2013年04月23日(火)  ふくしまのカケラをひっかけて、Fuku iro Pierce。

facebookで矢野 きくのさんに教えていただいた「ふくいろピアス」。「どうぶつのいろ」と「ひとのいろ」が到着。



もっと光を!もっといいレンズを!な写真写りだけど、ガラスに会津木綿を閉じ込めて、こんなにきれい!な色は、fukuiro.comをどうぞ。

「ふくしまの伝統に、女子の「かわいい!」をプラスして、素敵なものをつくりだそう」という「ふくしまピースプロジェクト」の第一弾で生まれた、ふくいろピアス。ピース=peace(平和)かと思ったらpieceで、「私たちの商品は、愛のこもったふくしまのカケラ」とのこと。「この小さなカケラたちが、いつでもあなたとふくしまを結んでくれますように」と、しおりの言葉は結ばれている。

ピアス(pierce)の中にはpieceがかくれんぼ。
ふくしまのカケラをひっかけて、Fuku iro Pierce。

いざ復興支援!と肩に力を入れて構えるのではなく、こんな小さなカケラから始まる「ねえ、これかわいいでしょ。ふくしまの、なの」というおしゃべりで、ふくしまとつながることもできるのですね。

このプロジェクトを思いついて行動した日塔マキさん(>>>こちらに詳しい経緯が)にも、支援して実現につなげた137人の方々にも想いを馳せて、きらきら、ふくいろピアス。

2010年04月23日(金)  半日オフラインで焦りつつ仕事ははかどる
2009年04月23日(木)  不二家のショートケーキと不二子のごそっとコピー
2008年04月23日(水)  マタニティオレンジ272 二語でおしゃべり、たま1歳8か月
2007年04月23日(月)  はちみつ・亜紀ちゃんのお菓子教室でお買い物
2005年04月23日(土)  根津神社のつつじまつり
2004年04月23日(金)  くりぃむしちゅー初主演作『パローレ』(前田哲監督)
2002年04月23日(火)  プラネット・ハリウッド


2013年04月21日(日)  堺市立「泉ヶ丘図書館」あらため「南図書館」講演

実家のある大阪府堺市高倉台の最寄り駅、泉北高速鉃道の「泉ヶ丘」駅前に、その市立図書館はある。「泉ヶ丘図書館」から名前を変えて、今は「南図書館」。

そこでの思い出は、妹の友だちに誘われて行った、演劇の出演者を募る説明会。作品に込める想いを演出の方が熱く話されたのだけど、集まった十名足らずの温度は低く、揚げ足を取るような質問が相次いだ。「せっかく張り切って説明会を開いてくれたのに、気の毒」と思いつつも、わたしはその冷えた空気をどうすることもできなかった。

わたしは応募しなかったし、妹も、誘ってくれた妹の友だちも応募しなかった。オーディションをやると言っていたが、選べるほどの応募が集まったのか、無事上演できたのか、わからない。正義感は強いけれど人前で発言する勇気はなく、気持ちと行動が噛み合わずに空回りしていた十代前半のわたしを覚えている。

あれから三十年ほど経って、同じ図書館のホールで、講演させてもらえることになった。同郷・泉北ニュータウン出身の西川俊充さんの絵本レーベル「エンブックス」で作った『わにのだんす』を売り込みたくて、堺親善大使の縁で堺市の広報課に「講演させてもらえませんか」と相談したところ、図書館につないでいただき、「子どもの読書週間記念講演」が実現したのだった。


十人足らずの前で何も言えなかったわたしが、二百名近い人の前で、しゃべる。前日の堺・教師ゆめ塾講演での質問で、「どうしてそんなにしゃべるのが好きなのか」と聞かれ、「好きなことは、いくらでもしゃべれる」と答えたが、予定していた1時間半を過ぎ、質疑応答を終えると2時間を過ぎ、交流サイン会で並んでくださった一人一人と言葉を交わしていたら、2時間半を過ぎた。

『パコダテ人』も『子ぎつねヘレン』も『てっぱん』(BSプレミアムで夜19時から再放送中!)も、それぞれで講演一本できるほど、しゃべりたいことがあるから、いくら時間があっても足りない。

お膝元の母校・三原台中学校でやった「中学生のドラマ脚本会議」での「大人組」「1年5組」「1年3組」の三者三様のドラマ版『魔女のパン』は、合計3時間分の授業を10分に凝縮して披露。
大人組は新キャラひろこの登場で、失恋の痛さが倍増。1年5組は小道具のりんごを巧みに使ってハッピーエンドに。1年3組は片想い・建築家という縛りをあっさり取っ払って若さ爆発の恋バナに。ひとつの正解へ向かうのではなく、みんな違って面白いのが、脚本作りの醍醐味。


子どもは、なんで?とそんで?の天才。「なんで?」と聞かれて「なんでも」で片づけると、せっかくの石ころを磨くチャンスをムダにしてしまう。「なんでやろ」と一緒に考え、「おもろい」「そんで?」と子どもの言葉を拾ってつなげていけば、石ころは転がり、磨かれる。そのようにして、わが娘・たまのネタの思いつきが「おじゃる丸」のエピソードに化けるまでの裏話も披露した。

