2013年07月07日(日)  沈黙のち行列のち冊子(実践女子大学講演・後日談)

6月25日に講演を行った実践女子大学文学科国文学科から厚みのある封書が届いた。

納められていたのは、紐で綴じられた冊子。

表紙を開くと、学生の皆さんが書いた講演の感想だった。



感想を後から頂戴したことはこれまでもあったけれど、こんな佇まいで届いたのは初めてで、小学校の頃にもらった「クラスのみんなからの誕生日おめでとうカード」を思い出して、うれしくなった。

提出された感想文をコピーして、切りそろえて、綴じる。
そのひと手間がありがたい。

200通ぐらいあるのだろうか。
全部読み終えるのに、一時間かかった。
一人一人が書くのに費やした時間を足し上げると、その何倍もになるはず。

講演の手応えを、「沈黙のち行列(実践女子大学講演・後編)」と題して2013年06月26日(水)の日記 に書いた。

「十人いれば十通り、百人いれば百通り」の受け止め方がある、と感じたのだけれど、一人一人筆跡も言葉遣いも感じたことも違う感想に目を通していると、本当にそうだなあと感じる。

もちろん、好みの傾向はあった。

映画『パコダテ人』の「しっぽは欠点じゃなくて、おまけ」、ドラマ「ビターシュガー」の「未来からの逆算で今を生きるんじゃなくて今生きている一瞬一瞬を積み重ねていきたい」、小説「ブレーンストーミングティーン」の「宝物はあなたの中にある。それを宝の山にするのも宝の持ちぐされにするのもあなた次第」といった言葉が心に残ったと書いた人が多かった。

    

これから進路を決める学生には、将来への希望と同じぐらい不安もある。だから、自分を前向きにとらえ、力づける言葉がことさら必要なのだろう。

「石ころを宝石に」というベタなタイトル、「なんで?」と「そんで?」という大阪弁を使った連想ゲームの説明についても、好意的に受け止めてくれた人が多かった。

「脚本を書くというのは、もっと難しいことだと思っていたけれど、最初から宝石は落ちていなくて、石ころを磨いて光らせるということがわかった」
「自分にも書けそうな気がした」
「今までなんとなくドラマを見ていたが、何を伝えようとしているのかに注目して見てみたい」
「原作とドラマが違うなと思うことがよくあったが、連想ゲームで考えた結果なのだとわかった」
「なんで?そんで?と連想するのは、脚本だけでなく、サークル活動や自分を知る上でも役に立ちそう」
といった「意識の変化」を綴った感想が多かった。

「良かった」「面白かった」「役に立った」といった手放しの褒め言葉はもちろんうれしいのだけど、他の人が使わない言葉で伝えられる感想もまた、はっとさせられる。

たとえば、「聞いていて、こそばゆかった」という感想。
肯定的な感想の最後の一文だったので、「あなたたちにはまだまだ可能性がある」というメッセージへの照れなのかもしれないし、わたしの前向き過ぎる発言への「あんな歯の浮くようなことなかなか言えない」という印象なのかもしれない。

「こそばゆい」という感想をもらったのは初めてで、新鮮で、印象に残った。

「文学的というより商業的」なので、文学部の講演としてふさわしいかどうかは疑問だが、これからの人生には役に立ちそうな話だった、という感想もあった。

脚本家の間でも「商業性か芸術性か?」はよく議論になる。
より観客を集められるようなわかりやすく間口の広いエンターテイメントを作るのか、一部の人にしか受け入れられなくてもいいからストイックな芸術作品を作るのか、と。
わたしの作品は、多くの人に届くことを意識しているから前者となる。

そのことを見抜いて指摘した、この学生さんの視点は「個性」であり「強み」であり、大切にしてほしいと思う。

「出産のときまでネタを集めていたのはすごいと思った」という感想もいくつかあって、わたしそんな話したっけと思い出した。講演で話すことは大まかには決めているけれど、その日のノリで持ち出す話題が変わる。でも、講演中は夢中なので、何を話したのか忘れていることも多い。

それから、わたしが「楽しそう」だという感想がとても多かった。
「楽しそうに仕事の話をするので、脚本家が楽しい仕事なのだと思った」
「言葉を愛しているのが、よく伝わった」
そんな風に言ってもらえたのが、うれしかった。

脚本の仕事も、子育ても、「楽しそう」だとまわりに思ってもらえたら、それだけでもっと楽しくなる気がするし、大人になっても、いくつになっても、「そのままのあなたでいいんだよ」と誰かから言われるだけで、チカラが出る。

実践女子大学国文学科の皆さん、わたしの石ころを転がして、磨いて、光らせてくれて、ありがとうございます。

宝ものは、あなたたちの中にある!


2010年07月07日(水)  39度の熱にうなされ号泣七夕
2009年07月07日(火)  彦星は一年ぶりの会津の酒!「第5回 天明・七夕の宴」
2008年07月07日(月)  この夏の目玉作品『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』
2007年07月07日(土)  マタニティオレンジ141 5人がかりで大阪子守
2005年07月07日(木)  串駒『蔵元を囲む会 天明(曙酒造) 七夕の宴』
2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日
2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2013年07月04日(木)  聞こえる世界と聞こえない世界をつなぐ(松森果林さん講演)

「聴力を失って行くというのは、どういうことなのか。皆さん、想像できますか?」
そう問いかける松森果林さんの声は、ご本人には届いていない。

声は出せるけれど、聞こえない。
松森果林さんは、中途失聴者。



講演のはじめに、松森さんは「私の強みは聞こえないこと」と笑顔で言い切った。

でも、今のように、聞こえないことを「個性」として受け止め、「強み」とさえ言えるようになるまでに、長い長い時間がかかったという。

小学4年生のある日突然片方の耳が聞こえなくなり、もう片方の耳も少しずつ聴力を失った。

毎朝、目が覚めると、声を出し、自分のその声が聞こえるかどうか確かめたという。

「昨日まで聞こえていた音が一つずつ消えていく」

聴力を失っていくというのは、そういうことらしい。

高校2年の終わりには、完全に聞こえなくなった。
その日のことを、よく覚えているという。
信じられなくて、何度も、何度も、確かめたのだろう。

小学生の頃、男の子たちに「つんぼ」とからかわれた。
その言葉を知らなかった松森さんは、「つんぼ」の意味を知り、ショックを受けた。

中学生のときには、クラスメイトに名前を呼ばれて気づくかどうかをテストする「遊び」を毎日のようにされた。

聞こえないのは、恥じるべきこと、いけないことなんだ……。
そう思った松森さんは、「聞こえるフリ」をするようになった。

何を言ってるかわからなくても、みんなと一緒に笑う。
聞こえるフリをすればするほど、どんどん自分が空っぽになっていく感じがしたという。

ただでさえ不安定な思春期。
でも、友だちとのおしゃべりや恋愛が楽しい青春の入口。
勉強して、あたらしい世界を吸収する時期。
松森さんは「聞こえるフリ」で忙しかった。

