2013年07月13日(土)  たまとママの黄色い自転車

海外へ引っ越すことになった友人が粗大ゴミに出そうとしていた自転車を「もったいない!」と引き受けたのは、10年ほど前のこと。

捨てられる予定だった中古自転車は、やがて子ども用補助椅子を載せられ、思いがけず長い余生を過ごしている。

もともとママチャリ仕様ではないためか、バランスを取り辛くて、転びそうになったことは何度もある。子どもを乗せた拍子に前輪が浮いて暴れ馬状態になったことも一度や二度ではない。それでも乗り続けている。

タイヤも古いので、何度となくパンクを繰り返し、自転車屋さんに駆け込んでいる。「新しいのを買ったほうが……」と自転車屋さんには遠慮がちに薦められる。でも、いかにもママチャリじゃないのが気に入ってるし、愛着もある。

世話が焼ける分だけ、かえって情が湧いてしまったとも言える。

映画『ぼくとママの黄色い自転車』(2009年)のイメージをくれた自転車でもある。

原作『僕の行く道』と設定を変えて、新幹線ではなく自転車で小豆島を目指す脚本にしたとき、頭に思い浮かんだ「黄色い自転車」が採用され、タイトルにもなった。小豆島では映画にちなんで「黄色いレンタサイクル」が始まった。

今日、自転車屋さんに空気を入れに行くと、前輪の空気の減りが激しかった。後輪のタイヤは損傷がひどくて数か月前にチューブを替えたのだけれど、前輪もそろそろ替え時かもしれない。

前輪と後輪に空気を入れてもらい、少し軽くなったペダルを漕いで、二人乗りでプールへ向かった。
「うしろのしゃりんは、どうして、くうきがいっぱいだったの?」と、後ろの補助椅子からたまが聞いてきた。
「後ろのタイヤは替えたばかりだからかな」とわたしが答えると、
「あのじてんしゃやさんで、たいやもらうと、いいね」とたま。

「タイヤもらう?」
と笑って聞き返すと、
「あれ? たいやもらう、じゃないか……」
なんかへんだぞ、と気づいた様子。

「タイヤ替えるっていうのを、他の言い方すると、なんだろね?」と、わたし。
「たいやぬすむ?」
「盗むは、違うよねー」
「ちがうよねー」と、たまも笑って、
「たいやもらってやる、もちがうよねー」
「違うよねー。タイヤ転がす、も違うよねー」
「ちがうよねー」

タイヤ回す、タイヤ引っ張る、タイヤに立つ、タイヤに乗る……。
わざと違う答えを出し合って、笑い合った。

「たいやかう、はどう?」とたま。
「タイヤ買う、でもいいかな。でも、元々あったタイヤと交換するから、取り替えるとか、付け替えるって言ったほうが近いね」
「じゃあ、たいやあたらしくするは?」

タイヤを新しくする。
タイヤを替えるの言い換えは、今のが一番しっくりくるね。

同じことでも色んな言い方があって面白いね、と発見した。

こういう言葉遊びをさせたら、日本語は天才。
Eテレの「にほんごであそぼ」は秀逸なタイトルだと思う。

日本語はレゴブロックより自由に好き勝手に組み立てられて、いかようにも形を変え、どこまでも広がる。

そして、ハンドルで両手がふさがっていても、遊べる。

「じゃあ、タイヤに空気が入って、自転車が軽くなったっていうのを、いろんな言い方で言ってみよう」と提案すると、
「たいやにくうきがはいって、かぜがきもちよくなった」と、たま。
「タイヤに空気が入って、風を切って走ってる」と、わたし。

先ほどの「わざと間違えごっこ」とは違い、今度は真面目に「近い言い回しごっこ」。

「たいやにくうきがはいって、ゆっくりのときと、みえるものがちがう」
「タイヤに空気が入って、景色が流れてる」

「けしきがながれてるってなに?」
「速く走ると、おうちや木をびゅんって通り過ぎて、線みたいに見えるでしょ?」
実際はそんなにスピードは出ていないのだけれど、
「うん、みんな、はしってるね」と、たま。

そういえば、たまは初めて自転車の二人乗りをした頃、目に見えるものの名前をひとつひとつ呼んで、「しんごうが、はしってる〜」などと歌うように言っていた。

もっと小さくて、まだ補助椅子をつけてなかった頃は、「わんわんのところにのりたいよう」とねだり、広い前カゴにちょこんと座って、わたしに自転車を押させたこともあった。

そんな思い出も乗せている、黄色い自転車。

たまの成長に合わせて、キーキーときしむ音も大きくなっているけれど、たまが後ろに乗れるもうしばらくの間、ママチャリとして働いてもらおう。

2010年07月13日(火)  迷子の英語。迷子の記憶。
2009年07月13日(月)  ちびっ子総立ち!東京大学奇術愛好会のマジックショー
2008年07月13日(日)  マタニティオレンジ311 東京ディズニーシーでパークデビュー 
2002年07月13日(土)  『寝ても覚めても』『命』
2000年07月13日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2013年07月12日(金)  一輪と向き合うように一人と、一日と。「光輪花」

