2008年08月04日(月)  宙返りできなかったことが心残り

枕が変わると、いつもと違う夢を見る。はじめて泊まった葉山の別荘で見たのは、宙返りの夢だった。数十メートル先に待ち構えている人に向かってダッシュし、その人の腕に自分の腕を絡めると、勢いで宙返りができる。それを何度も繰り返すわたしは大学時代にやっていたチアリーダーのコスチューム姿で、わたしに声援を送っているのは当時のチームメイトらしかった。

目が覚めて夢の内容を覚えているとき、どうしてこんな夢を見たのかと分析してしまうのは、大学の教養課程で取ったフロイトの夢判断のクラス(雑学として楽しめた)の名残。「チアの格好して宙返り」の夢のルーツはすぐに突き止められた。小学校時代の習いごとと高校時代のクラブ活動で器械体操をやったのだけど、どうしても宙返りができなかった。踏み込みの瞬間、足がすくんで、入れるべき力を逃してしまう。どうやったら宙返りができるか、頭ではわかっているのに、体が動かないのだった。踏ん切りがつかない臆病者。同じことが、チア時代にも起こった。土台の二人が両手を組んだ上に立ち、組んだ手が持ち上がる勢いに乗ってジャンプする(余裕があれば開脚などのポーズを決め、ツワモノになると宙返りして降りてくる)「バスケットトス」という人間トランポリンのような技があったのだけど、わたしはいつも足がすくんで、へっぴり腰になり、浮く間もなく落下して、痛い思いをして持ち上げてくれたチームメイトをがっかりさせた。すまない気持ちでいっぱいになりつつも、最後まで飛べなかった。

そのことをずっと忘れていたけれど、心のどこかで引っかかっていた過去が何かの拍子で浮き上がって夢に出てきたらしい。踏ん切り……初めての海を最初は怖がっていた娘のたまが海に向かって足を踏み出した、その瞬間が記憶のスイッチを入れたのかもしれない。

「夢は欲望の充足」という言葉も、フロイトの夢判断のクラスで習った。夢の中で願いを叶えるというよりは、昼間考えきれなかったことを夢の中で考えるのだという。その内容は楽しいことよりは不安だったり懸念だったり、「何か引っかかること」であることが多い。だから、入試に落ちる夢にうなされるのは、「落ちたらどうしよう」とびくびくする試験前より、大学に合格して試験勉強からすっかり解放された頃。こんなに遊んでばっかりでいいんだろか、という後ろめたさが夢になって現れる……そんな講義が懐かしい。実際、脚本家として一本立ちして以来、会社を辞めますといつ上司に切り出そうか悩む夢を見るようになった。

2007年08月04日(土)  マタニティオレンジ154 タマーズブートキャンプ
2006年08月04日(金)  プレタポルテ#1『ドアをあけると……』
2002年08月04日(日)  キンダー・フィルム・フェスティバルで『パコダテ人』

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