2007年07月31日(火)  マタニティオレンジ153 クッキーハウス解体イベント

ダンボールハウスとほぼ時を同じくしてわが家に現れたもうひとつの家、娘のたまの11/12才誕生日を祝って建てられたクッキーハウスは、すぐに食べてしまうのが惜しくて、しばらく冷蔵庫に落ち着くことになった。子どもの頃、冷蔵庫の中に住んでいる小人を夢想したことがあったけれど、扉を開くたびに目に入る小さなお菓子の家は、その想像が現実になったような幸せな錯覚をもたらしてくれた。

「あまり長期保存すると、『冷蔵庫の味』がついてしまうかも」と施工したみきさんに言われ、28日の土曜日に解体することに。ダンナ父立会いのもと(先約があったダンナ母は前日に見に来た)、ビデオを構え、クッキーのかけらまみれになってもいいようにオムツ一枚になったたまの前にクッキーハウスを置き、「さあ、好きに壊していいよ」と促す。箱でも電話機でも壊しにかかるのが大好きなたまだが、「ダメ」と止められれば燃えるくせに、「どうぞ」とすすめられると尻込んでしまい、なかなか手を出さない。

しばらく見守っていると、屋根をなで、庭先のたけのこの里をひとつずつ取り外していく。口に入れる前に取り上げ、皿に移す。固めのクッキーをたっぷりのアイシングで固めた家は耐震構造になっていて、ドアはなんとかもぎとったものの、屋根と壁はちょっとやそっとたたいてもびくともしない。ゴジラよろしく家を持ち上げたたまが床に落としても、ひびも入らない頑丈さ。手ごたえがないと見ると、たまは飽きてしまい、ほとんど損傷のないまま15分ほどで解体イベントは終了した。

大人が無理やり屋根を剥がし、ばらばらにした家を食べた。幸い冷蔵庫の味はまだついてなくて、ぎりぎり噛める固さのハードクッキーは、建材とは思えないおいしさ。アイシングのついていない部分をたまにも分けると、口の中でじっくり溶かして食べていた。家一軒を食べ尽くすのは歯が立たないので、ダンナ父に半分持ち帰ってもらう。家のかけらを見ながら、ダンナ母に報告してくれたことだろう。

クッキーハウスはみきさんのダンナさんのお母さんがレシピと道具を提供し、みきさんの実家がオーブンを貸し、両家のお母さんを巻き込んだ騒ぎになっていたと聞く。ちょうど8月1日で結婚一周年を迎えるお祝いのパーティで両家が集まった席で、11/12才会のことを報告したとのこと。ダンナさんのお母さんからは、「素人にしては、屋根の角度を欲張り過ぎ、もう少し鈍角にしても良かったかも」とアドバイスがあり、「次回は、もっと生地も薄く焼いて重量を減らし、もう少し角度の優しい屋根にしたいと思います!あと、冬っていうか、やっぱり暑くない時期に作るほうが良いかもですね、成形段階の生地もすぐフニャフニャしちゃうし。そしたら、きっともっとベッピンさんになるはず」とみきさん。そうすれば、壊し甲斐のある家になるかもしれない。たまがお手伝いできるようになったら楽しいだろうなあと想像する。

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2000年07月31日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月30日(月)  劇団ダンダンブエノ公演『砂利』

「本谷有希子さんの芝居行かない?」とシナリオご意見番のアサミちゃんに誘われて、「行く!」と即答した。アサミちゃんは共通の友人であるヤマシタさんがやっている「プチクリ」という演劇批評のフリーペーパーのレイアウトを担当していて、前号が「本谷有希子」特集で、ご本人に会ったり、「劇団、本谷有希子」公演を観に行ったり、本谷さんの小説を読んだりして、すっかりはまっているのだった。

「本谷有希子作」の他に事前情報として仕入れた「ダンダンブエノ」がタイトルたと思ったら、ダンダンブエノは劇団の名前で、お芝居のタイトルは『砂利』といった。幸せを噛み締めた頃に壊しに来ると言った昔いじめた相手からの復讐を恐れ、その人物が来たときに音でわかるよう家の周りに砂利が敷き詰められている。怯える男には身重の妻がいて、兄と居候もひとつ屋根の下に住んでいる。さらに妻の姉が訪ねてきて、家政婦代わりとなって一緒に住むようになる。兄弟、姉妹、夫婦、家族であるのに知らなかった、いや、家族であるからこそ知られたくなかった秘密の結び目が少しずつほどけて明らかになっていく過程にスリルがある。

場面転換はなく、すべての出来事は砂利に囲まれた家の中で起こる。それぞれどこか屈折している登場人物たちの会話の応酬で新事実が提示され、展開が変化していく。役者が達者でなければテンポの悪い芝居になってしまう恐れがあるけれど、最後まで張り詰めた緊張感を緩めることない出演者の呼吸はさすがだった。とくに妻の姉役の片桐はいりさんの絶妙な間の取り方とコミカルな動きには目が釘付けになった。うまいなあといつも感心させられる山西惇さんを見られたのもうれしかったし、はじめて舞台で見た坂東三津五郎さんも味があった。登場人物たちが溜めていた感情を爆発させて砂利を踏み鳴らすシーンが印象的。動かすと均衡が崩れて音を立ててしまう「砂利」は、各々の生活や感情の中にある平穏や秩序のようなものなのかもしれない。

「本谷さんがいちばん興味あるのが、憎しみという感情なんだって」とアサミちゃん。わたしがいちばん描くことが苦手な感情でもある。その部分をあぶり出す作品で勝負し、評価を獲得している本谷有希子という才能には、この人にしか描けない世界という強烈な個性を感じる。舞台作品が映画化されて公開中の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』も観てみたい。

劇団ダンダンブエノ双六公演「砂利」

7月21日(土)〜31日(火) スパイラルホール

作:本谷 有希子
演出:倉持裕
音楽:ハンバートハンバート

出演
坂東三津五郎
田中美里
片桐はいり
酒井敏也
山西惇
近藤芳正


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2004年07月30日(金)  虹色のピースバンド
2003年07月30日(水)  脚本家ってもうかりますか?
2002年07月30日(火)  ペットの死〜その悲しみを超えて
2001年07月30日(月)  2001年7月のおきらくレシピ


2007年07月29日(日)  マタニティオレンジ152 子守すごろく

ダンナが午後から仕事に出かけ、娘のたまと二人で過ごすことになった。平日は保育園に預けているし、休日はダンナが家にいるし、どこかに出かけたり誰かが遊びに来たりするので、たまと長時間二人きりになることはめったにない。保育園から帰宅してから寝かしつけるまでの3〜4時間の3倍もの時間、さあ何して過ごそうか……。「長いな」と感じた自分を、慣れないお留守番を頼まれて戸惑うお父さんみたいだ、と思った。保育園がはじまる前は朝から晩まで二人きりのことが日常だったのに、ひさしぶりになると、半日でも気合を入れてかからなくてはならなくなっている。

ダンナが出かけたときは昼寝をしていたたまが、2時頃起きた。寝起きはいい。物をやりとりする「どうぞ」遊びをする。昨日お邪魔したトモミさんちで覚えた「どうも」がごっちゃになっているようで、わたしの「どうぞ」に合わせて物を差し出しながらコクンとお辞儀をするのがおかしい。「どうぞ」と「どうも」をセットで言うようにし、受け取ったわたしもお辞儀をすることにした。

「どうぞ」遊びに飽きると、関心はティッシュ箱に移り、ティッシュを延々と取り出し続ける。気が済むまでやらせつつビデオに撮る。一面ティッシュだらけに。薄いひと箱にこんなに入っているのか、と日本の製紙技術の高さに恐れ入る。取り出したティッシュを後で使うために紙袋に詰めたら、それもまた取り出して喜ぶ。

夜から雨の予報が前倒しして、3時過ぎから雷を伴った大雨が降り出す。バリバリ、ガラガラ、昨日の花火よりも音が近いが、雷に負けじと「ゴロゴロバーン」と花火の物まねをして見せ、「これは、たまの好きな花火の仲間ですよ」と教えたら、あまり怖がらずに済んだ。稲妻と音が数秒差の間近の雷にはさすがに身を震わせていたけれど、わたしもびびった。

雷がおさまると、だっこから下ろし、しゃもじを与える。これも昨日トモミさんちで仕入れたネタ。プラスチックのしゃもじの丸い部分をカーブを確かめるようになめて、30分ぐらいは機嫌よく遊んでくれた。

雨が上がったので、ベビーカーで図書館へ出かけることに。大雨の後でいい風が吹いている。図書館にはじゅうたんでゴロリとなれる絵本コーナーがあるけれど、閉館ぎりぎりだったので遊んで行けず。帰りに寄ったドラッグストアで赤ちゃん麦茶と赤ちゃんせんべい「ハイハイン」を買う。はじめて買ったハイハイン、気に入ったようで、2枚入りの2袋をぺロリ。この時点で17時半。あと一時間で保育園から帰ってくる時間になる。たまが寝てくれるまでは4〜5時間。子守すごろくをしているみたいだ。寝付いてくれたら、あがり。

離乳食をあげたら激しく泣き出され、3つもどる。うっかりして、さますのを忘れていた。こりゃ熱い。舌の上で止まっているあつあつのごはんのかたまりを撤去。舌は火傷していない様子だけど、母をなじるように泣き続ける。怒りをさまそうと水風呂で遊ばせると、最初はごきげんななめで泣きじゃくっていたけれど、急に一人であそびはじめる。よし、2つすすんだ。風呂上がりに食べ頃にさめた離乳食を食べさせる。しらすのおかゆを平らげたので、おかわりで納豆とアボカドとかつおぶしのおかゆをあげる。さらに551の蓬莱の豚まんの皮をいくらでも欲しがる。右手を出して「ちょうだい」のポーズ。2センチ平方ほどの塊であげても、モグモグして上手に食べ、豚まん半個分ほどの皮が消えた。551効果で2つすすむ。