縁あって「光輪花」という生け花に出会い、今週、二度体験する機会を得た。

この過程、脚本作りにとても似ている。

まず、いくつかあるお花をじっくり眺めて、一輪を選ぶ。

次に、その一輪をじっと見つめて、対話する。

正面から、横から、いろんな角度から。

花だけでなく葉っぱや茎も。

じっくり見て、どこがこの花の持ち味だろう、と観察する。

つぎに、花器を選ぶ。

立派な焼き物の器でなくても良い。

ドレッシングのガラス瓶やペットボトル、水差しだって花器になる。

どんな器に生けると、この花が映えるだろうと思いをめぐらせ、ひとつを選ぶ。

花器を決めたら、花をどう生けようか、考える。

茎の長さはどうしよう。

葉っぱは間引いたほうがいいかもしれない。

茶色くなったところを取り除いたほうが、花が映えそう。

花と花器がいちばんしっくり来る形を考えて、必要ならハサミを入れる。

選んだのは、オレンジに赤い斑入りの花。

檜扇(ひおうぎ)という。

辞書で「檜扇」を引くと、見開きの隣のページに「美育」があった。

昭和44年版の同じ辞書に「食育」はなく、「美育」という言葉のほうが歴史が古いらしい。

美しいものを愛でて心を豊かにする「美育」の力を先生は信じている。

その言葉が、わたしの選んだ花の名前と辞書のご近所さん。

花に呼ばれたような気持ちにもなって、なんだかうれしい。



花器に生けたら、いろんな角度から見てみる。

正面はこっちと決めて、それに縛られることはない。

生けてみて、こっちから見たほうがいいなと思ったら、そこを正面にする。

心のまま。

自由。

「終わりましたか?」と先生が聞かれる。

これでよし、定まった、と思ったら、終わり。

終わり、というのは、生けきった、ということ。

花。花器。花の長さ。葉っぱの数。角度……。

たった一輪でも無限の生け方があって、何を選ぶかに「個性」が表れる。

そこが、脚本づくりととても似ている、と感じるところ。

花と向き合う心は、子育てにも通じるところも。

この子のいいところはどこだろう、とじっと見てみる。

そのいいところを光らせるには、どんな環境がいいだろうと考える。

一輪を光らせるように、一人を光らせたい、と思う。

そして、いくつもある選択肢からひとつを選び続けて、終わりにたどりつくのは、「人生」そのもの。

大事なのは「じっくり考えて自分で選ぶ」こと、「選んだ結果に満足する」こと。

一日一日に一輪のように向き合っていけたら……。

そんなことまで思いを馳せさせてくれる、奥深い生け花。

先生のお宅から持ち帰って、わが家の器に生け直した。

花器に選んだのは、きれいな色のワインボトル。



檜扇の隣は、スカシユリ。

スカシユリの葉っぱを大胆にむしって、花のまわり以外は丸裸にむいてしまい、先生に驚かれた。

それも個性、それもまたよし。

子どもにもぜひ体験させてあげたい、と思っていたら、ちょうど文京区で夏休みに子ども生け花講座が。
>>>こらびっと文京 夏休み!わくわくお花をいけてみよう

費用は実費300円。

実費(お花代)にアシが出てしまうのではと心配になるほど良心的なお値段。

親子での参加もできるようなので、ぜひ。

2012年07月12日(木)  なんだかモヤッとする文京区育成室保育料激変値上げ
2010年07月12日(月)  7/21多摩で『ぼくとママの黄色い自転車』野外上映
2009年07月12日(日)  朝ドラ「つばさ」第16週は「嵐の中で」&「ラジオぽてとin渋谷」
2008年07月12日(土)  ログ解析〜みなさんどこから飛んで来るの?
2005年07月12日(火)  『子ぎつねヘレン』打ち上げで ipodをゲット
2003年07月12日(土)  15年目の同窓会
2002年07月12日(金)  『真夜中のアンデルセン』小原孝さんのピアノ収録
2000年07月12日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2013年07月10日(水)  見知らぬおばさまと扇風機を値切った!

あまりに暑くて寝苦しいので扇風機を見にビックカメラへ。

「え、扇風機って数千円かと思ったら数万円するんですか!」
「そうですねー今はDCが主流で」
「DC扇風機のDCって何ですか?」
「直流って意味です」
「DCで安いのないんですか」

そんな店員さんとの会話を経て「こちらはいかがですか」とすすめられたのが、シャープのPJ-CD2Sというイオンファン扇風機。

昨日まで19800円だったのが12800円に値下がり!

上下左右に首を振る姿がピクサーのロゴと一緒に出て来るスタンド(わかります?)みたいでかわいい。わー、これいいかもと思ったら、隣で「かわいいわね。洗濯物もよく乾きそう」と言うおばさま。

しばらく二人で見入って、「二人とも買ったらいくらになるか聞いてみましょうか?」とわたし。

「端数の800円を切ってもらえない?」と二人で交渉したところ、若い醤油顔の店員さんが上の人と相談しに奥へ引っ込んで、「お値段このままで送料無料でどうでしょう?」と戻ってきた。

「在庫がなくてお届けが16日になってしまうんですが」と言われ、「そんなに待たされると気持ちがなえるわねー」とおばさまと顔を見合わせた。

「やっぱり800円切ってよ。こっちは待つ間暑い思いするんだから」とおばさまがもう一押し。醤油顔店員さんももう一押し。
その結果、「わかりました。送料サービスの12000円で」と交渉成立。

出会ったばかりのおばさまと「やりましたね!」と勝利を分かち合い、仲良く手続きカウンターへ。

「こういうの、はじめてですよ」と苦笑する醤油顔店員さんに「あなたお醤油顔で好みだわ」と持ち上げたり「わたし明日誕生日なのよ」とアピールしたりで、隙あらばさらに値下げをもくろむおばさま。

若く見えて75歳、今もお仕事されているそうで、気が若い。

お嬢さんは7月17日生まれで「明日から二人で旅行行くのよ。自分たちで自分たちの誕生日祝いするしかないんだから」とおばさま。

ってことは、すぐに届かなくても困らないわけで……。

「こっちは待つ間暑い思いするんだから」の決め台詞を放っておきながら、「旅行から戻ってくるの16日だから、17日に届けてくださる?」

さすが。あっぱれ。まいった。

名刺でも渡そうかしらと思ったけれど、いえいえ、一期一会だからこその愉快な体験。
戦利品の扇風機を見て、「そういや、これを買ったとき、こんなことがあったな」と微風程度に思い出すのが、涼しげで良い。

「おかげさまでたのしかったわ」と言い残し、おばさまは颯爽と立ち去った。

扇風機12000円。
値切りごっこ、プライスレス。

2012年07月10日(火)  「パキラのアキラ」と「たまママ漫才」
2011年07月10日(日)  「無農薬で米作りから酒造りを楽しむ会」草取り編
2010年07月10日(土)  ルーフバルコニーのある暮らし
2009年07月10日(金)  リチャード・ギアが「ヘァチ」と呼ぶ謎『HACHI 約束の犬』
2008年07月10日(木)  脚本家デビュー9周年
2007年07月10日(火)  マタニティオレンジ144 離乳食も食いだおれ
2005年07月10日(日)  12歳、花の応援団に入部。
2003年07月10日(木)  三宅麻衣「猫に表具」展
2002年07月10日(水)  『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子)
2000年07月10日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2013年07月08日(月)  おめでたい席には鯛の塩釜焼き

週末、わが家でお祝い事のパーティをやった。

お祝いといえば、鯛!

