2007年08月31日(金)  『怪談』より怖い話

子どもの頃、一人で留守番をしていて、コトリと家のどこかで物音がしただけで、そこに潜む最悪なものやそいつがもたらす最悪な展開をいくらでも思い描くことができた。その想像があまりに具体的だったせいで、確かめに行くことも逃げ出すこともできず、日が落ちても電気をつけるために立ち上がることさえできず、暗くなった部屋で膝を抱えて震えていた。今でも怖い本を読むときはつい後ろを振り返ってしまうし、ラジオで怖い話を聴いている最中に電話が鳴っただけで飛び上がってしまう。脚本を手がけたラジオドラマ『アクアリウムの夜』はホラーだったが、自分で書いて自分でびびっていた。打っていたワープロの画面が突然真っ暗になり、部屋も真っ暗になり、辺りの街ごと闇に包まれたときは停電だったのだけれど肝をつぶした。怖がりな性格が、見えない部分、隠れた部分を誇張して恐怖を増幅させてしまうのだけれど、怖さをかきたてる想像力の起爆剤になるのは「余白」なのだと思う。ビル三階分の化け物には度肝を抜かれるものの、驚きも怖さもビル三階分で納まる。けれど、闇に目が光っているだけで全貌が見えない場合、化け物の大きさは底なしの闇のように計り知れなくなる。

公開中の映画『怪談』を観たのだが、原作である三遊亭円朝の古典『真景累ヶ淵』の行間を映像という情報が埋めてしまったような印象を持った。高座の語りを聴いて、余白の部分を各自の想像力で膨らませたほうが怖いのではないか、と。いちばん怖かったのは、橋の板をきしませて「何者か」(死んだ女の幽霊)が近づいてくるのを、追われる男と新しい恋仲の女が橋の下で息を殺して見上げている場面。このときは、凍り付いている男女と同じ恐怖を味わい、別れた男をどこまでも追いかける女の怨念に背筋を震わせた。けれど、全体的には想像する隙もなく怖いものを突きつけ、ここぞとばかりに音楽が恐怖を盛り上げているようなお膳立てが感じられた。蛇を見せられると、ギョッとはするけれど、それ以上は怖くならない。

映画『怪談』といえば、三年前、三百人劇場で観た小林正樹監督の『怪談』(>>>2004年8月9日の日記)は、何かが潜んでいる気配、何かが起こりそうな予感が終始漂っていて、息を詰めてスクリーンを見守った記憶がある。震え上がるような怖さとは違ったけれど、伸びた背筋に汗をかくような緊迫感があった。1965年のカンヌ審査員特別賞受賞作品。日本の怪談ならではのただならぬ妖気に、世界は息を呑み、ひたひたと足元から冷気が忍び寄るような不気味さを味わったのではなかろうか。あの圧倒的に美しい映像には、怖さをかき立てる余白も焼き付けられていたように思う。

話は今年版の『怪談』に戻るが、月刊シナリオに掲載されている脚本とあわせて、脚本家の奥寺佐渡子さんのインタビューを興味深く読んだ。連載インタビュー「脚本家 加藤正人の気になる映画人たち」で加藤さんと対談しているもので、『怪談』は五年前に書いた脚本を映画化にあたって手直ししたそう。ちょうど妊娠中で、人が死ぬシーンを書いていると胎動が激しくなった、という話は面白かった。わたしは手足が吹っ飛ぶような原作もののプロットを書いていたら気分が悪くなり、「書けません」とプロデューサーに告げた後で妊娠がわかった。今思えば、つわりだったのかもしれない。奥寺さんは『お引越し』で93年デビュー。最近の作品ではアニメ版『時をかける少女』や『しゃべれどもしゃべれども』などご活躍目覚しいが、書いたままお蔵入りしている脚本が多数あるといい、「このまえ数えてみたら17、8本ありました」とのこと。デビューが5年遅いわたしも数えてみると7、8本ある。企画が幽霊になってしまうのは、脚本家にとっては怖い話。

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2005年08月31日(水)  佳夏の誕生日
2004年08月31日(火)  東京ディズニーランド『ブレイジング・リズム』


2007年08月30日(木)  マタニティオレンジ169 布おむつはエコかエゴか

大阪に住む妹の純子から布おむつとおむつカバーとトレーニングパンツのおさがりがどっさり届いた。5歳の長男と2歳の長女が通う保育園が布おむつ主義だったそうだが、おかげで二人とも早々とおむつが取れ(長女は1歳半!)たという。「ゴミも出ないし、いいこと尽くめよ」と添えられた手紙には書いてあった。

早速、保育園でも紙おむつから布おむつに切り替えることに。「これで4人目です」と保育士さん。10人中4人が布というのは意外と高い比率。働きながら布おむつなんてとんでもない、と逃げ回っていたわたしは、汗疹という止むに止まれぬ事情がなければ、布に手を出すことなんてなかったと思う。汗疹が治まるまでのつなぎぐらいで考えていたのだけれど、「お母さん、よくぞご決断されました」と保育士さんに歓迎され、紙には戻りづらくなってしまった。

ゴミは減るし、それに伴うニオイからも解放される。マンションのゴミ集積場に捨てるとにおいがこもるので「燃えるゴミの日」に早起きして捨てに行く必要もなくなる。重いおむつを買う手間も省けるし、おむつ代も浮く。たしかにいいことは数々あるし、洗濯がちょっと面倒(バケツでつけ置き。ウンチの場合はトイレで洗ってからつけ置き)だけど頑張ってみるか。そう思ったのだけれど、初日から前途多難。「お母さん。おむつは二枚重ねにしないと、すぐ漏れます」。二倍の布おむつが必要になることが発覚。しかも、「おむつカバー、防水機能が取れちゃってて、漏れます」。大阪の甥っ子姪っ子が使い終えて、たまが三代目。その間に何度洗濯したかを考えると、防水機能がくたびれるのも無理はない。さらに、「マジックテープもくっつきにくくて、すぐ落ちちゃうんです」。二枚重ねでも漏れるうえに、履き替えたと思ったらおむつごと外れて漏れる。ズボンの替えが何枚あっても足りず、洗濯物がふえることふえること。

布おむつとカバーのストックを一日で使い果たしてしまうので、二日に一度洗濯機を回していたのが毎日になり、乾燥機まで回すことになる。ところが乾燥機をかけると布おむつはしわしわになるので、アイロンがけが必要になる。紙おむつ代は浮いたが電気代がかさむ。「買い替えたほうがいいかもしれませんね」と保育士さんにやんわり催促された布おむつカバーを新調すると、新たなお金が出て行き、ゴミも出る。シャカシャカした素材の布おむつカバーは、燃やすと黒い煙が出そうだ。布おむつはエコなんだか「いいことやってる」という親のエゴなんだかわからなくなってきたけれど、たまのおしりの汗疹がきれいになっているのは間違いない。

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2007年08月29日(水)  マタニティオレンジ168 「白山ベーグル」参り

ベーグルという食べ物に出会ったのは20年以上前。アメリカ留学先の蚤の市で売られているローストオニオンをたっぷり練りこんだもちもちしたドーナツ型の塊をひと口食べ、おいしさに目を見張った。チーズやらベリーやらいろんな種類があり、蚤の市に行くたびに、そのお店のベーグルを買い求めるのが楽しみだった。でも、日本で食べるベーグルには「もちもち」よりも「もさもさ」の印象があり、あまりおいしいと思えるものに遭遇したことがなかった。

ところが先日、保育園の役員をご一緒しているYさんがわが家にいらっしゃったときに持ってきたベーグルを食べて、ひさしぶり、それこそ20年ぶりぐらいに「うまい!」と感激。わたしが地球上でいちばん好きな食べ物、大阪名物551の蓬莱の豚まんの皮を彷彿とさせる、もちもち感とほのかな甘みが尾を引き、気がつくと一個平らげてしまっていた。生地の食感だけではなく、持ってきていただいたフレーバーベーグル3種のフレーバーも「抹茶小豆」「エスプレッソキャラメル」「紫芋」とわたし好みのネットリ系。日替わりで常時10種類ほどがお店に並ぶという。わが家から歩いて行ける距離にある白山ベーグルという店のもので、イートインもあるのだが、「いつ行っても空いていて、お店がなくなっちゃうんじゃないか心配なんです」とYさん。以来、わたしの白山ベーグル参りがはじまった。

週に二度ほどお店へ行って買い込み、一日一個ペースで消費しているのだが、わたしに負けず劣らず、たまの食いっぷりがすごい。丸ごとつかんでかぶりつき、上下四本ずつの歯で削るように食べ、トンネルを掘り進むモグラのように、気がつくとドーナツ型の中心部まで食べ進んでいる。蓬莱の豚まんにも驚くべき食欲を見せたが、やはり相通じるものがあるのかもしれない。食べ物の好みが遺伝したようでうれしくなる。生地にすりつぶした野菜を練りこんである紫芋やかぼちゃがお気に入りだが、バジルトマトなどという大人っぽいおかず系も好んで食べる。ベーグルをくわえている間は口封じができておとなしいので、外出時には「持ち歩きベビーシッター」となる。この店がなくなっては大変、とわたしもYさんにならって伝道中。

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2004年08月29日(日)  東京都現代美術館『日本漫画映画の全貌』


2007年08月28日(火)  マタニティオレンジ167 ベビーシッター代ぐらいは稼がないと

ジャンルは違うけれど子育てしながら創作の仕事を続けているS嬢と電話。一緒に組みたい仕事があり、相談のメールを送ったところ、「話したほうが早いから」と電話をくださった。朝6時に起きて小学生のお子さんのお弁当を作って送り出し、午後早くに帰って来るまでの6時間足らずが勝負。放課後に打ち合わせが入るときはベビーシッターさんにお願いしているという。保育園に9時間預けているわたしより、はるかに時間のやりくりは大変そう。「時間が限られるから、ひとつひとつの仕事を慎重に選ぶようになったわね」「確実に結果を出さないと、次の仕事が来ないから」という緊張感のある言葉に背筋が伸びる。その道では「女王」と呼ばれた売れっ子なので、営業しなくても仕事はどんどん舞い込むらしいが、「下手な仕事したら、失うものが大きいし、それを取り返す余裕もない」と仰る。

わたしがお願いしようとしていた仕事は、作品のサイズといいギャラといい申し訳ないような内容だったのだけれど、「今井さんとは一度お仕事したいと思っていたから」とS嬢。それがこの仕事を請ける理由になる、とありがたいことを言ってくださる。あいにく今回はスケジュールが合わず断念することになったけれど、「ぜひ何か一緒に作りたいから懲りずに声をかけてよ」と社交辞令ではなく言ってくださった。

「それにしても、このギャラってありえないですよね」。今後のためにも感触をうかがっておくと、「お金は関係ないと言いつつ、これだと赤字になっちゃうかな」。そう言ってS嬢は「せめてベビーシッター代は稼がないとね」と続けた。子どもを預けて働く以上、それにかかる費用はせめて稼がなくては、「仕事」ではなく「趣味」になってしまう。その発想はわたしにはなかった。子どもが生まれると、大黒柱のお父さんは「家族を支えなくては」という使命感が仕事に張り合いをもたらすというが、働くお母さんにも、子どもがいないときにはなかった働き甲斐が生まれるのだ。自分の仕事に値段をつけるとき、相場があってないようなものなので、いつも迷ってしまうのだけれど、「保育料ぐらいは稼がないと」という基準は明快で、いい。

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2005年08月28日(日)  高円寺阿波踊り2日目
2004年08月28日(土)  『心は孤独なアトム』と谷川俊太郎


2007年08月27日(月)  ひさびさのおきらくレシピ「野菜いろいろジュレ」

昔読んだ森村桂さんのエッセイに、わたしの記憶では「死に物狂いでカステラを焼く会」なるものが登場していた(ネット検索をかけてもヒットしないので、正解は別な名前だと思われる)。コツをつかんでうまく焼けるようになるまで何度も何度もひたすらカステラを焼く。そうしてカステラ作りに自信をつけた人たちは、何にも自信が持てなかったコンプレックスを乗り越えられる、そんな内容だったと覚えている。最初はうまくいかなくても根気強く繰り返せば要領がよくなるのだ、というメッセージに高校生だったわたしは膝を打った。