ツイッターでつぶやいている「たま語」 @tamago_bot822 のことも紹介。


子育ての何気ない一瞬、ドキッとする一言、笑ってもらうしかないトホホ話、それらをどこかの誰かと共有することで、どれだけ子育てがラクに、楽しくなったことか。

また、「ぼうのついたくつ」(=ハイヒール)「むかしやさん」(=骨董屋)など、持てる語彙で何かを伝えようとする姿に、自分もこんな風に世界に名前をつけていったのだなと追体験できた。

生まれてから出会った人や出来事すべてがわたしの日本語の先生だったのだと感謝の気持ちを抱き、たま語は「娘のたまの言葉」にはとどまらない「言葉の卵」なのだと思い至った……という話をした。

もちろん、絵本『わにのだんす』の売り込みも忘れずに。

この絵本を出版したエンブックスの「子ども編集部員」に下書きを見せたところ「お金が目立ち過ぎ」という意見が上がった。削るのは簡単だけど、一見ダメ出しに見える意見が、石ころを光らせてくれることもある。

「なんでお金が目立つと思われたのか?」と検証することによって「それはお金がじゃらじゃら出てくる絵本が少ないからでは?」「だったら、お金が目立つのは『わにのだんす』の個性では?」と思い至り、「もっと目立たせよう!」となった結果、「何のために稼ぐのか」というテーマが際立った。

そんな創作秘話を通して、「なんで?」と「そんで?」の連想ゲームで「削るのではなく彫刻」することで作品を豊かに膨らませられる、と訴えた。

うれしかったのは、堺市で昭和62年から活動を続ける人形劇団シャボン玉の皆さんが、前の晩に完成したばかりという「だんすわに」の人形を携えて駆けつけてくださったこと。

団員の丸山芳美さんは、昨年の母校・三国丘高校の同窓会講演によんでくださった方。『わにのだんす』を人形劇にしたい!と講演のときから言ってくださっていたのだけど、それがいよいよ動き出した模様。

一攫千金をもくろむ目つきが、なんともだんすわにっぽい!「目の下にオレンジ色をさしたら、ぐっと似ました」とのこと。きらきら光るシルクハットもできていた。きらきら光るせびろは、これから。完成して上演されたら、いっしょに踊りたい。

「なんで?」と「そんで?」で石ころを磨いて光らせる連想ゲームは、ネタの引き出しが命。というわけで、ネタ(石ころ)を仕入れるコツも時間をかけて話した。

ネタはどこにでも転がっていて、「頭のビデオカメラ」を構えて、アンテナを張っていれば、どんどん集まる。講演タイトルや内容の入れ替えを繰り返しても不動のレギュラーを譲らない「心と傘は開いたときが一番役に立つ」は、この日の講演でも人気を集めた。


「隣のテーブル」は何する人ぞ、「隣のレジ」は何買う人ぞ、という人間観察もネタの仕入れには打ってつけ。

前日のゆめ塾では、「それまでサッカーのコーチに敬語でしゃべっていた母親が、息子が席を立った途端、ため口に。これはただならぬ仲か!?」と妄想が膨らんだ話をした。今日の講演前に、父親とランチをしたお店でも隣のテーブルの男女の会話にそれとなく耳を傾け、二人の関係を想像していたら、その二人が席を立ったとき、男性がこちらを向いて「ひょっとして、今井雅子先生ですか?」。

まさに不意打ち!

相手は以前講演したことのある学校の先生。「先ほどからお話をうかがっていて、そうかな、と」。お互い、同じことをしていたわけで……。もちろん、講演で早速ネタにさせていただいた。ほんま、世の中、ネタだらけ。

また、「隣のレジ」にアンテナを張っていたおかげで、今朝、facebookを見ていて「レジ打ちを天職にした女性」の記事が目に留まった。

何をやっても長続きしなかった女性が、スーパーのレジ打ちも続かず、実家に帰ろうとした。だが、子どもの頃の夢がピアニストだったことを思い出し、レジのキーをピアノの鍵盤だと思って打つようになったところ、顔を上げて客の顔やまわりが見えるようになり、客との会話を楽しめるようになった。ある日、彼女のレジの前だけに行列ができた。空いている他のレジへと店長に促された客が「ほっといてちょうだい。私はこの人に会いに来てるの」。それを聞いて彼女は泣き崩れた……という話。

このレジの女性も、何をやっても続かなかった頃は、最初から光っている石を探して、どこにもないと嘆いていたのかもしれない。目の前にある石ころを地道に磨いて、ついに宝石を手に入れた。


わたしという石ころも、「書く」という好きなことを続けていたら、色んな人からの励ましや感想が「やすり」になって、磨いてくれた。作品を重ね、自信や勇気を授けられて、今日のようなきらきら光る日がある。