「みんな聞こえなければいい」と周囲をうらんだり、
「自分がいなくなればいい」と思い詰めたりした。

雪の降る日に道端に倒れ込み、このまま死ねたら……と死を待つうちに意識を失い、救急車のランプで我に返った。

その後に、松森さんのお父さんが書いたという手紙に、涙を誘われた。

できることなら代わってあげたい。でも、お父さんだったら乗り越えてみせるぞ。

そんな内容の、愛情と力強さにあふれた手紙だった。

ご家族も辛かっただろうと思う。
原因もわからず、何がいけなかったのかと過去を悔やみ、自分たちを責め、それこそ「代わってやれたら」と苦しんだことだろう。
娘が死を思い詰めていることを知って、打ちのめされたことだろう。
松森さんの知らないところで、たくさん涙を流されていただろう。

お父さんが「乗り越えてみせるぞ」と言えるようになるまでにも、長い長い時間が必要だったのではと想像する。

ちょうど2日前、わたしは実践女子大学で『パコダテ人』の話をしてきた。

映画『パコダテ人』では、ある朝突然しっぽが生えた日野ひかるが、葛藤の末、「しっぽは欠点じゃなくておまけ」と開き直る。いったんアイドルとしてもてはやされたひかるが、今度は迫害される立場になっても、家族は「しっぽが生えても、ひかるはひかる」と、ひかるを愛し抜き、守り抜こうとする。

『パコダテ人』は、障害と偏見について語っている作品だと評価されることも多い。でも、映画だと80分、劇中内時間でも数か月で乗り越えてしまうことが、現実ではその何十倍もの時間を要する。

雪の日に、どん底の底を蹴って、お父さんの手紙に励まされた松森さんは、少しずつ進みはじめた。

「何に困っているかわからないと、何を手伝っていいのかわからない」と学校の先生に気づかされ、授業について行くためにどうしてほしいのかを具体的にお願いするようになった。

視覚や聴覚に障害のある人が学ぶ筑波技術大学を見学し、自分以外の聴覚障害者に初めて会い、生き生きと学ぶ姿を見て「ここで学びたい!」と一念発起。ビリに近かった成績が、猛勉強の末に学年トップになった。

大学時代に出会った先生が大のディズニーランド好きで、学生を引き連れて、よく遊びに行ってくれた。

目が不自由な学生、耳が不自由な学生が、現地でアトラクションやショーを体験しながら、どこをどうしたらもっと楽しめるか、具体的な意見を出し合い、提案し、それが採用された。

わたしはコピーライターだった頃、東京ディズニーリゾートの広告に携わっていた。だから、障害のある人も一緒に楽しめるようにと様々な取り組みがされていることは聞いていた。その中に、松森さんたちが提案したものがあったかもしれない。

そして、松森さんの話を聞くと、まだまだ知らない取り組みがたくさんあることに気づかされた。

視覚障害者が建物やキャラクターのフォルムを把握できるようにと作られた精巧なミニチュアが紹介された。

シンデレラ城の塔のとんがり具合も、窓の数も、模型をなぞれば、指で見ることができる。

興味深かったのは、ミッキーやミニーやドナルドやプルートのフィギュアがどれも「片方の手が上がっている」のはなぜでしょうという質問。

答えは、「握手するため」。

キャラクターに手を伸ばし、最初に手に触れるでっぱった部分が握手する手というのは、アメリカらしいし、ディズニーらしい。思いがけず握手して笑顔になってしまう光景を思い浮かべて、微笑ましくなった。

講演の中では触れられなかったが、松森さんは大学卒業後、東京ディズニーランドで美術装飾の仕事に就かれたという。

職場で出会ったご主人は、大量のメモ用紙を持って飲み会に乗り込み、たくさん話しかけてきた人だという。

「手話だと水中でもプロポーズ出来るんですが、残念ながらそれは叶いませんでした」と笑う松森さんは、今、とても幸せそう。

結婚し、現在は中学生の男の子を子育てしながら、聞こえない世界と聞こえる世界をつなぐユニバーサルデザインの提案に力を入れている。

ユニバーサルデザインとは、誰にでも使えるデザインということ。

たとえば、テレビ番組に字幕がついていると、耳の不自由な人が健聴者と一緒に番組を楽しめる。

デジタル放送になったおかげで字幕は入りやすくなった。リモコンの「字幕」ボタンを押せば、手軽に字幕入り放送を楽しめる。

でも、問題なのは、字幕の位置。

PKを決めた本田選手のインタビュー。
字幕が目張りのように顔を横切ってしまっている。
「字幕もど真ん中」
松森さんの鋭いツッコミが笑いを誘った。

見る人のことに、ほんの少し想像力を働かせれば、この位置でいいのか、どこに動かせばいいのか、検証することができるのだけれど。

字幕に限らず、善かれと思ってやったことが中途半端になってしまうのは、もったいない。

それで思い出したのは、映画『子ぎつねヘレン』のこと。

初日動員数も評判も上々で映画が封切られて間もなく、耳の聞こえない方にもこの作品を楽しんでもらえるよう字幕をつけようという話が出た。聴覚障害者の方からの要望があったのかもしれない。

早速やろうという動きになり、すぐに字幕版が用意され、公開された。
DVDにも日本語字幕とともに本編の場面を解説する音声ガイドとメニュー画面の操作を補助する音声案内が収録された。