京都の天才料理人に教えてもらった豚肉の塩釜焼きレシピ(>>>2013年06月09日(日) 手から「おいしなるビーム」出てる人
)をアレンジして、鯛の塩釜焼きに挑戦。

オーブンレンジのレシピにあった鯛の塩釜焼きレシピを合体させてみた。

1)内臓を取り出した鯛の腹に、にんにく1かけとローズマリー(5cmほど)と厚くむいたレモンの皮1/2個分を詰める。



2)鯛にオリーブオイルと胡椒をすりこみ(表面に油をしっかりすりこむことで、塩がしみこみすぎるのを防ぐ)、ローズマリーを散らす。

3)卵白1個分を泡立て、塩500g(鯛が大きめの場合は塩をふやす)とすりおろしたレモンの皮1/2個分を混ぜる。

4)クッキングシートを広げ、塩を敷いた上に鯛をのっけて、鯛のまわりにもペタペタと塩を塗りつけ、塩釜コーティングする。


5)魚の形にととのえて、竹串などで魚っぽく目玉やうろこを描く。


6)クッキングシートでくるんで、180-200度のオーブンで50-60分蒸し焼きにする。

いろんなレシピを見ると卵白の量も、塩の量も、焼き時間も、まちまち。
けっこう「適当」でもおいしく出来て、見た目の豪華さの割に失敗が少ない。


何よりテーブルに出したときの演出効果がバツグン。
ケーキカットならぬ「塩釜割り」イベントもなかなか盛り上がる。




2010年07月08日(木)  保育園休んで「つばさ」DVD
2009年07月08日(水)  『築城せよ!』がヒットすれば、日本映画の未来は明るい。
2008年07月08日(火)  同級生さっちゃんと19年ぶりの再会
2007年07月08日(日)  マタニティオレンジ142 布の絵本とエリック・カール絵本のCD
2005年07月08日(金)  いまいまぁ子とすてちな仲間たち
2000年07月08日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2013年07月07日(日)  沈黙のち行列のち冊子(実践女子大学講演・後日談)

6月25日に講演を行った実践女子大学文学科国文学科から厚みのある封書が届いた。

納められていたのは、紐で綴じられた冊子。

表紙を開くと、学生の皆さんが書いた講演の感想だった。



感想を後から頂戴したことはこれまでもあったけれど、こんな佇まいで届いたのは初めてで、小学校の頃にもらった「クラスのみんなからの誕生日おめでとうカード」を思い出して、うれしくなった。

提出された感想文をコピーして、切りそろえて、綴じる。
そのひと手間がありがたい。

200通ぐらいあるのだろうか。
全部読み終えるのに、一時間かかった。
一人一人が書くのに費やした時間を足し上げると、その何倍もになるはず。

講演の手応えを、「沈黙のち行列(実践女子大学講演・後編)」と題して2013年06月26日(水)の日記 に書いた。

「十人いれば十通り、百人いれば百通り」の受け止め方がある、と感じたのだけれど、一人一人筆跡も言葉遣いも感じたことも違う感想に目を通していると、本当にそうだなあと感じる。

もちろん、好みの傾向はあった。

映画『パコダテ人』の「しっぽは欠点じゃなくて、おまけ」、ドラマ「ビターシュガー」の「未来からの逆算で今を生きるんじゃなくて今生きている一瞬一瞬を積み重ねていきたい」、小説「ブレーンストーミングティーン」の「宝物はあなたの中にある。それを宝の山にするのも宝の持ちぐされにするのもあなた次第」といった言葉が心に残ったと書いた人が多かった。

    

これから進路を決める学生には、将来への希望と同じぐらい不安もある。だから、自分を前向きにとらえ、力づける言葉がことさら必要なのだろう。

「石ころを宝石に」というベタなタイトル、「なんで?」と「そんで?」という大阪弁を使った連想ゲームの説明についても、好意的に受け止めてくれた人が多かった。

「脚本を書くというのは、もっと難しいことだと思っていたけれど、最初から宝石は落ちていなくて、石ころを磨いて光らせるということがわかった」
「自分にも書けそうな気がした」
「今までなんとなくドラマを見ていたが、何を伝えようとしているのかに注目して見てみたい」
「原作とドラマが違うなと思うことがよくあったが、連想ゲームで考えた結果なのだとわかった」
「なんで?そんで?と連想するのは、脚本だけでなく、サークル活動や自分を知る上でも役に立ちそう」
といった「意識の変化」を綴った感想が多かった。

「良かった」「面白かった」「役に立った」といった手放しの褒め言葉はもちろんうれしいのだけど、他の人が使わない言葉で伝えられる感想もまた、はっとさせられる。

たとえば、「聞いていて、こそばゆかった」という感想。
肯定的な感想の最後の一文だったので、「あなたたちにはまだまだ可能性がある」というメッセージへの照れなのかもしれないし、わたしの前向き過ぎる発言への「あんな歯の浮くようなことなかなか言えない」という印象なのかもしれない。

「こそばゆい」という感想をもらったのは初めてで、新鮮で、印象に残った。

「文学的というより商業的」なので、文学部の講演としてふさわしいかどうかは疑問だが、これからの人生には役に立ちそうな話だった、という感想もあった。

脚本家の間でも「商業性か芸術性か?」はよく議論になる。
より観客を集められるようなわかりやすく間口の広いエンターテイメントを作るのか、一部の人にしか受け入れられなくてもいいからストイックな芸術作品を作るのか、と。
わたしの作品は、多くの人に届くことを意識しているから前者となる。

そのことを見抜いて指摘した、この学生さんの視点は「個性」であり「強み」であり、大切にしてほしいと思う。

「出産のときまでネタを集めていたのはすごいと思った」という感想もいくつかあって、わたしそんな話したっけと思い出した。講演で話すことは大まかには決めているけれど、その日のノリで持ち出す話題が変わる。でも、講演中は夢中なので、何を話したのか忘れていることも多い。

それから、わたしが「楽しそう」だという感想がとても多かった。
「楽しそうに仕事の話をするので、脚本家が楽しい仕事なのだと思った」
「言葉を愛しているのが、よく伝わった」
そんな風に言ってもらえたのが、うれしかった。

脚本の仕事も、子育ても、「楽しそう」だとまわりに思ってもらえたら、それだけでもっと楽しくなる気がするし、大人になっても、いくつになっても、「そのままのあなたでいいんだよ」と誰かから言われるだけで、チカラが出る。

実践女子大学国文学科の皆さん、わたしの石ころを転がして、磨いて、光らせてくれて、ありがとうございます。

宝ものは、あなたたちの中にある!


