか。9才の孫娘の写真(ご自身で激写)を見せて自慢するお茶目なじいじでもある。

スペイン語の響きが好きで、イタリア語とともにぜひ習得したい言語なのだけど、リカルドさんが話しているのを聞いていると、ますますその気持ちが募る。ジャケットは「ジャケッタ」。上着は「カンペッラ」。ここ(この席)は「アキ」。「アキは日本語で空いてるって意味」だと教えると、「アキ、アキ?(ここ空いてる?)」。おいしいは「デリシオーソ」も使うけど、「リコ」のほうが簡単でかわいい。

「映画祭と家をback and forthするのかい?」とダニーさん。家から会場まではドアtoドアで40分ぐらいなので余裕で通える。だけど、映画祭に通勤する難点は「浸る」ことができないこと。家に帰れば乳飲み子が泣き、洗い物は満載。食事を作っている間に今日スクリーンで観た映画の数々は吹っ飛び、頭の中は現実に支配される。これまで行った函館や宮崎や夕張の映画祭では、その街に滞在するという非日常の中に映画というさらなる非日常があった。線として映画祭を楽しむ滞在型に比べ、映画と日常を行き来する通い型は、断続的な点での体験となる。でも、それはそれで面白く、娘に授乳しながら「人生にとって映画とは何だろう」なんてことをふと考え、「そもそも映画とは映画館を出て日常に戻って行く人のためにあるのだ」なんて当たり前のことにあらためて気づいたりしている。

2005年07月20日(水)  立て続けに泣く『砂の器』『フライ,ダディ,フライ』
2002年07月20日(土)  トルコ風結婚式
2000年07月20日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月19日(土)  世界は広くて狭い! SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008開幕

5月に長編国際コンペティション部門の審査員を打診されて存在を知った、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭。今日から27日まで9日間開催される第5回のオープニングセレモニーに参加するため、会場となる埼玉県川口市のSKIPシティを初めて訪れた。映画祭期間中は無料シャトルバスが会場と結ぶ川口駅は、わが家の最寄り駅から乗り継ぎを含めて20分ちょっと。こんなに近いのに足をのばす機会がなかった川口市とSKIPシティに、縁あって何度か通うことになる。

川口シティの中に位置するSKIPシティとは、うまく説明するのが難しいけれど、埼玉県や川口市や企業が、ここから何かを生み出そうとしている情熱と希望が詰まった拠点で、映画祭はそのパワーがひとつの形として発信されたものと理解している。控え室で名刺交換した後、オープニングセレモニーの挨拶に立たれた上田清司県知事と岡村幸四郎市長も気合い十分。夕張の映画祭を盛り上げた中田市長のスピーチも熱かったが、こちらも負けていない。アメリカのVariety誌が選んだ「世界の見逃せない映画祭50」に日本国内で唯一名を挙げられたのがSKIPシティの映画祭だとか。長編コンペ部門の受賞者が翌年カンヌで受賞したり、実力のある監督たちが目指す映画祭にもなっている様子。「Dシネマ」のDはdigitalで、この映画祭でかけられる作品は長編短編ともに撮影から上映までを一貫してデジタルで行う。世界的にはデジタルでの上映環境が整っているのはアメリカが突出していて、日本はまだまだデジタル上映に対応できる劇場が少なく、「デジタルで撮ってフィルムで映す」というもったいないことをしているデジタル作品が多いという。

そんな興味深いデジタル事情を垣間見られた開会スピーチのリレーに続いて、オープニング上映はシネマ歌舞伎の『人情噺文七元結(もっとい)』。いわゆる「劇場中継」のジャンルがデジタル技術の発達で飛躍的にグレードアップし、一流の生の舞台を特等席で観る感覚を映像で味わえるようになった。今後サンプルとして紹介された英国ロイヤルバレエ団の『ロミオとジュリエット』の映像の美しさと臨場感に目を見張る。「映画館で観られる映画以外のもの=Other Dightal Stuff略してODS」と呼ばれるこのジャンルは、今後新たな観客を映画館に呼び込むコンテンツとなりそう。

さて、『文七元結』の監督は名匠・山田洋次氏。たしか明治の頃に書かれたという脚本にも手を入れ、よりわかりやすい人情噺に仕立てたという。上映前に紹介されたメイキング映像で役者さんと打ち合わせする監督の姿が映り、生身の監督に一度だけお目にかかったことがあるのを思い出した。松竹の打ち合わせ室を訪ねたとき、見知らぬ初老の紳士が先に席に着かれていて、部屋を間違えたかなと思って引き返したところに、同じ打ち合わせに出ることになっていたプロデューサーが現れた。「あの、どなたか入ってらっしゃるんですけど」とわたしが言って部屋まで確認に行ったプロデューサーは、「どなたか、というより、山田洋次監督ですよ」と呆れていた。そのとき一瞬お会いした紳士と同じお顔がデジタル映像で、はっきりくっきりと映っていた。

話を映画本編に戻して、この『文七元結』、デジタル映像のクオリティの高さもさることながら、監督が翻案した効果なのか、物語が実に明快でよくできていて、台詞もわかりやすく、解説ぬきでこれほど内容を理解できた歌舞伎は初めてだった。英語字幕を同時に読むことで、より理解が深まった部分もあるかもしれない。字幕の英訳も見事で、日本語がわかる観客とわからない観客が同じタイミングでどっと笑った。上映前に話しかけて来たレバノン人男性のビシャラ・アテラ(Bshara Atellah)さんに「どうだった?」と感想を聞くと、「人を信じなさいとか自分に正直でいなさいとか、子どもの頃に教わったけど忘れていたことを思い出させてくれる作品」と激賞。『Under the Bombs 邦題: 戦禍の下で』の助監督・スタイリスト・ジャーナリスト役を務めた彼はわたしが知り合った初めてのレバノン人(レバニーズという)。歌舞伎が好きで、これまでにもシネマ歌舞伎を観たことがあって、「日本にすごく興味があったから来日できてうれしい。それだけで賞をもらったも同然」と言う。彼のほうは日本を熱く語ってくれるのに、わたしはレバノンってどんな国なのか、ほとんどイメージが浮かばない。世界地図のどの辺にあるのか、左のほう……ぐらいしかわからないのが情けない。

世界の75の国と地域から693編が集まったという長編部門。12本に絞られたノミネート作品の監督など関係者はSKIPシティに招かれ、会期中滞在し、最終日の審査発表を待つ。レバノンのほか、スペイン、トルコ、中国、エストニア、ドイツなど様々な国から若い才能が集まって来て、映画の未来を背負って立つ意気込み十分の彼らが持ち込んだ「気」が会場に渦巻いている。広告会社時代に行ったカンヌ国際広告祭の熱気と興奮を思い出し、わたしも10才ぐらい若返った気持ちになる。そういえば、カンヌへ行ったのは、ちょうど10年前、1998年だった。

オープニングパーティでは法被を着ての鏡割りを体験。わたしを審査委員に挙げてくださったプロデューサーの戸山剛さんとも挨拶できた。2年前の函館港イルミナシオン映画祭で名刺交換させていただいた戸山さんは、現在、『風の絨毯』の益田祐美子さんがプロデュースする『築城せよ』劇場公開版のラインプロデューサーとして制作準備に奔走中。戸山さんが最近まで在籍していた百米映画社(100 Meter Films)社長のジョン・ウィリアムスさんの師匠が今回の長編部門審査委員長であるダニー・クラウツ(Danny Krausz)さん。映画の世界は人と人のつながりが命で、国際映画祭は、世界に目を開かせてくれると同時にit’s a small worldを感じさせてくれる。

2007年07月19日(木)  忘れ物を忘れる速度
2005年07月19日(火)  会社員最後の日
2002年07月19日(金)  少林サッカー
2000年07月19日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月18日(金)  マタニティオレンジ312 『JUNO』を観て思い出した9か月

これは観なきゃと思っていた映画『JUNO』をついに観た。16才の女子高生がまさかの妊娠をして……という話。だけど、暗くも説教臭くもならず、おしゃれにかわいく作られている、とすでに観た人の評判はすこぶる良い。画面に登場したJUNOは、いきなりガロンサイズ(4リットル弱!)のジュースをグビグビ飲んでいる。妊娠の事実をなかなか受け入れられず、3本目の妊娠検査薬のために水分補給していたことが後でわかるけれど、「そうそう、妊娠初期は喉が渇くのよね〜」とわたしは勝手に勘違いして共感。2年前の今頃は8か月のおなかを揺すって、ペンギンみたいにペタペタ歩いて、せりだしたおなかの上に汗の水たまりを作っていたっけ。旅行したことのある土地の風景を懐かしむように、妊娠という旅の記憶をたどりながらの鑑賞となった。