でも、映画が公開されるまで、字幕をつけるということを、わたしも、関係者の誰も思いつかなかった。

『子ぎつねヘレン』は、ヘレン・ケラーのように目も見えない、耳も聞こえない、鳴くこともできない子ぎつねの話。

なのに、耳の不自由な方がこの映画を観るかもしれない、ということに想像が至らなかった。

そもそも「日本語の映画に字幕をつける」という発想がなかった。

外国語で何を言っているのかちんぷんかんぷんな映画を観るとき、わたしたちは字幕に助けられる。

日本語を聞き取れない人たちにとっても、同じこと。

『子ぎつねヘレン』公開から7年。日本語字幕つきの邦画公開は、ふえているだろうか。

松森さんは、映画鑑賞が趣味で、「日本語字幕がついている洋画を観ています」というが、洋画でも邦画でも字幕つきで楽しめることが当たり前になっていくといいなと思う。

話をテレビに戻して。

番組の字幕入れは普及してきたものの、放送全体の18%を占めるCMには、ほとんど字幕がついていない。

松森さんが「CMにも字幕を」と提案をして16年。
ようやくいくつかの企業とテレビ局がトライアル放送に取り組み始めた。

講演では、花王の60秒CMをまず「音声なし」で見せてもらった。

なんとなく、雰囲気は伝わる。
でも、メッセージは伝わらない。

「今のが、聴覚障害者の世界です。まわりの人はみんな口パクなんですね」と松森さん。

続いて、先ほどのCMを「字幕入り」で見てみると、霧が晴れたようにメッセージがはっきりした。

「音声なし」CMを体験してから比較すると、字幕があるかないかでは大違いなのだと実感することができた。

字幕つきCMも、番組と同じようにリモコンで「字幕」を選択すると字幕が表示される。

この字幕を考えるのは、コピーライターの仕事だろうか。その分仕事はふえるし、時間はかかる。納期に終われる広告制作者にとっては字幕なしのほうがありがたいかもしれない。

だけど、字幕をつければ、より多くの人にメッセージを届けられる。

それぞれの企業が、そして広告代理店や制作会社が、少しずつ予算と時間を差し出して、字幕つきCMをふやしていけないだろうか。

現在2社だけというのは何とも淋しい。
最近まで放送していて、やめてしまった企業もあったという。

現在トライアル放送中の花王とライオンも、続けるかどうかは視聴者の反響次第。

「ぜひ見ていただき、一言で良いのでメッセージを送ってみてください。その一言が必ず多くの企業を動かします」と松森さん。

ぜひ、字幕つきCMを観て、感想を届けてください。

花王
「A-studio」(TBS系列)
金曜日 夜11時〜11時30分
「ぴかぴかマンボ」(テレビ東京)
土曜日 夜9時54分〜10時
「あすなろラボ」(フジテレビ系列全国ネット)
日曜日 夜9時〜10時
>>>花王公式サイト 「字幕CMに関するご意見ご感想」へ

★ ライオン
「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ系列)
月曜〜金曜 昼1時〜1時30分
>>>ライオン公式サイト「お客様相談窓口」へ
 
「不満や怒りを訴えるだけだと愚痴になってしまいます。どうすればいいのか提案をしていけば、必ず社会は変わります」と松森さん。

あ、「なんで?」と「そんで?」で光らせる、だ!

不満も怒りも、良くしていくためのヒントの石ころ。
なんで困るのか? なんで腹立たしいのか?
そんでどうしたら困らなくなるのか? 怒りがおさまるのか?
蹴り飛ばしてしまうのではなく、拾って、提案という形に磨き上げれば、宝石に化けるかもしれない。

そして、聞こえない世界と聞こえる世界をつなぐには、「想像力」を働かせることがとても大切。

面白いクイズを出してもらった。

一人暮らしの女性の部屋の絵。
「この中に、一つだけ足りないものがあります。それは何でしょう?」
と松森さん。

火災報知器?
ドアホン?
明かり?
壁?
家族?

いろんな答えが飛び出し、松森さんが「壁は省略しました」「明かりは描き忘れました」「彼女は一人暮らしなんです」などとユーモアたっぷりに返し、なかなか正解にたどり着かない。

「どこにもあるものです。この教室にもあります。でも、彼女の部屋にはありません」

そう言われて、ますます皆が考え込み、焦れた頃に、正解入りの絵に差し替えられた。

吹き出しのように、あちこちに書き込まれた擬音語。
スイッチを入れる音。換気扇の回る音。ドアの開け閉めの音。掃除機の音……。

答えは「音」だった。

音がないと、機械が動いているのかどうか、わからない。
最近は静かな家電がふえて振動も少なくなったので、ますますわかりにくくなったという。

松森さんは、コンセントが抜けているのに掃除機をかけ続けてしまうことがあるらしい。

音カタログ
のサイトでは、「聞こえない世界」と「聞こえる世界」の違いを「音なしの絵」と「音ありの絵」で見比べられる。

音がなくて「困る」「使いにくい」というときも、松森さんは「こうすれば使える」「こうなれば誰でも使いやすい」と提案に転換する。

音のかわりに「わさびのにおい」で危険を知らせる警報器の開発にも関わられたそう。

また、松森さんも関わったという羽田空港の国際線ターミナルは、「設計段階から障害者や外国人などが意見を出し合い、設計に取り入れた」そうで、ユニバーサルデザインの宝庫とのこと。

子育てのお話も披露された。

ご主人と息子さんの三人家族の中で、聞こえないのは松森さんだけ。
息子さんには赤ちゃんの頃から手話でたくさん話しかけた。

最初に覚えた手話は「いっしょ」だったそう。

「赤ちゃんって一度覚えたら忘れないんですよね」

うちの娘のたまがまだ言葉が拙かった頃にベビーサインの本を読み、「ちょうちょ」「ほん」「たべる」などを使って簡単な会話を試みたことがあった。

ベビーサインが役に立ったのは、たまがカタコトを話すようになるまでのほんの数か月だったけれど、「伝えたい」という気持ちをのせる乗り物があったことで、「伝えあう」喜びを分かち合うことができた。

ベビーサインも手話も外国語も、「伝えたい」「つながりたい」相手がいてこそ出番がある。

松森さんの息子さんは、ママと呼んでも振り向かないことを学ぶと、床をたたいてママを呼ぶようになったという。

同じマンションの人たちが「手話で話したい」と言ってくれて始まった「井戸端手話の会」の話もとても興味深かった。

聞こえない人にとって、井戸端会議で何を言っているのかわからない、加われないのは、不安でもありストレスでもあると思う。じゃあ井戸端会議を手話でやりましょうという発想が楽しい。

「コミュニケーションをあきらめるのではなく、コミュニケーションを楽しめる環境を作っていけばいい」と松森さん。

迷惑、と思うのか?
協力、と思うのか?
当然、と思うのか?