2010年07月07日(水)  39度の熱にうなされ号泣七夕
2009年07月07日(火)  彦星は一年ぶりの会津の酒!「第5回 天明・七夕の宴」
2008年07月07日(月)  この夏の目玉作品『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』
2007年07月07日(土)  マタニティオレンジ141 5人がかりで大阪子守
2005年07月07日(木)  串駒『蔵元を囲む会 天明(曙酒造) 七夕の宴』
2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日
2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2013年07月04日(木)  聞こえる世界と聞こえない世界をつなぐ(松森果林さん講演)

「聴力を失って行くというのは、どういうことなのか。皆さん、想像できますか?」
そう問いかける松森果林さんの声は、ご本人には届いていない。

声は出せるけれど、聞こえない。
松森果林さんは、中途失聴者。



講演のはじめに、松森さんは「私の強みは聞こえないこと」と笑顔で言い切った。

でも、今のように、聞こえないことを「個性」として受け止め、「強み」とさえ言えるようになるまでに、長い長い時間がかかったという。

小学4年生のある日突然片方の耳が聞こえなくなり、もう片方の耳も少しずつ聴力を失った。

毎朝、目が覚めると、声を出し、自分のその声が聞こえるかどうか確かめたという。

「昨日まで聞こえていた音が一つずつ消えていく」

聴力を失っていくというのは、そういうことらしい。

高校2年の終わりには、完全に聞こえなくなった。
その日のことを、よく覚えているという。
信じられなくて、何度も、何度も、確かめたのだろう。

小学生の頃、男の子たちに「つんぼ」とからかわれた。
その言葉を知らなかった松森さんは、「つんぼ」の意味を知り、ショックを受けた。

中学生のときには、クラスメイトに名前を呼ばれて気づくかどうかをテストする「遊び」を毎日のようにされた。

聞こえないのは、恥じるべきこと、いけないことなんだ……。
そう思った松森さんは、「聞こえるフリ」をするようになった。

何を言ってるかわからなくても、みんなと一緒に笑う。
聞こえるフリをすればするほど、どんどん自分が空っぽになっていく感じがしたという。

ただでさえ不安定な思春期。
でも、友だちとのおしゃべりや恋愛が楽しい青春の入口。
勉強して、あたらしい世界を吸収する時期。
松森さんは「聞こえるフリ」で忙しかった。

「みんな聞こえなければいい」と周囲をうらんだり、
「自分がいなくなればいい」と思い詰めたりした。

雪の降る日に道端に倒れ込み、このまま死ねたら……と死を待つうちに意識を失い、救急車のランプで我に返った。

その後に、松森さんのお父さんが書いたという手紙に、涙を誘われた。

できることなら代わってあげたい。でも、お父さんだったら乗り越えてみせるぞ。

そんな内容の、愛情と力強さにあふれた手紙だった。

ご家族も辛かっただろうと思う。
原因もわからず、何がいけなかったのかと過去を悔やみ、自分たちを責め、それこそ「代わってやれたら」と苦しんだことだろう。
娘が死を思い詰めていることを知って、打ちのめされたことだろう。
松森さんの知らないところで、たくさん涙を流されていただろう。

お父さんが「乗り越えてみせるぞ」と言えるようになるまでにも、長い長い時間が必要だったのではと想像する。

ちょうど2日前、わたしは実践女子大学で『パコダテ人』の話をしてきた。

映画『パコダテ人』では、ある朝突然しっぽが生えた日野ひかるが、葛藤の末、「しっぽは欠点じゃなくておまけ」と開き直る。いったんアイドルとしてもてはやされたひかるが、今度は迫害される立場になっても、家族は「しっぽが生えても、ひかるはひかる」と、ひかるを愛し抜き、守り抜こうとする。

『パコダテ人』は、障害と偏見について語っている作品だと評価されることも多い。でも、映画だと80分、劇中内時間でも数か月で乗り越えてしまうことが、現実ではその何十倍もの時間を要する。

雪の日に、どん底の底を蹴って、お父さんの手紙に励まされた松森さんは、少しずつ進みはじめた。

「何に困っているかわからないと、何を手伝っていいのかわからない」と学校の先生に気づかされ、授業について行くためにどうしてほしいのかを具体的にお願いするようになった。

視覚や聴覚に障害のある人が学ぶ筑波技術大学を見学し、自分以外の聴覚障害者に初めて会い、生き生きと学ぶ姿を見て「ここで学びたい!」と一念発起。ビリに近かった成績が、猛勉強の末に学年トップになった。

大学時代に出会った先生が大のディズニーランド好きで、学生を引き連れて、よく遊びに行ってくれた。

目が不自由な学生、耳が不自由な学生が、現地でアトラクションやショーを体験しながら、どこをどうしたらもっと楽しめるか、具体的な意見を出し合い、提案し、それが採用された。

わたしはコピーライターだった頃、東京ディズニーリゾートの広告に携わっていた。だから、障害のある人も一緒に楽しめるようにと様々な取り組みがされていることは聞いていた。その中に、松森さんたちが提案したものがあったかもしれない。

そして、松森さんの話を聞くと、まだまだ知らない取り組みがたくさんあることに気づかされた。

視覚障害者が建物やキャラクターのフォルムを把握できるようにと作られた精巧なミニチュアが紹介された。

シンデレラ城の塔のとんがり具合も、窓の数も、模型をなぞれば、指で見ることができる。

興味深かったのは、ミッキーやミニーやドナルドやプルートのフィギュアがどれも「片方の手が上がっている」のはなぜでしょうという質問。

答えは、「握手するため」。

キャラクターに手を伸ばし、最初に手に触れるでっぱった部分が握手する手というのは、アメリカらしいし、ディズニーらしい。思いがけず握手して笑顔になってしまう光景を思い浮かべて、微笑ましくなった。