図書館での講演ということで、娘のたまが図書館で借りたCDの歌詞カードに落書きしてしまった事件(>>>2013年03月11日(月)  としょかんのだってこと、わすれてたの(完結編))のことも話した。「起きてしまった物語は変えられない。でも、物語の続きはあなたの手の中にある」(朝ドラ「つばさ」玉木加乃子)「人生、失敗したもん勝ち」(朝ドラ「てっぱん」松下小夜子)といった台詞にあるように、起きてしまったこと(失敗)から何かを得て、次につなげて、進んで行くしかない。ここでも「なんで?」と「そんで?」が合言葉。

質疑応答では、「これまでに住んだ大阪と京都と東京の違いは?」「脚本の元のアイデアを提供した原案者の位置づけは?」「脚本家出身で面白い時代小説を書く人がいるが、時代小説は書かないのですか?」「経営する会社あてのクレームに、どう応じればいいか」「親しくしていた人に避けられている。どうすればいいか」といった回答反射神経を試される質問ぞろいで、後半は人生相談のようになった。悩みを打ち明けるほど、聴いてくださった方々の「心の傘」が開いたのなら、とてもうれしい。

サイン会で、一番後ろに並ばれていた方が「3つお礼を言わせてください」とおっしゃった。

ひとつ目は、「わたしも電車の中でキョロキョロ他人を観察してしまうんですけど、それがいいことなんだって、気づかせてくださり、ありがとうございます」。

二つ目は、「わたしの娘が三原台中学校であなたの後輩にあたります。娘は三年生のときに、卒業式を前にして病気で亡くなりました。娘の名前は忘れてしまっても、娘のことが、何かの形で人の心に残っているのかもしれない、と思わせてくださり、ありがとうございます」。

三つめは、「その亡くなった娘が交流していた人形劇団の方が今日見えていて、ひさしぶりに再会できました。その機会をありがとうございます」。

講演の中で、「中学一年のときに同級生を亡くしたときの心の揺れを綴った日記を読んで、こんなことがあったのか、と思い出したけれど、すっかり忘れていた。けれど、あのとき、同級生の死をきっかけに、はるか未来に思える死を自分の問題として考えたり、友だち同士で話したりしたことが、その後、生死について書くときの根っこになっていると思う」と話したのだが、その話をご自身の娘さんと重ねて、聴いてくださったのだった。

「握手させてください」と力強く手を握られ、その余韻とともに、東京へ戻った。

頭のビデオカメラを回して、脳味噌の出張所(=外付けハードディスク)の日記やブログに綴ったり人に話したりしても、記憶は薄れ、消え行く。それでも「なんで?」「そんで?」と想いを巡らせた分だけ、心に根っこを張れる。その根っこは、ネタとネタをつなげるだけでなく、わたしと誰かの人生をつなげてもくれる。

講演という石ころは、聴いてくれる人がいてこそ、磨かれ、光る。今日の講演で何を聴いたかは忘れられてしまっても、心の片隅を照らす仄かな光を残せたら、と思う。

2010年04月21日(水)  「アチョー!ごっこ」と新聞ドレス
2009年04月21日(火)  魔の二歳児の阿呆踊りと「アフォーダンス」
2008年04月21日(月)  マタニティオレンジ271 本を破った。はじめてぶった。
2007年04月21日(土)  マタニティオレンジ109 ご近所仲間とたま8/12才
2002年04月21日(日)  貧しい昼食


2013年04月20日(土)  教師失格から時はめぐって…堺・教師ゆめ塾講演

大阪・堺で2日にわたって、講演3つ。
1つめは、堺・教師ゆめ塾の塾生に向けて、授業づくりの講義。

堺・教師ゆめ塾というのは、教師をめざす人たちを対象にしたセミナーで、塾生は半年間にわたり、自分の時間と身銭を切って学びに来る。

教師は、わたしの夢のひとつでもあった。
高校の数学教師の父と、小学校の音楽教師の母を持ち、教育学部に進み、母校の三国丘高校の教育実習にも行った。

その教育実習で受け持ったクラスが、文化祭で『オズの魔法使い』をやることになっていたのだけど、まとまらず、上演が危ぶまれていた。奇しくも自分が高校時代に同じ劇で大成功をおさめたわたしは、演出を買って出て、「ミュージカルにしよう!」と振付けもやり、朝練昼練放課後練習に燃えた。

劇は大成功、舞台の上の晴れやかな生徒たちを見て、ビデオを撮っていたわたしが泣き崩れた。校庭の一角で、生徒たちはわたしを囲み、用意していた花束を差し出した。打ち上げにも呼んでもらえた。

今思い出しても、「青春」だった。

しかし、わたしがやるべきは演劇指導ではなく、英語の授業だった。そちらは予習復習もままならず、black warship(黒船)をblack worshipと勘違いして「黒人崇拝」と誤訳し、生徒に指摘された。

「君は教師には向いていない。君は生徒よりも楽しんでしまうから」
指導教官の的確な一言で、わたしは教師にはならず、広告代理店のコピーライターになり、その後、脚本家になった……そんな身の上話から、話をはじめた。

脚本家になったきっかけは、月刊公募ガイドに連載されていた新井一先生の脚本講座。腕試しに応募したころ、新井先生から直筆のコメントが返ってきて、「面白い発想ですね」と書かれていて、舞い上がった。

