ケイケイの映画日記
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2014年07月21日(月) 「怪しい彼女」




予定外だったけど、評判上々なので久しぶりに韓国映画を観てきました。面白い!笑って泣いて懐かしんで、感情があちこち飛んで大忙しでした。監督はファン・ドンヒョク。

口が悪く頑固者のオ・マルスン(ナ・ムニ)は70歳のおばあさん。夫を早くに亡くし、一人息子のヒョンチョル(ソン・ドンイル)を女出一つで育て、今やヒョンチョルは大学教授となり、息子の家族と暮らしています。しかし生来の気の強さが嫁のストレスとなり、嫁は倒れてしまいます。嫁の休養のため、しばらくマルスンは老人施設に入れられる事に。気落ちして町を歩くマルスンでしたが、ふと目に留まった写真館で写真を撮ってもらうと、何故か20歳の頃の彼女(シム・ウンギョン)に戻っていました。びっくりするマルスンですが、以降憧れだったオードリー・ヘップバーンにあやかり、オ・ドゥリと名乗り、青春を取り戻していきます。

とにかくシム・ウンギョン!彼女が素晴らしくチャーミング。老女が憑依しているの?と言うくらい、体は二十歳、中身は70歳のお婆ちゃんを大熱演。とても表情が豊かで、喜怒哀楽がはっきりわかり、停滞せずスピーディーに進むお話の中、ぐいぐい彼女に引っ張っられました。決して美人ではなく、この作品でも毒舌家だし凶暴だし、お色気もゼロなのに、何と魅力的な事よ。KARAのような現代的美女が束になっても敵わない、比類なき個性です。それは何かと言うと、彼女を観ていると、元気になり勇気が出る。貧しい子供時代から、マンスルを心の支えとしてきたパク氏(パク・イナン)の気持ちが、納得出来ます。

実は私の祖母も、当時の在日の人には珍しく女学校を出ていて、私の子供の頃は、祖母宅に手紙の代筆や読んで欲しいと持ってくる人がわんさかでしたが、口が悪くて(笑)。あれくらい抑揚つけまくりの話し方でした。祖母の周りのお婆ちゃんたちもそう。何だかもう、懐かしくて。

夫を早くに亡くしたマンスルは、青春も自由もなかったのでしょう、生き生きと毎日を謳歌します。この手の題材は、あちこちツッコミたくなりますが、身近な人たちとの付き合いに終始するのに、お婆さんが主人公と言うプロットに、上手くドタバタ的なお笑いを盛り込んで、バレない事に無理がないです。

私が暗澹たる思いをしたのは、儒教の国・韓国も、老人になると世間の隅に追いやられ、孫世代など敬意すらなし。かと思えば、いい年になる子供が寄生虫よろしく親の脛をかじる様子は、日本と全く同じです。嘆かわしい。そういう世相も毒舌的なユーモアで描いているのは、悪しき世相だと、監督は言いたいからだと思いました。

たくさん流れる曲は、日本で言えば歌謡曲でしょうか?お洒落はしてもどこか垢抜けない70年代風のファッションに身を包むドゥリが歌う姿は、きっと本国では壮年層の心を鷲掴みしたのでは?何よりウンギョンの歌が上手い!声量たっぷり情感豊かで、最初は吹き替えかと思ったほど。歌は世に連れ、世は歌に連れ。この手の作品にはその時々の流行歌が似合い、時代の変遷も上手く出しています。

爆笑に次ぐ爆笑で、元気モリモリになった時、あんな落とされ方をするとは。母の正体を見破った息子チョンヒルが、母にかけた言葉は、どんなに自分が親孝行でも出来ない事です。母と二人、懸命に生きてきて、彼はこの上ない親孝行な息子であったはず。そこには息子としての執着のない、無償の愛を感じました。

その言葉で号泣していたら、更なる涙のダム決壊のマンスルの返事が。あぁそうなんですよね。来世で夫ともう一度結婚したいか?と問われたら、どちらでも良い私ですが(と言うか、どうでもよい)、夫と結婚しなくちゃ、息子たち三人に会えないわけです。それは困る。私は来世も母親になるなら、絶対私の息子たち三人に会いたいのです。そう思い到ると、あの時ああすればよかったと、後悔と反省も多い私の人生は、肯定出来るものなのだと思え、しみじみ善き人生であったのだと、実感しました。この時のウンギョンの演技がまた上手くてねー。二十歳の子が本当に中年男性の母親に見えました。