満腹になり、ダンボールハウスでしっかり遊んでぐれる。たまを疲れさせようと、わたしもハイハイして追いかけたり追いかけられたり。全身運動なので、たまより先にわたしがばてる。でも、たまも体力消耗したはず。ゴールは近いか。布団を敷くと、シーツに興奮。シーツの中に入ってかくれんぼがはじまる。家具の前に築いたバリケードのダンボールに体当たりして、歓声を上げているうちに22時。まだ寝てくれない。ふと目が覚めると24時。隣でたまがすやすや寝息を立てている。子守すごろく、いつの間にかあがっていた。たまより先にわたしがゴールしてしまったのかもしれない。たった半日でばててしまった子育て体力の低下を思い知り、これが毎日になっているお母さんたちのスタミナと気力に頭が下がる。


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2004年07月29日(木)  クリエイティブ進化論 by MTV JAPAN
2002年07月29日(月)  中央線が舞台の不思議な映画『レイズライン』


2007年07月28日(土)  マタニティオレンジ151 特等席で隅田川の花火

マタニティビクスで知り合い、助産院出産仲間、貧血持ち同士、年齢が近くて出産予定日も一日違い、と何かと共通することが多くて意気投合したトモミさんから「うちのマンションからよく見えるの」と隅田川の花火のお誘いをいただき、一家でお邪魔することに。出産予定日から互いに一日ずつ遅れて出産し、8月22日生まれのたまに続いて、トモミさんは23日にミューちゃんを出産。合同の11/12才祝いもしましょうということになった。たまの1/12才の誕生日ケーキを買った近所のパティスリー・シモンでケーキを調達。「たま 1/12才」のプレートをお願いしたとき、「猫だと思われたかもな」とダンナは言った。「ミュー&たま」だとますます猫っぽい。

ベビービクスで何度か顔を合わせているものの保育園に通いはじめて以来ミューちゃんとはごぶさたのたまは、久々の再会に最初は緊張気味。場所見知りも手伝って、不安そうにわたしの足にしがみついてきた。30分ほどすると、双方から手を伸ばし、ちょっとずつ歩み寄り。キッチンで食事を用意するトモミさんを、二人並んで立入防止柵につかまって眺める後姿がなんとも微笑ましかった。髪のふわふわ具合もまるまる太った背格好もよく似ている。

キッシュ、生春巻き、ゴーヤのおひたし、アボカドの冷製スープ……とごちそうが続々食卓に並ぶ。わたしのカレー好きを知って近所のインド食材店で買ってきてくれたチャパティと本格インドカレーも加わった。わたしの箸も進むが、離乳食をいただくたまもわが家で見せる以上の食べっぷり。鯛と野菜を煮込んだおかゆ、枝豆のマッシュと豆腐をまぜたもの、さらにわたしのアボカドスープも気に入った様子。

写真が趣味というダンナ様とは初対面。貴重な母娘ショットを撮っていただく。以前、わたしの書いたプロットをトモミさんに読んでもらったときにダンナ様から丁寧で的を射た感想を頂戴したのだけれど、その話に行き着く前に話すことが尽きず、せっかく会えたのにお礼すら言いそびれてしまった。トモミさん一家とは初対面のわがダンナも食事と会話と娘二人の眺めを楽しんでいた。最近なんとなくバイバイを覚えたたまはウィスキーグラスをくゆらせるような手のひらを上にした不細工バイバイなのだが、ロイヤルファミリー風に優雅に小さく手を振るミュー嬢を見ていると、気品の差は歴然。「どうも」と言うと頭を下げたり、「ノリノリ」と言うと首を振ったり、ミューの芸達者ぶりにもびっくり。

花火がはじまると、上の階のベランダに移動。第一会場と第二会場の両方の花火を見渡せ、涼しい風も吹いて、絶好の花火鑑賞ポイント。音が近いので怖がるかと思ったけれど、たまは夜空に咲く花火の美しさに気を取られたようで、口をあんぐりさせて見入っていた。とはいえ赤ちゃんの集中力は一時間半も持たず、後半はたまもミューも寝入ってしまった。いっそう重くなった娘たちのだっこはパパたちにまかせ、トモミさんと「去年の今頃はまだおなか大きかったのよねえ」と懐かしんだり、マタニティビクス仲間のあの人この人を思い出したりした。視線の先には、トモミさんと出会ったマタニティビクス教室が入っているビルがあった。子育ての友と娘の友だちに加えて特等席での花火にまで恵まれるとは、縁とは面白くってありがたい。

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2004年07月28日(水)  日本料理 白金 箒庵(そうあん)


2007年07月27日(金)  あの傑作本が傑作映画に『自虐の詩』

先日、S.D.P.(スターダストピクチャーズ)という製作会社に挨拶に行ったとき、『自虐の詩』のポスターを見つけて、「あ、これ映画になったんですね」と声を上げた。原作の業田良家の漫画を「傑作だよ」と貸してくれたのも映画プロデューサーだったが、その人からも、読んで衝撃の雷に打たれたわたしもなぜか「映画化」という言葉は出なかった。シンプルな線の四コマ漫画に描かれていない部分、各エピソードの間にある空白を読者は勝手に想像し、感動を増幅させる。それを映画という一本の流れにして見せると、原作よりも話が萎んでしまう気がした。

ところが、イサオがちゃぶ台をひっくり返す瞬間を切り取ったポスターは、わたしの思い込みまでひっくり返してしまった。ごはんが、味噌汁が、醤油が、肉が、宙を舞う。これ、劇中でも本気でやっているのだろうか。パンチパーマの阿部寛さん、鼻に大きなほくろをつけた中谷美紀さんは、美男美女であることを忘れさせるほどロクデナシ男と不幸妻にはまっている。原作を読んだときにはこの二人の顔など思い浮かびもしなかったのに、写真を一目見ると、この二人しかイメージできなくなる。これはすごい映画になっているのではないか、とポスターにぐぐっと顔を近づけたら、親しくしているプロデューサーの名前を見つけ、試写状をおねだりすることにした。

試写用パンフからもただならぬ自信と意気込みがうかがえたが、プロデューサーの植田博樹さんが書かれたプロダクションノートが読み応えがあり、作品へのまっすぐな愛情が伝わってきて、上映前にほろりとさせられてしまった。思い通りにいかなくても投げ出すわけにはいかない作品づくりは、子育てにも似ている。誰が何と言おうと、この子(作品)は自分が立派に育てて世の中に出してやるんだ、という親(製作者)の思い、成人したわが子(完成した作品)をどうだ見てくれ、という親バカの混じった誇らしさと淋しさ……。手のかかる子ほどかわいいと言うけれど、2002年に原作に出会い、本作りに二年かけた道のりの長さもまた思い入れを深くしているのだろう。

期待が膨らみきった状態で上映を拝見したが、原作の空気をうまく醸していることに何より感心する。現在と過去、イサオの話と幸江の話、細切れのエピソードの配置は飛躍や脱線をしているように見えて、それでもちゃんと物語は進んでいる。頭で考えると辻褄を合わせようとしてしまうのだが、感覚でつなげているような印象。バランスを取ろうとせず、あえて空白を埋めない。それが四コマ漫画を読む感覚を残すことに成功している。不幸をチャーミングに演じてしまう中谷さんの幸江、台詞は少ないのだけれどギロリという目が言葉以上に語っていた阿部さんのイサオはもちろん、少女時代の幸江と熊本さんのキャスティングが「よく見つけてきたなあ」と驚くほどお見事。さらに少女時代の熊本さんと大人になってからの熊本さんとのつながりは喝采もの。原作のラストを読んだときの衝撃と感動を上回るすばらしいラストシーンを見せてくれた。

脚本の関えり香さんにはNHKの会議室で一度お会いしたことがある。若手の脚本家が集められたその会に、パンツスーツとハイヒールで颯爽と現れた美しい人だった。漢字にひらがなが挟まれた字面が目につきやすく、ドラマのクレジットなどで名前を見つけると、「お、書いてるな」と一方的に刺激をもらっていた。傑作での映画脚本デビューに、嫉妬と羨望まじりの拍手を贈りたい。

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2005年07月27日(水)  シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年07月27日(火)  コメディエンヌ前原星良
2002年07月27日(土)  上野アトレ
2000年07月27日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月26日(木)  エアコンの電源が入らない

エアコンの電源が入らないのに気づいたのは、冷房を入れようと思った日だから、6月の終わり頃だろうか。暖房のときは問題なく動いていたのにリモコンに反応しない。リモコンの電池を換えてもダメで、取扱説明書片手に「強制運転」のボタンを押しても作動しない。本体ごと故障したのだろうか、十年以上使っているし買い替え時なのかもしれない、などと思いつつ富士通ゼネラルのサービスセンターに電話すると、5000円で出張して見てくれるという。その場で直せるか修理に出す必要があるかは見てからの判断になるが、5000円なら見てもらおうという気になった。見るだけで1万円と言われたら尻込みしたかもしれない。オーブンレンジのときは出張費13000円と言われて買い換えた。