ヒロインとわたしは妊娠時で二倍以上の年の差があり、片や未婚の高校生、片や既婚の仕事持ち。妊娠以外の共通項はないぐらいなのに、JUNOの気持ちがすっごくわかる。何者かが自分の中に芽生えて、日に日に大きくなることの神秘と畏れ。あの感覚はJUNOも初めてだったけど、わたしも初めてだった。結婚していて収入も貯金も十分あって年齢も十分熟していたくせに、妊娠がわかったとき、わたしは動揺した。産婦人科の先生に「今さらその年で『まさか』はないでしょう」と苦笑されたけれど、会社を辞めて脚本をバリバリ書こうという矢先だったから、「これからってときに……」と焦った。実際は、妊娠してむしろ調子づいたぐらいで、出産間際までバリバリ書けたし、妊娠・出産を体験することで書きたいものも広がったし、子育てしながら今も書き続けているけれど、そのときは失うものの大きさに気を取られていて、家族が一人ふえるということ以外に得るものがあるなんて想像していなかった。

主人公が決断を迫られる出来事に直面して、答えを出しながら成長していく、というのは、ストーリー作りの王道だけど、JUNOを見ていて、思い出した。妊娠から出産にかけては、人生最大の決断キャンペーン。「いつ、誰に、どんな風に告げる?」の迷いは、おなかが目立つまで知り合いの人数分続くし、「いつまで仕事を続ける?」「いつから再開する?」「どこで(病院? 助産院? 自宅?)産む?」とセットで「どんなスタイルで産む? (分娩台、水中出産、フリースタイルなど選択肢いろいろ)」に悩む。「家族を立ち会わせるか否か」「事前に性別を聞いておくのか」「犬帯を締めたり戌の日参りのようなことはやるのか」……披露宴みたいに招待客がいるわけでもないのに、決めることが山ほどある。しかも、子どもが出てくる9か月後までに決めなきゃいけない。実際には妊娠に気づいたときには残り時間は8か月ぐらいになっている。わたしは産む気持ちが揺らいだことはなかったけれど、大きくなっていくおなかを見ながら「もう引き返せない」と思ったことは何度もあった。こちらの心の準備が整っていようとなかろうと、おなかの中身は着々と外に出る準備を進める。
「時間の枷」もストーリーを盛り上げる大きな要素。妊娠期間は普通に過ごしているだけでも十分ドラマティック。

忙しい役所よりも決裁事項が山積みなのに、人の命、一生に関わることだから、安易には決断を下せない。羊水を採って先天性異常を調べる検査を受けるかどうかの選択は、産まれてきた子に障害があっても受け入れる覚悟があるかどうかを問われる。名前は、どんな人生を歩んで欲しいかの祈りでもある。答えをひとつ導き出すたびに、自分はまだ見ぬおなかの中の命とどう向き合おうとしているのか、態度が定まってくる。おなかが大きくなるにつれて妊婦の腹が据わってくるのは、おなかの中身について考え続ける(そうせざるを得ない)からだと思う。

「産むかどうか」悩んだ末に「産むけれど別の人に託す」選択をしたJUNOには、産むことへの迷いと戸惑いがつきまとい、思いっきり動揺する。だけど、流されない。壁にガンガンぶつかり、不安や苛立ちをぶちまけながらも、自分の直感を信じて、こっちだと思った方向へ突き進み、未来をひとつひとつ選んでいく。その真っすぐさが、観ていて気持ちよかった。怖いぐらいのスピードでおなかの中の命が育つ一方で、おなかの主もかつてないスピードで成長する。あの激動の9か月の興奮と手ごたえを思い出させてくれたJUNO。失ったものはたくさんあったはずなのに、出産を終えた彼女が不幸せに見えなかった。

2004年07月18日(日)  ニヤリヒヤリ本『ニッポンの誤植』
2000年07月18日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月17日(木)  最近食べたお菓子

会社に勤めていた頃、朝出社するとオフィスのあるビルの地下の喫茶店でモーニングを食べ、ランチの後にお茶をし、午後はカフェでアイデア出しをし、知り合いが訪ねてくればまたカフェへ行った。お茶するために会社に行っているようなものだった。会社を辞めてフリーになって、その機会がめっきり減った。喫茶店で顔合わせや打ち合わせをすることはときどきあるけれど、打ち合わせ相手に「お茶しない?」と声をかけるのは毎日顔を合わせる同僚たちに比べてハードルが高い。そういうわけで、このごろはもっぱら家でお茶している。

最近食べておいしかったもの。先日バレエを隣の席で鑑賞したカヨちゃんがおみやげにくれた神楽坂のPetit Bave(プティ・バーブ)というお店のクッキーいろいろ。「baveってフランス語でよだれって意味なんだって。フランス人とのハーフの友だちが、お店の前を通る前に笑うの」とのこと。お隣には「Bistro de bave」(よだれビストロ)があるそう。たぶん「よだれが出るおいしさ」という意味を込めたのだろうと想像。その意図を汲み取れる、ちょっぴりよだれが出る味。

日光の『明治の館』はティールームの雰囲気が大好きで、何度か行ったことがある。ニルバーナというチーズケーキが絶品で、上品な甘さのヨーグルトも絶妙なおいしさ。乳製品系が強いのは、近くの牧場から新鮮な牛乳が運ばれてくるからだろうか。いただきものの焼き菓子の圧倒的な幸福力も、優秀なバターの賜物かも。

焼き菓子といえば、銀座プランタン地下に入っているmielのドーナツをようやく体験。ドーナツを揚げるのではなく焼くという新発想が売りで、未知との遭遇を期待したのだけど、食感も味も固めのカステラのような感じ。「焼きドーナツ」といえば新しいけれど、「穴のあいたカステラ」とも言える。開店して間もない頃は一時間待ちの行列が伸びていたけれど、今日は待ち時間ゼロ。皆さん、一度食べて納得してしまわれたか。

うまいと評判のドーナツをあちこち食べ比べているけれど、近所の豆腐屋・太田屋の「おからドーナツ」の右に出るものがなかなか現れない。おいしい豆腐は揚げてもおいしい。揚げ菓子独特の油感を味わえるのに、5個入りパックを一気に平らげても胃がもたれない軽やかさ。5個350円というお値段もブラボー!

そして、7月前半に食べたいちばんおいしかったお菓子は、知人宅でごちそうになったケーニヒスクローネのシュークリーム。ここのお菓子はことごとくわたし好みだけど、シュークリームは初めて。栗入りシューの、その名はミュンヘン。チョコ味よりオーソドックスな皮が好み。シュークリームランキングの2位に浮上する勢い(一位のウエストは不動)。

2007年07月17日(火)  マタニティオレンジ147 働くお母さんの綱渡り
2005年07月17日(日)  阿波踊りデビュー
2004年07月17日(土)  東京ディズニーシー『ブラヴィッシーモ!』
2000年07月17日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月16日(水)  JASRAC著作権料9円!

著作権とはありがたいもので、これまでに脚本を手がけて映画やドラマになった作品の二次使用料が、再放送されたり海外で放映されたりDVDが売れたり借りられたりするたびに入ってくる。月に一度、こういう名目でいくら入りましたという報告書が、わたしの著作権料の管理を信託しているシナリオ作家協会から届くのだけど、報告書に並んだ作品の名前を見ながら、あちこちに旅立った親孝行なわが子たちがせっせと仕送りされているような、くすぐったい気持ちになる。シナリオ作家協会の会費(ひと月3000円)を数か月分天引きされたらチャラという月もあれば、会社員時代の給料ひと月が何にもしないで転がり込むこともある。

たべものソングの作詞も手がけるようになって、こちらはJASRACからの報告書が音楽制作会社経由で3か月に一度送られてくる。先日届いたばかりの最新版を見て、目が点になった。この3か月で発生した著作権使用料は、なんと9円。こんな微妙な数字、稼ごうとしてもなかなか難しい。DVDがどーんと売れたときよりも、1桁の衝撃は大きかった。

2005年07月16日(土)  『リトルダンサー』と『アマデウス』と『マノン』
2004年07月16日(金)  島袋千栄展 ゴキゲンヨウ!


2008年07月15日(火)  6本めの長編映画『ぼくとママの黄色い自転車』撮影中

『パコダテ人』『風の絨毯』『ジェニファ 涙石の恋』『子ぎつねヘレン』『天使の卵』と来て、6本目に脚本を手がけるの長編映画のタイトルは『ぼくとママの黄色い自転車』。2005年秋に撮影された『天使の卵』以来、約3年ぶりの映画で、7日にクランクインし、現在小豆島で撮影中。お天気に恵まれ、とてもきれいな絵(映像)が撮れているとのこと。

監督は『子ぎつねヘレン』の河野圭太さん。声をかけてくださったのは、ヘレンのプロデューサーだった共同テレビジョンの井口喜一さん。アニマルトレーナー(母に会いに行く少年・大志とともに旅をする子犬が登場)の宮忠臣さんもヘレンつながり。さらに、ヘレンで警官役だった阿部サダヲさんが父親・一志役で出演。母親・琴美役は鈴木京香さん。大志少年は『いま、会いにいきます』の武井証くんが演じる。主題歌はさだまさしさんの書き下ろしというのも楽しみ。

原作は新堂冬樹さんの『僕の行く道』。母を想う少年の一途な想いに心を打たれるこの物語に、出産後にめぐりあえたのも何かの縁かもしれない。母親の気持ちが少しはわかるようになってきた今だから、「自分だったら」という目で原作に向き合い、脚本を書けたように思う。「母親とは」「家族とは」……議論を重ね、脚本を作りながら、考えさせられた。映画を観る人にとっても、親子の絆を問いかける作品になりますように。