自分には才能があると思い込んだ勢いでコンクールに応募するようになったのだが、新井先生が亡くなったことを告げる公募ガイドに、「送られてきたすべての作品にコメントを返していた」とあり、勘違いを思い知った。

と同時に先生の懐の大きさに打ちのめされた。亡くなる前の体調も思わしくない頃、見ず知らずのわたしの腕試しに、本気で向き合ってくださった、この先生が、わたしの脚本の恩師だ。恩師が差し出してくれたものに応えられる脚本を書こうと誓った。

それから運と縁に恵まれてデビューを果たし、しばらくした頃、部屋の隅から新井先生のコメント入り原稿を発掘したわたしは、「面白い発想ですね」の横にある記号に気づいた。よく見ると、それは「B」と書かれてあった。



思い込みが激しく、自分に都合のいいように世の中を見てしまうわたしは、「B」を見落とし、それゆえ突っ走れたのだった。だから、自分を信じる力とチャンスがあれば、誰でも脚本家になれる、と思っている。

思い込みのほかに、わたしが人より勝っているのは「空想」すること。脚本映画デビュー作『パコダテ』人も、はこだて→ぱこだて→おまけ→しっぽ、という連想ゲームから生まれた。

宝石なんか転がっていない。どこにでもある石ころを拾って、磨いて、自分で光らせるしかない。どの石ころを拾うか、石ころのどこをどう磨くか、そこに作り手の「個性」が出てくる……ということを映画『子ぎつねヘレン』と朝ドラ「てっぱん」を例に話した。


ネタの引き出しを豊かにするコツに続いて、昨年、母校・堺市立三原台中学校で行った「中学生のドラマ脚本会議」の話を。学校の授業はどうしても一つの正解に向かって絞り込む思考回路になりがちだけれど、脚本開発では、人が考えないようなこと、人より面白いことを考えたもん勝ち。

そして、枠をはみ出すことにかけては、子どもは大人よりずっとしなやか。「なんで?」「そんで?」と導けば、どんどん面白い発想を引き出せる。



ネタの宝庫である子どもの発想に、今井雅子作品も大いに助けられている。アニメ「おじゃる丸」では娘の思いつきを膨らませ、絵本「わにのだんす」では「お金が目立ちすぎ」という子ども編集部員の意見をふまえて、「何のために稼ぐのか」というテーマがくっきりした。


「宝物はあなたの中にある。それを宝の山にするか、宝の持ちぐされにするかは、あなた次第」は、塾生の皆さん自身に向けた言葉でもあるし、子どもというネタの宝庫を活かせるかどうかは教師次第という激励でもある。学校という教育の場を宝島にできるかどうかは、教師と子ども、さらには保護者の心持ちひとつに掛かっている、とも言えるかもしれない。

その宝を掘り起こす呪文が、「なんで?」と「そんで?」なのだ。

さて、毎度楽しみな質疑応答。教師を目指す人たちの割には、出足はおとなしめだったけれど、「子どもたちから意見が出ないとき、どう引き出せばいいのか」「どうやってそんなに話すのが好きになったのか」「原作とドラマが違ってがっかりすることがあるが、原作をどう変えるかは、どうやって決めるのか」といった質問に頭をかき回してもらえた。


教師に向いていないと言われ、教師にならなかったわたしが、まわりまわって、教師を目指す人を前に、先生として話をしている。あのときわたしの資質を見抜いた先生も、こんな日が来ることは予想していなかっただろう。

講演後、今期の塾生募集案内を見ていると、塾頭で堺親善大使をご一緒している中谷彰宏さんの言葉に目が留まった。〈「たまたま」出逢ったものに全力を注ごう〉〈未来は、「たまたま」の中にある〉。この「たまたま」が、「石ころ」なんだと思う。目の前の石ころを一生懸命磨く。そのことを積み重ねていった先に、きらきら光る未来はある。


ゆめ塾の後は、堺市役所会議室にて、第2回石ころの会脚本教室。「中学生のドラマ脚本会議」がきっかけで始まった、学校の先生と「授業で応用できる脚本術」を磨くワークショップ。第1回>>>2012年10月14日(日)「石ころを宝石に」先生たちと6時間 が大いに盛り上がり、続けていくことに。

今回は新学期ということで都合のつかない先生が多く、参加者は4名。その分、密度の濃い教室に。3時間足らずの間に「ハテナの箱」「好きと伝える」「ドアを開けて」「あやまる」とお題に沿って即興台詞劇を4連発、さらに「台詞だけ・1場面だけ・登場人物二人だけ」の石ころ式脚本術で『桃太郎』の旅立ちの場面の脚本を作って発表するところまで。4人4様の桃太郎が生まれ、その面白さに一同ワクワク興奮。

このままの形で授業でできるのか、さらなる工夫改良が必要か、石ころ磨きは続く。

2010年04月20日(火)  漫食と浸食 rnとm
2009年04月20日(月)  日本°語で言葉°遊ぴ
2008年04月20日(日)  団体新婚旅行in熱海2日目
2007年04月20日(金)  マタニティオレンジ108 助産院で赤ちゃん同窓会 
2005年04月20日(水)  東京ハートブレイカーズ公演『黒くやれ』
2002年04月20日(土)  16年ぶりの再会


2013年04月19日(金)  『り』を使う言葉といえば?