同じことでも、受け止め方は、人それぞれ。
楽しい、とお互いが思える関係を作れると、いいなと思う。

生活で不便を感じるのは「障害のせい」なのか「聞こえない自分が悪い」のか。

「健康で元気な普通の人を基準に町づくりがされてきた」からではないでしょうかと松森さん。

「でも、普通って何でしょう?」

松森さんにとっては「聞こえないのが普通」。
そして「聞こえる耳を持っていても、話を聞かない人っていますよね」と笑う。

たしかに、何不自由なく生活できることが「普通」だとしても、それがずっと「その人の普通」であるとは言い切れない。

少なくとも、赤ちゃんのうちは、一人で電車に乗ることも買い物することもできない。

子どもを持った親は、少なからず「バリア」を体験する。
今まで当たり前にできていたことが、こんなに大変で、こんなに人に迷惑をかけてしまうことなのかと。
ときには心ない言葉をかけられ、外出するのが怖くなったりする。

年を取ってからも、同じことが起こるのかもしれない。
レジでまごついてしまうお年寄りを待てない人だって、それがいつか自分の普通になるかもしれない。

「どんな普通にも対応できる」こと。
それがユニバーサルデザインなのかなと思う。

「普通」は、人それぞれ。
その、「それぞれの普通」に想像力を働かせられるユニバーサルな人でありたい、と思った。

ユーモアあふれる松森果林さんのブログはこちら。
>>>松森果林UD劇場〜聞こえない世界に移住して〜

2010年07月04日(日)  宝石箱とピンク・レディーとキットカット
2009年07月04日(土)  整骨院のウキちゃん8 ノオッ!プリーズ!サンキュー!編
2008年07月04日(金)  マタニティオレンジ308 パパのせつない片想い
2007年07月04日(水)  肉じゃがと「お〜いお茶」とヘップバーン
2006年07月04日(火)  2年ぶりのお財布交代
2005年07月04日(月)  今井雅之さんの『The Winds of God〜零のかなたへ〜』
2003年07月04日(金)  ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」
2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日
2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2013年07月03日(水)  おくりものをおくりあうこと。(金蘭千里中学校講演・後編)

先週の実践女子大学では質問がなかなか出なくて長い沈黙があったけれど、今回は果たして……。

やはり中学生、なのか。
やはり大阪、なのか。

次々と手が挙がり、質問が途切れることなく30分。

「こんなん聞いてええんやろか」のハードルを飛び越えて、ギャラの質問まで飛び出した。その質問のおかげで、さらに聞きやすくなったようで、素朴な疑問をたくさん投げかけてもらえた。

帰りの新幹線からツイッターにせっせと書き込み、自前ハードディスクから自然消滅する前に外付けハードディスクにお引越。「脳みその出張所」を持ちましょうと今回の講演でもお話ししたところ。

順番はうろ覚えだし、漏れもあるかもしれないけれど、書き留めた質疑応答は以下の11問。

Q1.書けなくなるときはありますか? そういうときはどうしますか?
A1.スランプはあまりないですが、ネタに詰まったときはパソコンの前で唸っていてもしょうがないので、お皿を洗ったり子どもの相手をしたり、他のことをして気分転換します。その間も脚本のことを頭の片隅に留めて心の傘を開いておくと、ふとしたときにひらめきます。
勉強もそうで、気分が乗らないときはいったん離れたほうが集中できると思います。

Q2.脚本は何日ぐらいで書きますか?


A2.90分の脚本を2日で書いたことがあるのが最速です。速さは大事だけど、速ければいいってものでもなくて、粗いと直しに時間がかかって、結局遠回りになります。29文字×26行を一時間で10枚書くこともあれば1枚のことも。考えがまとまっていると速いし、悩むと止まります。映画だと2時間分の脚本を書くのに一か月ほどもらえて、急がなくていいからじっくりいいもの書いてと言われたりします。

Q3.『子ぎつねヘレン』のとき、いくらもらいましたか。

A3.駆け出しでしたが結構な原稿料でした(講演では具体的な数字を披露)。こんなにもらえるのと驚きましたが、かなり時間がかかってるので、これぐらいもらわないと大変ですね。子ぎつねヘレンは、原稿料以上に著作権の二次使用料が大きかったです。地上波で放送されるだけで30万など。DVDを買ったり借りたりしたときの著作権使用料もとても大きいので、最近は違法にアップロードされたものを観れたりもしますが、ちゃんとレンタルして観てくださいね。

Q4.学校で配られたプロフィールにCMソングってあるけど、どんなのを作ったんですか?


A4.冷凍食品は-18度以下で冷凍をという冷凍マイナス18号ソングをYouTubeで見られます。「魚・魚・魚」の歌みたいにいつかブレイクするかもしれないので、どんどん見て話題にしてあげてください。他にやきいもやトマトやちらし寿司の歌も。

Q5.締め切り前なのにアイデアが思いつかなくて進まないときはどうしますか?

A5.頭の片隅に留めておくと、締め切り前のぎりぎりにアイデアが思いつくこともあります。札幌のNHKの脚本コンクールに出す作品を書いたときは、締め切り1週間前に「発症後の記憶の蓄積ができなくなる記憶障害」というのがある、と会社の隣の席の人が読んでいた雑誌で知って、それで書き始めたんですが、北海道とつながらなくてどうしようと思ってた。そしたら、会社に出勤する途中の階段で「雪=記憶だ!」ってひらめいたんです。はかなく溶ける雪と記憶と重ねて、でも、雪をぎゅっと固めて雪だるまにしたら溶けにくくなる。そこから「雪だるまの詩」という作品が生まれました。
最良の案が思いつかないときも、そこで立ち止まらず、代わりの案で先へ進んで、演出やプロデューサーともっといい案を考えます。たまにホームランを打つのではなく安定して打てるのがプロかなと思います。


Q6.日記を書くのと脚本を書くのとどっちが楽しいですか?