そんなことを思い出したのは、たまの12分の10才の誕生日に初挑戦して悲惨な結果に終わった「野菜のテリーヌ」が、度重なる試行錯誤の後に、お客様に出せるまでになったから。新聞で読んだ「野菜のテリーヌが人気」の記事に飛びつき、ネットで入手したレシピで作ってみたもののうまく固まらず、何がしたいんだかわからない野菜瓦礫のような有様になったのが一回目。小さなプリン型なら固まりやすいのでは、と発想を変えた二回目は野菜同士がうまく身を寄せ合って固まってくれた。さらにコンソメスープの濃さやゼラチンとスープの分量を微妙に変えていき、ようやく味と形が安定するようになった。先日、ご近所さんがわが家に集まった折に出してみたら、「今井さんがこんなものを作れるなんて」と驚かれ、「これは写真を撮るべきですよ」とおだてられたので、成果とあわせてレシピをご紹介する。わたしが新婚時代に綴っていた「おきらくレシピ」(日記内検索で読めます)のとほほぶりを知る人たちには、とくに成長を感じていただけるのではないかと思う。


野菜いろいろジュレ
1)スープを作る
鍋に水450ccを煮立て、コンソメ1個半を溶かす。
2)中身を用意する
●塩もみして洗ったオクラ、直径2センチぐらいに小分けにしたブロッコリーの花部分、アスパラ(ミニがきれい)、人参(星型などに抜くとかわいい)さやいんげんなど、色のきれいな野菜をさっと茹でて冷水にとっていく。袋入りヤングコーンや缶入りミックスビーンも、コンソメ味をつけるためにくぐらせる。
●パプリカ(黄や赤がきれい)は8〜10等分ぐらいに縦に切り、魚焼きグリルなどであぶる。皮が焦げたらするっとむいて冷水にとる。
●ミニトマトを熱湯にかけ、湯むきする。
5)野菜を茹でるうちにコンソメスープは350〜400ccぐらいに減っている。400ccにして80度ぐらい(沸騰してやや冷めた頃)に煮立て、水60cc(大さじ4)でふやかしておいた粉ゼラチン10gをよく溶かす。
●海老やカニを入れるのもおすすめ。海老の殻をコンソメスープと一緒に煮立てると、さらに濃厚なスープに(その場合、コンソメは1個で)。ただし、臭み取りのスパイスを忘れると、磯臭くなる。
3)つけこむ
スープの荒熱が取れたら、2)をつけこみ、さらに温度を下げる。水を張ったボウルなどに鍋をつけて冷ましてもよい。
4)つめる
水で濡らしたプリン型(茶碗でもよい)に、型から抜いたときを想像しながら野菜をレイアウトする。側面にミニアスパラやパプリカを貼りつけ、中央に型の天地に合わせて切ったオクラやヤングコーンを立てる。間を埋めるようにトマトやミックスビーンや人参やカットした野菜の切れ端を詰める。
5)かためる
野菜がぎっしり詰まったら、コンソメスープを流し込む。型にラップをかけ、冷やす。数時間では固まらないので、半日ぐらい余裕を見たほうがよい。
6)もりつける
ナイフやスプーンなどを使うとするりと型から抜けるはずだけど、型をぬるま湯であたためると抜けやすいとか。カッテージチーズ(よく合います)を添えて盛り付ける。ゴマドレッシングも合うそう。

※中に入れる野菜によってボリュームは変動。オクラ、ヤングコーン、ミニアスパラ各1袋、パプリカ1個、他にミニトマトや人参をちょこちょこという量で、高さ3センチ、直径6センチのプリン型約6個分でスープが少し余る感じ。


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2005年08月27日(土)  高円寺阿波踊り1日目
2004年08月27日(金)  汐汲坂(しおくみざか)ガーデン
2002年08月27日(火)  虹の向こう


2007年08月26日(日)  マタニティオレンジ166 お風呂で初U  

お風呂でウンチされたらどうしよう、という不安はベビーバスで沐浴させていた頃からあった。とくに新生児の頃は、おむつを開けるたびにしている感じだったし、今はしないでねと言ったって通じるはずもないから、いつされてもおかしくなかった。お湯のあたたかさに誘われる、という話も聞いたし、一度してしまうと、気持ちがいいのでくせになる、とも聞いた。実際、子育て仲間のK嬢は、「お風呂に入ると、ここでするものだ、と思うらしくて……」入浴のたびにされて困っていた。「それって、どうなるの?」と聞くと、「わたしは『なたね湯』って呼んでる」。コピーライターの先輩でもある彼女は、粋な名前をつけていた。生後一か月を過ぎると、大人と一緒に普通のお風呂に入れるのだけれど、なたね湯が怖いK嬢はなかなかベビーバスを卒業できない、と嘆いていた。被害を最小限に食い止めるべく、まず洗面器におしりをつけて在庫一掃してからベビーバスへ移す、という涙ぐましい対策を取っていた。

「お風呂でウンチ」を恐れて、最初の頃は湯船から早めに引き上げていたのだけれど、だんだん気が大きくなって、長湯をするようになり、なたね湯の憂き目に遭うこともなく、一年が過ぎた。そしたら今夜、「ギャ〜〜〜たま〜〜〜!」というダンナの悲鳴が風呂から聞こえてきた。滑ってタイルに頭でも打ちつけたか、とすっ飛んだら、「ウンチしてる〜〜〜」と情けない声を上げるダンナの傍らに、プカプカと浮かぶ塊が見えた。プールの監視員をしたことのある知人が、プールに浮かぶウンチを見つけると「Uです」と隠語で報告が入る、という話をしてくれたことを思い出した。報告を受けると、早急に網を持って駆けつけ、ささっと掬い取るのだと言う。なたね湯は手ごわいけれど、プカプカUなら手に負える。たまのお風呂おもちゃになっている百円均一の調理小物(卵の白身と黄身を分けるやつ)がU採り網になった。パパとママのあわてぶりを愉快そうに見ていたたまが、常習犯にならないことを願うばかり。

生後一年と四日で初Uのたまがお風呂でUする確率は、一日二度お風呂に入った日もあるから、400分の1以下となるだろうか。それでも、何百分の一が運悪くそのときに重なったら、と怖気づいてしまい、いまだに公衆のお風呂やプールに入れるのをためらっている。一方、K嬢となたね湯が日課だった息子君は、すでに何度か温泉につかり、今のところ、なたね湯は免れているという。

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2005年08月26日(金)  『道成寺一幕』→『螢光 TOKYO』
2004年08月26日(木)  土井たか子さんと『ジャンヌ・ダルク』を観る
2003年08月26日(火)  アフロ(A26)
2002年08月26日(月)  『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里)


2007年08月25日(土)  マタニティオレンジ165 誕生日の記念写真

たまの一歳の誕生日記念に家族写真を撮ろう、青山一丁目のスタジオメモア(studio memoir)へ。2月にわたしの誕生日記念に母娘写真を撮って以来、半年ぶり2回目。手づくり感あふれるリフォームを施した居心地のいい一軒家のスタジオで一組一時間かけて撮影し、気に入った写真を一枚2000円で焼いてもらうか、フォトグラファーがセレクトした70枚を収めたCDを29800円で買うというシステム。14枚以上焼くなら買ったほうがお得ですよという料金設定になっている。フォトグラファーは韓国人の女性で、前回とは違う人。定期的に交替で来日されているとのこと。

前回、途中でおなかを空かせたたまがぐずりだし、授乳に10分ぐらい取られたけれど、今回は腹ごしらえばっちりだから大丈夫、と思ったら、「場所見知り、人見知り」の壁が。半年前に来たことなんかすっかり忘れているたまは、スタジオに入るなりべそをかき、わたしの膝にしがみついて離れない。広告の撮影なんかでも赤ちゃんを一人に絞り込まずに何人かスタジオに呼んで機嫌のいい子で撮影するし、子ぎつねヘレンの撮影でも常時二匹の子ぎつねが待機していた。赤ちゃんと動物相手の撮影は、時間と根気が必要になる。しゃぼん玉で気を紛らわしたり、持参した赤ちゃんせんべいを使ってフォトグラファーの助手さんに餌付けしてもらったり、携帯電話の着メロであやしたり。ようやくたま単独で撮れるようになるまでに20分ほどかかった。

衣装は一目惚れして買ったばかりのアガタルイスの元気色の上下、白い甚平、金魚の浴衣、フリフリレースの上下を持参。アガタルイスと甚平、スタジオおすすめのピンクのチュチュで撮ることに。着替える前に、最初に着ていた普段着(GAPのTシャツとスカート)姿もおさえてもらう。わたしが切った前髪はギザギザで、頬には一昨日いつの間にかどこかに打ち付けた青痣が残り、手足は汗疹で水玉模様なのだけれど、それでもフォトジェニックなのだから恐れ入る。前回撮った写真と半年後の現在のたまのツーショットをリクエストし、スタジオの雰囲気に合ったフォトフレームをお借りする。半年か一年後、ひとまわり大きくなったたまと、このツーショットを撮るのもまた面白いかもしれない。



今日いちばん活躍したのは、最近一家ではまっている近所の白山ベーグルのベーグル。撮影後半、ご機嫌取りのために差し出した一個をたまは手放さず、ベーグル&たまの写真が続いた。ベーグルにかぶりついたまま立ったり歩いたり座ったり。このままお店のポスターに使えるのでは、と親バカなことを考えてしまう。

たまは途中も何度かぐずったので、前回に比べると、撮影時間も枚数も少なく、その中からセレクトした70枚は似た写真が多くなってしまったものの、欲しい写真は14枚にはおさまらず、結局CDを買ってしまう。あくびをしたり、べそをかいたりという表情も、これはこれで捨てがたい。CDの表紙は、前回は70枚の中からこちらの指定した写真に日付を入れたものをサービスで焼いてもらえたのだけど、スタジオ規定の表紙になっていたのが残念。戸棚の見せる収納部分に挿している一枚目はフォトフレームとしても機能していて、わが家を訪ねる人との会話のきっかけにもなっている。自分で日付を入れて焼いて表紙を作ればいいのだろうけれど、前回うれしかっただけに、惜しんだ手間隙が惜しまれた。

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2005年08月25日(木)  『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫)
2004年08月25日(水)  アテネオリンピックと今井雅子
2003年08月25日(月)  冷凍マイナス18号
2002年08月25日(日) 1日1万


2007年08月24日(金)  半年ぶりに髪を切る

脚本に専念するため会社を辞めるとき、ああ、これで美容院に行ける、と思ったのに、時間ができたらできたで、その時間を他のことに使ってしまう。子どもが生まれるとなおさらで、よっぽどのことがない限り、髪のことは後回しになる。明日、写真スタジオに家族写真を撮りに行く予約を入れて、ようやく美容院が優先順位のトップに急浮上。誕生日割引のハガキを使って以来、髪を切るのは半年ぶり。

向田邦子さんのエッセイに、美容院を代える気持ちを浮気にたとえたものがあった。とくに不満があるわけでもないけれど、なんとなく美容院を代えてしまう、ということがわたしはよくある。今の町に住んで7年目。一年に数えるほどしか行かないくせに、今日新しく行った美容院で6軒目になる。最後に行った美容院に気が向かないのは、半年もほったらかしにしてたのがみっともないからで、せっかく半年ぶりなんだからと張り切る気持ちもあって、一駅離れたちょっと垢抜けた美容院にちょっかいを出してみることにした。