講演の中では触れられなかったが、松森さんは大学卒業後、東京ディズニーランドで美術装飾の仕事に就かれたという。

職場で出会ったご主人は、大量のメモ用紙を持って飲み会に乗り込み、たくさん話しかけてきた人だという。

「手話だと水中でもプロポーズ出来るんですが、残念ながらそれは叶いませんでした」と笑う松森さんは、今、とても幸せそう。

結婚し、現在は中学生の男の子を子育てしながら、聞こえない世界と聞こえる世界をつなぐユニバーサルデザインの提案に力を入れている。

ユニバーサルデザインとは、誰にでも使えるデザインということ。

たとえば、テレビ番組に字幕がついていると、耳の不自由な人が健聴者と一緒に番組を楽しめる。

デジタル放送になったおかげで字幕は入りやすくなった。リモコンの「字幕」ボタンを押せば、手軽に字幕入り放送を楽しめる。

でも、問題なのは、字幕の位置。

PKを決めた本田選手のインタビュー。
字幕が目張りのように顔を横切ってしまっている。
「字幕もど真ん中」
松森さんの鋭いツッコミが笑いを誘った。

見る人のことに、ほんの少し想像力を働かせれば、この位置でいいのか、どこに動かせばいいのか、検証することができるのだけれど。

字幕に限らず、善かれと思ってやったことが中途半端になってしまうのは、もったいない。

それで思い出したのは、映画『子ぎつねヘレン』のこと。

初日動員数も評判も上々で映画が封切られて間もなく、耳の聞こえない方にもこの作品を楽しんでもらえるよう字幕をつけようという話が出た。聴覚障害者の方からの要望があったのかもしれない。

早速やろうという動きになり、すぐに字幕版が用意され、公開された。
DVDにも日本語字幕とともに本編の場面を解説する音声ガイドとメニュー画面の操作を補助する音声案内が収録された。

でも、映画が公開されるまで、字幕をつけるということを、わたしも、関係者の誰も思いつかなかった。

『子ぎつねヘレン』は、ヘレン・ケラーのように目も見えない、耳も聞こえない、鳴くこともできない子ぎつねの話。

なのに、耳の不自由な方がこの映画を観るかもしれない、ということに想像が至らなかった。

そもそも「日本語の映画に字幕をつける」という発想がなかった。

外国語で何を言っているのかちんぷんかんぷんな映画を観るとき、わたしたちは字幕に助けられる。

日本語を聞き取れない人たちにとっても、同じこと。

『子ぎつねヘレン』公開から7年。日本語字幕つきの邦画公開は、ふえているだろうか。

松森さんは、映画鑑賞が趣味で、「日本語字幕がついている洋画を観ています」というが、洋画でも邦画でも字幕つきで楽しめることが当たり前になっていくといいなと思う。

話をテレビに戻して。

番組の字幕入れは普及してきたものの、放送全体の18%を占めるCMには、ほとんど字幕がついていない。

松森さんが「CMにも字幕を」と提案をして16年。
ようやくいくつかの企業とテレビ局がトライアル放送に取り組み始めた。

講演では、花王の60秒CMをまず「音声なし」で見せてもらった。

なんとなく、雰囲気は伝わる。
でも、メッセージは伝わらない。

「今のが、聴覚障害者の世界です。まわりの人はみんな口パクなんですね」と松森さん。

続いて、先ほどのCMを「字幕入り」で見てみると、霧が晴れたようにメッセージがはっきりした。

「音声なし」CMを体験してから比較すると、字幕があるかないかでは大違いなのだと実感することができた。

字幕つきCMも、番組と同じようにリモコンで「字幕」を選択すると字幕が表示される。

この字幕を考えるのは、コピーライターの仕事だろうか。その分仕事はふえるし、時間はかかる。納期に終われる広告制作者にとっては字幕なしのほうがありがたいかもしれない。

だけど、字幕をつければ、より多くの人にメッセージを届けられる。

それぞれの企業が、そして広告代理店や制作会社が、少しずつ予算と時間を差し出して、字幕つきCMをふやしていけないだろうか。

現在2社だけというのは何とも淋しい。
最近まで放送していて、やめてしまった企業もあったという。

現在トライアル放送中の花王とライオンも、続けるかどうかは視聴者の反響次第。

「ぜひ見ていただき、一言で良いのでメッセージを送ってみてください。その一言が必ず多くの企業を動かします」と松森さん。

ぜひ、字幕つきCMを観て、感想を届けてください。

花王
「A-studio」(TBS系列)
金曜日 夜11時〜11時30分
「ぴかぴかマンボ」(テレビ東京)
土曜日 夜9時54分〜10時
「あすなろラボ」(フジテレビ系列全国ネット)
日曜日 夜9時〜10時
>>>花王公式サイト 「字幕CMに関するご意見ご感想」へ

★ ライオン
「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ系列)
月曜〜金曜 昼1時〜1時30分
>>>ライオン公式サイト「お客様相談窓口」へ
 
「不満や怒りを訴えるだけだと愚痴になってしまいます。どうすればいいのか提案をしていけば、必ず社会は変わります」と松森さん。

あ、「なんで?」と「そんで?」で光らせる、だ!

不満も怒りも、良くしていくためのヒントの石ころ。
なんで困るのか? なんで腹立たしいのか?
そんでどうしたら困らなくなるのか? 怒りがおさまるのか?
蹴り飛ばしてしまうのではなく、拾って、提案という形に磨き上げれば、宝石に化けるかもしれない。

そして、聞こえない世界と聞こえる世界をつなぐには、「想像力」を働かせることがとても大切。

面白いクイズを出してもらった。

一人暮らしの女性の部屋の絵。
「この中に、一つだけ足りないものがあります。それは何でしょう?」
と松森さん。

火災報知器?
ドアホン?
明かり?
壁?
家族?