小学校で一日ひと文字ひらがなを学習中。
それぞれのひらがなを練習して、そのひと文字を使う言葉を考えるのが宿題。

今日は、『り』を使う言葉。

すけーと『り』んく、いいね。

す『り』ーとめんと、もしかして「とりーとめんと」のことかな。
それも、りがつくね。

でも、いちばん最初のは、誤解とか憶測とか心配とか、いろんなものを呼んじゃいそうだね。



『り』こん。
こんな言葉、いつ覚えたの?

「しらないの? りこんとどけとか?」

知ってますけど。
ますますあらぬ疑いを呼びそうなことをっ。

あ、わかった、「あまちゃん」で覚えたのね。
秋ちゃんのママが離婚届って言ってたもんね。

「は? なにいってんの? もっとまえだよ」

じゃあ、「純と愛」?
離婚やら離婚届やら、何度出てきたかわかんないもんね。

「ううん、もっとまえだよ」

保育園の女子の会話で仕入れたらしい。

「みんなではなしてたの。りこんとどけってどきどきするねって」

女の子の親は、ほんと、なにかとどきどきします。

2010年04月19日(月)  自称おっちゃんと自称おばさん
2009年04月19日(日)  お菓子なカップと「天使の卵」ネックレス
2008年04月19日(土)  団体新婚旅行in熱海1日目
2007年04月19日(木)  焼きたてのパンのにおい
2005年04月19日(火)  ありがとうの映画『村の写真集』
2002年04月19日(金)  金一封ならぬ金1g


2013年04月18日(木) あいびきの春

「豚のあいびき400ください」と、わたし。
「奥さん、あいびきだね?」と念を押す、お肉やさん。

あいびきってはっきり言ったはずだけど……。

しばらく「?」となってから、ようやく気づきました。
牛と豚をあわせてひいて「あいびき」だから、「豚のあいびき」が変だったのねー。

春ですね。(と、春のせいに)

2011年04月18日(月)  【たま語】こんどのテレビは、しろくならない?
2010年04月18日(日)  team と mother
2009年04月18日(土)  親しき仲こそ言ってはいけないこと
2008年04月18日(金)  マタニティオレンジ270 おやつでごきげん延長保育
2007年04月18日(水)  マタニティオレンジ107 子どもの世界の中心でいられる時間 
2005年04月18日(月)  日比谷界隈お散歩コース


2013年04月15日(月)  「勝手にキャッチコピー委員会」おまけの「それがし」

「勝手にキャッチコピー委員会」(3月にいったん終了。続編あるかも?)を制作していた「やんかわ商店」のやんかわさんが、「てっぱん」脚本の関えり香嬢とわたしに一席もうけてくれることに。

「気取った店より居酒屋」をリクエストし、「それがし」という日本酒が自慢のお店に。



「飛露喜」に始まり、日本酒が次から次へと。のんだことないお酒も次々と。お店の名前でもある「それがし」も初めて。そして、こんなにたくさんの種類の日本酒をのんだのは、初めてかも。やはりお酒に強くなってしまっている気がする。

やんかわさんと関さんは、その昔、一緒に番組制作をしていて、十年ぶりぐらいの再会。そんな空白を埋めるのに、ワインだと駆け足になってしまう。日本酒の酔い加減が、ちょうどいい。

「いつかそのうち会いましょう」と言っているうちに、あっという間に時間は経ってしまうけれど、「いつやりましょうか」と日取りを決めてしまえば、会える。そして、「またやりましょう」となる。

2012年04月15日(日)  ぱぱ たま まま
2010年04月15日(木)  生活の実感とツイッターとツイッタードラマ
2009年04月15日(水)  カラーコーンで「なーになに」ごっこ
2008年04月15日(火)  焼きたてのバナナマフィン
2007年04月15日(日)  鎌倉で大人の休日
2005年04月15日(金)  トンマズィーノでアウグーリ!
2002年04月15日(月)  イタリアンランチ


2013年04月14日(日)  インド料理屋で思い出したファミレス「たった一人」事件

執筆中の作品の参考になる試写があり、子ども向け作品なので、お子さん連れでどうぞと言ってもらい、親子で行ってきた。プロデューサーも子連れで、一歳違いの子ども同士はすぐに意気投合。子どもを楽しませつつ親は打ち合わせができるという、初めての経験だった。

子どもの反応から学ぶところも多かった。書きかけている初稿を、もう少し易しくしたほうが良さそうだ。自分の手がける作品のターゲット年齢の子どもがいるというのは、身内にモニターを抱えているようなもので、活用しない手はない。

貢献してくれたお礼に、午後からは好きなところへ連れて行ってあげると言うと、「じてんしゃのこうえん」と荒川自然公園を指名された。電車を乗り継いで、町屋へ出て、駅近くの「ムンバイ」で腹ごしらえ。



