2009年10月01日(木)  ツジモトはチュバサを見ましたかの会

テヘラン勤務が決まった大学時代の友人ウヅカ君の送別会を先月やったが、まだビザが下りないというので、今日もごはんを食べに来る?と誘う。ウヅカ君のペルシャ語の先生であるセピー君と、前々からセピー君に引き合わせたかったご近所仲間のT氏も加わった。

メニューは根菜のごまドレッシングサラダや豚肉のしょうが焼き、生揚げといったいつもの晩ご飯。一昨年、近所の公園で拾った梅をうちにあるいろんなお酒で漬けたものをおっかなびっくり飲んでみたら、これが好評で、とくにラム酒漬けは、いい店で飲むような味わい。コピーライター時代にラベルのコピーを書いたBACARDI GOLDで漬けたもので、それに比べると、生協のホワイトリカーで漬けたものはアルコールが主張しすぎている。梅は野生でもおいしく漬かるが、お酒はいいものを選ぶべしと教訓を得る。

今日はいない共通の友人ツジモトさんが話題では主役となった。先日の送別会の後、セピー君が作ったペルシャ語テキストの中に「チュバサ」と発音する単語を見つけたウヅカ君は辞書を引いたが、それらしい単語が見当たらない。日本語の「つばさ」を固有名詞なのでそのままペルシャ語表記したものだと後でわかった。「ツジモトはチュバサを見ましたか」という疑問形、「ツジモトはチュバサを見なくてはならない」という強制形(というのだっけ?)、「もしツジモトがチュバサを見たら、何と言うだろうか」という仮定形などを学べたという。「で、観たんでしょうかね、辻本さん? こないだはぜひ観ますって言ってましたけど」とわたしが言うと、「観てないでしょうね」とセピー君は断言。

予想通りセピー君とT氏は意気投合し、二度目のT氏とウヅカ君はイランの鉄道事情について話していた。

2008年10月01日(水)  行列のできる脚本家
2006年10月01日(日)  マタニティオレンジ12 お宮参りイベント
2004年10月01日(金)  「Licensing Asia2004」にCook81(クック81)登場
2002年10月01日(火)  Mr.少林サッカーからのプレゼント
2000年10月01日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2009年09月30日(水)  「ウェルかめ」がはじまり、ひかりTVを終える。

「つばさ」が終わり、次の朝ドラ「ウェルかめ」がはじまった。いつも朝ドラが入れ替わってしばらくは、食べ慣れた朝食のメニューが変わったような違和感があり、慣れるまでに時間がかかる。今回は味つけも盛りつけも極端な違いがあるし、「つばさ」の消費量が半端ではなかったので、いつも以上に適応期間が必要になりそう。

「だんだん」が終わって「つばさ」が始まったとき、「だんだんは?」と戸惑っていた娘のたまは、昨日、一昨日と「ちゅばさは?」と淋しがったが、今日は「わっかめ みるうー」とノリノリ。「わっかめじゃないよ。ウェルかめだよ」と訂正しつつ、似てるかもと思ったりする。「そっかあ。わかめは こんぶかあ}とたま。亀もわかめも海のものだと気づく。

ひかりTVの無料お試し期間2か月が今日で終わるので、解約の電話をする。熱烈な電話勧誘を受けて申し込んだもののなかなか接続できずにいて、結局ほとんど観る機会はなかったけれど、ちょうど仕事の資料で観なきゃいけない映画がかかっていたときは便利だった。それでも月々の契約料の元を取れるほどは観ないし、間取りの都合でモデムから伸びるケーブルが部屋を縦断してしまうのも煩わしく、利用を継続しなかった。いちばん多く再生したのは「ハム太郎」のアニメビデオで、たまの食いつきはすごかった。大人はひとつの回を観ると次の回を観ようとするが、3歳児はひとつの回を観ると、もう一度頭から同じ回を観ようとするので、延々と第一話を観続けた。

2008年09月30日(火)  脊髄を洗って乾燥してキレイになる
2006年09月30日(土)  本と遊ぶ「おそろい展 ミヤケマイ」
2003年09月30日(火)  BG SHOPでお買い物


2009年09月29日(火)  『ディア・ドクター』(西川美和原作・脚本・監督)

6月27日[土]公開の『ディア・ドクター』をついに観る。有楽町イトシアにあるシネカノン有楽町二丁目にて、朝10時からの一回上映。公開3か月で、ロングランを続けている。

画面に映るもの、聞こえてくる言葉や音、すべてに細やかな気配りが行き届き、役者さんの呼吸やディテールの積み重ねがひとつの世界を完成させているのに立ち会えて、見応えがあった。原作・・脚本・監督を西川美和さん一人が手がけていることも世界観の揺るぎなさの理由かもしれない。