2007年07月15日(日)  MCR LABO #4 愛憎@shinjukumura LIVE
2004年07月15日(木)  見守る映画『少女ヘジャル』
2002年07月15日(月)  パコダテ語
2000年07月15日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月14日(月)  英国ロイヤル・バレエ団 日本公演2008『眠れる森の美女』

仕事で行けなくなった友人T嬢の代わりに、上野の東京文化会館で英国ロイヤル・バレエ団『眠れる森の美女』を観る。舞台正面4階席の1列目。オケピも見渡せて、隊形(というのだろうか)の変化もよくわかる。T嬢との共通の友人であり、バレエ公演で何度か顔を合わせているカヨちゃんとお姉さん(いまいまさこカフェ日記の愛読者)と並びの席で、バレエに詳しい二人に解説してもらいながら観る。「ロイヤルバレエ団は世界三大バレエ団のひとつって言われてて、クマテツがいたとこ」とカヨちゃん。「今日はクマテツは出ない?」「今はいないからね」

バレエを観るたび、動く絵画のようだと思う。幕が開き、静止していた人物たちが動き出す瞬間、絵に生命が吹き込まれたようで胸が高鳴る。ロイヤル・バレエ団の衣装は草木染めのような渋い色合いで、和菓子を思わせる。プロローグが終わった休憩のときにカヨちゃんにその話をして、「でも、洋物だからマカロンかな」と言うと、「マカロンはパリオペだね」と言われて納得。たしか『パキータ』を観たのがパリ・オペラ座公演だった気がするが、おいしそうな色があふれて、砂糖菓子のようだと思った。

予備知識のありなしで理解度は大違い。「いちばん拍手もらってた紫の人がオーロラ姫?」とカヨちゃんに聞いたら、「今のは、オーロラ姫が生まれたお祝いに妖精たちがかけつけてた場面。紫の人は、妖精頭みたいなもの」とのこと。眠れる森の美女ってどんな話だったか……糸車が出てくる話だったっけ。プロローグの最後で魔女のような人が出てきて王を激怒させたのは、「この子が16歳になったら呪いがかかる」と不吉なお告げをされたから……ということは、入口でもらった別な『眠れる〜』公演のチラシで知った。

「空席が目立つのはコジョカルが出ないからかな」とカヨちゃんとお姉さん。オーロラ姫役を予定していたアリーナ・コジョカルが首の故障のため来日を断念。バレエに疎いわたしでさえ名前に覚えがあるので、彼女目当てでチケットを買ったファンは多かったはず。休憩が開けて第一幕、今日の代役に抜擢されたロベルタ・マルケスのオーロラ姫が登場。後ろの席の女性二人が文句をヒソヒソ。わたしが見ても、ヒロインの華がなく、「小さい」という印象。舞台の大きさに飲み込まれそうだ。16才という設定だからいいのか、いや、きっとよくない。第一幕の後の休憩はこの話で持ちきりで、「手足が伸びてない」「リフトの位置が悪い」「安心して観てられない」と通な観客たちの手厳しい意見がロビーを飛び交った。「オペラグラスで見たらね、オーロラ、すごい汗かいてたの。すっごく緊張して、強ばっちゃってるんだよ」とカヨちゃん。

そして第2幕、フロリムント王子と夢で戯れるオーロラ姫からは固さがずいぶん抜け、眠りから覚めた第3幕では、これがあのオーロラ姫?と見違えるほど手足がよく伸び、大きく見えた。彼方の4階席からでも表情がやわらかくなったのが感じられるほど。オーロラ姫の成長を見届けて安堵した観客からは心からのあたたかな拍手と「ブラボー!」の賞賛が贈られた。今日が公演最終日ということで、カーテンコールには「SAYONARA」の幕とともに色とりどりのリボンが下がり、有終の美が飾られた。

「オーロラ、どんどんかわいくなったね」とカヨちゃん。「呪いが解けて恋をした変化と考えれば、役作り成功?」「よく眠れて、緊張がほどけたのかもね」などと話す。今後「ロベルタ・マルケス」の名を見つけたら、今日のことを思い出して親近感を抱いてしまいそう。彼女が代役を務めたのは今日が初めてだったのかどうかわからないけれど、昨日は違うオーロラ姫と王子の組み合わせだったらしい。王子は頭髪が薄かったので、上階から見下ろす観客たちは感情移入し辛かったとのこと。以前イギリスで観た『美女と野獣』の野獣の魔法が解けた王子が現れた瞬間、「野獣のままのほうがよかった!」とがっかりしたのを思い出す。イギリス人は日本人ほど頭髪を気にしないのかもしれない。

カヨちゃんとお姉さん、お二人のバレエ教室仲間という初対面のナイトウさんと上野バンブーガーデン二階にある『音音』というお店で、夕食。「今井ちゃんがギエムにサインもらったのってこの店だよね?」などと話していると、隣のテーブルに青い鳥(ジョゼ・マルティン)とフロリナ女王(ラウラ・モレーラ)と思われる二人がやってきた。青い鳥も出演予定だったスティーブン・マックレーがアキレス腱を損傷したため代役だったけれど、堂々たる存在感だったので、「よかったですよー」と日本語で声をかけると、席を立ってお辞儀をしてくれた。

家に帰って調べると、シルヴィ・ギエムに会ったときに観た2005年の『マノン』もロイヤル・バレエ団の公演だった(>>>2005年7月16日の日記 )。バレエ団の名前を失念するぐらいバレエのことはちんぷんかんぷんなのだけど、ロンドンに行かないと観られないすごいものがはるばる上野まで来てくれて、主役交替のハプニングも含めて二度と観られないものを今夜つかまえた、という興奮の余韻はしばらく続きそう。

2007年07月14日(土)  マタニティオレンジ146 コンロの火を消した犯人
2002年07月14日(日)  戯曲にしたい「こころ」の話
2000年07月14日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月13日(日)  マタニティオレンジ311 東京ディズニーシーでパークデビュー 

一年前、娘のたまの一歳の誕生日祝いに東京ディズニーランド/東京ディズニーシーのパスポートが4枚届いた。送り主のS氏は、わたしが広告会社のコピーライターとして東京ディズニーランド/東京ディズニーシーの広告を手がけていた頃の得意先で、『パコダテ人』以来、脚本家今井雅子を応援してくださっている。

東京ディズニーランド/東京ディズニーシーのことを「パーク」、パークへ行くことを「インパーク」と呼ぶという用語を知ったのも担当時代だった。パスポートを手にしたときから、いつインパークしようか、どちらのパークでデビューを飾ろうか、と考える楽しみがはじまった。わたしはランドよりは断然シー派。開園前から見守り、取材してきた思い入れもあるし、アトラクションに並ばなくても、七つの海の風景を眺め、あちこちから流れてくる音楽に耳を傾けながら歩いているだけで異国情緒を味わえて楽しい。……といったこともコピーでも書いていたけれど、実際そう思う。身長80センチ足らず2才未満のたまが乗れるアトラクションはどのみち限られているし、一家三人でシーへ行ってみることにした。

結果は大正解。たまは「うみ!」「ふね!」と歓声を上げ、シーの街並みを一目見て気に入った様子。おまけに、たまの大好きな「みじゅ!」が至るところにある。水飲み場で手足を濡らし、喉を潤し、水瓶のスプリンクラーの前でびしょ濡れになり、噴水に手を浸し、大はしゃぎ。チップとデールが船からホースで水をまく、というイベントは時間が合わなかったけれど、これに出くわしていたら大興奮だっただろう。

大人には何でもないことを喜ぶ、という発見では、S.S.コロンビア号3階ダイニングルーム脇の誰もいない木の廊下をいたく気に入り、なかなか立ち去ろうとしなかった。日陰でいい風が通り抜け、大人がひと休みするにもちょうどいい穴場。コロンビア号はわたしのお気に入りの場所でもあり、昼食は2階のテディ・ルーズヴェルト・ラウンジで。うまい具合にたまは昼寝してくれ、大人はサンドイッチとお酒を楽しんだ。

シーへ行くと必ず足を向けるのが、本場さながらの歌やダンスのライブエンターテイメントを楽しめるブロードウェイ・ミュージックシアター。これだけはどうしても観たい、とベビーカーで寝息を立てているたまを連れて移動すると、ベビーカーは中へ入れないので、お子さんは抱っこしてください、と言われる。抱き上げた途端、たまは目を覚ましたが、幸いごきげん。ショーがはじまるまでの待ち時間もぐずらず、始まってからは口にくわえていた指を拍手に切りかえた。おしゃれキャットマリーが登場して「ニャーン」とダンスし、『ねこふんじゃった』の一節がピアノで演奏される場面に小躍りし、ドラムを叩くミッキーにノリノリになり、最後まで身を乗り出して見入っていた。場内が明るくなって立ち上がったとき、「ニャーンは?」と舞台に目をこらすたまの表情を見て、急に涙が出てきた。幕が降りた後、ゆっくりと夢から醒めていくときの名残惜しさをこの子も今味わっている、そんな風に思えて、愛しさがこみあげた。親の趣味に無理矢理つきあわせちゃったかなという気持ちもあったので、親が思う以上にちゃんと伝わっていたんだ、と感激した。

アラビアンコーストを歩いていたら突然はじまったストリートライブにも、たまは釘づけ。演奏するメンバーがあまりにも楽しそうで、ずっと聴いていたいほど引き込まれた。飛び入り参加の男性のエアギターがいっそう盛り上げ、たまも一緒になってジャンプ!

