2012年08月07日(火)  ヤマホロシ ナス科



「ままー、やまほろしがさいたよー」とたま。

川口市のグリーンセンターで100円で売っていて、「安い、垂れるし素敵」と買い求めたヤマホロシ。
音から「山おろし」を想像するけど、ほろし、というほどけそうな響きが何ともよい感じ。

別名ソラナム、ツルハナナス。
蔓が伸びて、花が咲く、ナス科。
ナスに似た紫色の花。
花は、時間とともに白くなるらしい。

ひと目惚れして家に連れ帰った植物の名前をひとつひとつ覚えていくのが楽しい。

2010年08月07日(土)  ベランダでカレー対決
2009年08月07日(金)  聞きたくないレーガン大統領と東ドイツの絵はがき
2008年08月07日(木)  暁に帰る
2007年08月07日(火)  シンクロニシティの人
2005年08月07日(日)  串駒『蔵元を囲む会 始禄 小左衛門』
2004年08月07日(土)  ご近所の会・一時帰国同窓会
2002年08月07日(水)  ティファニー


2012年08月06日(月)  最も美しいラブレター『絶後の記録』

8月6日ということで、わたしが「最も美しいラブレター」だと思う一冊をご紹介。

絶後の記録―広島原子爆弾の手記』(小倉豊文)

原爆症で亡くなった妻への手紙という形を取って綴られる体験記。著者が妻を思う気持ちが胸を衝くたび、二人を引き裂いた戦争と原爆を憎まずにはいられなくなる。序文(日付は1949年2月)で高村光太郎氏は「この記録を読んだら、どんな政治家でも、軍人でも、もう実際の戦争をする気はなくなるであろう」と記している。

「紙の墓」と題した著者・小倉豊文氏の詩に、「亡き妻に」と副題があり、妻にあてた手紙を本にした気持ちが綴られている。ノーモアヒロシマズの祈りが出版に駆り立てたのだが、印税を受け取ることに葛藤した。悩んだ末、印税をみんなに使ってもらおうと決心がついた……と語りかける長い詩は、

 お前のお墓を建てるのも
 しばらくみんなおあづけだ
 本をお墓と思つてくれ

 地上の
 つめたい一つの一つの墓石より
 も無方にちらばる
 無数の紙の墓の方が
 お前もやつぱりいいだらう
 第一、
 軽くていいだらう

と結ばれています。

この「紙の墓」を一人でも多くの方に手に取ってもらいたいと願います。週刊ブックレビューにもう一度出演する機会があればこの本を紹介したいと思っていたのですが、それが叶わず残念。

2010年08月06日(金)  シュワシュワを飲みたい2010夏
2009年08月06日(木)  すみずみまで水野仁輔君のカレー本と「かがり火」
2008年08月06日(水)  東京大地震の代わりに、小さな天災。
2006年08月06日(日)  アシナガバチの巣
2005年08月06日(土)  下垣真希 平和のリサイタル『命かがやいて』
2004年08月06日(金)  シナリオ『父と暮らせば』
2002年08月06日(火)  『絶後の記録〜広島原子爆弾の手記』


2012年08月05日(日)  大阪やなあ

8月3日と4日の日記を書き終えて、日付がずれていることに気づいた。

土曜日の昼と夜にあった同窓会のことを土日の二日に分けて書いたつもりだったのだけど、金土になっている。

金曜日は、たまと二人で大阪に向かった。新幹線の中で、たまは斜め後ろの席にいた美人姉妹(同い年のお姉ちゃんと3歳の妹)にカメラを向けたり年を聞いたりとナンパの手法で仲良くなり、新大阪に着くまでおえかきしたりパズルしたり楽しく過ごした。別れ際に『わにのだんす』をプレゼントした。



堺の実家に着いたら、「たまちゃんお小遣いやろか?」と嬉しそうな大阪の両親。差し出されたお札を見て、たまは目をぱちくり。『苦役列車』の東映銀行券。ラジオ番組で当てたノベルティらしい。