脚立と道具箱を持ってやる気十分の修理士さんを出迎え、「もう暑くて困るんですよー」と訴え、何とか今日直して帰ってくださいねとプレッシャーをかけてみる。エアコンのふたを開けて中を点検していた修理士さんが「ブレーカーはどこですか」と聞くので洗面所へ案内した。再びエアコンの元に舞い戻った修理士さんがリモコンを手にすると、「ピ」と懐かしい音が聞こえた。続いて「ブオーン」と寝起きのような唸りを上げてエアコンが動き出した。「ブレーカーがね、落ちてましたよ」。消費税込み5250円の領収書とともに渡された作業報告書の「症状・原因・処理」欄には「●電源入らず ●ブレーカーが落ちていた ●〃を入れる」と記載されていた。「何やっても電源が入らないんです」と電話で症状を訴えたときにサービスセンターの担当者が「ブレーカー」に気づいてくれれば出張費が浮いたのだが、あまりに基本過ぎて聞かれなかったのかもしれない。「今日からは涼しくなりますねえ」と飄々と去って行った修理士さんの仕事ぶりも涼しげで、2007年夏の清涼ネタひとついただきと思うことにする。

「コンセントはちゃんと入ってますよね?」と聞いてくれたサービスセンターも過去にあった。パソコンを打っていたら突然電源が落ちて再起動しても反応せず、真っ青になってシャープに電話したときのこと。はっとして見ると、自らの重みに負けたコンセントが床に転がっていて、問題は氷解。あのときの教訓があったので、今回もコンセントが入っていることは確認したのだけれど、ブレーカーまでは思い至らなかった。エレベーターに乗って、「いつまで経っても動かない! 故障だ!」と緊急ボタンに手を伸ばしかけたら、行き先階のボタンを押していなかったということもあった。電気回路より「故障」とすぐに思い込む思考回路に問題があるらしい。

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2005年07月26日(火)  トレランス番外公演『BROKENハムレット』
2004年07月26日(月)  ヱスビー食品「カレー五人衆、名人達のカレー」
2002年07月26日(金)  映画『月のひつじ』とアポロ11号やらせ事件
2000年07月26日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月25日(水)  父と娘から生まれた二つの『算法少女』

新聞の書評で知った『算法少女』を読んでみたくなったのは、「算額」が物語に登場すると書かれていたからだった。NHK-FMのFMシアターで『夢の波間』という廻船問屋の話を書いたとき、航海の安全を願って絵馬に船の絵を描いて奉納していたという史実を知って取り入れたのだが、数式などの問題を書いた「算額」と呼ばれる絵馬があることも知った。こんな難題が解けましたという報告であると同時に、あなたは解けるかなという挑発でもあり、今でいう雑誌やテレビのクイズ番組のような役割を果たしていたのかもしれないと想像は膨らみ、算額でラジオドラマが一本書けそうだと思った。

読んでみると、算額で投げかけられた問題を解く場面は冒頭だけで、身分の高い男が観音様に奉納した算額の解き間違いを、通りがかった町娘の千葉あきが指摘する。父の桃三に手ほどきを受けているあきは、ただ問題を解くのが楽しくてたまらないだけなのだが、「算法少女」の噂を聞きつけて、藩主の屋敷へ上がって家庭教師にならないかと声がかかったり、それを阻む者が出てきたり。派閥の対立や大人たちの駆け引きは落ち着きがないのだけれど、少女の学ぶことへの情熱とひたむきさは終始まっすぐでぶれがなくて堂々としている。権力も身分もなくたって、学ぶことで何者にもひるまない強さを獲得できる。そのことを証明するあきの姿がすがすがしく、読んでいて爽やかな気持ちになれた。親だったら子どもに、教師だったら生徒に読ませたくなるのがうなずける。

物語の中で、少女あきが父と力を合わせて著した和算書が登場するのだが、その名も『算法少女』。これは安永四年(1775年)に刊行された実在する本で、その史実に作者の遠藤寛子さんが想像で肉付けして生まれたのが小説版『算法少女』なのだった。研究者であったお父さんの机のそばでよく遊んでいた遠藤さんは、『算法少女』という和算書のことを幼い頃にお父さんから聞き、興味を持ったという。小説版『算法少女』もまた学ぶ情熱を持った父と娘から生まれていた。1973年に刊行され、サンケイ児童出版文化賞を受賞
するなど話題を呼んだが、売れ行きが落ちると廃刊になったという。復刊ドットコムに数学関係者らが中心となって働きかけたものの復刊には至らず、諦めかけた矢先に熱心に動いてくれる人があって、ちくま学芸文庫から復刊の運びとなったらしい。復刊までの道のりを綴るあとがきの遠藤さんの言葉もひたむきでまっすぐで自分を信じる強さがあり、作中のあきの姿と重なる。

父といえば、わたしの父イマセンも高校の数学教師だったけれど、「なんでこの問題がわからんのかわからん!」と言う父にとっては、自分の遺伝子を受け継いでいる娘に数学の素質がないことが謎のようで、父娘で数学書や数学小説を著すなどとんでもない話だった。数学教師の父と娘らしい風景で思い出すことといえば、電車の切符に印字された四桁の数字を「+−×÷分数ルート小数点何使ってもええから10にしてみい」という遊びを教えてもらった。「1234」なら「1+2+3+4」、「5678」なら「56/.(7×8)」(数字二つを二桁とみなすのもありだった)。父の発明だと勘違いしていたのだが、先日電車に乗ったら同じ遊びに興じている親子がいて、よそでもやってるのか、今もあるのか、と二度驚いた。

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2005年07月25日(月)  転校青春映画『青空のゆくえ』
2003年07月25日(金)  日本雑誌広告賞
2000年07月25日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月24日(火)  マタニティオレンジ150 自分一人の体じゃない

妊娠して、「あなた一人の体じゃない」と言われるようになったのは新鮮だった。自分の体をそんな風に考えたことは、それまでなかった。お酒を飲もうと、風邪を引こうと、自分だけで完結することだった。それが、自分の体だけではなく、自分とつながっているもう一人のことを考えなくてはならなくなった。自分をた大切にすることは、もう一人を大切にすることであり、自分を傷つけることは、もう一人を傷つけることだった。

生まれてからは母乳でつながるから、やはり自分一人の体ではない。幸い娘のたまは今のところとくにアレルギーはなく、母親のわたしは牛乳も卵も生クリームも食べられる。大好きなケーキを食べても、たまの顔にぶつぶつが出ないのをとてもありがたいことだと思っている。ところが、わたしのほうにアレルギーが出てしまった。7月の頭に左腕の肘の内側に現れた発疹がなかなか消えず、強烈な痒みを伴うので、つい掻いてしまったところ、左腕の付け根から手首まで赤くて痒いのが押し寄せた。家にある痒み止めやかぶれ止めを手当たり次第塗ったら、薬が合ってなかったのか、組み合わせが悪かったのか、ますますかぶれて水ぶくれのようになった。さらに腕の内側ばかりが外側まで赤みが広がり、右腕やおなかにも発疹が出てきた。痒みで眠れないほどで、ついに皮膚科に駆け込んだら、「多形性なんとか」というアレルギー反応(「多形滲出性紅斑」が正式名称のよう)だと診断された。見せられた症例写真より、わたしの腕のほうがひどいことになっていた。季節の変わり目などにかかりやすく、原因がわからないことが多いという。塗り薬とあわせて内服薬で治療することになった。

ここで問題。「そっか、授乳しているのね」とお医者さん(女医さんだった)。「でも、塗り薬だけだと、時間かかるわよ」と言われ、薬の服用中は授乳をあきらめることに。抗アレルギーの薬というのが、かなりきついらしく、強烈な眠気を誘う。悪寒がして体がだるくなり、自分を斜めから見下ろしているような浮ついた気分になる。鼻炎カプセルを用量の倍飲んだときのよう。この状態でたまの相手をするのがしんどかった。朦朧とした頭にたまの泣き声がわんわん響いて、ごきげんを取ろうにも気力体力が消耗していて体が思うように動かない。おっぱいが使えれば一発で泣き止ませられるのに、それが禁じ手なのが何より辛い。たまも泣き募るが、こちらも泣きたくなった。

一日二錠の抗アレルギー薬を一錠にしたけれど、それでも体は重かった。三日耐えると、肌のかぶれは目に見えて引いていった。一週間分出してもらった薬をその時点でやめ、授乳を再開。たまもうれしそうだけれど、わたしもうれしい。薬のいらない体のありがたみを噛み締める。不幸中の幸せをもうひとつ探せば、かぶれたのが顔でなくてよかった。腕なら長袖で隠せるけれど、覆面して打ち合わせには出られない。

あたためるといけないのでお風呂もお預けとなったが、おっぱいばかりか、お風呂の楽しみまでたまから奪うわけにはいかない。水風呂でも寒くない夏でよかった。水遊び感覚で、いつもより長風呂できる。とばっちりだったり、おこぼれだったり、赤ちゃんは否応なく母親の健康状態の巻き添えを食らうし、その結果もまた母親に跳ね返ってくる。「母子ともに」という言い方をよく使うけれど、体調と機嫌の良し悪しはまさに母子連動型だと痛感。

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2000年07月24日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月23日(月)  マタニティオレンジ149 ダンボールハウス

保育園でもらったお便りに、おもちゃを食べ物にたとえたお話が載っていた。子どもには栄養のあるおもちゃを与えたいけれど、カロリーの取りすぎや刺激物の扱いには気をつけたい。そういったことが、食べ物に置き換えると、わかりやすい。高価なものより、高度な動きをする機械仕掛けのものより、素朴な手作りで十分。空き箱だってビニール袋だっておもちゃにしてしまうのだから。