もうひとつ欲張って、ロストリバーデルタにあるハンガーステージで「ミスティックリズム」を鑑賞。すごい、という評判を聞きつつ、見るのは初めて。花火や火や水を使った仕掛けに巻き込まれるなら前のほうの席がおすすめとも聞いていたので、一時間前から並んで最前列の真ん中を陣取る。ジャングルに住む動物たちと精霊のダンスは躍動感にあふれ、生命の鼓動が伝わってきて心を揺さぶられる。目の前で太鼓が打ち鳴らされ、頭上を空中バレエが行き交い、数メートル先で火や水が吹き、水しぶきがまき散らされ、たまは目も口も開きっぱなし。大音量を怖がるどころか喜んでいる様子で、最後に客席に向かって噴射された霧にも大人のほうが驚いた。

大人好みなショーをおとなしく見てくれた反面、マーメイドラグーン(人魚姫アリエルと海の仲間たちが住む世界)には腰が引け、「ワールプール」(海草のコーヒーカップ)でぐるぐる回ったのが怖かったのか、さっさと出たがった。「海底2万マイル」の小型潜水艦の中でも表情は固く、アラビアンコーストの「キャラバンカルーセル」(メリーゴーランド)も、乗る前は張り切っていたくせに、動き出すと「おりる」「やめて」とべそをかいた。強がりなくせして、怖がり。「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」(シー版「イッツ・ア・スモール・ワールド」)は安心して楽しめたようで、降りるなり「もう一回」と言った。「エレクトリックレールウェイ」や「ディズニーシー・トランジットスチーマーライン」(蒸気船)に乗せたときの反応はいまひとつだったのに、降りて乗り物の形が見えると、「あれ のる!」とせがむのがおかしかった。

日が暮れてきて、最後に入ったのがアラビアンコーストの「マジックランプシアター」。3Dメガネをかけて飛び出す映像を楽しむ魔法のランプの精ジーニーのショーで、帰り道、「何がいちばん面白かった?」と聞くと、たまは目を指差して「め!」(メガネ)。わたしがディズニーランドのキャプテンEOの3D映像に衝撃を受けたのは高校生のときだった。2才前の初体験は、どえらい衝撃だったかも。夜のショーの前に引き上げ、舞浜駅まで戻ってきたディズニーリゾートライン(今日乗ったすべての乗り物で、これがいちばん気に入った)のミッキー型の窓に向かって、たまは「ミッキー!」としきりに手を振っていた。「また来る?」と聞くと、「くる!」。親子でこれから何回インパークできるかな。

2002年07月13日(土)  『寝ても覚めても』『命』
2000年07月13日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月12日(土)  ログ解析〜みなさんどこから飛んで来るの?

先日、万葉ラブストーリー募集で審査をご一緒した万葉学者の上野誠先生が「特定の日に、僕のブログのアクセス数がどっと増える現象があるんですよ。どこかのシナリオ学校の先生が、応募するならここを参考にしなさいって教えると、それを聞いた人たちが押し寄せるんですかねえ」と話されていた。残念ながら当「いまいまさこカフェ日記」にはあまり参考になる情報がないので、同じ現象は起きなかったけれど、日によって訪問者の数が跳ね上がることはある。そんなとき、日記についているログ解析機能で訪問者がどのサイトから飛んで来られたか足跡をたどると、にぎわいの原因を突き止められて興味深い。知人や友人が自分のサイトでわたしのことを話題にしている場合もあるし、見知らぬ人のブログで紹介されていることもある。最近では、全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』を制作される早瀬憲太郎監督と妻の久美さんのブログから一週間で100を超える訪問者が飛んできた。「成功させる会」に出席した模様を綴った5月31日のいまいまさこカフェ日記へ、7月3日のブログから直行してくる。『ゆずり葉』は公式サイトが開設され、クランクインに向けて準備中。 

いまいまさこカフェ日記が引っかかる検索ワードにもトレンドがあり、新作が制作発表された直後など年に何度か「検索ワード 今井雅子」がにぎわう週間がある。とくにニュースはないはずなのだけど……という場合は、お探しの今井雅子はこちらで良かったでしょうか、と心配になる。同姓同名のヨット選手、料理研究家、画家、医師などがいらっしゃるので、今井雅子違いもありうる。

最近多いのが「Yesterday is history. Tomorrow is mistery. Today is present」のセンテンスを含むサイトを検索して、いまいまさこカフェ日記にたどり着くケース。公開されたばかりの映画『カンフーパンダ』に登場する台詞らしい。6年前にアメリカからチェーンメールで送られてきた長文の最後の一節。全文は2002年6月7日から16日にかけて7回にわけて日本語訳をとともに紹介したのだけど、あらためてこちらにまとめて紹介。『時間という名の銀行』という邦題もつけてみた。わたしに回ってきたメールではタイトルがついていなかったので、6年前に「BANK」という英題をつけたのだけど、もっと気の利いたタイトルがあるのかもしれない。あらためて読み返すと、コピーライターが書いたような明快で説得力のある名文で、映画の決め台詞に採用されるのも納得。『犬と私の10の約束』の原案となった「犬の10戒(The ten commandments of dog ownership)」のようにアメリカでは広く知られたものなのだろうか。

『時間という名の銀行』  訳:今井雅子

Imagine. . . .
There is a bank that credits your account
each morning with $86,400.
It carries over no balance from day to day.
Every evening deletes whatever part of the balance
you failed to use during the day.
What would you do? Draw out ALL OF IT, of course!!!!
想像してみてください
毎朝あなたの預金口座に86,400ドル入れ
次の日には残高を繰り越さない銀行
毎晩 あなたが使いきれなかった残高は 跡形もなく消えてしまう……
あなたなら どうする? 全部引き出すに決まってますよね!

Each of us has such a bank. Its name is TIME.
Every morning, it credits you with 86,400 seconds.
Every night it writes off, as lost,whatever of this
you have failed to invest to good purpose.
It carries over no balance. It allows no overdraft.
わたしたち一人ひとりは そんな銀行を持っています
その銀行の名は 時間
毎朝 86,400秒が与えられ
毎晩 上手に使えなかった分は帳消しにされる
繰り越しはできず 貸し越しもできない

Each day it opens a new account for you.
Each night it burns the remains of the day.
If you fail to use the day's deposits, the
loss is yours.
時間は毎日あなたの新しい口座を開き
毎晩その日の残高を燃やしてしまう
その日の入金を使いきれなかった場合
損失はあなたに跳ね返ってくる

There is no going back. There is no
drawing against the "tomorrow."
You must live in the present on today's
deposits. Invest it so as to get from it the
utmost in health, happiness, and success!
The clock is running. Make the most of today.
後戻りはききません
前借りもできません
今日の預金で今を生きなくてはなりません
時間を投資して できる限りの
健康と幸福と成功を手にしましょう
時計の針は進みつづけています
今日を最大限に活かしましょう

To realize the value of ONE YEAR,
ask a student who failed a grade.
To realize the value of ONE MONTH,
ask a mother who gave birth to a premature baby.
To realize the value of ONE WEEK,
ask the editor of a weekly newspaper.
To realize the ! value of ONE HOUR,
ask the lovers who! are waiting to meet.
To realize the value of ONE MINUTE,
ask a person who missed the train.
To realize the value of ONE-SECOND,
ask a person who just avoided an accident.
To realize the value of ONE MILLISECOND,
ask the person who won a silver medal in the Olympics.
1年のありがたみを知るには 留年した学生に聞きなさい
1か月のありがたみは 未熟児を出産した母親に
1週間のありがたみは 週刊紙の編集者に
1時間のありがたみは 待ち合わせの恋人たちに
1分のありがたみは 電車を逃した人に
1秒のありがたみは 間一髪で事故を免れた人に
1/1000秒のありがたみは 銀メダルに終わったオリンピック選手に聞きなさい

Treasure every moment that you have!

And treasure it more 
because you shared it
with someone special, 
special enough to spend your time.

