2002年07月22日(月)  10年前のアトランタの地下鉄の涙の温度

本人がすっかり忘れていた出来事を、家族や友人はしっかり覚えていることがある。忘れていた過去を思い出させてもらうと、思いがけないヘソクリが返ってきたようで、うれしくなる。

先日、京都の結婚パーティーで再会した学生時代の先輩、辻本さんが「あんたらがアメリカから帰ってきたときな、旅行どうやったって男どもで追及したんや」と、わたしと当時は彼氏だったダンナがはじめて二人で海外旅行したときの話をはじめた。

「あの街が良かったとか、飯がうまかったとか、そういう話するかと思ったら、いきなり、彼女はすごい、言うてなあ」。辻本さんの記憶によると、「あんたらの前に黒人の男が立ちはだかって、金を出せって言うたら、あんたはこんなことしちゃダメよって説教したんやろ」。その勇気に彼氏は恐れ入ったらしい。

「美談じゃないですか。わたしたちの披露宴のときに話してくれれば良かったのに」と言いながら、記憶の底で凍りついていたエピソードを解凍した。

あの日の、真冬のアトランタの地下駅の光景を頭の中に呼び出す。発券機へ続く階段を下りきったところに、黒人の男性が立っていた。辻本さんが覚えている話は、かなり美化されている。実際は「金を出せ」ではなく「電車賃をくれ」だったし、言い方も遠慮がちだった。

わたしは説教したのではなく、お金を出すとき、一言添えたのだ。なぜ、そんなことをしたのか。

きっと、怖かったのだ。

銃を持っていたり暴力をふるったりする人には見えなかったが、小柄なわたしには、そびえたつ長身は十分威圧的だった。お金を渡さなければ通してもらえないと思った。英語がよくわからない彼氏(実際はわかっていたようだが)に余計な心配をかけたくないとも思った。だから、わざと余裕ぶるような態度に出たのだ。

「仕事を見つけるのよ」と言うと、黒人の男性は「I will」と答えた。

次の瞬間……最初は何が起きたのかわからなかった。1ドル札を差し出したわたしの手の上に、水滴が落ちた。続いて、また一滴、そしてもう一滴。

滴は、男性の目から滴り落ちていた。わたしは雷に打たれたようになり、身動きできなくなった。自分以外の誰かの涙を手に受け止めたことなどなかったから。人の涙がこんなに温かいなんて、知らなかったから。

今となっては、あのとき感じた涙の温度までありありと思い返せるのに、どうして忘れていたのか不思議だ。10年前の出来事をダンナは覚えているだろうか。いつか聞いてみたい。

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