『ゆれる』と同じく、企画はエンジンフィルムの安田匡裕会長。『ゆれる』のマスコミ試写をやっていた頃、一緒にお仕事をしかけていて、試写状をいただき、「あ、西川美和監督の」と反応すると、「これ、俺なんだよ」と言われ、「え! 西川美和監督って、安田さんだったんですか!」と早合点してしまったことを思い出す。自分の関わった作品を「これ、俺なんだよ」とか「これ、わたしなんですよ」と言うのはよくあることだし、西川美和監督の美しい顔写真も見ていたはずなのに。わたしのおなかがずいぶん大きくなった頃だったから、あれから3年。一作ごとにじっくりと時間と手間をかけ、鮮やかな存在感と印象を残す。充実した仕事ぶりだなあと惚れ惚れした。

同じ劇場では『子猫の涙』の脚本をお手伝いし、個人的にも親しくさせていただいている森岡利行さん脚本、監督の『女の子ものがたり』を上映中。こちらも評判がいいので、ロングランになりそうだけど、近いうちに観ようと思う。

2008年09月29日(月)  たま大臣にインタビュー「日本をどんな国に?」
2006年09月29日(金)  金太本、ついに出版。
2005年09月29日(木)  レストランJ→カフェ・プラハ→レストラン・キノシタ
2002年09月29日(日)  『パニックルーム』→餃子スタジアム→出社の長い日曜日


2009年09月28日(月)  「瀬戸内国際こども映画祭」を子育て中

7月29日の日記に「瀬戸内国際子ども映画祭」の実行委員会に出席したことを書いたが、あれから2か月、再び実行委員会が開かれた。漢字が多いので「子ども」を「こども」とひらがなにしましょうと合意したので、以後、「瀬戸内国際こども映画祭」と表記する。

参加者は男性3名、女性6名。前回はチーズケーキの差し入れがあったが、今回は、ダクワース、手づくり栗ようかん、ミニたい焼き。女性が多いと、おやつがにぎわう。おやつがあると、話の角も取れて、会議はまあるく進む。

今日の議題は、コンペ部門の実施方法、各専門部会の割り振り、サイトの準備をどのように進めるか、予算を抑えるためにどこにどんな協力をお願いできるか、などなど。やりたいこと、やるべきことが、少しずつ具体的に煮詰まっていく。映画祭を支えるためには、ボランティアの存在が不可欠で、実行委員会も手弁当。参加する一人ひとりが気持ちを会わせ、チカラを会わせないと、志だけが空回りして空中分解してしまう。「ボランティアではなく、サポーターと呼ぼう」と意見が一致した。

映画祭のコンセプトをコピーにする仕事を託されたので、帰ってから、前回思いついた「二十四の瞳、きらり」をキャッチコピーにして、ボディコピーを考えてみた。さ来年夏に産声をあげるこの映画祭は、名前にも「こども」がついているけれど、これから育っていくべき存在で、そのためには、たくさんの「育ての親」が必要だ。そんなストーリーが浮かんだ。


折しも9月下旬から配布中の池袋シネマ振興会のフリーペーパーbuku21号(表紙は『悪夢のエレベーター』監督の堀部圭亮さん)に掲載された「出張いまいまさこカフェ」13杯目のタイトルは、「母と子と映画」。『ぼくとママの黄色い自転車』公開の話とあわせて、こども映画祭のことも紹介していて、「映画祭を産み育てる」という言葉が、ひと月前に原稿を書いたわたしから出ている。

たくさんの人に愛されて、その愛を未来にお返しできるような、「こども」になって欲しいと願い、育ての親の一人として、注げるものを注ぎたいと思う。

2008年09月28日(日)  オレンジの壁のユキちゃんち
2005年09月28日(水)  『Spirit of Wood. Spirit of Metal(平成職人の挑戦)』
2002年09月28日(土)  料理の腕前


2009年09月27日(日)  客に聞こえる声で叱る飲食店

どっか外で食べよっか、どこにしようと候補の店を頭の中で検索して、「あそこのピロシキ食べたいと思ったけど、こないだ感じ悪かったからなあ」とダンナが言った。そのお店のピロシキが抜群においしかったけれど、食事している間じゅうずっと女主人が店員の女性に小言を言い続けていて、せっかくの味を何割か損ねてしまっていた。

店員さんにも落ち度というか、言われる隙はあり、女主人が期待するより動きが遅かったり、やるべきことの順序が前後したりしたのだけど、言われなければ客は気づかないような些細なことで、それをいちいちくどくどとなじる女主人の言葉のほうが、よっぽど不愉快だった。店員さんがビクビクしながら給仕し、食べているこちらまで一緒に叱られている気持ちになり、胃が縮むような居心地の悪さを味わった。店を出るとき、ひとこと苦言を申し立てようかと思ったほどだ。