ラストのラストは大団円のハッピーエンドでまた笑わせて、エンディングでは「全てのお母さんに捧ぐ」ときたもんだ。この作品は若さの素晴らしさや、母の有難さでもなく、子が母にくれた幸せを描いている作品なんだと思いました。すべてのお母さんが、その事に気づきますように。


2014年07月10日(木) 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」




トムちん主演、ダグ・ライマン(と記してある。いつからリーマン表記じゃなくなったの?)監督の近未来SF作品。原作は桜坂洋で、ラノベなんだとか。鑑賞後、原作を読んでいる三男に聞いてみると、難しい事は良い意味で適当にして、ダークな内面描写もカット。そのお蔭で、カラッとした娯楽作に仕上がり、映画的には成功していると思います。

近未来の地球。謎の生物ギタイの襲来により、人類は滅亡の危機となり、多国籍軍が立ち上がります。軍の広報担当のケイジ少佐(トム・クルーズ)は、イギリス軍司令官ブリガム曹長(ブレンダン・グリースン)の前線に出動せよとの命令を拒否、結果脱走兵として捉えられ、初年兵として軍隊に放り込まれ、次の日には出動。訓練経験のない彼は、あえなく死亡。しかし何故か目が覚めると、出動したその日になっている。かくして彼は、何度も何度も全線で死亡しては前日にループしていた折、軍隊のカリスマ的兵士リタ(エミリー・ブラント)が、「目が覚めたら私を探して」と言う言葉をケイジに託し、戦死します。彼女の言葉通り実行したケイジは、かつてリタもループを繰り返していたと聞かされます。

ループを繰り返すので、同じシーンが続出ですが、これが編集とカットが上手いので、イライラしません。テレビでCM前後で同じシーンがかぶり、早く進めんか!思うことがあるでしょう?あの感覚が皆無なのです。繫ぎ方が上手いので、あぁ次は別の方法を取ったんだなと、解り難い事がありません。輸血をするとループする力がなくなるので、中途半端に死に損なうと、リタが容赦なく「殺す」ので、その繰り返しなど、思わず吹き出してしまう程で、緊迫感にユーモアの混ぜ具合も上手いです。

ケイジは前線が怖くて敵前逃亡するチキンなヘタレであるわけですが、二日間を何度も繰り返す度に、どんどんスキルアップ。やがては地球を救うのは俺だ!的使命感も芽生え、訓練にも身が入る。いつもの颯爽としたトムちんが蘇り、ワタクシたちファンは一安心でございます。

ケイジは何度も同じシーンを繰り返しているので、同僚やリタ(彼女は輸血してループ力は失われている)に、どんどん親近感を持つのに、相手からはケイジは初めて出会う人です。この辺の孤独感は、原作では描いているらしいですが、映画ではリタへの仄かな好意として描かれ、まずまずです。

戦闘場面が2/3くらいでしょうか?「パシフィック・リム」を彷彿させるもんがあります。特にケイジと同じ連隊の人たちの行動なんか、泣かされます。彷彿はさせるけど、あちらはイェーガーと怪獣が主体ですが、こちらはトムちん主体ですので、その辺で満場一致と言う訳にはいかないかも?

実は私が一番興味津々だったのは、エミリー・ブラントがSF大作のヒロインで出演した事です。私は彼女が好きで、中堅としてキャリア充分の彼女が、何故今頃?とも思いましたが、ハリウッドと言うところは、これは大成すると見込んだ新進や中堅女優には、アクションもやらせたがります。アンジーしかり、シャーリーズ・セロンしかり、ジェニファー・ローレンスしかり。私が見込んでいたシャイリーン・ウッドリーも、「ダイバージェント」でアメリカでは人気沸騰になっているとか。充分色んな役をこなしているエミリーですが、もしかして、彼女にもそういう機運が回ってきたのか?逞しい女性兵士と、繊細な女性的な心情もきちんと出ていたし、今回合格点が出たと思います。何より大味なれど、この手の作品としては出来が上々なのは、彼女にきっと味方してくれるはずです。

まぁあんなにケイジ一人にループさせなくても、敵は地球防衛軍で倒せそうじゃん、と言う野暮を言うのはよそう。ラストも原作と違いますが、これも安心のトムちん印。後味が良いので良しとしましょう。大味で中身は薄いですが、充分楽しめる娯楽作です。