このお店に存在する色の9割ぐらいはわたしのワンピースが占めているのでは、というぐらいすっきりとシンプルそしてモダンにまとめられた店内を、白いパリッとしたシャツと黒いスリムなパンツの店員さんたちが広々とした店内を颯爽と動き回っている。このセンスがカットの腕にも反映されることを期待。「いかがいたしますか」と聞く担当の女性美容師さんの髪型もいい感じ。サンプルのヘアスタイル写真を見つつ、「長さはあなたと同じぐらいで」「前髪はあなたみたいに」と目の前の立体見本を指差していたら、「わたしとそっくりな髪になっちゃいますけど」と美容師さん。「はい、じゃあ、そんな感じで」とすっかりおまかせすることに。

「せっかく伸ばしたのに、いいんですか」と気遣ってくださるが、こちらは勝手に伸びたセイタカアワダチソウぐらいにしか思っていないし、次に切るのはまた半年後かもしれないので、遠慮なく行っちゃってください、とお願いする。以前、別な美容院で「刈ってください」と口が滑ったときに、「カットする、という気持ちでやらせてください」とたしなめられ、反省した。広告会社でコピーライターをしていた頃、「捨て案を書いてください」と営業に言われて、「捨てるコピーなんか書けない」と暴れたくせに。「適当にでっちあげてください」という脚本の依頼が来たら、へそを曲げてしまうくせに。プライドを持って仕事をしている人に、敬意を欠いた発注をしてはいけない。

シャンプー係の若いお兄さんに引き渡され、シャンプー台へ。まだ続くか、そこまでやってくださいますか、と感動の洗い上げの仕上げには丁寧なヘッドマッサージ。思わず「今までのシャンプーで最高でした」と告げると、シャンプー係のお兄さんの顔がぱっと明るくなった。このお店はシャンプーにこだわりがあり、厳しく指導されているのだそう。

カット台に戻り、いつものように雑誌占い。わたしの元に運ばれてきた雑誌三冊のいちばん上は「CREA」。あとの2冊はタイトルが半分隠れていたが、アルファベットである。女性自身でなかったことに安心するが、もとより女性自身は置いてなさそうなお店なのだった。CREAの特集はおみやげにおすすめの品をセレクトしたもので、これ読みたい、と思ったのだけれど、結局手を伸ばすタイミングを逸してしまった。あまりに美容院にごぶさたしたため、いつ雑誌を開いていいのか、わからない。かといって、雑誌に視線を落としていないと、鏡の中の自分を見つめ続けることになるのだけど、これも気恥ずかしく、自分と目が合ってどぎまぎする。やっぱり雑誌を読もう、でも今はダメかなまだかなとまごついているうちに髪はすっかり短くなっていた。

「いかがですか」と聞かれて、咄嗟に出た一言が「いいですね。子どもみたいで」。担当さんはボブなんだけど、同じ髪型をわたしの顔にのっけるとおかっぱになるんだ。でも、軽くなってちょっと若く見えるかも……と一瞬の間に考えたことが「子どもみたい」の一言に集約され、美容師さんを絶句させてしまった。他に言いようがなかったのか、慣れない空間ですっかり舞い上がって、素人丸出し。住み慣れたわが家に帰って見慣れた鏡に映してみると、なかなかいいではないか、とようやく口元が緩み、その満足を店から託された感想ハガキに書きこんだ。

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2004年08月24日(火)  TOKYO OYSTER BAR 
2002年08月24日(土)  『パコダテ人』ビデオ探しオリエンテーリング


2007年08月23日(木)  マタニティオレンジ164 ついに布おむつの出番

夏風邪の熱が下がったと思ったら、入浴を控えたせいで汗疹がひどくなったので、昨日の夕方、皮膚科へ行った。これがいけなかった。クーラーのきいた待合室で待つこと30分、風邪がぶり返し、今朝熱を測ったら7度9分。昨日は誕生日だったけれど、今日は年に一度のお楽しみ会で、園児も先生も浴衣姿で集まるという。たまも「おうちも飽きたし、そろそろ保育園に行きたいわ」とばかりにぐずるので、ゆかたを着せ、返品覚悟で連れて行くと、8度1分であえなく返品。お楽しみ会でやる予定だったヨーヨーすくいをフライングでさせてもらい、たまが指差したヨーヨーを先生がすくっておみやげに持ち帰らせていただく。

「汗疹がひどくて」と保育園の看護師さんに相談すると、「風邪でもシャワーは浴びさせてあげてください」と言われ、家に帰って早速シャワー。濡れた体を拭き、おむつを履かせようとして、昨日皮膚科の先生に言われた「なるべく裸にしててあげてください。でなければ布おむつを」を思い出す。まったく何も履かせないと家のあちこちに不本意な水溜りを作ることになるのだが、確かに蒸れる紙おむつを履かせるのはかわいそう。いただいたものの一度も使わずに眠っている布おむつのおさがりに、ついに出番が来た。

ところが、布おむつを留めるカバーがない。布おむつの上にズボンを履かせて留めるという強引な手段を取る。うまくいったかに見えたが、おしっこをすると重みでズボンが下がり、今どきの若者のようになってしまった。ヒップハングでずかずか歩くたまは、ふんぞり返ってふてぶてしい。何かマジックテープのようなものはないか、と部屋を見回し、はたと気づいた。そうだ、紙おむつにはテープがついている! 早速試してみると、ぴたりとフィット。紙おむつの中敷感覚だけれど、紙よりは蒸れないし、こまめに替えれば紙オムツの節約にもなる。でも、いつまでも急場しのぎではかわいそうなので、大阪に住む妹の純子に電話し、「前に断った布おむつが急遽いることになって……」とおむつカバーのおさがりを依頼。「紙おむつで布おむつを留めるなんて、聞いたことがない」とあきれられたが、送ってくれることになった。

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2005年08月23日(火)  たっぷり3時間『もとの黙阿弥』
2004年08月23日(月)  江戸川乱歩と大衆の20世紀展


2007年08月22日(水)  マタニティオレンジ163 風邪と汗疹と誕生日プレゼント 

一昨日、初の保育園返品となったたまは、昨日の朝、体温を測ると7度6分だった。8度を超えるとお預けできないのだけれど、ぎりぎりセーフ。それでも大事を取って休ませたのは、翌日の誕生日当日は保育園に行かせてあげたい、と思ったからだった。誕生日に学校へ行けばいいことがある、という期待がわたしには刷り込まれている。0歳児クラスの園児たちは、さすがに「おめでとう」を言い合ったりはしないだろうけれど、先生たちは誕生日カードを用意してくださっているらしい。先週、「お父さんお母さんから一言お願いします」と小さな紙を託されたのだが、それを組み込んだカードを仕上げてくださるようで、「どうぞお楽しみに」と言われている。「熱は下がったんですが、今日はゆっくり休ませます」と保育園に電話をすると、「あら、たまちゃん、明日お誕生日なのに」と担任の先生。咄嗟にこんな反応が返ってくると、心の行き届いた保育をしていただいているな、とあらためてうれしくなる。

お盆休みを引きずっていて、今週は打ち合わせもほとんどなく、締め切りにもまだ余裕があるので、保育園を休ませても仕事には響かない。これで元気ならどこかへお出かけもできるのだけれど、家でおとなしくしていなければならないのは、もったいない気がする。その代わり、家にいるおかげで、次々と届く誕生日プレゼントを受け取ることができた。

広告会社時代の得意先であり、元々は前田哲監督に注目されていた縁で『パコダテ人』以来応援してくださっているS氏からは、東京ディズニーランド/東京ディズニーシーのパスポートが届く。こういう贈り物は、受け取ったときと、実際に使うときの二度感激を味わえてうれしい。いつ行こうか、歩けるようになってからがいいだろうか、誰を誘おうか、と思い巡らせるのも楽しい。コピーライター時代、わたしは東京ディズニーランド/東京ディズニーシーのCMや雑誌広告やホームページのコンテンツを書いていた。手がけたコピーを足し上げると、本一冊分ぐらいになるかもしれない。わが子を案内するという視点が加わっていれば、もっと豊かな案内書になっていただろうと思う。

クリスチャンで医師の余語先生からは、「こどものせかい」の7月号「まいごのミーミ」と9月号「ぼくんちのペット」が届いた。「こどものせかい」は至光社が出している月刊カトリック保育絵本で、「日本カトリック幼稚園連盟」推薦とある。贈られた二冊は文字が活字ではなくカラフルな手描きになっていて、ほんわかとやさしくあったかい雰囲気を醸している。

絵本といえば、先日ご近所仲間でわが家に集まったときに、鉄道マニアで映画ファンのT氏が「今井さんとたまちゃんに」と持ってきてくれたのが、《こどものとも》傑作集『やこうれっしゃ』(西村繁男さく)と『こねこのねる』(ディックブルーナぶん・え 石井桃子やく)。文字がなく、夜行列車のスケッチだけで語られる『やこうれっしゃ』は、絵を指差しながらそれぞれの乗客の物語を子どもと作る楽しみ方ができそう。そんなことができるまでにはもう少し待たなくてはならないけれど。こどものともは子どもの頃にしばらく取っていて、毎月届くのが楽しみだった。その話をT氏にすると、児童文学を手がけられるT氏のお母様はこどものともの作品を書かれたこともあるという。

出会って四半世紀になるドイツのペンフレンド、アンネットからはプレゼントぎっしりの小包が届いた。出産祝いに贈られた服はいまだに大きすぎて袖を通していないけれど、1歳祝いの服もわたしが無理をすれば着られそうな特大サイズ。アンネットは娘を二人育てているから、ドイツの赤ちゃんはこれが標準サイズなのだろうか。たまはようやく身長が70センチを超え、70センチサイズが窮屈になってきたので、80センチサイズを着るようになってきたところ。8月上旬にわが家を訪問されたさのっちさんからも服を贈っていただいた。服は何着あってもうれしいし、着せるたびに贈ってくださった人の顔を思い出せる。

たまの誕生と同時にスタートしたわたしの母親業も今日で一周年で、「お母さんも一歳」である。手探りではじまり、こちらもようやくよちよち歩きといったところ。一歳の誕生日、母娘が一緒に過ごす時間を贈りあえるように
、夏風邪を授かったのかもしれない。しかし、入浴を控えているうちに汗疹がひどくなり、なんとも痛々しい。手足とおしりの水玉模様に引っかき傷のストライプが加わり、にぎやかだけれど、このプレゼントはいただけない。

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2006年08月22日(火)  新作誕生
2004年08月22日(日)  H2O+H2=H4O(水素結合水)
2002年08月22日(木)  鼻血で得意先ミーティングに遅刻


2007年08月21日(火)  マタニティオレンジ162 もしもし、たま電話。 

13日の夜、『絶後の記録』映画化をめざすキンガ・ドボッシュさんを囲んでわが家で会食していたときに、「あら、たまちゃん、電話してる」とダンナ母が気づいた。家の電話が鳴り、ダンナ父が応対していたのだが、それを見ていたたまが物真似をするように左手を左耳に当て、「もしもし」のポーズを取っているのだった。教えたつもりはないのに、いつの間に覚えたのか、びっくりするやらうれしいやら。「もういっぺんやってみて。もしもしー」と自らお手本を見せながら、アンコールしたのだが、実際に電話が鳴らないとたま電話のスイッチが入らないらしい。携帯で家の電話にかけ、呼び出し音を鳴らすと、ほら来た!とばかりにもしもしポーズを取る。面白くて、何度も家の電話を鳴らすことになった。

それから一週間、たま電話はさらに進化し、もしもしポーズを取りながら、「ハイッ」と言うようになった。少し緊張感のある歯切れのいい言い方といい、語尾の「ッ」と同時に首が軽く前後するところといい、ダンナが仕事の電話を受けるときの相槌によく似ている。家にいるときもひっきりなしに電話がかかってくるパパを観察して、覚えたのだろう。