「もったいないよねえ、あのお店」とダンナと話したが、別なお店での出来事を思い出した。「さっきのお客さん、百円足りなかった」と延々とレジの子を責めているのを聞かされながらランチを食べた店では、「わたしが百円払いますから、百円の話はもうやめてください」と喉まで出かかって、呑み込んだ。ピロシキのお店と同じくこじんまりした家庭的な雰囲気のお店だった。目が届く小さなお店ゆえに店員のアラが目につき、ずっと顔を合わせている息苦しさがはけ口を求めてしまうのかもしれない。客に聞こえてしまわないかと気遣いする余裕すら失われているのは、気の毒でもある。

先日デニーズへ行くと、厨房のそばに通され、隊長のように新米店員を𠮟り続けるボス格店員のよく通る声が丸聞こえだった。デニーズへ行くのは食事よりもネタを味わうことが目的だったりするのと、ボス店員の歯切れのいい言葉が小言ではなく格言調で、これは聞いていて痛快だった。「手ぶらで帰ってこないの! わかる? お皿運んだら、お皿下げてくる! 片道だけが仕事じゃないの!」。その言葉を肝に銘じ、家事に応用すると、あら不思議。探しものが多いせいで無駄に家の中を動き回る毎日なのだが、そのついでに少しずつ部屋が片付く結果となり、デニーズ効果と喜んでいる。

2008年09月27日(土)  生傷が絶えない足
2007年09月27日(木)  1979〜80年「4年2組 今井まさ子」の日記
2005年09月27日(火)  串駒『蔵元を囲む会 十四代・南部美人・東洋美人』
2003年09月27日(土)  ハロルド・ピンターの「料理昇降機(THE DUMB WAITER)」
2002年09月27日(金)  MONSTER FILMS


2009年09月26日(土)  川越「つばさ」展会場で最終回

半年間、これまでにない熱心さで観続けた朝ドラ「つばさ」の最終回。7:45からのBS2、8:15からの総合、9:30からのBS2一週間分再放送を観て、一家で川越で向かう。「つばさ」展を開催中の鏡酒造跡地で、みんなで最終回を観ようという試みがあることを「つばさ」ファン掲示板で知った。

4度目の川越、クレアモールを歩いて鏡山酒造跡地へ。「なんか のみたいよー」を連発するたまをなだめすかし、到着すると、前回飲んでおいしかったグレープフルーツジュースを買う。ごっくんと飲んで、笑顔を見せるたまに「我慢して良かったでしょ」。

「つばさ」展会場に入ると、並べたパイプ椅子を埋めた人々が「つばさ」PR映像に見入っていた。プロデューサーの後藤さんと初めましての奥様を見つけて、ご挨拶。わたしの服をほめていただく。パコダテ人の衣装に使ったアップリケを3900円の古着ワンピースに縫いついたもの。古着な上に7年も着ているから、相当ボロボロだけど、チャーミングな奥様と話が弾むきっかけになった。

12:45から今日4度目の最終回。みんなで見守るテレビの背景には川越キネマと甘玉堂のミニチュアセット。


パイプ椅子に座っていたたまは、落ち着かず、立ち見のわたしの元へ。展示のジオラマと画面のジオラマを見比べて、「おんなじー」。知秋が万里にメロンの新作菓子を差し出す場面では、さざ波のようなくすくす笑い。終わると、大きな拍手が沸き起こった。サプライズゲストとして紹介された後藤さんが地元の皆さんに感謝の挨拶。再び拍手が贈られた。

わたしとダンナは川越ファンミーティングのときに立ち寄ったけれど、そのとき留守番だったたまは初めてで、「これなあに?」と展示物に興味津々。川越キネマの前で記念撮影。「なかにはいりたいよー」が叶わず、指をくわえて、いじけのポーズ。「かわごえきねま」「らじおぽてと」と言えるようになったのはドラマの終盤だった。大きくなっても覚えてくれているかな。

甘玉堂の前で母娘ショット。二人で写ることは珍しいけど、母と娘の物語ですからね。たまは「こちらあまたまどうですー」のポーズ。

撮影小物もいろいろ。これは、小料理屋「こえど」に飾ってあったもの。

斎藤興業にあったブーメラン。グラスの展示もぜひ!