A6.映画やドラマになったほうが反響は大きいけれど、日記のファンというのも結構います。20年以上音信不通だった友人が、実はずっとわたしの日記を読んでいて、先日講演を聴きに来てくれました。書いてて良かったって思いましたね。また、日記を読んで、「この人に脚本の仕事を頼んでみよう」とプロデューサーなどが声をかけてくれることも。長い自己紹介みたいな感じですね。

Q7.脚本家になろうっていつから決めてたんですか?

A7.小学生からお楽しみ会といって学芸会の脚本を書いて自作自演したりしていました。でも、脚本家という職業があるのは知りませんでした。夢は小さい頃からコロコロ変わって、教師になる夢もあって教育実習にも行きました。担当したクラスが文化祭でやる劇が偶然わたしが高校時代にやったのと同じ「オズの魔法使い」だったので、演出と振付けを買って出て、朝練昼練放課後練習に燃え、本番では生徒より感激して号泣し、担当教官から「教師がいちばん楽しんでどうするんですか」と教師には向いていないと言われ、コピーライターを経て脚本家に。好きなことを続けてたら仕事になったわけですが、今こうして学校でお話しさせてもらってるし、教師の夢もかなっています。

Q8.出演者に会う機会はありますか?

A8.ロケに行くと沢山話せます。脚本のことで質問されることも。脚本を書き終えたら差し入れ持って行くぐらいしか仕事がないので、差し入れを届けがてら撮影にお邪魔します。

Q9.小説を書いたりはしないんですか。

A9.書いたりしてますが、本はなかなか売れなくて。でも原作者になって自分の原作が映像になると楽しいので、出版社に売り込む漫画の原作を今書いているところです。

Q10.どういうときにアイデアを思いつきますか。

A10.歩いていたり電車に乗っていたりするとき。劇作家も沢山歩くそうです。頭の片隅で考え続けながら歩いてると、ひらめくことが多いです。机の前でひらめくことはあまりなくて、パソコン打つのはまとめているときです。

Q11.映像を観て、脚本と違ってると思うことはありますか。
A11.あります。すごくいいシーンに化けることもあるし、逆に、こんな感情むきだしのつもりじゃなかったのにと違和感を覚えることも。原作者の方も脚本を読んで、同じようなことを感じるのかもしれません。自分の想い描いたイメージと出来上がった映像が違うときは、脚本の指示がうまく伝わらなくてイメージを共有できなかったんだなと反省します。

ギャラの話を聞かれたことで著作権使用料の話ができ、脚本家にいつからなろうと思っていたかと聞かれて教育実習のエピソードを紹介できた。「冷凍マイナス18号の歌」も、「雪だるまの詩」も、質問が石ころ棚の奥から引っ張り出してくれた。

講演は、「おくりもの」のつもりで、相手の心に届くようにと願いを込めて話しているのだけれど、講演のたびに、わたしもたくさんの「おくりもの」をもらっている。

自分の中に眠っている宝物に気づかせてもらえて。
それを誰かの手で磨き直してもらえて。

今日のように質問がたくさん出たり、熱い感想を伝えられたりすると、自分が贈った以上の「おくりもの」を受け取ったような気持ちになる。



映画『子ぎつねヘレン』から生まれた絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』のサイン本に添えるメッセージ「生きることは、おくりものをおくりあうこと」のように、講師も教えられて、成長させてもらえる。

講演は、おくりものをおくりあうこと。

2012年07月03日(火)  でんでん虫のでんこちゃん
2010年07月03日(土)  子どもが時を刻んでいる
2009年07月03日(金)  なぜかショップ99で話しかけられる
2008年07月03日(木)  マタニティオレンジ307 シール貼り放題!段ボールハウス 
2007年07月03日(火)  マタニティオレンジ140 七夕に願うこと
2005年07月03日(日)  親子2代でご近所仲間の会
2000年07月03日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2013年07月02日(火)  金持ちより、人持ち。(金蘭千里中学校講演・前編)

大阪・金蘭千里中学校にて、3年生に向けた「進路講演会」でお話しさせていただく。前回講演した中学2年生は、今高校3年生。
>>>2009年11月16日(月) 金蘭千里中学校講演「宝物はあなたの中にある!」

3年半ぶりの、ただいま!

校長室には、前回講演したときに書いた色紙が。

「宝ものはあなたの中にある。それを宝の山にするのも宝の持ちぐされにするのもあなた次第」と小説『ブレーン・ストーミング・ティーン』の一節をしたためたもの。脚本協力した朝ドラ「つばさ」総集編と脚本を書いた「つばさ」スピンオフの告知葉書とともにラップをかけて大事に保存してくださっていた。



その左隣にある絵本『わにのだんす』は、講演の後、辻本賢校長に受け取っていただいた。

お茶目でお話好きな辻本校長は3年半のブランクを感じさせない気さくさで迎えてくださり、相変わらず楽しそうにうれしそうに金蘭の生徒や卒業生の自慢をされるのだった。色々と気を遣うことの連続ではと察するのだけれど、実に飄々としている。学校と生徒たちを面白がる力が人一倍すぐれているのだろう。


『わにのだんす』に添えたメッセージは、おなじみの「金持ちより人持ち」。

講演では、とくに、そのことを感じる。

もちろん謝礼を頂戴し、交通費まで出していただけるのだけど、何のために講演に行くかといえば、お金を受け取るためではなく、人に会いに行くため。わたしが脚本の仕事を通して発見したこと感じたことを分かち合い、その石ころを受け取った人たちが面白がって転がして光らせてくれるのが何よりうれしい。

今回の講演では、たくさんの質問が石ころを磨いてくれた。
忘れないうちにと帰りの新幹線からツイッターに書き込んだ質疑応答は、かなりの分量があるので、明日の日記に送ることにする。

前回と今回の大きな違いはfacebookの登場。3年半の間に、わたしも金蘭千里中学校もfacebookを始めていた。
>>>金蘭千里高等学校・中学校(公式)facebookページ

講演が終わって校長室に戻ると、パソコンをのぞきこんだ辻本校長が「もううちのfacebookに上がってますわー」。またたく間にレポートがアップされ、すでに「いいね」が2つついていた。そのスピードもさることながら短時間でまとめたレポートの的確さに驚いたら、国語科の先生が書かれたとのことで納得。