あなたの一瞬一瞬を大切にしなさい
特別な誰か 一緒に過ごすに値する
誰かと
分かち合った時間は
とくに大切にしなさい

And remember that time waits for no one.
Yesterday is history.
Tomorrow is a mystery.Today is a gift.
That's why it's called the present!!!
そして 忘れないでください
時間は誰も待ってくれないことを
昨日は歴史
明日は神秘
今日は贈りもの
だから「現在」は「プレゼント」なのです

2005年07月12日(火)  『子ぎつねヘレン』打ち上げで ipodをゲット
2003年07月12日(土)  15年目の同窓会
2002年07月12日(金)  『真夜中のアンデルセン』小原孝さんのピアノ収録
2000年07月12日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月11日(金)  マタニティオレンジ310 「きー」ときどき「あれ?」

娘のたまが通っている保育園の改修工事にともない、来週から仮園舎に移るので、このひと月ほど引っ越しの準備が着々と進められてきた。壁を埋め尽くしていた掲示物は取り払われてのっぺらぼうになり、ブックスタンドは空になり、カーテンは外され、一日経つごとに園舎がすっきりしていく。そんな空気を察してか、保育士さんたちの「もうすぐ引っ越しね」の言葉を理解したからか、昨日、たまはなかなか園から立ち去ろうとしなかった。空っぽのプールの階段を上り下りしたり、庭に停めたおもちゃの車を引っ張ってきたり、鉄棒にぶら下がったり、まるでもうすぐここで遊べなくなるのをわかっていて、別れを惜しむように、いつまでも遊んでいるのだった。

「好き」という言葉を教えたら、「きー」と覚え、心臓に小さな両手を当てる仕草とともに「きー」と言うようになった。「きー」の相手が人や人形のときは、ぎゅっと抱きしめる。今日のたまは、保育園の庭を駆け回りながら、全身で「きー」を表現していた。

素直に「きー」と伝える姿はとても愛らしいのだけど、はぐらかすことも覚え、「ママ好き?」と聞くと、「ママ あれ?」と首をかしげたりする。「じゃあ パパは?」と質問を変えると、「パパ あれ?」。「じいじばあばは?」「じいじ あれ? ばあば あれ?」「じゃあ たまは誰が好き?」と聞くと。「あま!」。自分がいちばん好きなのね、とあきれていると、つけ足すように「ママ きー」と抱きついてきたりして、いい大人がすっかり翻弄されている。

ところで、5月にベビーカーのピンが外れたことを日記に書いた(>>>2008年5月12日 アップリカに教えられたMOTTAINAI)が、昨日だったか、アップリカのベビーカーのリコールの記事が新聞に載った。ハンドルを留めるピンが外れやすくなっていて、苦情が相次ぎ、バランスを崩して子どもがケガをする事故もあったのだとか。中国の工場でネジを締めたのがゆるかったのが原因とのこと。問題となっている車種を見ると、うちが使っているものだった。外れやすくなっていたとはいえ購入してから一年以上持ったわけだから、定期的にネジのゆるみを点検しておけば、外れずに済んだのかもしれない。取り扱い説明書にも「定期的に点検を」と明記されている。だから、不備を公表しなかったアップリカ社を一方的に責めるつもりはないけれど、「ネジがゆるみやすくなっていますので、ご注意ください」と注意を促していれば、防げた事故もあっただろうと思う。うちは幸いピンが外れていることに気づいたのは平らな道だったけれど、下り坂でピンが飛んでいたら……と想像するとヒヤヒヤする。保証期限が過ぎても快く部品を送ってくれ、点検に駆けつけてくれたも来てくれたアップリカの迅速で丁寧な対応に「きー」となっていたけれど、背景を知って、「あれ?」となった。

2007年07月11日(水)  マタニティオレンジ145 皆様のおかげの空の旅
2004年07月11日(日)  ヤニィーズ第7回公演『ニホンノミチ』
2002年07月11日(木)  映画『桃源郷の人々』
2000年07月11日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年07月10日(木)  脚本家デビュー9周年

今日で脚本家デビュー9周年だと知らせてくれる書き込みが「いまいまさこカフェ」にあった。なんとなく今年10周年という勘違いをしていて、シナリオ講座で講義したときも、「デビューして10年ほどになります」などと口走ってしまった気がする。正しくは来年で10周年。記念オフ会をやりましょうという提案もある。そのときに合わせて作品が公開されていて、話題にできると美しいのだけど。

NHK札幌放送局で制作したラジオドラマ『タカラジマ』がNHK-FMのFMシアターで放送されたのが、9年前の今日。FMシアター放送日だから土曜日だったことになる。札幌放送局主催のオーディオドラマ脚本コンクールで『雪だるまの詩』が入選した縁で一本書かせてもらえることになり、デビューのきっかけをつかんだ『雪だるまの詩』のドラマ化作品より先に『タカラジマ』が放送された。ちょうど父イマセンの誕生日と重なり、母に放送日を伝えたら「誕生日プレゼントやね」と言われた。

7月10日は「四万六千日」とも呼ばれ、今日お参りすると、46000日分(365で割ると126年分)のご利益があるのだとか。この日にデビューするのも縁起がいいのだろうか。他に「納豆(ナットー)の日」「植物油の日(710をさかさまにするとOILになるからだそう)」でもある。わたしの好きな甘いものの記念日と重なっていたらより覚えやすいのだけど、納豆や油のように粘っこく(?)書いていこうと思う。

2007年07月10日(火)  マタニティオレンジ144 離乳食も食いだおれ
2005年07月10日(日)  12歳、花の応援団に入部。
2003年07月10日(木)  三宅麻衣「猫に表具」展
2002年07月10日(水)  『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子)
2000年07月10日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年07月09日(水)   ダニに噛まれたり 毛虫にかぶれたり

「娘にいつか悪い虫がついたら許さん!」とダンナは今から息巻いているが、娘のたまが年頃になる前に悪い虫に悩まされている。朝起きると、首筋や肘や太ももやおなかにダニに噛まれた跡が点々……。大人も被害に遭っているのだけど、子どものほうが肌がやわらかいからか、肌が新しくておいしいからか、集中的に食い物にされている。たしか、去年の梅雨時から夏にかけても悩まされ、3枚で6000円もするダニ取りシートなどを買ったりしたのだが、効き目を実感できないままに涼しくなってダニも引っ込み、忘れていたらまたダニの季節が到来したのだった。

薬を撒いたり焚いたりと化学的なことはあまりしたくないし、どうしたものかとネットで調べてみると、「掃除機をかけるのが何よりの退治法」とあった。ダニ本体や死骸や糞を始末しつつ、餌になる食べこぼしや埃を取り除いておくことで増殖をおさえられる。毎日じっくり時間をかけて掃除機をかける、それだけで激減しますとのこと。たしかに、昼間は遊び部屋にしているところに布団を敷いているので、食べこぼしもけっこう落ちているというのに、掃除機は週一回かければいいほうで、これではダニを養殖しているようなもの。早速こまめに掃除機をかけるようにし、シーツも毎日取り替えるようにしたら、目に見えて噛み跡の点々は減ってきた。必要に迫られない限り家事を手抜きしてしまうわたしに警告を与えるために、ダニ軍団は姿を見せたのかもしれない。

虫といえば、先月なかばの日中に保育園から電話があり、「先ほどたまちゃんがえびせんべいを食べた後に園庭で遊んでいたら、突然痒がり出して全身に発疹が出たのですが……」と報告された。えびアレルギーではないので、原因が考えられるとしたら、庭で何かにかぶれたのでしょうか、と答えて、早めに迎えに行くと、見るだけでこちらが痒くなりそうなブツブツ。お医者さんに診せると、「毛虫かもしれませんね」という診断だった。毛虫そのものにさわらなくても、毛が一本飛んできて当たっただけでもかぶれることがあるという。そのせいで毛虫のすみかである桜の木を切ろう、という過剰な反応もあるらしい。毛虫に住み着かれて食いものにされた上に切り倒されたのでは、桜の木にとっては踏んだり蹴ったりで、なんだか気の毒。

2007年07月09日(月)  マタニティオレンジ143 はじめてのお泊まりに大興奮
2003年07月09日(水)  LARAAJI LARAAJI(ララージララージ)
2002年07月09日(火)  マジェスティック


2008年07月08日(火)  同級生さっちゃんと19年ぶりの再会

高校時代の体操部の同期だったさっちゃんから春にメールが来て、表参道で働いているから、こっち方面に来るときは連絡してね、とあった。2年前に上京するとき、別な同級生からわたしが東京にいることを教えられ、サイトを検索して見つけていたものの、連絡しそびれていたのだという。

ちょうど今日、一年ぶりに表参道で打ち合わせが入ったので、さっちゃんに電話したところ、お昼を一緒に食べよう、となった。打ち合わせを終えて、さっちゃんの会社の方へ歩いていく途中でわたし好みのかばんと目が合った所に、さっちゃんから「今どこ?」と電話。「246にぶつかる手前のカバン屋さん」「じゃあそっち向かうわ」と電話が切れて、ほどなく現れた長身の女の人と目が合った。高校を卒業して以来19年ぶりなのに、お互い一瞬で「あ!」とわかった。9450円から大幅割引の3000円という値段にも恋をして思わず買い求めた大輪の花柄のカバンは「モロッコ生まれ、ロンドン育ち」のSOAKWEARというブランドのもの。さっちゃんに会うために普段歩かない道を歩いていたおかげで、掘り出し物が見つかった。

かまどで炊いたご飯を食べられる大かまど飯 寅福で大皿のお惣菜をつつきながら、近況報告。さっちゃんは大阪にある広告制作会社の東京支社でコピーライターをしていて、大阪では北村想さんの教室で習って戯曲を書いていたのだとか。体操部にいた頃はお互いそんな話をしたことなんかなかったのに、大人になって、ずいぶん近いところにいたことにびっくり。「また書こうかな」と言うさっちゃんに「コンクールに出してみたら?」とすすめたり、どんな芝居が好き、という話をしたり。19年分の積もりに積もった話をするにはお昼一回では到底足りず、また会おうねと約束した。