2014年07月09日(水) 「マレフィセント」(2D字幕版)




ご存じディズニーの名作「眠れる森の美女」を大胆に解釈し直し、悪役の魔女・マレフィセントの視点から描いた作品。ディズニーらしい愛らしさや、CGを駆使した戦闘場面などふんだんにあり、視覚的には眼福の映像です。ただちょっと気になる箇所がありまして。監督はロバート・ストロンバーグ。

ムーア国の妖精マレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)。国の守護神として、他国からの侵略から守っています。かつて彼女は人間の少年ステファンと恋仲になった事がありますが、段々と彼は野心家となり、彼女から離れて行きました。成長したステファンは国王の臣下となり、敵対するマレフィセントを騙し、彼女の翼を切り取り、その褒美として王女の婿となります。やがて国王となったステファン(シャールト・コブリー)と王妃の間にオーロラ姫が生まれます。しかし祝いの席に、呼ばれなかったマレフィセントが現れ、オーロラ姫に呪いをかけます。心配した王は姫を三人の妖精(イメルダ・スタウントン、レスリー・マンヴィル、ジュノー・テンプル)に預ける事に。時は経ち、美しく優しい少女に成長したオーロラ(エル・ファニング)に、刻々と呪いの日の16歳の誕生日が迫ってくるのですが。

何がびっくりって、マレフィセントが妖精だった事。ず〜〜〜と魔女だと思っていました。これも脚色?ムーア国は色彩豊かな自然に恵まれ、動植物もファンタジックで、この辺はディズニー仕様。三人の妖精も、CGで小さくしてあり、ユーモラスで可愛らしいです。

ステファンとマレフィセントの出会いと逢瀬がなかなかにロマンチック。人間と妖精なので、いつか別れる時が来るのも仕方なしなんですが、裏切り方が酷過ぎ。騙し討ちなんですから。翼はマレフィセントの象徴のようなもので、体の一部をもぎ取られた彼女は、人間で言えば障碍を負わされたようなもの。それも愛する人に。目が覚め事の次第を理解した彼女の悲痛な絶叫に、心底同情してしまいました。そして観客はステファン憎しになったはず。この計算は良いのですが。

魔法をかけたものの、ずっとオーロラが気になり、彼女を見張っていたはずが、いつしか見守るようになったマレフィセント。純真無垢に育つオーロラの存在は、彼女に母性の目覚めをもたらします。私が気に入ったのは、悔悛したマレフィセントが取った行動です。自分の人生を軌道修正しようとしたのですね。

「眠れる森の美女」なんですから、もちろん王子様のキスが登場。しかし!「アナ雪」でもそうですが、王子様の役立たずぶりは、これはディズニーの確信犯でしょう。世の中に白馬に乗った王子様なんかいないよ、お嬢ちゃんたち。と言うのを、この作品及び「アナ雪」のメインターゲットの少女たちに、教育的指導をしているのかな?それはいいんですよ、自分を幸せにするのは、自分しかいないんですから。

マレフィセントもステファンも「真実の愛などない」と言います。二人の事もだし、ステファンは妻も愛していなかったのですね。その真実の愛はどこにあったか?これも「アナ雪」と落としどころは似ている。これ自体は全然良いのですが、男女に真実の愛はないと言う描き方、これは如何なものか?

女性が確固たる権利や尊重を得るには、男性の協力が必要なはず。なのにこの作品のステファンは、最後まで暴君で、マレフィセントを蹂躙し続けます。そんな父を観て、オーロラも葛藤はなし。マレフィセントが悔悛を見せたのとは対照的で、この救いのなさは、些か気になりました。

大人向けの裏テーマとして、フェミニズムをモチーフにしているのは、私は明白だと感じました。なら女同士万歳!だけでいいのかしら?ならオーロラの母は?運命に翻弄された可哀想な人だから、存在感が限りなくマイナスなの?マレフィセントに忠誠を誓うカラスのディアヴァル(サム・ライリー)は、彼女に忠誠を誓い、時にはナイトのように彼女を守るも、物申すことは忘れない。ここに理想の男性像を描いているなら、公平ではないと思う。現実で言えばディアヴルは年下の恋人か部下です。権力者であるステファンとマレフィセントの和解があってこそ、本当のフェミニズムだと思うんですが、違うのかな?

