2009年08月07日(金)  聞きたくないレーガン大統領と東ドイツの絵はがき

週末、ひさしぶりにわが家に客人を迎えることとなった。この一年あまり、仕事の忙しさを口実に掃除も炊事もさぼってきたけど、お客さんが来るからには、部屋もそれなりに片付け、もてなし料理も用意することになる。先日お招きにあずかったY家の夫人いわく「家をきれいにしたかったら、人をよぶことよ」。

ここ数週間、8か月遅れの大掃除を続けているが、積年のゴミやガラクタの整理作業の終わりは見えず、週末に向けて、とりあえず「開かずの間」以外の見えるところは何とかしようとペースを上げているところ。

とはいうものの、絵はがき一枚でも「捨てるべきか、取っておくべきか」と悩むものだから、なかなかはかどらない。「聞きたくない」という顔で耳をふさぐレーガン大統領の絵はがきを発掘し、また悩む。レーガンさんはわたしの恩人。彼が大統領で中曽根康弘氏が首相だったときの「ロン・ヤス外交」の副産物の留学制度で、わたしはアメリカに行けた。絵はがきはその留学中に買い求めたものだろう。帰国してから大阪の実家の自室に貼り、大学の下宿部屋に貼り、就職して上京したアパートのトイレに貼り、結婚した家に来てからはガラクタの山に埋もれていた。壁から壁へ20余年の放浪で、セロテープの跡も痛々しく、ずいぶんお疲れの様子。写真に納めて、お別れをすることにした。

2004年06月06日(日)  レーガン元大統領、逝去。
2002年03月31日(日) レーガン大統領と中曽根首相の置き土産

セピア調のこちらの連なった絵はがきは、1982年に当時「東ドイツ」と呼ばれていたドイツ民主共和国=Deutsche Demokratische Republik (DDR)で買い求めたもの。絵はがきのくたびれ度合いを差し引いても、ずいぶん古めかしい国だったんだなあと思ったら、写真が撮られたのは19世紀終わりから20世紀初めにかけて。いちばん上の写真は、1220年に建てられた建造物を1888年にF.Albert Schwartzが、上から2枚目は1907年にMax Missmannが撮影。

娘の初めての海外旅行先に東ドイツを選ぶ母のセンスは大したものだが、この国にただならぬ関心を寄せ、勉強会に参加していた母が「先入観ができる前に、見せておきたい」と中学一年生だったわたしと小学5年生だった妹を連れて行ったのだった。何かと衝撃的だったこの旅の刺激が、4年後のアメリカ留学につながっているので、レーガンさんと同じく、旧東ドイツは今のわたしに多大な影響を与えた存在。映画『グッバイ・レーニン』を観たとき(>>>日記)以来の懐かしさと感慨に浸った。思い出小箱の蓋を一瞬で開けてくれるこの絵はがきとも、写真に納めてお別れする。紙は呼んでも答えてくれないけれど、データは検索して呼び出せる利点もあるよと未練がましい自分に言い聞かせて。

2008年08月07日(木)  暁に帰る
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