浪岡が音楽にはまるきっかけとなった記念のレコード。7週で登場。

16週で登場した加乃子の売れ残り防災グッズ「防災くん」。


9週で初登場し、その後いろんな人がかぶることになった加乃子手づくりの「あまたま君」「ぽてと君」。たまはマネキンと同じポーズを取っているつもり。

「つばさ」展は10月末まで期間延長。「つばさ」公式サイトも年内まで見られるとのこと。「つばさ」ファン掲示板へも番組や川越の感想、印象をぜひぜひ。

3歳児のたまの体力を考慮し、今日は川越駅と鏡山酒造跡の間で過ごすことに。同じ敷地内の明治蔵で乾物を買い、駅へ向かってクレアモールを引き返す。行きにチラシをもらったインド料理屋でランチ。ナンの大きさにびっくりしたけど、味は予想の範囲内。写真のほうがおいしそうかな。お店の雰囲気は明るく、かわいく、子どもにはオレンジジュースをサービスしてくれた。インド人のやっているカレー屋さんは例外なく子どもにやさしい。壁際がベンチタイプの椅子だったのも助かった。

クレアパークという公園前で、川越の保育園の質の向上を訴える署名をやっていた。「ほいくえん?」と他人事ではないという顔で、たまが立ち止まる。市外住人も署名できるとのことで応じると、最後の一個という風船をくれた。風船を持って、たまは公園の中へ。裸足になり、ズボンを脱いで、水遊び。ここが保育園の園庭だと思ったらしく、「また かわごえで ほいくえん いくぅー」。

ユニクロとGAPで服を買い(この二軒がとても近いのはうれしい)、行きに気になっていた茂蔵という豆腐屋で豆腐ハンバーグ、枝豆豆腐、もちもち豆腐(皮がドーナツ、中身がおからぎょうざのようなもの)を買って帰る。夕食で食べたら、とてもおいしかった。クレアモールはいつも素通りだったので、買い物が楽しい通りだと発見。

2008年09月26日(金)  スーパー家事執行人Mさんの仕事っぷり
2006年09月26日(火)  マタニティオレンジ11 ひるまないプロデューサーズ
2005年09月26日(月)  『東京タワー』(リリー・フランキー)でオカンを想う
2004年09月26日(日)  新木場車両基地 メトロ大集合!撮影会
2003年09月26日(金)  映画の秋
2002年09月26日(木)  ジャンバラヤ
2001年09月26日(水)  パコダテ人ロケ4 キーワード:涙


2009年09月25日(金)  朝ドラ「つばさ」残すところあと一回

いつも朝ドラが終わりに近づくと、最後はどうなっちゃうんだろという楽しみよりも、もうすぐお別れなんだという淋しさが勝る。開発から関わり、放送を一日2回から4回観続けてきた「つばさ」との別れを惜しむ気持ちは、これまでとは比べ物にならず、小豆島のテレビで「ウェルかめ」が特集されていたときも、「つばさ」の終わりばかりが意識されてしまった。

そんなときに、今日の放送。ラジオの男とつばさの別れは、いっそうせつなかった。

感覚としてはあっという間だったけど、半年間お祭りを見られて、楽しかった。いよいよ明日は最終回。ありがとうの気持ちで観たい。

9週以降、週の見どころ紹介に添えるために撮っていた台本と小物の写真。楽しみにしてくれていた人もいたので、まとめてどうぞ。毎回、家の中に転がっているものを週のテーマに合わせて選んで、光を当てた。今週は何を合わせようかと狭いわが家を見渡すと、掘り出し物を発見できて楽し待った。幸せもまた、そんな風に、なにげなくそこにあるけど、あまりにも当たり前の光景になっていて、普段は日常に埋もれているものなのだろう。

第1週「ハタチのおかんとホーローの母」
第2週「甘玉堂よ、永遠に」
第3週「家族の周波数」
第4週「つばさよ、あれが恋の灯だ」
第5週「運命の人」
第6週「父のぬくもり」
第7週「もうひとつの家族」
第8週「親子の忘れもの」





2008年09月25日(木)  ロハス(LOHAS)より愛せるセコ(SECO)
2007年09月25日(火)  すごい本『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』
2003年09月25日(木)  ディズニー・ハロウィーン
2002年09月25日(水)  宮崎・日高屋の「バタどら」
2001年09月25日(火)  『パコダテ人』ロケ3 キーワード:遭遇 


2009年09月23日(水)  旅する、恋する、たま3歳1か月。

4泊5日の小豆島旅行から帰宅し、一夜明けた。荷解きをし、洗濯をし、お礼状(俺以上と変換された!)を書き、家でのんびり過ごす。

おやつは、昨日、香川県三木町渡邊邸でのグループ展「和今感彩」で買い求めた「小豆島ブラウニー」。焼き菓子工房【oyatsu】の木村美智子さんの作品。一日持ち歩いたので、崩れてほろほろになっていたけど、指で固めて食べるのの楽しい。やさしい味を噛み締めながら、小豆島の風景に思いをはせる。