ゴルフの素振りには傘が、アカペラカラオケにはしゃもじが欲しいように、たま電話も「何か持たなきゃサマになんないわ」ということに気づいたらしく、リモコンやらペットボトルやらを受話器に見立てて耳に当てるようになった。オムロンの電子体温計の先が細いほうを口元にもってくると、インカムっぽくて結構キマる。本人もそれがわかっているのか、体温計を手放さないのだけど、先っぽが目に入ったら、とこちらはハラハラする。「スリッパは無理があるんじゃない?」と突っ込むと、えへへとおどけて笑う。受け狙いなのか、末恐ろしい。

ちょうど手に届くところに家の電話があるので、その受話器を持ち上げることも覚えてしまった。本人は耳に当てたいのだけれど、受話器が重いので肩に担ぐ格好になる。受話器がしょっちゅう外れては、ピーピーと警告音が鳴る。もちろん携帯電話は大好き。赤ちゃんの手にも持ちやすいサイズなので、これでもしもしするのがいちばんしっくり来るらしい。でたらめなボタン操作でも壁紙の写真を変更したりサイトに接続したりリダイヤルしたりしてしまうので、危なっかしい。機種変更で不要になったおさがりを差し出すと、お古にはそっぽを向き、現役を寄越せとねだる。電磁波センサーでもついているのか、親がどちらを大切にしているかを観察しているのか、現役機種と引退機種をちゃんと見分けている。

保育園では週一回の小児科検診を「もしもし」と呼んでいる。聴診器が電話に似ているからなのか、体の声を聴くからなのか、その両方なのか。昨日、夏風邪を診てもらった小児科で胸に聴診器を当てていたら、突然たまが左手を耳に当て、もしもしのポーズを取った。やっぱり電話に見えるんだなあと思ったら、院長先生のデスクの電話が鳴っていた。診察の邪魔にならないように、さりげないメロディと音量に設定されていて、それが電話の音だと気づくのに、わたしは少し時間がかかった。だが、たまは瞬時に「電話だ」と察したらしい。感度良好のたま電話には驚かされることばかり。

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2007年08月20日(月)  マタニティオレンジ161 はじめての返品

助産院に入院中、無事出産を終えて、半年一年先のことを考えるどころではなかったわたしに、「保育園に預けるべし!」と熱心にすすめてくれたのは、見舞いに来た二人の先輩ママだった。「仕事のときは自分たちが見るってじいじばあばが言うかもしれないし」とわたしが言うと、「じいじばあばの出番なんか、いくらだってあるわよ。保育園に預けたって、熱やら風邪やらでしょっちゅう返品されるんだから」。発熱なんかで保育園に預けている子どもが返されることを「返品」と呼ぶ言い方があることを、そのとき知った。

0歳児はとくに抵抗力が弱いので、すぐに高熱が出るし、伝染性の病気にもかかりやすい。「最初のうちは病気をもらいに行くようなもので、何しに預けてるんだかわからないよ」と大阪に住む妹・純子にも言われた。ひと月のうち2、3日ぐらいは返される覚悟でいたのだけど、幸いうちのたまは体が丈夫なようで、前夜に熱を出しても翌朝には下がっていたり、ちょっと熱めかなと思いつつ預けたら7度台後半でセーフ(赤ちゃんは平熱が高いので、8度を超えるとアウトとなる)だったり、綱渡りながらも返品ゼロ記録を更新していたのだけれど、ついに今日、その記録が止まってしまった。「たまちゃん、8度1分です」と夕方に保育園から電話があり、迎えに行くと、おでこに冷えピタシートを貼られて待っていた。朝方からやや熱っぽく、お預け時の検温では7度8分だったのだけど、昼過ぎにいったん下がり、ほっとしていたら、また上がったのだと言う。

コンコンと咳も出ているので、保育園の帰りに小児科に連れて行くと、「のどが腫れていますし、夏風邪でしょう」との診断。熱はまだあまり高くないので、咳止めの薬だけ出してもらう。なんとなく小さいうちから薬の力に頼ると、体の自然治癒力がなまけてしまいそうで、いつも少なめに出してもらうようにしている。

振り返ってみると、お盆の間からひっきりなしに人が家に来たり、人の家に行ったりが続いていた。大人のペースに巻き込まれて、疲れが出てしまったのかもしれない。反省しつつ、ゆっくり体を休めることに。熱があっても子どもは元気なのだけど、いつもよりは甘えたになっていて、片時たりとも床に下ろさせてくれないので、トイレにも抱っこで連れて行く。植物を挿した小瓶をなぎ倒したり、ウォッシュレットのボタンを押したり、壁にピンナップしてある自分の写真を指差して興奮したり、トイレワンダーランド滞在中は楽しげにしてくれている。風邪の間だけの後追いならいいのだけれど、「一人でトイレにも行けない時代」に突入してしまったとしたら困ったものだ。

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2007年08月19日(日)  マタニティオレンジ160 ヨチヨチ記念日

夜中に目を覚ましたら、たまが布団の上を飛ぶように駆け回っていた。夢か、と思って寝ぼけ眼をこすると、つんのめって手をついた。その姿勢から立ち直ってまた起き上がり、ととと、とベビーベッドに向かって突進し、ベッドの柵をつかんだ。夢ではなく、本当に歩いていた。目標物に向かって倒れこむように歩くので、前のめりになって加速し、走るような姿になる。

少し前、保育園の先生に「たまちゃん、もう少しで歩きそうですね」と言われ、「いつをもって、歩いたって言えるんでしょうか」と聞くと、「床から一人で立ち上がって、何歩か踏み出せるようになったら、でしょうか」という答えだった。これまでにも、たまは椅子から椅子へ、パパからママへ、綱渡りのようなヨチヨチを披露していたが、立ち上がるまでは椅子や人の手や膝を借りていた。自力で四つんばいの姿勢から二足歩行体勢を取れた瞬間を確認した今日、8月19日を「ヨチヨチ記念日」に認定しよう。ハイハイ(8月18日)から一歩進んだ日、と覚えることにする。

いつも上から見下ろしていると、危なっかしくてつい手を差し伸べてしまうのだけれど、布団に寝転がって頭の上を飛び回るさまを見上げていると、堂々たる迫力がある。まるまると太った立派な大根足はどしんずしんと床を蹴り上げ、なかなか頼もしい。一才目前に歩きだした、たまザウルス。転んでも転んでも自分で起き上がれるのがうれしいのか、何度も起き上がり、歩き出していた。

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2004年08月19日(木)  色数はあるけど色気がない
2002年08月19日(月)  大阪は外国!?


2007年08月18日(土)  マタニティオレンジ159 三世代合同誕生会でたま1才

生後1か月から毎月開いてきた月例(齢)誕生会の12回目。記念すべき1歳の誕生日は何やるの、と周囲の期待も高く、「夏だしバーベキュー大会」という計画もあったのだが、8月7日生まれのダンナ父が古希を迎え、ダンナ妹が25日生まれということで、「3人合同の家族誕生会にしよう」と決まった。

古希のお祝いもあるので、外で会食して、わが家で誕生日ケーキを食べることに。近所にある湯豆腐屋なら座敷もあるし、うってつけだ。そのお店が昨日までお盆休みだったので、今朝電話し、予約。「かしこまりました」と告げたお店の人が、「あ、ちょっと待ってください」と急にあわてて、「今日は夜からの営業でした」。豆腐の仕入れが間に合わなかった様子。急遽代案を探すことになり、以前ご近所仲間のK夫人にすすめられた東京ドームホテルの「たん熊北店」に電話。座敷は満室、完全個室ではないが仕切られているテーブル席は一人6000円から、普通のテーブル席なら3500円からと言われ、普通のテーブル席をお願いする。

到着すると、いちばん奥まった広いテーブルに案内される。他のテーブルとは離れていて、個室感覚。活け花を愛でながら、美しい器に盛り付けられたご馳走をいただく。和風パンプキンスープのような「冷やし南瓜すり流し」をたまはいたく気に入り、ほぼ一人前平らげる。いつもの離乳食とは比較にならない食いっぷり。料亭の味がわかるのだろうか。

用意していただいたベビーチェアにはベルトがなくて危なっかしいので、たまはベビーカーに座らせたり、だっこしたり。たまが退屈すると、じいじとばあばが交代で外へ連れ出し、電話ボックスでもしもしごっこなどをさせてあやしたので、最後まで派手にぐずられることはなく、食事を楽しめた。料理は思った以上にボリュームがあり、それでいて、京風の上品な味付けで箸が進み、わたしは御飯をしっかりお代わり。デザートも果物だけかと思ったら、ゼリーとアイスクリームもついてうれしい限り。サービスも至れりつくせりで、お祝いにふさわしい会食となった。ホテルの中のレストランには割高なイメージを抱いていたけれど、ここのお昼はお値打ちだと満足した。








たん熊北店「光悦」

前菜 鱧押し寿し 
   串差し 蛸 おくら 玉蒟蒻
   鯛胡瓜生姜酢
   蛇龍山桃 枝豆

吸物 冷やし南瓜すり流し 
    白玉 星おくら じゅんさい

造り 鱸(すずき)洗い 
    酢味噌かけ 
     あしらい

焼物 鮎風干し 
    蓼酢焼き 半熟玉子 花蓮根

焚合 飛龍頭 
    楓麩 青菜 水辛子

揚物 鱧ゆかり揚げ 
    夏野菜夫婦羅 
     賀茂茄子 茗荷 ヤングコーン 
      冷やし天出汁卸し

止椀 田舎味噌
御飯 枝豆御飯
香物 京漬物
水物 旬の物


わが家に戻ってケーキタイム。ダンナ妹のケイコチンが用意してくれた新宿高野のいちごぎっしりケーキに3人分のプレートを強引に貼り付ける(すべって大変)。サービスのプレートを3枚も書かせた上に、ペンが太くてにじんでいるからと言って書き直しをお願いしたそうで、店員さんにとっては迷惑な客だっただろう。そういえば、2/12才のケーキも高野のものだったけれど、やはり字がにじんでいた。細ペンを採用されたほうがいいかもしれない。ロウソクは数字の1をかたどった1本。これまで「見てるだけ」だったたまは、満を持して誕生日ケーキにありつく。ちょっとだけね、とスポンジをひと口食べさせたら、目を輝かせた。母親に似てスイーツには目がないよう。

たまは最近覚えた「もしもし」(耳に手を当てて電話しているつもり)や、「うちわパタパタ」(ヘロヘロな仰ぎ方ながらも、それなりに風を送れる)や「どうぞ、どうも」(物を差し出したり受け取ったり)を披露して、じいじばあばは手をたたいて大喜び。古希のじいじには、孫と過ごす時間が何よりのプレゼントだし、たまにとっても、じいじばあばやケイコチンにたっぷり遊んでもらえるのが、おもちゃより楽しいことだと思う。

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2004年08月18日(水)  スチームボーイと津嘉山正種さん
2002年08月18日(日)  24時間テレビ


2007年08月17日(金)  年に一度だけ思い出されても

今年も24時間テレビの季節がやってきて、新聞でもテレビでもネットでも番宣記事を連日見かける。そのたびに、少し前に会った方に言われた言葉を思い出す。「年に一度、24時間テレビの日だけ思い出されて、あとの日は忘れられてもなあ」とその脳性麻痺の男性は言った。日本中が注目し、共感し、涙するその24時間の前にも後にも続いている日常がある。その日だけ、思い出したように思い出すことより、意識の片隅に意識して置いておくことのほうが意味がある。それはわかっているけれど、流されるように、追い立てられるように生きていると、きっかけでもなければ、立ち止まることを忘れてしまう。

花火のように派手でパーッと盛り上がって散るものは目を引くし、人を集めやすい。それに引き換え、燃え盛った火の名残を小さく灯し続けることはずっと地味だけれど、ずっと難しく、根気を要する。少し前に戦争関係の記念日が続いたこともあり、原爆の火を受け継ぐ人々のことを思ったりしながら、「年に一度だけ思い出されても」という一言が頭から離れなくなっている。

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2004年08月17日(火)  サービスって?
2002年08月17日(土)  浴衣・花火・箏・まが玉