孫よりも、孫の反応を見たじいじばあばが喜んでいる。

大阪やなあ。

出された水の名前が『ほんまや』。


大阪市水道局が出してる水。大阪の水、意外といけるで。ほんまや、のノリ。『東京水』とえらい違いや。

大阪やなあ。

結婚して何年か経ったとき、生まれも育ちも東京のダンナが「大阪人は嫌いだ」と爆弾発言をしたので、なんでわたしと結婚したんだと聞いたら「それで嫌いになった」と見事なオチをつけてくれた。

大阪って、ほんま、独特やわ。

でも、たまはけっこう大阪の水が合うようです。

2010年08月05日(木)  原稿ノリノリ。ユーロビートでノリノリ。
2009年08月05日(水)  ビデオを忘れるほどカメラに夢中
2008年08月05日(火)  マタニティオレンジ317 ビクス母三人と娘三人
2007年08月05日(日)  マタニティオレンジ155 シルバーパスの効用
2002年08月05日(月)  風邪には足浴


2012年08月04日(土)  『オズの魔法使い』の3年6組同窓会

わたしが通っていた大阪府立三国丘高校では、クラスが多かったせいもあるけど、「文化祭で何をやったのか」を枕詞のようにクラス名につけることが多い(今もそうなのか?)。喫茶店や映画もあるのだけど、3年生はほとんどのクラスが演劇をやる(今もそうなのか?)ので、「ロミオとジュリエットの」「ウエストサイドストーリーの」などとなる。

わたしがいたのは、「『オズの魔法使い』の3年6組」。その同窓会が昨日あった。

13時からの中学校ソフトボール部の同窓会の2次会3次会を終えて、19時から。

担任の山ちゃん先生をはじめ20名が集まった。

山ちゃんは、卒業式の日に「君らは大阪でいちばんのクラスや」と言ってくれたらしい。「みんな、覚えていますか?」と山ちゃん。わたしは、すっかり忘れていて、初めて聞いたみたいに感激して目頭が熱くなった。

山ちゃんのその後の長い教師生活でも、6組は別格だったらしい。それほど先生にとっても思い出深いクラスで、生徒にとっても、もちろん忘れられないクラスだったのだけど、なぜか、初めての同窓会。

「ぼくが生きてるうちにやってほしいと思ってた」と山ちゃん、ぽつり。あいかわらず、いい味。おとぼけなところが持ち味の先生で、生徒たちに好きなようにやらせてくれた。それが、「こうしたらおもろいんちゃう?」と自分たちで考えて突き進む6組のノリを引き出してくれた。

そんな山ちゃんが一度だけ自分の意見を主張したのが、最後の遠足。行き先を「奈良にしよ」と押し切ったのだけど、実は山ちゃんの故郷だった。この遠足では、女子が持ち寄りでおかずを作ってきてみんなで分けたような記憶がある。

カラオケしたり、バーベキューしたり、イベント好きが集まったクラスだった。ほんと、これまで同窓会がなかったのが不思議。幹事のT君、F君、Tさん、ありがとう。

「長めの自己紹介を考えてきてください」と事前に幹事から連絡があった通り、卒業して四半世紀近い間何をしていたか、6組で何がいちばん印象に残ったか、一人ずつ話していったら、あっという間に3時間。

いちばん覚えているのは、やっぱり『オズの魔法使い』を挙げる人が多い。それぞれの演じた役割によって、オズの別々な場所に光が当たっている。脚本・演出・カリダー役だったわたしに、ジャングルジムに上って台詞を言わされ、声が小さいと注意されたブリキ役。カリダー役は砂場でのバック転の練習が印象に残っている。照明係は舞台を俯瞰で観られて感動したと語り、衣装係は「ライオンの衣装、ほめられたけど、実は、母が作りました」と白状。