そして私が一番嫌だったのは、アニメはマレフィセント、実写は王が悪者と、誰かを救えば誰かが落ちる事。斬新にグリム童話を脚色したなら、登場人物全てが浮かぶ内容にしてほしかったです。だってこれを観る子供たちには、その事を教訓にして欲しいから。

アンジーはメイクでアニメのマレフィセントそっくりなんですが、それでも超美しく、カラコンを入れた瞳は、時には涙にくれ、時には慈愛に満ち、時には憎悪で燃えて、とにかく目力がすごいです。魅了されること請け合いです。彼女の実娘ヴィヴィアンちゃんが、五歳のオーロラ時で出演で(抱っこ、抱っことせがんでいた子)、その理由は他の子役はアンジーを怖がって演技出来なかったので、ヴィヴィアンちゃんにお鉢が回ってきたとか。そりゃ本物のママですもん、怖いわけないですよね。微笑ましい裏話です。

イマイチ描きこみ不足のオーロラ姫ですが、エルの無敵の天真爛漫さで、それを吹っ飛ばしています。とにかく可愛くて。マレフィセントの魔法で、時に宙に浮くのですが、その時長いブロンドが美しく巻き毛になって、その愛らしさにもううっとりでした。サム・ライリーは最近の私のお気に入り。この作品では、アンジーが手なずけたはずが、まぁ立派に成長しちゃって、みたいな役柄を好演しております(笑)。コブリーが成人したステファンとして登場した時は、年食い過ぎているし、ダニエル・デイ・ルイスの従兄弟のような風貌が濃すぎて、ちょっとガックリしたのですが、お話が進むと、この内容なら彼で合っているなと、納得出来ました、ハイ。

私は裏まで突っ込んで観たため、残念な感想になりました。余計な事は考えなければ、映像の美しさと、女優陣の輝きで、充分元は取れる作品です。


2014年07月08日(火)

さ行(2014年6月〜公開作品)

最愛の子
最後の決闘裁判
最後まで行く
サウルの息子
ザ・ウォーク
さざなみ
ザ・サークル
ザ・トライブ
サード・パーソン
サバービコン
ザ・ホエール
ザリガニの鳴くところ
さらば愛しきアウトロー
ザ・マミー/呪われた砂漠の王女
さよなら歌舞伎町
尚衣院-サンイウォン
残穢

シェイプ・オブ・ウォーター
仕掛人・藤枝梅安
仕掛人・藤枝梅安2
SHE SAID/シー・セッド その名を暴け
シーモアさんと大人のための人生入門
ジャージー・ボーイズ
ジュピターターズ・ムーン
ジュリエッタ
死刑にいたる病
SHE SAID/シー・セッド その名を暴け
娼年
主戦場(Amazonプライム)
ジュディ 虹の彼方に
春画先生
女王陛下のお気に入り
ジョジョラビット
JOKER ジョーカー
ショート・ターム
SING/シング
シン・ウルトラマン
シン・ゴジラ
シング・ストリート
新感染 ファイナルエクスプレス
人生はシネマティック

スガラムルディの魔女
SCOOP!
スティーブ・ジョブズ
ステージ・マザー
ズートピア

素晴らしき世界
スプリット
スポットライト 世紀のスクープ
スリー・ビルボード
スワンソング
スワロウ

聖地には蜘蛛が巣を張る
せかいのおきく
セッション
セトウツミ
前科者
全裸監督(1話〜8話)
SEOBOK/ソボク
ソロモンの偽証 前篇
ソロモンの偽証 後編



2014年07月06日(日) 「her 世界でひとつの彼女」




人工知能と人間の男性の愛を描く作品。本年でアカデミー賞脚本賞受賞作。個人的にオスカーは脚本賞が一番面白いと信じているので、この作品もすごーく期待しましたが、う〜ん。悪くないけど、めでたさも中くらいってとこかな?
監督・脚本スパイク・ジョーンズ。

近未来のLA.大切な人への手紙の代筆を生業としているセオドア(ホアキン・フェニックス)。現在離婚調停中で、妻キャサリン(ルーニー・マーラ)とは別居中。ある日新しい人工知能のOSを手に入れ、声の選択を女性としたところ、現れたのはサマンサ(スカーレット・ヨハンソン)。ユーモアとインテリジェンスのある彼女との会話を楽しむうち、一人とひとつは、恋に落ちていきます。