同じお便りに「テレビの入っていたダンボールが大活躍」というお母さんの手記が寄せられていた。箱を家に見立てたりすべり台にしたり、子どもならではの発想で次々と楽しい遊びを思いついたという。折良く21日に届いた仕事用の椅子は、わたしとダンナが身を寄せ合って入れるほどの大きなダンボールに納まってきた。のぞき窓をつけたり、倒れないように天井と壁を補強したり、多少のリフォームを施してダンボールハウスが完成。将来的にはダンボールの家には住んでほしくはないが、11か月児の持ち家としては上出来ではないだろうか。

家主のたまは、最初は「なにかしら?」という感じで様子を眺めていたけれど、わたしが先にダンボールハウスに入り、のぞき窓から顔を出して「たま!」と呼びかけると、「ヒャー」と悲鳴を上げて興奮。わたしもまぜてとばかりにハイハイでハウスの中へ。ハウスの中と外でかくれんぼしたりハイハイで追いかけっこしたり、ダンボールの壁につかまり立ちして窓から外を眺めたり、30分ぐらいはごきげんで遊んでくれる。ダンボールの扉に穴をあけ、布紐(紙袋の持ち手をリサイクル)を通して両側から引っ張れるようにすると、これまた面白がって何度も引っ張る。低カロリー高栄養価のおもちゃは飽きが来ない様子。おかわりをよそう勢いで、壁にマジックテープを貼って、フェルトを貼り付けられるようにしたらどうだろう、上からぶら下げるのはどうだろう、と増改築プランを膨らませている。

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2005年07月23日(土)  映画『LIVE and BECOME』・バレエ『ライモンダ』
2004年07月23日(金)  ザ・ハリウッド大作『スパイダーマン2』
2003年07月23日(水)  チョコッと幸せ


2007年07月22日(日)  マタニティオレンジ148 ダブルケーキに仰天!たま11/12才

昨年8月22日に生まれた娘のたまは、今日で11か月。立っちを覚え、ふすまやサッシ戸をかなりの速さで伝い歩くようになり、時々偶然のように一歩が出ることもあり、近いうちに歩き出しそう。バイバイを覚えたけれど、ウィスキーグラスをくゆらせるように手のひらを上にして指を丸めた状態で振る。五本指同時に動いていたのが指単位でも動かせるようになってきて、わたしの鼻の穴に指を突っ込むのが大好き。かなりの確率で穴に命中するので、ちゃんと狙っているらしい。よく使う言葉は「マンマ」と「ママ」。食事のときには「ナイ」と催促。「ない」なんて教えたつもりはないのに、どこで覚えたのか。食欲はますます旺盛で、離乳食の食べっぷりも成長。うどんを長いままずるずるすすり、豚まんの皮ももりもり食べ、上下四本ずつの歯で、クッキーもぼりぼりかじる。先週末の休日外来で体重を測ったら9100グラム、ついに9キロを超えた。70センチサイズでは窮屈になりつつあり、そろそろ80センチサイズの出番。


ちょうど日曜日と重なり、月齢誕生日に11回目の誕生会を開催できた。マンスリーゲストには、5月にVolo Cosiで結婚をお祝いした(>>>5月12日の日記)みきさんが2か月前から手を挙げてくれていた。「みきさんというのは、こないだ家に来てくれた君のブレスト本の読者で、そのダンナさんは君も初めて会うんだね。面白い縁だねえ」とお客さんが来る前にダンナは人物関係を予習。夫妻には恒例のケーキをお願いしていたのだが、みきさんは元ウェディングプランナー、ダンナさんはホテルマンということで、つい期待が膨らんでしまう。みきさんが抱えてきた大きな紙袋から取り出された背の高い箱を開けると、中から現れたのは、まんまるいケーキ。「たまちゃんなので、球をイメージして作ってもらいました」とみきさん。ウェディングプランナー時代におつきあいのあった表参道のアニバーサリーのオーダーケーキだとか。ハート型のプレートに書き込まれた文字も見事で「さすが」と唸っていたら、「もうひとつあるんですけど」とダンナさんも大きな紙袋を抱えていた。


開けてびっくり、アクリルケースに納められたクッキーの家が現れた。「これ、どうしたの?」「作ったんです」。ダンナさんのお母様がアメリカに暮らしていた頃に覚えたレシピ通りにクッキーを焼き、組み立てた手作りだと聞いて、びっくり仰天。屋根には煙突があり、庭にはたけのこの里が顔を出し、玄関ではたまによく似たひよこちゃんがお出迎え。今日で会うのが三度目のみきさんと初対面のダンナさんに関するデータ不足で、わたしたちより10才ほど若いこの夫婦にこんな飛び道具があるとは予想外だった。その不意打ちに、ここまでしてもらえるとはという感激が加わり、しばらくは言葉が出ないほどだった。昨日夜なべしてチリコンカンと野菜のコンソメゼリーを仕込みつつ、子どものために張り切る自分をほめてあげたりしていたのだけれど、とんでもない。二人がかり、二日がかりでクッキーハウスを仕上げた若夫婦に最敬礼。クッキーを固めに焼き、アイシングでしっかり固めて耐震構造にしてあるというが、わが家まで運んでくるのもさぞ緊張したことだろう。

ダブルケーキのサプライズに見合うおもてなしができますやらと心配になったが、ダンナさんのエビ・カニ好きを聞きつけたかのように、ちょうど『子ぎつねヘレン』ロケで親しくなった網走の獣医・荒井先生からボイルしたシマエビと毛ガニがどっさり送られてきていた。半解凍してそのまま食べ、カニの殻でスープを取って食後のリゾットに。おすそわけでいただいた農家手作りの瓜のおつけものに大きな大葉をちらしたものも珍しがられ、近所の「肉の竹井」自慢の肉のたたきも喜ばれた。わたしのチリコンカンと野菜ゼリー(さやいんげんとミニアスパラとナスとパプリカをコンソメスープで固める。テリーヌではなくゼリーに発想転換してプリン型で固めたら、なんとかサマになった。カッテージチーズを添えて)とパンがにぎやかさを添え、さらにご近所仲間のK夫人から餃子の差し入れがあり、お祭りのような食卓となった。来月1日に結婚一周年を迎える夫妻のなれそめや結婚式の話を聞き、機嫌のいいたまと遊んだり、ぐずるたまをあやしたりしているうちに、6時を指していた時計は11時になった。

球のケーキの中は、生クリームとフルーツをサンドした口解けのいいスポンジ。大人四人でひと球食べてももたれない、上品でやさしい甘さ。11本のキャンドルは真っ白い球に突き刺すのは気が引けて、周りを取り囲むイチゴに立てた。炎の熱でふにゃりと反ってしまったハートのプレートは、球から取り外して、クッキーハウスの屋根にお引越し。ハウスは冷蔵庫に保管して、日をあらためて取り壊し会を行うことに。家を建てた余りの生地で焼いたというクッキーを食べてみたら、これまたおいしく、一軒まるごとぺろりと平らげてしまいそう。


2007年06月24日(日)  マタニティオレンジ135 うっかりケーキでたま10/12才
2007年05月20日(日)  マタニティオレンジ120 たま9/12才
2007年04月21日(土)  マタニティオレンジ109 ご近所仲間とたま8/12才
2007年03月25日(日)  マタニティオレンジ99 たま7/12才とインターナショナル
2007年02月24日(土)  マタニティオレンジ82 たま6/12才と応援団


2007年01月20日(土)  マタニティオレンジ61 たま5/12才
2006年12月23日(土)  マタニティオレンジ47 たま4/12才
2006年11月23日(木)  マタニティオレンジ31 たま3/12才と食育
2006年10月22日(日)  マタニティオレンジ23 たま2/12才
2006年09月23日(土)  マタニティオレンジ 誕生日コレクション

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2005年07月22日(金)  万寿美さん再会と神楽坂阿波踊り
2002年07月22日(月)  10年前のアトランタの地下鉄の涙の温度


2007年07月21日(土)  体に寄り添う仕事用の椅子

腰痛が良くならない一因は椅子にもある、と車椅子専用クッションを買ったのが5月のこと。中のウレタンがすかすかになった椅子の上に一つ、背中にも一つ、だいぶ楽にはなったもののやはり一時しのぎにしかならず、ついに仕事用の椅子を買うことに。会社員時代、会社のデスクでは人体工学に基づいたとかいういい椅子に座っていたのだ。ダイニングチェアで仕事をするというのは、やはり無理がある。

椅子というのはピンキリで、何が違うのかよくわからないけれど、上を見ると何十万とするものが出回っている。10万を切る中でいちばん良さそうに思えたフィーゴチェアに絞り込んだ。カラーの選択肢にオレンジがあったことも決め手。6月の終わりにネット購入したのだが、到着するのに一か月もかかった。「購入」のボタンを押した瞬間から、こっちはもうダイニングチェアでは仕事しないぞという気になっているので、待つ間のひと月は別れ話を切り出した相手とデートし続けるような苦痛があった。腰痛が悪化したせいもある。

さんざん焦らしてご到着のフィーゴ様。玄関を埋めるような巨大な箱からずるずると引きずり出し、どれどれと座ってみると、なんともしっくり体に寄り添う。キーボードから離した腕を休める肱置きもある。仕事用の椅子はこうでなくちゃ。こうなると車椅子専用クッションは隠居かと思ったが、試しに椅子にのっけてみると、違和感がなく、より長時間対応仕様になった気もする。しばらくあわせ業で使い心地を見てみることにした。