【oyatsu】のページがあるのは、Thingsという小豆島を拠点にした服飾小物ブランドのサイト。このブランドとサイトを運営しているユッコさんという人が、「和今感彩」展のまとめ役だったようで、昨日はいろんな人が「ユッコさん、ユッコさん」と噂していた。いちばん声が大きくて、たくさん動いていたあの女性がその人だったんだろなと振り返る。Thingsの作品を見ると、絵描鬼・柳生忠平さんの妖怪鞄もこのブランドのものかもしれない。

「和今感彩」展でもらった靴入れ用エコバッグは、わたしの仕事椅子のクッションとなじむ色合いであることを、「おんなじ!」とたまが発見。

夕方は「おみやげあるよ」の電話を受けて、ご近所仲間で映画通のT氏が立ち寄ってくれる。お土産は、小豆島・二十四の瞳映画村の無添加佃煮(柔らかくて美味!)と香川・池上製麺所るみばあちゃんのうどんと、思い出話。高峰秀子版『二十四の瞳』のDVDをいただいてきたので、お貸ししましょうかと言うと、「何度も観て、細部まで記憶しております」。次回はぜひ一緒に行きましょうと話す。いつものように、たまが読む絵本を贈ってくださり(今回は『てぶくろ』というウクライナ民話)、どっちがお土産なんだか……と恐縮。

昨日3歳1か月になったたまは、旅行でたくさんの刺激を得た様子。旅行前夜は「あした りょこう」と躍りだし、旅先では「きょうも りょこう」と踊って出会った人たちを和ませ、家に帰ってくると「あした ほいくえん」と踊っている。普段は保育園があるし、休日もわたしが仕事のことが多いので、こんなにべったりと長いこと一緒にいたのは、保育園に入る前以来だったかもしれない。たくさん遊んで、甘えて、いちだんと言葉や表情が豊かになった気がする。「ママ だいすきー」と一日に何度も言ってくれ、一時期のイヤイヤを卒業し、素直さや無邪気さが戻ってきた。

小豆島から持ち帰った芸は、「ちゅうべいこうせん」。指を軽く曲げた掌を向け合って、「ガオー」と光線を送りあう忠平さんと延々とやっていた。アレンジで「大阪名物たこ焼き光線」や「お好み焼き光線」をわたしが仕込むと、それも気に入って、「どやー」と繰り出している。「ちゅうべい また あいたいね。やじゅうさん(柳生さんと言えず、野獣さんになる) また あいたいね。また しょうどしま いこうね。ぼくママ いこうね」。故郷ができたような気持ちなのだろう。大型旅行が、ひと月遅れの誕生日プレゼントになった。

この一か月の大きな変化は、人との交流を積極的に楽しむようになったこと。保育園で同じクラスのリオ君と帰る方向が同じなので、お迎えの時間が同じときに一緒に帰れるのがうれしくてたまらない。リオ君はたまより5キロも大きいけれど、3歳になるのは3か月後で、たまは姉さん女房気取りで靴をはかせてあげたりする。二人で手をつなぎ、ショップ99で仲良し夫婦のようにお買い物。信号を待ちながら「たまちゃん すきー」「リオくん すきー」と大声で言い合っている。一軒家のリオ君の家にはエレベーターがないので、いつもうちのマンションのエレベーターを昇って、降りる儀式の後、マンションの入口まで戻ってきてバイバイとなる。明日になればまた会えるのに、毎回リオ君が泣いて別れを惜しみ、たまはまんざらでもない顔をしている。リオ君が泣かないときは、たまが泣く。これが初恋ってやつかしら。

2008年09月23日(火)  さつまいもの町、川越。
2007年09月23日(日)  オフコースを聴いて思い出すこと
2006年09月23日(土)  マタニティオレンジ10 誕生日コレクション
2005年09月23日(金)  今日は秋分の日
2001年09月23日(日)  『パコダテ人』ロケ1 キーワード:事件


2009年09月22日(火)  小豆島5日目は香川県三木町の渡邊邸で妖怪三昧

小豆島のゲストハウスで4回目の朝を迎え、冷蔵庫の中身大掃除の朝ごはん。明日の午前中の飛行機で東京に戻る予定だったのだけど、今日、柳生さんに高松を案内していただくことになったので、高松へ渡ったついでに東京へ向かうことにした。やる気の出るキッチンと眺めのいいベランダ、洗い場にベッドを二つ置けそうな広々したお風呂……わが家の何倍も広く、快適なゲストハウスと名残を惜しむ。

土庄港の高速艇乗り場では小豆島にまつわる曲が順繰りに流れている。一昨日、うちの両親を見送ったときに『ぼくとママの黄色い自転車』の主題歌、さだまさしさんの「抱きしめて」が聴こえてきて感激したが、今朝もちょうどいいタイミングで「抱きしめて」が流れていて、見送られているようだった。