2007年08月16日(木)  円周率は音楽だった

今日の読売新聞に、国際数学オリンピックで2度目の金メダル(成績上位8%に与えられる)を獲得した高校生、片岡俊基さんのインタビューが載っていた。高校時代、数学といえば受験勉強だったわたしにとって、数字に壮大なロマンを抱く高校生の姿は何とも新鮮。宇宙に通じるような数学の奥深さに比べたら、目先の受験なんかちっぽけなもの、そんなスケールの大きさを感じさせる。「特技は電子オルガン」で、「数字を音符に置き換え、円周率を500桁まで暗唱する」とあるのも興味深い。

早速ネットで検索をかけてみると、すでに世界中で円周率を音楽にする試みが行われていることがわかる。以前、円周率を映像に置きかえて記憶している男性がテレビに出演していたが、音楽のほうがとっつきやすそうだ。実際にいくつかのサイトで曲を聴いてみた。メロディには破綻のない心地よさがあり、訴えかけてくるようなうねりもあり、数字を音符に置き換えただけとは思えない。置き換える法則の違いによってメロディが変わるので、同じ数字からまったく違う曲が生まれている。曲調もさまざまなアレンジがあり、円周率音楽だけでコンサートが開けそう。「円周率は神様からのメッセージ」だと断言するサイトもある。神様が思いついたメロディを円周率という暗号に託した、という想像には夢があり、理系音痴なわたしと数学との距離を近づけてくれる。

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2006年08月16日(水)  売れ行き好調『子ぎつねヘレン』DVD
2005年08月16日(火)  いいにおいのお芝居『おじいちゃんの夏』
2004年08月16日(月)  伊豆高原のアンダティバリゾート
2003年08月16日(土)  6人で400才
2002年08月16日(金)  持ち込み企画


2007年08月15日(水)  人の名前が出てこない

お盆休みといっても、この暑さでは出かける気もせず、子連れともなればなおさらで、友人の家に行ったり友人を招いたりしてすごしている。今日はご近所仲間に声をかけ、わが家で夕食。食欲と好奇心旺盛なご近所仲間との食事は、毎回話題が尽きず、皆さんの博識ぶりや交友範囲の広さに感心させられる。会うたびにメンバーの新たな一面を発見するのも楽しみで、今夜は鉄道マニアで映画ファンのT氏が、実はテレビもよく観ている、ということがわかり、「どこにそんな時間があるんですか!」と驚いた。フィルムセンターや池袋の文芸座に通いつつ新作映画もチェックし、各地のSLに乗り込み、そのチケット入手に奔走し、もちろん仕事もし、とてもテレビも観る時間が残っているとは思えない。

いつもとは路線を変え、珍しく芸能界ネタで盛り上がったのだが、ここで一同の記憶力に老化の波が押し寄せていることを思い知る。タレントの名前が出てこないのだ。顔は浮かんでいるのに名前がついてこないので、話が前に進まず、「えーっと、ほら、なんだっけ。脚がきれいで有名な歌手。ダンナも芸能人で、苗字が『え』ではじまる……」「榎木孝明?」「遠藤憲一?」「もう少し若い……」。誰だろ誰だろと考えても答えは出ず、あきらめて別な話題に移った頃に「思い出した。森高千里!」「ああ、そっか、江口洋介の『え』ねえ」となる。他にも「今すごくいいと思っている女優さんがいて」「名前は?」「えーっと、度忘れした。本と化粧品の広告に出てて髪が長い」。これだけのヒントでなぜ蒼井優にたどり着けたのは謎だけれど、物忘れ世代に差し掛かっているんだなあということを痛感した夜だった。昔のことを思い出して脳を活性化させる回想法なるものがボケ防止に効く、と新聞記事で読んだが、三十代後半の脳も時々かき回してやらないと、さび付いて使い物にならないのかもしれない。

わたしの場合、打ち合わせなんかで「○○役、誰がいいですかね?」とキャストのイメージを聞かれたりするので、咄嗟に名前が出てこないのはまずい。それにも増して困るのが、何度も会っている人の名前が出にくくなっていること。目の前にいる人を呼びかけようとして、「あれ、名前なんだっけ」となることがふえた。自信がないので、つい相手の名前を呼ばずに会話を済ませてしまうことになるのだけれど、その間に相手は「今井さん」と何度も呼んでくれるので、申し訳なくなる。フリーで仕事するようになって、いろんな会社のいろんな人に会うようになり、ばらばらといただく名刺が整理できていないように、人の名前が記憶の引き出しの中でごちゃごちゃになったり飛び出したりしている様を想像する。それとも、これもやっぱり老化なのだろうか。

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2004年08月15日(日)  ハリケーン・チャーリーさん
2002年08月15日(木)  川喜多記念映画文化財団


2007年08月14日(火)  マタニティオレンジ158 おおたま ちいたま

6月3日に女の子が生まれた友人げっしー&イトウ夫妻の家に遊びに行く。こちらの赤ちゃんの名前も「たま」ではじまる。二人あわせて「たまたまちゃん」と呼んでいるのだが、どちらも「たま」でややこしいので、「おおたま」「ちいたま」と呼び分けることにした。

昨年8月22日生まれのおおたまより約9か月半遅れて、人生にデビューしたちいたまちゃんは、ようやく2か月半になったところ。一年も差がないというのに、顔の大きさも手足の長さも大違いで、「あと9か月でこんなになるのかあ」「9か月前はこうだったのかあ」と二人のたまを見比べながら親たちはしみじみとする。

新生児だったたまを抱っこして出かけると、吸い寄せられるように子育ての先輩と思しき方々が近づいてきて、「赤ちゃんってこんな小さかったっけ」「そうそう、こんな感じだった」などと少し昔や遠い昔のご自身の子育てと重ね合わせ、懐かしがっていた。ちいたまちゃんを抱くと、その重みややわらかさが、新生児だった頃のたまを抱っこしていた記憶が蘇る。抱くのもおっかないような軽くてやわらかい体、なのに爪も髪の毛もまつげもちゃんとあって、しっかり呼吸して、ちっちゃな手には驚くほどの力がある。危なっかしさと力強さが同居している生まれて間もない赤ちゃんには、間もなく一才になるおおたまにはない引力がある。

たまがちいたまちゃんぐらいだった頃、手足がよく冷えて、そのたびにドキドキさせられた。夜中にひんやりした足に触れて、「体が冷たくなってる!」と焦って、口の前に手を当てて息をしているかどうか何度も確かめたりしたこともあった。抱っこひもで出かけるときも、心配で、小さな手をずっと握ったまま歩いていた。はじめての子育てを手探りしながら始めた時期だから、生まれてから半年ぐらいの記憶は、とくに鮮明なのだろう。半世紀も前に子育てを終えたようなご婦人が、新生児を見た瞬間、タイムスリップのスイッチが入るのもうなずける。

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2004年08月14日(土)  シナリオ合宿は体育会ノリ


2007年08月13日(月)  『絶後の記録』映画化めざして来日

2002年8月6日の日記に『絶後の記録』のことを書いた。原爆投下後、GHQの検閲を受けて最初に刊行されたこの体験記の著者である小倉豊文氏は『宮沢賢治「雨ニモマケズ手帳」研究』などの著書もある人文学者で、宮沢賢治研究が縁でダンナ父と知り合い、親交を深めていた。そんなわけで、小倉氏の「恵存」のサインの入った文庫をダンナ父にすすめられ、読んだのだった。

原爆で愛する妻に死なれた小倉氏が妻に語りかける形で、原爆投下後の日々を綴る。手記というよりラブレターであり、やさしくあたたかい言葉の中に凝縮された激しい感情に心を揺さぶられる。読み終えたとき、こんなに美しく悲しい話は知らない、と思った。強く打たれた。

なのに、当時すでに脚本家としてデビューしていたわたしは、これを映画やドラマにしたいとは思わなかった。ちらりと脳裏をよぎりもしなかった。「何かいい原作はありませんか」といろんなプロデューサーに声をかけられるようになってからも、可能性を検討することさえしなかった。書かれている真実の重みにひれ伏し、書かれている以上のものを映像で見せるだけの予算も腕もない、と逃げ腰だった。それ以上に、これを何とかして世の中の人に知らしめなくては、という使命感に欠けていた。

本を読んだとき、原爆の記憶を風化させてはならない、せめて8月には思い出す時間を持とう、と誓いを新たにしたものの、それから5年間、『絶後の記録』は閉じたままだった。再びページを開くことになったのは、この本を映画化したい、という人が現れ、小倉氏の長女である三浦和子さんがダンナ父に相談し、「映画のことなら雅子に」というわけでわたしが和子さんに代わって連絡係を務めることになったからだった。

UCLAで映画製作を学び、ロサンゼルスで映画製作に携わっているKinga Dobos(キンガ・ドボッシュ)さんという女性からの手紙を、共通の方から英語を教わったという静岡に住む岡田学而さんが日本語に訳されたものを、和子さんから預かって読んだのが6月のこと。岡田さんが添えた挨拶の冒頭には「ようやく桜の花も咲きはじめてまいりました」とあり、春をまるまる待たせてしまったことを知る。キンガさんの手紙を読んで、さらに焦った。「こんなすばらしい、熱のこもった手紙は、なかなかありません。一日も早くお返事すべきです」とすぐさま和子さんに電話した。

恩師から『絶後の記録』の英語版(Letters from the End of the World)をすすめられて読んだキンガさんは、原爆投下に翻弄されて引き裂かれた小倉さんの家族に自身の体験を重ねた。祖国ルーマニアからパスポートを持たずに逃れた両親を追って一年後にハンガリーに移り住んだのが14才のとき。この辛い経験から「苦労が人間を強くする」「自分の運命を選ぶことはできないが、もって生まれた才能や個性や度努力が非常な困難をも乗り越えさせてくれる」と悟るなかで、「いつか芸術で自分を表現していこう」と思うようになった。高校を卒業後、ロンドンで住み込み家事をしながら夜間学校で英語を学び、映画製作の夢を実現するために渡米してからは七年もの間家族と会わずに勉学に励んだ。そうして叶えた夢は、自分の興味と熱意だけで勝ち取ったものではなく、出会った多くの人たちの支えがあってこそ……。手紙は映画化権の許諾を依頼するものだったが、そのためにはまず自分を知って欲しい、という熱意がまっすぐに伝わってきて、彼女と『絶後の記録』のめぐり合わせを祝福したい気持ちになった。

和子さんから岡田さんに一報入れたのと相前後して、わたしと岡田さんも連絡を取り合うようになった。ちょうど8月の原爆の日をめざしてキンガさんが来日されるということで、キンガさんとは初対面の岡田さんが10日余りの旅程を同行するという。毎年5日に広島平和記念公園で夜を明かし、翌日の記念式典を見届けて0泊2日で東京に戻られるという和子さんとキンガさん岡田さんがまず広島で会うことになった。キンガさんが和子さんの話に耳を傾け、長い夜を共にした模様は、中國新聞でも紹介された。

そして今日、東京のわが家にキンガさんと岡田さん、和子さんとお嬢さんが集まった。ダンナ両親と仕事から戻ったダンナも加わり、大人8人と赤ちゃん一人のにぎやかな夕食。映画化については和子さんは「作品が知られるきっかけになるのはうれしいが、顔を見てからでないと」と話されていたが、広島で夜を徹して言葉を交わし、この人ならば、と安心されたよう。小倉氏も写っている戦前からの家族アルバムや疎開先につけていた日記など貴重な資料をどっさり持ち込まれた。キンガさんは熱心にメモを取りながら質問を繰り返し、和子さんのアルバムをビデオに撮り、用意した食事に手をつける暇もない忙しさだった。

「『夕凪の街 桜の国』を広島で観たときも終始ペンを走らせていたんですよ」。そう感心する岡田さんの熱心さにも、圧倒された。「こういう映画がちょうど公開中ですよ」とわたしがタイトルを伝えた作品をキンガさんが来日中に観られるように調べたり都合つけたりされたのだろう。キンガさんの手紙を訳して以来、すでに数十冊の原爆関係の本を読まれたのだという。「黙祷しながら聞いた8時15分の鐘の音は忘れられないものになりそうです」「平和公園を歩いたのは二度目ですが、小倉先生の言われた『広島ではどこを歩いても遺骨の上を歩いている』の言葉を思うと、そこは一度目とは違った場所のようでした」と仰る言葉にも重みと深みが感じられた。