2007年07月08日(日)  マタニティオレンジ142 布の絵本とエリック・カール絵本のCD
2005年07月08日(金)  いまいまぁ子とすてちな仲間たち
2000年07月08日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月07日(月)  この夏の目玉作品『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』

12日より公開(この夏の「目玉作品」!とのこと)の映画『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』を試写で観る。エグゼクティブプロデューサーの榎望さん、プロデューサーの石塚慶生さんは『子ぎつねヘレン』でお世話になったプロデューサー。コスプレ祭りのようなにぎやかさがこの作品の大きな魅力で、前作も楽しませてもらったが、レギュラー妖怪たちにスクリーンでまた会えるのがうれしい。前作で美しすぎると思った鬼太郎(ウエンツ瑛士)は自然になじんで、ねずみ男(大泉洋)はますます板についている感じ。新顔妖怪も続々。え、あの人が!とびっくりする豪華な顔ぶれが妖怪に扮している。演じるほうもお祭りを楽しんでいる様子。前作の輪入道やろくろ首のようなインパクト系よりビジュアル系がふえ、おどろおどろしさは減ったけれど、これなら恐がりの子どもも泣き出さないかも。

原作にないオリジナルストーリーを展開した脚本は、妖怪世界に詳しい沢村光彦さん。妖怪図書館で調べものをしたり、楽器を武器に戦ったり、ストーリーは大人っぽくなったが、ギャグは前作よりも濃くなり、ダジャレも連発。同じ原作、同じ監督(『犬と私の10の約束』の本木克英さん)でも脚本やヒロイン(今回は北乃きいさん)が変わると前作とはがらりと違った印象になるのが面白い。マンネリの心配ご無用で、第三弾、第四弾とシリーズを続けていけるかもしれない。

見逃せないのは、タイトルバックに登場する鬼太郎の誕生シーン。ここは監督がこだわった場面だそうで、墓場からハイハイで出てくるベビー鬼太郎が何ともかわいい。その姿を見守る目玉親父の親目線に共感して、目を細めて見入ってしまった。原作を読んでいないので鬼太郎の誕生が描かれているのかわからないのだけど、ベビー鬼太郎が主役のバージョンも観てみたい。シングルファーザーで体が極端に小さいというハンディを負った目玉親父の子育て奮闘記、そんな親父を助ける妖怪仲間コミュニティ、たくさんの目に見守られ、愛情を注がれ、心優しい男の子に育っていく鬼太郎。ある日、親父が危険にさらされたとき、まだ赤ん坊の鬼太郎が父親を救い、親子の絆が深まる。タイトルは『ベベベの鬼太郎』!?……などと妄想してしまった。

2007年07月07日(土)  マタニティオレンジ141 5人がかりで大阪子守
2005年07月07日(木)  串駒『蔵元を囲む会 天明(曙酒造) 七夕の宴』
2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日
2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月06日(日) 串駒 天明(曙酒造)七夕宵宮の会

酒呑みではないけれど、大塚にある『串駒』は、名前を思い出すと、無性に飲みに行きたくなるお店。ここで飲んだお酒がことごとく楽しかったから、またあの楽しいお酒を、と思ってしまうのだが、ご近所仲間で行った初回以降は、「利き酒の会」目当てに足を運んでいる。お酒の作り手を招いてお話をうかがいつつ、蔵出しの酒を飲み比べるという企画。妊娠出産子育てでしばらく遠ざかっていたけれど、3年ぶりに参加することにした。

コピーライター時代にバカーディやカルヴァドスといった洋酒のコピーを書いていたわたしは、お酒にまつわるうんちく話を聞くのが大好き。お酒の味はよくわからないけれど、誕生秘話や裏話に耳を傾けながら、ほほう、それがこのお酒ですか、と一杯やるのが実に楽しく、飲み比べ(利き酒)より物語(聞き酒)に酔う。利き酒の会で知ったお酒の名前をよその店で見つけたりすると、旧友に再会したようなうれしさを覚える。

今宵の『天明』(曙酒造)の会は2度目の参加。蔵元の鈴木夫妻と『天明』の名付け親である酒ジャーナリストの中野繁氏(話術も魔術も一級で、ペットボトルに百円玉を入れてみせた)を迎え、串駒の一階と二階、すぐ近所の支店『串駒房』の三会場を三人で巡回。ちなみに『天明』は「夜明け」という意味があり、曙酒造から連想しての命名とのこと。こんなうんちく話を名付け親本人から聞けるのがこの会の魅力。

「姫」と呼ばれている鈴木夫人の酒造りの説明は、明るく楽しくわかりやすい。「はい、お酒が入りました。普通は樽で寝かせます。でも、上から使う分を取って行くと、表面が空気に当たってしまいますよね。なので、うちは作ったら瓶詰めにして冷蔵庫で寝かすんです」。大きな冷蔵庫と膨大な電気代が必要で、「だから、うちはお金が貯まりませーん」。0〜3度で保存できる冷蔵庫がある酒店だけに卸しているので、都内でも買えるお店は少ないとか。

自分たちが作りたいお酒を追求するために、長年勤めていた杜氏さんに辞めてもらい、試行錯誤しながら自分たちの手で『天明』を磨いているという鈴木夫妻。心からお酒を愛し、ひたむきに酒造りに取り組む姿勢に好感。毎年、田植えの季節には天明ファンが会津を訪れ、お酒に使われるお米を一緒に植えるのだそう。

『央』は、曙酒造から走って1分のところにある五の井酒店が、曙酒造が作った酒をアレンジして出しているお酒。鈴木夫人いわく、「五の井酒店のゴン太君がホースを引っ張っていって作っている」のだそう。このゴン太君が今日飲んだ7種類のお酒のコメントを書いたものが、さすが酒に日々向き合う人の言葉で、キレとコクがあって読ませる。大吟醸の五年熟成に寄せたコメントは「熟香と穏やかな吟香、崩れることなく残る線を旨味と優しさが包み込み、滑らかに喉へと誘います」とこちらも深い味わい。そのゴン太君が「皆様の審判をお待ちしています」とコメントした『央』の本生VS火入れは、挙手による人気投票の結果、火入れが2倍以上の差をつけて勝った。火入れというと直火にかけるイメージを持ってしまうけれど、実際には60度ぐらいで湯煎をすることらしい。それぐらいの温度で味に変化が現れるのが面白い。
1 天明 大吟醸 おり酒
2 天明 純米 亀の尾 本生
3 央 純米吟醸 黒ラベルK(中汲み澱絡み 無濾過本生原酒
4 天明 純米吟醸 山田錦(瓶火入れ瓶囲い) 
5 天明 純米吟醸大吟醸 おり酒
6 央 袋垂れ純米吟醸 白ラベルN 瓶火入(無濾過 瓶火入れ瓶囲い)
7 天明 大吟醸 無加圧 美山錦 五年熟成(無濾過 瓶火入れ瓶囲い)

一緒に参加したダンナとご近所仲間のT氏とともに通された小上がりのテーブルには、単身で参加の男性が三人と、おともだち待ちの男性が一人。一時間ほど遅れて到着したお友だちも男性で、八人のテーブルで女性はわたし一人という構成。皆さん本当に日本酒が好きなようで、話題はもっぱら「うまい酒が飲める店」。おともだち連れの二人組は高校時代の同級生で、共通の趣味である日本酒を求めてあちこち飲み歩いているそう。この二人が三十才で、あとの六人は四十才前後と、ほぼ同世代。お酒が進むにつれて年齢をばらし合い、職業を聞き出し、会ったばかりの互いのことが少しずつ見えて来る。

お酒をおいしくする会話や雰囲気はもちろんのこと、お酒を引き立てる肴も串駒は抜かりがない。誰が決めたのかはわからないけれど、「日本一の居酒屋」の呼び声も。とくに利き酒の会では蔵元の地元の名産をふんだんに使った献立を味わえる。今宵は天明の地元、会津の地の物尽くし。
い 会津産青物お浸しと油揚げ
ろ 福島産穴子と新牛蒡の煮付け
は 会津の豆腐屋さんの冷奴
に 枝豆入りさつま揚げと青唐万願寺
ほ 銀波藻(ギバサ=気仙沼産海藻)とトコロテン
へ 玉子と豚肉の煮付け
と 会津地物の胡瓜とトマト
ち 杜氏さん一本釣天然鮎 山椒煮
り 塩むすび(会津産こしひかり)と焼き茄子の味噌汁

この料理にはこのお酒が合いますね、などと批評しつつ、肴も酒も進む。裏の畑のもぎたてを洗ったばかりのような胡瓜とトマトの新鮮さには驚いた。こんなにみずみずしい野菜を食べるのは、いつぶりだろう。おまけで出された塩うにが、これまた臭みがまったくなくて濃厚な絶品。せっかくここまでと思っていたのに、酒が進んでしまうではないか。串駒は酒盗の宝庫。「醍醐味」の由来である「醍醐」の味を知ったのもこの店だった。

惜しむらくは、遅めのお昼にうどんの大盛りを食べてしまい、せっかくの御馳走を前に、いつもほど箸が進まなかったこと。うどんは根津にある『釜竹』で食べたのだけど、うどんと一緒に注文した「泉州の水茄子」と「季節野菜の天ぷら」のおいしさにも目を見張った。旬の野菜の力強さとやさしさがギュッと詰まっていて、大地の恵みをまるごと食べているという感覚。串駒といい釜竹といい、日本にはおいしいものがあるなあと唸らせてくれるお店が散歩圏内にあるのは、うれしい。

2004年07月06日(火)  拝啓トム・クルーズ様project
2003年07月06日(日)  池袋西武7階子ども服売場
2002年07月06日(土)  とんかつ茶漬け
2000年07月06日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月05日(土)  マタニティオレンジ309 ビデオより、輪になってあそぼ!