いろんな答えが飛び出し、松森さんが「壁は省略しました」「明かりは描き忘れました」「彼女は一人暮らしなんです」などとユーモアたっぷりに返し、なかなか正解にたどり着かない。

「どこにもあるものです。この教室にもあります。でも、彼女の部屋にはありません」

そう言われて、ますます皆が考え込み、焦れた頃に、正解入りの絵に差し替えられた。

吹き出しのように、あちこちに書き込まれた擬音語。
スイッチを入れる音。換気扇の回る音。ドアの開け閉めの音。掃除機の音……。

答えは「音」だった。

音がないと、機械が動いているのかどうか、わからない。
最近は静かな家電がふえて振動も少なくなったので、ますますわかりにくくなったという。

松森さんは、コンセントが抜けているのに掃除機をかけ続けてしまうことがあるらしい。

音カタログ
のサイトでは、「聞こえない世界」と「聞こえる世界」の違いを「音なしの絵」と「音ありの絵」で見比べられる。

音がなくて「困る」「使いにくい」というときも、松森さんは「こうすれば使える」「こうなれば誰でも使いやすい」と提案に転換する。

音のかわりに「わさびのにおい」で危険を知らせる警報器の開発にも関わられたそう。

また、松森さんも関わったという羽田空港の国際線ターミナルは、「設計段階から障害者や外国人などが意見を出し合い、設計に取り入れた」そうで、ユニバーサルデザインの宝庫とのこと。

子育てのお話も披露された。

ご主人と息子さんの三人家族の中で、聞こえないのは松森さんだけ。
息子さんには赤ちゃんの頃から手話でたくさん話しかけた。

最初に覚えた手話は「いっしょ」だったそう。

「赤ちゃんって一度覚えたら忘れないんですよね」

うちの娘のたまがまだ言葉が拙かった頃にベビーサインの本を読み、「ちょうちょ」「ほん」「たべる」などを使って簡単な会話を試みたことがあった。

ベビーサインが役に立ったのは、たまがカタコトを話すようになるまでのほんの数か月だったけれど、「伝えたい」という気持ちをのせる乗り物があったことで、「伝えあう」喜びを分かち合うことができた。

ベビーサインも手話も外国語も、「伝えたい」「つながりたい」相手がいてこそ出番がある。

松森さんの息子さんは、ママと呼んでも振り向かないことを学ぶと、床をたたいてママを呼ぶようになったという。

同じマンションの人たちが「手話で話したい」と言ってくれて始まった「井戸端手話の会」の話もとても興味深かった。

聞こえない人にとって、井戸端会議で何を言っているのかわからない、加われないのは、不安でもありストレスでもあると思う。じゃあ井戸端会議を手話でやりましょうという発想が楽しい。

「コミュニケーションをあきらめるのではなく、コミュニケーションを楽しめる環境を作っていけばいい」と松森さん。

迷惑、と思うのか?
協力、と思うのか?
当然、と思うのか?

同じことでも、受け止め方は、人それぞれ。
楽しい、とお互いが思える関係を作れると、いいなと思う。

生活で不便を感じるのは「障害のせい」なのか「聞こえない自分が悪い」のか。

「健康で元気な普通の人を基準に町づくりがされてきた」からではないでしょうかと松森さん。

「でも、普通って何でしょう?」

松森さんにとっては「聞こえないのが普通」。
そして「聞こえる耳を持っていても、話を聞かない人っていますよね」と笑う。

たしかに、何不自由なく生活できることが「普通」だとしても、それがずっと「その人の普通」であるとは言い切れない。

少なくとも、赤ちゃんのうちは、一人で電車に乗ることも買い物することもできない。

子どもを持った親は、少なからず「バリア」を体験する。
今まで当たり前にできていたことが、こんなに大変で、こんなに人に迷惑をかけてしまうことなのかと。
ときには心ない言葉をかけられ、外出するのが怖くなったりする。

年を取ってからも、同じことが起こるのかもしれない。
レジでまごついてしまうお年寄りを待てない人だって、それがいつか自分の普通になるかもしれない。

「どんな普通にも対応できる」こと。
それがユニバーサルデザインなのかなと思う。

「普通」は、人それぞれ。
その、「それぞれの普通」に想像力を働かせられるユニバーサルな人でありたい、と思った。

ユーモアあふれる松森果林さんのブログはこちら。
>>>松森果林UD劇場〜聞こえない世界に移住して〜

2010年07月04日(日)  宝石箱とピンク・レディーとキットカット
2009年07月04日(土)  整骨院のウキちゃん8 ノオッ!プリーズ!サンキュー!編
2008年07月04日(金)  マタニティオレンジ308 パパのせつない片想い
2007年07月04日(水)  肉じゃがと「お〜いお茶」とヘップバーン
2006年07月04日(火)  2年ぶりのお財布交代
2005年07月04日(月)  今井雅之さんの『The Winds of God〜零のかなたへ〜』
2003年07月04日(金)  ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」
2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日
2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2013年07月03日(水)  おくりものをおくりあうこと。(金蘭千里中学校講演・後編)

先週の実践女子大学では質問がなかなか出なくて長い沈黙があったけれど、今回は果たして……。

やはり中学生、なのか。
やはり大阪、なのか。

次々と手が挙がり、質問が途切れることなく30分。

「こんなん聞いてええんやろか」のハードルを飛び越えて、ギャラの質問まで飛び出した。その質問のおかげで、さらに聞きやすくなったようで、素朴な疑問をたくさん投げかけてもらえた。

帰りの新幹線からツイッターにせっせと書き込み、自前ハードディスクから自然消滅する前に外付けハードディスクにお引越。「脳みその出張所」を持ちましょうと今回の講演でもお話ししたところ。

順番はうろ覚えだし、漏れもあるかもしれないけれど、書き留めた質疑応答は以下の11問。

Q1.書けなくなるときはありますか? そういうときはどうしますか?
A1.スランプはあまりないですが、ネタに詰まったときはパソコンの前で唸っていてもしょうがないので、お皿を洗ったり子どもの相手をしたり、他のことをして気分転換します。その間も脚本のことを頭の片隅に留めて心の傘を開いておくと、ふとしたときにひらめきます。
勉強もそうで、気分が乗らないときはいったん離れたほうが集中できると思います。

Q2.脚本は何日ぐらいで書きますか?


A2.90分の脚本を2日で書いたことがあるのが最速です。速さは大事だけど、速ければいいってものでもなくて、粗いと直しに時間がかかって、結局遠回りになります。29文字×26行を一時間で10枚書くこともあれば1枚のことも。考えがまとまっていると速いし、悩むと止まります。映画だと2時間分の脚本を書くのに一か月ほどもらえて、急がなくていいからじっくりいいもの書いてと言われたりします。

Q3.『子ぎつねヘレン』のとき、いくらもらいましたか。

A3.駆け出しでしたが結構な原稿料でした(講演では具体的な数字を披露)。こんなにもらえるのと驚きましたが、かなり時間がかかってるので、これぐらいもらわないと大変ですね。子ぎつねヘレンは、原稿料以上に著作権の二次使用料が大きかったです。地上波で放送されるだけで30万など。DVDを買ったり借りたりしたときの著作権使用料もとても大きいので、最近は違法にアップロードされたものを観れたりもしますが、ちゃんとレンタルして観てくださいね。

Q4.学校で配られたプロフィールにCMソングってあるけど、どんなのを作ったんですか?