キッズカレーというメニューがあり、ドリンクつきで390円という良心的なお値段。インド料理屋は子どもに優しい、と子どもを持ってから度々感じているが、今日もあらためてそう思った。

無性にカレーを食べたくなって、生後数か月のたまをだっこしたまま食べに行った地元の店でも、数か月前に行った名店でも、子どもとその親に注がれるまなざしは優しかった。

中華料理屋でも同じことを感じる。子どもがうるさくしても、「元気があっていいね」と笑ってくれる。中国語で赤ちゃんは「宝宝」。子どもは宝という目で見てくれているのだろうか。

インドと中国。大陸の大らかさもあるのかもしれない。

そう言えば、日本では「迷惑をかけるな」と教えられるが、インドでは「迷惑はかけてしまうものだから、人に迷惑をかけられても許してあげなさい」と教えられると聞いたことがある。誰だって人に迷惑かけずに生きていきたいけれど、なかなかそうはいかない。とくに子育て中は。だけど、自分も迷惑かけながら育ってきたのだ、という自覚があれば、人の子にも優しくなれるかもしれない。

キッズカレーをおいしそうに食べるたまを見ながら、ファミレスでの「事件」を思い出した。

たまが3歳ぐらいの頃だったか、デザートのアイスを親子で分けていたら、わたしのひと口が大き過ぎると、たまが大泣きした。なだめても効果なく、席を立とうとしたところに、客の男性がやって来て、「黙らせろ」とすごんだので、たまはさらに大泣きした。

「黙らせろ」の男性の風貌は、あまり覚えていない。それよりも印象に残っているのは、わたしたちのテーブルのそばで立ち尽くしていた店員のことだ。

その店員の目が泳いでるなと思ったら、「黙らせろ」の声が飛んできた。男性が席に戻ってからも、店員の目は泳いだままだった。「あ、客が怒鳴りに来る。でも、自分には何もできない。あ、怒鳴ってしまった。どうしたらいいのか」と戸惑っている目だった。

荷物をまとめながら「すぐ出ますから」と告げると、店員は、ほっとしたようにうなずいた。

あのとき、わたしが感じたのは、どうしようもない孤独だった。世界中で自分一人が子育てをしているような、世界と隔てられた気分だった。

おとな気なくアイスをたくさん食べて娘を泣かせたのはわたしだし、その泣き声が静かに食事している人たちを邪魔したのは確かではあるけれど、怒鳴り込まれるほどのことをしたのだろうか。

子どもは泣くもので、スイッチひとつで泣き止ませることなどできず、むしろ、見知らぬ男性の怒鳴り声で音量を上げてしまう。そのことを、店にいる人たちは、皆知らないような顔をしていた。それが、わたしを孤独にさせた。

けれど、わたしだって、子どもを持つ前は、「黙らせろ」の男性側にいた。店の中で、電車の中で、声には出さなくても、「黙らせろ」と何度思ったことか、わからない。

あの孤独を知った今、自分にできることは、大勢の中で「たった一人」になってしまった母親(または父親)に、「大丈夫。子どもは泣くものだから」と笑いかけること。インド料理屋と中華料理屋をお手本に。

2011年04月14日(木)  【たま語】キャンドルの灯りでおてて絵本
2010年04月14日(水)  新幹線図書館で『納棺夫日記』
2009年04月14日(火)  シネマ大吟醸!神保町シアターで『絹代の初戀』(1940年製作)
2008年04月14日(月)  マタニティオレンジ268 三浦太郎の絵本で所有格の「の!」
2007年04月14日(土)  京都の青春
2005年04月14日(木)  マシュー・ボーンの『白鳥の湖』
2002年04月14日(日)  おさかな天国


2013年04月13日(土)  友情もワインや肉のように熟成する!?


イランでの勤務を終えて帰国した友人U君を囲んで、新宿の「のみや」で会食。鮮度のいい肉を絶妙な味つけで食べさせてくれる、お店。

3年ぐらい前に初めて来たときにここで食べたタンシチューの味が忘れられなかったのだけど、再会したら、舌が「おお、この味」と思い出して興奮。

テールを焼いて塩をふったものやタタキやら、どの肉食べても美味しくて、のみやと名乗るだけあって、ワインもおいしく、お酒も会話も進む。肉食系にはたまらないお店。

学生時代から20年あまりのつきあいになるU君とは、お互い、知り合った頃の2倍以上の年齢になった。姿形はずいぶん様変わりしたし、その時々で話題はあちらこちらへ移るのだけど(今夜は、イランどうだった?の話から、またしても昨夏大笑いした「屈伸はワイセツ」話に戻った)、共通の友人が多いせいか、何も変わっていないような気がする。

それとも、年を重ねた分だけ、多少は熟成しているのだろうか。手をかけたワインや肉のように。

2011年04月13日(水)  「てっぱん」オカズデザインさんのアトリエへ
2009年04月13日(月)  子どもそっちのけで親が夢中に!アイビーズ
2008年04月13日(日)  マタニティオレンジ267 子どもは遊びの天才
2007年04月13日(金)  マタニティオレンジ106 慣らし保育完了 
2006年04月13日(木)  ヘレンウォッチャー【「子ぎつねヘレン」の夕べ編】
2005年04月13日(水)  お風呂で血まみれ事件
2002年04月13日(土)  パーティー