岡田さんとわたしが補いあいながら通訳を務めたのだけど、岡田さんの語彙の豊かさ、訳の的確さにも感心した。わたしの英語はずいぶんさびついていて、日本語にしたら数語のことがまわりくどい表現になってしまった。「大空襲」「疎開」などという使い慣れない言葉にたじたじとなっていると、察しのいいキンガさんが「Fire attack?」「Evacuate?」と汲み取ってくれた。「被爆者って何て言うんでしょう?」と岡田さんに聞いたら、「Hibakusya?」。「ヒバクシャ」はそのままで通じてしまうんだ、と複雑な気持ちになった。

これからキンガさんが脚本を書き上げ、出資者を募っていく。実現する目処が立つまではまだ遠い道のりだし、どんな規模で作れるのか、予想もつかない。「原作に忠実でありたい」とキンガさんは繰り返していた。当時の模様を再現するには莫大な予算が必要となるが、原作を尊重する気持ちがあれば、原作に込められた思いは映像に刻まれると思う。手紙からイメージした通りの、真っ直ぐさとしなやかさ、たくましさとかわいらしさを持ち合わせた愛すべき人、キンガさん。異国での孤独に耐えて映画製作者になる夢をかなえた彼女なら、どんなに道は険しくても、惚れ込んだ原作を映画化してしまうのではないか。わたしも、岡田さんに続いて彼女の熱意に巻き込まれた一人として、応援していきたいと思う。

「紙の墓」と題した小倉豊文氏の詩がある。「亡き妻に」と副題があり、妻にあてた手紙を本にした気持ちが綴られている。ノーモアヒロシマズの祈りが出版に駆り立てたのだが、印税を受け取ることに葛藤した。悩んだ末、印税をみんなに使ってもらおうと決心がついた……と語りかける長い詩は、

 お前のお墓を建てるのも
 しばらくみんなおあづけだ
 本をお墓と思つてくれ

 地上の
 つめたい一つの一つの墓石より
 も無方にちらばる
 無数の紙の墓の方が
 お前もやつぱりいいだらう
 第一、
 軽くていいだらう

と結ばれている。この「紙の墓」を広めることが、映画化への後押しになればと願う。『絶後の記録―広島原子爆弾の手記』は最初の刊行から半世紀余りを経た2001年8月に中公文庫BIBLIO20世紀から改版が出ている。

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2005年08月13日(土)  西村由紀江さんの『ふんわりぴあの vol.7』


2007年08月12日(日)  マタニティオレンジ157 0歳にしてジャズにスイング 

近所のお肉屋さんの入口に「バーベキュー」の張り紙を見つけ、店の人に聞いてみると、この近くで病院をやっているお客さんが毎年開いているものだという。近所の人はどうぞということなので、一家で出かけることにした。

開始30後頃に到着すると、バーベキュー会場に変身した医院の駐車場には、すでに50を下らない家族連れがつめかけ、テーブルはすっかりふさがっていた。空いているのは、今バンドで演奏しているメンバーの席だけ。演奏の間、そこに落ち着かせていただく。ちょうど、かぶりつき席で、同じテーブルの女性はバンドメンバーの関係者らしく、演奏の合間に「ビール持ってきてくれ」「ダメ」というジェスチャーでのやりとりが繰り返される。すでにいくらかアルコールが入っているようで、ほろ酔いで演奏してらっしゃるのだが、いい感じに力が抜けて、心地よい音になっている。

娘のたまにとっては、はじめて聴くジャズの生演奏。CDでもわが家ではジャズなどめったにかからないのだけれど、たまはずいぶん気に入ったらしく、わたしの膝の上で立ち上がり、しきりに手拍子を贈っている。絶妙なタイミングで「オー」やら「ホー」やらかけ声も飛び出す。バンドの方もそれに気づいて応じてくださり、わたしとダンナは「うちの子はジャズがわかる!」と大興奮。バレエ『白鳥の湖』を観て胎動を感じ、「うちの子はチャイコフスキーがわかる!」と生まれる前から親バカになっていたが、もしかしたら、本当に音楽を感じる才能がすぐれているのではないか。将来、この子が音楽の道に進んだら、「生まれる前にチャイコフスキーを理解し、0歳にしてジャズにスイング」したと触れ込むことにしよう。

演奏が終わったバンドメンバーの方々がテーブルに戻ってきて、「ノリノリでしたねえ」と声をかけてくださる。夫婦二人だけの参加だと、二人だけで黙々と肉を食べて帰ってくるだけになっていたかもしれないけれど、子どもが会話のきっかけになって、初対面の方とも話がはずむのはありがたい。

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2006年08月12日(土)  土曜ミッドナイトドラマ『快感職人』
2005年08月12日(金)  宮崎あおいちゃんの『星の王子さま』
2002年08月12日(月)  お笑い犬トトの思い出


2007年08月11日(土)  マタニティオレンジ156 誰に似ているのか「顔ちぇき!」

娘のたまが生まれたとき、誰もがわたしに似ていると言った。狭い産道を通り抜けてむくんだ赤い顔は、二日酔いのわたしによく似ていた。ところが、顔の腫れが引いて「かわいい」と言われる回数がふえるのに反比例して、わたしに「似ている」と言われる回数が減っていった。先日もたまを抱いて信号待ちをしていたら、「あらかわいい、お人形さんみたいねえ」とさんざんわたしに話しかけてきたおばさんが、最後に一言、わたしの隣に立つダンナに向かって「お父さんそっくり」と言い放った。母子二人で出かけているときは、「かわいいですねえ。パパ、かわいい顔しているの?」と逆算され、母としてはとても複雑な気持ちになる。子どもがほめられるのはうれしいが、自分が過小評価されるのは悲しい。

新聞の整理をしていたら、7月13日付の朝日に「顔ちぇき!」が大人気という記事があった。携帯メールで顔写真を送ると、1000人ほどの有名人の顔写真と照合して誰といちばん似ているかの結果が返信されてくるというもの。会員登録は不要でメールのやりとりだけでサービスを受けられる手軽さが受けているのだとか。これで、たまとわたしの写真を送って、同じ有名人に似ているという結果が出れば、母子が似ているということになるのでは。早速たまの写真を送ってみる。似ている人は女に限定しないmixiを選ぶと、「水川あさみ 47% 小沢一敬 44% 高橋愛 43%」という結果。水川あさみ似と思ったことはないけれど、美人女優に似ていると言われて悪い気はしない。写真が違うと結果も違うんだろうか、と最近の他の2枚を送ると、「清木場俊介 46% 上野樹里 45% 阿部サダヲ 45%」「森迫永依 43% 水川あさみ 42% 小西真奈美 42%」と結果はまちまち。延べ9人の名前のうち、かぶっているのは水川あさみだけ。じゃあ、あの写真はどうだろう、と送りつけるうちに、送信ボックスと受信ボックスが「顔ちぇき!」だらけになった。記事と同じ時期のアエラの広告には「中高年もはまる『顔ちぇき!』」の見出しがあるが、世間よりひと月以上遅れて、わたしもはまった。(8月27日追記:記事の時点では「累計利用者3万人」となっていたが、携帯サイトkaocheki.jpを運営しているジェイマジック株式会社の8月17日付プレスリリースを見ると「5000万人を突破」とある。)

母子の似ている度チェックのためにわたしの写真を送ると、「TERU 46% 池脇千鶴 45% 木梨憲武 45%」と出た。3人中2人が男。わたしって男顔だったんだろうか。生まれた頃のほうがわたしに似ていたとすると、たまも最初は男顔だったのかもしれない、と思い、生まれた当日の8月22日からひと月刻みで送ってみると、
0か月「矢沢永吉 32% 小西真奈美 29% 上田晋也 29%」 
1か月「島田伸介 32% 明石家さんま 29% 井上和香28%」
2か月「須賀健太 48% 阿部サダヲ 43% ユンソナ43%」と仮説は証明され、
3か月「高島彩 35% 若葉竜也 27% 田中聖26%」でようやく女顔になった。以降、「清木場俊介」を除いては、たまは女顔であることが判明。

一方、ダンナの顔写真を送ると、「松岡恵望子(えみこ)57% 羽島慎一 56% 福山雅治 56%」とこちらは男のくせに女顔。女顔組と男顔組で仲間外れにされた気持ちになる。そうだ、ノーメイクがいけないんだ、としっかり眉を書き、アイラインを入れた写真を送ると、「木村佳乃 42% 堤真一 42% 田中聖 41%」が出た。2位3位は男だけれど、わたしだってその気になれば木村佳乃似になれるのだ(言われたことないけれど)。しかも3位の田中聖は、たまの3か月の3位と一致。田中聖を間にはさめば、わたしとたまは似ていなくもないのだ……と結果に満足していると、ふと新聞紙面から微笑みかけている木村佳乃嬢と目が合った。本人の顔写真を送ると、木村佳乃100%になるんだろうか。好奇心に駆られて、新聞をパシャリ。結果は「中山美穂 58% 松浦亜弥 57% 時任三郎 55%」。わたしの木村佳乃似も、あてにならないか。

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2005年08月11日(木)  『子ぎつねヘレン』チラシ第1号
2003年08月11日(月)  伊豆高原
2002年08月11日(日)  ヤクルトVS横浜


2007年08月10日(金)  あの流行語の生みの親

出産、育児を通して知り合った方には旧姓でもある今井雅子ではなく本名を名乗っているのだが、メールアドレスがmasakoimai.comとなっているので、そこから「いまいまさこカフェ」を訪問されて、わたしの仕事や関わった作品を知ってくださる方は多い。先日、保育園で一緒に役員をされている方は、出版社に勤めておられるご主人が「いまいまさこ」という名前に聞き覚えがあるとおっしゃり、サイトで検索して「いまいまさこカフェ」を発見された。

こんな場合、抜群の知名度を誇る『子ぎつねヘレン』をはじめ名前を知っている作品名を見つけて、「観ました!」「観たかったんです!」といった反応があるのだが、この方は「あの流行語の生みの親だったんですね!」と驚かれた。わたしの書き散らした言葉を集めた「words」というコーナーの中に「コンクールに応募したコピー・標語・川柳」というページで紹介している「ハンドルとマイク握れば別の人」という川柳に反応。NHK札幌放送局が募集した「人とくるまのよもやま川柳」の入選作なのだが、当時札幌で通っていた自動車教習所で「流行っていたんです」と言う。放送で紹介されたのか、地元の新聞に載ったのか、自分の知らないところでちょっとした流行語になっていたとは、こちらも驚いた。それどころか、つい先日、NHK札幌放送局に勤めてらしたという方にお会いしたときに、「札幌局のオーディオドラマコンクールで脚本デビューしたんですよ」と話したのだが、その3年前に応募した川柳のことはすっかり忘れていた。人との出会いは、自分が知らないことも忘れていることも運んできてくれる。

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2004年08月10日(火)  六本木ヒルズクラブでUFOディナー
2003年08月10日(日)  伊豆 is nice!
2002年08月10日(土)  こどもが選んだNO.1


2007年08月09日(木)  ちょこっと関わった『犬と私の10の約束』

『クイール』『子ぎつねヘレン』に続く動物と人のふれあいを描いた松竹春休み映画第三弾『犬と私の10の約束』の書き下ろし原作が送られてきた。著者はヘレンのノベライズも手がけた川口晴さん。原案になった英語の「犬の十戒」(The Ten Commandments)をもとに、原作と脚本の開発が同時進行し、先に仕上がった原作の内容が脚本にフィードバックされたそう。わたしは脚本開発に声をかけていただいたものの力及ばず、採用に至らなかったのだが、犬の十戒を自己流に意訳したものだけが目に留まったようで、その一部が原作の中で使われている。台詞も一行だけ生き残っていた。映画では生かされているかわからないし、たぶんクレジットもされないだろうけれど、自分の書いたものがカケラでもカタチになることはうれしい。

