2009年04月10日(金)  『生者と死者』(泡坂妻夫)と「生と死」コラム

推理作家の泡坂妻夫さんの訃報を知ったのは、2月5日付の読売新聞「編集手帳」欄。「あわさかつまお」が本名「あつかわまさお」(厚川昌男)のアナグラム(=つづり替え語)であることも記事で知った。作家でありながら、和服の家紋を描く紋章上絵師という職人であり、プロ級の腕前の奇術師。加えて落語にも造詣が深いことを、亡くなってから知った。自作の落語(滑稽噺、廓噺から人情噺まで)とエッセイ、さらには奇術指南まで豪華演目が目白押しで「一冊の寄席」として楽しめる『泡亭の一夜』を読んで、徹底した遊び心とサービス精神にあらためて目を見張った。

わたしがこの作家を知ったのは、新聞の書評欄に「消える短編小説」と紹介されていた袋とじ小説の作者としてだった。袋とじ状態では短編小説、袋とじを解くと長編小説になる(しかも読後感は別物)という。面白いことを考えるなあと興味をそそられ、早速購入した。袋とじという性格ゆえ、借りるわけにも古本を待つわけにもいかない。内容はうろ覚えなのだけど、袋とじ部分を切るときにドキドキしたことと、「短編ではこうだったけど、長編ではこうつながるのか」を確かめながら読んだことは印象に残っている。仕掛けで読者を驚かせ、楽しませるのは、いかにもマジシャン作家らしい。

タイトルは何だっけと「泡坂妻夫 袋とじ」で検索すると、『生者と死者 ―酩探偵ヨギガンジーの透視術』だった。刊行は1994年10月となっているから、入社2年目のことだ。生者だった作者が死者になったのを機に思い出したタイトルが、そのものずばりとは、マジシャンにトランプのカードを当てられたよう。

折良くといおうか、新聞を整理していたら、4月7日の朝日と読売の一面コラムが「生と死」を語っていた。

読売の編集手帳は、「過去から現在に至る人類の総数」について読者から問い合わせがあったという話。もうすぐ一歳になる子どもの寝顔を眺めていて、「この子の母親になれたのは人類で私ひとり」と気づいた若い母親が、「何分の1」の分母に思いを馳せた問いだという。わたしも娘を見ながら、「よくぞうちへ来てくれた」と感謝と歓迎の気持ちがこみあげたりするけれど、これほどのスケールで巡り合わせの奇跡を考えたことはなかった。記事にも引用されているが、「およそ一千億」(アーサークラーク著「2001年宇宙の旅」の一節より)分の1の幸運。

一方、朝日の天声人語は、103歳の母親を看取った女性から投稿された「あっぱれな旅立ち」というエピソードを紹介。亡くなった母の日記から出てきた一枚の紙に「あの世で長いこと私を待っている、大事な人に電報を打ってあります。待ちかねて迎えに出ていることでしょう。喜びも半分、不慣れで心細さもありますが、待つ人に会える楽しみもあります」と綴られていた。すべてを受け入れた、なんという穏やかな心境。記者が「透明な境地」と例えたように、さざ波ひとつ立たない澄みきった湖面を想像させる。今年一月に102歳で亡くなったひばば(ダンナの祖母)は、「なかなかお迎えが来なくて」と口癖のように言っていたけれど、このような心持ちで旅支度をしていたのだろうか。

生まれるのも死ぬのも一度ずつ。どちらも不思議なことだらけだけど、鏡のように照らし合わせてみると、見えてくるものがある。

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