2013年04月12日(金)  6歳児だってルビ読んで歌える「異邦人」

今どきのカラオケはiPadみたいな端末で曲を予約できるんですよー。

なんてことを今さら書いたら笑われるほど世の中ではこれが標準だそうで。

浦島太郎気分な久々のカラオケ、行こうとなったきっかけは、たまが「いほうじんをうたいたい」と言い出したから。あの扇情的なメロディにすっかり魅了され、「うたがあたまをぐるぐるまわってねむれない」までに。

『異邦人』を熱唱する6歳児。けっこう情感こもってました。



他に保育園で歌った『世界に一つだけの花』『にじ』『はじめの一歩』『世界中の子どもたちが』『上を向いて歩こう』やアニメソングや戦隊ものソング、そして『おじゃる丸』の『マロのさんぽ』と大島亜佐子さんが補作詞と映像(カラオケでは映像は別のもので残念)を手がけたNHKみんなのうた『ウメボシジンセイ』も。



大人の歌でも漢字にルビ振ってあるので、ひらがなが読めるようになったら子どもも十分カラオケを楽しめることがわかった。

2010年04月12日(月)  いとうあさこ×松坂桃李「運命のひと」無料配信
2009年04月12日(日)  一年ぶりにご近所仲間の会全員集合
2008年04月12日(土)  マタニティオレンジ266 保育園保護者会にパパ会長
2007年04月12日(木)  『ドルフィンブルー』と『ヘレンケラーを知っていますか』
2002年04月12日(金)  背筋ゾーッ


2013年04月10日(水)  崑劇俳優・陸海栄さんの「日中楊貴妃の響演」

「どこからお話ししましょうか。私の美しい弟のことを」
一条ゆかり作品だったか、子どもの頃にドキドキして読んだ漫画の書き出しをふと思い出したのは、今日の中国語教室で仕入れた話があまりに盛りだくさんだったから。

いつもはテキストに沿ってのレッスンなのだけど、今日は「特別ゲストに京劇の俳優さんを招いて、京劇講座をしてもらいます。中国語でも話しかけてみましょう」という特別企画だった。



ゲストは陸海栄さん(Lu hai rong 「陸」と「栄」の中国語表記は簡体字だけど、フォントが化けるのでこのままで)。京劇ではなく「崑劇(こんげき)kun ju」の俳優さんだった。

崑劇とは何ぞや? 京劇との違いは?
講義はここから始まった(日本語で)。

崑劇は崑山で生まれ、まずは歌だけで「崑曲」と呼ばれていた。日本の能と同じぐらい、約600年の歴史を持つ「演劇の母」である。

西大后がいろんな崑劇のいいとこどりをして生まれたのが京劇。京劇は歌が中心。宮廷ではやった。

上海に今も姿をとどめる豫園(小龍包が有名)の舞台は1559年に建てられた。大きさは能舞台ぐらい。

三階建ての舞台(ここは豫園とは別の場所?)では、それぞれの階で違う演目を演じ、客は3つの演目を同時に見られるという多チャンネルのような贅沢な鑑賞をしていた。(それぞれの台詞や音楽を聞き分けられるのか?と気になったが、質問しそびれた)

崑劇が崑山の劇であるように、京劇の京は北京を差す。四川の劇は川劇。
中国には約200の伝統演劇があるが、時代とともに淘汰されていっている。崑劇にも何度かの危機はあり、最大のものは文化大革命(1966年-1977年)だった。毛沢東夫人の江青の弾圧はとくに激しかった。国策的な演目を演じさせられ、それができないと工場に派遣され、役者生命を絶たれた。自ら命を絶った役者もいた。

文革後、上海市長になった葉剣英が崑劇を守る姿勢を表明。陸さんの母校である崑劇学校の校長が工場を訪ね歩いて不遇の元役者を呼び戻したという。

そういうわけで、崑劇学校では永らく生徒の空白があり、現在活躍している多くは陸さんの同級生だという。

崑劇は2001年、日本の能とともに、世界無形文化遺産に認定された。京劇が認定されたのは2010年。

崑劇の家門(=役柄)についても説明していただく。
「生=男、旦=女形、浄=隈取り、未=老人、丑=道化」と大きく分かれ、これは京劇も基本は同じ。生はさらに「小生=若い青年役、地声と裏声を分けて演じる」「武生=立ち回り専門」「老生=老人役」に分かれる。陸さんは小生をすすめられたが、やんちゃだったので武生を志願し、現在に至る。一度決まった役柄は一生変えられないそう。

旦=女形は「けい(門構えに圭)門旦=深窓の令嬢、歌が中心」「花旦=小間使いや少女、仕草が中心」「武旦=立ち回り中心」「老旦=老女役、歌が中心」と分かれる。老旦は劇団に一人ぐらいしかいないそう。学校は10歳から8年間全寮制で、在校中に役柄が割り当てられるとのことだが、うら若き10代で「あんたはばあさん専門」と指名される少女の心中いかばかりか。