わたしは、教育実習で受け持ったクラスが偶然文化祭でオズをやることになっていて、授業よりも朝昼放課後の練習を張り切り、生徒よりも燃えてしまい、担当の先生に「あなたは教師に向いていない」と言われてコピーライターになり、その後脚本家になったと報告した。

人生で最も感動した出来事ベスト5に、ふたつのオズが入っている(>>>5月17日(金) 人生最高の日〜『パコダテ人』最終日)。

卒業15年目の学年同窓会の話(>>>2003年07月12日(土) 15年目の同窓会)や去年の三丘セミナーの話(>>>2011年10月18日(火) 「宝物はあなたの中にある」三国丘高校講演)や6月の講演の話(>>>6月24日(日) 「ドラマの種を花咲かせる」三丘同窓会総会講演)の話をすると時間オーバーになってしまうので、次の人へ。

音楽を担当したEちゃんが、わら半紙に刷ったオズの台本を持って来てくれた。わたしはどこにやったか覚えていないから、「こんなんやったんやー」と驚きの再会。

書いた台詞をバッサリ切っていたり、加筆してたり。



舞台の上から見た、装置の配置と役者の立ち位置の図。こんな細かいことしていたのか、と我ながら呆れた。


今よりもキッチリ、しっかりしていたわたし。留学して、ひとつ下の学年に編入したこともあって、クラスではいちばんのお姉さんだった。

同窓会に行くたびに、あの頃の自分と今の自分は地続きで、あの頃の経験が今の自分を支えてくれているのを感じる。『オズの魔法使い』をみんなで作り上げた経験は、間違いなく、今のわたしの大きな根っこになっている、とあらためて思った。

長い間連絡を取っていなかった子たちが、「まいまいの作品、ちゃんと観てるでー」と言ってくれる。持って行った『わにのだんす』は、あっという間になくなり、かばんは軽くなったけど、抱えきれないお土産をもらった気持ちで実家に帰った。

2010年08月04日(水)  【たま語】おかえり……ください
2009年08月04日(火)  「役目を終えた」と思えば捨てられる
2008年08月04日(月)  宙返りできなかったことが心残り
2007年08月04日(土)  マタニティオレンジ154 タマーズブートキャンプ
2006年08月04日(金)  プレタポルテ#1『ドアをあけると……』
2002年08月04日(日)  キンダー・フィルム・フェスティバルで『パコダテ人』


2012年08月03日(金)  堺市立三原台中学校ソフトボール部同窓会

心斎橋の中華にて、堺市立三原台中学校ソフトボール部、はじめての同窓会。

わたしたちが入学した年に3年生でキャプテンだったY先輩が、関わりのある上下2代ずつに声をかけ、わたしたちの学年から上に5代までが集まった。

男子バスケ部が同窓会をやっているのを知って、「うちらもやろう」となったそう。男バスには、東京泉北会のメンバーが何人かいて、その中にY先輩の弟や同級生がいる。そんなわけで、東京泉北会は今回の同窓会開催に一役買っている。

初めましての先輩もご無沙汰してますの先輩も、皆さんパワフルで、自己紹介の声も大きくて、さすがソフト部出身。中学時代は、わたしも先輩方も表裏がわからないほど日焼けしていたから、誰を見ても「きれいになった、女らしくなった」と思ってしまう。

自己紹介とともに現役時代の思い出を紹介していく。わたしが印象に残っているのは、「M.S.B.C.ファイト〜ファイト〜」というかけ声。Miharadai Soft Ball Clubの頭文字だろうか。

「サンダー」とあだ名がついていた体育の杉山先生が顧問になってから、練習が厳しくなったそうで、わたしはサンダー時代しか知らないのだけど、たしかに厳しかった。

サンダーの作戦で、一秒でも早く一塁に進めるようにと、わたしたちの代から「全員左打ち」に切り替わった。「ヒットの構えからバント」「バントの構えからヒット」など4種類のサインも駆使して、勝ちに行った。