2012年07月02日(月)  「ありがとう」と「ごめんね」と「だいすき」
2010年07月02日(金)  「千回おめでとう」の千賀と再会
2009年07月02日(木)  「胸が痛む」のではなく「おっぱいが泣く」という感覚
2008年07月02日(水)  マタニティオレンジ306 雨の日も風邪の日もビデオ三昧
2007年07月02日(月)  マタニティオレンジ139 マジシャン・タマチョス
2006年07月02日(日)  メイク・ア・ウィッシュの大野さん
2005年07月02日(土)  今日はハートを飾る日
2004年07月02日(金)  劇団←女主人から最も離れて座る公演『Kyo-Iku?』


2013年07月01日(月)  「はとぶえ」と「堺かるた」は宝物(広報さかいインタビュー)



堺市の「広報さかい」7月号の堺親善大使連載インタビュー「好きです堺」に今井雅子が登場。

5月の東京さかい交流会の折に取材を受けたもので、このとき堺市広報課の方が、かなり厚みのある「脚本家・今井雅子日記」のプリントアウトを持って来られたのが印象的だった。

プリントアウトには蛍光マーカーがびっしり引いてあり、そこまでわたしの人生を読み込んで取材に臨んでくださったのかと驚き、感激した。おかげで、とても気持ちよく話を引き出していただけた。

取材対象への興味と敬意を抱くこと。それが基本。それが大事。脚本執筆の取材においても、PTA新聞の取材においても。その興味と敬意が相手に伝われば、取材する側にも返ってくる。

取材は「なんで?」と「そんで?」の連続。質問に答えることで、記憶の森に埋もれていた石ころが掘り起こされ、頭のあちこちに散らばっていたカケラがまとまり、彫刻され、輝きだす。

今回の取材では、堺で過ごした子ども時代の話を中心に聞いていただいたので、「体を使って遊びを作り出していた経験が今につながっている」「はとぶえと堺かるたは堺の宝で、わたしが物を書く原点」と自分の中にある宝の山にあらためて気づくことができた。

「はとぶえ」は、堺市の小学校の子どもたちから詩や作文や習字や図画を募って採用掲載する児童文化誌。昭和26年(1951年)に「児童詩集」として創刊されたのが始まりだそうで、すでに62年の歴史があり、今も続いている。「はとぶえに載る」ということは、自分の書いたものが認められたということ。その誇らしさが、書き続ける自信をくれる。

「堺かるた」は堺市の歴史や名所をうたいあげたもので、格調高い名調子は何十年経っても忘れない。(こちらで札の紹介も)

この二つを始められた別所八十次先生が、わたしが高倉台小学校に在籍していたときの校長先生だった。他の小学校以上に、はとぶえと堺かるたに力を入れられていた環境で、わたしの「言葉」への興味は磨かれていたことになる。

PDF版はこちら

広報誌に納まり切らなかったエピソードも読めるHTML版はこちら。中学校時代のソフトボール部の話題も。

2011年07月01日(金)  ウーマンリブ公演『サッド・ソング・フォー・アグリー・ドーター』
2010年07月01日(木)  7月になつちまつた
2009年07月01日(水)  2才10か月で「夏の扉」を開ける
2008年07月01日(火)  マタニティオレンジ305 トイレトレーニングは「まだ!」
2007年07月01日(日)  マタニティオレンジ138 いつの間にか立ってました
2005年07月01日(金)  ハートがいっぱいの送別会
2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ
1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの


2013年06月30日(日)  青空ごはんがおいしい理由



公園のテーブルで、ピクニック。

青空の下で食べると、どうしてこんなにおいしいの?

空気がおいしいから?

風が気持ちいいから?

細胞が喜んで、お箸が進むのかも。

もちろん、お酒も進みます。

おしゃべりも、弾みます。

一人一人のお弁当を広げるのも楽しいけれど、

大皿をつつき合うのは、もっと楽しい。

子どもたちは、さっさと席を立って、なわとび。

二重跳び、できるかな。

ほろ酔いの大人が我も我もと競い合って、目を回して。

そして、また、おなかが空きます。

2010年06月30日(水)  外装工事が終わり、一年の半分が終わる。
2009年06月30日(火)  『1Q84』の話題からエリックさんにたどり着く
2008年06月30日(月)  『蘇る玉虫厨子』洞爺湖サミットへ!
2006年06月30日(金)  中国語版『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』
2002年06月30日(日)  FM COCOLOで『パコダテ人』宣伝
2001年06月30日(土)  2001年6月のおきらくレシピ
2000年06月30日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2013年06月29日(土)  楽しむ余裕を残しておく

やってしまった。

育成室(学童保育)のキャンプ係の連絡を早く書き込まなきゃ、と夕食の支度と並行してキッチンでパソコンを打っていた。

食事が出来てもメールが書き上がらず、「先に食べてて」とたまとダンナを促し、なおもパソコンに向かっていると、

「ままがおわるまで、まってる」と、たま。

「もうちょっとかかるし、冷めちゃうから食べてて」とわたし。

焦っているし集中できていないしで打ち間違え、また苛立ちが募る。

こういうときは、一旦切り上げて、ささっと食べて、続きを打ったほうが早い。
……と、頭ではわかってるのだけど「あと少し」とずるずる引っ張ってしまう。

キャンプ係の皆さんをお待たせしちゃ悪いから、急がないと。
でも、そうなると家族を待たせてしまうという、ジレンマ。

わかってる。
晩ご飯を後回しにするより、連絡を後回しにするほうが正しいってこと。
でも、あと少し、もうここまで書けたんだから……。

「ねえ、まま、たべないの?」
と催促を繰り返していたたまが、
「もう、まま、いつまでやってるんだろね?」
とあきれてパパに同意を求め、
「ほんとだねー」
とパパ(ダンナ)がうなずいたところで、プチン!と何かが弾けた。

「しょうがないでしょ! たまのためにやってるんだから!遊んでるんじゃないんだから! 二人して責めないでよ!」
うわーっと吐き出しながら、別に責めてないじゃないかと頭の隅では思い、何やってんだわたし、と早くも反省と自己嫌悪が始まっていた。