柳生さん、峰子さんとともに高速艇に乗り込む。二階があり、ラウンジのようにソファが置かれているのを初めて知る。小豆島の話、柳生家の成人した四人のお子さんたちの話、窓から見える風景の話(二つ重なった不思議な岩が見えた)……あっという間に30分、高松港に着くと、長男忠平さんのお嫁さん、陽子さんがお出迎え。これから高松市の隣の三木町で開かれている忠平さんのグループ展を見に行く。

19日に通った県庁公園前の大通りを走っていると、「たまちゃん、ここで、ズボン落っこちたねえ」とたまが言い出した。県庁公園近くのうどん屋「さか枝」で食べた帰り、ウエストがゆるくなったジーンズが漫画のようにすとんとくるぶしまで落っこちた。それをよく覚えていることに驚く。今回の旅行のいろんな出来事も、小さな思い出の引き出しにしまわれていることだろう。


小豆島での「ぼくママ}上映会を主催した映画館ホール・ソレイユの前を通っていただく。「ぼくママ}がかかっているかなという期待があったが、違う作品だった。『子ぎつねヘレン』の太一役、深澤嵐くん主演の『いけちゃんとぼく』、『子猫の涙』でご一緒した森岡利行さんが監督、脚本の『女の子ものがたり』を上映中。

グループ展「和今感彩」の会場は、渡邊邸という古い茶室が集まった情緒あるお屋敷。門をくぐると、大きな紅い和傘が目に飛び込み、着物美女がチケットと引き換えに、靴を入れるエコバックとラムネなどのガラス瓶に入った冷たい飲み物が差し出してくれる。一瞬でこの空間、空気に恋してしまった。「和今感彩」というタイトルは、「和魂漢才」をもじったもの。前にいた外資系広告会社のモットーが「和魂洋才」だったことを思い出す。

中に足を踏み入れると、手づくりのお菓子やら和風小物やらTシャツやらを展示販売している。夜市のような楽しさ。小豆島のお菓子作家さんのブラウニーを、たまが試食を気に入ったので、購入する。

さらに奥の間に進むと、お目当ての忠平さんが襖(!)に描いた妖怪の絵を前に説明していた。蝋燭の炎が、ゆらめき、妖しさを盛り上げる。


絵は描きかけで、昨日も今日も泊まり込み、筆を進めて進化中なのだという。部屋の片隅にはただならぬ妖気を放つ、これまた襖に描かれた妖怪画が。これは、もともとこの屋敷にあったものだそうで、時の洗礼も受けて、すごみを増している。忠平さん、この絵に大いに刺激を受けたそう。

「夜に来ると、いいですよお」と忠平さん。こんな部屋に泊まり込んだら、背筋が冷えそうだけど、それがまた絵描鬼・柳生忠平にとっては、筆に妖気を呼び込むチャンスなのかもしれない。以前、妖怪もののアニメを開発する仕事に半年ほど首を突っ込んだことがあり、妖怪についてけっこう勉強したが、この世と妖怪の世界はつながっていて、妖怪たちは自由に行き来しているのだという。それも文明の発達で、道がふさがれつつあるらしいが、ここならいくらでも通り道が開いていそうだ。

作品はちょっと怖いけど、妖怪をデザインしたTシャツを購入。男物なので、Sサイズでも大きい。そのうちレディースも作る予定とのこと。パフスリーブとか、ワンピースとか、かわいいラインに妖怪の組み合わせを希望。

その隣の間には、忠平さんデザインの革のバッグを展示。こんなの見たことない。面白い。

忠平さんの妖怪画の前にお供えされているのは、20日に小豆島で見た井口三四二さんのコレクションのひとつ。民俗資料館を案内してくださった柳生さんが、展示物を「妖怪のもと」と呼んだ理由がわかった。今は休眠していて宝のもちぐされとなっているコレクションをどのように展示したら人を引きつけられるだろう、と考えをめぐらせていたが、古い道具に新しい感性を吹き込む忠平さんの発想にヒントがあるように思った。

外に出る。お堂の中にも妖怪画、これ以上ふさわしい展示スペースがあろうか。鬼気迫る提灯は、昨日、会場の設営をしているときに見つけたのだとか。これが灯って絵を浮かび上がらせるところも見てみたかった。ちょうどお堂の後ろを電車が走る。琴平鉄道、通称「こと電」の白山(しろやま)駅から徒歩10分とのこと。東京のわが家の最寄り駅は白山(はくさん)で、いつも乗り換え案内を調べると、「白山(新潟)」「白山(香川)」という候補が出るのだが、香川の白山駅はこんなところにあったのか。