未=老人は老生に吸収されているのか、最近はあまりいないらしい。

丑=道化は「文丑=台詞中心」と「武丑=立ち回り中心」に分かれる。

浄=隈取りは、メイクが性格を表す。「赤=いい人。忠誠、正義」「黒=力は強いが思慮が足りない猪突猛進型」「白=血が通っていない悪人」といい、白い顔に赤味がさすと「血が通っている」となる。

メイクといえば、「北(京劇)の孫悟空」と「南(崑劇)の孫悟空」は顔も性格も違う。北は逆瓢箪型で、かわいらしい。人間が猿になったという設定で、重心が下に向かう動きをする。一方、南は桃型で。きつい性格。猿が人間になったという設定で、自分は王様という尊大な態度。動きが大きく、絶対に頭を下げない。上へ上へと持って行く動きをする。

崑劇の要素は、「唱=歌、念=台詞、ニンベンに故=仕草、打=立ち回り」
と大きく分けて4つあり、この順に優先度が高い。

…といった講義を約一時間かけてうかがい、ゼロだった崑劇知識を大量に仕入れたところで、質問タイム。

Q 崑劇役者は世襲ですか?
A 家族が関係している人は半数ぐらい。私は叔父が役者で、学校で教えていた。親が役者だからといい役がもらえるわけではない。子どもの頃は頭角を現すが、大きくなると伸びない人が多い。むしろ縁のない人のほうが真ん中まで行く。身内ということで叔父の指導は厳しく、朝食前にバク転200回を命じられ、朝から吐いた。

(少し動きをやってもらって)
Q 指先の動きに特長があると感じましたが意味があるのですか。
A 指を差すと、私はそちらへ行きたい、となる。生なら一本指、武なら二本指、丑は三本指で差す。指を後ろに大きくそらさないといけない。学校ではお湯につけて指を柔らかくしていた。

Q 坂東玉三郎さんの京劇の演技、どんな印象を持たれましたか?
A 最初の頃は一歩の歩幅が大き過ぎると感じた。京劇は歌舞伎に比べて、ずっと小幅で歩く。でも、だんだん京劇の歩き方に近づいている。指の柔らかさも、もっと欲しい。だが、感情の込め方がすばらしい。これまでで一番感動させられた。

Q 崑劇を日本で見る機会はありますか。

ここで「実はもうすぐ公演があるんです」と我らが講師の佐々木先生。宣伝を遠慮する陸さんを慮って、陸さんが企画・出演する公演のチラシを披露してくれた。

日中楊貴妃の響演」と題した公演の内容がまた興味深い。京劇、崑劇、日本舞踊で楊貴妃の物語をつなぐというもので、京劇と崑劇の違いを体感するまたとないチャンス。そこに日本舞踊まで加わり、さらに日舞の異なる流派が同じ舞台に立つことも珍しいという。まさに国の垣根も流派の垣根も越えた、響演。「共」演でも「競」演でもなく「響」演としたところに、企画プロデュースの陸さんの想いが込もっている。

来日して14年になり、日本崑劇社を立ち上げて、日本で崑劇や中国文化を広めることに力を注いでいる陸さん。今回の響演も、崑劇を通じて日本と中国が互いをより理解できたら、という思いで企画し、中国で活躍する同級生たちに来日公演を呼びかけたそう。だが、公演準備中に日中関係が不安定になり、無事幕を開けられるか危うくなった。

だけど、そんなときこそ、文化を分かち合い、文化でわかりあうことが必要だ、と踏ん張り、いよいよ公演まであと何日というところまでこぎつけた。

手弁当での公演だし、京劇崑劇日本舞踊の響演だというのにチケットも良心的なお値段。たとえ完売しても持ち出しでは……と心配になるが、多くの人に観てもらうことが、陸さんへの何よりの喜びと労いになるのだろう。

歴史を生き延びた日中の伝統文化がつなぐ楊貴妃の物語、お時間を作れる方は、ぜひ。

4/19(金)18時半
4/20(土)11時半 15時半
4/21(日)11時半 15時半
日本橋劇場(半蔵門線「水天宮前」6番出口から徒歩2分)
指定席 4,800円 自由席 3,500円

詳細はこちらへ。

とてもためになった崑劇講座、陸さんへの感謝を中国語で伝えたいと思い、フレーズを教えていただいた。
今天学到了很多崑劇的知識、非常感謝。
(今日は崑劇について多くの知識を得られました。大変ありがとうございます。)

今日はアジア友好に導かれた日だったのか、夜は日韓共同製作ドキュメンタリー映画『李藝(りげい)〜最初の朝鮮通信使〜』の完成報告試写会へ。『風の絨毯』の益田祐美子さんプロデュースという縁でお邪魔したのだけど、「国と国をつなぐのは、人と人のふれあいの積み重ね」であり、「過去からのふれあいの積み重ねがあって今がある」というメッセージを受け取った。

2011年04月10日(日)  川越「つばさ」ファンクラブの皆さんと二度目の春
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