保育園を休んでいる間にすっかりビデオっ子になってしまった娘のたまが、すきあらば「バーニー みたい! タビー みる!」と訴える。親の顔より英語を話すBarneyやTeletubbiesを見ていたいと言われては、こちらも複雑。ムキになって、「絵本読もうよ」「おうた歌おうよ」と誘いかけるのだけど、「バーニー みたい! タビー みる!」と、つれない態度。一緒に遊んでくれる親より、テレビの中で動いているだけのキャラクターのほうがいいのか……。

食事のときも、お風呂上がりも、「バーニー みたい! タビー みる!」。わたし一人のときは諦めてビデオをつけてしまうのだけど、ダンナは、「たま、バーニーは今日お休みだよ。土曜日だから、ねんねしてる」と説得を続ける。そんな手に乗るもんですか、と突っ込もうとしたら、「バーニー ねんね?」とたま。「そう、ねんね。だから、たまもねんねしよう」とダンナが言うと、すなおに「うん」と言ったのには驚いた。おとなしく寝てくれるかと思いきや、布団を敷くと、その上で走り回ったり、くるくる回ったり。でも、ビデオのことをすっかり忘れている様子にひと安心。「パパも! ママも!」と誘われて、わたしとダンナも一緒にくるくる。そのうち手を取り合って、輪になってぐるぐる回ったり、ひっくり返ったり、それが『かごめかごめ』に発展したり。ビデオもいいけど、体温が伝わる遊びの楽しさ、うれしさをわが子には覚えていてほしい。そのためには、親にじくり向き合うだけの余裕が必要になる。時間的にも気持ち的にも体力的にも。

2007年07月05日(木)  桃とお巡りさん事件
2003年07月05日(土)  柳生博さんと、Happiness is......
2000年07月05日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年07月04日(金)  マタニティオレンジ308 パパのせつない片想い

娘は父親の恋人になり、息子は母親の恋人になるという。わが家もご多分に漏れず、ダンナは娘のたまにデレデレ。ところが、娘は「ママいっぽん!」で、最近は起きている時間に帰宅しても「パパこわい」とわたしの後ろに隠れてしまう。週末にべったり一緒に過ごすと、少しは気をゆるしてもらえるのだけれど、好きな人第一位のママとの差は縮まらないどころか、2位はじいじ、3位はばあばで、保育園の男の子たちも間に入り、パパはランキング外。先日も絵本を読み聞かせていたら公園の絵が出てきたので、「公園、こんど行こうね」とダンナが話しかけたら、「じいじ!」とうれしそうに返事され、「パパと行くんじゃないのか……」とダンナはがっくり。お世話した分だけなつくというのは本当だなあと思っていたのだが、今朝テレビに映っている藤原竜也さんにたまが釘付けになっているのを見たダンナが、「パパとどっちが好き?」と聞いたら、しばらくパパとテレビを見比べて考えた後に、「こっち」とテレビを指差した。

昨年の保育園の運動会、パパとお遊戯をする演目で、他の子たちがパパに駆け寄って行ったのを尻目にたまだけが棒立ちというハプニングがあった。以来、ダンナは涙ぐましい努力で娘を振り向かせようとしているのだけど、どこか空回りで、高嶺の花の気を引こうとして道化を演じているような滑稽さがある。さっき、わたしの代わりにたまを寝かしつけてくれたときのこと。いつもわたしがするように、「どんな話がいい?」と子守話のリクエストを募ったら、いつものように「わあに ダンス」という答え。わたしが作ったダンスワニの話がたまのお気に入りなのだけど、その話を知らないダンナが語り出したのは、「わにがダンスをしたら、おなかがこすれて血が出てきました……」。これ以上聞いても無駄と思ったのか、たまはさっさと寝てしまった。

今夜の子守話は、そんなダンナが数日前に作った話。「バナナがいっぽんありましたの歌の応用じゃないの?」と突っ込んだら、「歌では飛んで行ってしまうけれど、この話は分け合うのがミソ」という答えだった。歌への親しみがあるのか、たまはこの話はふむふむと聞いていた。血が流れないのも、よろしい。

子守話23 バナナがいっぽん

バナナがいっぽん みちにおちていました。
たまちゃんが てをのばすと
はんたいがわから みみちゃんも てをのばしていました。
たまちゃんと みみちゃんは りょうがわから バナナをひっぱりました。
すると バナナは はんぶんに わかれました。
ふたりは なかよく はんぶんこしてたべました。

2007年07月04日(水)  肉じゃがと「お〜いお茶」とヘップバーン
2006年07月04日(火)  2年ぶりのお財布交代
2005年07月04日(月)  今井雅之さんの『The Winds of God〜零のかなたへ〜』
2003年07月04日(金)  ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」
2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日
2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年07月03日(木)  マタニティオレンジ307 シール貼り放題!段ボールハウス 

保育園を休んで4日目の娘のたまと、家にひきこもって過ごしている。冷蔵庫はすかすかだけど、すでに一度ぶり返した風邪がまたぶり返しそうなので、買い物にも行けない。れんこん、ごぼう、タマネギ、ネギ、大根菜などの乾燥野菜、切り干し大根、麩、ひじき、干しえび……家にあるだけの乾物を戻しまくり、天かすや青のりや粉チーズやらをふりかけ、何とかしのいでいる。なんとなく買い置きしておいた乾物がこれほど頼もしい存在だったとは。

ビデオ漬けは良くないので、他の遊びで一日を過ごす。絵本を読んだり、ひもを使ってつな引きしたり(オーエスのかけ声つき)、ぬいぐるみをおんぶしたり、大きな紙に絵を描いたり。いちばん間が持ったのは「シールぺた」ごっこ。ダンボールハウスの壁に、これまた家中にあるシールをかき集めて、貼りまくる。子ぎつねヘレンのPR用シールやらどらえもん切手についていたシールやらカレンダーの予定シールやら東京マラソンの参加記念シールやら通販の粗品のシールやら……。シールをうまく台紙からはがせないときは「いっこ とって」などと言う。

ダンボールハウスは以前は屋根つきだったのが、耐震強度に問題ありで、壁が折れ曲がって倒壊する癖がついてしまったので、置き方を変えてオープンエアにした。中には子ども一人が横になれるスペースがあり、娘の隠れ家になっている。外と交流(いないないばあしたり、こちょこちょしたり)できる窓や、引っ張って遊べる紐がついている。外壁はシール貼り場になるほか、おむつやタオルなんかを引っかけて洗濯物干しとしても使える。

夕方、外の空気が吸いたくなって、熱が下がり咳も治まったたまに「でかけよっか」と声をかけると、「こうえん いく」と返事。すべり台をひとりじめして遊んだので、今日の子守話はすべり台のお話。

子守話22 すべりだい だいすき

たまちゃんがこうえんにあそびにくると
だいすきな すべりだいがありません。
「もうしわけありません。すべりだいはただいまこうじちゅうです。
かわりにわたしが すべりだいになりましょう」と
こえをかけてきたのは ぞうさんでした。
ぞうさんは たまちゃんのからだをながいはなにまきつけて
おおきなせなかにのっけました。
くびのしわしわのかいだんをよじのぼって
たまちゃんがぞうのあたまのてっぺんまでくると
ぞうさんはおおきなみみをまえにそろえて てすりをつくってくれました。
たまちゃんは てすりにつかまって はなのてっぺんにこしをおろし
ながいはなのすべりだいを びゅーんとすべりおりました。
たまちゃんがすべりおりたいきおいに びっくりして
ぞうさんはおおきなくしゃみをしました。
かぜがふいて たまちゃんは すなばまでふきとばされました。

ぞうさんのすべりだいが きにいった たまちゃんは
つぎのひも こうえんにやってきました。
ぞうさんをさがして きょろきょろしていると
「もうしわけありません。すべりだいはただいまこうじちゅうです。
かわりにわたしが すべりだいになりましょう」と
きりんさんが こえをかけてきました。
ながいくびをかしげて かおをじめんにくっつけたすがたは
すべりだいそっくりです。
たまちゃんは きりんさんのほそいあしをするするとよじのぼり
しっぽにぶらさがって いきおいをつけて せなかにとびのりました。
そして ながいくびのすべりだいを いっきにすべりおりました。
あんまりはやかったので きりんさんのきいろいからだについた
ちゃいろいてんてんが つながって しましまにみえました。

