2005年08月06日(土)  下垣真希 平和のリサイタル『命かがやいて』

2月に『風の絨毯』プロデューサー・魔女田さん(益田祐美子)との合同誕生会を開いてもらったときに、会場となったシーボニアメンズクラブの田邊勉社長が「とにかく泣ける歌手がいるんです。8月にリサイタルやるのでぜひ!」と教えてくれたのが、下垣真希さん。田邊社長の口調があまりに力強くて熱いので、わたしと魔女田さんはその場で「行きます!」。

あっという間に、あれから約半年。シーボニアメンズクラブのランチバイキング(食事もデザートも充実。ワインも飲み放題で満足。ラウンジなので座席もゆったりしていて、おすすめ)で腹ごしらえし、浜離宮朝日ホールへ。全席自由のため、開場時間にはすでに長蛇の列。万雷の拍手で迎えられた下垣さんは、5分遅れての開演をお詫びするとともに、「その分、心をこめて、歌のメッセージをお届けしたいと思います」。

包み込むようなやさしい声音、単語の実をひとつひとつ大切に摘み取るような丁寧で美しい言葉遣いに人柄がにじむ。話す声同様、歌声もとても耳に心地よく、言葉がしっかりと届く。構成の妙だと感心するが、歌の前後の語りが歌をいっそう輝かせる。

『欲しがりません勝つまでは』の作曲家・海沼実が、「戦争が終わったら、子どもたちに歌のごちそうを」と『みかんの花咲く丘』を作曲したと聞けば、何度も耳に親しんだ歌が違った響き方をする。オペレッタ『メリー・ウィドウ』を作曲したレハールが「妻がユダヤ人だったのにナチスの追及を逃れられたのは、『メリー・ウィドウ』がヒトラーのお気に入りだったから」というエピソードも興味深い。音楽は映画やドラマを盛り上げるが、語りもまた音楽をドラマティックにする。

今日は、広島に原爆が投下されて60年目となる原爆記念日。「平和のリサイタル『命かがいやいて』」と銘打っているように、語りはどれも平和の祈りに通じ、「命をかがやかせて生きる大切さ」を訴えかける。それがまったく押し付けがましさを感じさせず、清らかな水のように自然にしみ入ってくるのは、やはり声の力なのだろうか。ラジオドラマのナレーションをお願いするとしたら、どんな話がいいだろうなどと想像する。

平和へのメッセージが加速するのは後半。下垣さんは旧長崎医大の学生だった叔父を長崎の原爆で亡くしている。被爆した叔父が「どこにそんな力が残っていたのか、その夜、故郷・島根にたどり着いた」という語りの後で歌われるのが、『浜辺の歌』。その叔父は『長崎の鐘』の原作者・永井隆博士の元に下宿していた。妻を亡くし、自らも死の淵に立たされた博士が幼子を遺す不安を綴った詩「この子を残して」の朗読が流れ、病の床についた博士が渾身の力で仰向けになって書いた「平和を」の揮毫が投影され、締めくくりの歌はサトウハチロー作詞の『長崎の鐘』。

アンコールに応えての『アメイジング・グレイス』も「奴隷貿易に従事していた男が悔い改めたときに生まれた詩。人は、いつからでも生まれ変われる」というメッセージとあいまって、感動ひとしお。

田邊社長はじめ熱心なファンが引きもきらない下垣さんは、命かがやいてを自ら実践しているような人。訪ねた楽屋でも元気いっぱいキラキラ、初対面のわたしを見て、「まあ、益田さんのお嬢さん?」と20才も若く勘違い。ますますファンになりました。

2005年02月23日(水)  飛騨牛パワー合同誕生会

2004年08月06日(金)  シナリオ『父と暮らせば』
2002年08月06日(火)  『絶後の記録〜広島原子爆弾の手記』

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