使ってみて気づいたのだが、仕事用の椅子と食事用の椅子を分けると、オンとオフを分けやすくなる。これまではパソコンを打つ合間に食事やお茶をするとき、90度ずれた位置にある同じ椅子に乗り移るだけで、どうしても仕事気分を引きずったまま休憩したり、休憩気分を引きずったまま仕事に戻ったりしていた。ところが、座り心地がまるで違う椅子の間を行き来すると、おしりでスイッチを押すがごとく仕事モードと休憩モードが瞬時に切り替わる。なんだか執筆がはかどりそうではないか。せめて椅子の代金ぐらいは稼がないと。

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2005年07月21日(木)  日本科学未来館『恋愛物語展』
2004年07月21日(水)  明珠唯在吾方寸(良寛)
2002年07月21日(日)  関西土産
2000年07月21日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月19日(木)  忘れ物を忘れる速度

先週大阪から帰ってくる途中で、娘のたまの長袖ブラウスを落としてしまったらしい。飛行機の中で飲ませたりんごジュースがこぼれたので脱がせ、手に持ってひらひらさせて乾かし(機内は乾燥しているのかすぐにほとんど乾いた)、羽田空港から乗り込んだ京急電車の中で、袖なし一枚だと寒いだろうから羽織らせようとしたらいやがったので、手提げかばんにしまった……はずなのだが、帰宅して、かばんの中身を全部空けたとき、ブラウスが消えているのに気づいた。かばんは結構な深さがあり、口からぽろりと落ちたとは考えにくい。わたしがスーツケースに気をとられている間に、だっこひもの中からたまが手を伸ばしてブラウスを引っ張り出し、手を離してしまった、そんなことがあるだろうか。靴下が落ちましたよ、ガーゼが落ちましたよ、とこれまでにも落し物を知らせてもらったことは何度もあったけれど、今回は運が悪かったということだろうか。

京急から乗り換えた都営線の降車駅で尋ねると、同じ路線の各駅に届いている落し物情報と照合してくれたが、子ども用のブラウスはなかった。京急線と京急からつながっている北総線にも問い合わせたけれど空振りで、三日経って東京都交通局の忘れ物センターに電話しても、ブラウスは届いていませんという返事だった。自分の服だったらこんなにこだわらなかっただろう。娘の誕生祝いに贈られた大切な一着だから、簡単にはあきらめられない。そろそろ長袖の季節ではないし、秋には袖が足りなくなって着られなくなっているだろうし、そうしたら次の赤ちゃんにあげる運命だったかもしれないけれど、だからこそ、着られるうちにもっと着せておけばよかった、写真を撮っておけばよかった、と悔やんでしまう。

それでも、なくした日から一日経ち、二日経ち、一週間経ち、ブラウスのことを考える時間はどんどん短くなっている。ひとつのものを追いかけ続ける余裕がないのだ。もっと他にやることがあり、考えなくてはならないものがあり、ちっぽけな探し物を追い出していく。そうやって、ひと月も経てば、ブラウスのことを考えない日が来る。忘れ物は二度忘れられる。

小学生の頃、大切にしていた人形をなくしたときは、何日もそのことばかりを考えていた。代わりが見つからない淋しさを半年ぐらい引きずっていた。あの頃の自分の持ち物は全部合わせても小さな手を広げて抱え込めるぐらいの量で、どれかひとつがなくなっても大きな穴があいた。今の自分はたくさんの引き出しや箱に分散された持ち物の何がどこにあるかさえつかみきれていない。その中のどれかが姿を消しても、バランスやレイアウトが大きく崩れることがない。片方だけが残ったピアスを見れば、なくしたもう片方のことを思い出せるけれど、並んだ指輪コレクションを見ても、欠けた仲間を思い出すのは時間がかかる。いつの間にか消えていることにいまだに気づいていない物だってあるかもしれない。一人が持ち物に寄せる愛着の総量は決まっていて、物が増えれば、一つあたりの愛着は薄くなるのだろうか。物を人に置き換えたら、ちょっと怖い。

忘れ物のことを忘れる速度は、大人になってしまったことを測るバロメーターになるのかもしれない。だけど、ひとつの物のことを脳みそに居座ったみたいに思い続けられた頃が自分にもあったことを忘れたくない、そういう気持ちを置き忘れたくない、と思う。そのことを思い出させてくれた小さなブラウスのことを一日一度は思い出そう。何かにさからうみたいに、そう思っている。

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2005年07月19日(火)  会社員最後の日
2002年07月19日(金)  少林サッカー
2000年07月19日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月17日(火)  マタニティオレンジ147 働くお母さんの綱渡り

3連休の3日めの昨日、ごきげんで目覚め、家でのんびり遊んでいるたまに、いつもと変わった様子は見られなかった。が、昼ごはんを終えてしばらくした頃、「ちょっと、たまが熱い!」とダンナが叫んだ。抱っこすると確かに熱い。汗ばんだ体から湯気が立ち上るようで、熱を測ると8度9分ある。さっきまで何ともなかったのに、どうしたのだろう。夏風邪だろうか。こんなとき、ダンナはたまのことだけ心配するが、わたしは「明日の打ち合わせどうしよう」と仕事のやりくりにも頭を悩ませる。朝までに熱が下がらなかったら保育園に預けられないが、明日はどうしても外せない打ち合わせがある。近くの小児科の病児保育に申し込もうか。でも、前も前日に電話したら6人待ちと言われたし、いっぱいかもしれない。それに、お迎え時間は保育園より30分早いから、ただでさえ時間が足りない打ち合わせをさらに早めに切り上げなくてはならなくなる……。ダンナの実家に電話し、事情を話すと、ダンナの父が仕事を休んで見てくれると言う。「大切なのは、たまだからね」と言ってくださり、ありがたいが、熱が下がったら、仕事を休んでいただく厚意が無駄になってしまうのは心苦しい。そんなこんなを葛藤するのは、どうしてダンナでなくて妻に偏ってしまうのだろう……などと悶々としているとわたしの熱まで上がりそうになる。

水分をたっぷり取らせて汗をかかせ、こまめに着替えさせても、熱は下がらない。体調が悪いと、機嫌も悪く、激しく泣き続ける。夕食前、大病院の休日外来に電話し、タクシーで駆けつけると、待合室に着く頃には泣き止み、笑顔さえ見せている。5月の浣腸騒ぎのときと同じパターンだ。心なしかおでこもひんやりしている気がする。「これで熱まで下がってたら示しがつかないよ」と、さっきまで解熱に励んでいたくせに、勝手なことを思ってしまう。体温を測ると、あいかわらず8度を超えていて、ほっとするやらがっかりするやら。診断の結果、熱の原因は風邪とも夏ばてとも判断がつかず、まだかかっていない突発(突発性発疹)の可能性もあると言われ、解熱用の頓服だけ出してもらうことに。診察の間、先生は患者よりもパソコンに向きあっている時間のほうが長く、カタカタとカルテを打ち込むのに忙しい。生身のお医者さんではなく、コンピュータに診断されたような不思議な気持ちになる。

解熱剤は9度以上の熱が出たときにお使いください、ウィルスなどをやっつけるために体が戦っているから熱が出るので、その働きをおさえてしまうことになります、と薬剤師さん。その言葉を守り、祈るような気持ちで一晩様子を見ると、今朝、熱は6度台にまで下がっていた。結局原因はわからなかったけれど、もしかしたら大阪帰りの疲れが出たのかもしれない。戦いを終えてさわやかな朝を迎えたたまは無事保育園にお預けできた。仕事を休んでくれたダンナ父は、熱が下がったことを喜んでくれつつも、たまと一日過ごせなくなったことは残念そうだった。迷ったけれど、看護師さんのいる保育園で安静にしているほうがいいと判断したと伝えると、「たまにとって、それが一番いいことなんだね」と念を押された。自分の都合を優先させただけではないか、という後ろめたさもあったけれど、定刻に迎えに行ったときのたまの元気そうな顔を見て、これでよかったのだと思えた。結果オーライではあったけれど、子どもを預けて働くというのは綱渡りだ。融通がききやすいフリーランスでもこうなのだから、会社勤めの人はもっと大変な思いをしてやりくりしているのだろう。

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2005年07月17日(日)  阿波踊りデビュー
2004年07月17日(土)  東京ディズニーシー『ブラヴィッシーモ!』
2000年07月17日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月15日(日)  MCR LABO #4 愛憎@shinjukumura LIVE

2月の第1弾から毎回感心して観てきたMCR LABOの第4弾「愛憎」を観る。最終回の今回は、これまで通り短いエピソードがたたみかけられる形だけれど、最初から最後までがひとつのストーリーとしてつながっている。おぐらあずきさん(小椋あずきという名の女優さんが演じている)という冴えないOLの42歳の誕生日を10歳年下のけっこうかっこいい彼氏が祝うところから物語は始まる。ダイエット中のあずきさんのために小さなケーキに42本のロウソクを無理やり立て、「竹林」とおどける彼氏。こういう細かい笑いがMCR LABOのお楽しみ。大好きな彼氏と二人きりのバースデー、あずきさんはうれしいはずなんだけど、素直になれない。相手に言われたくないことを先回りして口走ったり、相手に言ってほしいことを誘導しようとしてまわりくどい物言いになったり、自分でも「こういうこと言いたいんじゃないんだけど」と違和感を抱えながらもどんどんめんどくさい女になっていく。この過程が、わたしがめんどくさい女になっていくときに実によく似ていて、小柄なくせにリアクションが大きなあずきさんの姿は鏡を見るようであり、自分のお恥ずかしい姿を舞台上で再現されているようで身につまされた。作・演出のドリルさんの書く状況や台詞は本当にリアルで、ああ言われたらこう言うというかけあいが絶妙で、登場人物側にぐいぐい観客を引っ張りこんでしまう。