わたしの学年は20人以上いて、わたしの背番号は後ろのほうで、試合に出してもらえたことは数えるほど。休みのたびに応援に出かけて、なんのためにやっているんやろ……と思ったりしたけれど、それを察した母が、「強い人にもまれてたら、知らんうちに強くなる」みたいなことを言い、引退まで続けさせた。

「部活は途中でやめない」というのが今井家の方針でもあったのだけど、今思えば、まめが破れるほどバットを振り、筋肉に悲鳴をあげさせ、体を痛めつけたあの3年間で学んだことはとても大きい。

部活じゃなかったら、サンダーにどやされなかったら、あんなしんどいこと、絶対にやらない。

サンダーは「勉強もしっかりせなあかん」と、夏休み中は廊下に机を並べて勉強させた。勉強、練習、弁当、勉強、練習。朝早くから日が暮れるまで、よくつきあってくれたものだと感心する。

あの頃鍛えられた体力と忍耐力と学力が、今のわたしを助けてくれている。

そのお礼をサンダーに言いたかったのだけど、残念ながら欠席。でも、第2回もやろう、今度は紅白戦やろう、と盛り上がったので、お礼を言う機会はありそう。

もう一人の顧問だった女性の松下先生は、出席。右も左もわからない新任で顧問に就いたもののノックしても球が飛ばず……という思い出話で爆笑を誘った。学校の先生というのは、驚くほど印象が変わらなくて、話がうまい。

わたしたちの代は5人出席。いちばん下っ端のくせにビールを注いで回りもしないで、積もる話に花を咲かせた。同期だけで同窓会をすることもなく、3年間一緒にいた割には、まとまりのない学年だったのだけど、会えば一瞬で盛り上がり、「みんなも来れば良かったのに〜」。

絵本『わにのだんす』もお買い上げアリゲーター。

2次会3次会と喫茶店をはしごして、そのたびにお店に迷惑がられ、7時前に解散。6時間近くしゃべり続けた。

この日は偶然夜から難波で高校の3年6組の同窓会。長くなるので、日付を分けて明日の日記に。


2010年08月03日(火)  チョのつく言葉……ちょんまげ!
2009年08月03日(月)  応援団と朝日歌壇と子守話はエールつながり
2008年08月03日(日)  葉山の別荘2日目 田舎でのんびり
2007年08月03日(金)  ラジオが聴きたくなる、書きたくなる『ラジオな日々』
2006年08月03日(木)  子どもの城+ネルケプランニング『南国プールの熱い砂』
2005年08月03日(水)  『三枝成彰2005 2つの幻』@サントリーホール
2002年08月03日(土)  青森映画祭から木造(きづくり)メロン


2012年08月01日(水)  縁と緑の一日

「縁」と「緑」。よく似た漢字だけど、今日は縁と緑に彩られた一日。

まずは、朝10時に、獣医の石井万寿美さんがわが家を訪問。石井さんは、わたしのドラマ初脚本作品「彼女たちの獣医学入門」のロケ地となった北海道の酪農学園大学のご出身。脚本開発にアドバイスをいただいたのが縁で、今もおつきあいが続いている。

ペット関係の著書を何冊も出されている石井さん。今回も出版社との打ち合わせのために大阪から上京とのこと。新刊『老犬との幸せな暮らし方 認知症・病気・介護・日常生活から最新治療法まで』と京都北山マールブランシュのお菓子をいただく。



新居引越祝いにグリーンをリクエストしてパキラを贈っていただいた上に、いただきっぱなしで恐縮。おまけに、保育園を休んで一日夏休みのたまのトランプの相手までしていただく。

最後にお会いしたのは、たまがおなかに入る前だったから、6年以上のご無沙汰。積もる話は山ほどあったのに、一時間足らずの滞在は、たまとの「スピード」勝負に費やされてしまった。

