2009年07月29日(水)  24億の瞳、きらり。「瀬戸内国際子ども映画祭」

2011年開催を目指して準備を始めた「瀬戸内国際子ども映画祭」の実行委員会が東京であり、出席する(写真は差し入れで出された麹町のパティシエ・シマのチーズケーキ。MOBA アカデミアの的場朱美さん、ごちそうさまでした)。6月に小豆島で顔合わせの会があったのだけど、馳せ参じることができず、今日が初めての参加。とはいえ声をかけてくださった小豆島オリーブランドの柳生会長をはじめ、集まった方の多くが小豆島がロケ地の『ぼくとママの黄色い自転車』関係者で、はじめましての方は4名。

今日の打ち合わせは、どういう映画祭にしたいか、何をしたいか、何が参考になるか、どこが協力してくれそうか、などそれぞれのアイデアを持ち寄る会。三人寄れば文殊の知恵とはこのことで、「それなら、この人を紹介できます」「こんな活動があるんですけど」と人や情報がどんどんつながる。ゼロから作り上げる映画祭の輪郭が早くも描けそうな手応えを感じ、ワクワクする時間となった。

忙しい人たちが三々五々散った後、柳生さんと雑談。「打ち合わせの後のこの時間が、いいんだよ」と同席した娘の照美さんに話されていたが、たしかにこういうおまけの会話には、鍋の後の雑炊のような、うまみがある。柳生さんとお会いするのは二度目だが、共鳴するところが多い。

「僕はね、やりたいと思ったことは必ず実現できるんです。願っていると、そのために必要な人と出会えるんですよ」と柳生さん。「小豆島で映画祭をやりたい!」と思っていたら、ある方のお通夜で『風の絨毯』プロデューサーの魔女田さんこと益田祐美子さんと出会ったのだそう。「人と人をつなげることが得意な方だったんですが、亡くなってからもつなげてくれました」と言う。柳生さんが『ぼくママ』に関わっていることを聞いた益田さんが「それってもしかして今井さんが脚本を書いた映画?」と反応し、わたしと柳生さんがつながって、わたしも映画祭の準備に巻き込まれることになった。「傘と心は開いているときがいちばん役に立つ」という名言を教えてくれたのは益田さんだけど、心の傘=アンテナを開いている者同士が出会うべくして出会った気がする。6月の会合で柳生さんは映画祭のエクゼクティブ・プロデューサーに、魔女田さんは総合プロデューサーに任命されている。

金持ちよりも人持ちになりたいという思いを年齢を重ねるとともに強くしているが、魔女田さんを見ていると、「人脈は金脈」でもあるようで、会議の間も次々とあちこちからお金を引き出すアイデアが飛び出した。政府や各国大使館のお墨付きや協力を取りつける段取りも心得たもの。土台作りは魔女田さんマジックにおまかせできそうで、わたしは今までに関わった映画祭での経験を話したり、パブリシティを取る(記事にしてもらう)ためにこんなニュースを発信してはというアイデアをいくつか出した。

各自が得意分野で力を出し合いましょうということで、わたしは映画祭のコンセプト作りを宿題に持ち帰る。映画祭を立ち上げるというのは物語を構築するようなものだから、しっかりした共感できるテーマがあると、人物は動きやすくなる。6月の会で新聞の取材を受けた魔女田さんが小豆島を舞台にした名画『二十四の瞳』にひっかけて「24億の瞳(つまり、世界中の子どもたち)の注目を集めたい」と話したところ、記者が食いつき、「24億の瞳」という見出しが地元紙を大きく飾ったが、

24億の瞳、きらり。

というキャッチコピーが浮かんだ。オリジナルにならって、

二十四億の瞳、きらり。

とすべきか? でも、「億」がつくと「にじゅうし」ではなく「にじゅうよん」と読みが変わるので、差別化と世界を意識するという意味でも、算数字がいいのか。皆さまのご意見は? 錬金術師の魔女田さんには「24億円、きらり」を目指していただき、2年後の第1回開催を成功させたい。

【お知らせ】『ぼくママ』サイトに試写会トーク報告

『ぼくとママの黄色い自転車』公開メイン館である新宿バルト9で7月22日に行われたキャリア・マム会員限定試写会(>>>日記)。上映前のキャリア・マムの堤香苗社長と今井雅子のトークの模様がぼくママ公式サイトのニュースページに登場。やりとりのダイジェストも掲載されています。

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