いいヤツだけど優柔不断なあずきさんの彼氏も、二人きりの誕生日に乱入して「泊めてくれ」と無理を言う彼氏の友人も、その友人がナンパしてきた自称不幸女も、あずきさんが働く旅行会社の人望ない自己陶酔部長も、互いをリストラ要員候補に推薦しあう仕事できない同僚たちも、あずきさんが旅行を売りつける目的で入会してしまった怪しい団体(「表ざたにするまでもない被害者の会」とかいう名前)のメンバーも、みんなダメな部分を抱えている。ダサかったりズルかったりズレてたり卑屈だったり見栄張ったり嘘つきだったり。「悪」と斬り捨てられるようなはっきりしたものではなく、白になりきれず黒が混じって濁っているような、誰にでもある汚点のようなシミのようなもの。きれいごとの映画やドラマは見て見ない振りをする(ドラマチックな盛り上がりを期待する場合にも無視される)微妙なところに光を当てて、笑わせたり考えさせたりする難しいワザをちゃんとやってのけていて、ドリルさん、やっぱりすごい。

プロデューサーの赤沼かがみさんに「面白い表現がたくさんあって、今回も感心しました」と伝えたら、「言葉を駆使してますよね」。駆使、という漢字二文字を思い浮かべて、ほんと、言葉が駆けていた、と思った。赤沼さんに教えていただいて知ったMCRという劇団、これからも目が離せない。10月3〜17日、今年最初で最後の本公演(『慈善 MUST BE DIE』『マシュマロホイップパンクロック』の2本立て)を中野ザ・ポケットで上演とのこと。

2007年5月19日 MCR LABO #3「審判」@shinjukumura LIVE
2007年3月21日 MCR LABO #2「愛情」@下北沢駅前劇場
2007年2月12日 MCR LABO #1「運命」@shinjukumura LIVE


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2004年07月15日(木)  見守る映画『少女ヘジャル』
2002年07月15日(月)  パコダテ語
2000年07月15日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月14日(土)  マタニティオレンジ146 コンロの火を消した犯人

床にどすんとおむつが落ちていた。10か月半になった娘のたまは、おむつを留めているマジックテープを自分ではがせるようになったのだ。暑いからとおむつ一枚にしておいたら、おむつまで脱ぎ捨て、素っ裸になってしまった。二本足で立つことを覚え、あいた二本の手がいたずらをしたくてうずうずしている。テープレコーダーのテープは引き出され、これはもう聴かないテープだからいいやと放っておいたら、いつの間にか食いちぎられていた。テープをつなげたら、元の長さになるだろうか。一部が胃に納められていないことを祈るしかない。

好きこそものの上手なれ、いたずら道は極め甲斐があるらしく、日に日に高度なわざを身につけていき、親の想像を超えたことをやってのける。やかんを火にかけたつもりが、なかなか湯が沸かず、ガスコンロを見ると、つまみが「止」になっていた。やかんはほんのり熱を放っていて、火をつけ忘れたのではなく、ある程度時間が経ってから止めたことを物語っている。首をかしげ、もう一度つまみをひねり、犯人がわかった。火がついた気配を察した娘のたまが猛スピードのハイハイでコンロ下までやってくるなり、つかまり立ちしてつまみをひねったのである。「止」の方向がたまたま回しやすかったようだが、逆だったら膨らんだ炎に巻き込まれる危険だってあったかもしれない。まだまだガスに悪さはできないとたかをくくっていたけれど、とんでもなかった。それにしても、コンロのつまみをひねるなんてこと、いつの間に覚えたのだろう。火をつけるときまではコンロに無関心だったところを見ると、つまみとガスの火の関係を理解しているようにも思われる。そのうち手首のスナップがきくようになったら、点火を試みてしまうかもしれない。末恐ろしいなあ。

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2002年07月14日(日)  戯曲にしたい「こころ」の話
2000年07月14日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月11日(水)  マタニティオレンジ145 皆様のおかげの空の旅

4泊5日の子連れ帰省を終え、最寄り駅にある関西空港行バスの停留所まで母に車で送ってもらう。券売機で切符を買っていると、ベンチにいたご婦人がにこにこと微笑みかけてきた。会釈を返すと、「イヨダです」と名乗られる。大阪のわが家はわたしが高校生のときに隣の町内に引っ越したのだけれど、それまでに住んでいた町内のご近所さんだった。東京行きの同じ飛行機に乗ることがわかり、バスを待つ間から移動のバスの中、空港での待ち時間までご一緒させていただく。わたしとイヨダ夫人が二人きりになった機会はほとんどなかったから、ご近所住まいをしていた年月に交わした会話の何倍分もの話をしたことになる。イヨダ夫人は三人の男の子たちの出産話を昨日のことのように振り返り、息子さんそれぞれの近況を語り、共通の知り合いである懐かしいご近所さんについて知っていることをひとつひとつ聞かせてくれた。思い出話と今の話が行ったり来たりし、わたしの中のイヨダ夫人が目の前の夫人になったり二十年前の若奥様になったりしているように、夫人の中のわたしもときどき中高生に戻っているのだろうなと想像しながら、連想ゲームのように「そういえば、あの人は今」「そういえば、そんなことが」と話をつないでいく。

イヨダ夫人は「たまちゃん、かわいい」と何度も言い、空港では「これ、たまちゃんに」と大阪土産のチーズケーキまで持たせてくれ、荷物を半分引き受けてくれ、わたしがお手洗いに行く間はたまを抱っこしてくれた。一人で大きな荷物と子どもを抱えていたら諦めていたであろうお土産の買い物もできた。

座席まで荷物を運んでもらって、席が離れているイヨダ夫人とは機内では別々だったが、行きはヨイヨイだったたまが帰りはずいぶんぐずり、50分のフライトがひどく長く感じられた。前後左右は出張と思しきビジネスマンの方々。だが、皆さん、そろいもそろって寛大な態度を示され、救われる。右隣のおじさまは「お騒がせしてすみません」と謝ると、「いいんですよ、子どもは」と笑顔を返してくれ、羽田に着陸したときも「ゆっくり支度してくださいね。こっちは家に帰るだけで急ぎませんから」と涙が出そうなやさしい言葉をかけてくださった。後ろの席の紳士は、座席の隙間から手をのばしてこちょこちょして笑わせてくれたり、うちわであおいでくれたり。降りる際に「遊んでくれてありがとうございました」と振り返ってお礼を言うと、「こちらが遊んでもらってたんです」。自分が逆の立場になったときに、こんな気のきいたことが言えるだろうか。まわりの乗客の反応によっては、「もう子連れで飛行機に乗れない!」となっていたかもしれないけれど、いい方々に取り囲まれて幸運だった。

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2004年07月11日(日)  ヤニィーズ第7回公演『ニホンノミチ』
2002年07月11日(木)  映画『桃源郷の人々』
2000年07月11日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月10日(火)  マタニティオレンジ144 離乳食も食いだおれ

離乳食がはじまって初めての旅行とあって、レトルトの離乳食を買い込んだ。「鮭ごはんと豆腐そぼろ」「炒飯と八宝菜」など定食屋のランチのような献立になっていて、大人の非常食にもなりそう。非常食にはお守り代わりのようなところもあるが、レトルト離乳食も、「いつでもあげられる」という安心感を持ち歩くことができる。レンジであたためるとよりおいしいらしいが、常温でも食べられる。

やわらかくて薄味であれば大人と同じものをずいぶん食べられるようになっているので、外食先でも間に合ったりする。土曜日はうどんすきを分けられたし、日曜日はベーカリーレストラン「サンマルク」の食べ放題のパンを夢中で食べていた。ミルクパン、レーズンパンのレーズンがないところ、オニオンパン、よもぎパン、くるみパンのくるみのないところ、チーズパン……。焼きたてのふわふわパンはいくらでも入るらしい。赤ちゃんのたまは頭数にカウントされていないけれど、無料でこんなにいただいていいのかしら、と申し訳なくなるほどだった。昨日のホテルの朝食バイキングも、カレーのナン、豚まんの皮、湯豆腐、肉じゃがなどなど、たまが食べられるものが十分あり、レトルトの封を開けるまでもなかった。「食いだおれ」文化に染まっているのか、大阪に来てからたまの食欲はますます旺盛になっている。

豚まんの皮といえば、わたしが地球上でいちばん好きな食べ物、大阪名物551の蓬莱の豚まんの皮をはじめて食べさせたら、目を輝かせて食いついていた。好きな食べ物も遺伝するのだろうか。もしかしたら、たまにとっても、今まで食べた中でいちばんおいしいものなのかもしれない。食いだおれでいちだんと丸くなったたまがムチムチの豚まんにかぶりつく姿を見て、「共食いやなあ」と母が笑っていた。

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2005年07月10日(日)  12歳、花の応援団に入部。
2003年07月10日(木)  三宅麻衣「猫に表具」展
2002年07月10日(水)  『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子)
2000年07月10日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月09日(月)  マタニティオレンジ143 はじめてのお泊まりに大興奮

今日から明日にかけて、泊りがけの仕事。娘のたまが生まれて以来、離れて夜を明かしたことは一度もないので、子どもを連れて宿泊することになる。さらに、わたしが打ち合わせしている間は堺の母にベビーシッターを頼むことになり、母の宿泊も必要になった。広告会社に勤めていた頃、このようなことをする外注先に遭遇した記憶はないから、わたしがしていることは、かなり厚かましいことなのだろうと想像する。母と子どもとともに現地に乗り込んでいる安心感があるからこそ仕事に打ち込めるわけだけど、そのわがままを聞き入れ、対応してくれたプロデューサーや理解を示してくれた他のスタッフの方々に感謝する。