午後からは、川口市グリーンセンターへ。

浦和美園にあるお好み焼き屋「咲くLOVE」さんで「てっぱん」ミニオフ会をやることが決まった矢先、埼玉高速鉄道沿線マップがポストに入っていたのも、何かの縁。

たまがミニSLの写真に魅せられたグリーンセンターは、終点浦和美園駅の10分手前の新井宿駅から徒歩15分ほど。


たまは充実したすべり台や遊具に大はしゃぎ。わたしは温室とグリーンショプに大喜び。SLもガリバー旅行気分で楽しい。節水のため大噴水は止まっていて、目玉の回転式すべり台は夏場はお休み。涼しくなったら、また行こう。

浦和美園駅前のイオンで子ども靴(気づいたら、靴底がすっかり減っていた)を買って、「咲くLOVE」さんに向かって歩いていると、「つばさ」ファンクラブの長瀞虎父さんが迎えに来てくれた。


今宵のメンバーは、虎父さん、東京のこぺくさん、青森のくろさん。昨年末の「てっぱん」オフ会で意気投合したメンバーがミニオフ会をやってはツイッターで報告しているのだけど、「てっぱん」ツイッターつながりの咲くLOVEさんに行きたい、とわたしが希望を伝えたところ、くろさんの出張に合わせてミニオフ会をやることになった。

住宅街の一角にある小さなお店は、テーブルがひとつ。壁には「つばさ」や「てっぱん」に混じって、「わにのだんす」の宣伝が。


貸し切りにしていただいて、おまかせコースをいただく。ふわふわで鰹節が踊っている大阪のお好み焼き、れんこんのお好み焼き、納豆のお好み焼き(たまがいちばん気に入っていた)、新開発のピザ風ポテトお好み焼き、モダン焼き、焼きそば……。カウンターの中で次々と焼いては、出していただく。


お好み焼きも、おしゃべりも、あつあつで、おいしい。

咲くLOVEさんは関西出身の女性。いつかお好み焼き屋をやりたいという夢をあたため続けていて、子育てが一段落してお店を開いた時期と「てっぱん」の放送が重なり、あかりに思いっきり感情移入して観てくださっていたという。

ツイッターでつながった虎父さんが通うようになり、他の「てっぱん」ファンも集まるようになり、「埼玉のオフ会聖地」となっているそう。ツイッターというネット上の鉄板で出会って、本物の鉄板を囲む。そんなミニオフ会が東京や大阪でも開かれている。

「てっぱん」の故郷尾道を訪ねた後に川越で「つばさ」ファンクラブの熱さに圧倒されたばかりのこぺくさんは、「てっぱんもファンクラブを作りましょう。そして、みんなで尾道に行きましょう」と熱い。

今はツイッターが鉄板になっているけれど、これまでの交流を記録に残したり、これからの活動の計画を立てたりするための拠点として、ファンサイトを作ろうと盛り上がる。


ガラス越しに見える外から、お店のアイドル犬、はなちゃんが「ちょうだい」とおねだり。最初は怖がっていたたまは、最後には自分の手でえさをあげるまでに打ち解けて、「また、はなちゃんにあいにいく〜」。

犬(動物)の縁に始まり、犬に終わった一日でもあった。

2010年08月01日(日)  鎌倉でアジアンリゾート
2009年08月01日(土)  朝ドラ「つばさ」ファンミーティングin川越
2008年08月01日(金)  地震の噂のたびに部屋が片づく
2007年08月01日(水)  バランスがいいこと バランスを取ること
2002年08月01日(木)  日傘


