2009年07月02日(木)  「胸が痛む」のではなく「おっぱいが泣く」という感覚

先日、じいじばあばの家にお泊まりして帰ってきた娘のたまが、「たまちゃん、ないたの。ママがいいようって」と言った。最近たまは自分が泣いたときの気持ちを後から振り返り、整理し、言葉にしてくれる。泣いているときは大人だって冷静にはなれないが、子どもなりに泣く理由に思いを馳せるというのは面白い。

「たまちゃん、泣いちゃったの」とわたしが聞き返すと、「ちいとんもないたの ママがいいようって」とたまが言ったので、ドキッとした。ママのおっぱいを「とんとん」と名づけたたまは、自分のを「ちいとん」と呼んでいる。とんとんには友だちのような親しみを感じているようだが、ちいとんにも感情があるらしい。もしかしたら、自分の分身のように思っているのかもしれない。

「胸が痛む」「胸が苦しい」といった喩えがあるけれど、比喩ではなくほんとうに「おっぱいが泣く」のか。子どもは詩人だなあとしみじみ思った。

何気ない鋭い一言にハッとさせられる一方で、子どもらしい無邪気な言葉には和ませてもらっている。「ママのちゅばさのおしごとおわったらねえ、ほいくえんごっこする」と言ったり、絆創膏とバンドエイドが合体して、「ばんそこエイド」という新語が生まれたり。でたらめな電話番号にかえて、「お客様がおかけになった番号は現在使われておりません……」という機械音声の応答に、「おかけ? おかけがないの? そう? そっか、そっか、しょうがないねえ」と相槌を打っていたりする。先日は、おむつを換えながら「どうしてトイレでしなくなったの?」と問いかけたら、童謡「おもちゃのチャチャチャ」の替え歌で「おむつでチャチャチャ」を歌い出した。

匂いを取るのが脱臭剤なら、力を抜いてくれるのは脱力剤か。柔軟剤の働きもあり、娘の言葉のおかげで、幾分ふんわり仕上げになれている気がする。

今日の子守話は、布団の中でたまと交わした一問一答をそのままあんこに使ったお語。やりとりの中で「夢はどこにもない。生きていることそのものが夢」というセリフが生まれて、シェークスピアみたいだと唸ってしまった。遠くにある夢を探して、ないないと嘆くより、近くにある夢を感じられたほうが幸せかもしれない。そんなことを思っていたら、最近新聞で読んだ興味深い記事を思い出した。地球に戻った宇宙飛行士(向井千秋さんだった気がする)が、地上に降り立って、「重力がある」ことに感激し、感謝したという話。重力のない世界を体験した人ならではの実感だなあと感心したが、人として生きるということは、重力のある世界に暮らすということなのかもしれない。その発見で会話のあんこをはさんだ。

子守話86 「たまちゃんの てつがく」

たまちゃんは 2さいです。
そらの うえから ちじょうに やってきて まだ2ねん。
だから ちじょうに ながく くらしている ママが 
すっかり わすれてしまっていることを まだ おぼえています。

そんなたまちゃんと おはなししながら
ママは そらの うえに いたころの とおい むかしを
おもいだします。

「たまちゃん、どうして泣いちゃったの?」
「だって、こころが、あっち」
「心があっち?」
「うん」
「心ねえ。たまちゃんの幸せって、どこにあるのかな?」
「(上を指差し)こっち」
「こっちって、どこ?」
「あたまのうえ」
「頭の上?」
「きのうのあしたの、あしたのきのう」
「昨日の明日の明日の昨日……じゃあ、夢はどこにあるの?」
「どこにもないよ」
「じゃあ、たまちゃんは、なんで生きてるの?」
「ゆめじゃないかねえ」

たまちゃんと おはなしを していると
ママは ふわふわした きもちになって
たまちゃんより さきに ねむってしまいました。

そして しあわせな ゆめを みました。

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