晩ご飯用の離乳食は、宿泊先の沿線に住む妹の家に立ち寄った際に持たせてもらった。家ではフローリングの床に遠慮なく食べこぼせるけれど、ホテルのカーペットを汚すのははばかられ、ユニットバスのバスタブの中で食事に挑戦。赤ちゃん相手とはいえ二人で向き合うにはスペース的に無理があり、しかも床がすべるので、あえなく断念。カーペットにピクニックシート代わりにバスタオルを敷く作戦に変更した。

打ち合わせが終わり、10時頃に部屋に戻ると、打ち合わせとタイミングを合わせるように眠ってくれたたまが目を覚まし、その目がらんらんとなり、完全に覚醒してしまった。大阪の実家や鎌倉のセピー君の家で外泊経験はあるけれど、ホテルに泊まるのは初めて。生活感のない空間に、これまで体験したことのない空気を感じたのか、落ち着かない。幸いぐずるのではなくハイになっている状態で、スプリングのきいたベッドの上で跳ね回り、歓声を上げ、枕投げでもはじめそうな勢い。まるで修学旅行先の小学生のようだ。

心配したのは、ベッドのこと。落下をおそれて家では床に布団を敷いて寝るようになったが、和室がないということで、ベッド二つのツインの部屋を用意された。二つのベッドをつなげようと試みたけれど、動かないので、椅子を二脚向かい合わせにして置き、ベッドとベッドの間を塞いだ。二つつなげた椅子は、たまにはごきげんな乗り物に見えたらしい。目にもとまらぬ勢いでベッドから乗り移ってきた。椅子の背につかまり立ちし、得意げに「オー」と雄叫びを上げる姿は、大海原を見つめる船乗りのよう。ベッドの足元付近には万が一落下したときのクッション代わりにとベッドのコンフォーターを敷き、わたしの眠気が限界なので、一向に寝てくれそうにないたまを無理やり抱きかかえて眠りについた。たまは無事朝まで眠ってくれ、ベッドから落ちる事態は避けられたけれど、足元をすくわれたり落ちたりする悪夢を立て続けに見たわたしの眠りは浅かった。

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2003年07月09日(水)  LARAAJI LARAAJI(ララージララージ)
2002年07月09日(火)  マジェスティック


2007年07月08日(日)  マタニティオレンジ142 布の絵本とエリック・カール絵本のCD


母とわたしとたまの女三世代で、幼なじみのたかの家に遊びに行く。たかとは小学生の頃、スポーツ教室でバレーボールや器械体操を習った仲。中学校ではソフトボール部で一緒だった。たかのおばちゃん(友人のお母さんを「おばちゃん」と呼ぶのは関西特有だろうか)とわたしの母は海外旅行に連れ立って出かける仲で、昔から家族ぐるみのおつきあい。

たかもたかのおばちゃんも子ども好き。時々遊びに来るたかの弟のおチビちゃんのためにおばちゃんが作った「おおかみと7ひきのこやぎ」の布絵本を見せてもらう。表紙のドアを開けると、中面の見開きいっぱいを使った赤ずきんちゃんの家の中。カーテンの後ろ、時計の中、ベッドの中、あちこちに隠れられるようマジックテープが施されている。10か月半のたまには芸の細かさのありがたみがまだわからない様子で、平気で踏んづけたりしているのだが、あと半年ぐらいして、一緒に子ヤギやオオカミを動かしながらお話を作れたらどんなに楽しいだろうと想像する。「簡単に作れるよ」とおばちゃんに言われてその気になったけれど、おばちゃんの仕上げたキルト作品の数々を見て、スタート地点が違いすぎると思い知る。一面の空に鳥を飛ばすとか、一面の海に魚を泳がせるとか、フェルト一枚にマジックテープをくっつけただけの入門編なら手に負えるだろうか。

幼稚園で働いているたかは、「今幼稚園ではやっているねん」と「エリック・カール絵本うた」のCDを教えてくれた。家でときどき読み聞かせている「はらぺこあおむし」の絵本の文章がそのまま歌詞になっている。他に「できるかな」「月ようびはなにたべる?」を収録。どれもメロディが親しみやすく、すぐに口ずさめる。「できるかな」はふりつきで、たかが踊ってくれた。ペンギンやキリンやサルやゴリラがそれぞれの得意のポーズを「あなたもできるかな」と問いかけ「できるよできる」で一緒になって体を動かす。まだ思い通りに手足を動かせないたまも、たかの動きの面白さに目をきらきら。「幼稚園の子どもたちが夢中になって踊っている」という光景が想像できる。ダビングしてもらい、エンドレステープにして流していると、「ダイエット体操になりそう」と母。

夕方は、たまを連れて三年前に亡くなった幼なじみの佳夏の家にお邪魔した。突然の訪問だったので遠慮する気持ちはあったのだけど、数日前に佳夏の同級生だった人からメールを受け取ったので、そのご報告がてらうかがうことに。佳夏の家に行くと、佳夏と遊んだ子ども時代のことを思い出す。絵本もよく読んだ。いちばん夢中になったのは、かこさとしさんの『うつくしいえ』という一冊だった。名画といわれる作品に子どもにもわかりやすい解説をつけて紹介したもので、同じページを飽きもせずに眺めていたものだ。三十年ぐらい前のことなのに、そのときの本棚の位置や、立って絵本を広げていた自分の目の高さや、「ヴォルガの船曳」という絵になぜか惹きつけられたことなどを思い出せる。その後、留学先のアメリカの高校で美術クラスを取って、高校を出たらアートスクールに行きたいなんて思ったルーツも、幼い日に出会ったこの本にあったのかもしれない。娘にも読ませたい一冊を選ぶとしたら、『うつくしいえ』は外せない。

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2005年07月08日(金)  いまいまぁ子とすてちな仲間たち
2000年07月08日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月07日(土)  マタニティオレンジ141 5人がかりで大阪子守

はじめて大阪での仕事が入り、帰省がてらたまを連れて大阪へ。伊丹空港にはイケちゃんサンちゃん夫妻が明石から車を飛ばして迎えに来てくれる。夫妻とは、一昨年11月に軽井沢で行われた広告会社時代の同僚E君とT嬢の披露宴で知り合って以来の再会。イケちゃんはE君と幼稚園から中学校まで同級生。E君の高校時代の同級生で、これまた披露宴で意気投合したフクちゃんと、その彼女で4月に東京のわが家にフクちゃんとともに遊びに来てくれたサトちゃんと合流し、天神橋商店街の中にあるお店でうどんすき。たまもお相伴に預かり、長いままのうどんをずるずると食べる。「にょろにょろしたものが好きみたい。電話線とかコードとかベルトとかネクタイとか」と言うと、「そしたら、これはどう?」とイケちゃんが箸袋をくるくると丸めて、開いているほうから息を吹き込み、伸び縮みさせて遊んでくれる。子ども一人に大人が5人。右から左から前からたまちゃんたまちゃんとあやされ、たまは「あたしが主役ね」と言わんばかりに歓声を上げて絶好調。

関西テレビの社屋まで歩き、その裏にある大型遊具の充実した扇町公園で遊ぶ。「たまちゃん、すべり台あるで!」とたまを抱っこして駆けて行くフクちゃん。どっちが子どもかわからんなあ、と笑いながらぞろぞろついていくと、トンネル型のすべり台をフクちゃんに抱かれて滑り降りたたまは号泣。「ああっ、フクちゃん泣かした!」「暗闇で怖かったんちゃう?」とやいやい言われ、フクちゃんは懸命にたまをなだめながら、「ほな、水遊びしよか」と今度は噴水へ移動。噴水エリアには入れなかったけれど、そばにあった水飲み場の蛇口から水を出して、パシャパシャ。

関西テレビの中にあるキッズパークはあいにくお休みだったけれど、トイレにはおむつ替えシートがあり、助かる。「売店でええもん見つけた」とフクちゃんが差し出した袋の中身は、間テレのキャラクター・ハチエモンの吹き戻し。先ほど箸袋を吹きながら、「こういうおもちゃあったなあ」「どこで買えるんかなあ」などと話していたので、「よう見つけたなあ」と感心する。ところが、この吹き戻し、笛つきになっていて、息を吹き込むとラッパのような威勢のいい音を立てる。たまはびっくりして泣き出してしまった。

次は甘いもん食べにいこ、とフクちゃんおすすめの「五感」というパティスリーへ。洋館の一階がテイクアウトのお店で、回廊になっている二階がティールーム。階段下の行列を見てティールームは諦め、ケーキを買ってフクちゃんのデザイン事務所で食べることに。ケーキもパッケージも店内のレイアウトも洗練されたデザインで、「大阪にもこんなお洒落な店があるんやなあ」と感心する。わたしの大阪カフェ歴は「1リットルパフェ」めぐりをしていた高校時代で止まっているので、「どやっ」という押し出しの強い店ばかりが記憶にある。フクちゃんちティールームではハイハイも授乳もできて、大きな声を出しても気兼ねがいらず、たまにとってはこちらのほうが居心地が良かった。大人5人が5種類のケーキをぐるぐる回してつつきあうテーブルの下で、たまはテーブルの脚を支えにつかまり立ちスクワットを繰り返していた。

帰りはイケちゃんサンちゃんが堺の今井家まで送り届けてくれ、たっぷり半日つきあってもらった。たまはすべり台とハチエモン吹き戻しに泣かされた以外はほとんどぐずらず、ごきげんにしていた。自分に関心を注いでくれる人が、ちゃんとわかるのかもしれない。