「妖怪のもと」×柳生忠平の競演は続く。やかんや鍋が妖怪になるのだから、鍵と錠前だって妖怪になる。自分で自分をかんじがらめに施錠しているのか。

これはセメントを平らに塗る道具だったっけ。近所で大工さんが仕事するのを惚れ惚れ眺めた思い出が蘇る。この妖怪も自分で自分を塗り固めているのか。


左は煙管(キセル)で右は分銅か。分銅妖怪も自分の重みで身動き取れなくなっている。

これは携帯筆らしい。筆ペンの祖先か。

代々受け継がれてきたこの屋敷を管理している小橋さんとお話ができた。「前はこういうものを背負わされて重荷で重荷で……でも今は、どうやって活かしていこうかと考えてたら楽しいですね。白州邸にも行って、じっくり見てきました」。快活で頭の回転のいい女性で、お話もキレがいいと思ったら、ラジオのパーソナリティもなさっているという。ダンナ様はテレビ局に務めていて、「ぼくママ」試写会などにも関わられていたとのことで、作品のことをよく知ってくれていた。

お堂の隣に建つ蔵の前で立ち話したのだが、蔵の下の部分の色が変わっている部分を指差し、「あそこから泥棒が入ったんです」。数年前のその出来事がきっかけで、それまで眠らせていた屋敷を開放して、風を通さなくてはと思ったという。蔵から何を盗まれたのかもわからないらしく、「風穴だけ開けに来たのかもしれませんね」と話す。この建物に人といい空気が集まっている場面に出会えて、とても幸せだった。建物の外観の写真を撮り損ねたのが惜しまれる。


香川といえば、うどん。クルマを走らせて目に留まった「根っこ」というお店へ。わたしは釜揚げを、たまはざるを。「昼どきを過ぎてもこんだけ人が入ってたら、当たりや」と柳生さん。本場でうどんを食べるというだけで、わたしには十分おいしさの条件はそろっている。

食後は高松市内に戻り、柳生さんの親戚がやっているというきらら温泉でひと風呂浴び、マッサージでほぐされる。その間、たまはこんこんと昼寝。目覚めてお風呂に入ると、大浴場に興奮。露天風呂も泡風呂も楽しんだが、調子に乗って風呂から風呂の移動にダッシュし、洗い場の床に勢いよくダイブして大泣きした。あわてて脱衣場に引き上げたが泣き止まず、地元のおばちゃんが「痛かったなあ」と同情してなだめてくれ、「子どもを泣かせたままにしとくと、お母さんの器量が疑われるよってな」とわたしに耳打ち。たまは「たかまつばあば」となつき、「たかまつばあば、おおさかばあばのこと、しってるかなあ」。

畳敷きの休憩スペースで休み、柳生さんの親戚の方とご挨拶。パワフルで強運の持ち主の女主人は柳生さんの叔母さん。「山あり谷あり、わたしの一代記、おもろいよー」。

四国に来たからにはお遍路さんに会いたかったが、車で移動する人がほとんどとのことで、道を歩いている姿は見かけなかった。温泉近くの八十三番札所、一宮寺を訪ねたが、参拝時間が終わっていて、静かだった。その分広々としていて、たまは大はしゃぎ。お地蔵さんがエプロンをしている姿に親近感を抱いた様子だった。

陽子さんに空港まで送っていただき、JAL最終便で羽田へ。ひさしぶりに旅行らしい旅行をして、狭く散らかったわが家に帰ると、なんだか気が抜けつつも、ほっとした。

2008年09月22日(月)  「せつない」が言葉になった、たま2才1か月
2007年09月22日(土)  マルセル・マルソー氏死去
2006年09月22日(金)  マタニティオレンジ9 赤ちゃんとお母さんは同い年
2005年09月22日(木)  innerchild vol.10『遙<ニライ>』
2003年09月22日(月)  花巻く宮澤賢治の故郷 その3


2009年09月21日(月)  小豆島4日目はアートの島「直島」へ

娘のたまが生まれた頃だっただろうか、友人に「すっごくいいよ」とすすめられ、直島のことを調べたことがあった。岡山からさらにフェリー、しかも宿泊施設は限られていて、ほぼ満室。これは無理だと断念し、それから数年、思い出したように小豆島滞在中に日帰り旅が実現した。土庄港からは直行の船はなく、高松に出てから直島行きに乗り換える。高速艇なら乗り換え時間を入れても2時間足らず。

今回お世話になりっぱなしの小豆島の柳生さんのお友だちで、瀬戸内国際子ども映画祭の準備にも関わっている直島の井下良雄さんが船着き場まで出迎え、早速、古民家をアートスペースとして活用している「家プロジェクト」へ案内してくれる。