うえーんとたまが泣き出し、わたしにブレーキをかけてくれた。
「ごめんね。たまはちっとも悪くない。ママがあせっていっぱいいっぱいになっちゃっただけ」と謝って、抱きしめて、一緒に泣いた。

「ままがしんぱいだったから」としゃくり上げる、たま。
「ままがたべないとたおれちゃうとおもったから」
ありがとう、やさしいね。うれしいよ。
やっぱり、ごはんが先だね。
パソコンの蓋を閉じ、「ようし、食べよう食べよう」。

家族との食事を後回しにしてでも早く連絡メールを回してくれなんて頼まれてない。
わたしがカッコつけて、頑張っちゃっただけ。

小学校のPTAにしたって育成室の父母会にしたって、子どものためにやってるなんて、子どもは知ったこっちゃない。そんな時間があったら、子どもは相手をして欲しい遊んで欲しい。

この手の活動は、「やってあげてる」「やらされてる」と感じた途端、重荷になる。
だから「好きでやってる」「楽しんでやってる」と思ったほうが、ラク。
そのつもりでやっていたつもりだけど、いつの間にか色んな皺寄せを背負い込んで、シーソーが傾いて、受け身になっていたらしい。

張り詰めてたものが「キレる」瞬間を感じてが、はっきりとわかった。
いろいろ溜めてたんだなって。

でも、それを子どもにぶつけるなんて最低だ。

去年の夏から秋、文京区が突然育成室の保育料を大幅に値上げするというので、納得のいく説明と利用者との対話を求めるキャンペーンを立ち上げたことがあった。
このときも、メールを打つのに没頭して、何度もたまを淋しがらせた。
「まま、ぱそこんじゃなくて、たまちゃんをみて!」
と訴えられて、猛省した。
わたしは一体何のためにこんなことをしているんだろう。
目の前のわが子ひとり幸せにできないで、何がキャンペーンだ、と。

その頃やりとりしていた区議さんに、
「こういう運動は、楽しむ余裕を残しておくことが大切なんですよ」と言われた。
本当にそうだな、と思う。
「好きでやってる」「楽しんでやってる」と思える余裕がなくなったときは、少し休んだほうがいい。そうじゃないと息切れしてしまう。

サービス精神も、責任感も、大事。
でも、いちばん大事なものを見失わないように。

たまから笑顔が消えていたら、わたしからも笑顔が消えている証拠。
楽しむ余裕を残して、ほどほどに、ぼちぼちと。

2011年06月29日(水)  「てっぱん」と堺泉北のご縁のエンブックスさん
2010年06月29日(火)  6月に食べたsweetなもの
2009年06月29日(月)  涙は世界でいちばん小さな海
2008年06月29日(日)  マタニティオレンジ304 「たらちねの母」と「たらちねの女」
2007年06月29日(金)  マタニティオレンジ137 おっぱいより朝ごはん
2002年06月29日(土)  パコダテ人大阪初日
2000年06月29日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2013年06月28日(金)  朝ドラ×村岡花子=花子とアン

『赤毛のアン』を日本語に翻訳した村岡花子さんの半生が、朝ドラに!

わたしはまったく関係ないのだけど、朝ドラファンとして、村岡花子訳『赤毛のアン』のファンとして、このマリアージュに喝采!

村岡花子さんは、ラジオともとても縁の深い方。『コドモの新聞』という戦前〜戦中のとてもチャーミングなラジオ番組に出演し、親しまれていた。FMシアター『昭和八十年のラヂオ少年』を書くときに日本のラジオ史を調べていて、こんな素敵な女性がいたんだ、と印象に残った。

半年かけて、もっと深く知ることができるのが楽しみ。しかも、脚本は中園ミホさん。主演は吉高由里子さん。「てっぱん」でヒロインあかりが父・橘公一と対面する第21週「ひまわり」を演出された橋爪紳一朗さんも参加されている模様。

朝ドラは「ん」で終わる作品が多く(「てっぱん」しかり)、「あまちゃん」「ごちそうさん」「花子とアン」と「ん終わり」が続く。3連続は「ハイカラさん」(1982年前期)「よーいドン」(1982年後期)「おしん」(1983年)以来。

2010年06月28日(月)  とりあえず今日のツイッター
2009年06月28日(日)  朝ドラ「つばさ」第14週は「女三代娘の初恋」
2008年06月28日(土)  読んで満腹『おとなの味』(平松洋子)
2006年06月28日(水)  ロナウジーニョとロナウドは別人?
2002年06月28日(金)  シンデレラが出会った魔女の靴


2013年06月27日(木)  「そこをなんとか」DVD&ブルーレイ発売

昨年秋に放送されたNHK BSプレミアムドラマ「そこをなんとか」(脚本:今井雅子・横田理恵)がDVDとブルーレイに!



新入りが加わったので、恒例の作品棚更新を。


作品がブルーレイになったのは初めてで、これはうれしい。

「てっぱん」ファンの方が「初音さんの料理の繊細さはブルーレイで見ないと再現できません!」と力説されていたけれど、それほどDVDとブルーレイに差が出るのか。そこなんのシェアハウスの多国籍料理で検証してみよう。

2012年06月27日(水)  豚まんクーラーはないけれど
2010年06月27日(日)  子守話115「デニズとデニーズズ」
2008年06月27日(金)  マタニティオレンジ303 幻の一発芸、体文字の「TAMA」
2007年06月27日(水)  中国経絡気功整体の大先生
2002年06月27日(木)  泉北コミュニティ


2013年06月26日(水)  沈黙のち行列(実践女子大学講演・後編)



円(縁)を太らせたベーグルで腹ごしらえをして、実践女子大へ。

講演という石ころは、聴いてくれる人たちが磨いて、光らせてくれる。
だから、質疑応答の時間が何よりの楽しみ。
わたしの石ころに感想や質問の石ころがぶつかって、わたしの頭の奥のほうや記憶の深いところを引っ掻いてくれる。

が、今日は質問が出ない。

これまでの講演では、出足が鈍くても、促すと、誰かが手を挙げた。
しかし、今日は出ない。

「なんで?」と「そんで?」の連想ゲームで石ころ(ネタ)に磨きをかけて光らせる脚本作りの過程で「伝力=伝える力」も鍛えられる。どうやったらもっと面白くなるか、もっと楽しんでもらえるかと想像力を働かせることは、同時に、受け手の気持ちに想いを馳せることでもあるから……。