ホアキンは顔が濃くて、どちらかと言えばアクの強い顔。それが眼鏡をかけて口ひげを生やせば、あら不思議。気弱でちょっと根暗な雰囲気が出て、冴えない中、繊細で知的な風貌になるんです。このメイクは大成功でした。

口述でパソコンに向かい手紙を「書く」セオドア。「削除」と言えば簡単に消えるし、スマホには何でもインストール。家に帰れば部屋いっぱいを使ったテレビゲームが出来て、何だか楽しそう。自分の子供の頃と今を比べると、実現はそう遠くない未来に感じます。でもスマホに向かって、皆が口々に話しかける様子は、奇妙でもあります。

妻との別居で無聊を託つセオドアの心の隙間に入ってきた、サマンサと「逢瀬」。秘書的な優秀さと会話の妙で、セオドアがサマンサに魅了されるのは納得出来ます。でも納得できる最大の理由は、サマンサを演じているのはスカヨハだと認識しているからだと、個人的に思いました。声の向こうに、どうしても彼女の姿かたちを想像してしまうので。キャスティング的には正解だと思いました。

スマホにもインストールされたサマンサを連れて、どこでも出かけるセオドア。起動さえすれば、二人はどこでもいっしょ。なので楽しい会話も成立するし、感情も共有出来ます。デートは一人分のお金で済むしね(笑)。セックスも、見知らぬ女性とのテレフォンセックスは不首尾に終わったセオドアですが、サマンサとのイマジネーションセックスには満足。それは「ふたり」に心の結びつきがあって、愛情と信頼のある関係であると表現しているのだと思いました。

と、ここまで書いて、じゃあ何が文句あるのかと言うと、やはり人工知能との恋愛関係は奇異に感じるからです。彼女が感情や人格を持つというのはいいんです。セオドアの事を思い、意見するのもいい。例えば「バッドマン」のブルース・ウェインと執事フレッドは、主従関係にあるも、父と息子のような関係でもある。時にはブルースを真に想い、怒りに燃えてお暇だって申し出るフレッド。これを絆だと感じるのは、生身のぶつかり合いを感じるからです。

昔「ナイトライダー」と言うアメリカのドラマがあって、それにも車に人工知能が内臓されてあって、持ち主を助ける人工知能の良き相棒ぶりは、微笑ましくも頼もしくも思いました。しかしこの作品の人工知能「たち」は、勝手な行動が多すぎる。他人の人工知能と恋する人がいると言う事は、持ち主とは相性が合わない人工知能もあると言う事ですよね?

現にこの作品のサマンサも、セオドアのパソコンに内蔵された秀逸な手紙を選んで、出版社に勝手に送ったりする。「あなたのためよ」と言う事でしょうが、これって他人が書いたことになっている手紙ですよ。代筆業者としての守秘義務は?それが切なさを感じるアイテムとして使われている事に、とても違和感があります。

相手は優秀な人工知能。おまけにパソコンやスマホ内は個人情報だらけ。人格と感情を持つ人工知能が、持ち主に悪意を持ったならば?とんでもないでしょう?

予告編からの想像とは違う二人の行く末。これもなんかなぁ。勝手だなと思いました。そう、恋愛なんて相手が人工知能だって、ときめきや嬉しさ、意見の食い違いからの葛藤や苦悩など、相手がリアルな人間と変わらないという事です。相手が感情を持ったなら、自分に都合良くだけは運ばないと言う事。なら、相手はリアルを選ぼうよ。それが言いたかった作品とは受け取れなかったのが、手放しで喜べない理由です。

セオドアの心の友にエイミー・アダムス。人付き合いの苦手なセオドアとは、似た者同士の友人です。ほとんど素顔に近いメイクで演じるエイミーは、彼女の内面の美しさが出ているのでしょうか?心豊かな人であるのに、人生に寂しさや後悔の気持ちを抱えている様子が、とても伝わってきます。とても地味なキャラなのに、深々と私の心を捉えて、とても素敵でした。

ラストは妻の成長を喜べないと言うか、ついて行きかねたセオドアが、学習して出した結果だと受け取りました。傍らには、やっぱり寄り添える「人」がいる方がいいですよね。


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