ケイケイの映画日記
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2022年12月14日(水) 「ザリガニの鳴くところ」




想像していたより、ずっと叙情的なお話しでした。一人の孤独な若い女性の成長物語を通して、性差別や人種差別、貧富の差からの差別を焙り出していたと思います。一点気にかかる事がありましたが、終盤、とあるセリフから、自分なりにその点を紐解く事が出来て、今は一点の曇りもなく、秀作だと言い切れます。監督はオリヴィア・ニューマン。

1965年のノースカロライナ。19歳の少女カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)は独り、人里離れた湿地に暮らしていました。幼い頃、母は父のDVに耐え切れず出奔、後を追うように上の姉や兄も家出。残された父とカイアでしたが、母の手紙を読んだ事を切欠に、父までカイアを置いて家を出ていきます。以来、たった一人で湿地で暮らすカイア。しかし、彼女と恋仲であったチェイス(ハリス・ディキンソン)が湿地で死亡。警察は当日、湿地から出ていたのにも拘わらず、カイアを犯人として逮捕します。幼い時から彼女を知るミルトン(デヴィッド・ストラザーン)は、引退を撤回して、彼女の弁護士として弁護を引き受けます。

過酷さよりも、美しい自然の様子を映す湿地の風景が素晴らしい。六歳の女子が一人で生活するなんて、インフラの整った都会でも無理なのにと、作品を観る前は想像していました。しかし他者からは嫌われた湿地は、ここで生きて行くと心に決めた彼女を、温かな包容力でくるんでいました。まるで相思相愛の関係のように。

私は一歩も湿地から出ず暮らしてるのかと想像していましたが、実際は、雑貨店を経営するジャンピン(スターリング・メイサー・Jr)とメイベル(マイケル・ハイアット)夫婦が、何くれとなく親代わりになっていたのでしょう。必要な時は、街にも出ていました。自力でシジミを売りに来た幼いカイア。多分、通常よりおまけして買い取ったはず。事情に気づいた夫婦が、カイアの支援を決心するシーンもありました。当初は、湿地で暮らすだけなのに、あまりにガーリーで、清潔感のあるカイアの様子に違和感がありましたが、身だしなみの整え方を教え、服も与えたのでしょうね。「メイベルさんからだ」と、ミルトンは裁判の時の清楚なワンピースをカイアに渡したのは、そういう含みもあったのかと思います。

何故福祉局からの問合せに、ジャンピンはカイアの事情を話さなかったのか?当初はカイアの心情を慮ってと思っていましたが、メイベルの「あの人はあなたを娘だと思っていた」との言葉で、ハッとしました。ジャンピンがカイアに去られたくなかったのでは?もちろんメイベルも。この時代、正式な手順を踏んだ養子縁組は、黒人と白人では、人種の壁が阻み、難しかったと思います。映画で描かれる以上に、カイアと夫婦の間には、もっと強い絆があったように想像しました。

初日に虐められた事が原因で、学校には通わなかったカイア。文盲の彼女に字を教えたのは、兄の友人だったテイト(テイラー・ジョン・スミス)。偶然通りかかった沼で、思春期のカイアと再会します。元々が聡明だったカイヤは、ぐんぐん知識を吸収。思春期の二人は恋に落ちます。テイトが大学進学で町を離れるのを機に別離。この若い恋人同士の出会いと別れの描き方の瑞々しさよ。本当に50年前のロマンス映画を観ているようです。

特にテイトが寸での所で、二人が肉体的に結ばれるのを立ち止まるシーンは、印象的。年齢的にはハイティーンの二人。もし妊娠でもしたら、カイアに申し訳ないし、自分の将来も違ったものになるはず。第一男として責任の取れる年齢でもないです。相手も自分も大切にするなら、それは今ではない。昔は軽はずみな性交渉はしてはいけないと教えられたものですが、何故いけないのか、今の時代、きちんと映画で描かれるとは、少々感激でした。

対してあっけなくチェイスとは結ばれるカイア。浮ついたチェイスを信じてしまったのは、彼が湿地全体を見渡せる櫓に、カイアを誘ったからだと思います。彼女はそこで「ずっと横顔だけしか知らなかった親友の、全部を観たような感じよ」と感激します。自分を育てた愛着あるこの湿地を、チェイスも特別なものだと愛していると、思い込んだのでしょう。

チェイスは事故か殺人か、捜査も中途半端。なのに検察も警察も、当日アリバイのあるカイアの殺人ありきで、どんどん裁判を進めていきます。正直こんな杜撰な捜査で?と、びっくりしました。状況証拠だけで物的証拠は皆無です。「湿地の娘」への、蔑みがさせる事です。「湿地の娘」は、懸命に生きて、今では湿地の生態についての学問書まで出版していると言うのに。蔑んでいた「湿地の娘」の、社会的な成功を許さない、世間の傲慢さを突いた、ミルトンの最終弁護が感動的です。法廷場面はきちんと作り込んでおり、見応えがあります。最終的な判決は陪審員に委ねるので、「12人の怒れる男」も思い浮かびました。

出自の差別、人種差別の他、カイアやカイアの母親を通して、作品はDV被害に遭う女性の叫びも描かれます。子供を残して去る事は許し難いですが、殴られ続けると、きちんとした思考や感情が消え去り、どす黒い塊が感情を覆うのでしょう。逃げ出す術は他にも選択出来るのに、それが出来なくなっているのだと思いました。特に男尊女卑が甚大だったはずの、当時では。

そしてDV加害者の父も、戦争帰りのPTSDを匂わせている。年代的に朝鮮戦争でしょうか?子供を捨てた、非難されるべきカイアの両親にも、その背景を匂わせたことで、憐憫の情を感じるのです。

カイアを演じるデイジー・エドガー=ジョーンズが素晴らしい。聡明で可憐だけではないカイあの情念を、余すところなく演じています。そして美しい!ミルトンを演じたストラザーンは、明晰な答弁と温もりを感じる人柄で魅了されます。これぞいぶし銀の魅力でした。

原作者のディーリア・オーウェンズは、本職は動物学者で、学術書は出版しているものの、小説は69歳でこの作品が処女作とか。瑞々しい若々しさと、世間を観る冷徹な眼差しが交差する内容は、円熟とはこの事かと感嘆します。


誰もがハッピーエンドに安堵し、心に温かい感情が広がる中、ラストには驚愕の秘密が。でも、偏見と差別が横行する当時は、こうするしか地獄から抜け出せる方法が、なかったのだと思い至るのです。底辺の人々が清廉ではなく、向上心を持つと、世間は「欲」「野心」と観て、踏み潰そうとしたと思います。そしてその世間の中には、自分も底辺なのに、認めない人もいたでしょう。昔の時代を描きながら、二方ともそうなってはいけないと、今を生きる私たちを、戒めている気がしました。

秀逸なミステリーにして、瑞々しい青春ドラマでした。










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