2012年07月31日(火)  材料費ほぼ0円の玄関グリーン

広告代理店時代、アートディレクターのAさんが「このフォルム、天才的にかわいいよな」と言ってた、ポカリのミニボトル。

久しぶりに見て、これにグリーンを入れてみよう、ミントが合うかも、と思った。

ベランダのキャットミントとペパーミントとレモンバームをちょこちょこ。

ちょうど、玄関にグリーンを飾りたいと思っていたので、紙袋の両端にミニポカリのボトルを入れ、真ん中に、半分に切った500mlペットボトルを入れて固定した。



持ち手の強化とアクセントづけにテープを貼り、電気メーター窓部分にS字フックで引っ掛けて、いい感じ。材料費ほぼ0円。

あ、肝心のかわいいボトルが、隠れてる。

2010年07月31日(土)  書き鉄連載最終回「子連れに優しい駅」
2009年07月31日(金)  赤ずきんのアクセサリーとノックごっこ
2008年07月31日(木)  ファミレスで働く
2007年07月31日(火)  マタニティオレンジ153 クッキーハウス解体イベント
2000年07月31日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2012年07月30日(月)  どじょうに教わる「命いただきます」

先週の木曜のこと。

保育園のお迎えに行くと、「ご自由にお持ち帰りください」と、保冷剤を入れたたらいの水に、どじょうがうじゃうじゃっと放たれていた。

どこかから貰い受けたとかで、プールでどじょうつかみ大会をやったという。

どじょうなんて、料理したことないし、と敬遠して持ち帰らなかったところ、「食べたかった」とダンナがうらめしそうに言ったので、金曜の朝にまだ残っていたのを4匹持ち帰った。



ちょうど土用の丑の日。「どじょう1匹で鰻1匹分のスタミナ」がつくのだとか。それがうなずけるほど、とにかく元気。水を張った鍋の中で、ぴちぴちと跳ね続けるのを、パソコン打ちながら聞いていたら、

ピチャッ!

高さ120センチの棚に置いた高さ20センチの鍋から一匹が飛び出し、高度140センチの決死のダイブ。

床でのたくっているのを、一人でキャーキャー言いながら追い回した。保育園では何十匹もつかまえるツワモノもいたそうだけど、ぬるぬるして、
素手ではつかめず、タオルで捕獲。

「お酒に酔わせて粉をつけて揚げるとおいしいらしいわよ」と園長先生には言われたけれど、油の中で暴れて、油まみれでダイブされたら……と想像して、ぞぞーっとなった。

これは、飼うべしか……とネットで飼い方を調べてみたりするけど、それはそれで大変そう。水が濁らないようにこまめに掃除……無理無理。かたつむりのお世話で精一杯。

たまをお迎えに行って戻ってくると、一匹がおなかを見せて浮いていた。ダイブで体力を消耗した一匹かもしれない。これで、「食べよう」と心は決まった。

鍋の水ごとざるに空けると、息のある3匹が激しくのたうつ。鍋に戻して酒をどばっとかけると、一瞬で虎に変身して大暴れ。床じゅうにお酒を飛び散らせ、体を「つ」の字に反って反転して反って、鞭打つように、しなるしなる。

飛び出さないように、網を鍋にかぶせ、たまと二人で、キャーキャー。

「お酒を振って5分置く」というレシピを見かけたけれど、30分経っても、ピチ、ピチ……。その日は諦め、明くる土曜の朝に調理することにした。


クレイジーソルトを振り、コーンスターチ(小麦粉がなかったので)とたっぷり粉チーズの衣をつけ、にんにくひとかけとともにオリーブオイルで揚げ焼き。

レモンを搾って食べると、これがなかなかの味。骨までおいしくいただき、胃袋にて成仏した。


元気に暴れていたどじょうと、料理に変身したどじょうを見て、たまは「命をいただく」ということを感じてくれた様子。

2010年07月30日(金)  Hanako東京カフェ特集と笹塚の「茶日」
2009年07月30日(木)  美しすぎる運命の映画『スラムドッグ$ミリオネア』
2008年07月30日(水)  マッシュルームにすると美味
2007年07月30日(月)  劇団ダンダンブエノ公演『砂利』
2004年07月30日(金)  虹色のピースバンド
2003年07月30日(水)  脚本家ってもうかりますか?
2002年07月30日(火)  ペットの死〜その悲しみを超えて
2001年07月30日(月)  2001年7月のおきらくレシピ