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2005年07月07日(木)  串駒『蔵元を囲む会 天明(曙酒造) 七夕の宴』
2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日
2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2007年07月05日(木)  桃とお巡りさん事件

スーパーで買い物を終えて出てきたら、男の人の罵り声が聞こえた。「俺はこんな扱い受けたこと今までにいっぺんもねえよ! あんたいきなり名乗りもしないで失礼じゃねえか」と小柄な男性が噛み付いている相手は制服姿のお巡りさん。「まあまあそう感情的に話されてもですね」と穏やかな声でしずめようとしているが、「名乗るのが礼儀だろ。本物の警察かどうかもわかんないじゃねえか」と怒りがおさまらない男性の後ろに積み上げられた平たい箱を見ると、桃がぎっしり納まっている。路上で桃を販売しているところを注意されたようだ。

「口動かすより手動かしなよ」と小柄な男性に声をかけた大柄な男性は相方らしく、路肩に停めたバンに桃入り箱をせっせと運び込んでいる。さっさと退散して次の商売場所に移動したほうが身のため、と思っているのか、きびきびと無駄のない動きで山積みの箱の嵩を低くしていく。「ここで、この桃いくらと聞いたら、売ってもらえるのだろうか」と誘惑にかられつつもそんな無謀なことはせず、見てないふりをしながら耳だけはしっかり集音モードにして、横を通り過ぎた。

しばらく歩くと、自転車に乗ったお巡りさんとすれ違った。先ほどのお巡りさんが応援を頼んだのだろうか。その割には膝が車体から大きく出たのん気な漕ぎ方をしている。何も知らずに桃現場に差しかかったら、どう反応をするだろうか。どうしましたか、と声をかけたら、二倍になったお巡りさんに、男性の怒りも倍増するだろうか。引き返して確かめてみたくなったが、そうせずに歩き続けていると、代わりの商売場所が見つからなかったらあの桃はどうなるのだろう、と気になってきた。山積みの箱にぎっしりの桃が頭から離れず、桃が食べたくなって困っている。

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2003年07月05日(土)  柳生博さんと、Happiness is......
2000年07月05日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月04日(水)  肉じゃがと「お〜いお茶」とヘップバーン

『子ぎつねヘレン』が縁で知り合ったSさんから小包が届いた。中身は、レトルトの肉じゃがと「お〜いお茶」のペットボトルと「HEPBURN」と英字ロゴが躍る「月刊ヘップバーン」の2005年8・9月号。肉じゃがは、Sさんが最近神奈川から引っ越された舞鶴が「発祥の地」なのだとパッケージに書いてある。英国のシチューを再現しようとしたのが日本の味付けであの姿となったらしい。肉じゃがのお供にお茶ということだろうか、とペットボトルをよく見ると、「第十七回 伊藤園新俳句大賞」の掲載作品五句の二句目、佳作特別賞の「泣き虫の笑顔を包み山笑ふ」の作者がSさんなのだった。

俳句をたしなまれるSさん、わたしの日記に「ヒップボーンの会」のことを書いてあるのを見つけて、「今はもうやらないのですか」と聞かれたことがあった。20代の一時期、当時流行っていた黛まどかさんの「ヘップバーンの会」の勝手にパロディにした会を作り、「オードリー・ヒップボーン」というふざけた俳号で俳句ごっこに興じていた頃があった。会員は同期のママチャリと二人きりで、ろくに活動しないままに自然解散したのだが、「こんなのできましたあ」と見せていた相手は、俳句界の巨匠にして同じ広告会社に勤めていた中原道夫氏。ママチャリが営業、わたしがコピーライター、中原さんがアートディレクターで某化粧品ブランドの広告を作っていた。

初めて見る本家ヘップバーンの会誌、Sさんがどこからかわざわざ入手してくださったのかと思ったら、ご本人の俳句が掲載されているので驚いた。「B面の夏じやんけんはぱーばかり」「蝉の後ついて地球を歩きをり」「婚約者ホワイトジーンズ腰ではき」。「ヘップバーンママ」のコーナー(ママ会員なるものがある!)には「産毛なでつむじのふたつ聖五月」という句が紹介されている。Sさんは由緒正しきヘップバーン会員だったのだ、とヒップボーン会員は恐れ入る。

Sさんからの三点ギフトは、テレビドラマ『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』の録画DVDを送ったお礼に送られた。『子ぎつねヘレン』つながりで『ブレーン・ストーミング・ティーン』を読んでくださり、小林涼子ちゃんの『砂時計』も観られていたというので、こちらの今井雅子×小林涼子作品もぜひ観ていただきたい、と押し付けるような形で送らせてもらったら、肉じゃがとお茶と冊子に化けたのだった。作品を世に出した後に生まれる人との出会いややりとりは、著作権料よりもうれしいおまけになる。

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2006年07月04日(火)  2年ぶりのお財布交代
2005年07月04日(月)  今井雅之さんの『The Winds of God〜零のかなたへ〜』
2003年07月04日(金)  ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」
2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日
2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月03日(火)  マタニティオレンジ140 七夕に願うこと

先週、保育園で「願い事を書いてお持ちください」と短冊が配られ、ああ七夕か、と思い至った。娘を授かって、自分が娘だったときぶりに雛祭りを祝ったけれど、これからも大人だけなら通り過ぎてしまう年中行事に立ち止まる機会をもらえそうだ。保育園に通っていると、なおさら無視できなくなる。色画用紙に星を貼り付けた短冊を用意され、立派な笹に飾り付けまでやってもらえて至れり尽くせりだ。

二枚ずつ配られた短冊は、お父さんとお母さんで願い事ひとつずつ、ということだろうか。一年後の七夕には、たまもおしゃべりするようになって、代筆できるかもしれないけれど、今年は「マンマ」を翻訳して「ごはんがたべられますように」と書くわけにもいかず、親からの願い事を綴ることにする。何を書こうかと考えたが、思いつかない。ダンナに対してなら、ああしてほしいこうしてほしいがあるし、仕事についてなら、ああしたいこうしたいがあるし、自分自身についても、ああなりたいこうなりたいがある。けれど、娘に対しては、そのままでいいよ、と慎ましい気持ちになれる。一年前のおなかの大きい頃なら、「元気に産まれてくれますように」とだけ願っただろう。これ以上望むものはない。そんな存在が自分にもできたのだなあとしみじみする。何年か経てば、ああなってほしいこうなってほしいと欲が出てくるのだろう。絵馬に託すように合格祈願をする日も来るのかもしれない。元気に生きていてくれるだけで十分、そう思える今を大切にしたい。


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2005年07月03日(日)  親子2代でご近所仲間の会
2000年07月03日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2007年07月02日(月)  マタニティオレンジ139 マジシャン・タマチョス

保育園のおかげで離乳食は順調に進み、後期食。細かくすりつぶしたりしなくても、やわらかくゆでれば噛んでつぶして食べてくれる。上の歯が2本、下の歯が4本生えていることもあり、かなり大胆な大きさに切ったじゃがいもやにんじんも上手に食べる。今日の夕食、にんじん入りのおかゆも、もりもり食べて完食。と思ったら、「よく食べました」とほめた瞬間、口から四角く切ったままのにんじんが飛び出した。それも次から次へと。りすのようにほっぺたの両側に隠して、器用におかゆだけ飲み下していたらしい。トランプのカードを飲み込んだと見せかけて取り出して見せるマジシャンの芸を思い出した。なんでも喜んで食べていた時代から好き嫌い時代に突入した様子。これからは、あの手この手のにんじん食べさせ作戦が必要になりそう。摩り下ろして姿を消したり星型に変身させたり、母も料理マジックで対抗するとしようか。

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2006年07月02日(日)  メイク・ア・ウィッシュの大野さん
2005年07月02日(土)  今日はハートを飾る日
2004年07月02日(金)  劇団←女主人から最も離れて座る公演『Kyo-Iku?』


2007年07月01日(日)  マタニティオレンジ138 いつの間にか立ってました

金曜日、保育園に迎えに行ったら「たまちゃん、もう立っちできるんですね」と保育士さんに言われ、「ええっ、いつの間に!」と驚いた。つっぱりになっている壁やテーブルから手を離し、10秒ほど拍手をするという。はじめての立っちという歴史的瞬間を「いま立った!」「立ったぞ!」と夫婦で興奮して迎える図を想像していたのだが、家ではなく保育園で初披露を済ませてしまった。というわけで、6月29日は立っち記念日。

本当はハイハイで胸筋背筋をしっかり鍛えてから立ったほうがいいのだろうけれど、ちょっとハイハイすれば壁か家具にぶつかってしまうわが家では、体が水平よりも垂直に向かってしまうのも無理のない話。この週末は、家でも何度も披露してくれた。パチパチと拍手するのは、両手が何もつかんでいないことのアピールなのか、親にも拍手を求めているのか、自らを褒め称えているのか。「どう? すごいでしょ」と言わんばかりの得意げな笑顔でパパとママを見やり、「オーオー」とご機嫌な声を上げているので、自分の足だけで立つのはよっぽど気分のいいものらしい。ぐらぐらしていた足も少しずつ安定して、15秒、20秒と二足立ち記録を更新している。この調子なら歩き出すのも時間の問題かもしれない。ますます目が離せなくなるなあとぼやきつつ、寝転がって手足をばたつかせていただけの子がついに一人で立ったか、と頼もしいわが子の立ち姿に目じりは下がりっぱなし。たまが歩き出す前に、親ばかが一歩前進。

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2005年07月01日(金)  ハートがいっぱいの送別会
2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ
1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの



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