ケイケイの映画日記
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2023年04月23日(日) 「聖地には蜘蛛が巣を張る」




ベルギー・ドイツ・フランス・スウェーデンの合作品。知らないでイラン映画だと思って観に行ったら、冒頭で女性のヌードが出てきてびっくり。検閲で通りませんもん。私はそこで、イランの作品じゃないのだと理解しました。これは最初に、イランの話だけど、イランで決して作ることが出来ない作品なんですよと、観客に知らしめるための演出だったんだなと、鑑賞後気づきました。出演者や作り手が、イランに帰国出来ない覚悟で作ったのでしょう。イランに蔓延るミソジニーやその他の宗教的教義の問題点を、嫌という程、描いています。監督はアリ・バッシ。2000年初頭に起こった、実在の事件を元に作られています。

イランの聖地マシュマドで起こっている連続娼婦殺人事件。ジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)は、事件を追ってマシュマドまで来ました。娼婦たちの足跡を辿りながら、自ら囮となり、犯人を捕まえるラヒミ。犯人は妻子とともに普通の生活をしていたサイード(メフディ・バジェスタニ)。しかし、この後に理解し難い事が起ります。

まずは丹念に娼婦たちの背景を描きます。貧しさを感じる古びた部屋、シングルマザー。客にぞんざいに扱われ、お金を取りはぐれる事も。荒んだ心を慰めるのは、アヘンだけ。人によって彼女たちの見え方は違うでしょう。叫ぶ事も忘れた、彼女たちのひりつく心が私にも届き、とてもやるせない。

残忍な殺し方には、証拠も目撃者もいるのに、警察の捜査は杜撰です。汚らしい娼婦たちは、殺され当然なのでしょう。その思いがマシュマドの街に充満している。

ザイールは軍人会の集まりで、「戦争が続いていたら良かった」と吐露します。イランイラク戦争の事なのでしょう。戦場で輝いていた頃に比べ、しがない土木の仕事に辟易しえいるのでしょう。自分だけ生き残った呵責の念に堪えかねたり、または殺戮の日々に疲弊した兵士たちが、PTSDを負うとの描き方は、数々観てきました。でもこの作品は違う。死や障害を負うのは、神に選ばれし存在だが、自分は選ばれなかったと、不満があるのです。だから神の代りに、イスラムの教義を冒涜する娼婦を殺害し、街を浄化する使命を、自らに課す。

ザイールは異常者です。しかし戦争が彼を異常にしたのではなく、宗教が彼を異常にしたように、私は思いました。

一方ラヒミは、独身というだけで、ホテルの予約もキャンセルされそうになる。職場で上司にセクハラされ訴えたのに、処分されたのは彼女。そう、世界中に「よくある話」。しかし、事件についてインタビューした警察署長まで、ラヒミの部屋に押しかけ、関係を迫る事は、そうそうないでしょう。それが許される土壌が、イランにはある。イスラム教では女性蔑視どころか、女性が憎悪の対象になると、読んだ事があります。自分の母・妻・娘は、女性なのに。

そういう経験が、ラヒミの活動の原動力になっている。私は男たちに選ばれた慎ましい女だと、娼婦を見下す多くの女性たちとは違い、娼婦たちに同情し、女たちが人間扱いされない事に怒っている。アスガー・ファルファディの「別離」で、何故恵まれた中産階級の妻が、離婚してまで娘を国外に連れ出したかったのか、真に迫って理解出来ました。

命からがら、ザイール逮捕に協力したラヒミ。もう警察も見過ごすことは出来ない。しかし私が心の底から震撼したのは、この後です。ザイールが町を浄化したとして英雄視され、国中で彼の無罪を願うシュプレヒコールが起ります。16人を殺害した殺人鬼を、です。

そしてその後の展開が、想像を絶する。あの「嘘」は、最後までザイールに威風堂々として貰わないと、男たちが困るのです。宗教の象徴としての広告塔の如く祭り上げらるザイール。そして、自分たちに都合よく教義や法律を解釈する男たち。彼らによって、正しい倫理観がゆがめられたまま育てられる、多くの男子たち。被害者は女性たちだけではなく、ザイールもまた、教義を操る者たちに翻弄された、犠牲者だったんだと、気が付きました。

ラストのカメラに映る、ザイールの思春期の息子の言動が、哀しくて恐ろしくて、涙が出ました。誰が息子たちに、歪で危険な認識を覆させるのか?ラヒムたち女性だけに委ねるのは忍びなく、大人の男性としての責任で、監督はこの作品を作ったのかと感じます。

私はイスラム教はあまり判らず、輪郭がボヤッと解る程度。数は少なくても、私の観て来たイラン映画は、こんな恐ろしいことだらけの国では無かったです。恐ろしい事だらけの国にしないために、監督は世界に向けて、この作品を作ったのでしょう。監督は主にデンマークで活躍中で、この作品で、カンヌで主演女優賞を取ったザーラ・アミール・エブラヒミも、イランからフランスに移住したとか。いつか二人が、大手を振ってイランに帰れますように。映画好きは必見作です。







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