2012年07月29日(日)  親子二代でひと目(口)惚れ。川越の「いも恋」

昨日の川越太陽堂さんでの「わにのだんす」サイン会に見えた、着物姿が素敵な女性は、川越の菓匠「右門」代表の町田明美さん。上品な佇まいと笑顔が本当に印象的だった。

「わにのだんす」をお買い上げの後、紙袋を手に戻っていらして、差し出されたのは、わたしが前々から大好きなお菓子「いも恋」ではありませんか!

初めて川越に行ったとき、時の鐘の横のお店で口にしたら、あまりにわたし好みの味。日記を掘り起こしたら、娘のたまもひと目(口?)惚れしていた(>>>2009年07月11日(土)  川越でおいしいものと「ちゅばさ」探し
)。



ダンナ父の故郷の九州には、おいもを皮で包んだ「いきなり饅頭」というお菓子があり、故郷を思い出す味のよう。

ちょうどダンナ父がうちを訪ねて来たので、一緒に味わった。


2010年07月29日(木)  遅刻せし理由の欄をにじませて傘持つ少女 と書きぬ
2009年07月29日(水)  24億の瞳、きらり。「瀬戸内国際子ども映画祭」
2008年07月29日(火)  マタニティオレンジ316 はじめての雷、まだ怖くない。
2007年07月29日(日)  マタニティオレンジ152 子守すごろく
2004年07月29日(木)  クリエイティブ進化論 by MTV JAPAN
2002年07月29日(月)  中央線が舞台の不思議な映画『レイズライン』


2012年07月28日(土)  川越「ラジオぽてと」と「わにのだんす」サイン会

行ってきました、川越「ラジオぽてと」出演と「わにのだんす」サイン会。



川越百万灯夏まつりに合わせて放送するラジオぽてとに遊びに来ませんか、と「つばさ」ファンクラブの寺崎さんからお誘いがあり、「出演ついでに『わにのだんす』の宣伝をして、ついでに売りたいんですけど」と相談したところ、物販ではなく、蔵造り通りにある書店「太陽堂」さんで扱ってもらえるように動いてくださった。

数十冊売れたらいいとこだから、書店に送るのは50冊にしましょうとエンブックスの西川さんは冷静な読みをしたのだけど、負けず嫌いなわたしは「わたしと(絵の)島袋(千栄)さんが乗り込むのに50冊なんて弱気なこと言わないで、どーんと100冊行こう!」と無理を言い、100冊送ってもらった。


どんな形であれ、エンブックスの本が本屋さんに100冊も届けられるなんて、画期的じゃないか。

そして迎えた当日。

ラジオぽてとブースに顔を出した後、太陽堂さんへご挨拶。「わにのだんす」コーナーに、同じエンブックスの「こわくないもん」「すえっこりすのひみつ」「にこにこしょうてんがい」も並べていただく。お買い上げ第一号は地元川越の水野さん。




‎14:30から島袋さんとラジオぽてと出演第一弾。アーカイブでは開始00:17:43頃から。

もう一人の乗り込み要員、たまは指折り数えて気合十分だったのに、わにの売り込みは消極的。あの「ニャンちゅう」の声の津久井教生さんが「わにのだんす」をノリノリで読んでくださったのは思いがけないプレゼント。実はわにの役を何度も演じていらっしゃるそう。


15時からのサイン会は、暑いので店内で。

毎年年賀状写真を撮ってくれている内藤さんが凍らせたポカリの差し入れとともに駆けつけてくれた。

『ジェニファ 涙石の恋』をきっかけにmixi今井雅子コミュを立ち上げたナルセさんも一家で東京から駆けつけてくれた。

『パコダテ人』から応援してくれている同郷・堺のはなまささんが、堺から青春18きっぷでやって来たのには、びっくり。

「つばさ」ファンクラブの方々も、次々と。

17時半過ぎからラジオぽてと出演第2弾。アーカイブでは00:02:19頃からたまがカメラの前をちょろちょろ。出演は開始00:20:00頃から。00:34:00過ぎにたまが「わーにのだんす」でカットイン。00:39:00頃まで「わにのだんす」の宣伝。