A4.冷凍食品は-18度以下で冷凍をという冷凍マイナス18号ソングをYouTubeで見られます。「魚・魚・魚」の歌みたいにいつかブレイクするかもしれないので、どんどん見て話題にしてあげてください。他にやきいもやトマトやちらし寿司の歌も。

Q5.締め切り前なのにアイデアが思いつかなくて進まないときはどうしますか?

A5.頭の片隅に留めておくと、締め切り前のぎりぎりにアイデアが思いつくこともあります。札幌のNHKの脚本コンクールに出す作品を書いたときは、締め切り1週間前に「発症後の記憶の蓄積ができなくなる記憶障害」というのがある、と会社の隣の席の人が読んでいた雑誌で知って、それで書き始めたんですが、北海道とつながらなくてどうしようと思ってた。そしたら、会社に出勤する途中の階段で「雪=記憶だ!」ってひらめいたんです。はかなく溶ける雪と記憶と重ねて、でも、雪をぎゅっと固めて雪だるまにしたら溶けにくくなる。そこから「雪だるまの詩」という作品が生まれました。
最良の案が思いつかないときも、そこで立ち止まらず、代わりの案で先へ進んで、演出やプロデューサーともっといい案を考えます。たまにホームランを打つのではなく安定して打てるのがプロかなと思います。


Q6.日記を書くのと脚本を書くのとどっちが楽しいですか?

A6.映画やドラマになったほうが反響は大きいけれど、日記のファンというのも結構います。20年以上音信不通だった友人が、実はずっとわたしの日記を読んでいて、先日講演を聴きに来てくれました。書いてて良かったって思いましたね。また、日記を読んで、「この人に脚本の仕事を頼んでみよう」とプロデューサーなどが声をかけてくれることも。長い自己紹介みたいな感じですね。

Q7.脚本家になろうっていつから決めてたんですか?

A7.小学生からお楽しみ会といって学芸会の脚本を書いて自作自演したりしていました。でも、脚本家という職業があるのは知りませんでした。夢は小さい頃からコロコロ変わって、教師になる夢もあって教育実習にも行きました。担当したクラスが文化祭でやる劇が偶然わたしが高校時代にやったのと同じ「オズの魔法使い」だったので、演出と振付けを買って出て、朝練昼練放課後練習に燃え、本番では生徒より感激して号泣し、担当教官から「教師がいちばん楽しんでどうするんですか」と教師には向いていないと言われ、コピーライターを経て脚本家に。好きなことを続けてたら仕事になったわけですが、今こうして学校でお話しさせてもらってるし、教師の夢もかなっています。

Q8.出演者に会う機会はありますか?

A8.ロケに行くと沢山話せます。脚本のことで質問されることも。脚本を書き終えたら差し入れ持って行くぐらいしか仕事がないので、差し入れを届けがてら撮影にお邪魔します。

Q9.小説を書いたりはしないんですか。

A9.書いたりしてますが、本はなかなか売れなくて。でも原作者になって自分の原作が映像になると楽しいので、出版社に売り込む漫画の原作を今書いているところです。

Q10.どういうときにアイデアを思いつきますか。

A10.歩いていたり電車に乗っていたりするとき。劇作家も沢山歩くそうです。頭の片隅で考え続けながら歩いてると、ひらめくことが多いです。机の前でひらめくことはあまりなくて、パソコン打つのはまとめているときです。

Q11.映像を観て、脚本と違ってると思うことはありますか。
A11.あります。すごくいいシーンに化けることもあるし、逆に、こんな感情むきだしのつもりじゃなかったのにと違和感を覚えることも。原作者の方も脚本を読んで、同じようなことを感じるのかもしれません。自分の想い描いたイメージと出来上がった映像が違うときは、脚本の指示がうまく伝わらなくてイメージを共有できなかったんだなと反省します。

ギャラの話を聞かれたことで著作権使用料の話ができ、脚本家にいつからなろうと思っていたかと聞かれて教育実習のエピソードを紹介できた。「冷凍マイナス18号の歌」も、「雪だるまの詩」も、質問が石ころ棚の奥から引っ張り出してくれた。

講演は、「おくりもの」のつもりで、相手の心に届くようにと願いを込めて話しているのだけれど、講演のたびに、わたしもたくさんの「おくりもの」をもらっている。

自分の中に眠っている宝物に気づかせてもらえて。
それを誰かの手で磨き直してもらえて。

今日のように質問がたくさん出たり、熱い感想を伝えられたりすると、自分が贈った以上の「おくりもの」を受け取ったような気持ちになる。



映画『子ぎつねヘレン』から生まれた絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』のサイン本に添えるメッセージ「生きることは、おくりものをおくりあうこと」のように、講師も教えられて、成長させてもらえる。

講演は、おくりものをおくりあうこと。

2012年07月03日(火)  でんでん虫のでんこちゃん
2010年07月03日(土)  子どもが時を刻んでいる
2009年07月03日(金)  なぜかショップ99で話しかけられる
2008年07月03日(木)  マタニティオレンジ307 シール貼り放題!段ボールハウス 
2007年07月03日(火)  マタニティオレンジ140 七夕に願うこと
2005年07月03日(日)  親子2代でご近所仲間の会
2000年07月03日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2013年07月02日(火)  金持ちより、人持ち。(金蘭千里中学校講演・前編)

大阪・金蘭千里中学校にて、3年生に向けた「進路講演会」でお話しさせていただく。前回講演した中学2年生は、今高校3年生。
>>>2009年11月16日(月) 金蘭千里中学校講演「宝物はあなたの中にある!」

3年半ぶりの、ただいま!