たまちゃんは つぎのひも こうえんにいきました。
ぞうさんも きりんさんもいなくて きょろきょろしていると
「もうしわけありません。すべりだいはただいまこうじちゅうです。
かわりにわたしが すべりだいになりましょう」
と わにさんがこえをかけてきました。
わにさんのせなかは ながほそいけれど ぞうさんやきりんさんのように
きゅうなさかではありません。
ちょっとつまらないなと たまちゃんはおもいましたが
「さあさあ わたしのしっぽのさきに のってくださいな」
とわにさんにいわれて しっぽのさきに またがりました。
すると どうでしょう。
わにさんが さがだちをするみたいに ぐーんとしっぽをもちあげました。
そして たまちゃんが しっぽのさきから あたまのてっぺんまで
びゅーんとすべりおりるのにあわせて
わにさんは ぐにゃりとせなかをくねらせたので
たまちゃんは わにさんのせなかのうえで ぽーんぽーんと とびはねました。

つぎのひ たまちゃんがこうえんにいくと
ぞうさんも きりんさんも わにさんもいませんでした。
そのかわり こうじちゅうだった すべりだいが できあがって
たくさんのこどもたちが あそんでいました。
すべりだいには ぞうさんと きりんさんと わにさんの えがかいてありました。
たまちゃんと すべりだいあそびをした
ぞうさんと きりんさんと わにさんに よくにていました。

2007年07月03日(火)  マタニティオレンジ140 七夕に願うこと
2005年07月03日(日)  親子2代でご近所仲間の会
2000年07月03日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年07月02日(水)  マタニティオレンジ306 雨の日も風邪の日もビデオ三昧

月曜日から娘のたまが風邪で熱を出し、保育園を休んでいる。その前の日曜日は雨だったし、ここのところ一日中家で娘とべったり過ごしている。絵本を読んだり、おもちゃのピアノを弾いたり、シールをぺたぺた貼ったり、ごはんを食べたり、それでもやっぱり間が持たず、締切も迫っていて、ビデオにお世話になっている。

ちょうど先週、おさがりのビデオが新着した。その数日前に「人生のすべてをエンタテインメントに!」をキャッチコピーに掲げている万能ライター(脚本、コピーに加えて本の出版も)の川上徹也さんと会ったとき、「子育てもエンタテイメントやねえ」という話で盛り上がった流れで、「うちの娘がバーニーというアメリカの恐竜キャラのビデオにはまってて」という話をすると、「ああ、うちの子も観てた」と川上さん。「バーニーの話をして乗ってきてくれた人は初めて!」と喜んだら、「うちにまだビデオあったかな。もう観ないし、あったらあげるよ」とうれしい申し出。『Barney's Night Before Christmas』とあわせて、『Here Come the Teletubbies』と『Sesame Street - The Great Numbers Game』の計3本を早速送ってくれたのだった。

バーニーのクリスマスビデオは、子どもたちとバーニーたちが家の飾りつけをしながら、「サンタはみんなの靴下をプレゼントでいっぱいにするけど、誰がサンタの靴下をいっぱいにしてくれるの?」という話になり、「じゃあ自分たちがやろう!」と盛り上がる。でも、すでに時はクリスマスイブ。今から北極点に向かっても間に合わない。そんなときの移動手段は「想像力」。スノードームのサンタの家に想いを馳せてひとっとび……というお話。すでに百回以上は観たサプライズ誕生会を題材にしたライブショー『Barney's Big Surprise Live on Stage』に比べると、出て来る子どもたちも少し年上で、内容も高度。だけど、娘のたまは食い入るように観ている。ぬいぐるみのバーニーや仲間たちが生きた恐竜キャラとして動き出すのは、子どもたちの想像力のなせるワザ。だから大人たちにはバーニーたちの姿は見えない。そのルールをたまは理解したらしく、大人が部屋に入って来てバーニーたちが消えると、「バーニーは?」と聞いてくる。

初めて観るテレタビーズにも興味津々。赤ちゃんの顔のついた太陽を指差して「あま」(たま)と呼ぶ。キャラクターが顔つきも動きもほんとに愛らしくて、大人が観てても癒される。セサミのビデオは数字のお勉強。内容も英語もちんぷんかんぷんだけど、自分が住んでいる階の「4」にだけは異様に反応する。

はからずも英語のビデオばかりになってしまったけれど、わたしのヒアリングの教材としてもちょうどいい。こんな風に小さい頃から英語に親しんでおくと、子どものヒアリング能力も身についたりするのだろうか。ところで、先日1才10か月になったたまが英語の歌を歌ってダンナ母を驚かせたエピソードを紹介したけれど、それがどうやら早とちりであることが判明。今日、電話口でたまが「さいた さいた チューリップの はなが」と熱唱したのを聞き終えたダンナ母が、「たまちゃん、すごいわね。まだ英語で歌ってる」と言ったのだった。うーむ、日本語に聞こえなかったか。そういえば、以前も「ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ」とたまが歌った後で、わたしが電話を代わって「たまは最近『ちょうちょ』をよく歌うんですよ」と告げると、「あら、今度聞かせて」とダンナ母が言ったことがあった。

話をビデオに戻して、日本語のビデオでは、『パコダテ人』の子役でこの春から中学生の前原星良ちゃんからのおさがりの『眠れぬ夜の小さなお話~ネコクンのお友だち』を繰り返し観ている。音楽は原由子さん、脚本は今をときめく作家の森絵都さんで、親子でほのぼのと楽しめるあたたかい世界。言葉がわかるにつれて内容の理解度が上がっていくたまを観察するのも面白い。最近はだいぶストーリーを追えるようになって、声を上げて笑ったりする。

ビデオをおとなしく観てくれていると、家事も仕事もはかどって助かるけれど、依存しすぎるのは考えもの。最近読んだゲーム依存についての新聞記事に、「ゲームの世界は想像力を働かせなくても楽しめるようにお膳立てされている」といったことが書かれていたけれど、ビデオに慣れてしまうと、絵本を読んで話をふくらませることが億劫になる。ビデオに子どもを預けるのではなく、ビデオを会話のきっかけにして子どもと楽しむ余裕が必要なんだろうな。雨の日も風邪の日も。

2007年07月02日(月)  マタニティオレンジ139 マジシャン・タマチョス
2006年07月02日(日)  メイク・ア・ウィッシュの大野さん
2005年07月02日(土)  今日はハートを飾る日
2004年07月02日(金)  劇団←女主人から最も離れて座る公演『Kyo-Iku?』


2008年07月01日(火)  マタニティオレンジ305 トイレトレーニングは「まだ!」

幼児教材のダイレクトメールいわく、そろそろトイレトレーニングを始める時期らしい。便座に置く子ども用の便座(補助便座と呼ぶらしい)をネットで調べ、amazonでポッティス補助便座を購入。キャラクターが主張していないすっきりしたデザインと、「足を閉じて座れる」ところが決め手。たしかに閉じたほうが用を足しやすいし、大人用便座への移行もスムーズにいきそう。届いた実物は、日本製(リッチェル製)ながら北欧テイスト。使うたびに便座に重ねてはめるのだけど、白地に明るい黄緑のアクセントがわがトイレットの色合いにうまくなじんで、違和感がない。

娘のたまに見せると、「おまる!」と興奮。お、たまも気に入ってくれたか。初めて座ったらいきなり上手にできましたという成功談も聞くし、もしかしたら今日早速……と気の早い期待を膨らませつつ、「座ってみる?」と聞くと、「まだ!」の返事。まだ出ない、という意味なのか、トイレトレーニングはまだ早いという意味なのか。自分は座ろうとしないけれど、興味がないわけではなくて、「ママ おまる」とわたしに座らせようとする。まだと言いつつ出てしまったときに座らせて、おしりを洗ってみた。「ビデ」にすると、ちょうどおしりに届いて、シャワーを浴びさせる手間が省けてこりゃ便利。と喜んだら、水の勢いが強すぎたのか、「こわい〜」と泣き出してしまった。その後、折を見て「座ってみる?」と聞くのだけど、いつも返事は「まだ!」。かわいいおまるはトイレの床で待ちぼうけ中。

トイレトレーニング開始はまだ先のことになりそうだけど、梱包材代わりに丸めて入っていた大きなわら半紙がお絵描きシートとして活躍。たまは色鉛筆を走らせつつ、わたしにあれ描いてこれ描いてとリクエストする。ゾゾ(ぞう)とわにとコッコ(ひよこ)とたまを素早く描くことにかけては、ずいぶん腕が上がった。今日の子守話は、ぞうの話。

子守話21 ぞうのせんたくやさん

ぞうがせんたくやさんをはじめました。
ながいはなに せんたくものをたくさん まきつけて
かわまではこんでくると
せんたくものをはなでつまんで
かわのみずで ざぶざぶ ざぶざぶ
がんこなよごれは みずにたたきつけて ばんばん ばんばん
よごれがおちたら ぶんぶんふって みずをきり
おひさまと かぜが よくあたる たかい きのうえに ひっかけて
せんたくものが よくかわいたら はなをじょうずにつかって おりたたみ
アイロンがわりに あしをどんとふみつけて しわをのばせば できあがり。
おおきなあしあとがついている シャツをみかけたら
それは ぞうのせんたくやさんが あらったしるし。

2007年07月01日(日)  マタニティオレンジ138 いつの間にか立ってました
2005年07月01日(金)  ハートがいっぱいの送別会
2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ
1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの

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