またまた津久井さんに本を読んでもらい、ノリノリでご紹介いただく。

その後、「つばさ」ファンクラブの寺崎さん白石さんひろりんLOVEさんと「つばさ」トーク(アーカイブでは00:58:00頃まで)。後藤高久Pからのメッセージの代読も。

さらに、わたしが太陽堂サイン会へ移動した後、はなまささん、東京から来た「てっぱん」ファンのこぺくさん、長瀞から来たつばさFCの虎父さん、地元川越の寺崎さんが「つばさ」トーク。

18時半からのサイン会は、やはり人通りがあるほうが目に留まるので、太陽堂さんの店の前で。島袋さんと「わにのだんす、いかかですかー」と作者自ら売り込み。声を張り上げても、ほとんどの方が素通り。子どもが足を止めても、親が引っ張って行ってしまったり。


たまは「わーにのだんすは発売中〜」とダンボールの看板を掲げて歌ったり、買ってくれそうなお客さんの手をつかんでレジまで連れて行ったり、店の中から補充する本を運んだりと大活躍。

購入者のほとんどが「たまちゃんの分も」と希望してくださり、サインもちゃっかり。保存用とたまお絵描き用の2冊を購入されるツワモノも。


昼と合わせてサイン会は3時間あまり。滝のような汗をかいて、「つばさ」ファンクラブや「たま語ファン」などを動員して、積み上げた数字が41冊。100冊には遠く及ばず。

いやー、本を売るのって大変。

「手のかかる子ほど可愛い」と言うけれど、自分の作品を自分の手で売ってみて、ますます「わが子」が愛おしくなった。

そして、本を買い求めてくださった一人ひとりとのやりとりも得難い経験だった。

何年か前にわたしがブログにコメントを書き込んだ地元川越の男性も来てくださった。記事で紹介されていた、わたしが気に入った居酒屋は、今はもうないらしいけれど、縁は続いていた。

「ラジオぽてと」の放送を聴いたという女性は「夏休みの読書感想文にいいんじゃない?」とアドバイスしてくださった。

笑顔と着物姿が惚れ惚れするほど素敵な女性が、絵本をお買い上げの後、紙袋を手に舞い戻ってきた。差し出されたのは、わたしが川越を初めて訪ねた日に恋に落ちたお菓子「いも恋」。女性は、地元の菓匠「右門」代表の町田明美さん。片想いが両想いになったようで、うれしかった。

なにかを買うという行為は「縁を結ぶ」ということなんだと身をもって感じた。

これまでも、これからも、「わにのだんす」をお買い上げくださる皆さまに、いっそう感謝します。

川越駅へ向かう途中のイタリアンで、島袋さんと乾杯。汗をかいた後の泡のおいしかったこと!「文化祭みたいで楽しかったねー」と高揚感に浸りつつ、「島袋さんとこんなに色々しゃべったこともなかったね」と話す。もともとは会社時代に一度仕事しただけで、「いつかもう一度」が空約束じゃなくて実現して、予想通り、やっぱり気の合う人で、会えば会うほど仲良くなっている。

「人持ち」という言葉を知った何年か前から「金持ちより人持ち」になるために仕事をしたいと思っている。そんな気持ちが形になった絵本「わにのだんす」の売り文句は「わになっておどろう♪」。

そして、エンブックスのエンはご縁の縁。点が線になり、輪になってつながる。まるで、「てっぱん」のまあるいお好み焼きのように。

「つばさ」のご縁ですでにたくさんの方とのいい出会いがあった川越で、今日、もっと「人持ち」になれた。

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