本は、「今井さんに力を貸してもらったあれ、こんな感じで進んでますよ」と報告がてらプロデューサーから送られてきた。脚本家が途中で変わることも、何人かが声をかけられてふるい落とされることもよくあるけれど、少しでも首を突っ込んだ作品のその後がどうなったかはとても気になる。だけど、そこまで気が回るプロデューサーは少ないし、お金の話を持ち出されるのを嫌って連絡を避けられる傾向もある。別の脚本家で決定稿になりましたともクランクインしましたとも教えられず、試写の連絡すらなく、映画の公開を知らせる広告を見て、「いつの間にか出来上がってたんだ……」と知らされることがほとんど。だから、今回のように、きちんと報告してもらえると、あ、透明人間になっていない、と安心し、ありがたい気持ちになる。

報告といえば、昨年再演された鴻上尚史さんの『恋愛戯曲』に、わたしの書いた脚本が数行使われたときも、事前に「いいですか」とおことわりをいただいた。もともと鴻上さんが書かれた戯曲を映画化しようという計画があり、映画用の脚本を作るにあたってお手伝いしたのだが、その中で生まれた台詞やアイデアが再演の戯曲に採用されたのだった。舞台にご招待いただいた上に、パンフレットで鴻上さんと対談させていただくという豪華なおまけもついた(>>>2006年05月19日(金)  鴻上尚史さんと「恋愛」対談)。脚本を書くというのは、なかなか当たらない宝くじを買い続けるようなもの。引き出しにしまったまま忘れた頃に当選を告げられてびっくりすることもあるし、当たらなくても気まぐれに配当が出ることがあるから面白い。

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2004年08月09日(月)  巨星 小林正樹の世界『怪談』
2002年08月09日(金)  二代目デジカメ
1999年08月09日(月)  カンヌレポート最終ページ


2007年08月08日(水)  「やきやき三輪」で三都物語の会

ここ数か月関わっているテレビの仕事は、テレビ局担当者、製作会社プロデューサー、脚本家(わたし)全員が女性。男性の中で紅一点ということが多く、女ばかりというのは初めて。脱線話のガールズトーク(ガールって年ではないけど)も新鮮で、毎回打ち合わせが楽しみだった。だった、と過去形なのは、この三人で打ち合わせをするのは今日が最後だから。もろもろの事情により、いったんチームは解散となった。それ事態はよくあることではあるけれど、なかなかない出会いなので食事ぐらいしましょう、というわけで、最後の打ち合わせの後に初めての会食となった。

テレビ局嬢がご馳走してくださることになり、「鉄板焼きなんですけど、いいですか、関西風の」と聞かれる。「歓迎です。わたし、大阪出身なんで」と即答すると、「あら今井さん、関西人だったんですか。わたし神戸です」と製作会社嬢。「ええっ、お二人とも関西? わたし、京都です」とテレビ局嬢。「三都物語ですね!」と思わずわたしが言うと、「うまいっ!」と会議室に笑いがはじけた。

お店は広尾にあるやきやき三輪。関西風のベタなネーミングとは打って変わってインテリアは妙に洗練されて都会的。プリプリの蛸の鉄板焼、コロコロステーキなどに舌鼓を打ちつつ、どんどん平らげていく。打ち合わせ後の空腹も手伝って、箸が進む、お酒が進む、会話も進む。「味が気に入って通ってたんですけど、実は業界の人がよく来る店だったんです」とテレビ局嬢。隣のテーブルからは「24時間テレビTシャツ欲しい?」「欲しい!」という会話が聞こえる。あちらが丸聞こえということはこちらも筒抜けとなるのだけれど、仕事は一段落してしまっているので、ひたすらプライベートの話。自分たちのルーツを披露しあい、思わぬ接点を次々発見。そのテレビ局に深い縁のある得意先をわたしが広告会社のコピーライター時代に担当していたことも明かされ、「それじゃあ話が早い。また連絡しちゃいます」とテレビ局嬢。解散式でありながら出初式のようになった。

今回の仕事は、脚本家としてはちょっと宙ぶらりんな格好になり、残念だったけれど、珍しく「空しさ」を感じない幕切れだった。単純な性格なので、おなかが満ちたのに連動して、「おいしかったし、まあいっか」と気持ちの隙間が埋められたふしもある。これからも企画が頓挫したり飛んだりしたとき、最後の晩餐をやるのがいいかもしれない。満腹と満足がごっちゃになって、いろいろあっても「終わりよければ」になるような気がする。

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2005年08月08日(月)  虫食いワンピース救済法
2004年08月08日(日)  ミヤケマイ展『お茶の時間』
2002年08月08日(木)  War Game(ウォー・ゲーム)


2007年08月07日(火)  シンクロニシティの人

呼んだかのように、響きあうように、同じタイミングで同じことを考えていたことを知って驚かされる。そういう偶然が何度も重なる人がいる。『パコダテ人』『ジェニファ 涙石の恋』で今井雅子を知って以来応援してくださっている大阪のさのっちさんも、そんな一人。『子ぎつねヘレン』の脚本に取り掛かり「ぼくがヘレンのお母さんになる」なんて台詞を書いているときに、飼育員さんがお母さん代わりになって白くまを育てたという実話の本(『人に育てられたシロクマ・ピース』)が送られてきたりする。アンテナの向いている角度が似ているのかもしれない。つい先日も、スターダストプロモーション系列の映画制作会社S.D.P.に挨拶に行ったその日、いまいまさこカフェに書き込まれた話題は、スターダストプロモーション所属の夏帆さんと林遣都さんが共演しているPVについて。交換した名刺からいまいまさこカフェを訪問されたS.D.P.の担当者氏もタイミングの良さにびっくりされていた。

折りよくさのっちさんからメールも頂戴したので、こないだ大阪に帰ったときは急でご連絡できなかったのですが、またお会いしたいです、と伝えると、「ちょうど東京に行く用がありまして」とまたしても打てば響くようなお返事。じゃあ会いましょうということになり、数年前に大阪でお初にお目にかかって以来、二度目の対面が今日叶った。いまいまさこカフェに足しげく顔を出され、わたしの近況も常連さんのこともよくご存知なので、共通の話題には事欠かない。好きなもの嫌いなものは少しずつ違うのだけれど、心地いい、好ましいと感じる基準がラジオの周波数のように合う。こういうことがあってうれしかったんですよ、困ったんですよ、という何気ない話が、すっと通じて説明がいらない。インターネットとのつきあい方、距離の取り方にも近しいものを感じる。メールをやりとりすれば、だいだいとういう人かわかりますよね、と話しながら、この人は最初のメールのときから印象が変わってないと気づいた。

わが家でのお茶を終えて「お邪魔しました」と立ち上がったさのっちさんは、椅子から立ち上がると、迷うことなく洗面所のドアを開けた。90度の位置に立っている玄関へ続くドアにはガラスがはめこまれ、その向こうには玄関が見えている。お酒も飲まずにこのドアを間違えるのは、堂々たる方向音痴である証拠。わたしも飲食店でお手洗いを目指しては物置きのドアを開ける常習犯なので、同志を見つけたようでうれしくなった。方向音痴ではあるけれど、好きなもの、気の合う人にたどり着ける嗅覚はしっかりしている、というのが二人の共通点らしい。

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2005年08月07日(日)  串駒『蔵元を囲む会 始禄 小左衛門』
2004年08月07日(土)  ご近所の会・一時帰国同窓会
2002年08月07日(水)  ティファニー


2007年08月05日(日)  マタニティオレンジ155 シルバーパスの効用

東京都にはシルバーパスなるものがある。都営交通(都バス・都営地下鉄・都電)と都内の民営バスに乗車できるフリーパスで、70歳以上の希望する都民に発行される。負担額は、区市町村民税が課税されている人で20,510円。友人で医師の余語先生のように、行動力旺盛な方だと、すぐに元は取れる。非課税の人となると、負担額1,000円で乗り放題となる。

たまがわたしのおなかにいる間に70歳になったダンナ母は、「かぼちゃ煮たから」「梨をいただいたから」「パンが食べきれないから」と言っては都営バスまたは都営線一本で行き来できるわが家へちょくちょくやって来る。「わざわざすみません」と言うと、「シルバーパスがあるから」と笑って返されるが、孫の顔を見たくてバスや地下鉄にいそいそと乗り込む姿が目に浮かぶようで微笑ましい。

ダンナ父は息子夫妻の家に足を運ぶよりは孫を連れて遊びに来てほしい、という様子だったけれど、今月70歳になるのを機にシルバーパスを持った途端、わが家への出現率が急上昇した。昨日も今日も朝8時に電話があり、「今から行く」「いやお義父さん、もう少し待ってください」という問答の後に10時前に現れると、たまを連れ出す。「テレビばっかり見てないで出かけてくれば?」とダンナ母に言われてもなかなか動かなかったのが、パス一枚でいきなりフットワークが軽くなった。

この炎天下、昼間に出かけたら暑さでぐったりするのでは、と気を揉むと、「バスに乗るから大丈夫だ」と、ここでもシルバーパスが活躍。昨日はだっこひもで出かけたが、腰に来たらしく、今日はベビーカーでお出かけ。わたし好みのオレンジベビーカーとじいじの組み合わせは微妙いや異様ではと思うが、だっこひもだって何食わぬ顔して着こなすじいじはまったく意に介さない。「バスが混んでるとベビーカーたたまなきゃならないし、そうなると、片手にベビーカー、片手にたまで大変ですよ」と言うと、「俺みたいな老人に誰も注意はしない」と強気。確かに手押し車を杖代わりにしているお年寄りをよく見かける。

何かあったら電話くださいと言って送り出すのだが、電話もこないまま2、3時間帰ってこない。何やってるのかなあ、ぐずってないかなあ、と気になり、いい加減遅すぎないか、と心配になった頃に、「いい子だったよ」とじいじもたまも上機嫌で帰ってくる。哺乳瓶の麦茶を飲み干し、赤ちゃんせんべい2枚を平らげ、だけど、おむつはまだ大丈夫。たまもすっかりじいじになついている。こっちもどーんと構えて、洗濯やら掃除やら済ませればいいわけだ。

じいじばあばにはいい運動になるし、孫は遊んでもらえるし、お互いに出かける口実ができて、シルバーパスってありがたい制度だ。「財源確保が大変かもしれないけど、廃止しないでほしいなあ」とダンナに言うと、「考えようによっちゃ、都の財政にとってもプラスだよ」とダンナ。出かけることで足腰は鍛えられるし、ボケ防止になるし、心身ともに健康なお年寄りが増えるわけで、結果的には病気が減り、医療や介護関連の支出が軽減される。さらに、お年寄りが出かけた先でお金を落とすようになるので、景気回復につながる。加えて、ベビーシッター効果も期待できるとなれば、出生率アップにも貢献するかもしれない。

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2002年08月05日(月)  風邪には足浴


2007年08月04日(土)  マタニティオレンジ154 タマーズブートキャンプ

ビリーズブートキャンプなるものを知ったのは、DVDの爆発的ヒットを受けてビリー氏が先月来日した際なので相当世間からは遅れているが、活字から情報を得るばかりで、映像はまだ見たことがなかった。今日、ご近所仲間のK邸を一家で訪ねたら、「見ます?」と言われ、拝見。この手の流行ものに飛びつかなさそうなK氏が、同僚の腹筋が割れたのを見て効果を確信し、購入したのだとか。「私もほんとに腹筋が固くなってきまして。まもなく6つに割れそうです」とK氏。早速ダンナがやる気を出し、テレビ画面のビリー氏とその生徒たち(皆すでに腹筋が割れている)とともにエクササイズ開始。5分も経たないうちに「ひ〜きつい〜」と音を上げはじめた。