そんな話をあちこちの講演でしているのだけど、そう言う今井雅子本人の発伝量が足りなかったか。



最後に行った講演、4月の故郷・大阪堺市の図書館では、質問が引きも切らなかった。大阪と東京、怖いもの知らずの世代とまわりの目が気になる世代の違いはあるかもしれないけれど……。

4月の図書館講演と今回の大学講演の決定的な違いは、「自分から進んで聴きに来ているかどうか」。

貴重な休日の午後、わざわざ家から出かけて、人によっては電車を乗り継いで人の話を聴きに行こうというのは、よっぽどのこと。移動に時間とお金をかけた分だけ、しっかり元取って聴いてやろうという気持ちもわく。

だから、姿勢は自然と前のめりになり、よくうなずき、よく笑い、よく質問する。

一方、授業や講義の一環としての講演は、単位になるから聴いておくというのが第一の動機で、誰がどんな講演をするのかへの関心はさほど高くない。

そういう相手に話をするときこそ、「伝力」が試される機会。
だから、
座席の背たれにつけた背が浮いて、前のめりになるように。
どこか遠くを見て、別なことを考えてた目が、こちらを向いてくれるように。
閉じていた心の傘が開いてくれるように。
……という気持ちで話した、のだけれど。

壇上で待つ、ほんの数分は、その何倍もの長さに感じられた。

すると一般聴講の男性の手が挙がった。共同脚本について立て続けに突っ込んだ質問をされた。同業者なのか、業界通なのか、とにかく質問が出るのはありがたい。後が続きやすくなる。

続いて先生から「これから将来を決める学生たちに一言」。そして、満を持して学生から手が挙がり、「脚本だと色んな人に口出しされて好きなものが書けなくて大変では?」と質問があった。

この学生さんに、ボーナス得点を!

学生の頃のわたしには、人前で手を挙げて発言するなどという勇気はなかったから、こういう場で質問できる人に敬意を表してしまう。

一人では思いつかないことをチームで思いつける、一人だと石ころのままのネタをみんなのアイデアを持ち寄って光らせることができるから脚本作りは楽しい。連想ゲームには人のアイデアを取り入れる柔軟さと、自分のやりたいことを貫く頑固さの両方がと最後の質問に答えて、ちょうど終業の時間となった。

大半の学生さんが次の講義へ移動してしまった後、何か一言伝えよう、と残った学生さんが列を作ってくれた。

一対一で話してみると「面白かったです!」と瞳が輝いた。

もともと書くことが好きで、標語や小説を書いていたこともあるけど今は遠ざかっていて、でも今日の講演を聴いて、また書いてみたくなりました。そんなことを言ってくれた学生さんたちは、いいこと見つけた!というような明るい顔をしていた。

長い沈黙の後の長い列は、「十人いれば十通り、百人いれば百通りの感想の伝え方」があることを教えてくれた。

大阪に比べると、うなずきも笑い声も控えめで、壇上からは「節伝モード」に見えたのだけど、一人一人の胸の内では、それぞれの形で伝力が蓄伝されていたらしい。

「すみません、うまくまとまらなくて」と恐縮し、一語ずつ噛み締めるように感想を伝えてくれた一年生。

「父の花、咲く春を観たくなったので、リクエストを出します」と言ったもう一人の一年生は、「大学に入ったばかりなんですけど、卒業後の進路を今から決めといたほうがいいんでしょうか」と人生相談もしてくれた。

こうなりたいという未来に向かって進むのもいいけど、無我夢中で走っているうちにやりたいことが見つかることもある。

今なら、何にでもなれる。何だってできる。
やり直す時間も体力も、まだまだある。
若いって、すばらしい。
きらきらと目を輝かせる、わたしより半分ぐらいの年の女の子たちを見て、そう思った。

年を重ねた分だけ、世界は広がり、人生は豊かになるけれど、若さにはかなわない。わたしが彼女ぐらいの年だった頃「君たちはいいね」とまぶしそうに目を細めていた人生の大先輩たちも、こんな気持ちだったのかもしれない。

若い人たちのきらきらを吸収して、心のツヤとハリを持ち続けたい。
そんなことを思うような年になったんだなあと、ちょっとしみじみした。

一般聴講の方ともお話できた。
図書館でチラシを見たという女性は、声をかけたお友達の女性と聴きに来てくれ、熱く感想を語り、二人して握手を求めてくれた。
そのお友達は番組制作と出版に関わるお仕事をされていて、チームで意見を出し合って石ころを宝石にしていく面白さと大変さを日々実感しているので、身につまされて聴いてくださったそう。

20数年音信不通だった友人は、前触れもなく現れ、驚かせてくれた。
連絡先も知らなかったのだけど、向こうはわたしの日記をずっと読んでいて、講演があることを知って駆けつけてくれた。
つながってなかったと思ったら、実はつながっていたことに、びっくりして、うれしかった。
久しぶりだったせいか、舞い上がったせいか、お互い大阪弁じゃなくて標準語で、なんか変だったね、と後で気づいた。

そして、質疑応答で口火を切った質問者は『築城せよ!』の古波津陽監督だったとわかった。

会うのは三度目だけどじっくり話したのは初めて。講演に呼んでくださった国文科の先生方との飲み会にも飛び入り参加し、愛知工業大学の創立50周年事業で『築城せよ!』を作ったときのエピソードを聞かせてくれた。

今井雅子脚本をデビュー前から読んでいるご意見番のアサミちゃんは、いつの間にかいなくなっていて、「知ってる作品ばっかりで懐かしかった」と後からメールがあった。

こうして、また皆さんに石ころを磨いてもらい、来週は大阪の私立金蘭千里中学校にて講演。

2012年06月26日(火)  地上350メートル
2011年06月26日(日)  サンリオピューロランドを「たまセンター」と呼ぶ
2010年06月26日(土)  JAGDA新人作家展とキャンドル展とことりっぷ
2009年06月26日(金)  江ノ島の大道芸人「のぢぞう」さん
2008年06月26日(木)  知らなかった、大坂夏の陣『戦国のゲルニカ』 
2007年06月26日(火)  マタニティオレンジ136 サロン井戸端
2004年06月26日(土)  映画『マチコのかたち』

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