室内に浅く水を張って発光ダイオードを浮かべ、数字が明滅するアート(その間隔は島民たちに秒数を決めてもらったそう)。碁会所の畳に木でできた花をちりばめたアート。壁の絵が鏡のような床に映りこみ、深い崖の底にすいこまれるような錯覚を覚える「FALLING」というタイトルのアート。

有名な地中美術館へ抜ける山道をたくさんの人が歩いている。ここは竹下通りか、と思うほどの人通り。約4000人の島民に対して、年間の訪問者数は約40万人。今日は大型連休でにぎわい、島民を上回る勢いの旅行客が押し寄せているのだとか。なんにもない山道の途中に突如巨大ゴミ箱が現れる。いたるところにアートがあって、これは楽しい。

地中美術館の整理券待ちの列に井下さんの奥さんが並んでくれていた。朝から女文楽の練習をしてから昼前に並び、17時半入場の整理券を取れたという。9時に並んでも11時入場だったとか。「今日はえらい人や」と井下さんもびっくり。

草間彌生のオレンジかぼちゃに、たまは大興奮。るるぶを見たときから、「ここいく!」と所望していた。「台風のときに流されかけて、大変やった」と井下さん。


井下さんの同級生がやっている山本うどん店は大人気で、ベネッセミュージアムの中にある和食屋に名前を残し、作品を見ながら待つことに。

イタリアから運んだという大きな石のオブジェに寝そべり、建物に切り取られた空を見上げるというアート。雲までなんだか絵画的。

30分待ちのはずが1時間半待ちとなり、メニューは親子丼を残すのみ。小鉢がちょこちょこついて上品な定食といった感じ。食事の前にフレッシュジュースを注文。島にいると、喉が渇く。退屈したたまがぐずると、元保育士というウェイターさんが松葉を持ってきて、あやしてくれる。たまは松葉をひきちぎり、「ちょうちょさんつくるー」と遊びだした。


長蛇の列で入れなかった「家プロジェクト」のひとつ、古い歯科を再生させた「歯医者」。10分待って3メートルというペースだったから、一時間待ち覚悟? 廃屋のような建物が行列に取り囲まれている図もまたアート。「自由の女神みたいなんがおるんやけど、狭いとこに押し込められてるから不自由の女神やー」と井下さん。

港近くにできたお風呂やさん。「アーティスト大竹伸朗が手がける実際に入浴できる美術施設」、その名も直島銭湯「I♥湯」。カラフルなコラージュが楽しい。

右も左もゴテゴテと。色とりどりで何とも楽しい。目を輝かせていると、「いかにも君好みだねえ」とダンナが呆れる。

「中もすごいで」と井下さんに言われ、入浴。大人500円、子ども200円。そして、直島島民は300円。番台のおっちゃんも「I♥湯」シャツを着ている。男湯と女湯の仕切りの上には巨大な象! 浴槽はタイルがコラージュ。サボテンがニョキニョキの温室がのぞめて、作品の中にどっぷり浸れる感覚。

脱衣場のベンチには映像スクリーンが埋め込まれ、トイレもまたコラージュ尽くし。便器と洗面台には中国の骨董のような絵が描かれている。プロデュースはベネッセの福武總一郎さん。アートと生活の融合に脱帽! 散髪屋やマッサージ屋もぜひ作ってほしい。

銭湯から歩いてすぐの港近くには、赤くて大きな草間彌生かぼちゃ。ここは大人気のフォトロケーション。

島のあちこちの触れるところにアートがあり、自分もその一部になれたりする。その感激が口コミで広まって、島に人を連れてくるのかもしれない。「人がいっぱい来よると、年寄りは元気になるし、どんどんええ顔になりよる。みんな家もきれいにしよるし、見られてるゆうのは大事なことや」と井下さん。たしかなセンスと方針を持ったプロデューサーがいれば、宝は磨かれるんだなと感銘を受けた。

帰りは高速艇がなくフェリーを乗り継いで小豆島土庄港に戻り、迎えてくれた柳生さん夫妻に「島勝」という日本料理屋の庭の見える個室で会席をごちそうになる。盛りつけも味もすばらしく、カメラを車に置いてきたのが残念。たまはフェリーから爆睡してたが、ゲストハウスに帰って目を覚ますと、食べきれなくて持ち帰った天ぷらをむしゃむしゃ食べた。

2008年09月21日(日)  「プロポーズ・アゲイン。」と『最後の初恋』
2006年09月21日(木)  マタニティオレンジ8 赤ちゃん連れて映画に行こう
2003年09月21日(日)  花巻く宮澤賢治の故郷 その2
2002年09月21日(土)  アタックナンバーハーフ

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