傍で見ているたまは、筋肉を震わせながら上下左右に揺れ動くパパに興味津々。「もっとやれ〜」とけしかけているのか、「がんばれ〜」と激励しているのか、「おうおい」と言いながら手を振っている。ビリー隊長の檄よりも愛娘の声援のほうが発奮効果があるらしく、ダンナはそれから20分ほど持ちこたえた。K氏がところどころ早送りして、とくに効きそうなエクササイズを選んでくれたので、「きつい〜」の連発となった。

帰宅してからもDVDの内容を思い出し、たまをおなかに乗せて腹筋、背筋。もともと、たまは腹筋背筋を見るのが大好き。どうやら顔が近づいたり遠ざかったりするのが楽しいらしいのだが、「たまちゃん腹筋」と称してダンナがときどき筋トレと子守を兼ねてやっていた。その割にはビリーDVDでは早々にばてているので、たまちゃん腹筋で強化されるのは父娘の絆だけなのかもしれない。今のところ、わが家はビリー隊長にお出ましいただかなくても、へなちょこタマーズブートキャンプが相応のよう。年頃の娘になったたまが「パパ、おなかたぷたぷでかっこ悪〜い」と言い出す頃には、すでに懐かしグッズとなった大量のビリーDVDが破格で出回っているだろう。

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2006年08月04日(金)  プレタポルテ#1『ドアをあけると……』
2002年08月04日(日)  キンダー・フィルム・フェスティバルで『パコダテ人』


2007年08月03日(金)  ラジオが聴きたくなる、書きたくなる『ラジオな日々』

ラジオな日々』の書評を新聞で見つけたとき、これは読まなきゃ、と思った。著者の藤井青銅さんは、わたしにとっては、NHK-FMで毎年恒例の「年忘れ青春アドベンチャー」の作者としておなじみの人。一年の出来事を笑いにまぶして振り返るこの企画のノリと勢いに舌を巻いていたのだが、いつデビューしてどんなものを書いてこられたかという作家としてのルーツは存じ上げなかった。

70年代の終わりに放送作家になった藤井氏が、80年代のラジオでどんな仕事をしていたかが活き活きと描かれた自伝的クロニクル。千本ノックを受けるがごとく書きまくり、少しずつ認められ、採用率がぐんぐん上昇し、80年代のラジオを書きまくる。デビューしたときからずっと書きまくっているのだが、ペンで道を切り拓いていくがごとく、書くことで出会いを呼び寄せ、新たな仕事を獲得し、活躍の場を広げていく過程には冒険活劇のようなスリルと躍動感がある。実名がバンバン登場し、エピソードは具体的で、目の前で「あの頃はね」よ語りかけられているような臨場感もある。

精魂こめて書いた脚本が、収録が終わったスタジオの床に散乱しているさまを、祭の後を眺めるように見ている若き日の藤井さんが目に浮かぶ。拾い上げら脚本の断片を見て、「そのゴミ捨てときましょうか」とアルバイトの女の子に声をかけられ、「ゴミ?」と引っかかる気持ちに深い共感を覚える。一瞬一瞬が刺激的だったに違いない「ラジオな日々」は藤井氏の記憶に新鮮なまま保存され、四半世紀の時を経て、熟練の筆に乗って見事に再現されている。ラジオに今よりもっと引力があった80年代を懐かしんだり、自分がラジオでデビューした頃を振り返ったりしながら読み、やっぱりラジオっていいなあと何度も思い、ラジオが聴きたくなったり、書きたくなったりした。

放送作家ならではのサービス精神なのか、ラジオドラマをどのように着想していたか、どんな直しを受けたか、といった手の内も気前よく明かされ、シナリオを勉強する人、とくにラジオを書いてみようという人には実用書になる。デビューするよりも作家として仕事し続けることのほうが大変、とはよく言われるけれど、書いたものが採用されるために藤井氏が実践したあの手この手の創意工夫は実に参考になるし、その意欲と情熱には大いに励まされる。

この本をこれから読もうかというときに、広告会社時代に机を並べていたアートディレクターで、今は独立してイラストや装丁を手がけている名久井直子さんとひさしぶりにメールをやりとりしたら、「最近やった仕事は『ラジオの日々』の装丁」と書いてあって、手元にその本がある偶然にうれしくなった。ぐいぐいと一気に読んでしまった読みやすさは、もちろん藤井氏の文章のなせる業なのだろうけれど、活字ひと文字ひと文字にこだわる名久井嬢のいい仕事も貢献していると思う。そういうわけで、今、すすめたくてたまらない一冊。


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2006年08月03日(木)  子どもの城+ネルケプランニング『南国プールの熱い砂』
2005年08月03日(水)  『三枝成彰2005 2つの幻』@サントリーホール
2002年08月03日(土)  青森映画祭から木造(きづくり)メロン


2007年08月02日(木)  ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアスプレー』

ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアスプレー』来日公演を観る。会場の渋谷東急bunkamuraオーチャードホールは、わたしの二本目の脚本映画『風の絨毯』を東京国際映画祭でワールドプレミア上映した思い出の場所。満席の客席には、お母さんと女の子という組み合わせが目立つ。夏休みの絵日記に今日のことを書くんだろうな。この物語の主人公は、元気いっぱいの高校生の女の子・トレイシー。彼女のパワーを受け止める肝っ玉母さんも登場する。

新聞で紹介記事を読んだときから、わたし好みのにおいがプンプンしていた。まず、「おチビでおデブでポジティブ」なヒロインが、自分の高校時代と重なった。一年のアメリカ留学で20キロの増量に成功し、150センチ足らずで60キロ余りというチビデブ体型を手に入れて帰国したとき、わたしは人生最高体重(妊娠しても記録は破られなかった!)にして、自己肯定度も人生最大に達していた。髪や肌の色の違いに比べれば体型の長い短い太い細いは誤差のようなものだったし、「あなたの肉付きって、とってもチャーミング」などと褒め上手なアメリカンのおだてにも乗り、おデブはおチビをキュートに見せるアクセサリーのようなものだと信じていた。身に余る体重と体脂肪が、過剰な自信のエネルギー源になっていた。

留学時代の実感が、「しっぽが生えたって自分は自分、しっぽは欠点じゃなくてチャームポイント」という映画『パコダテ人』につながったのだが、その発想は「人は見た目じゃない」という『ヘアスプレー』のメッセージにも通じる。ヒロインはジャックリーン・ケネディ顔負けの個性的なヘアスタイルが自慢で、誰が何と言おうと、これがいい、と信じて疑わない。そして、体型や髪型と同じように、肌の色が違ったって、みんなそれぞれいいじゃない、その違いで区別するのはおかしいじゃない、と訴える。彼女の主張の象徴のような存在感たっぷりなヘアスタイルを固めるための小道具が、タイトルにもなっている「ヘアスプレー」。身近なモチーフと人種差別というテーマの組み合わせの妙が興味深い。

わが道を行くヘアスタイルも、わたしの思い出と重なる部分があった。大学生の頃、何を思ったか「アフリカの赤ちゃんみたいにしてください」と美容院でオーダーしたら、パンチパーマとしか形容しようのない髪形にされてしまったが、「あなたらしい」「似合っている」という苦笑交じりの反応の言葉だけを鵜呑みにして、「こんな難しいヘアスタイルをモノにできるのは、わたしぐらい」だと妙な自信までつけてしまった。あの頃のわたしは今よりもずっと「自分は自分、好きなものは好き」がはっきりしていた。恥ずかしくもあり、眩しくもある。

そんなこんなで気になっていたら、招待券が2枚手に入った。観劇の友に誘ったのは、会社時代の後輩営業・ユカ。ニューヨークで歌とバレエを本格的にやっていた彼女なら喜んでくれるだろうという読みは当たり、「こないだニューヨーク行ったとき見逃しちゃって!」と飛びついてくれた。二人して体でリズムを取り、よく笑った。客席と舞台がひとつになった総立ちのカーテンコールは、もちろんノリノリで踊った。人種差別をテーマにしながらも決して重く暗くはなく、ネガティブを吹き飛ばすヒロインのポジティブパワーが強烈に伝わってくる。理不尽をひっくり返すのは理屈じゃなくて勢いなんだ、と歌とダンスの力強さに説得される。ハッピーがハッピーを呼ぶそのドライブ感が気持ちよくて、ビタミンカラーの水しぶき(スプレー)を吹き付けられたような元気と爽快感をもらった。

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2002年08月02日(金)  「山の上ホテル」サプライズと「実録・福田和子」


2007年08月01日(水)  バランスがいいこと バランスを取ること

最近立て続けに読んでいる向田邦子さんのエッセイの一冊、『夜中の薔薇』に収められた「男性鑑賞法」と題した一編に「らしく、ぶらず」という言葉が出てきた。落語家の橘家二三蔵さんを紹介する中で、文楽師匠の言葉として登場するのだが、「落語家らしく、落語家ぶらず」ありなさい、ということらしい。家のつく職業同士ということで、「脚本家らしく、脚本家ぶらず」と置き換えてみると、なかなかしっくりくる。職人の腕や心意気は感じさせたいけれど、下手なプライドは持たないように気をつけたい。「らしく、ぶらず」の微妙で絶妙なさじ加減が求められる。

さらに、橘家二三蔵さんを「七分の粋と三分の野暮」と表現するくだりがあり、調理師の小田島実氏を取り上げた一編には「自信と謙虚」が同居するさまが描かれていた。足りないとなめられるけれど、過剰だと鼻につく。何事も押し引きのバランスが肝心だなあと感じる。ちょうど、少し前に紹介されて会った映像製作会社の方から「バランスのいい人」という第一印象を受けたと言われ、そんな風に見えているのか、とうれしくなった矢先だった。

ところが、今日の読売新聞の夕刊で原惠一監督のインタビューを読んで、はっとなった。「作り手であるがゆえにかかる病気」というくだりがあり、「面白くするためにみんなで知恵を絞らなくてはならないはずなのに、他のスタッフを納得させるのはどうしたらいいか、という考えになってしまう。その結果どんどん角が削れて平板になる」と語っている。自分のことを言い当てられたようで、新聞の前で背筋が伸びた。打ち合わせの席でのわたしは、テーブルを囲んでいるプロデューサーや監督を納得させることに気を取られ過ぎていないか。まず社内を説き伏せ、得意先を説得してはじめて視聴者にメッセージを届けられるという広告会社時代の「丸く納め体質」がしみついていないだろうか。120度ずつ違う方向を向いて収拾がつかなくなっているスタッフの意見を交通整理して、皆が納得するアイデアを出して喜ばれて、自分もいいことした気になる。でも、バランスを取ることが、作品にとっていいこととは限らない。誰が何と言おうとわたしはこれをやるんだ、こうしたいんだ、と突っぱねるものを持っていないと、作品は熱や勢いを失ってしまう。鬼から角が取れたら、ただの人間だ。「一人の頭のおかしいやつが突っ走って作った作品が持つ、一種の”いびつさ”」が映画の本当の魅力なんじゃないか、と語る原監督。まさにそうだと思う。

インタビューを読みながら、2002年の宮崎映画祭でお会いしたときの監督の印象を思い出していた。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』をひっさげて参加されていた監督は、『パコダテ人』で映画脚本デビューしたばかりのわたしの話に、じつに楽しそうに興味を持って耳を傾けてくれた。余計な気負いを感じさせず、ただ作品を作るのが好きだというまっすぐな気持ちが響いてきた。自分の作品をしっかり愛し、人の作品にも敬意を払える、「らしく、ぶらず」の監督だった。バランスのいい人が意見のバランスを取ることより自分の意志を貫いた場合、それは暴走とは受け取られないのかもしれない。そうして生まれた作品には、でこぼこやごつごつが均さずに残され、観た人の心にも引っかかりを残す気がする。そんなにおいが感じられる原惠一監督最新作の『河童とクゥの夏休み』を観なくては。

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2002年08月01日(木)  日傘



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