校長室には、前回講演したときに書いた色紙が。

「宝ものはあなたの中にある。それを宝の山にするのも宝の持ちぐされにするのもあなた次第」と小説『ブレーン・ストーミング・ティーン』の一節をしたためたもの。脚本協力した朝ドラ「つばさ」総集編と脚本を書いた「つばさ」スピンオフの告知葉書とともにラップをかけて大事に保存してくださっていた。



その左隣にある絵本『わにのだんす』は、講演の後、辻本賢校長に受け取っていただいた。

お茶目でお話好きな辻本校長は3年半のブランクを感じさせない気さくさで迎えてくださり、相変わらず楽しそうにうれしそうに金蘭の生徒や卒業生の自慢をされるのだった。色々と気を遣うことの連続ではと察するのだけれど、実に飄々としている。学校と生徒たちを面白がる力が人一倍すぐれているのだろう。


『わにのだんす』に添えたメッセージは、おなじみの「金持ちより人持ち」。

講演では、とくに、そのことを感じる。

もちろん謝礼を頂戴し、交通費まで出していただけるのだけど、何のために講演に行くかといえば、お金を受け取るためではなく、人に会いに行くため。わたしが脚本の仕事を通して発見したこと感じたことを分かち合い、その石ころを受け取った人たちが面白がって転がして光らせてくれるのが何よりうれしい。

今回の講演では、たくさんの質問が石ころを磨いてくれた。
忘れないうちにと帰りの新幹線からツイッターに書き込んだ質疑応答は、かなりの分量があるので、明日の日記に送ることにする。

前回と今回の大きな違いはfacebookの登場。3年半の間に、わたしも金蘭千里中学校もfacebookを始めていた。
>>>金蘭千里高等学校・中学校(公式)facebookページ

講演が終わって校長室に戻ると、パソコンをのぞきこんだ辻本校長が「もううちのfacebookに上がってますわー」。またたく間にレポートがアップされ、すでに「いいね」が2つついていた。そのスピードもさることながら短時間でまとめたレポートの的確さに驚いたら、国語科の先生が書かれたとのことで納得。

2012年07月02日(月)  「ありがとう」と「ごめんね」と「だいすき」
2010年07月02日(金)  「千回おめでとう」の千賀と再会
2009年07月02日(木)  「胸が痛む」のではなく「おっぱいが泣く」という感覚
2008年07月02日(水)  マタニティオレンジ306 雨の日も風邪の日もビデオ三昧
2007年07月02日(月)  マタニティオレンジ139 マジシャン・タマチョス
2006年07月02日(日)  メイク・ア・ウィッシュの大野さん
2005年07月02日(土)  今日はハートを飾る日
2004年07月02日(金)  劇団←女主人から最も離れて座る公演『Kyo-Iku?』


2013年07月01日(月)  「はとぶえ」と「堺かるた」は宝物(広報さかいインタビュー)



堺市の「広報さかい」7月号の堺親善大使連載インタビュー「好きです堺」に今井雅子が登場。

5月の東京さかい交流会の折に取材を受けたもので、このとき堺市広報課の方が、かなり厚みのある「脚本家・今井雅子日記」のプリントアウトを持って来られたのが印象的だった。

プリントアウトには蛍光マーカーがびっしり引いてあり、そこまでわたしの人生を読み込んで取材に臨んでくださったのかと驚き、感激した。おかげで、とても気持ちよく話を引き出していただけた。

取材対象への興味と敬意を抱くこと。それが基本。それが大事。脚本執筆の取材においても、PTA新聞の取材においても。その興味と敬意が相手に伝われば、取材する側にも返ってくる。

取材は「なんで?」と「そんで?」の連続。質問に答えることで、記憶の森に埋もれていた石ころが掘り起こされ、頭のあちこちに散らばっていたカケラがまとまり、彫刻され、輝きだす。

今回の取材では、堺で過ごした子ども時代の話を中心に聞いていただいたので、「体を使って遊びを作り出していた経験が今につながっている」「はとぶえと堺かるたは堺の宝で、わたしが物を書く原点」と自分の中にある宝の山にあらためて気づくことができた。

「はとぶえ」は、堺市の小学校の子どもたちから詩や作文や習字や図画を募って採用掲載する児童文化誌。昭和26年(1951年)に「児童詩集」として創刊されたのが始まりだそうで、すでに62年の歴史があり、今も続いている。「はとぶえに載る」ということは、自分の書いたものが認められたということ。その誇らしさが、書き続ける自信をくれる。

「堺かるた」は堺市の歴史や名所をうたいあげたもので、格調高い名調子は何十年経っても忘れない。(こちらで札の紹介も)

この二つを始められた別所八十次先生が、わたしが高倉台小学校に在籍していたときの校長先生だった。他の小学校以上に、はとぶえと堺かるたに力を入れられていた環境で、わたしの「言葉」への興味は磨かれていたことになる。

PDF版はこちら

広報誌に納まり切らなかったエピソードも読めるHTML版はこちら。中学校時代のソフトボール部の話題も。

2011年07月01日(金)  ウーマンリブ公演『サッド・ソング・フォー・アグリー・ドーター』
2010年07月01日(木)  7月になつちまつた
2009年07月01日(水)  2才10か月で「夏の扉」を開ける
2008年07月01日(火)  マタニティオレンジ305 トイレトレーニングは「まだ!」
2007年07月01日(日)  マタニティオレンジ138 いつの間にか立ってました
2005年07月01日(金)  ハートがいっぱいの送別会
2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ
1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの


2013年06月30日(日)  青空ごはんがおいしい理由



公園のテーブルで、ピクニック。

青空の下で食べると、どうしてこんなにおいしいの?

空気がおいしいから?

風が気持ちいいから?

細胞が喜んで、お箸が進むのかも。

もちろん、お酒も進みます。

おしゃべりも、弾みます。

一人一人のお弁当を広げるのも楽しいけれど、

大皿をつつき合うのは、もっと楽しい。

子どもたちは、さっさと席を立って、なわとび。

二重跳び、できるかな。

ほろ酔いの大人が我も我もと競い合って、目を回して。

そして、また、おなかが空きます。

2010年06月30日(水)  外装工事が終わり、一年の半分が終わる。
2009年06月30日(火)  『1Q84』の話題からエリックさんにたどり着く
2008年06月30日(月)  『蘇る玉虫厨子』洞爺湖サミットへ!
2006年06月30日(金)  中国語版『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』
2002年06月30日(日)  FM COCOLOで『パコダテ人』宣伝
2001年06月30日(土)  2001年6月のおきらくレシピ
2000年06月30日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)

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